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5006-5011:フローニンゲンからの便り 2019年10月2日(水)


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本日の4曲

本日の4曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

5006.【日本滞在記】家族で旅をしたあの日あの時

5007.【日本滞在記】確かな変貌:有矛盾かつ無矛盾なる人生

5008.【日本滞在記】加藤栄三・東一記念美術館へ:手紙

5009.【日本滞在記】加藤栄三・東一記念美術館を訪れて

5010.【日本滞在記】歌を歌うように、祈りを捧げるように作曲を

5011.【日本滞在記】魂の救済に向けて

5006.【日本滞在記】家族で旅をしたあの日あの時

目を覚ますと私はまた日本にいて、人生の新たな一日が始まったことに驚く。

私はまだ日本にいる。そして望むと望まぬとにかかわらず、人生は有無を言わせぬ形でまた新しい一日を私に届けてくれた。人生の終わりもまた有無を言わせぬ形でやってくるのだろう。

人生は絶えず有無を言わせないのだ。人生における新たな一日も終焉も、それは有無を言わせぬ形でやってくるのである。

日本をこうして転々と旅をしていると、幼少期の懐かしい感覚が蘇ってくる。その感覚は大人になるにつれて変容し、それはいつしかこの国に対する違和感ないしは嫌悪感のようなものになっていった。

だが今は、そうした感覚が再び変貌を遂げて、幼少期のそれと外形上は似たものになっている。そうそれは、外形上は似ているのだが、質的には全く違うものだと言えるかもしれない。

幼少期の頃、両親は私をよく旅に連れて行ってくれた。父が休みを取ることができれば、いかに短くても必ずどこかに家族旅行に出かけていた。

日本国内の旅行であれば、父が運転する車に乗って、私たちは様々な場所に旅に出かけた。東京で生活をしていた頃は、東京から車で行ける範囲の距離にある都道府県に旅行に出かけ、山口県に引っ越してからは、中国・四国・九州地方を回った。

本当によく旅行に連れて行ってもらった。思い返してみると、今の私の考え・感覚・発想・行動などは全て、両親に連れて行ってもらった旅によって育まれたものなのではないかと思う。

旅行に出かける時はたいていキャンプをしたり、キャンプ場がなければ旅館に泊まった。記憶にある限り、東南アジアの旅行を除けば、家族で旅行に出かける際にはホテルなどに宿泊したことはほとんどないのではないかと思う。

今になってみるとわかるのだが、両親は本当にわかっている人なのだと思う。企業勤めで疲労がたまっていたであろう父は、休暇を家でゴロゴロする形で過ごすのではなく、家族で旅行に出かける形で過ごすことを常にしていた。

宿泊先が仮にホテルであれば、その旅はとても無味乾燥的なものになっていたのではないかと思う。物質的なものに覆われた旅ではなく、豊かな自然に囲まれてキャンプをしながら家族で過ごすことができたことは、どれだけ幸運で有り難かったことだろうか。今になって初めて、その有り難さがわかる。

大人になり、国の外で生活することが長くなればなるほど、私は両親と過ごした幼少期のことをふとした時に振り返る。そのたびにいつも、両親は物事の本質がわかっているように思えるのである。その一つの表れが、旅に出かけること、及び旅の仕方に現れている。

もし仮に私にも家族ができたら、同じようにできるだろうか。必ずや同じように家族で旅行に出かけたい。

両親は私を進学塾などに通わせるような馬鹿ではなく、勉強を強制するような馬鹿では決してなかった。それは私がまだ東京という受験戦地で生活をしていた時ですらそうだった。

とにかく両親は、私に多くの直接体験を積ませてくれたのである。それが影響してか、私は岐阜に到着した日に街を歩きながらふと、もし自分に子供がいて、一緒に岐阜に旅に出かけたら、鵜飼を見ることや伝統工芸品を作ることを一緒に行っただろうと思う。

もし欧州の地で家族ができたら、飛行機の旅をできるだけ避け、キャンピングカーで陸路を移動して、家族で欧州中をキャンプしたい。あるいは、船旅を一緒にしたいと強く思う。

子供が日本の外で生まれたら、日本に旅に出かける際には、なおさら日本の伝統的かつ地域的・文化的な体験を積ませてあげたいと思う。

小学校5年生の時に、学校があるにもかかわらず家族で四国や九州に旅行に出かけたあの日のことを思い出す。私は大学に進学し、大学院まで卒業したが——しかも大学院は3回も卒業した——、そこまで勉強に打ち込むことができたのも、両親が私に勉強を一切強要しなかったからだと思う。

大学院を卒業して学びが終わったわけではなく、今もこのようにして生涯学び続けるという姿勢と胆力を持つことができたのは、両親のおかげであったということが今ならわかる。私も子供に学びを強要することは決してないだろう。間違っても学校の勉強を強いるようなことはしない。

むしろ、そうした勉強をしないように強いる可能性が高いことの方に注意が必要だ。これから夜が明けようとする岐阜の空の下で、そのようなことをぼんやりと考えていた。岐阜:2019/10/2(火)04:45

5007.【日本滞在記】確かな変貌:有矛盾かつ無矛盾なる人生

変わった。確かに自分は変わった。今回の日本への一時帰国に際してそのように思う。

日本を見る目・感じる心の全てが変わったのである。この8年間日本に対して抱いていた諸々の感情・感覚・考えが溶解し、そこには新たな感情・感覚・感覚の芽が生まれていた。そうそれは、もう生まれていたのである。

とにかくこの8年間において日本に一時帰国する際には、常に寂しさと侘しさ、そしてある種の絶望感のようなものが絶えず自分の身をまとっていた。本当に寂しく、本当に侘しく、本当に絶望的だった。

日本に滞在している時に気を抜くと、辛さの波にのまれそうになる自分がいたのである。そうした状態になっていたのはなぜだろうか。

最大の要因は、私が日本という国を対象化し、それと極度に大きな距離を図ろうとしていたからである。端的には、日本との間に巨大な溝が生まれていたのである。その溝が自らを苦しめていた。

今回日本に一時帰国してみると、なんとそうした溝が消えていたのである。日本と私との間にあった幾重にも及ぶ膜が溶解し、薄皮一枚もない形で日本と自分が一体になっている感覚がする。これを持って私は、日本を客体化する極地に至ったのではないかと思った。

日本と自己を二分するゲームが終わっていたのである。そうしたゲームが終わり、日本と自己が深い部分でつながるという現象がようやく生じた。それがもたらしたのが、今こうして感じているこの感覚だ。

この感覚をまだ言葉で説明する必要があるだろうか。その必要性はあまりないように思われる。

言葉で説明するには限界があるのだ。であれば、絵や曲の形にしよう。

実家に帰ったら、父に絵を描く道具を借りよう。エアブラシのような凝ったものを借りる必要はなく、絵の具や色鉛筆程度のものでいい。

今回の一時帰国に際しては、荷物の都合上、水筆色鉛筆を持ってこなかったのだ。新たに芽生えたこの感覚を言葉以外の形にしてみよう。

自分の内側の目には見えない感覚を形にしていくことの大切さと情熱については、全く同じことを篠田桃紅さんと小松美羽さんが述べていたことに驚き、大いなる共感の念を持った。

自分の中で移ろいゆき、そして育まれていく感覚を形にしていくこと。それを私はこれからも毎日行っていきたい。毎日だ。しかもそれを人生の終わりの日まで、終わりの瞬間まで行っていく。

どうやら始発列車が出発したようだ。岐阜駅を列車が通過していく音が聞こえた。

人生における新たな列車が今出発せんとしている。いや、私たちの人生の本質は絶え間ない出発なのだから、本当は私たちは毎日新たな列車に乗ってどこかに向かっているのだ。

それに気付けるだろうか。始発列車の味わい、そして終列車の味わい。

列車は毎日出発し、毎日帰途につく。あぁ、私たちの人生はひょっとすると、列車というよりも、線路そのもの、ないしは不動の大地なのかもしれない。

私たちの自己は線路や大地の上を動く列車であったとしても、人生そのものは不動な存在なのかもしれない。人生は移ろいゆくものであり、不動でもあるということ。いやはや、人生はかくも有矛盾かつ無矛盾なるものであったか。

今朝もまたカラスが外でカァーカァーと鳴き声を上げた。その鳴き声は矛盾だらけであり、一切の矛盾がない。それは人生そのものではないか。岐阜:2019/10/2(火)05:14

5008.【日本滞在記】加藤栄三・東一記念美術館へ:手紙

時刻は午前5時を迎えた。今朝は3時半過ぎに起床し、オランダでの生活と同様に、持参したココナッツオイルでオイルプリングをしながらシャワーを浴びた。オランダではヨガをしながらオイルプリングをしているのだが、一時帰国中においてはシャワーを朝に浴びるようにしている。

ホテルの自室の窓から外を眺めると、深夜に雨が降っていたらしいことがわかる。

今日は、岐阜の城下町を歩こうと思う。ゆっくりと城下町を歩き、ゆっくりとそれを堪能する。ゆっくりとでいいのだ!

落ち着きと高揚感が自分の内側から自ずから生まれてくる。こうした自ずから生まれてくるものをとにかく大切にしよう。大切にそれを見守り、育んでいこう。

物質的な現代社会はそれを抑圧し、奪おうとする。本当にそうだぞ。そのように自分に言い聞かせる。

本当は今日は、岐阜現代美術館に行き、篠田桃紅さんの作品を見る予定だった。だが、昨日訪れた関市立篠田桃紅美術空間の係員の方が親切にも、今は現代美術館には篠田さんの作品が展示されていないとのことであった。それを教えてもらったおかげで、無駄足を運ぶ必要がなくなった。

岐阜現代美術館は少し不便な場所にあり、最寄駅から歩いていくことは実質上難しく、バスやタクシーを使っていく必要がある。そうした手間があったので、現代美術館に無駄足を運ぶことを免れたことは嬉しいことであり、何よりもそのおかげで、今日は岐阜市内の城下町を散策することができるようになった。

調べてみると、市内にはたくさんの寺や神社がある。岐阜に宿る神仏のエネルギーを感じるのはそのためだったか。

岐阜市内での滞在は今日で三日目だが、今のところ市内では、岐阜駅とホテルの往復だけで済んでおり、城下町の方には一切足を運んでいないのだが、ホテルの自室からでも神仏のエネルギーをひしひしと感じる。今日はそのエネルギーの根源地に向かっていく。

色々と調べてみると、偶然にも加藤栄三・東一記念美術館という美術館を見つけた。私はこの二人の兄弟画家について何一つ知らなかったのだが、調べてみると、実に見事な絵を描いていることに驚き、今日は午前中にこの美術館を訪れようと思っている。

今日の予定は、城下町を歩いて堪能することと、その美術館に訪れること、長良川を見ることぐらいだろうか。細かなもので言えば、城下町からホテルまでの帰り道に書店に立ち寄り、篠田桃紅さんのエッセイか何かを購入したい。

あと忘れてならないのは、美術館に立ち寄る前に郵便局で手紙を出すことである。昨日、ある二人の方に手紙を出そうと思った。

欧米生活をしていると、普段日本語で文字を書くことなど一切なく、数年ぶりに日本語で文字を書いてみると、字があまりにも下手になっていることに驚いた。言い訳としては、数日前に銀座で行ったボルダリングによって握力が奪われ、まだそれが回復しておらず、ペンをうまく握れなかったのだが、それにしても字が下手になっていることには驚いた。

しかしその分、誠心誠意、魂を込めるようにして手紙をしたためていった。その手紙は、端的にはお礼の手紙である。それを今日、城下町に繰り出す前に、岐阜中央郵便局で投函しようと思う。

ふと窓の外を見ると、空が明るくなり始めていた。岐阜で過ごす今日という一日も、至福さと充実感に満ち溢れたものになるだろう。岐阜:2019/10/2(火)05:35

5009.【日本滞在記】加藤栄三・東一記念美術館を訪れて

時刻は午後の3時半を迎えた。雨が降る前にホテルに戻ってきた。

今日の岐阜は昨日ほどには暑くなく、何とか天気がもってくれたことは有り難かった。今朝はホテルをゆったりと10時ぐらいに出発し、城下町を歩きながら、加藤栄三・東一記念美術館に向かった。

その道中で、昨日書いた手紙を岐阜中央郵便局で出してきた。手紙が無事に届いてくれることを祈って郵便局を後にし、目的地に向かっていった。

宿泊先のホテルから美術館までは歩いて50分ほどであり、良い運動になった。「財布・携帯・プロテイン」が旅の三種の神器となっており、今日もオーガニックソイプロテイン(プロテイン含有量90%)とオーガニックカカオパウダー(こちらもプロテインがそれなりに含まれている)を混ぜたものを持参した。

旅の最中は本当によく歩き、ボルダリングをしていなくても体の筋肉が良く鍛えられる。自分の筋肉の様子を観察していると、ウォーキングがいかに良い運動になっているかを実感するばかりである。それは身体的に良い影響を及ぼすだけではなく、思考や心にも良い影響を及ぼす。

美術館に向かうまでの城下町は落ち着いていた。ただし気になったのは、今日が平日であるためか、通りはとても閑散としており、岐阜の県庁所在地がある岐阜市がそれほど活気がないように思えてしまった。

特に気になっていたのは、平日の午前中に道を歩いてすれ違う人がお年寄りばかりであり、私と同年代の人や年下の人たちを見ることはほとんどなかった。確かに同年代の人たちは働き盛りであり、建物の中にいるのかもしれず、私よりも若い人たちは学校に通っている時間なのかもしれない。とはいえ、本当に若い人をあまり見かけなかったことには少々驚いた。

目的地の美術館は、岐阜城の麓にあり、到着後すぐに作品を楽しむことにした。加藤栄三・東一については、一昨日に偶然知ったのであるが、今回この美術館に足を運ぶことができたのは偶然の産物であり、二人の作品を楽しむことができて嬉しく思う。

加藤栄三の作品の中では鵜飼をモチーフにした絵が大変素晴らしく、東一の作品に関しては風神をモチーフにした作品の迫力が素晴らしかった。館内にその他の客はほとんどおらず、腰掛ける椅子が空いていたので、そこで靴を脱ぎ、二つの作品をぼんやりと気の済むまで眺めていた。

気が済むまで作品を眺めた後に、ホテルに戻る前に、近くの高島屋に足を運び、そこの書店に立ち寄って、篠田桃紅さんのエッセイを三冊と、『辻邦生 永遠のアルカディアへ』を購入した。それらの書籍は、今からホテルの自室で読み、実家に戻る際の新幹線の中や実家でゆっくりと読みたい。岐阜:2019/10/2(火)15:46

5010.【日本滞在記】歌を歌うように、祈りを捧げるように作曲を

——静かな眼 平和な心 その他に何の宝が世にあろう——三好達治

時刻は午後6時半を迎えた。岐阜の街もすっかり闇に包まれた。

あぁ、今日もまたとても充実した一日だった。一方で、今日の時の流れは激流のように早く、それに途中で気づいた私は思わず笑った。そうした笑いが起きたのは、岐阜市内の商店街でのことだった。

日々、自分の眼に映る事柄がこれほどまでに新鮮であることに驚く。新鮮であるがゆえに驚きと感動がそこにあり、そうした驚きと感動に浸っていると、一日があっという間なのだ。

この世界に生を受けたばかりの好奇心旺盛な幼児たちの内面世界がよく分かる。彼らのように新鮮な眼で世界を眺め、彼らのように平穏な心で世界を眺めること。そうしたことを一瞬一瞬行っていると、一日が一瞬という名の時の粒になる。

こうした時の粒を数珠つなぎにしていけば、それは自分の一生となるのだろうか。それは紛れもなく自分の一生となり、それでいて自分の一生を超えるような気がしている。

自らの人生が自らの人生を超えていくこと。その様子をすでに今この瞬間にも目撃しているように思えるのは気のせいだろうか。気のせいではないだろう。

日本に一時帰国する前後あたりから、日記で書く文章が幾分自分の歌のように思えてきた。それもまた気のせいではないだろう。

言葉はもともと歌だったのだ。歌が言葉だったというよりも、言葉が歌だったのである。そして、言葉は歌であるばかりは、言葉は祈りでもある。

自らの歌は、自らの祈りである。歌を歌うことは、祈りを捧げる行為である。

何に対して祈っているのかわからないが、今、岐阜の夜空を眺めながら、私は確かに何かに祈りを捧げている。

今日は旅行中にもかかわらず、4曲作った。確か今日は午前3時半過ぎに起床し、岐阜の城下町に繰り出す前に3曲作った。4曲目は、夕食を摂り終えた後に先ほど作った。

曲を作ることは本当に楽しい。もっと作曲について学習がしたく、そしてもっとずっと曲を作りたい。曲を作ることは、自分の歌を歌う行為となり、祈りを捧げる行為となった。

日本に滞在する時間は、明日からの大阪滞在とその後の山口県の実家での滞在を含めてもうしばらくある。今、ちょうど半分の折り返しを迎えた頃だろうか。

日本に滞在期間中にも、着実に作曲に関する学習を行い、少しでもいいので毎日曲を作っていく。日記を書くように曲を作っていくことは、世界に対して祈りを捧げる行為となり、世界と深く繋がる営みとなった。私は私なりの祈りをこの世界に捧げていく。

静かな眼で世界を直視し、平和な心を持って祈りを捧げるように曲を作っていくこと。自分の人生は、このとんでもなくシンプルな営みの連続によって形作られていく。岐阜:2019/10/2(火)18:40

5011.【日本滞在記】魂の救済に向けて

——自己の内面は純粋に透明化することによって、外面世界と完全に一体化する——辻邦生

午後に加藤栄三・東一記念美術館からホテルに向かっている帰り道、ツツジの木を見た。その芳しい香りに足をピタリと止め、しばらく私は街路に受けられたツツジの木を眺めていた。

そこから再び歩き始めると、今度は宙にひらひらと舞うものを見つけた。それは、鳥の白い羽だった。

空にひらりひらりと舞う羽を眺めながら、その羽をつけていたのはどのような鳥だったのだろうかと思いを馳せた。

昨日は、高山線に乗って美濃太田駅に向かっている最中に、自分の席の手すりにバッタが止まっているのを見つけた。私は好奇心旺盛にバッタを眺め、そっと触角を触ってみた。嫌がるかと思ったが、バッタは少しも気にかけていないようだった。

自分に小さな子供でもいれば、その場でもっとバッタと戯れたり、今日であればツツジの香りを嗅いだり、空に舞う白い羽を追いかけたりすると思うのだが、さすがに30歳を超えた男性がそんなことを列車の中や街中で行っていたら奇妙に思えるだろうというぐらいの社会的な心はある。

だがそれはもしかしたら必要ではないのかもしれない。もっと無邪気に生きてみてもいいのかもしれない。

空に舞う美しい白い羽を見送った後、私はホテルから比較的近くにある高島屋に立ち寄り、そこの書店に足を運んだ。そこで篠田桃紅さんのエッセイを3冊購入した。

昨日すでに1冊を岐阜駅の中の三省堂で購入しており、それを今朝方に食い入るように読み切ってしまったため、その他のエッセイも読みたくなってしまったのである。そうしたこともあり、書店の店員さんにすぐに声をかけ、篠田さんのエッセイが置かれている場所を教えてもらい、そこに置いているエッセイを全て購入した。

そして偶然ながら、今回の一時帰国中に買いたいと以前思っていた書籍をふと思い出した。それは、『辻邦生 永遠のアルカディアへ(2019)』という書籍である。

なんと幸運にも、その書籍が一冊だけ店内に置かれており、店員さんにそれを持ってきてもらった。ページを開いてパラパラと中身を眺めていた時に、「芸術による魂の救済」という文字を見つけ、その文字を見ただけでもうどうしようもなくこの書籍を手元に置いておきたくなった。

今回の一時帰国では、群馬県で小松美羽さんの個展を鑑賞し、岐阜県で篠田桃紅さんの作品を鑑賞した。私は決して、小松さん、篠田さん、辻先生のような芸術家ではないのだが、「芸術による魂の救済」という言葉にはどこかグッとくるものがある。

レジの前でその言葉を心の中で読み上げていた私に、感極まるものがやってきて、感涙がこぼれそうになった。自分は芸術家でも作曲家でもないが、自分の言葉を綴ること、そして曲を生み出していくことは、この世界に対して祈りを捧げることであり、魂の治癒と変容、そして救済をもたらすことになりはしないかという願いにも似た気持ちがある。

明日もまた人知れず起床し、人知れず言葉と曲を生み出していく。魂の救済に向けたその活動は、自己を純化させていき、自己と世界を完全なるまでに同一化させるだろう。そこにまた、自己と世界との新たな関係があり、その関係が自己と世界をさらに育んでいく。岐阜:2019/10/2(火)18:59

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