5002-5005:フローニンゲンからの便り 2019年10月1日(火)
- yoheikatowwp
- 2019年10月3日
- 読了時間: 11分

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本日の2曲
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タイトル一覧
5002.【日本滞在記】岐阜で迎えた最初の朝に
5003.【日本滞在記】岐阜滞在初日に見た夢
5004.【日本滞在記】今朝方の夢の続き
5005.【日本滞在記】関市立篠田桃紅美術空間を訪れて
5002.【日本滞在記】岐阜で迎えた最初の朝に
岐阜で迎えた最初の朝。今朝は午前4時に起床し、時刻は午前5時を迎えた。
岐阜の朝は東京以上に静かである。岐阜駅の間近くのホテルに宿泊しているのだが、銀座に宿泊していた時と比べて静寂さが際立っている。
今、ホテルの自室の窓から、城下町と反対側のビジネス街の方を眺めている。今日か明日には城下町を散歩してみたい。
岐阜の街は落ち着きがあるのだが、ビジネス街の方を眺めていると、やはり私はこうした現代化された都市よりも、自然の中で生活を営みたいのだということを改めて思った。
昨夜に夜空を眺めていた時、ビジネス街の明かりのせいか、星が全く見えなかった。それでは自分の魂は落ち着かない。
広大な夜空に輝く星が見たい。星の光が見たいと思った。
また、乱立する人工的な建物の数々を眺めていると、それらがいくら束になっても、自然の荘厳な景観とエネルギーには足元も及ばないことに改めて気づいた。
自己をさらに育んでくれる自然の中へ。そんな思いが募る。
そうした場所は日本にもたくさんあるのだろうが、果たして自分はこの国で精神的に生きていくことはできるだろうか。昨日もそれについて考えていた。
物質的な面では日本で生活を営むことは可能である。だが、精神的な面に関しては相当に疑問が残る。自分の魂はそれを望んでいない。昨日はそんなことを感じながら、岐阜の街を少しばかり散歩していた。
昨日は東京も岐阜も暑く、今日も気温が上がるらしい。天気予報を調べてみると、最高気温は30度、最低気温は24度とのことである。最低気温に関しては、フローニンゲンの倍以上高いことがわかった。
オランダに戻る頃にはさぞかし寒くなっているだろう。今週の日曜日のフローニンゲンは、最高気温12度、最低気温7度と出ているではないか。しかしそうした寒さの厳しい場所での生活を、私は心底喜んでいるし、楽しんでいる。
そこでの生活と充実感と幸福感は尋常ではないのである。通常の度量衡では決して測ることのできないものがそこにある。
午前8時頃を迎えたら、ホテルのレストランに降りていき、そこでフルーツとコーヒーだけいただこうと思う。コーヒーを飲んで一服したら、9時を目処にホテルを出発し、関市立篠田桃紅美術空間に向かう。
岐阜駅から東海道線に乗って、美濃太田駅で乗り換えを一度する。そこで長良川鉄道に乗り換えて、関市役所前駅で降りる。ホテルから美術館まで合計で1時間半弱なので、それほど遠くない。
今回の一時帰国の目的の一つは、小松美羽さんと篠田桃紅さんの作品を見るためだったので、本日、篠田さんの作品を鑑賞することがとても楽しみだ。岐阜:2019/10/1(火)05:30
5003.【日本滞在記】岐阜滞在初日に見た夢
遠くの方でカラスの鳴く声が聞こえた。
宿泊先のホテルでは12Fの一室に滞在しており、そこからの眺めはいい。ふと窓の方に目をやると、空が徐々に明るくなってきている。
時刻は午前5時半を迎え、この時間帯のフローニンゲンはまだまだ闇の世界であることをふと思う。
今朝方は印象に残る夢を見ていた。日本に戻ってきてからは、それほど印象に残る夢を見ていなかったように思う。いや、夢は見ていたのだが、それを書き留めることを忘れてしまっており、いつの間にやら記憶の彼方に夢が飛び去っていってしまっていたのだ。
夢にも命があることを知る。その命が輝く瞬間と出会い、それを時期を逃さず捉えることができるか。それが大切なのだろう。
そういえば、昨夜は夢を見る前に不思議な知覚体験をしていた。時々私が感じる強烈な光を知覚する体験である。
より具体的に言えば、意識が覚醒状態から半覚醒状態に移行する過程の中で、つまりグロスの意識からサトルの意識へと移行する中で、光輝く様々なイマージュを知覚していたのである。これをより鮮明にし、時間軸を伸縮拡張させれば、過去や未来を見ることができるのかもしれない。そのようなことを思わせてくれる知覚体験だ。
そこで見ていていたイマージュの数はおびただしく、万華鏡のように次から次へと別のイマージュに変化していくために、一つ一つのイマージュに対する記憶はない。しかし、中南米の伝統的な衣服であるポンチョを着たラテン系の男性のイマージュは、とても鮮明な記憶として残っている。
自分の意識世界の中には、うごめくイマージュの数々があることを知る。それは誰しもの中にもあるものだ。あとは意識を鍛錬し、それに気付くかどうか。こうしたイマージュをもとに曲を作ってみたい。
辺りは随分と明るくなってきた。それでは今朝方の夢について振り返り、早朝の作曲実践を行いたい。
夢の中で私は、3人の友人に、自分が作ったカレーの試食をしてもらっていた。一杯目も自信作だったのだが、大事なスパイスの一種を入れ忘れていることにふと気づいた。
3人は試食後、すぐにどこかに行こうとしていたが、私は3人を呼び止め、もう一つスパイスを入れるとさらに美味しくなることを彼らに伝えた。すると、彼らは少しばかり面倒くさそうな表情を浮かべながらも、同時にカレーの味を楽しみにするような表情を浮かべて戻ってきてくれた。
彼らにもう一杯カレーを出し、秘伝のスパイスを振りかけた。すると、その味が美味しかったのか、3人はとても満足そうな表情を浮かべた。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、誰かが突然私のこの1年間の成績を発表した。最初よく事情が飲み込めなかったのだが、何やら、住んでいる地域を対象にした統一テストのようなものが定期的にあり、今年1年間のトータルの成績が発表されるとのことであった。
成績結果を発表する人が、「それでは、1位から発表します」と述べ、「普通は1位の発表は最後ではないか?」と思った。すると、「第2位、加藤洋平君!」と呼ばれ、その場にいた人たちが一斉に拍手をした。
「1位からの発表ではなかったのか?」と思いながら、同時に自分が2位であることに驚いた。
私:「これは数学の結果だけですか?」
成績発表をした人:「いえ、様々な科目の合計の結果です」
3位以内に入ると、表彰状がもらえるらしく、名前を呼ばれた私は壇上に向かい、1位と3位の発表を待っていた。1位は、学業が優秀であった女性友達の一人(YY)か、男性友達の一人(MS)かだろうと思った。そこで夢の場面が変わった。岐阜:2019/10/1(火)05:55
5004.【日本滞在記】今朝方の夢の続き
少しばかり作曲理論に関する書籍を読んでいた。気がつくと、時刻は6時半を迎えていた。
よくよく考えてみると、今回の滞在期間中、岐阜の城下町を散歩する時間はそれほどないことがわかり、明日の朝か明後日の大阪出発に向けた朝にでも散歩を楽しんでこようかと思う。夜明けとともに散歩に出かけ、城下町の散策をしてみるのも良いかもしれない。
早朝の作曲実践に取り掛かろうとしたところ、今朝方の夢の続きについて思い出した。夢の中で私は、どこかの城下町と外国が混ざったような場所にいた。そこでは祭りが催されていて、辺りは活気付いていた。
辺りを見渡すと、そこに小中学校時代の親友(KF)がいた。彼は私の顔を見ると笑顔になったが、なぜか突然逃げ出した。どうやら私たちは鬼ごっこをしているようだった。
彼が逃げていく姿をしばらく見た後に、彼を追いかけなければならないと思った。幸いにも、追いかけ始めてすぐに彼の背中を捉えた。
彼はくるりとこちらを振り返り、「まずい」という表情を浮かべて、近くにあった木造の階段をすぐさま降りて行き、どこかに身を隠そうとしていた。私もその階段を急いで降りると、そこには綺麗な小川が流れていて、水面が太陽の光で輝いていた。私はそれに一瞬見とれたが、彼を捕まえなければならないと思い、再び彼を追いかけることにした。
すると、彼は観光バスに乗ろうとしており、そのバスはスペインのアトレティコマドリードのホームスタジアム行きと表示されていた。それを見た瞬間、私はその行き先のバスに乗ってはならないと思った。
すると、私の隣には別の友人(TK)がいて、あのバスに乗らなくて正解だと述べた。
友人(TK):「あのバスに乗っちゃ、ダメやよ。鬼ごっこしとる場合じゃないけん」
私:「どういうこと?」
友人(TK):「かっちゃん、まだ今回の祭りの税金を納めてないやろ。その係やったやん」
私:「えっ、そんな係やったっけ?」
友人(TK):「忘れたん?そうよ。今から戻ったら間に合うけん、早く!」
友人にそのようなことを突然言われ、私は祭りで上がった収益に関する税金を納めにどこかに向かった。行き先はよくわからないが、自分の足は勝手にそちらに向かっており、気がつけば私は走っていた。
しばらく走ると、大柄なスキンヘッドの外国人に出会った。彼は流暢な日本語を話すことができる。
彼を見た瞬間に、どうやら祭りの収益に関する税金は彼に支払う必要があることがわかった。そして、彼はドイツのネオナチに関係していることもわかった。
彼はニヤニヤしながら、「遅いじゃないか」と述べた。彼が私の方に近寄ってきた時、私は殴られるかもしれないと思ったが、それは杞憂に終わり、彼に税金を手渡そうとしたところで夢から覚めた。
昨日の朝は、岐阜に行く前に銀座の二つの店で免税の手続きをしていた。それが今回の夢に何か影響を与えていたのかもしれない。そして、夢の中の城下町は岐阜の城下町と重なっているものがあるかもしれない。岐阜:2019/10/1(火)06:46
5005.【日本滞在記】関市立篠田桃紅美術空間を訪れて
時刻は午後の7時を迎えた。今、岐阜滞在の2日目がゆっくりと終わりに近づいている。
今日の岐阜は真夏日のように暑く、むしろその暑さは日本の夏を思い出させてくれたが故に有り難かった。
今日は、関市立篠田桃紅美術空間に足を運んだ。朝の9時前にホテルを出発し、岐阜駅からまずは高山線に乗って美濃太田駅に向かった。そこから乗り換えをした時の列車はとてもレトロであり、なんと1両編成であった。
1両編成の列車に乗ったのは初めてだったかもしれない。もしかしたら過去に乗ったことがあるのかもしれないが、最後に乗ったのがいつか思い出せないぐらいである。
美濃太田駅から関市役所前駅までの風景は、想像通りにのどかであった。
駅に到着後、市役所まで歩いていると、セミの鳴き声が聞こえてきた。その鳴き声はとても懐かしく、私は思わず足を止めて、セミが止まっている木の方を仰ぎ見た。
なんと懐かしい音色だっただろうか。
今日から10月に入ったが、日本の夏を思い出させてくれたセミには大変感謝している。きっとあの鳴き声は、セミが自らの短い命を振り絞って放ったものだったのだと思う。
駅から歩いてすぐのところに市役所があり、早速私は7Fにある篠田桃紅美術空間に向かった。無事に到着すると、そこにはとても落ち着いた空間が広がっていた。
確かに館内はワンフロアであり、とてもこじんまりとしているのだが、篠田さんの代表作とエッセイが記されたパネルには大変得るものが多かった。とりわけ、篠田さんの「無」についての思想が大変興味深かった。
パネルを読みながら、ふと自分の作曲実践に引きつけて、究極的な音もまた無なのかもしれないと思わされた。あるいは仏教思想的には、空(くう)なるものなのかもしれないと考えた。
そこから私は、空なる音を求めていく道のりがおぼろげながら見えたように思えたのである。
無のように全てを包摂する空に至るにはどうすればいいのだろうか。一つの手段としては、有から無に至る道筋があるだろうか。無に直接分け入って行くことは難しいように思うため、当面は、有なる音を生み出すという方法をもってして無を探求してみよう。
篠田桃紅さんは音を形にしていくという大変興味深い発想を持っておられ、私はそれとは逆向きに形を音にしていくというアプローチを取りたい。自分の内側に溢れている目には見えない感覚や世界を、音という形にしていくのである。そうした思いを一段と強くした。
今日はこれから一日を締めくくる作曲実践をしたい。その時は、上述の二つの事柄を特に意識する。
美術館を出発しようとした時に、出口で思わぬ出来事が起こった。美術館を出るときに、「加藤さん・・・?加藤さんですか?」と声をかけられたのである。
なんとそこには、知り合いの方がいらっしゃった!その方とは直接お会いしたことがなく、これまではオンラインでやり取りをさせていただいていただけであり、対面したのは初めてだった。
本当に偶然の対面で私は驚き、帰りの列車の時刻が迫っていたので長くは話ができなかったが、思わず3回も握手をしてしまうぐらいにその偶然の出会いを喜んだ。
思い起こせば、今回の一時帰国中には、この一週間の間にもう何度も幸運な偶然が重なっている。今回の旅には何かあるに違いない。
幸せを運んでくれる何かがきっとある。やはりここは、私を優しく抱擁してくれる母国だ。岐阜:2019/10/1(火)19:19
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