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4988-4994:フローニンゲンからの便り 2019年9月27日(金)

September 28, 2019

お知らせ

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本日の2曲

本日の2曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

 

タイトル一覧

4988. 東京滞在3日目の朝:地獄の楽しみ

4989. 狂った楽園の中で:日本滞在最初の夢

4990. 長野に向かう「あさま601号」の中で:自分を育んでくれた東京

4991. 日本語の豊穣さに打たれて

4992. 小松美羽さんの個展「Divine Spirit〜神獣の世界〜」を鑑賞しに富岡市立美術博物館へ

4993. 富岡市立美術博物館での思い出深い体験:小松美羽展「Divine Spirit〜神獣の世界〜」を鑑賞して(その1)

4994. 富岡市立美術博物館での思い出深い体験:小松美羽展「Divine Spirit〜神獣の世界〜」を鑑賞して(その2)

 

4988. 東京滞在3日目の朝:地獄の楽しみ

 

日本滞在の3日目の朝を迎えた。今朝は3時過ぎに起床した。

 

昨日と同様に、時差ぼけのためか、2時間おきに一回ぐらい目が覚めてしまうのだが、特にそれによって体調が悪くなっているわけでもなく、それもまた身体の調整現象だと割り切って、うまく自分の体と向き合っている。実際に、今朝の目覚めはすこぶる良好だ。

 

日本に到着してからも徹底的に食にこだわり、オーガニックなもの以外は口にせず、化学調味料や添加物などはほぼ一切取り入れていない。また、日中は足を使って銀座の街を歩き回っているため、非常に良い運動になっている。

 

今回の東京滞在においてはまだ一度しか列車に乗っていない。それは成田空港から銀座までの列車である。

 

明日は朝一番に、豊洲の映画館でクライミングに関する映画を見ようと思っている。

 

東京の日中はまだまだ暑さがあるが、気が滅入るほどの暑さではなくなっている。歩いていても汗がにじまないほどだ。

 

街中を歩いている人を見ると、もちろん歩いている距離が長い人もいるのだろうが、無駄に汗をかいていたり、体臭が臭う人がいる。そうした人たちは、日中に冷房に当たりすぎているのかもしれず、普段の生活習慣があまり良くないのかもしれないと想像する。

 

冷房に関して言うと、そういえばなんと4年振りに冷房を体感した!これまでの日記でも言及していたように、オランダでは基本的にオフィスでも冷房がない。それはオランダの涼しさによる。

 

これまで日本に帰るのは大抵年末年始であったから、冷房に最後に当たったは日本を離れ、オランダにやってきた4年前に遡る。久しぶりの冷房を体感して思ったのは、これは間違いなく身体調整機能を狂わせるということだった。

 

街中の至ることにある店や施設で冷房が効きすぎている。インテグラル理論で言えば、こうした右下象限的な仕組みは、都会人の身体調整機能が狂い始めていることの要因の一つとして働いていそうである。

 

今日は7時半に東京駅を出発する東北新幹線に乗り、群馬県の富岡市立美術博物館に足を運ぶ。そこで所蔵されている美術品を鑑賞することはもちろん楽しみだが、何よりも楽しみなのは、小松美羽さんの個展を鑑賞することだ。

 

今回日本に一時帰国した目的の中でも最も重要なものが、小松さんと篠田桃紅さんの作品を鑑賞しに美術館に行くことであった。篠田さんの書を見に行くために岐阜県に移動するのは、来週の月曜日である。今日は思う存分に、小松さんの作品を楽しみたいと思う。

 

一昨日は、八重洲ブックセンターにて、ボルダリングに関する2冊の専門書、作曲に関する5冊の専門書に合わせて、小松さんの画集を2冊購入した。ホテルを出発し、東京駅に向かうまでまだ時間があるので、小松さんの画集を眺めることにしたい。

 

ホテルを出発するのは、あと2時間後の6時半をめどにしよう。東京駅ではゆっくりとくつろぎ、持参した書籍を読んだり、日記を執筆したりしよう。

 

人間は天国だけで楽しく生きることができるのではなく、地獄でも楽しく生きることができるのだ。東京での現在の滞在がそれを証明している。銀座:2019/9/27(金)04:35

 

4989. 狂った楽園の中で:日本滞在最初の夢

 

時刻は午前4時半を迎えた。先ほどの日記のタイトルを「地獄での楽しみ」と書いたが、東京のみならず、世界は確かに地獄的な側面を帯びていると言えるかもしれないが、狂った楽園的な側面を帯びていると言った方が正確かもしれないと考え直している。どちらが正確かなどを考えても仕方ないのだが、それを考え始めてしまったのだからしょうがない。

 

あと2時間したら、私は再び自分の内面世界を携えて、狂った楽園に足を踏み入れていく。いや、世界が仮に狂った楽園であるのならば、今こうして日記を書いているホテルのこの空間ですらもが狂った楽園の一部なのかもしれない。

 

人間は本当に内側の世界にだけ閉じて生きることはできないことを改めて知る。

 

狂った楽園に対する自分なりの向き合い方と関与の方法を模索する。やはりこの世界は地獄なんかではないと思いたい自分がいる。

 

まだ狂った楽園の方がマシだ。狂った側面を治癒すれば真の楽園になるのだから。

 

それは随分と理想主義的な発想だが、そうした発想を持たなければ、この現代社会で自己を健全に保ちながら生きて行くことはできない。また、社会的な生き物として、この社会に積極的に関わっていくという態度も剥奪されてしまう。

 

狂った楽園の治癒と変容。それが自分の最大の関心事項であり、それに関わることにだけ自分の時間を使い、それに関することだけが自分のライフワークとなる。その他一切の事柄は、狂った楽園からの甘い誘惑である。

 

そういえば、今朝は夢を見ていた。これはとても良い兆候だ。

 

日本に到着した初日には夢を見なかった。奇妙なことに、今、私はいつ日本に到着したのかを忘れてしまっていた。

 

日本に到着したのは昨日ではなく、一昨日であった!てっきり昨日だと思っていた。

 

時間が溶けていく。時間が溶けていき、自分の内側の内面世界の中に大河として流れ込んでいく。

 

自己が時という大河の中にあるのではなく、それとは全く逆に、時という大河が自己の中にある。時間が溶解し、それは自己の血液となる。

 

時間の流れは血の流れであったか。初めて知った。

 

そう、今朝方の夢。夢の中で私は、オランダのデン・ハーグに住む友人と、小中学校時代の女性友達との3人で、自転車をこぎながらどこかに向かっていた。

 

そのどこかというのは、自転車をこぎ始めてすぐにわかった。デン・ハーグに住む友人の家にこれから行き、彼女の家でお茶でも飲みながら話をしようということだった。

 

周りの風景はオランダのそれであり、大変長閑であった。風車が回り、牧草を美味しそうに食べている牛の姿が見えた。そんな景色を眺めながら、私たちは砂利の自転車道をゆっくりと進んでいた。

 

すると、デン・ハーグに住む友人が鞄から携帯を取り出し、自転車に乗りながらSkypeかZoomか何かを使って誰かと話をし始めた。どうやら、コーチングのクライアントに対してコーチングをし始めたようだった。

 

まさか自転車に乗りながらコーチングをするとは想像しておらず、その器用さに驚いた。もう一人の友人と私は、彼女のコーチングを邪魔しないように努めた。

 

そこからしばらく自転車をこぐと、目的地に到着した。目的地に到着してもまだ友人はコーチングをしていた。

 

携帯電話を片手に自転車を止め、家の鍵を開け、私たちを中に入れてくれた。とても落ち着いた空間がそこに広がっており、リビングに案内してもらった私たちはソファに座り、しばらくじっとしていた。

 

携帯を片手に引き続きコーチングをしている友人は、これまた器用にお茶を入れ、私たちにお茶を提供してくれた。そして、いよいよコーチングが終わりに差し掛かった時、二杯目のお茶を入れるためのお湯が沸き、彼女は一度携帯を置き、パソコンでクライアントと会話をすることに切り替えた。

 

そして、ぴゅーぴゅーと音を立てて沸騰しているやかんの元に友人が駆けつけている時に、私はパソコンのカメラモードがオンになっているのではないかと心配し、カメラの部分を彼女の黒い携帯で隠すようにした。

 

別に休憩としてコーチがお茶を入れにその場を離れるのは悪くないのだと思うが、クライアントに私生活の場を見せたり、沸騰した夜間に駆けつける姿を見せたりするのは積極的に勧められるものではないと私は考え、親切心からカメラの部分を黒い携帯で隠したのである。そうすれば、彼女のクライアントは彼女の部屋を見たり、やかんに駆けつける彼女の姿を見ることができなくなると判断した。

 

私はそれを親切心で行ったのだが、コーチの友人はなぜだか私の行動を好ましく思っておらず、怒った表情で帰ってきた。黒い携帯でパソコンのカメラの部分を覆い隠すという行動が奇怪に見えたのか、その意図が伝わらなかったのか、普段は優しそうに見える友人があのような表情を見せるとは予想していなかった。

 

そこで私は、やはり女性の気持ちを理解するのは難しいと思い、もしかしたら彼女はちゃんとカメラモードをオフにして席を離れたのかもしれないと思い、黒い携帯でカメラの部分を隠すという行動が無駄だったのかもしれないと思った。そこで夢から覚めた。

 

目を開けた私は、銀座のホテルのベッドの上だった。宿泊先がそこなのだから当たり前かもしれないが、そこにいることが不思議であった。自分の精神と肉体の所在地を絶えず確認しよう。銀座:2019/9/27(金)05:08

 

4990. 長野に向かう「あさま601号」の中で:自分を育んでくれた東京

 

今、とても興奮した気持ちで長野行きの特急列車あさま601号に乗車した。列車はプラットフォームに落ち着いた表情で停車しており、高揚した自分を優しくなだめてくれている。まさに、好奇心に満ちて興奮した子供を優しく諭す親のような存在だ。

 

それにしても、今日の東京の朝は本当に清々しかった。日中に感じられる東京駅近郊の鋭利なエネルギーが雲散霧消し、東京の穏やかな表情がそこにあった。

 

自分が生まれた街、東京。私は東京の御茶ノ水に生を受けた。そんな東京で人生の3分の1ほどの時間を過ごした。

 

それほどまでにお世話になった東京という街を私はどこか毛嫌いしていた。特に欧米での生活を始めて以降は、日本の首都東京を死都だと位置付けていた。

 

今回2年振りに一時帰国してみると、東京に対する私の印象は随分と異なっていた。もちろん、やはり東京の負の側面は目につくが、どんな人間も完全ではありえないのと同様に、街も完全ではありえない。私は東京の良き側面と悪しき側面の両方を平等に見ることができるようになり、ようやくこの街を真に受け入れることができたように思う。

 

東京を毛嫌いしていたこの8年間は、ある意味親離れの時間であり、親のように自分を育んでくれたこの街とこれからようやく深い関係性が築かれていくだろう。

 

今、あさま601号が発車した。停車駅は、上野、大宮、熊谷、高崎の順となる。父にゆかりのある熊谷の駅を眺めることができるのはどこか嬉しい。

 

欧米での8年間の生活を経る中で、両親と私との関係性にも随分と変化があったように思う。いや、関係性そのものは昔からずっと良好なのであり、私が両親の存在に対して抱いている気持ちや意味が変容していったのだ。

 

本当に人は成長発達をしていく生き物なのだと驚かされる。まさにそれを探究するのが自分の専門の一つのはずなのだが、そうした現象が自分の身に起こっていることを見ると、本当にびっくりしてしまう。

 

それにしても、今乗車している新幹線は清潔で落ち着いている。

 

この精神的な安心感はなんだろうか。日本ほど精神がくつろぐ場所はない。魂がこれほどまでに安らぐ場所は他にない。だからもう一生この国には住まない。

 

「住まない」という自らの意思が入り込む余地はなく、もう住むことを許されていないのだ。

 

青空。雲一つない青空が上野上空を覆っている。

 

父が高校3年間通った熊谷という場所はどのような街なのだろうか。若かりし頃の父が見たであろう熊谷上空の空を自分も見てみよう。

 

景観。日本の景観。新幹線の窓から見えるこの景観。ヨーロッパのどこにもないこの景観。自分の魂は、今それを見ている。

 

自分の魂は、世界の様々な国の景観を眺め、それらを分け隔てなく愛する。だから景観もまた自分の魂を愛してくれているのかもしれない。

 

肉体が物理的な次元で移動すると、精神や魂も一緒に移動してくれる。肉体の移動に伴い、言葉が変わっていることに気づく。

 

オランダのフローニンゲンの書斎の中では生まれてこないであろう言葉が、今回の東京滞在において既に流れ出てきている。

 

言葉は場所と結びついており、言葉が肉体・精神・魂と結びついている。なぜ自分がこの世界を遍歴しているのか、今なら分かるような気がする。なぜ自分が若くしてセミリタイアをし、この世界を転々としながら生活を営んでいるのか今なら分かるような気がするのだ。

 

場所と結びついた言葉、そして音楽。それらを創造していくこと。本当に、それだけが自分の人生だ。

 

言葉と音楽を形として残すことで、自分の感覚や想いすらもが永遠にこの世界に残っていく。有形無形の形となって残っていく。形となって残っていく・・・。

 

「次は大宮に着きますよ」とあさま601号が優しく語りかけている。長野に向かうあさま601号の中で:2019/9/27(金)07:12

 

4991. 日本語の豊穣さに打たれて

 

「麗らか(うららか)」という言葉は、やはり今日のような日にぴったりな言葉かもしれない。日本語は本当に美しい。本当に奥深い。

 

昔の日本語はもっと美しく、もっと奥深いものだったのかもしれない。過去を美化しても仕方ないのだが、現代の日本語空間が劣化していく中にあって、昔の日本語に思いを馳せずにはいられない。

 

今回の日本滞在でもまた、街中に溢れる日本語の多さに圧倒された。聞こえて来る街中のアナウンスも日本語なのだ。それは当たり前かもしれないが。

 

昨日TOHOシネマズ日比谷が入っている建物のエスカレーターで興味深いことに気づいた。平日の朝一番で映画を観る人などほとんどおらず、その建物の中を歩く人も少なかった。

 

私はエスカレーターで映画館に向かっていると、エスカレーターが何度も同じメッセージを繰り返し発していることに気づいた。それはどこか過剰な繰り返しであり、不必要な繰り返しにも思えた。

 

全てが管理され、逐一全ての行動に対して機械から指示が送られるような近未来都市の一端がそこに垣間見られた。私はそれを笑ったが、それは幾分シュールな笑いでもあった。

 

こうして人間は人間性を剥奪されていくのだろうか。そんなことを思った。

 

昔の日本語の話。それをテーマにしようと思って文章を書こうとしていたことを思い出した。

 

日本語の特に漢字には呪術的作用が含まれていることを実感する。それは言語哲学者の井筒俊彦先生も指摘していることである。

 

漢字には日本の精神性が体現されている。日本の集合意識を根底から支える言語意識なるものが日本語、特に漢字空間に内包されている。

 

戦後GHQは、漢字の持つそうした特性を危惧し、日本人の精神性を削ぎ落とすために漢字の簡略化を日本に促したという話を聞いたことがある。現在用いられているのはそのようにして希薄化された漢字なのだが、それでもまだ漢字の持つ呪術的喚起力は残っているように思う。

 

漢字には、色や形だけではなく、そこに音楽さえも見出せる。漢字が奏でる固有の音楽をいつか自分の曲として表現してみたい。そのようなことを父にゆかりのある街熊谷に向かう列車の中で思う。

 

北陸新幹線あさま601号は、間も無く熊谷に到着する。父が見たであろう景色を自分も眺め、父がこの地で感じたであろうことを自分も感じたい。

 

全く同じことを感じられなくてもいい。父と私は二人の異なる人間なのだから、それは当然だ。

 

だが私は、父が見ていた世界と感じていたであろう世界の中に自己を投げ入れてみたい。自己が究極的に独りであるという限界を超越する道はそこにある。いやより厳密には、そこにしかない。

 

他者の世界の中に自己の全てを委ねてみること。それが独りであるという人間の性(さが)を超えていく唯一の道なのだと思う。

 

もうすぐ熊谷だ。当初予定していたよりも早い新幹線に乗ることができ、高崎にも早く到着する。

 

小松美羽さんの作品を鑑賞するために訪れる富岡市立美術博物館にも予定よりも早く到着できそうだ。長野に向かうあさま601号の中で:2019/9/27(金)07:28

 

4992. 小松美羽さんの個展「Divine Spirit〜神獣の世界〜」を鑑賞しに富岡市立美術博物館へ

 

今、高崎駅を出発した。上信電鉄に乗って、上州一ノ宮駅で下車する。

 

いや〜、上信電鉄を待つ高崎駅の雰囲気は素晴らしく長閑だった。高崎というのは群馬県の県庁所在地ではなかったか。そうした場所の駅がこれほど長閑であることに、私は嬉しくなる。

 

今朝、銀座のホテルを出発し、東京駅に向かう途中のコンビニのATMで現金を降ろしておいて本当に良かった。

 

昨日は、有楽町イトシア周辺に特産物を購入できる出店があり、オーガニックの美味しそうな肉厚のしいたけが売られていた。お店の年配女性に声をかけ、そのしいたけが生で食べれるかを確認してみた。

 

やはりしいたけは生で食べるよりも、炙ったりしたほうがいいらしく、また現金でしか購入できないようだったので、現金が20円ぐらいしかなかった私には購入できない代物だった。そんなこともあり、今日これから訪れる群馬の地ではクレジットカードが使えない場所もあるだろうから、現金を5千円だけ降ろしたのである。それは大正解であった。

 

高崎駅で上信電機に乗るための切符を購入しようとすると、券売機はとてもモダンだったのだが、クレジットカードやICカードを受け付けておらず、現金しか受け付けていなかった。

 

高崎から上州一ノ宮駅までの往復切符は1800円であったから、財布にはあと3220円残っている。現金しか使えない場所にこれからあまり訪れないだろうから、それくらいの現金があれば、あと3週間は日本で過ごせるかもしれない。

 

高崎駅から上州一ノ宮駅までは45分ほどかかり、そこまでの景色はとても長閑であることが予想される。実際に今、車窓から見える景色は長閑だ。

 

今、「佐野のわたし」という変わった名前の駅に着いた。確かに今この瞬間の私は、「佐野のわたし」としてこの日記を書いている。

 

上州一ノ宮駅から富岡市立美術博物館までは、歩いて25分ほどだとGoole Mapが教えてくれている。ということは、20分ぐらいでつけそうだ。

 

この分だと、美術館が開館するのと同時に到着できるかもしれない。そうすれば、小松美羽さんの個展「Divine Spirit〜神獣の世界〜」をゆっくりと楽しむことができ、その他の所蔵作品をゆっくりと見ることができるだろう。小松さんの作品を含め、富岡市立美術博物館ではどのような作品と出会うことができるのか今から楽しみだ。

 

今日も比較的よく歩くことを考慮して、ホテルで作ったプロテインを持参することにした。ホテルを出発する際の確認項目が思わず笑いを誘った。

 

「財布持った、携帯持った、プロテイン持った。よし行こう!」と独り言を述べている自分がいたのである。オランダで愛用しているオーガニックのソイプロテイン、オーガニックのカカオパウダーとヘンプパウダーを水600mlに溶かしたものを共(かつ「友」)にして、今回の一時国中は各地を動き回る。

 

列車は山名という駅に到着し、残り10駅ほどで上州一ノ宮駅に到着する。

 

金曜日の平日の8時半。今私が存在しているこの場所は、とても平穏で幸福感に満ちている。上州一ノ宮に向かう上信電鉄の中で:2019/9/27(金)08:38

 

4993. 富岡市立美術博物館での思い出深い体験:小松美羽展「Divine Spirit〜神獣の世界〜」を鑑賞して(その1)

 

今私は、高崎駅に向かう列車の中にいる。つい先ほどまで富岡市立美術博物館にいて、素晴らしい体験をさせてもらった。

 

美術館にいた濃密な時間をうまく表現する言葉が見つからない。上信電鉄の列車の窓から見える長閑な風景を眺めながら、自然と湧き上がってくる言葉を素直に表現していきたい。

 

富岡市立美術博物館での体験は、そこに向かうまでの体験を含めて忘れられないものになった。日本にもまだまだ素晴らしい景観が残っており、素晴らしい美術館はあるのだ。そんな感想が真っ先に浮かんできた。

 

私が下車したのは上州一ノ宮駅という時間帯によって人がいる駅である。群馬にはまだまだ無人駅が残っており、懐かしさを感じさせる。

 

上州一ノ宮駅の駅舎も古風な趣があり、今朝方到着した時には思わず感嘆の声を上げた。駅から美術館に向かう道のりも長閑そのものであり、田んぼの脇を通る時には様々な虫の鳴き声が聞こえてきて、私は思わず足を止めて、虫たちの大合唱に耳を傾けた。

 

このように人をくつろがせてくれる音を生み出すことに近づけるように日々の作曲実践に精進したいと改めて思った。

 

虫の鳴き声と早朝のうららかな朝日を浴びながら、富岡市立美術博物館に向かっていく時間はとても至福さに満ちていた。

 

美術館は小高い山の中に建っていて、その周辺の景観を含めて非常に落ち着きがある。今朝は早くホテルを出発したことが功を奏し、美術館の開館である9時半ほぼぴったりに到着することができた。

 

受付でチケットを購入した私はすぐに今回の目的である小松美羽さんの展示「Divine Spirit〜神獣の世界〜」を鑑賞しに2階に向かった。開館直後ということもあって人は少なく、ほぼ貸切状態の中で作品鑑賞をすることができた。

 

鑑賞体験についてはまた改めて日記を書きたいと思うほどに豊かな体験をさせてもらい、何か強烈かつ平穏な霊的ないしは「魂的」エネルギーを与えてもらったように思う。

 

展示されている作品の写真撮影が許可されていたため、特に幾つか力強い力を分け与えてもらった作品を写真に撮ったので、また後ほど作品名を確認したいと思う。

 

小松さんの作品については、ウェブサイトやインターネット上で公開されているもの、そして画集などを通じてこれまで見ていたのだが、実物から受け取れるものは本当に多大であった。私は美術の専門家ではないので絵画技法に関して分かることなどほとんどないのだが、描かれている精神世界に対して深い共感の念があり、作品の世界観と伝えたいメッセージのようなものが自分の世界観や世界へのメッセージとどこかで繋がっているような気がしている。

 

そんな共感の念を持ちながら、私は一つ一つの作品をじっくりと鑑賞していた。すると、70歳を過ぎているぐらいの年配の男性が展示室に松葉杖をつきながらやってきて、唸りながら「いい絵だ」と独り言を述べたのが聞こえた。

 

その方は奥さんと来られていたようであり、そこからは奥さんに作品の技術的な側面について色々と解説をしていた。その方の話を聞いていると、絵画芸術の専門家であることが容易に分かった。

 

その方の説明が大変興味深く、自分の作品鑑賞体験をより豊かにしてくれると思ったので、私はゆっくりとその方の近くに近寄り、その方の説明に耳を傾けていた。

 

時刻は午後3時を迎えようとしている。もう暫くしたら高崎駅に到着するようなので、続きはまた次の日記で書き留めておきたい。高崎駅に向かう上信電鉄の中で:2019/9/27(金)14:58

 

4994. 富岡市立美術博物館での思い出深い体験:小松美羽展「Divine Spirit〜神獣の世界〜」を鑑賞して(その2)

 

時刻は午後3時半を迎えた。今日は富岡市立美術博物館で半日ほどの時間を過ごしていた。

 

今、高崎から東京に向かう新幹線の中にいる。今朝は朝一番に近い新幹線で高崎方面に向かっていたからか、朝の列車はとても空いていた。

 

一方で、この時間帯の高崎から東京方面の列車は以外と混んでいる。次の大宮で降りる人が多いのだろうか。

 

先ほどの日記の続きとして、富岡市立美術博物館での濃密な時間を振り返っておきたい。小松美羽さんの作品展「Divine Spirit〜神獣の世界〜」で展示されていた作品の一つ一つはもちろん素晴らしいものだったが、やはりその中でも幾つかひときわ惹きつけられる作品があったのは確かである。例えば、『Phoenix Reborn(2017)』『だれしも龍となる(2018)』『あなたを守る(2019)』などはそれである。

 

また、常設展示室に置かれていた、とても可愛らしい一対の狛犬がモチーフとなっている有田焼の作品『天地の守護獣〜天地〜(2016)』は、大変印象に残っている。特に青い狛犬がどこか実家の愛犬のように思えてしまった——外見はだいぶ違うが、内在する魂がとても似ているように思えた—ー。

 

今回の鑑賞体験をより豊かにしてくれたのは、何よりも当館の学芸員を務める稲田さんという方のお力であった。

 

一つ前の日記の中で、芸術に造詣の深さそうなご年配の方がいて、その方が展示室を去った後、さりげなく係員の方にその年配の方について話を伺ってみたところ、常連のお客さんらしく、さらにはご自身の作品をこの美術館に展示したこともあるような方とのことであった。その後も係員の方からいろいろな話を伺い、今回の小松さんの展示会を見に遠方からやってくる人も多いとのことであり、私もオランダからやってきたことを述べた。

 

それを聞いた係員の方は一瞬驚いた表情を浮かべて笑みを浮かべた。そして嬉しいことに、私のために作品解説をしてくださる学芸員の稲田さんという方を呼んでくれたのである。

 

そこからは、稲田さんにあれこれと小松さんの作品について話を伺い、本当に有益なことを教えてもらった。作品の背景にある事柄や、作品にまつわるエピソードなどを聞くことによって、作品から汲み取れることが豊かになり、そして何より自分の作曲実践と関連するような事柄を数多く発見することに恵まれた。

 

そこからは稲田さんに付きっきりになっていただき、小松さんの展示作品のみならず、日本絵画に多大な貢献を果たした福沢一郎氏の作品展の解説もしていただいた。当初の計画では、2時間ほどで美術館を後にして東京に戻ろうと思っていたが、結局5時間近く美術館にいた。

 

稲田さんからは、「学芸員」という仕事についても話を伺い、展示会の企画、作品の配置、作品解説の文章など、一つの展示会に深く関わる仕事をするのが学芸員としての仕事だということを教えてもらった。

 

小松さんの展示にせよ、福沢一郎氏の展示にせよ、こうした素晴らしい作品展の背後には、学芸員の方々の尽力があることを初めて知った。それを知り、自分の芸術体験は本当に多くの方の仕事によって成り立っていることに感謝の念を持った。

 

新幹線はまもなく大宮に到着する。なんだか今とても幸福な気持ちだ。

 

小松さんの作品や福沢氏の作品を鑑賞しに、ぜひ多くの方が富岡市立美術博物館に足を運んでくれることを願う。きっとそこには各人固有の豊かな芸術体験があり、新たな自己発見と自分なりの幸福感を見出すきっかけがあるだろう。東京駅に向かう北陸新幹線の中で:2019/9/27(金)16:02

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