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本日の2曲
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タイトル一覧
4961. 今朝方の夢
4962. ゆとりとくつろぎのある日々
4963. ルート・セッターという創造的な仕事
4961. 今朝方の夢
今朝はゆっくりと午前6時に起床した。2時半あたりで一度目を覚ましたが、そこで起床することはなかった。
昨夜は9時半過ぎにはベッドの上にいたのだから、2時半に起床しても何も問題なかったのかもしれないと思う。二度寝をしたこともあり、今朝方は幾つかの印象的な夢を見ていた。
夢の中で私は、元サッカー日本代表のある方(HN)と一緒に豪華客船の旅に出かけていた。厳密には、その方と一緒に旅に出かけたというよりも、船の上で偶然に出会ったと言った方がいいだろう。
その船には日本人が主に乗船していながらも、外国人の姿もちらほら見えた。デッキの上で海風に当たっていると、その方の姿が見えたので、私はおもむろにその方に近づいて声をかけた。その方は思っている以上に気さくであり、私たちはすぐさまその場で打ち解けた。
近々イタリアに一緒に旅に出かけようという話になり、私は嬉しくなった。というのも、私はまだイタリアに足を運んだことがなかったからである。
だがよくよく考えてみると、シチリア島とミラノには行ったことがあるような記憶があり、それについて伝えると、その方は「シチリア島もミラノも立派なイタリアですよ」と述べた。それは当たり前のことなのだが、その時の私の中では、一瞬、シチリア島もミラノのもイタリアではないと思っていたようだった。
ちょうど食事時になったようであり、私たちは船の中の大きなレストランに向かって歩き出した。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は人工芝のフットサルコートにいた。そこでは現役と元プロサッカー選手が混じってフットサルに興じており、私もそこに加えてもらっていた。
元日本代表のフォワードのある方(NT)が、「今日のゲームを動画にしてそれを世の中に共有することによって得られた収益は、全てセネガルに寄付しよう」と述べた。厳密には、動画を世に出すことによって得られた収益は一旦自分たちが管理し、そのうちの100万円分をセネガルに寄付し、残りはサッカー関係のプロジェクトに寄付しようということをその方は述べていた。
私たちはそれに賛成し、そこからフットサルに興じた。しばらくフットサルに興じていると、大学時代のフットサルサークルの先輩二人がその場に現れた。
二人は私と同じ学部に所属しており、今から授業があるとのことであり、私も一緒に授業に参加しないかと声を掛けてきた。スケジュールを確認すると、私はどうやら別の授業があるらしかったが、何の授業があるのかはスケジュール帳に明記されていなかった。そのため私はパソコンを立ち上げ、何の授業を履修するのかを調べようと思った。
二人の先輩は経営組織論の授業がこれからあるらしく、私は金融か会計の授業があるらしかった。今朝方はそのような夢を見ていた。
今朝方の夢に関しても、実際にはもう少し印象的な場面があったのを覚えている。だがそれらは印象的でありながらも既に記憶からこぼれ落ちており、感覚としてだけ残っている。
未だ夢の中の自分は、夢を振り返っている自分とは異なる意識を持っているようであり、別の自分が一つの大きな意識の中に存在していることを不思議に思う。夢の中でも自覚的な意識を持つ自己が形成される日はいつやってくるのだろうか。フローニンゲン:2019/9/19(木)07:00
4962. ゆとりとくつろぎのある日々
時刻は午前7時を迎えた。辺りがようやく明るくなり始めている。少しばかり雲が見えるが、昨日ほどの雲ではない。
そういえば、ここ2、3日の間に2回も虹を見た。虹が見えた時間は短かったが、虹が見えた時には仕事の手を止めて、虹をぼんやりと眺めていた。
ぼんやりと外の世界を眺めることを意識的に行うようになって、自分の心身がよりくつろいだ状態になっていることに気づく。
昨夜の就寝前には、日中においてぼんやりとする時間を設けたことによる恩恵のようなものを感じていた。一日の充実感と幸福感がこれまで以上に増し、思わず笑ってしまったのである。
それぐらいに、日中にゆとりを設け、ぼんやりと外の景色を眺めることや、壁に掛けられた絵画作品をぼーっと眺めることの効能を実感したのである。今後はそこに、音楽をぼーっと聴き入るということを加えてもいいかもしれない。
要諦は、ぼーっとすることを通して対象に没入することである。空をぼーっと眺めているとすぐに気づくことだが、ぼんやりと空を眺めていると、いつしか自分が空に吸い込まれるかのように空と一体化している感覚を得ることがよくある。「よくある」というのはかなり控えめな表現であり、実際には毎回である。
今の私は、絵画作品や音楽作品と向き合う都度没入体験をするわけではなく、そう考えてみると、自然の偉大さを改めて感じる。
自然からの呼びかけに身を任せてみよう。自然の中にくつろぎ、自然と一体化することによって安らぎを得よう。その安らぎが充実感や幸福感を生み出し、創造活動の源泉となる。
5日後に日本に一時帰国する際にも、日本の景色をぼんやりと眺め、そこにくつろぎ、一体感を感じたい。都市部に滞在する際には景色との一体化を感じることは難しいかもしれないが、どこにいようとも空を眺めることはできるのだから、都会の雑踏を歩く際にも空を仰ぎみたい。ぼんやりと空を眺め、空になるのである。
ゆとりとくつろぎ。そして安らぎ。さらには、そこからの没入体験と充実感と幸福感の湧出。
それらをより大切にしながら今日からの日々を過ごしていこう。きっとその先に、まだ見ぬ自己と新たな景観が待っている。フローニンゲン:2019/9/19(木)07:00
4963. ルート・セッターという創造的な仕事
今、澄んだ青空がフローニンゲンの街の上を覆っている。それはこの街を覆っているのだろうか。空それすらも街の一部だと見なすことはできないだろうか。きっとそう見なすべきだ。
フローニンゲン上空の空は、この街と分け難く結びついている。いや、空はその街であり、街はその空なのだ。それに気づかなかった自分がどうかしているだけの話だったのだ。
今この瞬間に書斎の窓から見える空は本当に美しい。朝日が今昇ろうとしているまさにこの瞬間の空には、穏やかさと固有の輝きがある。
先ほどふと、いつかボルダリングのルート・セッターになってみたいということを思った。少し前にルート・セッターという仕事があることを知った。
ルート・セッターというのは、ボルダリングジムの課題や大会の課題を設計する人のことを指す。確かに誰でもルート・セッターになれるという側面もある一方で、ルート・セッターに関する国際資格が存在していることも確かだ。
この資格を取得するためには、ボルダリングに関する知識のみならず、実際にある一定程度のレベルの壁を登れる技術を持っている必要がある。今の私にとっては、資格要件となっているレベルは非常に高度である。2019年の今現在、日本人でこの国際資格を持っているのは5人しかいないそうだ。
そもそも私がルート・セッティングに関心を持ったのは、ボルダリングの壁を登ることは作曲と似ており、そこから派生して、ボルダリングの課題を作ることは曲を作ることと似ているだろうと思ったからだ。端的には、ルート・セッティングというのは、実に創造的な活動だと思ったのである。
今すぐにではないが、自分のボルダリング技術が高まり、壁を登って楽しむだけではなく、課題を作ることによって他の人にそれを楽しんでもらいたいということを実現させるために、ルート・セッターの国際資格を取得するために動きだすかもしれない。
赤レンガの家々が穏やかな朝日に照らされ始めた。ぼんやりと神々しい光の世界を眺めている。耳を澄ませば、小鳥たちの鳴き声が聞こえて来る。彼らの鳴き声もすっかり秋らしくなった。
私たちの内側と外側が季節の進行と共に変化していくのと同じく、小鳥たちもそうした変化を経験しているのだろう。フローニンゲン:2019/9/19(木)07:48