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4951-4953:フローニンゲンからの便り 2019年9月16日(月)

September 18, 2019

お知らせ

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒にボルダリングを体験するためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」を始めました!

 

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒に音楽理論や作曲について学ぶためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」を始めました!

 

本日の3曲

本日の3曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

 

タイトル一覧

4951. 「限界芸術」としての日々の作曲実践

4952. 今朝方の夢

4953. 言葉と共有:間を創り、より自然体で生きること

 

4951. 「限界芸術」としての日々の作曲実践

 

時刻は午前5時半を迎えた。この時間帯は夜が明けておらず、まだまだ闇が深い。

 

昨日はボルダリングを行って全身を動かしたおかげもあってか、とても良質な睡眠を取れていたように思う。5時前に目覚めた時の状態はすこぶる良かった。

 

昨日はデン・ハーグに住む友人とその友人がわざわざフローニンゲンまで足を運んでくれ、3人でボルダリングを楽しんだ。協働学習としてのボルダリングという側面を見出し、それについては昨日作成したYoutube動画の方で説明をした。ボルダリングの持つ新たな魅力に気づかせてくれるような一日であった。

 

また、ボルダリングを行った後に、ジムの中にあるカフェで3人で話をしている時に、運動後の心が解放された中で対話を行うことの魅力についても実感した。これはボルダリングに限ったことではなく、他のスポーツでも当てはまるだろう。

 

体を動かした後は、自分の身体を覆う鎧のようなものが解消され、それによって晴れやかな気分で会話を楽しむことができることがよくある。普段私たちは、気がつかないところで自己防衛的なエネルギーを身にまとっているが、それを緩め、解放させていくために身体運動は不可欠であると考える。

 

現在私は、早朝と寝る前のヨガ、夕方のウォーキング兼ジョギングを毎日行っているが、全身運動としてのボルダリングには、硬直した身体エネルギーを解放させる力が非常に高いと実感している。

 

ボルダリングを終えてカフェで会話を楽しんでいる中で、友人が「限界芸術」なるものについて教えてくれた。なにやらこの概念は、哲学者の鶴見俊輔が提唱したものらしく、生活に根ざした芸術のことを指すらしい。

 

より厳密には、アカデミックな世界を中心にした「純粋芸術」、そこから派生した「大衆芸術」というものがあり、それらの二つの芸術を根幹から支え、それらの基盤として存在しているのが限界芸術とのことであった。

 

芸術の発達プロセスに即すると、今の私の説明は不適切かもしれない。最初に生活に根付いた芸術があり、そこから大衆芸術が生れ、それがより高度に洗練されていったものが純粋芸術だと言った方が正確かもしれない。

 

いずれにせよ、私が作曲実践に持たせている意味やそこに見出した意義は、まさに限界芸術的なものなのだと思う。私は決して純粋芸術的な形で作曲をしているわけではなく、大衆に広く受け入れられるような曲を作っているわけではない。

 

そうではなく、日々の生活の中で、自分の内側に自ずから喚起される人間としての素朴な感情や思考というものを曲の形にしているだけなのだ。あえて言えば、自分の人生と生活に紐付いたそうした自然な感情や思考こそが自分の固有性を示していると言えるように思う。

 

今日もこれから作曲実践に励んでいこうと思うが、まさに私が日々行っているのは、限界芸術に該当する行為なのだということを知り、創造活動の思想的基盤を得たような感覚になった。

 

1曲1曲は短くてもいい。自分の人生や生活と密接に結びついた形で曲を作っていけばいいのである。いつかこれまで作った全ての曲が、自分という一人の人間にとっての一つの巨大な曲になるだろう。フローニンゲン:2019/9/16(月)05:58

 

4952. 今朝方の夢

 

時刻は午前6時を迎えた。今、小雨がパラパラと降り始めた。昨日はボルダリングを楽しんだ日であり、昨日雨が降らなかったことを幸運に思う。

 

早朝の作曲実践に取り掛かる前に、今朝方の夢について簡単に振り返っておきたい。夢の中で私は、日本の見慣れない街にいた。

 

そこが日本であるとわかったのは、看板の表記が日本語だったからである。いやより厳密には、看板のみならず、その場所に独特な日本語空間が広がっていたからである。

 

ある文化にはその国の母国語のエネルギーが内包されている。夢の中の私は、日本に固有な言語エネルギーを感じ、その場所が日本だとわかったのである。

 

どうやらその街はオフィス街のようであり、高いビルがたくさんあった。どこか東京駅周辺のようにも思える。そんな街を歩いていると、偶然ながら、小中高時代の女性友達の二人(KF & NI)と出会った。

 

そこからは3人で歩きながら会話を楽しんでいたのだが、奇妙なことに、二人は私にサッカーのボールの蹴り方について教えてくれた。学生時代に彼女たちはサッカーなどしておらず、むしろボールの蹴り方であればサッカーをやってきた自分が教える事柄のように思えた。

 

私は二人からのアドバイスをとりあえずきちんと聞いていた。二人は助言を述べた後、前方に向かって突然走り出し、どこかに消えてしまった。

 

その場に一人残された私は、ちらりとオフィス街の上空を眺めた。すると私の体も別の場所に瞬間移動した。

 

次の夢の場面では、迷路のような建物の中にいた。その建物は1階建てなのだが、空間的にはとても広い。随所随所に部屋があるのだが、各部屋の役割は曖昧である。

 

迷路のような建物の中を何気なく歩いていると、小中学校時代の何人かの友人と遭遇した。私たちは一様に、その空間から脱出しようと思っている訳でなかった。むしろ、その空間が迷路的だと思っているのは私だけのようであり、私もその空間から外に出ようとはさほど思っていなかった。

 

しかし、背中あたりに若干の違和感を感じていたのも確かである。それは背中の痛みといった類のものではなく、この空間の気持ち悪さである。何かが間違いなく気持ち悪かった。それが正直な感想である。

 

その空間は迷路のようであったから、私たちは鬼ごっこのような遊びを始めた。それは厳密な鬼ごっこではない。そこもまた何かが違った。

 

お互いが付かず離れずの距離を保って動きながら、近い距離になった場合には、そこで幾分の会話がやり取りされた。そんなことを続けていた。

 

しばらくすると、その建物内に不審者が侵入したという情報が入った。私たちは、その不審者を撃退するか、この建物から脱出するかを迫られた。

 

一人の友人が速やかにこの建物から脱出した。彼は建物の裏扉を開け、そこから外に出て行ってしまった。

 

その扉は風でパタパタとしばらく揺れていた。その光景を眺めながら、私もその扉から外に出ようかと思ったが、結局それをすることなく、侵入者と対峙することに決めた。

 

その前に急にトイレに行きたくなり、トイレの個室に駆け込み、便座に腰を下ろした瞬間に夢から覚めた。昨夜は就寝前に浴槽に浸かり、身体が温かい状態で就寝したためか、夢から覚めた私は少し寝汗をかいているようだった。フローニンゲン:2019/9/16(月)06:37

 

4953. 言葉と共有:間を創り、より自然体で生きること

 

時刻は午後9時を迎えた。ここ最近はめっきり日没時間が早くなり、午後8時半を迎えた頃にはすっかり暗くなっている。

 

またここ最近は、この時間帯に日記を書くことはなくなっていた。その背景には、この時間帯にYoutubeに動画をアップするという単純作業をしようと決めているからである。それ以外の時間はやはり、高い集中力を持って創造的な活動に従事したいという思いが強い。

 

今日の活動を振り返ってみると、作曲に関するYoutubeチャンネルの一つのカテゴリーである「楽しく学ぶ音楽理論講座」が一区切りついた。気がつけば、合計で73個ほどのレッスン動画を作成していた。

 

明日からは、「楽しく学ぶ作曲講座」と題して、作曲理論や作曲方法に特化するカテゴリーを始めていこうと思う。そのカテゴリーの中でも音楽理論に触れていくことになるが、とりあえずはカテゴリー名を変えていき、より作曲実践に焦点を当てたものにしていく。

 

カテゴリーをあれこれと変えていくのは好ましくないが、この調子で動画を作り続けていると、逆にレッスンの数がすぐに500や1000に到達しそうなので、例えば「レッスン521」と表記すると、その量に圧倒されてしまう可能性もあるため、あえてカテゴリーを分けていくことにした。

 

今後は、メロディーやハーモニーの作り方やその背景理論に特化したカテゴリーも作っていきたい。また、対位法や転調技術など、作曲技術のより個別的なテーマに焦点を当てたカテゴリーを作っていくことも考えている。

 

今日はふと、明日からより意識的に取り組んでいきたい二つのことが脳裏をよぎった。一つには、明日から再び音楽理論や作曲理論に関する書物を読み進めていこうと思っており、その際には書籍で学んだ事柄をその場ですぐさま自分の言葉で説明してみるように、実際にそれをYoutubeチャンネル用の動画にしていく。

 

聖職者のジェラール・ショドリーがかつて、「私たちの人生の終わりに残るのは、私たちが集めたものではなく、私たちが人に与えたものである」と述べていたように、知識を集めるだけではなく、知識を得た都度、それを多くの人に共有することを行っていく。私にとってその実践は、文章を執筆するよりも音声を通じた形で進めていく方が良いように思えている。

 

明日からは、特にその点を意識して、書物を通じて得られた学びはすぐさま音声を通じてこの世界に共有していく。それができるのであれば、再び書物の世界に少しばかり戻り始めるのも悪くないだろう。

 

もう一つ明日から実践しようと思っているのは、よりぼーっとする時間を意識的に増やすことである。作曲実践と作曲実践の合間には、ぼんやりと窓の外を眺めながら飲み物をゆっくり飲んでみる。飲み物を飲まなくても、窓越しから外の景色をぼんやりと眺めてみよう。

 

午前中や昼にリンゴやバナナを食べる時も、何かをしながらそれらを食べるのではなく、ぼんやりと窓の外の景色や空を眺めながらそれらの食べ物を味わってみようと思う。とにかく意識的にゆとりや間を生活の中に生み出していく。ひょっとするとそれもまた創造活動に他ならないのかもしれない。

 

間を創り出すことによって創り出される何か。その何かは必ずありそうだ。明日からはぼーっとする時間を増やし、より自然体に生きてみよう。フローニンゲン:2019/9/16(月)21:15

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