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本日の2曲
本日の2曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。
タイトル一覧
4934. 一時帰国へ向けて
4935. 自己はあの雲のように
4936. 道と人生:今朝方の夢
4937. 日本への一時帰国に向けて:興味深い機内食
4938. 正午に思い出す今朝方の夢
4934. 一時帰国へ向けて
今朝は6時前に起床した。今、時刻は6時半を迎えようとしており、空が徐々にダークブルーに変わり始めた。変化していく空を眺めながら、自分の内側から言葉になって出てこようとするものを言葉にしていく。
今の気温は7度と非常に寒く、フローニンゲンの街は着実に秋が深まってきている。季節の深まりと歩調を合わせる形で、自らの取り組みを深めていきたい。
ライフワークをゆっくりと進めていき、この人生を緩やかに深めていく。人生の進行と深耕は同時になされていくべきものであり、それらと共に自己が今ここにある。
今日も幸いにも晴れのようであるから、街の中心部のオーガニックスーパーに立ち寄り、必要なものを購入しよう。あと2週間後に日本に一時帰国することになっており、そこまでに消費しきれないものは購入しない。
購入するものとしては、有機豆腐とアーモンドバターを挙げることができる。今週末は、オランダに住む日本人の友人と彼女の友人の2人がフローニンゲンに尋ねてきてくれる予定であり、3人でボルダリングを楽しむことになっている。
ボルダリングをした後はカフェでゆっくりと話をしようと思うのだが、その際にカフェのコーヒーを飲むことも捨てがたいが、オーガニックスーパーで購入したコーヒーとプロテインが豊富なクラッカーを持参しようと思う。それら二つについても今日忘れずに購入する。
昨日の朝、突然メガネが故障した。故障と言っても大したことはないのだが、鼻に触れる部位が外れてしまい、それを再度取り付けようとしても部品が少し欠けてしまったため、再度取り付けることができなくなってしまった。
日本に一時帰国する2週間前に偶然このような事態に見舞われた。ちょうど一時帰国中には、このメガネを購入した店の近くに宿泊することになっており、滞在初日か2日目にその店に足を運び、修理に出したいと思う。
気がつけば、オランダでの生活も4年目を迎えて一ヶ月が過ぎた。今この瞬間の明けゆく世界のように、時がゆっくりと流れていく。
ここからのオランダ生活、および欧州生活は随分と長くなるだろう。オランダでの生活が長くなるにつれて、身の回りの消耗品の劣化が見受けられるようになった。
一つはキッチンの蛇口であり、蛇口の首の部分に小さな傷がついてしまったのか、微量だがそこから水がシャワーのように漏れ始めている。この問題については、日本からオランダに戻ってきた後にでも解決させたい。オランダに戻ってきてから不動産屋に連絡をしよう。
その他には、これまで3年間使っていたバスタオルが随分と擦り切れてしまい、新しいものを購入することが迫られている。今日はせっかく街の中心部に行くため、バスタオルについても合わせて購入したい。フローニンゲン:2019/9/10(火)06:48
4935. 自己はあの雲のように
時刻はゆっくりと午前7時を迎えようとしている。つい今しがた、2人の知人のブログを読んでいた。オランダの辺境の地で生活をする私にとって、それらは唯一毎日チェックする日本語の文章だと言えるかもしれない。
不定期ではあるが、私の父も愛犬との旅行をテーマにしたブログをやっており、毎週に一回ぐらいのペースで更新がなされている。ところが先月は一回も更新がなく、何かあったのだろうかと気になっている。
そのあたりの事情については、再来週から日本に一時帰国し、実家に滞在する際に父に直接聞いてみたいと思う。父と愛犬の健康状態が悪くないことを願い、父がブログ以外に何か新しいことを始めようとしているのかもしれないと期待している。
いつの間にか辺りは明るくなっており、ダークブルーの空はライトブルーの空に変わった。その変化は心の移ろいに似ている。
闇から光への移行。先の見えない世界から新たな明るい世界への移行。それは意図してやってくるものというよりも、自ずから立ち現れるようなものなのかもしれない。
そう、それは気がついた時にやってくるのだ。逆に言えば、やってきた時に気がつくようなものなのである。
覚えておこう。この時期の日の出は午前7時あたりだということを。
覚えておこう。それはやってきた時に気がつくものであるということを。
自分の人生において、また何か得体の知れぬ新たなものがやってきている。それは肯定的・否定的なものを超えた、超越的なものである。
着実にやってくるそれを感じながら、今日もまた自分の人生を歩んでいく。その歩みはゆっくりなほどいい。
ゆっくりと歩み、緩やかに人生を進行させていく。緩やかな進行に歩調を合わせるように、それはやってくる。しかもそれは、やってき続けるようなものなのだ。
意図せぬものが無限連続的にやってくること。それを受け入れたり、受け止めたりするというよりも、自らの呼吸と共に自己と同化させていく。それはもともと自己なのだから。
最初からそれは自己の現れに他ならないのではないかと思う。体験や現象はすべて外側からやってくるというよりもむしろ、最初から自己に他ならないのではないかと思う。
であるからして、体験や現象を自己の内に再統合していく。自分の内側に最初からあったものを再度内側に返してあげ、そこから自己を新たに深めていく。
遠くの空に大きな白い雲が見える。それが朝日に照らされてライトピンクの輝きを放っている。
自己はあの雲のようにゆったりと進んでいるのだろうか。自己はあの雲のように固有の輝きを放っているのだろうか。
あの雲はいつかは消え、また新しい雲になっていくように、自己もいつかは消え、新しい自己になっていくのだろうか。
消滅即転生。転生即消滅。
なるほど、消滅と転生が同時に生起するものであるならば、それらを区別することにほとんど意味はなく、自己は消滅も転生も超えた存在なのだということがわかる。
自己はあの雲のようにあれ。自己はあの雲のようにある。フローニンゲン:2019/9/10(火)07:14
4936. 道と人生:今朝方の夢
不思議な感覚が自己を包んでいる。それは柔らかく、そして優しい。自己と他を分ける境界線を払いのけてしまうならば、その柔らかさと優しさは自己そのものであると言えるかもしれない。
自己は柔らかさであり、優しさだったのだ。そんな気づきがハッとやってきた。
小鳥の美しい鳴き声がハッとやってきた。すべてはハッとやってくる。
この世界はどうやら、ハッとやってくるものたちの集まりらしい。自己もそのうちの一つに他ならない。
自分がこのような人生を歩むことになるとは思ってもみなかったが、作曲とボルダリングに人生を捧げよう。作曲とボルダリングをするために世界を旅しよう。
「作曲とボルダリングをするために」という言葉の後に続く文章は無数に考えられる。今はまだ、作曲とボルダリングをするためという目的が絶えず先行しているが、いつか自分の人生は作曲とボルダリングを超えるだろう。
そこに向かっていく道が作曲道であり、ボルダリング道なのだと思う。自分にとっての道がまさかそのような道だったとは。
とにかく軽い。心も体も魂も、とにかく軽い。書物から離れたことが、まさかこのような軽さをもたらすなんて。
毎日何時間も書物や論文と向き合っていた自己は一体何だったのだろうか。このような軽さ、ないしは囚われからの解放をもたらすために、他者が書いた書物や論文に没頭することは必要だったのかもしれないが、今の自分にとってみれば、文献なるものと過度に接していた自分が幾分不思議に思える。
昨日はふと、今後どこかの街に引っ越しをする際には、書籍や論文の多くを処分してしまおうかと思ったほどであった。特に、もうあまり読まないような論文の類はその際に処分してしまってもいいかもしれない。そのようなことを考えていた。
確かに、これからも私は自分の関心分野に関する書籍や論文を読んでいくことはあるだろう。だがもはやそれは、直近の8年間のように気狂いじみたものではなく、より穏やかなものになるだろう。
今のところ関心があるのは、作曲関連とボルダリング関連の書籍ぐらいだろうか。再来週に日本に一時帰国した際には、それらの和書を数冊ほど購入したい。
それらの書籍に囚われるのではなく、そこから自らの体験を豊かにし、自らの言葉で表現活動をしていくこと。それを何よりも大切にしたい。
今朝方の夢をここでふと思い出す。夢の中で私は、駅のプラットホームに立っていて、列車の到着を待っていた。私の横には父がいて、父と私は一緒に仕事をしており、それは企業向けの何らかのコンサルティングの仕事のようだった。
父が私に、ある企業の有価証券報告書を自分たち用のものを含めて、12人分印刷して欲しいとお願いをしてきた。紙の節約を考えて、私は1枚の紙に4ページ分を印刷する設定にして、その場で印刷を始めた。
プラットホームにはコピー機などなかったのだが、頭の中で印刷のイメージをすれば、それが物理的な紙として現れた。印刷したものを父に手渡すと、「4分割では文字が小さすぎる」と言われ、父は2分割を好んでいるらしく、再度印刷をし直した。
すると、プラットホームに列車が到着していることに気づいた。列車が出発するまであと10分あるとのことだったので、私はトイレを済ませてから列車に乗り込もうと思ったが、万が一トイレから帰ってくることが間に合わないことも考えて、速やかに列車に乗り込んだ。フローニンゲン:2019/9/10(火)07:35
4937. 日本への一時帰国に向けて:興味深い機内食
時刻は午前8時半を迎えた。ここ最近はYoutubeチャンネルを始めたことに伴って、日記の執筆量が減っていたのだが、今日は早朝より多くの日記を書いている。もう少し日記を書いてから早朝の作曲実践を始めたい。
再来週からは久しぶりに(2年ぶり?)に日本に一時帰国し、3週間ほど滞在するのだが、今回はフライトの予約が遅れてしまい、ビジネスクラスを予約することができず、プレミアムエコノミーに搭乗することにした。
プレミアムエコノミーに搭乗する際のサービスについて改めて調べてみると、席は比較的ゆったりとしており、ビジネスクラスのリクライニングできる席とは異なるが、それでも寝ることにはそれほど困難を生じないように思える。リクライニングのあるなしは確かに大きな点なのだが、今回は機内食を食べ終えてしばらくしたら十分な睡眠を取りたいと思う。
前回日本に一時帰国した際には、ほとんど睡眠を取らない状態のまま文章を執筆したり、本を読んでいたりしていたことから疲れが溜まってしまっていたのか、日本に到着して数日後に珍しく体調を崩した。その時は下痢と吐き気に見舞われてしまい、そこから1週間ほど胃腸を休めるような状態にあった。
そうしたことを踏まえて、今回は機内で文章を執筆することや本を読むことはほどほどにしたい。幸いにも、今回は行きに関しては本は一冊も持っていかない。これは私にとっては珍しいことである。
滞在先で作曲ができるように楽譜と作曲ノートを持参するが、書物に関しては一冊も持っていかない。今は読みたい本が特にないのである。
書物から自然と距離を置いている自分がここにいる。もちろん、日本に到着してからは大型書店に久しぶりに足を運び、そこで作曲とボルダリングに関する和書を購入する。作曲とボルダリングについては改めて日本語で理解を深めたい。
今回は書物を持っていく必要がないため、行きは比較的荷物が軽いだろう。実際に、大きなスーツケースは持って行かず、機内に持ち込める小さなスーツケースだけで今回は帰国する。
Youtube動画を滞在先のホテルや実家で撮影することを踏まえ、少々かさばるが、外付けのマイクは持って行こう。それと楽譜や書籍を置くために必須である書見台を忘れずにスーツケースの中に入れる。これを忘れてしまうと、楽譜や書籍を眺める際に肩が凝ってしまう。
機内での過ごし方についてもう一度書き留めておくと、基本的には機内ではリラックスをし、食後に消化が大方進んだら、そこから5~6時間は寝ておこうと思う。事前に機内食が選択できるらしく、先ほどJALさんのウェブサイトを通じて、機内食を予約しておいた。面白そうだったので、日本への行きはヒンズー教ベジタリアンミールを選択し、オランダへの帰りはジャイナ教のベジタリアンミールを選択しておいた。
日本に一時帰国している最中も、現在と同じような食生活を送っていく。食材は異なれど、食物選択の基準については同一のものを使う。そうであれば、腸内環境が乱れることはそれほどないだろう。
オランダを出発する数日前に両親に連絡をする際には、肉アレルギーになったことを伝えておく必要がある。肉類を食べるとしても魚ぐらいしか食べないようにする。日本へ久しぶりに帰る日が徐々に近づいてきた。フローニンゲン:2019/9/10(火)08:45
4938. 正午に思い出す今朝方の夢
時刻は昼の12時半を迎えた。ちょうど先ほど、本日二度目の作曲実践を終えた。
ここ最近は、毎回作曲実践を行う際に、作曲プロセスをゲーム実況のように実況中継しており、曲の前編と後編で二度に分けて動画を作っているので、Youtubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」についてはすでに4つの動画を作った。
また、作曲実践に入る前には、もう一つのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」の動画を3つ作成していたため、昼を迎える時点で随分と多くの形を残したことになる。ここからアーモンドバターとピーナッツバターをバナナ2本ほどに塗って食べ、午後からの活動に励んでいきたい。
この時間帯になって、今朝方の夢についてふと思い出していた。夢の中で私は、友人か誰かにボルダリングの素晴らしさを伝え、一緒にボルダリングをすることになった。そのような夢の場面があったのを覚えている。
その次の夢の場面では、スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」に出てきそうな街の見える丘の草むらに私は寝転がっていた。そこで私は青空を見上げており、しばらくすると、自分の服に猫の模様が現れ、なんと本物の猫が服から飛び出してきた。
最初私はそれに驚いたが、猫は瞬く間に丘の下へと駆けていき、どこかに行ってしまった。私は猫の背中を眺め、そして再び丘から見える街の景色と青空を眺めていた。そのような夢の場面があった。
もう一つ覚えている場面としては、学校の体育館の中で英語を用いてプレゼンテーションを行っていたものがある。その体育館は、実際に通っていた高校のものかと思われる。
ステージの上に立って私は、理科の実験に関するテーマでプレゼンテーションをし始めた。聴衆はほぼ全てアメリカ人であり、私は彼らの国民性を意識してプレゼンを始めた。
最初から堅苦しい話をするのではなく、冗談からプレゼンをスタートさせた。すると見事に聴衆は笑いに包まれて、その後のプレゼンがよりスムーズになった。
話すテーマについてかなり習熟していたからか、台本などは全く必要なく、その場で聴衆たちとプレゼンの内容そのものを創造していくような意識で即興的にプレゼンテーションを行っていった。そのおかげか、聴衆たちもかなり前のめりで私の話を聞いてくれており、プレゼンの合間合間に様々な質問が投げかけられ、随分と盛り上がったプレゼンとなった。
確かに途中で、適切な単語選びに迷う瞬間があったが、それは英語でプレゼンを行うときだけではなく、日本語でプレゼンを行う時にも見られる現象であるから、それについては一切気にせずに、自分のペーズで話したい事柄を即興的に話していった。プレゼンの開始から終わりまで、とても自然な発表だったように思う。
プレゼンをしている時の自分の有り様は落ち着いており、その場にグラウンディングしている感覚があった。そのような夢を今朝方見ていた。フローニンゲン:2019/9/10(火)12:34