お知らせ
・成人発達理論やインテグラル理論の観点から、自分自身のボルダリングの学びや体験を共有したYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」を始めました!
・成人発達理論やインテグラル理論の観点から、自分自身の作曲実践の学びや体験を共有したYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」を始めました!
本日の6曲
本日の6曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。
タイトル一覧
4862. 自分の身体特性を活かしたボルダリングに向けて
4863. ボルダリングと人生
4864. 子供や孫とボルダリングを楽しむ日に向かって
4865. 作曲とボルダリングの師を求めて
4866. 両親から受け継いだ特性:ボルダリングに関する録音動画の作成に向けて
4862. 自分の身体特性を活かしたボルダリングに向けて
今朝は5時半に目覚め、6時を迎える前に一日の活動を始めた。今、空は深縹(こきはなだ)色に変わりつつあり、夜明けを主張し始めている。
一つの週が終わり、また新たな週が始まろうとしている。いよいよ8月も残すところ後2週間ほどである。
欧州生活4年目の最初の月が、このように静かに、そして着実に進行していく。
今朝は印象に残っている夢を見なかった。強いて挙げるとすれば、小中学時代の友人と何か運動をしているような夢の場面があったように思う。
就寝から起床まで一度も目が覚めることなく、非常に深い睡眠状態が続いていた。その要因として、昨日のボルダリングが挙げられるかもしれない。
また、ボルダリングジムに行くまでの往復10kmほどをジョギングやウォーキングしていたことも要因として挙げられる。端的には、昨日は本当にいい運動をしたと思う。
ボルダリングやジョギングは、確かに幾分異なる筋肉を使い、その強度も違うのだが、どちらも共に全身運動であることには変わりない。また、意識の状態についても観察してみると、双方共に自己の内側に意識を向けることを促し、ある種の瞑想状態にいざなう点も共通している。そうした二つの全身運動を十分に楽しんだのが昨日であった。
昨夜は二回に分けて、ボルダリング体験の振り返りをしていったが、それだけでは不十分であった。昨夜の就寝前の私は、ベッドの上で、その日の自分のボルダリングの動きをイメージの世界の中で復習しており、さらには友人のメルヴィンの動きを復習していた。
メルヴィンはもともとダンサーだけあって、体の使い方が非常にうまい。他の人たちの動きと比べても、その滑らかさが違う。
他の人たちを観察してみてわかったのは、仮にその人が難易度の高い課題を克服していたとしても、どこか力に頼っていたり、幾分動きがぎこちないような印象を与えることがあった。それに対してメルヴィンの動きは、身体の特性を十二分に理解した滑らかな動きであり、見ていて美しいと思えるほどであった。
ボルダリングを行っている最中には、メルヴィンに色々とコツを教えてもらった。こちらからも色々と質問する中で、体の重心や重力を考慮に入れた動きをすることの大切さ、足と脚の使い方の大切さ、壁と体の距離に関する話などが印象に残っている。それらについては、これから実践を重ねていく中で、体験として理解しながらコツを掴んでいく必要がある。
メルヴィンからの助言と、6年前のボルダリングの反省を活かしたおかげか、今朝は上半身の筋肉痛がほとんどない。特に腕と手の指に関する筋肉痛がないことは喜ばしい。この点については、兎にも角にも、腕で登ろうとするのではなく、脚で登ろうと絶えず意識したことが功を奏したのだと思う。
メルヴィンも私の脚を見て指摘していた通り、普段から私は晴れの日は必ずジョギングをしたりウォーキングをしたりしているため、脚の筋肉は発達している方である。過去に行ってきたサッカーやバスケなども脚の筋肉を使う。そうしたこともあり、自分の身体の特性においては、脚に力があり、それを活かしたボルダリングをしたいと事前に考えていた。
そもそも、人間の脚の筋肉は上半身の筋肉よりも力が出させるため、ボルダリングをする上で脚を活用していくというのは理にかなっているのだ。
今回のボルダリングでうまくいった点は、脚を使うことの意識を持てたことである。一方で改善点としては、まだ自分の脚の力を十分に発揮できていないことだった。
脚の力をどのようにし活用して体を上に持ち上げていくかについては次回以降模索したい。また、可能であれば、脚だけではなく、足先への意識も高め、足の使い方についても色々と工夫をしたいと思う。フローニンゲン:2019/8/19(月)06:16
No.2553: On a Gentle Breeze of the Early Morning
I have a feeling that a gentle breeze of the early morning carries me somewhere. Groningen, 09:45, Monday, 8/19/2019
4863. ボルダリングと人生
昨日ボルダリングを終えてジムから自宅に向かっている最中に、いくつか考え事をしていた。その中でも、ボルダリングにせよ、作曲にせよ、誰かに師事をしてトレーニングを積んでいくかどうかに関することが頭の中で多くの時間を占めていた。
知人のメルヴィンは、Youtubeの動画をいくつも視聴して、それを参考にしながらボルダリングを行っている一方で、水曜日の夜にはジムのスタッフにボルダリングを教えてもらっているとのことであった。
今私が通っているジムには、ボルダリングの基礎を一つ一つ教えてくれるようなプログラムはないようであり、基本的には自ら壁を登るという直接体験を積んで技術を習得していく必要がある。もう一つの方法は、他の人が壁を登っている姿を観察することであり、観察学習は非常に有益だと昨日も実感した。
しかし、知人のメルヴィンのように、正しく体を使っている人の動きは参考になるが、体の使い方があまり良くない人の動きを見てしまうと、確かにそれは反省材料には使えるが、脳内にその動きが残像のように残ってしまうことも懸念される。このあたりが観察学習の難しさでもあり、奥深さでもある。
当面の間は、メルヴィンがジムに通う日に合わせて私もジムに行き、メルヴィンから教えてもらうのが一番いいだろう。それと、メルヴィンがYoutubeから様々な動きを学んでいたことを参考にし、昨夜から本格的に動画を見始めた。
日本語、英語を問わず、ボルダリングに関する動画は無数のようにあり、このスポーツの人気を知った。ここからしばらくは、応用的な動きではなく、基礎的な動きに関する動画を繰り返し視聴し、それを毎週末のボルダリング実践の際に適用してみたいと思う。
今のところは、ボルダリング中毒に陥ることを避け、週末の日曜日の午後に一度だけジムに通うことにする。昨日、月に無制限ジムを利用できるものではなく、10回の回数券を購入することに留めたのもそのためだ。
確かに今朝は、腕や指の痛みはほとんどないが、それでも胸筋などに程よい筋肉痛があることは確かであり、ボルダリングに必要とされる筋肉を少しずつ付けていく意味もあり、当分は週一回のペースにしていく。この一回のトレーニングは貴重な実践の場となるため、常に何か新しいことを学ぶ姿勢を持ち、一つ一つの課題と向き合う際には高い集中力を持つようにする。
ボルダリングをする上で重要なのは、基礎的な技術を習得し、体の使い方を覚えていくだけではなく、自分自身に向き合うことだと思う。さらには、何よりも一つ一つの課題そのものを楽しむことが重要なのだと昨日実感した。
壁を登ることは、どこか人生を歩む縮図のように思えてきたのである。壁の難易度は様々であり、壁を登っていく道筋とアプローチが多様であることに気づかせてくれるのがボルダリングの魅力であり、これは実際の人生を歩むことにも少なからぬ影響を与えてくれるように思う。
これからは、ボルダリングの壁に向き合うことと自己及び自らの人生と向き合うことを同じものだと認識し、ボルダリングを楽しんでいきたいと思う。
いつの間にか空は明るくなり、心地よい青空が広がっている。先週とは打って変わり、今週は雨マークが付いた日が一日たりともない天気に恵まれた週になる。フローニンゲン:2019/8/19(月)06:48
No.2554: A Ochraceous-Salmon Color Morning
The first morning in a new week is very calm and mild. Groningen, 10:22, Monday, 8/19/2019
4864. 子供や孫とボルダリングを楽しむ日に向かって
昨日は日曜日であり、ボルダリングジムには家族連れの姿もちらほら見かけた。ボルダリングは、日本や海外において徐々に人気を得ているようであり、家族でボルダリングを楽しめるというのは魅力的である。
老若男女が楽しめることを考えてみると、ボルダリングの競技者人口はこれからも拡大していくように思う。ようやく2020年のオリンピックの競技になったことを考えると、今はその過程の中にあり、これから徐々にボルダリングを楽しむ人が増えてくるのではないかと思う。
ボルダリングの技術の向上に関して、知人のメルヴィンがYoutubeの動画を参考にしていると述べていたので、昨日早速動画を幾つか見てみた。最初は基礎的な動作に関する動画を見ていたのだが、世界で最も技術が高い人たちはどのような動きをするのだろうかと気になり、ボルダリングの世界選手権や日本選手権の動画を見てみた。
すると、そのレベルの高さに驚かされ、またそれを観客として見ているだけでも確かに十分に楽しめることがわかり、ボルダリングがオリンピック競技になったことがうなづけた。
私はボルダリングでオリンピックに出場しようなどとは思っておらず、世界の様々なボルダリングジムのどこに行っても楽しめる程度の力をつけていきたいと考えている。また、このスポーツを是非とも将来的には子供や孫などと楽しみたいと思っている。
孫はおろか、子供もいないのだが、ボルダリングは他のスポーツ以上に、世代間を超えて楽しめるものだと思う。昨日の観察では、65歳ぐらいの男性がボルダリングを楽しんでいた。その方は、私と同じく、一番初級の青色の課題に取り組んでいた。課題に取り組んでいる最中の表情は真剣だったが、課題を見事にクリアした後の表情は笑顔であった。
ボルダリングをしている年配の方はまだ少ないが、これからボルダリングがより一般的に知られるようになると、ボルダリングに挑戦する年配の方も増えてくるのではないかと思う。個人的には、ボルダリングは身体を使ったパズル的な要素が多分にあり、下手に頭だけを使って脳トレがてら普通のパズルや数独などを解くよりも、ずっと脳の健康にも良いように思える。
また、身体を使ったパズルを解く過程の中で、自分の体の思わぬ使い方、未知なる使い方を知り、そうした発見に伴う喜びが、さらに自分を若返らせてくれるのではないかと思う。繰り返しになるが、私はボルダリングのプロになることを目指してはいないが、是非とも自分の子供や孫と楽しめるように、長きにわたってボルダリングと向き合ってみようかと思う。
焦らず、じっくりと腰を据えてこのスポーツに取り組んでみたいという思いが湧いている。100歳を超えて、世界中のボルダリングジムに出没する忍者のような高齢ボルダリング愛好者であれば十分になれるような気がする。そんな自分の姿を想像すると、ちょっぴり笑みがこぼれ、これから人生をさらに謳歌していこうという意欲がおのずから高まる。フローニンゲン:2019/8/19(月)07:11
No.2555: A Feeling toward Autumn
I may be able to understand a feeling of the season that goes to autumn. Groningen, 15:42, Monday, 8/19/2019
4865. 作曲とボルダリングの師を求めて
季節が秋に向かって着実に行進をしている。そのようなことを感じさせてくれる夕暮れ時である。
新たな週を迎えた今日は、とても穏やかでまろやかな時の流れを持っていた。その流れは実に肌優しく、自分の存在全体を優しく包み込んでくれるかのようだった。その優しさは、自己と世界全体を抱擁していた。
今日一日を振り返ってみると、今日もまた非常に充実した一日であった。早朝より作曲実践に集中し、昼前には協働プロジェクトに関する仕事に従事していた。
今朝の作曲実践の際に、作曲に関して改めて基本的な事柄をしみじみと感じた。それは何かというと、音を楽しむことの重要さである。
作曲においては、兎にも角にも、自分の音を生み出していく楽しさを味わうことが重要であるとしみじみと実感した。今朝一番の作曲実践では、作曲中は行為の中に没入していたのだが、ふと曲を作り終えてみると、自分がその行為の中で音を生み出す喜びの渦の中にいたことを知る。
音を楽しむこと。それこそがまさに音楽の本質だったのだ。
そこから私は、作曲実践の際に音を生み出すことをより楽しむような意識付けを持ってみようと思った。さらには、そうした意識付けだけではなく、具体的なアクションとしては、とりわけ一日の最初の作曲実践では、準備運動がてらに慣れ親しんだ音の創出方法を基にして曲を生み出していくことを習慣にする。
早朝の一曲目から新しいことや難解な技術を試そうとすると、うまくいかないことがほとんどであり、それによって音を創出する楽しみが削がれてしまっては元も子もない。そうした事態を防ぐために、少なくとも最初の二曲は、これまで試してきた技術の中でも板についてきたものを活用しながら曲を作っていくようにする。
当然こればかり行っていては、作曲技術が高まっていかず、技術の幅も狭まってしまうため、音を生み出すことを十分に楽しみ、準備運動が終わったと思ってから、新しい技術や観点を試しながら新たな曲を作っていく。今までもこれに近いことを無意識的に行っていたのだが、明日からはそれをさらに意識的に行っていく。
早朝改めて、作曲やボルダリングにおいて誰かに師事するかどうかについて考えていた。その際に、以前父がどのようにして自らの絵画制作技術を高めていったのかに関する話を聞いたことを思い出し、やはり特定の誰かに師事をする必要はあまりないように思っていた。
作曲に関してはそもそも身近に師事をしてみたいという人がいない。またボルダリングに関しても、昨日から通い始めた自分のジムのプログラムを調べてみても、マンツーマンで技術を教えてもらえるようなものがないことがわかった。
6人ぐらいの人数が集まって申し込みをすれば、基礎的な事柄をインストラクターに教えてもらえるようなプログラムがあるようなのだが、それを利用するための仲間が私には今のところいない。友人のメルヴィンや彼のガールフレンドを誘ってみるのも一つの手だが、全員仕事を持っているため、そのプログラムが提供されている平日に時間がなかなか合わないという事情もある。
そうしたことから、当面はボルダリングに関しては、メルヴィンを身近な先生にし、あとはそこで壁に登っているその他の人たちの動きを観察し、彼らもまた先生としたい。つまり、ボルダリングジムに通う全ての人たちを何かしらの観点から師匠だとみなし、彼らの動きからできる限りのことを学んでいきたいと思う。
作曲についても同様であり、特に過去の偉大な作曲家を師と仰ぎ、彼らが残した楽譜を手本にしてこれからも探究と実践を続けて行こうと思う。フローニンゲン:2019/8/19(月)19:19
No.2556: A March for Autumn
The season is marching for autumn. Groningen, 16:32, Monday, 8/19/2019
No.2557: A Dream Woodpecker
Although a couple of hours already have passed since I got up, I feel as if a dream woodpecker were moving around energetically. Groningen, 08:48, Tuesday, 8/20/2019
4866. 両親から受け継いだ特性:ボルダリングに関する録音動画の作成に向けて
とても涼しげな夕方のそよ風が吹いている。揺れる街路樹を眺めていると、秋に向かう季節の気持ちがわかるような気がする。
爽やかな夕方のそよ風に乗って、どこまでも運ばれていきたいような気持ちがある。そう思った瞬間に、もう私はどこかに運ばれているのだと思う。
先ほどの日記の中で、社会人になって本格的に絵を描き始めた父について言及していたように思う。そういえば、父は大学時代に山登りをしており、ボルダリングや作曲実践を始めた私は、多分に父に重なるものがあるように思えた。確かに実践の種類は完全に一致していないが、山登りとボルダリングは似ており、絵画と作曲は共に芸術領域の実践である。
そういえば母も、過去にフラダンスに熱中しており、その探究心は私から見ても目を見張るものがあった。フラダンスを長らく続けた母は、今ではピアノの演奏にのめり込んでいる。母のそうした姿もまた、今の私の姿と重なる。
9月末から10月の初旬にかけて一時帰国し、実家に戻る際には、現在父が何に凝っているのかを聞くのが今から楽しみだ。母は毎日ピアノの演奏を楽しんでいるようで何よりであり、凝り性の父が何にのめり込んでいるのかはとても関心がある。今の私は作曲のみならず、ボルダリングにものめり込みつつあり、凝り性な点は二人から受け継がれたとても大切な自己の特性なのだと思う。
今日の昼前に、協働者の方と開催しているプログラムの第3回目のセッションがあった。今回のプログラムでは、受講者の方にリフレクションジャーナルの執筆を強く推奨しており、みなさん徐々にその実践が習慣となっていることがわかり、何よりであった。
そこでふと、みなさんにリフレクションジャーナルという新たな実践を勧めた私は何か新たな実践をしているのかについて自問をした。これまではリフレクションジャーナルを兼ねた日記の執筆を日々行っていたが、最近それだけでは不十分なようにも感じていたのである。
不十分だと思われる観点はいくつもあり、それはここでは述べないが、現在行っているオンラインゼミナールの受講生の方から、文章から伝わって来る私の印象と話から伝わって来る私の印象が相当に乖離しているようであり、文章のみならず音声を通じて自己を表現するというのも考えてみたいと思っていた。
そうしたことから突然なのだが、新しい試みとして、せっかく始めたボルダリングについて、自分がボルダリングの初心者からどのようにボルダリング技術を高めていくのかの成長過程を記録していくために、音声動画を作成し、それをYoutube上で公開していこうと思っている。
それはあくまでも自分のボルダリングトレーニングの学習記録のようなものであり、どれだけ人に役に立つかは定かではないが、自分がどのようにボルダリング技術を高めていくのか、そしてボルダリングそのものに対する理解をどのように深めていくのかに関心があるので、この際に音声動画を少しずつ撮影してYoutubeを通じて世の中に公開していこうと思う。
最初は作曲実践についても同様のことをやろうかと思ったが、両方同時に行うのは大変であり、また私は毎日多くの曲を作っているため、一つ一つ自分の曲について振り返るのも時間がかかってしまう。とはいえ、作曲についても同様のことを行った方が自分の作曲技術が磨かれていくと思われるので、その点についての工夫は今後また考えていきたい。
当面は、毎週一回しか今のところトレーニング機会がないボルダリングに焦点を当て、毎週一回のジムでのトレーニングの学習効果を最大限に活かすような音声動画を作成していければと思う。フローニンゲン:2019/8/19(月)19:34
No.2558: A Feeling for the Blue Sky
I’m feeling my emotion right now, looking at the blue sky in the morning. Groningen, 10:51, Tuesday, 8/20/2019