8月16日(金)に生まれた8曲
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タイトル一覧
4849. 色への関心の高まりと配色辞典
4850. 掃除の効用を実感する朝
4851. オランダの移民局を舞台にした今朝方の夢
4852. 結晶化していく経験と育まれる創造物
4849. 色への関心の高まりと配色辞典
時刻は午前5時半を迎えた。ここ最近は日が昇るのが遅くなり、今もまだ辺りは暗い。ようやく空が活色(かついろ)になってきたところである。
一昨日にズヴォレの街で訪れた美術館Fundatieのショップで購入した配色辞典のおかげもあり、色に対する認識が少しずつ広がっているように思う。色に対しては前々から関心があり、その理解をさらに深めたいと思っていた。
この世界は様々な色で溢れており、色に対する豊かな認識を持つことができれば、きっとこの世界で生きることもより豊かになるだろうという思いがあった。
色に関する書籍は日本語のものが良いかと思っており、色の名前が日本語と英語の両方で表記されているものであればなお望ましいと思っていた。美術館のショップで購入した辞典は、まさに両方の言語で色の名称が表記されており、それを見つけた時は購入を即決した。
今度日本に一時帰国する際にも、今回購入した配色辞典とは異なる観点から執筆された色に関する書籍を購入したいと思う。今回購入した書籍は、配色辞典であり、もちろん一つ一つの色の名前が紹介されているが、配色という色の組み合わせをメインに取り扱っている。
これまで作った曲に対しては、毎回曲の冒頭や曲のイメージが変わる都度、発想記号を付していたのだが、昨日からそれを止め、その代わりに色で表現することにした。つまり、これまでは例えば、「静かな」というイメージを表す“Calmato”という発想記号を置いていたのに対し、昨日からは、その静かなイメージを表す色で表現することにしたのである。
これは多分に主観的なものであり、その曲全体、ないしはある小節までで感じられる色を表記することにした。同じ「静かな」という言葉でも受け取る感覚が異なることが常にあり、色を用いて感覚を表現することにより、これまでは「静かな」という形容詞一語で括られていた音楽世界が拡張され、より豊かになったように思う。文字どおり、彩り豊かになったように感じる。
今日からの作曲実践でもこれは続けていきたい。もちろん、引き続き音楽記号・用語辞典を手元に置きながらも、今後は配色辞典がより身近な存在になっていくだろう。
色に対する感性が磨かれていけば、曲で表現する色の世界も変化が現れるはずだ。より豊かな色を持つ自分なりの音楽世界を開拓していきたい。
これまでも音色というものに関心を持っていたが、配色辞典を手に入れたことにより、その関心はさらに高まるだろう。まずは毎回の曲に対して色を当てていき、今後は配色構成にも習熟したい。
音と色を対応させ、今後は色の組み合わせを意識した曲作りにも励みたいと思う。ズヴォレの街に訪れたこと、そしてFundatie美術館に訪れたことにはやはり何か意味があったのだと思う。
色の世界が開かれ、それが涵養されていけばいくほどに、日常がこれまで以上に鮮やかで色とりどりの世界であることを実感することができるだろう。フローニンゲン:2019/8/16(金)05:58
No.2534: Crystal of a Cloudy Sky
I can see a crystal inside the cloudy sky. Groningen, 12:51, Friday, 8/16/2019
4850. 掃除の効用を実感する朝
時刻はゆっくりと午前6時に近づいてきている。辺りは少しずつ明るくなってきており、街路樹の姿がぼんやりと見えるようになった。
ここ最近は朝晩がめっきりと冷え込み、日没時間も随分と早くなった。昨日も午後10時には就寝していたのだが、就寝に向けた準備を始めた9時半過ぎ頃にはもう辺りは暗かった。オランダの夏が終わり、季節はもう秋に入ったのだということを知る。
つい先ほど小雨が天から降っていたが、今は小雨が止んでいる。どうやら今日は一日中曇りのようであり、深夜に雨が降るようだ。
曇りであれば、今日もまた午後にでも近所の河川敷にジョギングをしに出かけたい。寒くなってきたこともあり、途中でウォーキングをするよりも、継続して走り続けて体を温める必要があるかもしれない。
昨日の夕方のことを少し思い出す。昨日は断続的に雨が降っており、雨上がりの夕暮れの空から甘美な音が降り注いでいるかのような光景を目撃し、それを曲として表現していた。
そこから時間が経ち、空は雲に覆われたままであったが、一日の終焉を祝う歌が聴こえてくるかのようだった。
その日一日にも固有の命があるのかもしれない。最近はそのようなことを思うようになっている。今日もまた新たな命が誕生し、新たな生命としての一日が始まろうとしている。
昨日は、机を活用したボルダリングのトレーニングをするために、書斎の机を綺麗にした。そして机だけではなく、テレビ台やソファなどを一気に片付けてみたところ、これは大正解であった。
部屋を掃除することによって、気分が一新され、大きな爽快感を得た。また、部屋にスペースができると、不思議と心にもスペースが生まれたかのような感覚があった。
やはり、外面世界と内面世界は深く繋がっているのだ。そして、両者はお互いに影響を与え合っている。
部屋の掃除のみならず、夕方には浴槽も綺麗にした。浴槽の内側は定期的に綺麗にしていたのだが、ふちの部分に埃がたまっていたりしたので、そうしたものを取り除き、浴槽全体を磨いていった。
今夜からの入浴はより気持ちの良いものになるに違いない。そんな予感が今からする。
今後は、物を増やさずに、不必要なものは捨てていく意識を持っていこうと思う。また、部屋の掃除に関してはよりこまめに行い、大掃除も定期的に行う。少なくても今後は、ソファに座れるようにスペースを確保し続けようと思う。
一台の車が、水しぶきを上げながら走る音が聞こえる。今日もゆっくりと一日を始めていこう。
今日も作曲実践と日記の執筆を最優先にしていく。午後には、オンラインゼミナール用に音声教材を作成していきたいと思う。
Google Drive上に投稿してもらっている受講生からの質問を確認し、それに答えていく形で音声ファイルを作っていく。今週末には、少し前に出題した息抜き課題の私なりの回答に関する音声ファイルも作っていきたいと思う。
いよいよゼミナールもあと2回となり、来週の第7回のクラスが楽しみだ。フローニンゲン:2019/8/16(金)06:13
No.2535: A Walking Cloud
I can see clouds enjoying walking. Groningen, 14:58, Friday, 8/16/2019
4851. オランダの移民局を舞台にした今朝方の夢
たった今、書斎の窓を閉めた。いつも起床してすぐに、寝室と書斎の窓を開け、新鮮な空気を取り入れるようにしている。
今日も起床した時間帯の外の世界は寒かったが、寒さに負けることなく換気をするようにしていた。これからますます気温が下がってくると、朝の換気が大変になってくるが、少しの時間でもいいので新鮮な空気を取り入れるようにしたい。
これから作曲実践を行う前に、今朝方の夢について振り返りをしておきたい。夢の中で私は、オランダの移民局に向かっていた。その移民局の外観は、ちょうど現実世界で一昨日に訪れた、ズヴォレの街の移民局に似ていた。周りの雰囲気や入り口が若干異なっていたが、そこで働く職員は皆オランダ人であった。
事前に予約をしていた私は、すぐに受付に行き、そこで番号札を渡された。見ると、71番の番号札だった。
この移民局は不思議な作りをしており、受付を抜けると、そこには運動場のような空間が広がっていた。さらにそこには陸上競技用のトラックもあった。
運動場に一歩踏み出そうとした時、後ろから日本語で私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、そこには高校一年生の時に同じクラスだった女性がいた。
どうやら彼女も移民局に用事があったらしく、この運動場を横切って、ビザの申請をするためのカウンターに向かうとのことであった。
彼女は高校時代にはバスケ部に所属しており、運動神経が良かった。そんな彼女が私に対して、一つ提案を持ちかけてきた。今から一周200mほどのこのトラックを一周し、申請カウンターまでどちらが先に到着するか、そのタイムを競おうというものだった。特に断る理由もなく、私はいつも何かしら身体を動かしているようなタイプであるため、その申し出に快諾した。
彼女はスタートに向けてストレッチをしている最中に、「私は短距離が学年で一番早いのよ」と述べた。私はスタート前から、彼女の方が足が早いだろうと思っていたが、勝ち負けにこだわるというよりも、単に身体を動かしたかっただけなので、それを気にせずにスタート地点に立った。
私はてっきり二人同時にスタートするのかと思っていたが、どうやら違うらしく、二人別々に走り出し、ゴールに到着した際のタイムを競うことになっていた。まずは私がスタート地点に立ち、いざスタートを切った。
ゴール地点の付近まで順調に走っていたが、私がスタートして少ししてからスタートした彼女の様子が気になり、後ろを振り返ったりしていた。そして、私は自分が先にゴールするよりも、彼女が無事にゴールしたのかが気になっており、走る速度を緩め、彼女がやってくるのを待った。
見ると、彼女は別のトラックの上を走っており、どうやらゴール地点に無事に到着した姿が見えた。私はそれを見届けてからゴールした。
結果としては、私の方が1~2秒ほど遅くゴールに着いたらしかった。結果が出て、走り終えるとすぐに、彼女は速やかにビザの申請カウンターに向かっていった。
ふと私は冷静になり、「なんで今走ってたんだっけ?」と自問をした。どうやらトラックを走ったことには意味があったらしく、タイムをゴール地点の脇にあるカウンターで待っている職員に報告する必要があった。
カウンターの窓口には背の高そうなオランダ人の若い男性が座っていて、彼にタイムの報告をした。
職員の男性:「あぁ、惜しいですね。あと1秒早ければ、グリーンのカテゴリーだったんですよ。そのカテゴリーでもらえる景品は随分といいものなんです」
私:「そうでしたか。今走ったことにはそんな意味があったんですね」
職員の男性:「ええ。それでは、今回のタイムを基にして算出されたカテゴリーに該当する景品をお渡ししますね」
そう言って職員が手渡してくれたのは、クッキーが詰められた二、三の箱と、三枚の絵葉書のようなカードだった。絵葉書の絵柄を見ると、一つはやじろべえの可愛らしいキャラクターが、落胆の表情を浮かべていながらも、思わず笑いを誘うような自虐的な言葉を発しているものだった。そして二枚目に手渡されたのは、日本の紅葉が描かれた実に美しい絵葉書だった。
職員の男性は、「それでは60ユーロをお願いします」と述べ、どうやらトラックを走り、景品をもらうための費用のようだった。私は特に何も疑問に思うことなく、これもビザの申請の一環なのだろうと思い、その金額を銀行のデビットカードで支払った。
支払いを済ませ、ビザの申請カウンターに向かおうとした私はその場で一度立ち止まり、グリーンのカテゴリーでもらえる景品が気になった。そこでもう一度カウンターに座っている職員の男性に声をかけ、再度トラックを走ることに挑戦してもいいかを確認した。
再挑戦も受け付けているとのことだったが、もう一度費用を払う必要があるのと、私が移民局に滞在していられる時間は残り28分とのことだったので急ぐ必要があるとのことだった。それを聞いて、私は再び入口付近の受付に行き、再度並び直すことにした。
どうやら国籍によって受け取る番号札の番号が異なっているようであり、私の番号はまたしても70番台であり、それは日本人専用の番号のようだった。番号札を持って再度セキュリティーチェックの場所に行くと、トラックを走るための料金をそこで払うことになった。
不思議と、先ほどよりも少し金額が低く、58ユーロとのことだった。私は財布からカードを取り出し、いざ支払いをしようと思ったところで、自分の全身が筋肉痛になり始めていることを感じ、再度トラックを走っても良いタイムが出せないのではないかと思った。
結局、再度走ることをしない決断をしたところで夢から覚めた。ベッドの上で目覚めた私の体は全身が筋肉痛だった。フローニンゲン:2019/8/16(金)06:51
No.2536: The Feeling in the End of the Day
The sun recently sets early. I’ll devote myself to my lifework tomorrow, too. Groningen, 21:10, Friday, 8/16/2019
4852. 結晶化していく経験と育まれる創造物
散歩を楽しんでいる雲の姿が見える。時刻は午後3時を迎え、依然としてゆったりとした時間が流れている。
これから少しずつ夕方に向かっていき、今日も9時半を迎える頃には太陽がすっかり沈むだろう。秋がもうじき始まると思っていたら、あれよあれよという間に秋になったように感じる。
外の気温の低さと日照時間の変化がそれを裏付けている。秋へと続く道が目の前に顕現している最中、私はその道と合わせて自らの道を歩いていく。
午前中にふと、米国で過ごした4年間と欧州で過ごしてきた過去3年間についてぼんやりと振り返っていた。世界の様々な場所に足を運び、節々で目にしてきたことや体験してきたことが、今、時の発酵過程を通じて一つの大きなものに結晶化されつつあるように感じる。そうして結晶化されたものが、自分の創造活動の根源にあることに不思議さと感謝の念の双方を持つ。
これまで目にしてきたことと体験してきたこと。それらは自分固有のものであり、そこから固有の創造物が生まれるというのはどこか納得できる。
創造物を絶えずこの世界に還元していくこと。それを常に念頭において日々の創造活動に従事してく。
今日はこれまでのところ、7曲ほど曲を作った。昨日は日記の執筆や部屋の掃除に力を入れていたため、結局7曲ほどしか作ることができなかったが、今日はこの時間においてすでに7曲ほど作ることができている。
一つ一つの曲を作る際には、絶えず喜びと楽しさの感情が内側を駆け抜けている。そして、徐々にではあるが、曲を作っている際の集中力が高まっているように思う。あるいは、没入の度合いが深まっていると言ってもいいかもしれない。
今後は、一つ一つの音を置く際により仮説実験的な態度を持ってみて、実験結果についてその瞬間に振り返りをし、そこから新たな一手を生み出していくことにしたい。
現在曲を作る際には、兎にも角にも、その時の自分の感覚が納得するような曲を作るようにしている。感覚が納得する形で音を生み出していき、感覚が納得する形で音を生み出すことを終えていく。そうしたプロセスを経て一つの曲が形作られていく。
現在は、感覚が納得する音の持続時間は短いため、必然的に短い曲が生まれているのかもしれない。今後はひょっとすると、感覚が涵養されていき、より長い持続時間を持つ音を好む感覚が芽生えるかもしれない。
今のところは、俳句的、あるいは短歌的な曲を好む感覚が自分の内側にある。今後は、短編小説のような曲を好む感覚が芽生えてくるだろうか。それは未知である。
一旦作曲実践から離れ、今から本日三杯目のカカオドリンクを作り、それを飲みながら、ゆったりとした気持ちで音声ファイルを作成していきたい。今朝方の予定としては、夕方に街の中心部のオーガニックスーパーに行こうかと思ったが、筋肉痛がまだ残っているため、近所の河川敷を軽くジョギングする程度にとどめたい。
体を適度に動かすことと人生の進行の間には、どうやら深い関係があるようだ。これからも適度な運動を日々行っていく。フローニンゲン:2019/8/16(金)15:34
No.2537: A Morning Walk
Because it is raining right now, I’m enjoying walking in my mind. Groningen, 08:31, Saturday, 8/17/2019