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4738-4742:フローニンゲンからの便り 2019年7月23日(火)


タイトル一覧

4738. 我流の道

4739. 一つの呼吸の中で

4740. 本の歌声を聴く夢

4741. 言葉と音&創造と治癒と変容

4742. 夏らしさを感じさせる一日:変容の予感

4738. 我流の道

今朝は午前3時前に起床し、今の時刻は3時半となった。今日から数日間、フローニンゲンは夏らしい日々となる。

最高気温が軒並み30度を超えるような日々は、本当に久しぶりであり、今日から土曜日まで30度を超える日が続き、日曜日からは再び25度前後の過ごしやすい気温になるようだ。

今朝はまず最初に、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、実際に通っていた小学校のグラウンド脇にいた。そこには、50m走や100m走のタイムを計るための一本の直線のトラックがある。

そこでこれから、野球部に所属していた友人の一人(TS)と100m走のタイムを計ることになっていた。早速スタートの準備をし、いざ走り始めてみると、途中までは友人と競り合っていたのだが、後半から少し差をつけられてしまい、結局0.3秒ほど遅くゴールに到着した。

友人:「思っていた以上に100m走は長いね」

:「本当にそうだね。今からちょっと走る練習をしない?」

私がそのように提案すると、彼はその提案に乗り気であり、一緒にもも上げの練習を始めた。二人が共通に抱えていた疑問として、ももを上げることを意識しても、一向に早く走れる気がしないということだった。

おそらく私たちは、走るフォームがあまり正しくないのではないかと思われた。そのようなことを思った途端に夢の場面が変わった。

この夢についてはとても短いのだが、100mのタイムを計った後のトレーニングが特に印象に残っている。この夢は、正しいフォームを誰かから教わることの大切さを暗示しているのか、それとも自らの工夫によって自分に合致したフォームを見出していくことの大切さを暗示しているのだろうか。あるいは、それらの組み合わせ、ないしは掛け合わせの大切さを暗示しているのだろうか。

現実世界においては、この暗示は作曲実践において大切なことを伝えようとしてくれているように思う。走ることにフォームがあるように、作曲においてもフォームのようなものがある。それを誰かに師事して教わるのか、あるいは今現在のように我流で習得していくのか。作曲実践を始めて2年が経ったが、未だこの課題に直面している自分がいる。

私の中では、現時点における結論はほぼ出ており、ヴァン・ゴッホが辿ったような道を進もうと考えている。ゴッホはミレーやレンブラントなどの他の画家の作品を参考にすることはあったが、最終的には我流で自らの絵画制作技法を獲得していった。

今の私もゴッホと同じ気概を持って日々の作曲実践に励んでいる。今日もそうした気概さに満ち溢れた一日になるだろう。フローニンゲン:2019/7/23(火)03:48

No.2336: A Serene Start of a Day

Today also started in a serene way. Groningen, 05:36, Tuesday, 7/23/2019

4739. 一つの呼吸の中で

先ほど今朝方の夢について振り返り、そこからもしばらく夢の内容について考えていた。確かに今の私は、独学かつ我流の作曲実践を日々行っている。

だが実践において師のような人物が全くいないかというとそうではない。確かに、物理的な人間に師事はしていないが、過去の偉大な作曲家の楽譜を参考にして曲を作ることは、彼らを師としていると考えることができる。また、存命にかかわらず、作曲理論の解説書の著者を師としてみなすこともできなくもない。

そうしたことからも、全く師がいないかというとそういうわけでもないことが見えてくる。物理的な人間に師事することの恩恵は確かに計り知れないものがあるが、私はゴッホが辿ったのと同じ道を歩んでいこうと思う。

ゴッホが持っていたのと同じような突進力で自らの道を進んで行く。ゴッホの精神と彼の軌跡を忘れないようにしよう。

時刻は午前4時に近づきつつある。そろそろ小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる頃だろう。今はまだ彼らの鳴き声が聞こえてきておらず、韓国人の現代作曲家かつピアニストのイルマのピアノ曲を今聴いている。

今日もゆったりとした呼吸と共に、自らの取り組みに絶えず集中して従事したいと思う。自己を取り巻く全ての事柄のリズムをゆったりとした呼吸のリズムに合わせていく。

呼吸の深まりと共に、万事が緩やかな流れの中で進行していくようにする。自分の取り組みも人生そのものも、全てがそうした緩やかな流れの中を揺らめきながら進んでいくようにする。

そこでカギになるのが、身体の呼吸、心の呼吸、魂の呼吸、精神の呼吸である。それら四次元の呼吸をゆるやかなものにし、それらの波長を合わせていく。そうすれば、四つの呼吸は一つになるだろう。その一つの呼吸の中で生きていく。

昨日は結局、起業家ビザの取得に必要な資料をコピー屋でスキャンすることができなかった。コピー屋は夏季休暇のリズムに入っているため、店が閉まるのは午後3時になっていることを知らなかった。

今日は正午過ぎにコピー屋に立ち寄り、必要書類のスキャンをし、PDF化された資料をお世話になっている会計士に送る。コピー屋に立ち寄った後には、近所のスーパーに足を運び、そこで玉ねぎとバナナを購入したいと思う。

昨日と同様に、今日も協働プロジェクトに関するオンラインミーティングは1件もないため、自らの創造活動のみに励む一日にしたいと思う。明日の午前中には1件ミーティングがあり、明日の午後にはオンラインゼミナールの補助録音教材を作成し、今週末に控えた第4回のクラスに向けたアナウンスをしておきたいと思う。

闇に包まれたフローニンゲンは、これからゆっくりと明るい世界に包まれるだろう。今この瞬間の闇の世界を凝視し、闇を深く感じた後に光の世界へと飛び込んでいきたい。

闇から光へ、光から闇へ。世界にはいつもこの二重奏が鳴り響いている。フローニンゲン:2019/7/23(火)04:10

No.2337: Morning Energy

My energy in the early morning is robust. Groningen, 06:06, Tuesday, 7/23/2019

4740. 本の歌声を聴く夢

時刻はゆっくりと午前4時半に向かっている。つい先ほどから、小鳥の鳴き声が聞こえ始めた。

どうやら今はまだ一羽の小鳥しか鳴いていないようだ。その鳴き声は、いつも以上に闇の世界に重厚かつ清澄な響きをもたらしている。それは、この世界に対する「存在共鳴」と呼んでもいい響きである。

これからもう少し今朝方の夢について書き留め、それが終わり次第、早朝の作曲実践を始めたい。夢の中で私は、立派な天守閣の屋根の上にいた。そこから城下の景色を眺めており、隣には友人が一人いた。

すると、天守閣の下で二人の人物が追いかけっこをしている姿が見えた。よくよく見ると、逃げている方は小中学校時代から付き合いのある友人であり、追っ手は見知らぬ人だった。

そこで繰り広げられていた追いかけっこは、それほど切迫しているものではなく、またかといって遊びでもなさそうだった。私は天守閣の上から、逃げ回る友人に声をかけた。

するとその友人が、「あっ、いいところにいた。何かいい皿を持ってない?追っ手にそれを渡したいんだ」と私に尋ねてきた。彼は多くを語らなかったが、どうやらカネ関係の問題で追っ手から逃げていることが推測され、ちょうど天守閣の屋根にはたくさんの皿があり、そのうちの一枚を渡そうと思った。

するとその友人が天守閣の屋根に登り始め、自ら皿を探すと言い始めた。そして、追っ手もまた天守閣の屋根に登り始めたのである。

せっかく静かな気持ちで城下の景色を眺めていたため、突然屋根の上が騒々しくなることはあまり好ましくなかった。そうした思いになりながらも、私は友人に力を貸そうと思い、皿選びに協力することにした。

友人も追っ手も屋根の上に登り、彼と私は追っ手から逃げながらも、同時に皿を選ぶということを行っていた。追っ手の方は皿を選ぶ眼を持っていなかったためか、私に皿を選んでほしいとお願いをしてきた。

それはお願いのような命令のような、二つが混じった感じであったが、とりあえず何か皿を一枚選び、それを渡してその場から立ち去ってもらうようにしようと思った。

天守閣には複数の屋根があり、それらを飛び移りながら皿を選ぶのはかなり危険な作業であった。私はある程度の価値を持った皿を一枚見つけ、それなら追っ手も満足するだろうと思ったところで夢の場面が変わった。

次の夢の場面は、上記の夢と連続しているようにも思える。夢の中で私は、城の中の巨大な座敷部屋の真ん中にいた。私を取り囲むようにして、部屋の隅には多くの人がいて、壁際は無数の本がびっしり詰まった本棚で埋め尽くされていた。

どうやら私は、その部屋の中で、まるで本のソムリエのように、周りの人からのリクエストに応じて本を選ぶことを行っているようだった。その城の姫は気が強く、やんちゃな側面があるようだったが、本への関心が高いようであり、早速私にリクエストをしてきた。

彼女がどのような本を望んでいるのかを丁寧に聞いた後、私は「美しく素敵な本」というテーマを掲げて本を選び始めた。一つの本棚から次の本棚に移っていく私の後を追うようにして、部屋の中にいた人たちが私の後をつけてくる。そして彼らは、私がどのような本を手に取るかの一挙手一投足をじっと観察していた。

すると突然、どこからともなく歌が聞こえていた。それは人の声による歌のようにも聞こえたし、人の声のない歌のようにも聞こえた。いずれにせよ、音楽が突如として奏でられ始めたことは確かだった。

私はそれがどこから聞こえてくるのか不思議に思った。するとその出所は、本であることがわかったのである。

今、自分たちを取り巻いている一冊一冊の本が、なんと固有の歌を奏でていたのである。

どの本も人間と同じように、一冊一冊が固有の存在である。本には血が通っており、それは呼吸だってしている。

そう考えれば、本が歌を奏でるのはおかしなことではないのだ。そんなことを私は思った。

すると私は、今目の前に置かれている本は、二人の祖父が残してくれたものなのだと気付いた。二人の祖父が私のために残してくれた本たちが、歌を歌っている。それは励ましの歌のように聞こえた。

そしてそれは、私の魂を深く安らかなものにしてくれた。すると、部屋にいた一人の少年が、今から用事があるので残念だけれども帰ると述べた。

私は彼に一冊の本をプレゼントしようと思った。選んだのは、祖父が残してくれた本のうちの一冊であり、手に取ったその本は、心躍るような喜びの歌を歌っていた。フローニンゲン:2019/7/23(火)04:52

No.2338: The Soft Skin of the Morning Sun

The skin of the morning sun is very soft and tender. Groningen, 07:05, Tuesday, 7/23/2019

4741. 言葉と音&創造と治癒と変容

時刻は正午を迎えようとしており、気温が徐々に上がってきた。つい先ほど、自分という存在は創造する者なのだということにハタと気づかされた。端的には、自分という存在は言葉と音を創り出す者であり、言葉と音が自己なのだという気づきを得たのである。

それは、具なしの味噌汁を飲んだ後の器を洗っている最中に降りてきた気づきだった。静かであり、深い気づき。そんな気づきだった。

愛情に満ちた光が地上に降り注いでいる。穏やかなそよ風がフローニンゲンの街をゆったりと歩いていく。

これから少しばかり仮眠を取り、午後1時過ぎを目処に近所のコピー屋に足を運び、その後スーパーに買い物に行く。今日はジョギングではなく、散歩を楽しもう。

夏らしい雰囲気を放つフローニンゲンを味わうのは久しぶりのことである。自然と心が踊るのは、太陽も地上も踊りを踊っているからだろうか。

早朝に作曲実践をしている際に、作曲に取り組む際にいつも心掛けていることについて思いを巡らせていた。それは心掛けているというよりも、無意識的なものかもしれない。

無意識的に行っているのは、他者を意識した曲を作るのではなく、自らを育み、自らを癒す曲をとにかく作ることである。他者を意識した瞬間に、きっと創造活動が嫌になり、早期に限界がやってくるような気がする。

また、そもそも自己に養分を与え、自己を癒せないような曲が、他者の変容や治癒に資するものになり得るとは到底思えないのである。そうしたことからも、まずは徹底して自己にのみ焦点を当て、自己が育まれ、自己が癒されていく曲を作っていくようにする。

自己に涵養と治癒をもたらす曲は、必ずしも耳心地の良いものとは限らないことは言うまでもない。大きなカタルシスをもたらす曲は、時に破壊的ですらあり得るだろう。

曲を作ることが、いつか自分を支える大きな経験的資産となり、それでいて多くの人に癒しと変容をもたらすことができればどれほど素晴らしいことだろうか。今後も自己を癒し、変容を促していく音楽を作り続けていく。

絶えず絶えず作り続けていく。自己が完全に音になるまで作り続けていく。

一つの曲の中に小さな物語を生み出し、その物語が治癒と変容をもたらし、そしてそれらを運ぶ。さらには、一連の曲が大きな物語へ変貌を遂げ、そうした物語がより大きな治癒と変容を自他にもたらしていく。

真の創造活動とは、自己表現を超えて、自己超越的な営みであり、それが実現されて初めて、自他に深い治癒と変容をもたらすことになるのだろう。

創造、治癒、変容。そして、言葉と音。それらは私にとっての最大の関心事項であり、最も大切なものだと言えるかもしれない。フローニンゲン:2019/7/23(火)11:53

No.2339: In Front of a Shrine in the Mental World

I feel as if I were standing in front of a shrine that appears in my mental world. Groningen, 08:03, Tuesday, 7/23/2019

No.2340: A Summer Sigh

As we do, summer also sometimes has a sigh. Groningen, 09:53, Tuesday, 7/23/2019

No.2341: A Light of Affection

A light of affection is shining on the earth. Groningen, 11:06, Tuesday, 7/23/2019

4742. 夏らしさを感じさせる一日:変容の予感

時刻は午後の7時を迎えた。天気予報の通り、今日は素晴らしい天気であった。日中の気温は30度を越し、夏日和となった。

昼過ぎには散歩がてら近所のコピー屋に立ち寄った。その時には、夏の太陽の光を浴びることでき、とても清々しい気持ちになった。

フローニンゲンはいくら気温が上がっても、過去に住んでいたカリフォルニアのアーバインのように、木陰に入れば涼しく、蒸し暑さは一切ない。明日から三日間は、なんと最高気温が35度にも到達するようであり、本格的な夏の到来である。

正午にコピー屋に立ち寄って、フローニンゲン大学が発行しているA41枚の年間カレンダーを印刷した。ビザの申請書類の幾つかをスキャンしておきたかったので、店主にスキャンサービスがあるかどうかを確認したところ、スキャンサービスは提供していないとのことであった。その代わり、店主はモバイルアプリで資料を簡単にスキャンできるものがあるということを教えてくれた。

帰宅後、早速調べてみたところ、それらしきアプリがあり、早速ダウンロードして使ってみたところ、店主の言う通り、簡単に資料をスキャンすることができた。これまではフローニンゲン大学に在籍する者として、学内のコピー機でスキャンを行っていたのだが、昨年から関係者ではなくなってしまい、学内のコピー機が活用できなくなっていた。

店主のおかげで、このアプリさえあれば、もはや物理的なコピー機を使ってスキャンをする必要がなく、いつでもどこでもスキャンができてしまう。とても有り難い情報を教えてくれた店主には感謝である。

今日の午後に仮眠を取っている最中に、一つ興味深いビジョンを見ていた。覚えているのは断片的な映像なのだが、その一つの映像は鮮明に記憶に残っている。

ビジョンの中の私は、長ズボンを履いており、左足の裾の部分にハエが付いているということを母が指摘してくれた。見ると、ハエの死骸がそこに付着していた。

いつからそれが付着していたのか定かではなかったが、母に指摘される瞬間にはそれに気づいていたようにも思える。

私は、ハエの死骸をそっと指で払った。ハエの死骸が地面に落ちたところで仮眠から目覚めた。

仮眠から目覚めた瞬間に思っていたのは、ハエの死骸は過去の自分の姿なのではないかということだった。ここ最近、静かではあるが、確かに自分の中で何かが変化していることを実感しており、それはこれからやってくる大きな変容の予兆のように思っていた。

そうした大きな変容となる「大死」の前に「小死」があり、過去の自分のある側面、ないしはある段階の階層そのものが小死を遂げ、それがハエの死骸というシンボルとなって現れたのではないかと思ったのである。

私は欧州にやってきてから随分と変貌を遂げたように思う。来週から欧州での4年目の生活が始まる。

4年目の生活においては、かなり大きな変容を経験するような予感がしている。欧州での4年目の生活は、内面の変容と、ある側面における外面の大きな変化を経験する一年になるだろう。フローニンゲン:2019/7/23(火)19:29

No.2342: A Cell of the Ground

Today’s weather is impeccable. I’ll go for a walk shortly. Groningen, 12:57, Tuesday, 7/23/2019

No.2343: Fetters and Liberation

The sunlight in the afternoon liberated me from anything. Groningen, 14:46, Tuesday, 7/23/2019

No.2344: A Baby of the Setting Sun

A baby of the setting sun started to toddle. Groningen, 15:51, Tuesday, 7/23/2019

No.2345: An Adventure of the Setting Sun

The setting sun also has an adventure as we do. It started a new adventure just now. Groningen, 17:00, Tuesday, 7/23/2019

No.2346: A Dragon of the Sun

The color of a dragon of the sun is red, but its color of the wings is blue. Groningen, 19:50, Tuesday, 7/23/2019

7月23日(火)に生まれた曲

本日の曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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