タイトル一覧
4729. 夏に向かうフローニンゲンの日曜日の朝に
4730. 今朝方の夢
4731. 書くことに関する新たな気づきと今朝方の夢の続き
4732. フィンランドの森の中で
4729. 夏に向かうフローニンゲンの日曜日の朝に
時刻は午前3時半を回った。昨日は午前1時半に起床したのだが、さすがに一日の最後には活動エネルギーが枯渇しており、頭があまり回らないような状態になっていることを感じ、昨夜は9時半前に就寝していた。今朝の目覚めは3時前であり、今日はよく寝たという実感がある。
一昨日の夜には、オンラインゼミナールの補助教材としての録音音声ファイルをまとめて作成しており、話すことによって脳が活性化してしまい、寝つきがあまり良くなかった。昨日も、午後から夕方にかけて音声ファイルを作成していたが、夜寝る前にはそれを行わないようにしていたところ、寝つきがよく、安眠が実現された。
本日は、オンラインゼミナールの第3回の日曜日クラスがある。今日もまた時間を作って音声ファイルを作成するかもしれない。
一昨日、昨日の反省としては、音声ファイルを作っている最中は一人語りの状態になるため、話す速度などを意識していないと、ついつい普段自分一人で考え事をしているような速度で話をしてしまう傾向にあり、録音音声ファイルを自分で聞き返してみると、早口になっており、聞き取りにくい箇所があることに気づく。
日本語を話す際には、ただでさえ滑舌が悪く、サ行などの発音しづらい音があることを踏まえると、ゆっくり話すことをできるだけ意識したいと思う。とはいえ、音声ファイルを通じて回答することに対して高揚感をもたらしてくれるような質問を送ってくださる受講生の方々には感謝をする必要があるだろう。
昨日の夕方の時の流れの柔らかさを思い出す。それは明日の世界の扉をゆっくりと揺らしていた。そこから一夜が明けてみると、穏やかな世界が今目の前に広がっている。
昨日は午後に少々雨が降ったが、思っていた以上に雨の量は少なかった。幸いにも、今日は晴れのようであるから、午後にでも、近所の河川敷にジョギングに出かけ、その帰りにスーパーに立ち寄りたいと思う。
来週は、火曜日から金曜日にかけては最高気温が30度を越すようなので、その4日間においては夏らしさを感じられるだろう。ぜひとも、フローニンゲンの上空に燦然と輝く夏の太陽を拝み、幾分かその光を全身に浴びたいと思う。
本日のオンラインゼミナールの開始まで5時間半ほどあるため、それまでの時間帯は日記の執筆や作曲実践に充てたい。今日はこれから過去に作った曲にアレンジをする形で二、三曲作り、そこからバッハのコラールを参考にして一曲作りたいと思う。
今日もまた絶えず課題意識を持ち、新しいことを試しながら新たな発見が得られるような作曲実践をしていきたい。フローニンゲン:2019/7/21(日)04:03
No.2319: A Beginning of a New Day
The sky is so clear this morning. I convince myself that today will be fulfilled. Groningen, 05:44, Sunday, 7/21/2019
4730. 今朝方の夢
時刻は午前4時を迎えた。そろそろ小鳥たちの鳴き声が聞こえて来る時間がやってきた。
まだ彼らの鳴き声は聞こえてこないと思っていた今この瞬間、小鳥たちの第一声を聞いた。真っ暗なフローニンゲンの朝の世界に、姿の見えぬ小鳥たちの鳴き声がこだまし、それは静かに消えていった。
物理的現実世界に固定された絵画とは異なり、儚く消える音が持つ固有の魅力をそこに感じる。小鳥たちの鳴き声の一音一音が忽然として現れては消えていく。
そうした世界の中に自己を委ねてみると、儚さを持つ音と自分が共鳴し、自己もまた儚さを内包した存在であることに気づかされる。
早朝の作曲実践に取り掛かる前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、海外のホテルの一室にいた。
欧米生活も8年目を迎えた今になっては、「海外」という言葉の定義も変化しており、私にとって海外とは、日本でもオランダでもないということであり、逆に「国内」と言えば、日本とオランダの内を指すようになってきていることを感じる。
いずれにせよ、夢の中の私がいたホテルは、日本やオランダ以外の国にあるようだった。ホテルの一室には、小中高時代の三人の親友(NK & SI & YU)がいて、私たちは談笑を楽しんでいた。
そのホテルのひとつの売りは、比較的大きなカジノが併設されていることだった。三人の友人たちは、これからカジノに遊びに行こうと述べたが、私は他にやりたいと思うことがあり、彼らの申し出を断り、一人部屋で留守番をすることにした。
三人は笑顔を浮かべながら、「それじゃあ行ってくる」と手を挙げて部屋の外に出て行った。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は野原の上にいた。その野原には小道があり、その他にも区画化された空き地があり、その周りには鉄線が張られていた。しばらく小道を歩いていると、右ななめ前方に、ベビーカーを押している家族の姿を見た。
厳密には、空き地の中にベビーカーを止めて、休憩している親子を見た。ベビーカーの中には可愛らしい女の子がいて、半覚醒・半睡眠の状態のようだった。
よくよくその両親を見てみると、なんと夫側が高校時代の知り合い(SK)であった。彼とは仲が良かったのだが、その瞬間の私は彼に気付かれないようにして、その場からすっと立ち去って行こうとした。そのため、空き地側の小道を歩いていくのではなく、少し引き返して別の小道を通って行くことにした。
すると、その友人は遠くから私の存在に気づいたのか、空き地側の小道を迂回して、私の方に向かって歩き始めた。そして、二つの小道が交差する箇所で、彼は私に話しかけてきた。
私は、その瞬間まで彼に気づいていなかった素振りで、その場での再会に対して驚いたふりをした。挨拶もそこそこに、彼は突然に話題を切り出した。
なにやら、彼の妻は恐妻のようであり、何か固有の恐れを妻は抱えているらしく、それに触れられるたびに彼女は声を荒げて話し始めるようだった。先ほど遠目から彼の奥さんを見たときには、とても穏やかそうな方に思えたため、彼の話をにわかに信じることはできなかったが、外見上穏やかに見える女性が、実はとんでもない攻撃性を持っているケースは確かに存在するため、引き続き彼の話を聞いてみることにした。フローニンゲン:2019/7/21(日)04:27
No.2320: The Morning Blue Sky
The sky above Groningen always relaxes me. Groningen, 06:11, Sunday, 7/21/2019
No.2321: A Song Made by the Collaboration with the World
The world and the self are making a song together at this moment. Such a collaboration always occurs between the world and me. Groningen, 07:34, Sunday, 7/21/2019
4731. 書くことに関する新たな気づきと今朝方の夢の続き
早朝の4時半を迎える頃には、小鳥たちの鳴き声がもう活発に聞こえて来る。辺りは相変わらず闇に包まれているが、黒々とした闇をかき消すかのように、黄色を帯びた小鳥たちの鳴き声がこだまする。
先ほど、その瞬間の自分の状態を考慮に入れて、小麦若葉と大麦若葉をブレンドしたドリンクを飲むことにした。いつもは、それぞれを単体で一杯ずつ飲み、その後しばらくしてから味噌汁を飲み始める。
一方今日は、三杯目として両者をブレンドしたものを飲むことにした。今、それをゆっくりと味わいながら、一日の活動に向けての準備を進めている。言わずもがな、それは文章を書きながらにしてゆっくりと進められていくものである。
そのように考えてみると、もしかすると私は、何かへの準備のために絶えず書いているのかもしれないと思った。ここで述べている「書く」という言葉は、日記を執筆する行為だけを指すわけではなく、作曲実践も指す。
書くことは、私にとって準備なのだ。この人生において何かに向かっていくための準備だったのだ。
その何かとは、大小様々なものがあり、究極的なものがある。とにかく言葉を綴り、音を綴りながら、準備に準備を重ねていく。
そこにあるのは、準備だけだったのだ。何かを実現させようとしなくていい。自分が行う必要があるのは準備だけなのである。
絶え間ない準備。準備に次ぐ準備を行うことにこれからの人生を捧げていこう。そして、準備を通して日々を充実感と幸福感を持って生きていこうと思う。
ゆっくりと夜が明けていく日曜日のフローニンゲンの早朝世界。そういえば、先ほどまで振り返っていた夢には続きがあることを思い出し、それについても書き留めておきたい。
夢の中で私は、ある野原の小道を歩いていると、高校時代の友人と遭遇した、というところまで書き留めていた。その後、私たちの背後から、また別の友人(HY)が現れ、彼を見ると、何か重たそうなものを足に引きずっていた。それは立派な大仏であった。
先ほどまで話をしていた友人と私は、大仏に驚き、後ろからやってきた友人に、「なぜ大仏なんかを引っ張ってるんだ?」と質問をした。すると、彼は大仏をある寺から盗み出し、今は逃走中とのことである。
何やらまとまったカネが必要らしく、よくよく彼を見ると、その大仏だけではなく、他に二体もの大仏を盗んできたそうだった。いくらぐらいのカネが必要なのかをこちら側から尋ねようとしたところ、彼の方から、「少なくとも5億円必要であり、これら三体の仏像を売れば必要な資金は得られる」と切り出した。
なぜ5億円必要なのかは不明なままだったが、とにかく彼が何者かに追われているのがわかったので、私たち三人は野原から一刻も早く脱出することにした。
野原の終わりが見えてくると、そこには列車が止まる駅があり、二つのプラットホームの姿が見えた。ちょうど停車している列車があり、それに乗り込んだところ、その直後に列車は出発した。
私たちはとりあえず追っ手から逃げ切ったことに安堵感を感じた。しかし、列車の中には、私たちを捕まえようとしていた追っ手の仲間がすでに忍び込んでいたようであり、しかも彼らは忍者のようであると直感的に気づいた。
それに気づいたとき、私は二人にそのことを伝え、次の停車駅で下車し、再び逃走を開始した方がいいことを伝えた。すぐさま次の駅に到着したとき、三体の仏像の大きさを考えると、客が降りるドアからそれらを運び出すことはできず、またそれをすると目立ちすぎるため、私たちは列車の天井に備え付けられていた小窓を開け、そこからそっと仏像を運び出すことにした。
なんとか誰にも気づかれずに仏像を列車の外に運び出すと、その駅も一つのプラットホームしかないような小さな地下鉄駅であった。ちょうど反対側の線路に列車が止まっており、私たちはそれに乗り込むことにした。
列車に乗り込んだ瞬間にホッとした気持ちになったところで二人の友人の方を見ると、二人は全く別の親友二人に変わっており、三体の仏像もその場からなくなっていた。フローニンゲン:2019/7/21(日)05:02
No.2322: An Energetic Breeze
An energetic breeze is going through Groningen, which is very pleasant. Groningen, 08:46, Sunday, 7/21/2019
No.2323: Energy in the Afternoon
I’m having an energetic afternoon with my calm mind. Groningen, 14:43, Sunday, 7/21/2019
No.2324: Melting Tranquility of the Afternoon
Tranquility of the afternoon is melting into the world. Groningen, 15:22, Sunday, 7/21/2019
No.2325: Manacles in the Evening
I’ll take off manacles in the evening and spend a fulfilling time at night. Groningen, 16:44, Sunday, 7/21/2019
4732. フィンランドの森の中で
時刻は午後7時を迎えた。日曜日が穏やかに終わりに向かっていき、新たな週へ向けての歩みを進めている。
今日もまた平穏さに満ちた一日であり、同時に充実感に満ち溢れた一日であった。今日の午前中には、出版記念オンラインゼミナールの第3回のクラスがあった。
クラスの終了後には、そこで取り上げられた印象的なトピックを改めて考えていた。毎回のクラスにおいて、受講生からの質問に多くのことを与えてもらっているように思う。
夕方のフローニンゲンの空はとても穏やかであり、それをただ眺めているだけでこちらの心も穏やかになる。穏やかさの歌がそこにある。
どうやら、世界と自己は一緒になって一つの歌を作っているようなのだ。そうした共同制作は絶えず行なわれている。毎瞬においてなされる世界との交歓及び共同制作をとにかく大切にしたいと思う。
先ほどふと、いつかフィンランドの森の中で生活をしたいと思った。静かな森の中の湖畔にほど近い家に住み、そこで自らのライフワークに集中したいと思ったのである。
森の中を散歩しながら心を休め、そこからまたライフワークに打ち込み、再び森の中へと散歩に出かけていく。そんな自分の姿が脳裏によぎった。
この人生においてやはり重要なことは、有限な時間をいかに過ごしていくかということであり、その時間の中でゆったりとした気持ちでありながらも絶えず自分のライフワークに従事したいと思う自分がいる。
自分の時間を最大限確保し、それを自らのライフワークに充てていくための環境とはどのようなものであり、それをどのように確保していくのかというのは、今後も考え続けていくテーマであるだろう。今はとにかく、自然の中で生活をし、自然のリズムと自己のリズムが溶け合い、それが創造のダンスを踊り出すかのような生活を実現させていきたいという思いがある。
今日はこれから、一日を締め括る作曲実践に従事していく。先ほど入浴中にふと、バッハの平均律クラヴィーア曲集に収録されている、短いながらも珠玉な曲の数々について思いを巡らせていた。
シャワーと異なり、浴槽にゆっくり浸かると、全身の血液の流れがより良くなるだけではなく、浴槽に浸かりながら呼吸が緩やかになり、瞑想状態と似た様な意識の状態に陥るため、思考や感覚の流れも良くなることをいつも実感する。
これまで様々な国や地域に住んできたが、必ず浴槽のある家に住み続けてきたのは、浴槽に浸かるという行為が自分にとってはなくてはならない瞑想実践であり、時に瞑想以上に深い意識状態をもたらすからである。
そのようなことを改めて感じさせてくれるほどに、今日の入浴中はリラックスをしていた。そこで考えていたのが上記の事柄であり、バッハが時に、32小節や40小節という短い曲の中に珠玉の美を顕現させていたことであった。
今夜は就寝前に、バッハの平均律クラヴィーア曲集の楽譜をゆっくりと眺めようと思う。それはぼんやりとでもいい。
絵画作品を何も考えずに味わうかのように、シンボルとしての楽譜の美しさをただ純粋に味わう。ゆったりと一日を終え、明日からもまたゆったりと自らの取り組みに従事していきたいと思う。フローニンゲン:2019/7/21(日)19:17
No.2326: Five Types of Small Waves
I had five types of small waves in my internal world. Groningen, 19:31, Sunday, 7/21/2019
No.2327: A Transient Day
Today also ends in a transient way. I find beauty in the transience. Groningen, 20:12, Sunday, 7/21/2019
7月21日(日)に生まれた曲
本日の曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。