タイトル一覧
4709. 欧州生活4年目・欧米生活8年目を迎えるにあたって
4710. 書物との向き合い方と大海原への憧れ
4711. 資産運用について思うこと
4712. 夕方の振り返り
4713. 毎日の夕食について
4709. 欧州生活4年目・欧米生活8年目を迎えるにあたって
今朝は午前3時に起床し、3時半から一日の活動を始めた。今、ゆっくりと小麦若葉のドリンクを飲んでいる。
この時間帯はまだ小鳥たちの鳴き声が聞こえてこないため、書斎ではピアノ曲をかけている。明日からはようやく最高気温が20度を超えるようであり、肌寒さが続く日々も今日で終わりを迎えるかもしれない。
今日の最高気温は18度であり、なおかつ曇りの予報が出ているため、今日は肌寒いだろう。夕方に近所の河川敷にジョギングに出かけ、その帰りに近所のスーパーに立ち寄りたい。そこで購入するのは、ジャガイモ、バナナ、パンプキンシードパウダーぐらいだろうか。
今日もまた自らの取り組みに励む一日としたい。昨日久しぶりに、音楽理論に関するポッドキャストを聞いていた。“Music Student 101”というポッドキャストは、二人の米国人の気さくな教授がホスト役であり、二人の掛け合いを聞きながら音楽理論が学べるコンテンツが提供されている。
最初のエピソードが2016年の7月に配信されており、それはちょうど私がオランダにやってきたタイミングと重なる。このポッドキャストは、今もなおコンテンツを配信し続けており、丸3年ほど継続してこうした有益なコンテンツを提供し続けていることに感銘を受ける。
このポッドキャストを見つけたのは昨年の終わりあたりであり、そこから今に至るまで、ほぼ全てのエピソードを繰り返し聞いていた。各エピソードは一時間を超え、長いものは一時間半や二時間にも及ぶ。このポッドキャストが配信され始めたのと同じタイミングで私がオランダにやってきたのは、何かの縁だろうか。
今から3年前の私は、音楽理論はおろか、作曲実践になど全く関心がなかった。それが今や、作曲実践は呼吸をするかのごとく大切な存在になっている。
人間というのは3年間において大きく変わるものなのだ。それは単純に、関心が変化しただけではなく、関心を変化させうる何かが自分の中で起こったのだと思う。
現在、作曲実践および投資に関心を寄せているのもその表れだろう。こうした大きな変化をもたらしてくれたのは、やはり欧州で生活を送ってきたことを挙げざるをえない。より具体的には、欧州の地で積み重ねられた直接経験が自己の変化を育み、そして自己を新たな方向へと促して行ったのだと思う。
いよいよ欧州での4年目の生活の開始が目前に迫ってきた。またそれは、欧米での8年目の生活の始まりを意味する。
毎年毎年が節目の年のように感じるが、4年というのは何事においても大きな節目としてみなされているように、私にとっても来月からの4年目の欧州生活は非常に重要なものになるだろう。
昨日はふと、今年の年末年始はマルタ共和國に足を運ぶ予定であるが、それ以外にも近々モナコ公国やドバイにも足を運んでみようと思った。前回のロシア旅行の際には、ビザの取得に関して大きな失敗があったため、同じ失敗をしないように注意したい。
日本人であれば、UAEへの入国前にビザを取得する必要はなく、入国審査時にビザのスタンプを押してもらえるとのことである。モナコ公国に関して言えば、シェンゲン協定の国からモナコに入る場合には観光ビザは不要とのことである。
それらの場所に滞在してみようというのは完全に昨夜の思いつきであるから、いつ実行に移すかわからないが、二つの場所についてはこれからも関心を持ち続けておきたいと思う。フローニンゲン:2019/7/16(火)04:15
No.2285: A Limpid Stream in the Early Morning
A stream in the early morning is limpid and very comfortable for me. Groningen, 05:25, Tuesday, 7/16/2019
No.2286: A Morning Fresh Air
I’m enjoying a morning fresh air right now. Groningen, 06:04, Tuesday, 7/16/2019
4710. 書物との向き合い方と大海原への憧れ
先ほどの日記で言及した音楽理論に関するポッドキャストを、今日から再び聞いていこうと思う。一日のうちに何回かポッドキャストを聞けるタイミングがあるので、そうした隙間時間を活用しながら音楽理論に親しんでいく。
ここ最近は書物を読むことから意識的に離れており、作曲に関してはとにかく実践に次ぐ実践を行っている。実践から得られる直接体験こそが、今の私にとっては最良のインプットになっている。
そうしたこともあり、音楽理論や作曲理論に関する書物を読むという動機が減退しているのもうなづける。また、これまでのように過度に書物に依存していると、自分の内側から本来発露するべきものが発露されないという事態を招きかねない。端的には、創造活動を抑圧してしまう何らかの作用がそこに見られるのである。
そうしたことからも、書物というのは食物と同じであり、過剰摂取は害になるのではないかと思う。書物を読むことにも適量というものがあり、正しい食べ方があるように、正しい読み方というのも存在するのだろう。
そうしたことを考えながら、本居宣長が一時期書物から離れていたのと同じように、私も意識的に今は書物から離れていく。書物のようなものを読むとしても、それは作曲理論に関して自分がまとめたノートぐらいにしようと思う。
今、小鳥の第一声が聞こえてきた。今日は少し遅めの始まりであり、午前4時半を迎えようとしている今になって小鳥たちが鳴き声を上げ始めた。ここからはしばらく、彼らの鳴き声に耳を傾けながら自分の取り組みに従事することにしたい。
昨日は印象に残る夢を見ていたが、今朝方はあまり印象に残る夢を見ていなかった。ただし、夢を見ていたということだけは覚えている。
おぼろげながら覚えていることを引っ張り出してくると、欧州のどこかのリゾート地に行き、そこでゆったりとした時間を過ごしていたことを覚えている。そういえば、その夢の中では、私は一艘の小さな船を所有していた。
そこで思い出されるのは、昨日フローニンゲンの街を散歩していた時の発見である。街の中心部にあるABN AMROに立ち寄った後、自宅に向かって歩いて帰っている時に、ふとある店のガラス張り広告に目がいった。
ちょうどその店は、運河を掛ける橋の前にあり、何を扱っている店かというと、船を専門に扱っている店である。不動産会社のように、船を扱うその販売会社のガラス窓には広告が貼られており、船の相場を知るきっかけになった。
幾つかの船は、オランダでは一般的なように、船そのものが家となり、居住できる。そうした居住にも使える船は比較的値段が張るが、相場として、日本円に換算すると、一艘数百万円から一億数千万円ぐらいの値幅があるようだった。もちろん、それらの値幅はその店で扱っている船に限ってのことであり、探せばもっと安いものやもっと高いものがたくさんあるだろう。
船の販売会社の前に立ちながら、いつか大海原の上でゆっくり過ごすのも悪くないとふと思った。自分の名前に「洋」という感じが入っているためか、私はどこか海に憧れと親近感を持つ傾向にある。
確かに船を購入し、それを賃貸に貸し出すという投資形態もなくはないが、今のところ船の取得は単なる消費に該当してしまいそうなので、船の購入は先延ばしにする必要がある。そのようなことをガラス窓に貼られていた広告を眺めながら考えていたのを思い出す。船や海に対する関心が、今朝方の夢を生み出したのかもしれない。フローニンゲン:2019/7/16(火)04:35
No.2287: A Flower of the Early Morning
A flower of the early morning in my internal world is in full bloom. Groningen, 06:42, Tuesday, 7/16/2019
No.2288: Scintillation in the Cold Morning
This morning is so cold that I need to turn on a heater, but instead, I’ll ignite my heart with my passion. Groningen, 08:04, Tuesday, 7/16/2019
No.2289: A Cold Whisper
This morning feels like as if I could hear a cold whisper from somewhere. Groningen, 09:43, Tuesday, 7/16/2019
4711. 資産運用について思うこと
「投資」という言葉が連想させるものに関しては、多分にその人の金融リテラシーと意識の発達段階の特性が色濃く表れるだろうが、最近は作曲や食のみならず、投資の学習と実践を継続している。
そもそも私は大学時代に会計や金融を中心に学習しており、その時から投資への関心はあったのだが、ここ最近は実践を伴う学習が進められている。こうした関心の芽生えは、そもそも私は海外に生活拠点を移したことに伴い、年金というものをもらえない状況にあり——もちろん、海外に生活拠点を移しても年金を払い続けることは可能であるが、私はその道を選ばなかった——、老後を含めて、一生涯にわたって自らの経済生活は自らで成り立たせていく必要があることとも関係しているだろう。
最近のニュースで知ったが、日本では、「老後2000万円」問題というものが話題になっているらしい。そうしたニュースを見ながら、つくづく若いうちから資産運用をしておくことの重要性を感じていた。
そもそも私は、日本のみならず、これから生活を続けていく国からも年金のようなものはもらえないであろうから、人生を閉じる瞬間まで生活収入が入ってくる仕組みを作る必要があった。その仕組み作りには金融リテラシーが不可欠であり、投資が不可欠であると判断し、大学時代のように学術的に金融について学ぶのではなく、より実践的にそれを学び、実際に投資を行っていくことにした。
以前の日記で書き留めていたように、振り返ってみると、社会人の1年目よりすでに投資を行っていた経験があり、あの頃は株や債券などではなく、金へ投資をしていた。それ以降しばらく投資の実践から離れていたが、ひょんなことから1年ほど日本に戻り、その期間に再び投資を始めたのが今から4年前のことである。
ここ最近は、株式・債券・不動産・暗号資産を中心にした投資に関する学習と実践を進めている。30代を迎えてしばらく経つ今になって、いかなる国にも老後を頼れない——あるいは頼らない——異邦人として、自らの経済生活は自らで守り、自らで育んでいくという意識が強くなっている。
資産運用は、複利の効果を抜きにしては語ることができず、それを活用しないことは愚かですらあるだろう。まだ若い今の時点において、資産運用についてはしっかりと学習をし、同時に実践をしていくことが、今後いかなる国で生活をしていくに際しても重要なことのように思える。
望むべき落ち着いた環境の中で、生涯にわたって自らのライフワークに打ち込むためには、経済基盤の確保は不可欠であり、そうした意味においても資産運用の学習と実践は、私にとって大切である。
資産運用も他の実践領域と同様に、学習と実践を正しく継続させていきさえすれば、誰でもそのリテラシーを高めることができ、誰でもその実践力を高めることができる。作曲実践、食実践と同様に、資産運用という実践領域に関しても、焦ることなく着実にそれを深めていこうと思う。フローニンゲン:2019/7/16(火)04:53
No.2290: After Taking an Enough Nap
I took an enough nap, which recuperated my energy. I’ll go jogging shortly. Groningen, 16:11, Tuesday, 7/16/2019
4712. 夕方の振り返り
時刻は午後の5時を迎えようとしている。この日記を執筆したら、ゆっくりと入浴を楽しみ、そして一日の中の大きな楽しみである夕食をゆったりと摂りたい。
それにしても今日は随分と寒い一日だった。気温そのものは冬の時よりも確かに高いのだが、室内の体感温度として、特に足元から冷えるような感覚があった。
そのため、今日は一日中靴下を履き、常に暖かい飲み物を飲んでいた。午前中から昼にかけては、ヒーターが必要なほどに寒かったが、創造活動に励む情熱を熱量に変え、心のヒーターをつけながら活動に従事していた。
今日は昼前に1件ほど、協働プロジェクト関連のオンラインミーティングがあった。それ以外の時間は絶えず創造活動に励んでおり、隙間時間に音楽理論のポッドキャストを聞いたり、トイレの中では作曲ノートの復習をしていた。
昨年作ったこの作曲ノートからは得られるものが非常に多く、まだまだ身体知の次元で知識を実践に活用できていない自分がいることに気づく。引き続きこのノートはトイレの中で読み返しながらも、何か用事があって外出する際には常にそれを携帯し、隙間時間にノートを読み返したい。
作曲技術の引き出しを増やすためには、作曲という直接体験を積み、体験に内省を加えることが重要になる一方で、作曲理論という体系から観点を汲み取っていくことも大事である。まとまった時間は全て実践に捧げ、隙間時間は理論の習得に充てていく。それを心がけたい。
今日は午前3時に起床し、そこから午後の2時半まで集中して各種の取り組みに従事していたためか、そこで一度仮眠を取った時に、いつも以上に休息を欲している自己がいた。確かに仮眠の時間は長かったが、そのおかげか夕方の仕事ははかどり、この調子だと、夕食後の作曲実践もうまく進めていけそうだと期待する。
とにかく重要なことは無理をしないことであり、自分のペースで、かつ自分なりの方法で作曲実践を長きにわたって継続させていくことである。どのような実践にも当てはまるが、一つ一つの実践は兎にも角にも集中して取り組むことが重要であり、集中力が欠けているのであれば、一旦休息を取る必要がある。休息後、再び没入状態にゆっくりと入っていけばいいのである。
今日は二日に一回のベジブロスを作る日である。二日に一回、夕食を作ることに並行してベジブロスを作っているのだが、その調理方法はいたって簡単であり、時間を奪われることは全くない。二日間に食べた野菜と果物の残りくずをボールに入れておき、それを鍋に入れて適量の水で出汁を取っていくだけである。
毎回、ちょうど3食分のベジブロスを作っており、翌日の朝と昼に味噌を溶かして一杯のベジブロスを飲み、翌々日の朝にも味噌を溶かして一杯のベジブロスを飲むようにしている。野菜と果物の旨味と栄養がこし出されたベジブロスは、毎日の私の友になっている。
それではこれからゆっくりと入浴をし、ゆったりと夕食を楽しみたい。フローニンゲン:2019/7/16(火)17:08
No.2291: A Moderate Hodgepodge
A moderate hodgepodge could be an apotheosis of a universal truth. Groningen, 19:42, Tuesday, 7/16/2019
4713. 毎日の夕食について
つい今しがた夕食を食べ終えた。今日も腹六分程度に夕食を食べた。
毎日夕食として最初に食べるのは、およそ130gほどの有機豆腐である。有機豆腐にオーガニックの醤油とエゴマ油をたらして食べるところから夕食が始まる。
その後に食べるのは、玉ねぎ、ニンニク、マカパウダー、パンプキンシードパウダーを入れた味噌汁である。この時、夕食の味噌は玄米味噌にしている。朝の具なしの味噌汁は八丁味噌、昼の具なしの味噌汁は麦味噌を選んでいる。
味噌汁を半分ほど食べ終えたら、皮ごと茹でたジャガイモに醤油とオリーブオイルを垂らして食べる。有機豆腐も味噌汁も非常に美味だが、私はこのジャガイモを食べる瞬間に最も幸福感を感じる。
ゴッホの初期の名画である『ジャガイモを食べる人々』のような陰鬱な雰囲気は全くなく、ジャガイモを食べる私はいつも幸福感に包まれている。ジャガイモを全て食べ終えたら、食後のデザートとして、茹でられたサツマイモを食べる。
昨日の日記で書き留めているように、ジャガイモもサツマイモも皮に栄養があるのだから、皮ごと食べなければもったいなく、デザートとしてのサツマイモもジャガイモと同様に、オリーブオイルを垂らしながら食べている。
それらの食べ物を上記の順番通りに食べる日がこの二ヶ月間毎日続いている。文字どおり、それは毎日である。
自分が日々生まれ変わっており、絶えず新たな気持ちで毎回の食べ物と向き合っていれば、毎日同じものを食べても決して飽きないのだと思う。むしろ、食べ物を変えることによって、私は何か大切なものが失われてしまうようにすら思う。
固形物として何かを食べるのは、午前中の果物を除いて、上記の夕食だけである。それ以外は、栄養豊富な各種のパウダーを白湯に溶かして飲んでいる。
夕方ジョギングをしている時、そもそも私たちの小腸は、食べ物がほぼ液体に近い状態になってから栄養を吸収するのであるから、無理に固形物を摂取するのはやはり馬鹿げているのではないかと思った。そもそも同じ栄養とエネルギーがあるのであれば、固形物よりも液体として摂取した方が消化の負担がない分望ましいのではないかと思う。
以前知人とこの点について、それではなぜ私たちに物を噛み砕く歯があるのかという話をし、それについて思うことはいくつかあるが、それらについてはここでは書かない。仮にある固形物と液体物が同じ栄養とエネルギーを持っているのであれば、私は消化吸収の観点から後者を選ぶだろう。
そのような考え方に基づいてこの3ヶ月間の食実践を継続してみると、身体は軽く、心身の調子はすこぶる良い。何よりも以前以上に質の高い睡眠が取れるようになり、睡眠時間が短くなったことも見逃せない変化である。
また、日中の活動エネルギーの総量が大幅に増加し、早朝から就寝まで、自分の取り組みに集中力を持って没入できていることは大変喜ばしい。そうした肯定的な変化を生み出したのは、上記のような考え方のもとに、上述のものを毎日摂取しているからだろう。
それではこれから、就寝までの時間を使って、一日を締め括る作曲実践を行いたい。フローニンゲン:2019/7/16(火)19:20
No.2292: The Twilight Like a Gentle Breeze
Today’s twilight feels like a gentle breeze. Groningen, 20:32, Tuesday, 7/16/2019
7月16日(火)に生まれた曲
本日の曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。