タイトル一覧
4694. ゆったりと起床した土曜日の朝に
4695. 浮遊感を伴う今朝方の夢
4696. 激しく穏やかな死に向かう自己
4697. 千里の道も一歩から
4698. 5億円ほどの金融資産を年利10%で運用した際の生活上の変化について
4694. ゆったりと起床した土曜日の朝に
今朝は随分と遅く5時半に起床した。深夜未明の1時半に一度目が覚めたが、そこでは起床することをせず、結局5時半まで寝る形となった。
昨夜の就寝はいつもどおり10時前であったから、今日は随分と睡眠を取ったことがわかる。心身が十分な休息を取ったという感覚があり、今日の活動に向けて準備は万端のようだ。
起床してみると、もう辺りには小鳥たちの鳴き声が響き渡っていた。まさに、彼らの鳴き声に出迎えられる形で一日を始めたことになる。その幸運と有り難さを先ほどはしみじみと実感していた。
午前6時を迎えた今のフローニンゲンは、穏やかな風が吹き、少しばかり薄い雲が上空にかかっている。天気予報を確認すると、今日の最高気温は18度、最低気温は13度とのことであるから、幾分肌寒い。
来週の水曜日までは、最高気温が20度を超えず、水曜日以降からは20度を少し超えるようなので、そうなってくればもう少し温かさを感じられるだろうか。
いずれにせよ、今日はここから晴れになるようなので、午後に街の中心部のオーガニックスーパーに立ち寄り、昨日メモをした5つの品(麦味噌、有機豆腐、アーモンドバター、マカパウダー、ヘンプパウダー)を購入したい。ジョギングやウォーキングをするにはちょうど良い天候であろうから、行きと帰りにはそれらを十分に楽しむことができるだろう。
本日取り組むべきこととしては、起業家ビザの申請に向けた資料のひとつであるビジネスプランの追加・修正を行いたい。すでにドラフトは出来上がっており、それを最終版にすることを行う。
ちょうど先週に、今回のビザの申請で仕事を依頼しようと思っている会計士から連絡があり、ビジネスプランを見せて欲しいとのことだったので、今日最終版にしたものを来週の頭にでも送ろうと思う。もう一つ取り組むこととしては、協働プロジェクトに関する見積書を作成することである。
現在新規の協働プロジェクトを引き受けることは基本的にしておらず、以前より話にあったプロジェクトのみ引き受けることにしている。本件に関する話は昨年からあったものであり、この案件については関与させていただこうと思う。
来年、ないしは再来年を迎える頃には対価を得るような労働はできるだけゼロにしていく。労働収入に依存しない形で生活を成り立たせていく。すでにその基盤はできつつあるが、その基盤を確実強固なものにするまでは、いきなり労働収入をゼロにするのではなく、徐々にそれを減らしていく。
労働を減らすことによって、何よりも自由な時間を作っていく。そうして生まれた自由な時間を用いて、創造活動に取り組んだり、気兼ねなく読書を楽しんだり、旅に出かけていく。
ライフワークには従事し続けるが、労働はしない。自分の人生は自らのライフワークを行い、自己の役割を担うことにあり、人生は決して労働を行うためにあるのではない。その点を肝に銘じながら、今日もまた充実した一日を過ごしていこうと思う。フローニンゲン:2019/7/13(土)06:27
No.2254: Driving Force
I have a driving force to prompt and facilitate myself. Groningen, 16:55, Friday, 7/12/2019
No.2256: A Gentle Morning in Groningen
This morning in Groningen is very gentle as usual. Groningen, 07:36, Saturday, 7/13/2019
No.2257: A River of Tranquility
The city of Groningen has a river of tranquility, which constantly makes me feel peaceful. Groningen, 08:16, Saturday, 7/13/2019
4695. 浮遊感を伴う今朝方の夢
小鳥たちの鳴き声が縦横無尽に優しく響き渡る土曜日の朝。時刻はゆっくりと6時半を過ぎていき、新たな一日が始まろうとしている。
フローニンゲンの街が醸し出す穏やかさに包まれながら、今日も落ち着いた気持ちで自らのライフワークに取り組んでいく。そこには集中と没頭があるだろう。自らの取り組みに集中した自己、及び没入状態にある自己がそこにいるはずだ。
早朝の作曲実践に取り掛かる前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、中学校時代のバスケ部の友人三人(SN & HS & HY)と一緒にバスケの練習をしていた。
彼ら三人は、チームのスタメンメンバーであり、近づいている試合に向けて戦術確認を一緒に行っていた。目の前に相手を置くことをせず、私たちは四人でハーフコートを用いながら戦術を一つ一つ確認していった。
私はガードのポジションを務めており、最初に右フォワードの友人にバウンドさせたパスを出し、彼がカットインをしてシュートに向かう戦術を確認した。その後、もう一人のガードの友人から左サイドでパスを受け、スリーポイントシュートを打つと見せかけて、パワーフォワードの友人にパスを出すという戦術を確認していた。
パワーフォワードの友人にパスを出す際にもバウンドしたパスを出した。するとパスを受け取った友人は素早く反転し、シュートを放った。
反転の速さは見事だったが、シュートを打つ際に体の軸がぶれており、放たれたシュートはゴールをそれていってしまった。ゴールを通り過ぎていくボールの姿を眺めていると、夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、タイのバンコクらしき場所の街中にいた。そこで私は、宿泊先のホテルに向かっていた。
ホテルの位置はすでに把握しており、そのホテルは列車の駅と直結しているため、その駅に向かう列車を探した。幸いにもすぐに列車を見つけ、それに乗り込むと、地下鉄だと思っていた列車が外の世界に飛び出し、そして宙に浮かび始めた。
宙に浮かんだ列車の進行はとてもゆったりとしたものであり、その感覚としては、ワイヤーで繋がれたリフトに乗っているような感覚があった。ゆっくりと斜めに上昇していく列車の窓から外の景色を眺めていると、宙に浮かんだ停車駅に到着した。
そこはまだホテルのある駅ではなく、私は引き続き列車に乗っていた。そして、その次の駅に向かう時には、列車は再び地上を走り始めた。
次の駅がまさに私が降りるべき駅であり、そこに到着すると、ホテルの入り口が眼と鼻の先にあった。厳密には、ホテルの受付に上がるための専用のエスカレーターがあり、エスカレーターの真ん前で下車した。
エスカレーターを上がっていくと、ロビーには日本から来たツアー観光客のいくつかのグループが待機していた。彼らはタイを訪れたのは初めてなのか、どこか緊張と期待の混じった表情を浮かべており、どうやら彼らはガイドがいないと何も行動できないような意思と行動力しかないように思えた。
受付でチェックインをしてもらうためにそこに向かって歩いていると、日本人ツアー観光客の一人に声を掛けられた。そこで何を話したのかは定かではなく、その後に続く夢もすでに記憶の彼方に去ってしまった。
今朝方の夢を改めて振り返ってみると、やはりタイのバンコクの街並みが印象に残っている。そして、バンコクの街を宙に浮かんだ列車から眺めていた時の光景を忘れることはできない。
厳密には、光景そのものは不鮮明だったのだが、宙から街を眺めている感覚が独特なものであり、その感覚がまだ自分の身体の内側に残っているかのようなのだ。ここから行う早朝の作曲実践では、今残っている浮遊感を曲として表現してみようかと思う。その際にはオーグメントの和音を活用してみよう。このように、今後は夢で知覚されたイメージや感覚を作曲の題材としていきたい。フローニンゲン:2019/7/13(土)07:00
No.2258: Full of Mercy in Groningen
The city of Groningen is replete with mercy. Feeling it, I’ll lead my own life today, too. Groningen, 09:34, Saturday, 7/13/2019
No.2259: Rome was not Built in a Day
I’ll fully devote myself to my lifework, keeping in mind the proverb “Rome was not built in a day.” Groningen, 10:46, Saturday, 7/13/2019
No.2260: Everyday is Beautiful
Everyday is really beautiful. It is always shining. Groningen, 11:30, Saturday, 7/13/2019
4696. 激しく穏やかな死に向かう自己
毎日が本当に輝いている。いつだって常に輝いている。今この瞬間も、それは輝きに満ちている。
そんなことを北欧にほど近いオランダ北部の街フローニンゲンの自宅の書斎で思う。
今日も先ほどまで集中して作曲実践に取り組んでいた。私は、一つ曲を作るたびに短い休憩を入れている。例えば、窓の外をぼんやりと眺めてみたり、体を少し動かしてみたり、あるいは暖かい飲み物を飲んでみたりというように。
先ほども少し休憩がてら窓の外を眺めていた。すると、新しく、それでいて正しい自己認識を持ってみようと思った。
端的には、成人発達理論やインテグラル理論など、過去10年間探究と実践を行ってきた領域にしがみつこうとする自分を能無しとみなす自己認識だ。「能無し」という表現は、とてもやわであり、もう少し激しい表現が必要かもしれない。
だが残念ながらあまり良い日本語がないようである。少なくとも自分の辞書の中には相応しい言葉があまり見つからない。
いずれにせよ、この10年間の自分というものを激しく否定したい自分がいる。当然ながら、これまで構築してきた自己及び実績というものにいくばくかの価値が内包されていることは確かだろう。
だが、そうした価値にしがみつくのではなく、あえてそうした価値というものを徹底的に破壊してみたらどうなるのだろうか、いや破壊をしてみたいし、破壊する必要があると強く感じている。
確かに私は幾分かサイコパス的な特質を持っているが、他人に対して殺意を抱いたことはない。しかし、今の自分、ないし過去10年間をかけて構築した自己に対して、今強い殺意を持っている。
既存の自己を殺す手段についてはいくつか候補がある。それらから相応しいものを選定し、過去10年間をかけて構築した自己を根底から殺しにかかってみようと思う。おそらくそれでも生き延びている自己こそが、この10年という歳月をかけて積み上げてきた自分の本当の価値なのだと思う。
時刻は正午に近づいてきた。穏やかだ。自宅周辺の環境は本当に穏やかだ。
穏やかだ。心の内側のひだにまで穏やかさが沁み渡るぐらいに穏やかだ。
穏やかだ。自己が穏やかさの化身となるほどに穏やかだ。
穏やかだ。大切にしていたこれまでの自分を殺害してみたいと思うほどに極度に穏やかだ。
そよ風がフローニンゲンの街をゆったりと散歩している。もう少ししたら、自分も散歩に出かけよう。
願わくば、そよ風に乗りながら散歩をしたいし、既存の自己を始末した上で散歩に出かけたい。だが、既存の自己の始末には時間がかかるかもしれない。
今の自己がいかように形成されたのかをふと考える。その過程においては、絶えず徹底的な自己否定があった。今回のそれは、これまで以上のものであるように思えてくる。
インテグラル理論において、「超えて含む」という考えがある。この考え方において、自己受容や自己抱擁を先に持ってくるような愚かな発想に陥らないようにしたい。
徹底的な自己否定が先であり、そこで散らばった肉片を拾っていく。拾えない肉片があれば、それはそのまま放置すればいい。拾える肉片が、次の自分の本当の身となる。
4年間の米国生活における最初の年、欧州で生活を始めた最初の年において、自己がはち切れんとする体験をしていたように思う。なぜだか欧州で4年目の生活が今まさに始まろうとしているこの時期において、自己がはち切れんとしている。
既存の自己も知っているようだ。新たな自己が誕生するためには、既存の自己は粉砕されなければならないことを知っているようなのだ。
おそらく自分にできることは、粉砕のプロセスとその瞬間を見守り、肉片及び骨を拾って集めていくことなのだと思う。清澄な小鳥の声が響き渡り、そよ風の通る穏やかな今この瞬間の景色のように、既存の自己が激しく穏やかな、そして穏やかで激しい死を遂げることを願う。フローニンゲン:2019/7/13(土)12:03
No.2261: The Place where a Silent Dream Exists
An hour ago, I found the place where a silent dream exists. Groningen, 13:19, Saturday, 7/13/2019
4697. 千里の道も一歩から
4年間の休養生活の始まりは、欧州で迎える4年目の生活が始まるタイミングとほぼ重なった。4年間という期間は便宜上のものであり、実質上は無期恒久的に休養生活を送る。
フローニンゲンの街で生活を始めて時折私は、街や公園の清掃を行いたいという思いに駆られることがある。これは何か自分が慈善的な人間であることを強調しているわけではなく、純粋にそのようなことを思うことがあるのだ。清掃といっても大それたものではなく、目に見えるゴミを拾っていくような作業である。
「休養生活」というのは、その内実として、何もしないというわけでは決してなく、むしろこれまでとは比較にならないほどに活動的になろうと思っている。もちろん、活動的というのも、人に会って話をしたりするような馬鹿なことに時間を使ったりするわけではなく、何か物理的に外に出かけて行って行動を行う馬鹿げたことに従事するわけでもない。
内的に活発であるということ。それがこれからの休養生活の骨子となる。
既存の協働プロジェクトとすでに話が進んでいる案件は、それをきちんと完了させていきたい。一方で、今後は成人発達理論やインテグラル理論に関する仕事の話はほぼ一切合切断っていく。
そうした仕事に関する話を持ちかけてくれる人たちの存在はとても貴重であり、持ちかけられる話は自分がどれだけ既存の自己から脱却できるのかを試しているのだと思う。そうした話を断れば断るだけ、既存の自己から離れられるように思える。
ゴミ拾いや草むしりに無償で従事したいと思う自分がいる中で、先ほど乾燥機から洗濯物を出している時に、今後オランダで行う活動の一つとして、日本人の芸術家の海外進出の斡旋や支援を行ってみたいと思った。その活動は慈善活動であり、カネにならないものである。
これからの休養生活及び、可能であれば金輪際、カネになることは一切しない。カネにならないことだけをやる。
カネは空気や水のようなものであり、時間とエネルギー及び知性を活用してまで得るようなものでは決してない。特に、労働なるものにそれらの資源を割り当てることは愚の骨頂であり、そのような無駄なことをして残りの人生を過ごさない。
IT技術に精通し、ITにうまく働いてもらうようにするのと同じように、金融技術に精通し、それにうまく働いてもらうようにすればいいのである。金融を敵に回しながら、あるいは無視しながら労働に従事するという馬鹿げたことはもうやめよう。ITと同様に、金融に親しみ、活動に向けて促しをもたらすカネにならないことにこれからは注力していく。
そのようなことを考えながら、「千里の道も一歩から」という格言を絶えず念頭に置きながら日々の取り組みに従事していくことの大切さを改めて思った。創造活動にせよ、馬鹿げた労働に従事しない生き方を進めていくことにせよ、金融に親しむことにせよ、小さなことを積み上げていく。
フローニンゲンの街に満ち溢れている慈悲も、そのような小さな積み重ねから生まれたものなのかもしれない。この街で感じられる慈悲の恩恵を受けながら、自分の人生を生きて行く。フローニンゲン:2019/7/13(土)12:21
No.2262: A Feeling in the Twilight
The sky started to become cloudy. Suddenly, I have a meditative feeling. Groningen, 16:30, Saturday, 7/13/2019
4698. 5億円ほどの金融資産を年利10%で運用した際の生活上の変化について
土曜日のフローニンゲンの昼時は、本当に幸福感に包まれている。時間の流れはまろやか極まりなく、街路樹も、そこにとまる小鳥たちも、一様に笑顔を浮かべている。
先ほどトイレに向かっている最中に、自分は日常、様々な思考実験を繰り返していることに気づいた。昨日、ある思考実験を行っていた最中に、大きな幸福感に包まれた。
5億円ほどの金融資産を年利10%で運用した場合における生活上の変化について思いを馳せた時に、無上の幸福感に包まれたのである。年利10%で資産を運用していくことはもちろん不可能ではないが、私のように資産運用の初心者にとっては、現実的にはそれはなかなか難しいのだが、とりあえずそのような想定を置いてみた。
5億円の金融資産を年利10%で運用し、仮にその運用益をそのまま生活に活用した場合には、月々に400万円ほど自由に使える資金があることになる——簡略化のため、税金を考慮に入れていない——。言うまでもなく、資産運用の要諦には複利効果の活用があり、運用益を全て消費活動に充てようとするのは馬鹿げているのだが、あえてそうした状態を想定してみた。
月々に400万円の不労収入があった場合に、私の日々の生活はどのように変わるのかを想像してみた。こうした想像は以前より行っていたし、また過去数年において自分の収入や資産が増加しても、結局私は質素な生活をすることがわかっていたのだが、昨日は一つ大きな変化が生まれうることに気づいた。
午前中の最大の楽しみは、もちろん作曲実践や日記の執筆だが、もう一つ最近非常に楽しみにしているのは、バナナにアーモンドバターを塗って食べることである。どちらも共にオーガニックの良質な食材であり、それを食べていると溢れんばかりの幸福感を感じる。
仮に月々に400万円の不労所得があった場合に、大きく変わり得るのはここだと思った。つまり、幾分高価なアーモンドバターをスプーンもう一杯バナナにかけること。そうした変化が上述の資産運用の結果もたらされることがわかり、それによって一段と幸福感を覚える自分がいることに気づいたのである。
今朝は擬似的に、アーモンドバターをいつもより多めに塗り、さらには奮発してこれまたオーガニックのピーナッツバターも塗ってみた。それを食べた時の幸福感の強さついてはもはや述べない。
資産運用の学習と実践が進むにつれて、資産を無駄に消費に費やす愚行を避けるようになった。過去数年間において、いかに自分が無駄な消費を行っていたか、ここ最近猛烈に反省することがある。
今後はより一層自らの消費活動に厳格になっていきたい。大きな固定費を抱えるようなことをせず、既存の固定費を限りなくゼロにしていく。
そうした中で、自分に幸福感を与えてくれる事柄、例えば気持ち多めにアーモンドバターをバナナに塗って食べるということは今後も継続せていきたい。
そういえば、食生活が大きく変わったことによって、食費は確かにかからなくなったが、果物の摂取量は増え、午前中にはリンゴ2個、バナナ2本を食べるような食実践になっていることに気づく。もう少ししたら、そうしたバナナの最良の友であり、満腹な幸福感をもたらしてくれるアーモンドバターを買いに、街の中心部のオーガニックスーパーに足を運ぼうと思う。フローニンゲン:2019/7/13(土)12:42
No.2263: A Simple Flow
Time creates a simple flow that beckons to me. Groningen, 19:34, Friday, 7/12/2019
No.2264: A Modest Vortex of Time
Time is passing by, creating a modest vortex. Today will end soon. Groningen, 19:57, Saturday, 7/12/2019
7月13日(土)に生まれた曲:9曲
本日の曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。