タイトル一覧
4578. 四度目のフローニンゲンの夏に向かって
4579. 今年とこれからの日本旅行について
4580. 人間本質及び現代社会に関する理解を深めるための投資・金融
4581. インテグラル理論を学ぶインテグラルではない人々
4582. ライオンの赤ちゃんと冷徹冷静に投資取引を完了するビジョン
4578. 四度目のフローニンゲンの夏に向かって
時刻は午前3時半を迎えた。辺りは静寂と闇に包まれており、小鳥たちの鳴き声はまだ聞こえない。今日もまた、小鳥たちよりも早く起床しての一日のスタートとなる。
起床直後の今の外気は意外と暖かく、寝室と書斎の窓を開けていてもそれほど寒くない。確かに今日は午後から少し天気が崩れ、雨が降るようだが、最高気温に関しては20度の後半に達するようなので暖かい。
昨日も最高気温が24度ぐらいだったので、とても暖かく感じた一日だった。明日からは再び最高気温が20度を下回るようなので、少々肌寒くなるだろう。
ここから一週間の天気予報を眺めてみると、最高気温が20度を越したり下回ったりを繰り返すような天気となるようだ。こうした周期性を持ちながら、フローニンゲンは夏に向かっていく。
気がつけば早いもので、今回が4度目のフローニンゲンの夏となる。まさか自分が4回もの夏をこの地で過ごすことになるとは全く思っていなかったことである。
来年の夏にライデンあたりにでも引っ越そうかという計画も依然として残ってはいるが、今のところは生活環境を変える必要性をそれほど感じておらず、現在の落ち着いた環境を手放してまでも引っ越しをする必要はないのではないかと思い始めている。
ひょっとすると、ライデンを含め、オランダ国内で引っ越しをするタイミングはもっと後になるかもしれない。それほどまでに私は、フローニンゲンという街の落ち着きを気に入っている。
昨日、二転三転して、この秋の日本への一時帰国の旅程を立て、航空券の予約を済ませた。ホテルに関してはまだであり、これは全く焦る必要はなく、8月に入ってから行おうと思う。
今回の一時帰国では、やはり東京に滞在することを極力控える。確かに成田空港を使うという都合上、東京に滞在することはするのだが、それは移動の疲れを癒すためであり、東京で仕事をすることはしない。また人に会うこともしない。
東京でどれだけ休めるのかは定かではないが、古書店巡りや美術館鑑賞などを少々行ったら、すぐに東京を離れ、岐阜県と大阪に立ち寄るのが今回の旅程である。今回の一時帰国もそうであるが、日本へ一時帰国するというのは、完全に観光目的となった。
日本で仕事をすることは基本的にせず、また親友や家族以外の人と会うこともしない。今回の一時帰国もそのように時間を過ごそうと思っており、まだ足を運んだことのない場所に足を運び、観光を楽しみたいと思う。そして何より、久しぶりに母国でくつろぎたいと思う。
日本の中にも落ち着いた場所や癒しを得ることができる場所は無数に存在しているのであり、大都市を避けながら、そうした場所に足を運んでいくことが今後は増えてくるだろう。今のところ、もはや日本で再び生活をするという選択肢は私にはないのだが、今後も時折日本に立ち寄り、日本国内を観光したいと思う。
母国の旅についてぼんやりと思いを馳せていると、小鳥たちが鳴き声を上げ始めた。それは早朝の静謐な世界に響き渡り、遥か彼方に向かって伸びていくかのようだ。フローニンゲン:2019/6/19(水)04:01
No.2086: A Dance of Nanja Monja
When I tried to name a piece of music, I came up with a word “nanja monja.” If my son or daughter were born and if I named him or her without deliberation as I did for this piece of music, would he or she be mad at me in the future? Groningen, 06:38, Wednesday, 6/19/2019
4579. 今年とこれからの日本旅行について
時刻が午前4時を迎えると、小鳥たちがゆっくりと鳴き声を上げ始めた。これから朝祭りが始まる。
それは小鳥たちの清澄な鳴き声で彩られており、心を落ち着かせてくれながらも、同時に心を躍らせてくれるような祭りである。その祭りの中に没入しながらにしてそれを楽しみ、同時に自分の取り組みに没入していきたいと思う。
ここから夕食までの時間は、兎にも角にも自分のライフワークに打ち込んでいく。昨日は諸々の事情により、航空券の予約に時間がかかっていた。
日本に一時帰国するのはまだ三ヶ月以上先のことであるため、目星のフライトの空きは十分あるだろうと高を括っていたところ、希望の搭乗クラスに関しては満席であり、さらにはキャンセル待ちの状態であった。今回や止むを得ず搭乗クラスを一つ落とすことにした。
これは本当に泣く泣くの判断だったのだが、そうでもしなければ、計画した通りの旅を遂行することができなくなっていただろう。もちろん、今回の旅の計画は柔軟に変更できるのだが、前後何日を調べてみても、フライトには空きがないような状態だったので仕方ない。
一応コールセンターにも問い合わせてみたところ、やはりその時期は少しばかり混雑するとのことだった。いつものようにJALを活用し、今回もまたヘルシンキ経由で日本に戻る予定なのだが、ロンドン路線やパリ路線に比べて、ヘルシンキ路線は比較的席を確保しやすいのではないかと思っていたことが甘かったようだ。
確かに二年前の年末年始に日本に一時帰国した際には、今回の旅のように三ヶ月前ではなく、半年ほど前から航空券の予約をしていたように思う。その時はすでに半年前に旅程が明確だったため、速やかに航空券を予約しようと思い、実際にそれは可能であった。
将来私は、日本全国を旅して回りたいと考えているが、それを実現させるのは今から数年後か10年以上も後のことであるような気がしており、現在は日本に足を運ぶ必要性をそれほど感じていない。何よりも、母国に足を運ぶ以上に、この世界には足を運んでみたい場所がまだまだ無数に存在しているため、日本全国を旅するという計画はもう少し先に実行されることになるだろう。
とはいえ、今年と来年は日本に帰る必要がある。来年は、自動車の免許書を更新するために一時帰国する必要がある。
正直なところ、今後も私は車を所持したり、車に乗ることを一切考えていないのだが、一応免許の更新はしておこうと思う。代理人に更新手続きを行ってもらうことはできないらしいので、これはやむをえない。
今後は少なくとも五年に一度は日本に戻る必要があるが、欧州での永住権を取得することができたら、日本の自動車免許はもはや必要ではないと判断するかもしれない。とりあえず来年は免許証を更新し、今後についてはまた考え直そうと思う。
辺りがうっすらと明るくなってきた。完全に日が昇るにはまだ時間がかかるが、空が少しずつダークブルーに変わりつつある。
今日は午前10より、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングがあり、そこを境目として夜まで小雨が降るようなので、早朝の作曲実践に思う存分打ち込んだら、ミーティングの前に近所の河川敷にジョギングをしに出かけたいと思う。今日もまた充実した一日になるだろう。フローニンゲン:2019/6/19(水)04:22
No.2087: On a Graceful and Profound Morning
This morning is also graceful and profound. Groningen, 07:45, Wednesday, 6/19/2019
4580. 人間本質及び現代社会に関する理解を深めるための投資・金融
早朝の小鳥たちの鳴き声にぼんやりと耳を傾けていた。気がつけば起床してからもう一時間半が経ち、時刻は午前4時半を迎えた。
そういえば今朝は、印象に残る夢を見なかった。かすかに感覚として残っているのは、黄色い喜びの感情が自分の内側に流れていたことである。
また、自分の筋肉が活性化されるようなポーズを夢の中の自分が取っていたことをわずかばかり覚えている。そのようなぼんやりとした夢を見ながらも、起床時の心身の状態はすこぶる良く、今の私にとっては3時前後に起床することが最も望ましいようだ。
今日もまた日記の執筆と作曲実践を中心とした一日が形成されていく。それに並行して、昨日届いた二冊の書籍のうちの一冊を今日は読み進めていきたい。
昨日ドイツから届けられたこれら二冊の書籍は、どちらも共にプライベートバンクに関するものである。一冊目の“How to Choose a Private Bank (2014)”という書籍は、プライベートバンクの探し方や付き合い方を含めた非常に実践的な書籍であり、こちらは一般書に分類され、読み進めやすい。
一方でもう一冊の“Private Banking in Europe: Rise, Retreat, and Resurgence (2015)”は、さすがオックスフォード大学出版から出版されているだけあって、非常に学術的である。こちらの書籍は完全に自分の学術的な興味に喚起されて購入したものだ。
せっかく欧州の地で生活をしているため、地の利を活かして、欧州のプライベートバンクを今後利用してみることを選択肢に入れていたこともあり、そもそも欧州のプライベートバンクは歴史的にどのような変遷を辿っているのかを知りたくなったのである。そうした思いにまさに合致したのが本書だと言える。
欧州のプライベートバンク及びプライベートバンキングサービスがどのように誕生し、衰退し、そしてそこからいかに再起して今に至るのかを解説している本書は非常に読み応えがあるため、これから何日かかけてまずは一読してみようと思う。
プライベートバンクを利用するという実践的な知を得るのであれば、最初の書籍は優れている。だが、プライベートバンクの活用も作曲実践と同じて、使ってみなければ実際のところはよくわからないものである。机に向かってプライベートバンクに関するお勉強だけをしていては、その本質は決して見えてこない。
日本で学部教育を受けていた頃には、確かに金融や会計、そして経済について勉強をしていたが、銀行業に関するクラスを履修したことはなかったように思う。また、銀行で働いたこともないので、商業銀行や投資銀行、さらにはプライベートバンクについては、その内実についてはよくわかっていない。
少なくともプライベートバンクに関しては、それを実際に利用することを通じて、人間が産み出したこの特殊な金融システムについて少しずつ理解を深めていこうと思う。
上記の二冊に加えて、到着を待っているのは、“How to Invest in Hedge Funds: An Investment Professional’s Guide (2006)”と“Capital Without Borders: Wealth Managers and the One Percent (2016)”である。
前者はどちらかというと、冒頭で紹介したプライベートバンクの利用に関する実践的な書籍と同じようなテイストだと思われる。一方で後者の書籍は、これまた冒頭で言及した二冊目の書籍と同じように、学術的な観点からウェルスマネジメント」の闇を解説している。
ここからしばらくは、投資や金融という観点から現代社会を見つめていくことになりそうだ。繰り返しになるが、作曲実践で自分が心がけているように、とにかく実際に投資を行い、ヘッジファンドやプライベートバンクと実際に関わることによって、投資と金融の世界に関する理解を少しずつ深めていき、同時に現代社会の金融システムとそれを取り巻く思想、ひいては投資と金融を生み出した人間本質についての理解を深めていきたいと思う。フローニンゲン:2019/6/19(水)04:49
No.2088: Shared Joy
We have an infinite number of things that we should share with each other. One of them is joy. Groningen, 08:57, Wednesday, 6/19/2019
4581. インテグラル理論を学ぶインテグラルではない人々
時刻は午前5時半を迎え、辺りはすっかりと明るくなった。今は、小鳥の優しい鳴き声を帯びたそよ風がフローニンゲンの街を通り抜けている。
先ほどの日記の中で、投資や金融に関する話題に触れていたように思う。ちょうど先日出版された『インテグラル理論』について思いを馳せながら、先ほどの日記の主題である投資や金融に関して考えてみると、インテグラル理論や成人発達理論を学ぶ人は、とりわけ投資や金融に関して疎いことが非常に多いように思える。これは日本に限った話ではなく、米国にいた時に自分が感じていたことでもある。
端的には、インテグラル理論の学習者や実践者のほとんどは、段階特性としてもインテグラルではないことはさることながら、学習や実践に関しても何ら統合的ではないことが多いように思う。インテグラル理論にせよ、成人発達理論にせよ、とりわけ内面領域に強い関心を示す人たちの多くは、外面領域を取り扱う知識・実践領域に疎い傾向があり、とりわけ投資や金融というのは最たる例かと思う。
確かに私は投資や金融に関する学習をこれまでも行っていたし、実際に投資をするということは社会人以降今に至るまで緩やかに継続しているが、それらの領域についてはまだまだ理解が浅い。とかくこれまでの自分の専門領域がインテグラル理論や成人発達理論といった内面を主に扱うものであったことは、金融リテラシーを高めることの動機を減退させていたかもしれないと思う。
しかし、この現代社会においては、確かに私が最も大切にしている霊性教育と芸術教育は不可欠だが、それに匹敵するぐらいに重要なのは金融教育ではないかと思う。この社会には、投資や金融に関する無知な人が大きく損をし、無知な人が搾取される仕組みがはびこっているのである。
そうしたことを踏まえると、自己防衛的な意味も含めて、投資や金融について学習をし、実践をしていくことはとても大切なことのように思える。少なくとも、インテグラルであろとするのであれば、投資や金融の領域は避けることはできないだろう。
インテグラル理論を学ぶ者として重要なことは、内面主義者に陥るのでもなく、外面主義者に陥るのでもなく、それら双方の領域に関する知識と経験を豊かにしていくことだろう。それは、この現代社会を生き抜いていく意味でも、そして豊かに生きる意味でも重要なことである。
インテグラル理論を学ぶ人たちやインテグラル理論の関係者を見ていてもどかしいのは、私たちの物質的・物理的な生活を根底から支え、何よりも現代社会に巨大な影響を及ぼしている金融に関して疎いことである。疎いというよりも、もはや心のどこかでそれを毛嫌いしているかのようにすら思える。
結局のところ、そうした性向が当人の生活の基盤となる経済的安定性を脆弱なものにしてしまい、高度な精神性を涵養していくことがなかなか難しいのではないかと思うことがよくある。ホロン階層の下部構造が脆弱であればあるだけ、その上に積み上げられるものが脆弱なものになってしまうことを思い出す必要がある。
また、金融の知識の欠如が、自己の人生の多くの側面において制限をもたらしていることは多くの人が感じていることではないかと思う。発達とは、諸々の制約からの解放を意味するが、精神的な解放だけを強調するあまり、精神を司る物質的肉体を満足させ、それを解放していくための金融という見方を持っていない人が多いように思えるのは私だけではないだろう。
端的には、インテグラル理論や成人発達理論を学ぶ人たちの多くは、精神というものに過度に着目するあまり、物質的・物理的な生活基盤に安定をもたらしてくれるカネに対して疎く、それに呪縛され続けている傾向が見受けられる。
カネの呪縛から真に脱却するためには、投資や金融に関するそれ相応の知識と経験が必要であり、何よりもある一定程度の実践結果——足るを知るを踏まえた資産形成——が必要かと思う。このあたり、インテグラル理論や成人発達理論の関係者が、結局経済的な不自由を被り続けており、カネの呪縛から真に抜け出すことができていないのは、投資や金融に関する知識不足と実践不足によるところが大きいように思うのは私だけではないだろう。
それらの領域の関係者の中で、カネに不満を持っていない人、カネに関して何不自由なく暮らしている人が少なく、投資や金融に関する知識と経験の不足によって、カネによる制約を受けている人が多いというのが実情だろう。
この現代社会を生き抜くため、そして現代社会の思想や仕組みを理解する上でも重要になる投資や金融について疎いこと、そしてカネの呪縛を受け続けていることによって解放がもたらされていないことなどを踏まえると、インテグラル理論を学ぶ人の多くは決してインテグラル(統合的)ではないのだと思う。フローニンゲン:2019/6/19(水)06:05
No.2089: A Sleeping Baby Lion
I had a vision during a nap where I saw a baby lion resting in peace. This piece of music based on what I felt in seeing the vision. Groningen, 14:56, Wednesday, 6/19/2019
4582. ライオンの赤ちゃんと冷徹冷静に投資取引を完了するビジョン
時刻は午後の2時を迎えようとしている。天気予報ではもうとっくに小雨が降り始めている時間帯のはずなのだが、まだ雨は降っていない。
今日は午前中のオンラインミーティングの前に、近所の河川敷にジョギングに出かけた。その時の天気は申し分なく、朝の爽やかさと陽気さが混じったような雰囲気の中を気分良く走ることができた。
確かに今は、少し雲が出てきたが、雨雲かと言われるとそうではない。そうしたこともあり、改めて天気予報を確認すると、早朝の予報とは異なり、午後5時あたりから雨が降る予報に変わっていた。
早朝からも絶えず天気は激しく変動しており、天候を予測することがいかに難しいかを改めて痛感する。
つい今しがた午後の仮眠から目覚め、これから夕食までの時間を再び自分の活動に充てていく。自分のライフワークに専心することができている状況には本当に感謝しなければならない。
諸々の社会的な雑音がほとんど聞こえない状況の中で、自分のライフワークに打ち込めることほど有り難いことはない。今後は完全なまでに雑音を遮断し、自分の取り組みに集中できる時間をさらに確保していく。
先ほどの仮眠中には、二つの印象的なビジョンを見ていた。一つ目のビジョンの中で私は、フローニンゲンの自宅の書斎の窓際に立っていて、そこから目の前の通りを見ろ下ろしていた。
通りを見ると、自転車を押してゆっくりと歩いているオランダ人の家族の姿を見つけた。母親が一人、子供が二人、そしてどうやら二人の子供にとっての祖母のような女性が一人いた。
四人は楽しげに会話をしながら歩いており、母親はカゴ付きの自転車を押していた。私はぼんやりとしながら、彼らの姿が完全に消えるまで彼らの姿を眺めていた。
視点がふと彼らの背中から窓際に移ると、そこには小さなカゴがあり、見ると、なんとその中に一匹のライオンの赤ちゃんがいた。その赤ちゃんは穏やかな表情を浮かべながらスヤスヤと眠っており、体の上にはバスタオルのような布が被されていた。
私は自分の書斎にライオンの赤ちゃんがいることに驚いたが、その表情の穏やかさを眺めていると、とても幸せな気持ちになり、赤ちゃんの背中をゆっくりとさすった。そこで私はふと、つい今しがた観察をしていた四人の家族がこのライオンの赤ちゃんの飼い主だとわかったのである。
「そういえば、近所の道端に貼られていた張り紙に、ライオンの赤ちゃんを探しているものがあったような・・・」ということを私は思い出し、その張り紙を貼ったのがまさに先ほどの家族だと気付いたのである。そこで私は、善は急げという気持ちになり、すぐさま彼らの後を追いかけることにした。そこで一つ目のビジョンが終わった。
次のビジョンの中で私は、つかの間の間に大きな資産を形成していた。具体的には、現在投資中の銘柄の価格が急騰し、資産価値が数十億円となったところで一部を売却し、数十分の間に大きな資産を形成した。
その取引を行っている私は至って冷静であり、それはどこかサイコパス的であった。つまり、そうした大きな金額を動かしている時の私には何らの感情もなかったのである。
当初想定していた価格を遥かに上回る価格を付けた際には、一瞬驚きの感情があったが、それはつかの間の感情であり、そこから売却に至るまでの私は非情、ないしは無情の境地にあって取引を成立させた。そのようなビジョンを見ていた。
二つのビジョンはどちらもとても興味深い。特に前者に関しては、ビジョンないしは夢の中でライオンが出てきたことはこれまで一度もなかったように思う。しかも、それが穏やかな表情を浮かべて眠っている赤ちゃんであったことは何を暗示しているのだろうかと考えさせられる。
そのシンボルについて気になったので調べてみたところ、夢の中に現れるライオンは巨大な力や勇気、あるいは攻撃性などを象徴するらしい。またここ最近の自分に当てはまりそうな記述としては、社会生活に制約を加えることによって、巨大な影響力を獲得するというような記述があった。
さらには、ビジョンの中で出てきたのは白いライオンであり、白いライオンは、自己の偉大な力、あるいは自分がそうした力を持っていることに対する突然の気づきの意識の芽生えでもあるという説明がなされていた。
ビジョンの中のライオンはまだ赤ちゃんであったこと、さらにはそれは眠りについていたことからも、自分の本当の力は未だ覚醒していないのかもしれない。いずれにせよ、ライオンの赤ちゃんがあのように幸せようにスヤスヤと眠りについている様子は、現実世界において絶えず平穏さと幸福さを感じて生きている自分と大いに重なるものがあった。フローニンゲン:2019/6/19(水)14:21
No.2090: A Peaceful Evening
A peaceful evening came, but it will rain soon. Groningen, 16:13, Wednesday, 6/19/2019
6月19日(水)に生まれた曲たち
Op.1279 ナンジャモンジャの踊り
Op.1280 奥ゆかしく意味深長な朝に
Op.1281 分かち合う喜び
Op.1282 安らかに眠る赤子のライオン
Op.1283 穏やかな夕方