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4548-4554:フローニンゲンからの便り 2019年6月13日(木)


タイトル一覧

4548. 早朝に思うこと

4549. 整理・精算

4550. シャバーサナと金融投資との付き合い方

4551. 今朝方の夢とその解釈・意味付け

4552. 今朝方の夢の続き:既存の見守る存在の別れと新たな見守る存在の誕生

4553. 仮眠中の二つのビジョン

4554. 音とバイオフィールド

4548. 早朝に思うこと

時刻は午前4時を迎えた。今朝は3時半に起床し、そこからゆっくりと一日の活動を始めた。

昨夜の最後の日記で書き留めていたように、幸いにも今朝方は深夜未明に起床することもなく、夜の9時半過ぎから早朝の3時半までぐっすりと眠ることができた。やはり今の私の理想は、そうした時間に就寝し、3時あたりに起床することのようである。

身体が嘘のように調子が良く、非常に良質な睡眠を取っていたことが手に取るようにわかる。一日に二回のヨガと一度のジョギング兼ウォーキングといった適度な運動が完全に習慣となり、自分の心身を健全なものにしてくれる正しい食生活が習慣になったことによって、日々の生活の質がここまで変貌を遂げるのだということに改めて驚かされる。

そして何より、人間は悪習を断ち切り、良い習慣を構築することができ、それによって自分を変えていくことができるということもまた新鮮な驚きをもたらしてくれるものだった。

目には見えないような、いや、自分で気づかないような無意識的な悪い習慣というのは、探せば他にも幾つかあるだろう。ここのところは、自分がこの人生において取り組みたいと思っている事柄だけに集中するために、自分の時間を大切にするということを掲げている。

自分の時間を奪うものは、人や事物を含めて無数に存在しており、今後はそうした存在といかに付き合うか、極限をすれば、そうした存在とどれほどまでに関係を断ち切ることができるかが大切となる。ここでも「断ち切る」ということが大事なのだ。

自らの人生における自分の役割が何かがひとたび明確になり、その役割を全うするための障害になるようなものは、全て断ち切っていく必要があるのである。そのようなことを思いながら、今後の人生において断ち切っていくべき無数の存在について思いを馳せていた。

今日からも少しずつ、そうした存在との関係を絶っていこうと思う。徐々にそれを進めていくとき、自分のライフワークに専心するだけの日々が始まり、そこからが本当の自分の人生の始まりのような気がする。

認識を新たにし、心を入れ替え、行動を変え、習慣を変え始めたのが最近の自分の姿である。毎日小さくてもいい。絶えず認識を新たにし、心・行動・習慣を改善していこうと思う。

人間は本当に不完全であり、絶え間なく成長の余地がある。この人生を深める余地は絶えず常に膨大にあるのだ。

フローニンゲン上空の空が、ゆっくりとダークブルーに変わり始めた。闇の世界が終わりを告げ、光の世界がやってくる。

昨日の光の世界と今日の光の世界は異なるはずである。なぜなら、昨日の自分はもうここにはいないのだから。

今日の光の世界は新しく、そしてその世界との交流が、再び自己を新たなものにしてくれるはずである。今日も自らの認識を新たにし、心を変え、行動を変え、習慣を変えていくような一日としたい。

この道の先に何があるのか全くわからないが、この道を自分の足で自分なりに歩くまでである。フローニンゲン:2019/6/13(木)04:23

No.2061: A Rich Moment in the Afternoon

I’m enjoying a rich moment in the afternoon. I’ll go jogging from now to refresh my body and mind. After I come back home, I’ll compose music again. Groningen, 14:19, Thursday, 6/13/2019

4549. 整理・精算

起床してすぐにオイルプリングを始め、その間にヨガの実践を行うことが習慣になってからしばらくの時間が経つ。

起きてすぐに、真っ先に口内環境を整え、心身を整えていくこと。自分の一日はそのようにして始まる。

昨夜は少しばかり早く、夜の9時半過ぎには寝室のベッドの上にいた。ここ最近気をつけていることは、夕食後以降に知的作業に従事しないということである。

例えば、日記の執筆、作曲実践、読書といったことを、夕食後にはできるだけ行わないようにしている。それらは全て、早朝から夕食前までに集中して取り組むことが自分にとっては大切である。

夕食後は、胃腸が夕食を消化し始めるため、どうしてもそこにエネルギーが充てられる。これは、夕食を食べている限りにおいて避けられないことである。

もちろん、私が毎日摂取している夕食は実に慎ましく、消化に良いものであるため、消化の負担はほとんどない。だがそれでも、やはり何かしらの固形物を摂取するのであるから、胃腸が消化に向けて運動を始めるのは確かである。その運動を妨げないようにし、胃腸ができるだけそうした運動に集中できるように自らの行動を合わせていくことが肝要となる。

上述において、夕食後には日記の執筆、作曲実践、読書といったことをできるだけ行わないようにしていると述べたが、厳密には、その日一日を振り返るための日記を執筆したり、その日を締め括るための短い曲を作ったりはしている。

また夕食後には、新たに書物を読み進めていくというようなことは極力していないが、その日に読んだ書物の中に記載されている自分にとって重要箇所を復習するような読書であれば、夕食後にも行っている。

言葉による振り返り、音による振り返り、そして書物の復習というのは、今後も夕食後の確固たる習慣としたい。幸いにも、日中の活動に従事するための集中力を奪い、そして自分の時間を奪うメールというものとの付き合い方も大きく変わり、今は夕食後の振り返りを行った後にメールを確認することが習慣になっている。

ここ何日もメールについては考えており、以前考えていたように、来年か数年以内には、もはやごくごく少数の人との連絡を取るためだけにメールを時折使うような生活を実現させたいと思う。一週間に一度メールを確認するような生活が実現されれば今のところ良いように思うが、それを実現させるためには、諸々の事柄を整理し、精算していく必要がある。

今後は、そうした整理・精算を着実に進めていく。自分を含め、多くの人が自らの人生を真に生きることができず、自分のライフワークたるものに専心できないのは、そうした整理・精算を怠っているからだろう。

何を絶っていくのか少しずつ明確にしていき、その整理・精算を着実に進めていく。今日もまたその実現に向けた大切な一日となる。フローニンゲン:2019/6/13(木)04:39

No.2062: Resonance with Biofield

Any music that I compose resonates with a particular location in my biofield. Groningen, 16:31, Thursday, 6/13/2019

4550. シャバーサナと金融投資との付き合い方

ゆっくりとダークブルーの空がライトブルーの空に変わり、小鳥の清澄な鳴き声が響き渡るフローニンゲンの朝。時刻は午前4時半を過ぎ、もうしばらくしたら5時を迎える。

まだ朝日は昇っておらず、赤レンガの家々の屋根に朝日が反射し始めるのはもう少し後だ。今日の最高気温は19度と、20度に満たないため、今日は一日を通して肌寒い日となるだろう。

そうだとしても、夕方には近所の河川敷にジョギングに出かけて行き、帰りにその足で近所のスーパーに立ち寄る。今日はバナナとアボカドを購入しようと思う。

数日前の日記で書き留めたように、ここ数日間は、シャバーサナのポーズの実践を意識的に行うようにしている。午後の仮眠中、そして夜の就寝前に行うこのポーズを、深い呼吸と脱力と共にとても意識的に行っている。

今朝の起床直後にも感じたが、このポーズが死の準備を私たちにもたらしてくれるというのは本当のようだ。それは感覚的な気づきだが、死というのは究極の脱力状態、ないしは究極的なくつろぎに他ならないのではないかと思えてくる。

そのようなことを考えながら、起床直後にヨガマットの上でヨガを行っており、死というものが本当に身近な存在になってきたことを嬉しく思う。一方で、そうした性質を持つ死を恐れる自己の側面というのがまだ数多く存在しており、それらの多くは社会的に構築されたものでもあるため、そうした自己の側面を解体していくのが今後求められることだろう。

起床してしばらくしてから、今の私は投資に関する学習と実践を日々少しずつ行っているが、それは自ら投資のスキームを構築したり、テクニカル分析をしながら実際にチャートを見て投資をするためではないということを考えていた。

確かに、この現代社会で資産を守りながら運用していくという大きな観点に立てば、そこには自分なりのスキームと呼ぶべきものを構築していく必要があるが、ある投資対象を取り巻く個別具体的なスキームを自ら構築しようなどとは考えていない。それは金融のプロが行うことであって、自分がやることではない。

とりわけ金融投資に対する自分の接し方は、自らのライフワークに専心するために、金融のプロに運用を任せるということである。ただし、金融の世界におけるプロは玉石混交であり、仮に運用を任せるといえど、各種金融商品や投資手法に対する知識をこちら側が持っていなければ、プロへの単なる依存となってしまい、投資を通じてこの世界を知るという学習の機会も逸してしまうことになる。

金融投資のプロの質を見極め、本当に信頼できる人間に運用を任せるためにも、投資の学習は不可欠であり、彼らに運用を任せながらも投資によって世界をより深く知っていくためには、投資の世界の仕組みをよく理解しておくことが必須になる。

現在着目しているのは、投資ファンドやプライベートバンクを活用した資産運用であり、先日注文した4冊の書籍が届くことを首を長くして待っている。現在の自分の資産状況からすると、まずは投資ファンドでの資産運用が先であり、その次にプライベートバンクを活用した資産運用になるだろうか。

今後の生活拠点を欧州に定めたのであるから、今後は欧州の投資ファンドやプライベートバンクについて調べていき、日本の投資ファンドやプライベートバンク(正確な知識はないが、おそらく日本発祥のプライベートバンクは存在せず、日本で利用する予定なのはプライベートバンキングサービスと述べた方がいいかもしれない)との比較も行っていきたい。フローニンゲン:2019/6/13(木)05:05

No.2063: A Bright Morning

This morning is also bright. I’ll devote myself to my lifework today, too. Groningen, 05:20, Friday, 6/14/2019

4551. 今朝方の夢とその解釈・意味付け

時刻はゆっくりと午前6時に近づいている。まだ今朝方の夢について振り返っていなかったので、それを振り返り、その後に味噌汁を一杯飲んでから、毎朝の楽しみの一つでもある作曲実践を行いたい。

今朝方の夢の中で私は、暗く巨大な地下トンネルの中にいた。そこにいた目的は定かではなく、私はそこで、中学校時代にお世話になっていた音楽の先生と遭遇した。厳密には、この地下トンネルには一本の長く大きなパイプが通っており、私がそのパイプを眺めていた時に、「あら、加藤君じゃない。こんなところで何してるの?」と先生に声をかけられたのである。

上述の通り、私がなぜそのトンネルにいたのか、またパイプの前で自分は何をしているのかも、夢の中の私にはわからなかった。ただし、そのパイプを使ってトンネルの向こう側に行く必要があるということだけはわかっていた。

そこで私は先生に、「このパイプの中に入って、トンネルの向こう側に行ってきます」と述べた。すると先生は、「そんなことは無謀よ」と心配げな表情と呆れた表情を交えて述べた。

しかし私は、トンネルの向こう側に行くということを断固決意しており、先生の心配をよそに、ちょうど目の前のパイプの切れ目からその中に入っていった。すると、そのパイプの中は強風が送られてくるような仕組みになっており、ひとたびパイプの中に入ると、もはや引き返すことはできず、その強風に乗って、一気にトンネルの向こう側に体が流されていった。そこで夢の場面が変わった。

まずこの夢に関して少しばかり意味付けをしてみると、夢の中の私が、暗く巨大なトンネルの向こう側に行こうとしていることは、現実世界でも同様の試みをしているのではないかと考えさせられる。日々の取り組みを、暗く巨大なトンネルの中で行っているとは思っていないが、絶えず自分を超えたものに包まれる形で毎日の取り組みを進めていき、既存の自己及び既存の世界の向こう側に行こうとしている自分がいるのは確かだろう。

また、自己と世界を乗り越えていくことに関して、ひとたび何かしらの方策や行動を決めたのであれば、それについて誰から何と言われようと実行していくという現実世界の自分の姿も、夢の中のそれと重なる。

一つ気になるのは、パイプの中を通っていた強風である。それは烈風と述べてもいいような激しい風であった。

現実世界の私は、烈風に乗っているのだろうか、それともそれに乗ろうとしているのだろうか。いずれにせよ、現実世界の自分にとって烈風とは何であろうかということを考えてみる必要がありそうだ。

次の夢の中で私は、小中高時代の親友(SI)とレストランで一緒に食事をしていた。そこは高級レストランではなく、大衆レストランであったが、くつろげるカフェのような雰囲気を放っていた。

そこで私たちは食について話をしていた。親友は、体に良い食べ物が何かについては無知であり、彼との会話を通して、私は彼により健康的な食生活を送ってもらうことを望んでいた。

だが、食に対する正しい知識をその場で全て説明することなど到底できるわけではなく、逆にそれをすることが、その場の雰囲気を壊してしまうことにもつながりかねないと思っていたため、私はゆっくりと、今の彼にとって重要なことだけを伝えるようにしていった。

それでも彼は、自らの食生活の杜撰さばかりを指摘されたと思ったのか、あまり良い顔をしておらず、私が伝えようとしていることが真に伝わっていないようだった。幾分気まずい雰囲気が漂い始め、そこから私たちはお互いの食事に集中することになり、少しの間沈黙の時間があった。そこで夢の場面が変わった。

この夢に関しても意味付けを行ってみると、確かに人は、自らの食生活をたやすく変えることなどできないのだと思われる。いくら現在の食生活が心身に危機的な影響を与えると伝えたところで、そうした実感が一切ないのであれば、こちらの話は一切相手に伝わらない。

だが残念なことに、水面下では、杜撰な食生活は絶えず静かにその人の心身を蝕んでいく。親友にすら食生活の見直しの重要性を伝えられなかったのであるから、多くの現代人にそれを伝えることは絶望的なまでに困難なことなのかもしれない。フローニンゲン:2019/6/13(木)06:09

No.2064: A Little Bit Chilly Morning

This morning is a little bit chilly. Groningen, 06:05, Friday, 6/14/2019

4552. 今朝方の夢の続き:既存の見守る存在の別れと新たな見守る存在の誕生

時刻は午前6時半に迫ってきており、この時間帯になると、フローニンゲンの街はもうすっかりと明るい。輝かしい朝日が赤レンガの家々の屋根に反射しており、この世界を黄金色に輝かせている。

今日も心地良いそよ風が吹いており、小鳥たちの鳴き声が、そうしたそよ風の背中にそっと乗ってこの世界のどこかに運ばれていく。

先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、今朝方はもう少し夢を見ていた。夢の中で私は、あるセミナールームの中にいて、これから始まるセミナーで用いる配布資料の準備をしていた。

より具体的には、完成した資料を机に配っていくということを行っていたのである。それを行っていたのは一人ではなく、小中学校時代の何人かの友人と一緒になってそれを行っていた。

今日のセミナーを行う講師が誰なのかは不明であったが、とにかく私たちは準備に奔走していた。セミナー受講者の数が思っていた以上に多かったため、机の上に配布資料を配っていくことは意外と大変であり、みんな一様にバタバタしていた。

そんな中、面倒見が良く、優しい性格の一人の友人(AF)が、机に資料を並べる際に見事な気配りを見せていることに気づいた。資料の何をどこにどのように並べるのかに彼はこだわっていて、彼が何をどこにどのように置くのかを見ていると、彼の意図が伝わってきた。

そして、彼の意図をさらに紐解いていくと、こちらとしても大変勉強になることが多々あった。彼の意図に対して関心をしていると、そこから突然夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、私は欧州のどこかの地域の閑散とした村にいた。その村にはコンクリートの道路がなく、道は全て砂利でできていた。

砂利道をしばらく歩いていると、頭上から何か聞きなれない機械音が聞こえてきた。見上げると、そこには一台のドローンが不気味に空間に漂っていた。私はそれを発見したとき、自分が頭上から監視されているような感覚に陥った。

とはいえ、しばらくそれを気にせずに歩いていると、確かにドローンが絶えず自分の頭の上にあるのだが、まったくそれが気にならなくなってきたのである。するとドローンが頭上から地上に降りてきて、砂利道の上で止まった。

すると驚いたことに、ドローンが姿を変え、一羽のカモに変化した。私は最初それにびっくりしたが、意外とそのカモは愛らしい表情をしていたので、カモをしばらく観察してみることにした。

するとカモは、思い思いに動き始め、私はその後をついていくことにした。カモは悠々自適に砂利道を歩いていき、ある時、砂利道の横にあった一軒の木造家屋の中に入っていった。

私もその家屋の中に入っていくと、そこには大量のカモがいて、自分が後を追いかけていたカモと似た様なカモがたくさんいたために、先ほどのカモを見失ってしまった。そればかりか、何羽かのカモが私を威嚇し始め、少々恐怖感を感じ始めたのである。

私はその場に居ても立っても居られなくなり、一旦家屋の外に出ることにした。すると、そこでもまだ数羽のカモが私を追いかけてきて、そのカモは口から緑色の霧のようなものを私に向かって吐きかけてきた。

どうやらそれは毒のようであり、私の左手に少々かかった。威嚇してきたカモたちはそれに満足したのか、再び小屋の方に去っていった。彼らの後ろ姿を見ながら、左手にかかった毒をなんとか洗い流さなければならないと考えた私は、その小屋の近くにあった別の小屋に駆けつけ、そこの水道で毒を洗い流すことにした。そこで夢から覚めた。

最後の夢もまた興味深いものであり、自分の上空に現れたドローンについて考えている。最初それは薄気味悪い存在に思えたが、あれはもしかしたら、自分を見守っている存在なのかもしれないと思われた。

そしてそれが地上に降りてきたという出来事は、見守る者と見守られる者との出会いを意味していたのかもしれないと思う。だが残念ながら、夢の中の私は、カモに変化した自分を見守る者を途中で見失ってしまった。

その意味についても考える必要があるが、そもそも夢の中の私は、これまで自分を見守ってきた者を今度は見守る側になっていたことにも注目する必要があるだろう。この関係の逆転は大変興味深い。

いやもしかすると、自己が深まるについれて、見守る存在の種類も質も変化していくのかもしれず、これまで私を見守ってくれていた存在はその役割を終え、今度は新たな見守る存在が自分を見守ってくれているのではないかと思われたのである。

あのカモとの別れは、新しい見守る存在が誕生したことを暗示しているのかもしれない。フローニンゲン:2019/6/13(木)06:45

No.2065: The Hallucinatory Reality

I can hear the music that the hallucinatory reality creates. Groningen, 09:50, Friday, 6/14/2019

4553. 仮眠中の二つのビジョン

時刻は午後の1時を迎えた。つい今しがた仮眠から目覚め、これから午後の取り組みに従事していく。

まずは一曲ほど曲を作り、時間的余裕があれば、さらにもう一曲ほど作る。そうすればちょうど夕方ぐらいの時間になり、そこから近所の河川敷にジョギングに出かける。

空には点々と雲が浮かんでいるが、決して悪い天気ではなく、ジョギングには何の問題もない。ショギングからの帰り道に近所のスーパーに立ち寄り、そこでクロレラパウダー、パンプキンパウダー、バナナ、アボカドを購入したい。

今朝は午前3時半に起床し、先ほどの仮眠までの時間を有意義に過ごしていた。日記の執筆、作曲実践、読書、そして投資ファンドについて少し調べ物をしていた。

その調べ物が影響してか、先ほどの仮眠の最中に投資ファンドに関するビジョンを見た。ビジョンの中で私は、日本発祥の投資ファンドの代表マネージャーと話をしていた。

彼はそのファンドの設立者かつ代表者なのだが、まだ年齢が若く、私よりも少し若いようだった。とはいえ、彼は外銀で十分な経験を積み、ファンドを設立してからもすでに十分な経験を積んでいる。

そのファンド設立後も、運用実績は安定しており、大きなリスクを取ることをせず、手堅く運用している印象を私に与えた。ビジョンの中では、代表は非常に物腰が柔らかく、お互いに気楽に話をしており、私はざっくばらんに色々な質問を投げかけていた。

それらの大半は、もちろん投資手法やスキーム、ファンドの運営方法などについてであったが、その代表はどの質問にも丁寧に答えてくれた。それが好感を与えてくれ、私は彼のファンドに投資をすることにした。

そのようなビジョンを見ていた。もう少し覚えているのは、そのビジョンの中で出てきたファンドの利回りは10%ほどであり、そうした実績を毎年安定的に出しているということである。その実績を見て、どれほどの資産をそのファンドに預けるかを考えている自分がいた。

そのビジョンに加えて、もう一つビジョンを見ていた。そのビジョンの中では、私は父と少し薄暗い部屋で何かを話していた。それは深刻な話題のものではなく、それでいて明るい話題でもなかった。

しばらく話をした後に、その薄暗い部屋が私の部屋であることがわかり、それに気づいた時に、父は下の階の自分の部屋に戻っていった。どうやらお互いに同じマンションに住んでいながらも、上下階別々の部屋に住んでいるようだった。

父が部屋から去った後、私は父に伝え忘れていたことがあり、少し急いで父の部屋に向かった。父の部屋のドアが半開きになっていたので、ドアに手をかけて中に入ろうとすると、父は部屋の中を見られるのが少々嫌だったのか、「また後にしてくれ」と部屋の向こうから述べた。

私は素直に従い、再び自分の部屋に戻った。今日の仮眠中のビジョンは以上の二つである。

やはり印象に残っているのは、投資ファンドに関するものである。ちょうど仮眠前に投資ファンドについて少しばかり調べていたこともあってそうしたビジョンを見たのだろうか。投資ファンドについては、先日に投資ファンドを利用した資産運用に関する書籍を購入したため、それが届き次第読み進めていこうと思う。フローニンゲン:2019/6/13(木)13:15

4554. 音とバイオフィールド

時刻はもう間もなく午後9時を迎える。今、ゆっくりと太陽が西の空に沈もうとしている。太陽が完全に沈むのはあと一時間ほどだろうか。

つい一時間前に激しい通り雨がフローニンゲンの街を襲ったが、今はそれは止み、とても穏やかな世界が広がっている。雨がやってくる前の夕方もまた穏やかであり、午後の上質なひとときを味わっていたことを思い出す。

今朝方ふと、そういえばあと10日ほどしたらモスクワに旅行することになっていたことを思い出した。監訳書『インテグラル理論』の出版を明後日に控え、それに合わせて出版記念オンラインゼミナールを開講することにしており、その準備、さらにはその他の協働プロジェクトなどを同時に進めていたため、ロシア旅行のことをすっかり忘れていた。

幸いにも監訳書の出版に関してはもう慌ただしくすることもなく、オンラインゼミナールに関してもメールマガジン上での告知を終え、その準備も着実に進んでいる。あとはその他の協働プロジェクトを着実に進めていこうと思う。

今日は午後に、イギリスの書店に注文していた"Tuning the Human Biofield: Healing with Vibrational Sound Therapy (2014)”が届いた。毎日作曲をしながら、自分が生み出すいかなる曲も自分のバイオフィールドのいずれかの特定の場所と共振しているということに気づき、音とバイオフィールドの関係、さらには音と心身の治癒に関して以前から関心を持っていた。

その関心から探究を始め、さらに色々と知りたくなったので上記の書籍を注文していた。夕方より早速この書籍を読み進め、すでにいくつか今後の作曲上で活用したいと思わせる非常に有益な観点や知識が掲載されていた。

本書は自分の関心と強く合致しているためか、全9章のうち、すでに4章を読み進めている自分がいた。この調子でいけば、明日の午前中に初読を終えることができるだろう。

本書の内容を血肉化し、実際の作曲に活用するためには、知識を確固たるものにしておく必要があり、本書は再読、いや少なくとも三、四回は繰り返し読むことになるだおる。音が私たちのバイオフィールドに与える影響については、本書以外にも、本書の中で言及されている“Healing Codes for the Biological Apocalypse (1999)”という書籍は古典的な名著とのことである。

残念ながらすでに本書は絶版のようであり、ドイツのアマゾンでもイギリスのアマゾンでも、価格が高騰している。確かに書籍から得られる情報は多大だが、映像によって得られる視覚的な情報や音声によって得られる聴覚的な情報もまた学習に有益であると思われたので、同著者の“Healing Codes For The Biological Apocalypse (2006)”という2枚組のDVDを購入することにした。

こちらもイギリスの書店に注文し、届くのはモスクワ旅行の直前かその後になりそうだ。今後は上記の書籍とこのDVDをもとに、音とバイオフィールドの関係を探究していき、得られた知識を積極的に作曲実践に活用し、自分のバイオフィールドの様々な箇所に働きかけるような曲を意図的に作っていく。それを通じて、治癒や変容を自己支援するようなことができたら非常に面白いと思う。フローニンゲン:2019/6/13(木)21:13

6月13日(木)に生まれた曲たち

Op.1252 厳かな朝に

Op.1253 風の願い

Op.1254 上質な午後のひととき

Op.1255_バイオフィールドとの共振

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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