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4509-4513:フローニンゲンからの便り 2019年6月6日(木)


タイトル一覧

4509. 雷がやってきた早朝に

4510. 今朝方の夢

4511. 旅の追憶と欧米での8年目の生活に向けて

4512. ジョギング中に考えていたこと

4513. 沈みゆく太陽への賛歌:夕食後の習慣について

4509. 雷がやってきた早朝に

昨日は早朝の3時半に起床したが、今朝は2時半に起床した。3時を迎えた今、一日の活動を本格的に始めた。

昨夜の就寝の段階から、腸の調子が良く、夕食の消化をほとんど完全に終えており、就寝中に消化にエネルギーが割かれることはないだろうと予想していた。その予想通りの形で、睡眠時間そのものはそれほど長くないにもかかわらず、目覚めは良く、良質な睡眠を取れていたことを実感する。

日中は栄養豊富な植物性のドリンクを何度か飲み、夕食に必要最低限の固形物を摂取することによって、こうした状態が実現されているのだと思う。また、就寝前に消化がほとんど終わっている状態だったので、ベッドの上で横になりながら、腸のマッサージをしながら寝ることがここ最近多く、それも腸の状態の良さに影響を与えているのだろう。

今、早朝のフローニンゲンの空が雷で光った。辺りは闇の世界であるから、雷の光はひときわ目立つ。

雷の到来と共に、ぽつぽつと小雨が降り始めた。どうやら今日は早朝からしばらくの間雨が降り、午前10時あたりに止むようだ。幸いにも午後からは天気が回復するようなので、確かに今日の気温はそれほど高くないが、午後にはジョギングに出かけたいと思う。

今朝は起床直後にココナッツオイルでオイルプリングを行いながらヨガの実践をし、その後、白湯を一杯ほど飲んだ。以前にも言及していたが、これまでの私は白湯を飲む時期と常温の水を飲む時期とがあった。

昨日改めて、両者の効果に関する科学論文に目を通していたところ、やはり白湯の方が胃腸の働きを良くしてくれ、さらには早朝にそれを飲むことが体温を上げてくれることにもつながることを理解し、今朝からまた白湯を飲むようにした。白湯を飲みながら、アマニ油を適量摂取することは、今日からの習慣になるだろう。

今日はこれから早朝の作曲実践を行い、その際にはまず、バッハの4声のコラールを参考にする。この時に、昨日学習したマイナー借用の観点を活用し、基本のコードを活用するのみならず、マイナー借用の代理コードを活用することも意識していく。

メジャーキーの中にマイナーのコードを取り入れることによって、調性が揺らぎ、多様な表情を得ることによって、また新しい音楽世界を表現することができるだろう。繰り返しになるが、しばらくは最もシンプルはCメジャーキーを採用して、コード理論のテキストに書かれている概念を実際の曲の中に適用しながら、それらの習熟に努めていこうと思う。

そうした実践に合わせて、作曲に関する自分専用の教科書を執筆するかのように、学習や実践で得られたことを引き続き日記として書き留めておく。自分専用の教科書を作成するということに関しては、作曲のみならず、食、投資、その他諸々の自分の関心事項について行っていきたい。

日記を書くことに関する教科書だっていい。とにかく日々、これまでと同様に、絶えず書くということをこれからも続けていく。

輝く雷を眺めながらそのようなことを思う早朝の朝だ。フローニンゲン:2019/6/6(木)03:28

No.2036: A Paean for the Setting Sun

I’m seeing the setting sun at this moment. I want to give a paean for it. Groningen, 19:31, Thursday, 6/6/2019

4510. 今朝方の夢

時刻は早朝の3時半を迎えた。今朝は遠くの空に雷が見え、先ほどまでは小雨がポツポツと降っていたが、今はそれが止んでいる。小鳥たちの鳴き声はまだ聞こえず、辺りには風の音だけが漂っている。

一日の活動を本格的に始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。まず最初に、非常に断片的な記憶になってしまっている夢から振り返ると、夢の中で私は、小鳥に関する話を小鳥としていた。

ちょうど先日にも小鳥と話をするビジョンを見ていたように思う。それと似たような夢を今朝方見ていた。

ただし今回は、小鳥と一緒に小鳥について話をするという幾分変わった夢であった。お互いの言葉のやり取りは確か日本語だったように思う。

外国語を話している感覚はなく、日本語を活用している際に立ち上がる自我と身体感覚が夢の中の自分に充満していたように思うため、英語やオランダ語を用いていたわけではなさそうだ。それが一つ目の夢である。

次の夢の中では、私は大学時代の友人(KF)と話をしていた。話をしていた場所は、実際に通っていた大学のキャンパスの中であり、ある講義棟の一階の廊下だった。

その日は晴れており、午後の太陽の日差しが講義棟内に降り注いでいた。私はその友人と、ズボンを洗濯する頻度について話をしていた。どういうわけか、私の手元には、洗濯したばかりのスラックスが一着あり、それを叩きながら、これからどこかに干すことを考えている自分がいた。

友人にズボンを洗濯する頻度を尋ねてみると、なんと全く洗っていないとのことであった。彼は笑いながらそのように答えた。

私は、彼は清潔感のある人物であり、もう少しこまめにズボンを洗っているかと思っていたので、彼の回答は意外であった。するともう一人、別の友人(TY)がやってきて、彼にもズボンを洗う頻度について尋ねてみようと思った。そこで夢の場面が変わった。

今朝はその他にも夢を見ていたと思うし、上記の二つの夢にはもう少し他の場面があったと思うのだが、書き出した以上のことは覚えていない。総じて、今朝方の夢は穏やかであったと言えるだろう。

何か特別な感情を喚起するわけでもなく、自己の攻撃性が発露するわけでもなく、仮に夢が常に何かしらのシャドーの表れであったとしても、非常に落ち着いた夢であったと言える。こうした一見すると中立的に見えるような夢からどのように意味を解釈していくのかについては、今後の探求課題としたい。

夢の振り返りを終えたところで、これから早朝の作曲実践に移っていく。落ち着いた気持ちで、ゆっくりと曲を作っていきたい。

曲を作っていて思うのは、一つの曲はその曲を生み出した自己の有り様を忠実に語るということである。つまり、一つの曲は、自分がどのような精神状態・身体状態で曲を作っていたのかが一目でわかるようなものなのだ。

そうしたこともあり、できるだけ自己と深く繋がりながら、落ち着いた気持ちで毎回の曲作りを行っていきたい。作曲実践がひと段落したら、午前中に行われるオンラインミーティングに向けた準備を行う。

協働者の方と新しいプログラムを今月から提供することになっており、その打ち合わせを行う。その前に、課題図書として取り上げた書籍をもう一度ざっと読み返し、実際のプログラムの中でどのように活用するのかのアイデアを練っておきたいと思う。フローニンゲン:2019/6/6(木)03:59

4511. 旅の追憶と欧米での8年目の生活に向けて

時刻は午前9時半を迎えた。午前4時あたりには雷が発生し、そこから少々小雨が降っていたが、今は小雨が止んでいる。それに伴い、小鳥たちも再び顔をのぞかせ、今、いつもと変わらぬ優しい鳴き声を上げている。

先ほどまで降っていた小雨をぼんやりと眺めている時、ふと先日のリスボン旅行を思い出した。リスボンの陽気な雰囲気がどこからともなく思い出されたのである。そして、その記憶から喚起された感覚を曲として形にしておいた。

自己から生み出される曲は、この人生のある瞬間においてたった一度しか発生し得ない自分の固有の感覚が形になったものなのだと改めて分かる。それは、この千変万化する世界との刹那的な出会いであり、その出会いが一つの形となったものなのだ。

ここ最近は、そうした刹那的な出会いの中にある儚さの感情を超越して、刹那の連続である今というこの瞬間に大いにくつろぐながら日々を生きているように思う。曲を構成する音というものは、絵画などとは異なり、耳に入れたそばから消えていくようなものである。

だが、音の総体、つまり一つの曲は、確かにそれもまた音の性質上、本来具体的な形を持たないものではあるのだが、それは私たちの内側に目には見えない抽象的な形として届けられ、そして何らかの作用をする。そのようなことをぼんやりと考えていた。

リスボン旅行について思い返していると、そこから今度は、今月末のモスクワ旅行について思いを馳せていた。モスクワ旅行から戻ってきた翌月から、いよいよ欧米での8年目の生活を迎える。

年数を数えることにあまり意味を見出していないが、数えていないと忘れてしまうほどになった。確認として、米国で4年間生活をし、今年の8月からは欧州での4年目の生活を迎える。

最初私は、オランダで1年間ほど生活をしたら米国に戻ろうと考えていた。しかし、ひとたびオランダでの生活を始めてみると、この国や欧州の持つ諸々の力——もちろん魅力も含まれる——に捕まえられてしまい、あれよあれよと言うままに3年の時が過ぎ、これから4年目の生活が始まる。

オランダでの最初の2年間は、フローニンゲン大学に所属していたこともあり、大学のスケジュールに組み込まれる形で時間が過ぎていった。それでもオランダ固有のゆとりのある生活を送っていたことは間違いないが、フローニンゲン大学に所属することから離れた3年目の生活においては、そのゆとりは格段に増した。

そして、4年目の生活においては、そのゆとりはより一層深いものになっていくことが予想される。何より、それを望んでいる自分がいる。

それは単に暇な時間が多くあるという意味では決してなく、自分のライフワークに専心する時間が十二分にあるという意味である。

オランダで迎える4年目の生活、そしてそれ以降の生活においては、様々な観点でのゆとりが増し、ライフワークのみに打ち込む日々が実現されるだろう。そのようなことを曇り空の下で思う。フローニンゲン:2019/6/6(木)09:52

4512. ジョギング中に考えていたこと

時刻は午後の5時を迎えようとしている。午後までフローニンゲン上空は雲で覆われていたのだが、先ほどジョギングをしている最中あたりから晴れ間が見え始め、今はすっかり青空が広がっている。

今日も落ち着いた環境の中で、自分の取り組みに従事することができていたと思う。日記の執筆、作曲実践、読書、そして協働プロジェクトに関する仕事など、それらに十分に打ち込むことができていた。

協働プロジェクトに関する仕事としては、本日作成したパワーポイント資料を一度寝かせ、日曜日にもう一度確認し、追加修正を施した上で協働者の方に資料を送るようにしたい。それと合わせて、今週末には、2年振りに開講するオンラインゼミナールの案内資料を完成させたいと思う。

すでに先週末に大枠の資料を作成することができたので、今週末は微修正を施しながら最終確認を行っていく。今回は、文字だけで案内をするのではなく、10分から15分程度のプログラム案内用の音声ファイルを作成したいと思う。

私はあまり文字で親切な案内文を書くのが得意ではないと思われるため、今回始めての試みとなるが、短い音声ファイルを作成しようと思う。その音声は、作成した資料をもとにしていながらも、文字になっていない情報を伝えるようなものにしたいと思う。

先ほどジョギングをしている最中に、改めて今後は「労働」と括られる活動を極限まで減らしていこうと考えていた。理想は完全にゼロにすることである。

それを実現させるためには、これまで書き留めているように、ストック収入を安定的に得る仕組み作り、ないしは収益性の資産を着実に育んでいくことが必要になる。ここ数年間もおぼろげながらそれを意識していたが、ここ一、二年はそうした資産運用について考える時間的・精神的なゆとりというものがなく、またそもそもそうした事柄が優先課題となることはなかった。

しかし今改めて、今後いかように人生を送っていくのかを落ち着いて考えるゆとりを得たときに、資産運用について真剣に考えることの大切さを思う。生活する国、そして住環境などの側面においては、もはやライフワークに集中できる場所のめどが立っている。あとは一生涯にわたってライフワークのみに専心するための資金的なゆとりを得るために各種手を打っていくことが求められる。

この数週間の間においても、投資方針を見直し、投資先の入れ替えを行ったり、新たな投資を行ったりしている。資金的な余力を見て、ここからの一、二ヶ月の間にまた追加の投資を行うことになるかもしれない。

投資方針は確かに定期的に見直され、改善がなされていくものであるが、ある方針において投資されたものに関しては、その方針に最後まで従った投資を進めていくことが肝要だろう。そのようなことを考えながらジョギングをして、スーパーから帰ってきた。

しばらくしたら夕食の時間となり、夕食後には、夕方までに読み返していたコード理論に関する書籍の該当箇所をまた復習する。そして、今月末から始まる協働プロジェクトに関する文献を読んでいくことを行いたい。フローニンゲン:2019/6/6(木)17:08

4513. 沈みゆく太陽への賛歌:夕食後の習慣について

今、小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、沈みゆく太陽を眺めている。沈みゆく太陽に賛歌を捧げたい気持ちで一杯である。

この束の間の人生において、こうした刹那的な美しい光景に出会えるということ。それだけでもこの人生は生きるに足りうる価値を持っているのではないかと思う。

こうした美しさに包まれ、それに感謝をしながら毎日を生きること。私はそれ以上のことを望まない。ただそうした生活がありさえすれば満足である。逆に、そうした生活が営めないのであれば、私は大いに不満に思うかもしれない。

今日も投資について書き留めていたように思うが、それはそのような生活を行うためにあるのであって、資産を形成することが目的なのではないということを再度自らに確認しておく。

ここ最近は天気予報があまりあてにならないのだが、明日は夕方から夜にかけて雨が降るらしい。もう一度明日の朝に天気予報を確認する必要があるが、本当に明日の夕方から雨が降るのであれば、明日は昼前にジョギングに出かけようと思う。

ちょうど明日は、オランダに住む友人との交換セッションの日だ。午後からのセッションの前に身体を動かし、状態を整えてからセッションに臨もうと思う。

時刻は午後の8時を迎えつつある。すでに一時間前に夕食を摂り終え、就寝の10時まで三時間ほどの消化時間があり、それは腹六分で食べた食事を消化するには十分な時間であろう。しかも口にするものは消化に良く、毎晩全く同じものであるから、胃腸も驚くことなく消化活動に勤しむことができるだろう。

このように毎日同じものを夜に口にすることによって、胃腸もそれに慣れ、速やかに消化をしてくれているように思う。そうしたことがあって、ここ最近は毎朝3時から4時に起床することができているのだと思う。

今朝は2時半に起床して今に至る。午後に仮眠を取ったが、何か眠気に襲われてそれを取ったわけではなく、日中もまた最善の心身の状態で過ごせていたように思う。

食生活を抜本的に見直してから、本当に人生が一変したかのようだ。

昨日も振り返っていたのだが、学生時代や幼少時代の食生活は一体何だったのか、あれほどまでに人生の時間を浪費するような心身を作り出してしまった食生活は一体何だったのかと猛省を強いられる気分である。

幼少時代に関しては、食に関して自分で正しい知識を持つことは困難であり、悪しき食生活を送っていた非は両親にあるというよりも、日本に蔓延する歪んだ食文化にあったと述べた方がいいだろう。両親も私もまた一被害者だったのだ。

そのようなことを昨日考えながら、過去を悔いるのではなく、今現在の自分の食生活を見直し続けていけばいいのだと改めて思い直した次第である。

もう間も無く時刻は午後の8時を迎えようとしているが、今日はまだメールを開いていない。それはとても良いことである。

昨夜の日記で書き留めたように、メールを開くのは夕食後に振り返りの日記を執筆し終えてからである。メールのような無駄なツールに人生の貴重な時間を充てないこと。それを今後も徹底していく。

夕食後には、日記の執筆をするという一択ではなく、日記の執筆か日記的な作曲実践のどちらかの選択肢を持たせようと思う。あるいはその両方を行ってもいい。今日はまさにその両方を行って今に至る。

つい先ほど、テレマンに範を求めて短い詩のような曲を作った。文章を書きたいと思う時と、曲を書きたいと思う時の二つの場合があり、そのどちらも行いたいと思う時があるため、それらの選択肢を夕食後にもたせておく。

どれを選択するかはその日によりけりだが、その選択肢を選んだ後に、ようやくメールを開いて返信するようにする。細かな話だが、今のところは毎日そのようにメールと付き合い、現在進めている計画が着実に実現されていけば、メールを開くのは週に一度ぐらいになるだろう。

それでも多いぐらいかもしれないが、この現代社会で一応の社会生活を営んでいくには週に一度ぐらいメールを開くのも悪くはないだろうし、必要なことなのかもしれない。フローニンゲン:2019/6/6(木)20:02

6月6日(木)に生まれた曲たち

Op.1225 雨上がりの早朝

Op.1226 朝の哀愁

Op.1227 リスボン追憶

Op.1228 その日にしか咲かない花

Op.1229 沈みゆく太陽への賛歌

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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