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4502-4508:フローニンゲンからの便り 2019年6月5日(水)


タイトル一覧

4502. 一日の始まりに

4503. 今朝方の二つの夢

4504. 幸福感をもたらしてくれるカカオ

4505. 仮眠中のビジョン:今後の働き方について

4506. 金融投資に関する再学習

4507. 自らの人生を生きるための生活習慣の見直し

4508. 自分専用の教科書の執筆に向けて

4502. 一日の始まりに

新たな一日が静かに始まりを迎えた。今日は週の半ばの水曜日となる。

今、時刻は午前4時を迎え、小鳥の鳴き声が辺りにこだまし始めている。ここ最近は3時から4時の間に起床することが多く、時に2時半に起床している。そうしたことから、いつの時間帯に小鳥たちが鳴き声を上げ始めるのかを大体把握しており、今朝のように、概ね4時頃の時間帯から彼らは鳴き声を上げる。

この時間帯は闇に包まれているから、小鳥たちの姿は見えないのだが、姿が見えない分、音としての鳴き声だけがむしろ強調されて自分の耳に届けられてくるかのようだ。

昨夜の日記で言及したように、今日は時間を見つけて、辻邦生先生がパリで小説の執筆に関する動機と方法を探求した過程が綴られた日記『パリの手記』の第3巻を読み進めていきたい。今はこの書籍が自分を支え、そして励ます書籍となっている。和書を読むとするならば、こうした書籍しかもはや読むことはないだろう。

この書籍に合わせて、今後はまた、辻先生が小説の執筆方法に関して体系立てて書いた専門書『小説への序章』も繰り返し読みたいと思う。これは小説の執筆方法に関して書かれたものだが、そこで書かれていることは作曲方法の確立に関しても非常に参考になる。

上記の日記の中には、小説に関する思想的なことや技術的なことが随所に散りばめられており、それは作曲に関する思想と技術を育んでいこうとする私にとって、大いに参考になる。

今日もまた、日記の執筆、作曲実践、読書を思う存分に行う一日になるだろう。そうした実践活動の中、今日は午後に、街の中心部のオーガニックスーパーにジョギングがてら買い物に出かけたい。ちょうどカカオパウダーと豆腐が切れかかっているので、それらを購入しに行く。

昨夜は雨が少々降ったようであり、今日もまた深夜に雨が降るらしい。幸いにも日中は雨が降らず、天気は曇りとのことなので、汗をかくことなくスーパーまでジョギングすることができそうだ。

今日の早朝の作曲実践では、現在読み返しているコード理論に関する専門書の内容を活用した曲をまず作りたい。その際には、バッハの4声のコラールを題材にしていく。

書籍に記載されている全ての項目を何度も繰り返し活用して曲を作っていくことにより、技術を磨いていく。その際に、一から4声の曲を作ってもいいが、過去に作った曲を活用して、そのコード進行部分にアレンジを加えるようにしていくのも一つの手である。

とにかく作曲に関する学習と実践を焦らずに進めていく。全ては緩やかに成熟に向けて歩みを進めていくのである。それを忘れずに、ゆったりとした気持ち、落ち着いた気持ちで曲作りをしていく。フローニンゲン:2019/6/5(水)04:30

No.2032: The Early Morning After the Rain

It thundered and began to rain in the early morning. Yet, it stopped raining, and now I can see the peaceful morning world. Groningen, 05:12, Thursday, 6/6/2019

4503. 今朝方の二つの夢

今日はいつもより早く、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢というのは逃げ足が速いのだが、それを一度書き留めておくと、なぜかその場(意識場)に定着するという不思議な性質を持っている。

今朝方は二つの夢を見ていた。夢の中で私は、小学校時代に所属していたサッカー少年団の卒団式に参加していた。それは「式」という言葉が連想させるような堅苦しいものではなく、後輩たちと試合をして、その後に全員でご飯を食べるというようなイベントである。

毎年、この卒団式ではBBQをしていたのだが、今回はレストランで食事をすることになった。保護者を含め、サッカーチームに所属していた同級生と私たちは、レストランでの食事を大いに楽しんだ。

その後、解散となり、カフェに行く人たち、誰かの家に行く人たちに分かれた。私は友人の誰かの家に行き、そこのリビングで二人の友人(NK & SN)と彼らの母親と一緒に昔話に花を咲かせていた。

帰宅する時間が迫ってきたところで、監督か誰かがその場に現れ、友人の二人の母親それぞれに対して、私からエピソードを交えてお礼の言葉を述べろと言われた。私は一瞬困ったが、それをするのも礼儀だろうと思い、まずは親友(NK)の母に親友との思い出話も交えてお礼の言葉を述べ始めた。

すると、私の右横に私の父が座っていて、なぜだか涙ぐみながら感動して私の言葉を聞いていた。私は父のことは気にせずに、お礼の言葉をゆっくりと全て述べ、そこで夢の場面が変わった。

そういえば、この夢の場面の前に、辺り一面が水の世界である夢を見ていた。水の周りには緑が生い茂っており、私は水の中に潜ったりしていたわけではなく、水面を飛び跳ねたりしながら、どこかに向かって移動していた。

一つ覚えているのは、風がとても強く、ある場所から別の場所に飛び跳ねていくことが極めて難しかったことである。そこでは風の流れに逆らわず、風の流れの通りに飛んでいくことが賢明な方法であった。

人生において、流れに逆らうことも時に大事であるが、流れに身を任せることも大切である。そのどちらがその場において望ましいのかの判断は、もはや経験と直感に委ねるしか方法はないのだろうか。そのようなことを考えさせてくれる夢であった。

次の夢の場面では、私は見知らぬ大学の図書館にいた。その図書館はとても大きく、外観は歴史の堆積を感じさせてくれる荘厳なものであった。私は図書館の中のセミナールームのような場所にいて、数学の授業を受けていた。

そこでは予備校時代の数学の先生が授業を行っており、ホワイトボードを前にして、幾何学の問題を解説していた。先生は突然、私を指名し、立体図形の問題をホワイトボードの前で解いてみろと述べた。

私は数学が得意であったが、実は図形の問題は苦手であり、特に立体が絡む問題は苦手であった。とはいえ、問題に挑戦してみようと思って立ち上がり、私はホワイトボードの方に向かっていった。

その間に、「実は立体問題が苦手で」ということをつぶやくと、周りにいた友人たちは驚きの表情を持って私を見た。自分が数学の全ての分野において得意だと彼らは勘違いをしているようだと私は気付いた。

それに気づいた時、もう一言、「図形の問題が全くダメだというのはもしかすると、脳が異常な形で発達しているのかもしれませんね」と述べた。それを述べた瞬間に、私の体は図書館の巨大閲覧室の中にあった。

すると私の左横に、女優のような風貌をした、見知らぬ華奢な女性がいた。それに気づいた瞬間に、自分の役目は彼女を守ることだと察した。

するとまさにその推察通りに、私の眼の前に、見知らぬ外国人の男性が現れ、これから彼女を守るための護身術トレーニングをすると言い始めた。その外国人は187cmぐらいの身長であり、体格も良かった。

彼はなぜだか日本語を話すことができ、その場の会話は全て日本語で行った。護身術についてはこれまで一度も習ったことがなく、どのようなトレーニングがなされるのか不明であった。

彼はトレーニング上のルールを一つだけ述べた。それは、「3回死ぬな」というものだった。

これから始まるトレーニングの中で、3回死んだ場合には、彼女を護衛することができないと見なされ、護衛として不適格になるということだった。

トレーニングの進め方は至ってシンプルであり、彼を仮想の敵だとみなして、彼を打ち倒すことである。ところが、いざトレーニングが始まってみると、彼の運動神経は私のそれを遥かに超えており、頭脳に関しても頭の回転が段違いであった。

私はその巨大閲覧室の中で、早々と2回ほど、彼に射殺された。もう後がないと思った私は、最後の命を守るために、とても慎重にトレーニングを進めていくことにした。

彼が閲覧室内の机の下を腹ばいではなく、背中で前進してくる技術は圧巻であり、その動きの中で遠くから射撃をする技術の精度も尋常ではなく高かかった。私は彼のそうした動きに気をつけながら、閲覧室内で身を隠しつつ、彼を打ち倒すタイミングを見つけようとしていた。

だが、このままではラチがあかないと思った私は、一旦閲覧室から出て、何か作戦を練ろうと思った。そして実際に、閲覧室の出口から出ると、彼が私をものすごい勢いで追いかけてきたので、私はとっさに宙に浮かび、彼の頭上から何かアクションをしようと思ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/6/5(水)05:09

No.2033: Morning Pathos

This morning after the rain is enshrouded in pathos. Groningen, 06:05, Thursday, 6/6/2019

4504. 幸福感をもたらしてくれるカカオ

時刻は午前7時を迎えた。起床直後に天気予報を眺めていると、今日は一日中曇りかと思っていたがそうではなく、この時間帯は薄い雲が所々にありながらも、空は晴れている。

小鳥たちがチュンチュンと鳴き声を上げている。早朝のそよ風はとても心地良く、外の世界がどこか花園に思えてくる。

今、朝の楽しみである一杯の飲み物を飲んでいる。それは、ヘンプパウダー、カカオパウダー、カカオニブ、ハチミツを混ぜて作った飲み物だ。

この飲み物を飲むことは毎朝楽しみであり、時に就寝時にもそれを楽しみにして眠りにつく自分がいるほどだ。それではなぜこの飲み物を楽しみにする自分がいるのかを考えてみたとき、やはりカカオやカカオニブに含まれるアナンダミドという物質が関係しているかもしれないと思った。

アナンダミドは、別名「至福物質」とも呼ばれており、私たちに幸福感やリラックス感をもたらしてくれる。同時にこの物質は、脳を活性化させるホルモンとしても働く。

また、脳を活性化させる成分としてはその他にも、テオブロミンという物質が含まれている。これは、カカオやカカオニブを食べた時に感じる独特の苦み成分でもあり、脳を刺激して記憶力や集中力を高め、認知機能を高める効果があることがわかっているらしい。確かに、毎朝カカオを摂取することによって、幸福感が増大し、さらには脳がよく働いてくれているように感じる。

ちょうど今日は午後に、街の中心部のオーガニック食品専門店に足を運び、そこでカカオパウダーを購入しようと思っている。カカオを購入しに店に足を運ぶことが、どこか高揚感をもたらしてくれるのは、おそらくカカオに含まれる幸福物質によるのではないかとさえ思えてしまう。カカオというのは本当に、「神の食べ物」と呼ばれるにふさわしいだけの力を持っている。

昨日近所のスーパーに足を運んだ時、その店のオーガニック食材コーナーに、カカオニブが置かれていた。これまでは、今日足を運ぶ街の中心部のオーガニック食品専門店でカカオニブの瓶詰めを購入していたのだが、同じような質のものが近所のスーパーでも買えることがわかった。

近所のスーパーに置かれているオーガニックカカオニブは、瓶詰めではなく、袋詰めであり、そうしたところから製造コストが低く抑えられているのだろうか、近所のそれの方が街の中心部のそれよりも割安である。そうしたこともあり、またちょうどカカオニブも切れかかっていたこともあり、昨日は近所のスーパーで袋詰めのカカオニブを購入した。

初めてカカオニブを口にした時には、その苦味に驚かされたが、今はそれを単体で摂取するのではなく、上記の飲み物に混ぜる形で摂取している。午前中にはもう一杯ほど同じような飲み物を飲むのだが、その際にもカカオニブを入れている(ヘンプパウダーを入れる時もあれば入れない時もあるが、いずれにせよハチミツの代わりにココナッツオイルを混ぜたものを飲んでいる)。

朝の幸福感のみならず、その日全体の幸福感を生み出してくれているものの一つに、このカカオドリンクを挙げることができるかもしれない。朝のこの一杯と共に、これからコード理論に関する専門書を読み、本日三曲目の曲をバッハのコラールを参考にして作り、その後、辻邦生先生の『パリの手記』第3巻を読み進めていく。フローニンゲン:2019/6/5(水)07:18

4505. 仮眠中のビジョン:今後の働き方について

時刻は午後の2時を迎えようとしている。午前中は太陽の姿を拝める時間が多かったが、今は少しばかり雲が出ており、陰っている。つい今しがた仮眠から目覚め、これから午後の活動に励んでいく。

先ほどの仮眠の最中にはビジョンを見ており、ビジョンの中の映像は、サッカーゲームのようであった。視点の高さはサッカーゲームのようなのだが、それは実際のサッカーの試合の中継の視点のようでもあった。

両者を厳密に区別することは難しいのだが、そこで行われているのは実際の国対国の試合であり、視点はどこかサッカーゲーム的であった。片方の国はブラジルであり、もう片方はおそらくスウェーデンかどこかの欧州の国であった。

ブラジルの強力な攻撃陣がスウェーデンゴールに何度も襲いながらも、スウェーデンのディフェンダー陣はなんとかその猛攻を凌いでいた。ブラジルのフォワードの選手がシュートを放ったとき、私は思わず「あっ!」と叫び、ゴールが決まったかと思ったが、眺めている視点から見てゴール右横に外れていった。

キーパーは一歩も身動きができないような見事なシュートは、ゴールにならず、スポンサー企業の広告看板にぶつかった。それが一つ目のビジョンである。

もう一つビジョンを見ていたのだが、そちらについては鮮明なイメージがなく、あまり覚えていない。確か、金融投資に関する理論的かつ技術的な話題に関するビジョンだったように思う。

そのようなビジョンを見ている前に、そういえば私は、今後数年以内に大きく変化するであろう自分の働き方について考えていた。数年前と比較すれば、今の働き方も随分と変化しているのであるが、ここから一、二年の間にさらに「仕事(ワーク)」と呼ばれるものに対する考えが変化し、仕事の仕方が変わるであろうことを予想している。

実際のところは、仕事に対する考え方の基盤はすでに構築されており、今後は少しずつ変化していくぐらいかと思うし、働き方に関しても今考えている仕事への取り組み方の方針をより厳格に適用していくことになるため、極端に変化することはないかもしれない。

大きく変化するとすれば、それは仕事から得られる対価に関するものだろう。今後は、労働から得られる給与所得的なものを極限まで減らしていき、その代わりにストック的な収入が得られる流れをより太くしていく。

その試みは数年前から着実に進められていたが、今年と来年にかけてより真剣にそれを進めていく。端的に言えば、自分が何か労働をしたことによって対価を得るようなことは徐々にやめて行こうと考えている。

自分がライフワークだと思えることだけに従事し、そこからは対価を一銭も得ないようにしていく。好きなことを仕事にすることが理想として掲げられるような世の中だが、好きなことをライフワークにしたとしても、好きなことをして収入を得るようなことは自分はしない。

とにかくこの貴重な人生において、生命時間を切り売りして労働収入を得るようなことはやめにしていく。そのためには、ストック的な収入をもたらしてくれる資産を適切に育んでいくことが必要になる。

本音を言えば、資産運用や資産管理などといったことにすら時間を充てたくはないのだが、時代の性質上それは仕方ない。

仮に、労働収入を得ることをやめて、なおかつライフワークだけに専心するのであれば、ストックに着目した資産運用というものを行っていく必要がある。

仮眠を取る前に、「1日8時間会社に勤め、残業なし、土日完全休日、勤務中は何もしなくても——好きなことをしてはならず、ぼんやりと机に座っているだけという条件つき——、年収が1億円の仕事がありますが、それを引き受けますか?」という質問について考えており、自分の貴重な生命時間を明け渡して、そのような条件を飲むわけにはいかないと考えていた。

自分のライフワークから切り離された形で、生命時間を1億円というごく僅かな金銭的価値に交換することはできないと思われたのである。そこから少しシミレーションをしてみて、10億円でも断るが、100億円なら1年間ぐらい働けるかと考えてみたが、どうも無理のようだった。

職業に関する日本のインターネット広告には頻繁に、「年収1000万円」や「年収2000万円」などという文言が現れているのを見かけるが、そんなに少ないカネのためにどうやったら自分の貴重な生命時間を差し出せるのかいつも不思議に思うし、そうした広告が打ち出される社会情勢と、そうした広告に踊らされる人々が多く存在するということを見ると、我が国の人たちの働き方や人生観に危惧せざるをえない。フローニンゲン:2019/6/5(水)14:14

4506. 金融投資に関する再学習

午前中は青空が広がっており、それは「甘空」と表現してもいいような、ほのかな美しさを持っていた。今日はこれから本日4度目の作曲実践を行い、曲を作り終えたらジョギングがてら街の中心部に出かけていく。

今月末から始まるモスクワ旅行には、ココナッツオイルだけではなく、アマニ油かエゴマ油などのオメガ3脂肪酸が含まれたオイルを持参し、それを朝に飲もうと思っているため、オイルを入れるための小瓶をもう一つ購入する必要がある。

ちょうどいい大きさの小瓶は、先日、迷路のように入り組んだ街の中を散策している時に見つけたお洒落な雑貨屋で購入することができる。まずはその雑貨屋に立ち寄り、その後にオーガニック専門食品店に足を運ぶ。

先ほど、今後の仕事の仕方、特に収入の得方について少しばかり書き留めていたように思う。このテーマについてはこれまであまり書き留めることをしていなかったが、以前から考えを深め、そして実践をしていたテーマでもある。

また、先日にもこのテーマに関して一つほど日記を書いていたような気がするし、時折投資に触れた日記を執筆している自分がいたように思う。

この数年を振り返ってみたときに、以前の私は労働から収入を得ており、それに依存する形で日々を生きていた。だがある時から、それを一生涯続けていくことは不可能であるし、それをしていくことは望ましくないことだと思われたため、労働収入ではなく、ストック収入を得る水脈を複数作っていくことを始めていた。

今はそれらの水脈が徐々に太くなってきている状態であり、ここからの一、二年で集中的にその水脈を太くし、そしてもう一つか二つのより大きく安定的な水脈を作っていこうかと考えている。それを実行するに際しては、ここでもう一度金融投資に関する学習をしていく必要性を感じた。

今でこそ私は、人間の成長や発達に関する探究を中心にし、哲学や芸術の探究及び実践をしているが、大学時代に最も打ち込んでいたのは金融・会計に関する学習であった。そのことについてもこれまで何度か触れているように思う。

いずれにせよ、大学時代に学んだ、金融理論の原理・原則的な部分の多くは普遍性(不変性)があるだろうが、当時と比べて、金融投資を取り巻く制度や方法などが随分と変化しており、自分が持っている知識は幾分と古いのではないかと思った。

少なくとも、現在の金融投資を取り巻く環境や仕組み、そして個人が行える方法に関する知識に漏れがありそうだと思ったため、四冊ほど金融に関する書籍を購入することにした。それらの書籍を繰り返し読みながら、水脈の整備と設計をするという実践を継続させていき、幾つかのライフワークだけに毎日愚直に従事するという生活を数年以内には実現させようと思う。フローニンゲン:2019/6/5(水)14:30

No.2034: Reminiscence about Lisbon

It is drizzling right now in Groningen. I’m reminiscing about the trip to Lisbon last month and imagining about the trip to Moscow in the end of this month. Groningen, 08:31, Thursday, 6/6/2019

4507. 自らの人生を生きるための生活習慣の見直し

夕方の世界がおどけている。そのように思わせてくれる夕暮れ時の世界が広がっている。

今日もとても穏やか一日であり、その穏やかさが一日の終わりのこの時間帯に濃縮している。生命力に溢れた緑の街路樹の葉を、夕方のそよ風がそっと撫でている。そして、小鳥たちの柔らかい鳴き声もまた、街路樹の葉を優しく撫でている。

今日は早朝の3時半から、夕食後のこの時間帯まで本当に充実していた。自分の人生と交差した体験と、そこからもたらされた思考や感覚を日記に書き留め、そして旺盛な作曲実践と学習を行っていった。明日もきっと今日と同じような充実した一日になるだろう。

時刻は午後の7時を迎え、これから就寝に向けて一日の活動をゆっくりと終えていく。数日前にまた新たな習慣を作った。それは、夕食を食べた後に一日を振り返る日記を執筆すること、そしてそれを終えてからようやく初めて本日のメールを開くことである。

とにかくメールを開かないこと。これまでは時折日中にメールを開いてしまうことがあったが、今はもうそれは無くなった。

それにより、本当に毎日がさらに充実したものになっている。言い換えれば、毎日がより自分の人生になったと言えるだろう。

夕食を取り終え、一日を振り返る日記を執筆するまで一切メールを開かないこと。それがもう完全に習慣となったことを祝福したい。この習慣化が実現されたことによって、早朝から夕食までの時間に気を散らすことなく自らの取り組みに専心することができている。

経営者の知人の中で自らの人生を生きることが何たるかを分かっている人が、自分でメールを確認したり、返信したりしないようにしていることに大きな共感の念を持つ。

この習慣以外にも、普段何気なく行っていることで、自らの取り組みに従事するための時間や集中力を奪ってしまう事柄が他にないかを精査したいと思う。一つすぐに思いつくのは、インターネットの利用である。

インターネットの検索は間違いなく便利なのだが、そこには中毒性があることは確かであるがゆえに、普段不必要にネットを閲覧していないかについてより自覚的になろうと思う。今後も継続して、生活習慣で見直せるところを絶えず見直し、創造活動に専心できる状態を自ら作っていく。

今日は夕方に街の中心部にジョギングがてら買い物に出かけた。諸々購入するものがあり、四つの店をはしごする必要があったのだが、今日一日でそれらを回る必要も特にないかと思ったので、結局今日は二つの店にしか立ち寄らなかった。

後日立ち寄るべきは、雑貨屋とスポーツショップである。前者の雑貨屋に訪れるのは、モスクワ旅行に持参するアマニ油を50mlほど入れるための小瓶を買うためであり、後者のスポーツショップに訪れるのは、今から四年弱前にフローニンゲンで生活を始めるに際して購入した、ランニング用のサングラスが壊れてしまったからである。

明後日の金曜日は天気が良いみたいであり、気温も暖かいらしいので、金曜日に買い物に出かけるか、それほど急ぎではないために、来週のどこかで二つの店に立ち寄りたいと思う。フローニンゲン:2019/6/5(水)19:29

No.2035: A Flower that Exists only on the Day

The sky above Groningen began to be covered by clouds again. Yet, I’ll go jogging in a while. Groningen, 14:28, Thursday, 6/6/2019

4508. 自分専用の教科書の執筆に向けて

時刻は午後の9時を目前にしている。この時間帯のフローニンゲンはまだ明るく、完全に日が沈むのはあと一時間以上かかる。それを踏まえると、いつも私は完全に日が沈む前に就寝していることがわかる。

数日前から再読を行っていたコード理論のテキストを最初から最後まで再度読み終えた。明日は、このテキストを最初から最後まで通して読もうと思う。

その際には、今回の再読で自分が大事だと思った箇所や、これまで盲点になっていた箇所を中心に読み返し、知識の定着を図っていく。そして明後日からは、すぐさまこのテキストから離れるのではなく、再度第1章から毎日一つの章を今回の再読の時以上に精読していく。

この時には、テキストの本文の補足や脚注なども丹念に読んでいく。そうすることによって、コード理論に関する知識が拡張されていくだろう。

知識のある株式トレーダーがチャートの値動きから様々なことを読み取ることができるのと同じように、楽譜から様々なことを読み取るためには知識がいる。今回のコード理論に関する再学習は、まさにそうした知識を獲得するために非常に有益であった。

これからも継続して、作曲理論に関する他の書籍を読み返していく。その際には今回行っているのと同様に、その日に読み進めた箇所を夜寝る前に再読する。こうして知識を確実に自分の内側に定着させていく。

そうでもしなければ、知識はなかなか定着してくれない。とにかく時間を空けずに繰り返し知識項目に触れること、そしてそれを実際の作曲実践の中で活用するということを行う。その観点において、明日の朝の作曲実践では、本日学習したマイナー借用の観点を活用してみようと思う。

今日も午後に、学習したばかりの知識を作曲実践中に活用してみたところ、やはり新たな発見や驚きがもたらされ、大変新鮮な気持ちになった。何よりも、曲作りの幅がまた少し広がったのを実感することができた。

成長実感の根幹に変化を捉える感覚があり、変化を捉える感覚の根幹に生きている実感があるとすれば、成長実感を感じることは、生きていることを深く実感することなのかもしれないと思う。明日もまた小さくでいい、一歩だけ成長実感を感じられるように学習と実践を進めていこう。

明日からの日記では、自分専用の教科書を執筆するようなイメージで作曲日記を綴っていくことをより意識したい。現段階においても、作曲実践についてわずかばかり書き留めているのだが、文章を書こうにもまだまだ観点が欠如しており、満足のいくほどに作曲関係の文章を書き留めることができていない。

もちろん、作曲以外にも食や投資に関する事柄など、自分専用の教科書を執筆したいと思うテーマはいくつもある。そうしたテーマに関しても、焦らずに学習と実践を継続させていき、わずかばかりでも見出された気づきや発見、そして疑問点などを日記として書き留めておきたいと思う。

明日もまた、自分専用の教科書を執筆することに邁進する一日になるだろう。フローニンゲン:2019/6/5(水)21:08

6月5日(水)に生まれた曲たち

Op.1220 早朝の花園

Op.1221 朝の爽やかなそよ風

Op.1222 甘空へ

Op.1223 午後の扉

Op.1224 おどけた夕暮れ

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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