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4495-4501:フローニンゲンからの便り 2019年6月4日(火)


タイトル一覧

4495. 今朝の目覚めと内在時計について

4496. 食に関するマーケティング文句の弊害

4497. 小鳥の鳴き声に耳を澄ませて

4498. ウィルバーとヨガに関する今朝方の夢

4499. コードに関する知識と技術の修練

4500. 空腹感と栄養不足を区別するメッセージ:ハチミツに含まれる糖分について

4501. フローニンゲンの夕暮れ時に:辻邦生先生からの励まし

4495. 今朝の目覚めと内在時計について

昨夜の日記で書き留めた通り、今朝は3時に起床した。厳密には、03:11に目を覚まし、そこからゆっくりと体を起こして起床した。

今の私にとっては、夜の10時前に就寝し、3時から4時の間に起きるというリズムが最適のようだ。日々の食生活が自分にほぼ完全に合致していることを実感するこの頃であり、夕食の量と食べる時間も最適なものとなり、睡眠の質が上がっている。

今日は5時間ほどの睡眠であったが、嘘のように早朝から心身の調子が良い。この時間帯はまだ小鳥が鳴き声を上げておらず、彼らが早朝の歌を歌い始めるのは4時ぐらいからになるだろう。

今は書斎の中でピアノ曲をかけているが、小鳥たちの鳴き声が聞こえ始めたら一旦音楽を止めて、彼らの鳴き声に耳を傾けることにしよう。彼らの歌声こそ極上の癒しの音楽である。

昨日の日記でも言及したように、今朝からは、起床直後のオイルプリングとヨガの実践をし終えた後に、大麦若葉とチアシードを混ぜたドリンクを飲むのではなく、小麦若葉とチアシードを混ぜたドリンクを飲むようにし始めた。その理由についてはすでに書き留めたように、小麦若葉の持つデトックス効果による。

小麦若葉は、「地球上で最もデトックス効果がある」と言われているが、これが本当であればすごいことである。一つの植物にそうした効果があることに驚かれるし、逆にそれほどまでにデトックス効果があるのであれば、一日に飲みすぎてはなるまいとも思う。

ちょうど今、小麦若葉を一杯飲み終えた。早朝の身体は、やはり水分を欲しているのか、ほぼ一気に飲み干すことになった。

少しばかり時間を空けて、次はベジブロスの出汁に八丁味噌を溶かした味噌汁を飲みたい。そこで一旦色の濃い飲み物を飲むのをやめて、水を一、二杯飲むことにする。その後、ヘンプパウダー、カカオパウダー、カカオニブ、ココナッツオイルを混ぜたカカオドリンクを飲むというのが流れになる。

今日は夜から雨が降るようだが、日中は晴れのようなので、いつもと同じように、ジョギング兼ウォーキングに出かけるのは午後にしたい。

偶然にも、起床時間は午前3時から4時の間であり、運動に出かけるのは午後3時から4時の間である。このあたりも身体リズムとして、そうした時間に運動を欲している自分がいるのかもしれない。

時計の針が午前4時を迎えると、時間を見計らったかのように、早朝のフローニンゲンに小鳥たちの清澄な鳴き声がこだまし始めた。彼らはひょっとしたら時計を持っているのかもしれない。おそらくそうなのだろう。

私たち人間が持っているような人工的な偽りの時計ではなく、彼らは自然の時計を保持しているのだ。本来私たちにもそうした内在的な時計があるはずなのだが、現代人はことごとく自らの時計を喪失してしまっている。それは非常に残念なことである。

自分固有の時計を内側に見出し、その時計の針が刻む時間に寄り添いながら、今日も自らの取り組みに邁進していこうと思う。フローニンゲン:2019/6/4(火)04:04

No.2027: A Flower Garden in the Early Morning

The outside world in the early morning at this moment looks like a flower garden. Groningen, 05:55, Wednesday, 6/5/2019

4496. 食に関するマーケティング文句の弊害

時刻が午前4時を迎えると、小鳥たちも目覚め始め、思い思いに鳴き声を上げている。その鳴き声が、未だ闇に包まれた外の世界に清澄反射している。

外の世界に反射された鳴き声が自分に届けられ、私はそれを伴奏とするかのように一日の活動をゆっくりと始めていく。

今日も昨日同様に、必ずや充実感と幸福感に満ち溢れた一日になるだろう。いや、そうした予想的な表現をする必要は本来なく、今この瞬間に最大限の充実感と幸福感を常に感じており、それと絶えず一体になっているのが自分なのだということに気づく。

今日の身体は小麦若葉を二杯必要としているようだったので、ちょうど今二杯目を飲み始めた。小麦若葉に含まれる大量のクロロフィルが小腸に届き、小腸の柔毛に付着した毒素を排出するように働きかけてくれている姿が眼に浮かぶ。

小麦若葉と大麦若葉の味は異なり、栄養や効能に関しても異なることについては昨日の日記で書き留めた。両者には違いがあるが、どちらの違いも私にとっては魅力的なものであり、何よりも身体がそれらの違いを好ましく思っているために、今後も両者にお世話になっていくだろうと思われる。

今からしばらくしたら、早朝の一杯の味噌汁を飲もうと思う。味噌汁についてふと考えを巡らせてみると、味噌というのは日本が誇る伝統的な発酵食品だが、これは外国人が摂取しても同様の効果があるのだろうか、という疑問が湧いてきた。

日本人だけではないが、とりわけ人は世の中のマーケティング広告に踊らされ、その謳い文句を鵜呑みにする形で食選択を行う。振り返ってみれば、我が国では「サラダが油が健康に良い」というマーケティング文句が一昔前に広がっていたが、その後サラダ油に含まれるトランス脂肪酸が体に悪いことがわかり、日本人は随分と健康上の被害を被ったのではないかと思う。

トランス脂肪酸のオイルは、プラスチックを溶かした液体のようなものだということがわかれば、誰もそうした劣悪な油は摂らないと思うのだが、それでも今もなお、そうした劣悪な油を摂り続けている人たちがいることを考えると、巧みに思考停止を促すマーケティングの力は恐ろしいものがある。

もちろんこれはサラダ油に限ったことではなく、その他に流行している油についてもしっかりと自ら調べて考えてみることが重要であり、油だけではなく、他の食材もそうだろう。例えば、以前から言及しているように、日本人にとっては乳製品というのも厄介な食材だと思う。

ヨーグルトやチーズなどの発酵食品が良いと謳うマーケティング文句が大多数を占める中で、日本人の本来の腸内環境にとっては、それらの乳製品はあまり望ましくないという意見も存在している。それは実証調査に基づく意見かどうか定かではなかったので、これまでヨーグルトやチーズを摂り続けてきた私は、一旦それらを摂取するのをやめ、日本古来から根付いている味噌などの別の発酵食品を摂り始めると、腸内環境がみるみるうちに良くなっていったのである。

これまでヨーグルトやチーズを摂取する際には、どちらもオーガニックなものしか摂っていなかったのだが、その質云々ではなくて、もはや遺伝子レベルでそうした乳製品が日本人としての自分には合わなかったのだと思われる。

ヨーグルトやチーズなどの欧米的な発酵食品を含め、普段何気なく口にする身近な様々の食材について、一度世間のマーケティング文句を全て客体化させる形で検証のメスを入れたほうがいいように思うのは私だけではないだろう。フローニンゲン:2019/6/4(火)04:28

No.2028: A Pleasant Gentle Breeze in the Morning

A gentle breeze in the early morning is very pleasant to me. Groningen, 06:42, Wednesday, 6/5/2019

4497. 小鳥の鳴き声に耳を澄ませて

時刻が早朝の4時半を迎えると、空がダークブルーに変わり始めた。相変わらず、澄み渡るような小鳥の鳴き声が辺りに響き渡っている。

昨年の夏に訪れたフィンランドのアイノラの土地を静かに思い出していた。かの地で、シベリウスも毎朝小鳥たちの鳴き声に耳を傾け、そこから作曲上の霊感を得ていたに違いない。そのようなことを思う。

まさに私も日々、今この瞬間に聴こえてくる小鳥たちの鳴き声に創造活動上の霊感を得ており、さらには心身的、あるいは存在的な癒しを得ている。

今住んでいるフローニンゲンの自宅の良さは、こうした小鳥たちの鳴き声を朝から晩まで聞くことができることにあるだろう。日中に関しても、窓を開け、耳を澄ませてみれば、彼らの鳴き声を聞くことができるのだ。それはどれほど有り難いことだろうか。

小鳥たちの一つ一つの鳴き声は短いが、それらが連なって行った時、一つの巨大な音楽となる。それは彼らの人生の総体であり、彼らの人生を語る音楽である。

一昨日もふと、松尾芭蕉のように、この世界を旅しながら、俳句のような音楽を無数に作っていこうと考えていた。これは以前から考えていたことであり、この世界を旅しながら、そこでしか得られない感覚と、そこでしか存在しえぬ自己をもとに、俳句のような短い曲をただただ作っていくような生活。そうした生活を送ってみたいという思いが胸のうちにある。

確かに私は一つの落ち着いた拠点で過ごすことを好んでいるが、今後はより一層旅に出かけていくような気がしている。そしてそこでなされる旅は、今よりもより一層落ち着いたものであり、緩やかなものになっていくはずである。

自己と人生が深まれば、旅の意義も変わり、旅の過ごし方も変わってくるだろう。その変容過程の中で、自分固有の小さな曲を作っていく。

俳句を詠むような短い曲。それを今後も意識していこう。

今日はこれからいつものように、早朝の作曲実践に取り掛かる。午前中に二、三曲ほど曲を作りつつ、それと並行して、昨日から再読を始めたコード進行に関する専門書を読み進めたい。

昨日は午前2時半に起床したこともあり、十分な作曲実践と共に、その書籍を読む時間も随分とあったため、3章ほど読み進めることができた。今朝の起床も3時であることを考えると、今日も随分と読み進めることができるのではないかと思うが、あまり無理をせず、多くて2章ほど読み進めることができればと思う。

というのも、現在従事している協働プロジェクトのうちの一つで、私の方で簡易的なアセスメントを行うものがあり、そのアセスメントを今日の昼前から取り掛かりたいと考えているからである。アセスメントの数については今のところ多くないが、今日からそれに取り掛かるため、分析作業の波に乗る初速を確保する必要がある。

それさえ確保されてしまえば、今回のアセスメントも滞りなく進めていくことができるだろう。アセスメント結果については、一枚のエクセルファイルにまとめ、最終的な分析が終わり次第、協働者の方に送りたいと思う。フローニンゲン:2019/6/4(火)04:44

4498. ウィルバーとヨガに関する今朝方の夢

時刻は午前5時を迎えようとしている。先ほどと比べて、空の色が明るくなり、目の前の街路樹の姿がより鮮明になってきた。

一日の活動を本格的に始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、東京かどこかの居酒屋にいた。そこは庶民的でありながらも、落ち着きのある店であり、人々は思い思いにそれぞれの時間を楽しんでいる。

私が腰かけたテーブルは四人席であり、私の目の前には、大学時代のゼミナールの恩師が座っていた。そして私の左横には、私に多大な影響を与えてくれた他学部の教授がいた。ゼミナールの恩師の横にも一人の教授が座っていた。

私たちは飲み食いを共にしながら、様々な話題について語り合っていた。その場において、私はアルコールはおろか、食べ物に関してもやはり気を遣っているようであり、先生たちと会食をしていても、自分の食生活のあり方を変えることは決してないようだった。

どのような話からそうなったのか定かではないが、少しばかり酒に酔ったゼミの恩師が口を開き、アメリカの思想家ケン・ウィルバーに対する批判を始めた。端的には、ウィルバーの思想は浅いというのが先生の主張だった。

私はその批判を聞きながら、先生は一体どれほどウィルバーの一連の著作を読んできたのだろうかと思った。おそらくは、ほとんど読んでいないのではないかとすら思ったのである。

すると、私の左横に座っていた先生は、ゼミの恩師の意見に同調するのではなく、「ですが、ウィルバーの身体心理学の話は面白いですよね」と述べた。そこから話題は、ウィルバーの理論を起点として、マイケル・ポランニーが提唱した暗黙知に関するものとなった。

私は先生たちの話を聞きながら、時折意見を述べ、逆に先生たちからも意見を求められた。中でも身体心理学と暗黙知の話が出てきた際には、両者を架橋させるような話をし、その流れを汲みながら、チャールズ・サンダース・パースの論理学の話をした。

パースの論理学について話をした時に、左横に座っていた先生が、「君、面白い本を読んでいるなぁ。僕もパースの論理学を一時期学んでいたんだよ」と笑顔で述べた。そこから話は再び身体心理学へと戻り、実は自分はヨガのインストラクターの資格を取得していることについて先生に話をすると、皆、幾分驚きの表情を浮かべていた。

そこで夢の場面が変わり、前の場面の内容を引き継ぐかのように、私はヨガスタジオの中にいた。そのスタジオの一室の中に私はいて、これからヨガを行うに際しての準備運動をしていた。

その部屋は体育館のように広く、床はフローリングであり、なおかつ殺風景であった。見ると、私が座っている向かい側の壁際に、大学時代のゼミの友人(TS)と大学時代に知り合った友人(TY)がいた。彼らもこれからヨガをするようであり、思い思いに体をほぐしていた。

すると、二人は私の存在に気づいたようであり、私に「鋤(すき)のポーズ」を披露して欲しいとお願いしてきた。そのポーズをするためには、背中をほぐし、さらには特に首から肩にかけての筋肉をほぐす必要があったので、その旨を伝え、それらの筋肉をほぐすポーズを行ってから、鋤のポーズを披露した。

二人は私のポーズを見て、何か納得したようであり、私にお礼を述べてから、彼らもそのポーズに挑戦し始めた。するとヨガのクラスが始まるちょうどいい時間になった。

だが、インストラクターは誰もやってこず、私たちはまた思い思いにヨガを始めた。ちょうど私が「鳩のポーズ」をしている時に、一人の中年男性が私に声をかけてきた。

見ると、彼がそのクラスのインストラクターだとわかったのだが、ヨガを教えることがうまそうには見えなかった。その男性は私に呼吸に関する質問をしてきた。

それに対して私は、「自分は人の10倍ほどゆっくり呼吸をしているため、ガイダンスで20回の呼吸をせよと言われれば2回でちょうどいいんです。なので気にしないでください」と述べた。それを聞くとその男性は、納得した表情を浮かべ、他の人に声をかけに行くために歩き始めた。

その男性が去っていく姿を眺めた後、さらに深い呼吸を数回繰り返したところで目が覚めた。今朝はそのような夢を見ていた。

ここ最近、毎朝に行うヨガのアーサナの数を増やし、ヨガの実践を午後のジョギング前にも行うようにしているからか、ヨガというものが深層意識のどこかにずっとあったのだろう。最後の場面であったように、私は人一倍ゆっくりな呼吸で日々を過ごしており、最後にさらに深い呼吸をして、夢の中の自分の意識がどんどんと深まっていく最中に目覚めたことは興味深いことである。フローニンゲン:2019/6/4(火)05:23

4499. コードに関する知識と技術の修練

時刻は午前11時半を迎えた。天気予報の通り、この時間帯までは見事な晴天が広がっている。再度予報を確認すると、午後3時あたりから小雨が降るようなので、その前に毎日の習慣であるジョギングに出かけたいと思う。

今の気温は20度を超えており、そして爽やかな風が吹いているために、気持ち良く走ることができるだろう。

早朝には、まるで穏やかな海のような世界が広がっていたのを覚えている。この瞬間の外の世界の表情はそれとは異なれど、また異なった穏やかさを持っていることは確かだ。

ここから夕食にかけて、穏やかさの中で自らの取り組みに従事していきたい。午前中に三曲ほど曲を作り、さらにはコード理論に関する専門書の続きを読み進めていた。

この段階でボリュームの多い1章ほどを読み進めることができており、午後からはボリュームの少ない1章を読み進め、今日は合計で2つの章を読むことにしたい。昨夜と同様に、夕食後からは新たな章を読み進めていくのではなく、午前と午後に読んだ章を復習する意味で、重要な箇所を繰り返し読むようにしたい。

書籍を読みながら、数日前に書き留めたのと同じように、ここで改めてコードに関する知識と技術を洗練させていこうと思った。コードに関して言えば、普段あまり使っていないトライアドやテトラッドがあることに気づく。

また、以前に一時期修練を重ねていたセカンダリードミナントなどもここ最近はほとんど使っておらず、その技術が少し錆びてしまいそうなので、そうした錆びを落とす意味も含め、そして今後はいつでも使えるような状態にする意味も含め、セカンダリードミナントを一日の作曲実践の中で数回は試したいと思う。

その他にも、ポピュラー音楽で言うところの裏コードの活用など、いろいろと試したい事柄が増えてきた。そうした実験をするのにふさわしいのは、バッハの4声のコラールを参考にして曲を作るときだろう。

この時には、垂直的に4つの音を使うことが非常に多いので、そこで上記の様々な観点を活用してみたいと思う。実際に先ほど、バッハの4声のコラールを参考にして一曲作った。

その時に気をつけていたのは、私はまだまだ作曲の初学者であるから、多くの調号が出現する調を選ばないことである。実際に、まずは最もシンプルなCメジャーで曲を作っていくことにした。

これによって、各種トライアドやテトラッド、セカンダリードミナントや裏コードの活用がしやすくなっている。ここ最近は、ほぼ毎日バッハの4声のコラールを参考にしているが、明日以降もしばらくはCメジャーの調を選び、何度も上記の観点を活用した後に、調号を1つ増やして同じように実践を積み重ねていこうと思う。

午後からの作曲実践ではスクリャービンに範を求める。その後、再びコード理論の専門書に戻ってきて、新たな章を読み進める。

そうした活動の前に、今日はこれから協働プロジェクトにおけるアセスメントに取り掛かりたい。今から1時間ほど集中して分析作業に取り組み、その後ジョギングに出かけて、戻ってきてから仮眠を取ろうと思う。フローニンゲン:2019/6/4(火)12:01

No.2029: Toward the Sweet Sky

The self is going toward the sweet sky. Groningen, 09:27, Wednesday, 6/5/2019

4500. 空腹感と栄養不足を区別するメッセージ:ハチミツに含まれる糖分について

時刻は午後の1時半を過ぎ、2時を目前にしている。今、目の前には青空が広がっており、早朝と同じように小鳥たちの鳴き声が聞こえて来る。

つい今しがた、適度な運動としてのジョギングを行い、その帰りにスーパーに立ち寄って自宅に戻ってきたところである。スーパーから帰ってきてすぐに、追加で筋力トレーニングを行い、たんぱく質が豊富なクロレラを飲んでいる。

良い気分転換を図ったところで、これから午後の取り組みに従事したい。今この瞬間のフローニンゲンはとても良い天気なのだが、あと数時間したら雨が降るようだ。雰囲気としては雷が伴うかもしれない。そんな香りが街に漂っている。

ジョギングをしている最中に、空腹感を知らせるメッセージと栄養不足を知らせるメッセージの違いを適切に掴むことの大切さについて考えていた。空腹であることは問題ないのだが、栄養不足であることは私たちの健康にとって問題となる。

よくありがちな間違いは、お腹が鳴ったから何かを食べるというアクションを取ってしまうことである。そこでは、お腹が鳴るという現象を、即座に栄養の不足であると錯覚してしまい、無駄に胃腸に食べ物を押し込んでしまうことにつながる。

ここ最近思うのは、本当に食べる量ではなく、食べる質なのだということだ。仮に少量であっても、そこに身体活動を維持するに足る豊富な栄養があれば、栄養不足を知らせるようなメッセージは発せられず、無駄に何かを口にすることがなくなる。

一方で、いくら量を食べても、それらの質が伴っていなければ、栄養不足であることを知らせるメッセージが発せられる可能性がある。そして、それと単なる空腹感を知らせるメッセージをきちんと区別しておくべきだと思う。

その理由は上述のように、無駄なものを食べることを防ぐためであり、さらには自分にとって必要な栄養のある食べ物を摂取するためでもある。二つのメッセージの区別が曖昧の場合、自分が何をどれだけ食べたらいいのかという判断を行うことができなくなってしまうだろう。

栄養のある食べ物や飲み物を摂取していれば、栄養不足であることを知らせるメッセージは発せられず、腹が鳴るという見せかけだけのメッセージに誤魔化されなくなるだろう。二つのメッセージの識別、および腹が鳴るという現象に対するアクションを意識的に行えるようになるには、観察と実践が必要であり、時間がかかるだろう。そのようなことを考えながら帰宅していた。

帰宅後、普段毎朝摂取しているハチミツについて考えていた。普段は、朝の比較的早い段階で、ヘンプパウダー、カカオパウダー、カカオニブを混ぜたドリンクにハチミツをスプーン小さじ一杯ほど加え、ドリンクに甘さを加えている。

しかし、ひょっとするとハチミツに含まれる糖分を断つことによって、午前中の脳の働きがより良くなるのではないかとふと思った。

一般的には、脳を働かせるためには糖分が必要だと言われているが、ポイントはいかなる質と種類の糖分を摂るかなのではないかと思う。以前よりずっとオーガニックのハチミツを使っているため、糖分の種類や質に関しては害のあるものではないと思う。

念のため調べてみたところ、一般的な砂糖はショ糖が主成分であり、ハチミツは果糖とブドウ糖が主成分とのことである。ブドウ糖は体内に蓄積されずに、速やかにエネルギーに変換されるため、効率の良い糖質であるとされており、素早い疲労回復にもつながる。

また、ハチミツに含まれる麦芽糖やオリゴ糖は、乳酸菌やビフィズス菌などの腸内細菌のエサとなり、善玉菌を増やす効果があり、腸内環境を整えることにもつながるという特徴がある。そう考えてみると、ハチミツに含まれる糖分はやはり悪いものではないことがわかるが、実験として、午前中にハチミツを摂ることをやめてみて、脳がどのような働きをするのかを観察したいと思う。フローニンゲン:2019/6/4(火)14:04

No.2030: The Door of the Afternoon

The door of the afternoon is now open. I’ll go shopping at the center of the city. Groningen, 15:10, Wednesday, 6/5/2019

4501. フローニンゲンの夕暮れ時に:辻邦生先生からの励まし

そよ風に揺られるフローニンゲンの夕暮れ時。時刻は午後の7時半を迎えようとしている。

結局天気予報とは異なり、この時間帯は西日が燦然と輝く晴空が広がっている。天気予報通りに雨にならなかったことは実に嬉しいが、何か肩透かしを食らったかのようである。

ただし、改めて天気予報を確認すると、どうやらちょうど私が就寝するぐらいの時間帯から少々雨が降るようだ。今朝は確か3時ぐらいに目覚めていたと思うのだが、明日も仮に同じ時間帯に起きたとしても、雨はもう止んでいるだろう。

一日の終わりに、こうした落ち着いた環境の中でその日を振り返ることができるのは至福である。具体的に何か個別的な出来事を振り返っているわけでは決してないのだが、今日という一日全体をぼんやりと振り返ってみたときに、その日一日がそれ以上にはないほどに充実していたといつも言える。

このようにして日々を過ごしていこうと思う。そうすれば、いつか人生を終える瞬間に、人生のある瞬間の個別的な出来事ではなく、自分の人生全体がこれ以上にないほどに充実していたということ、そしてこれ以上ないほどに至福さに包まれていたと思える形で人生の幕を閉じていくことができるだろう。

今日のように生きていけば、人生の最後において、本当にそのように思えるのではないかと思う。

人生の最後の瞬間にそのように自らの人生を受け止めることができること。それ以上にこの人生に望むことはないように思う。

西日の輝きの下で、小鳥たちが踊りを踊っているかのようだ。そう思わせるような嬉しさに溢れた鳴き声が聞こえて来る。

今は書斎の窓を開け、小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、今日という一日の最後のひと時を味わっている。このようにして一日を終え、新たな一日を迎えていく。

そうした生き方をこれから生涯にわたって続けていく。否、そうした生き方はもはや自分の一つの生涯となっている。

夕方に改めて、日記を書き続けていくこと、及び自分の音楽物語(宇宙)を創出することの楽しさを楽しむために曲を作っていく生活を続けていこうと思った。後者においては、作ることの楽しさの中に浸るだけではなく、楽しさをもとに生み出された音楽物語の中に生きることすらも楽しみたいと思う。そのようにしてこれからも生きていきたいと改めて強く思った。

一方、今日は一つ大きな反省があった。今日も日記の執筆、作曲実践、協働プロジェクトに関する仕事を納得のいくまで行った後に、久しぶりに和書を読んだ。

それは敬愛する辻邦生先生の『パリの手記』である。この全5巻にわたる一連の日記は、すでに二読しており、現在第3巻の三読目を行っている。三読目を始めたのは随分と前であり、ここ最近はしばらくそれを読むことなく、書斎の机の右隅に積読された書籍のうちの一冊となっていた。

今日はふと、先生が私と同じぐらいの歳に執筆した一連の日記の第3巻を手にとって少々読み進めていた。それを読むと、今の私の日々の探究生活や創造活動がひどく小さく、ひどく不誠実なものに思えてきてしまう。特に自分が作曲実践と向き合うあり方と探究に関して背筋を正される思いになった。

辻先生がパリで過ごす3年半の生活の中で積み重ねていった小説の執筆に関する探究には、本当に感銘を受ける。作曲に関する探究をより真摯に積み重ねていく必要があるという思いを掻き立ててくれたのが先生の日記であった。

辻邦生を辻邦生たらしめたパリでの探究生活の軌跡の一つ一つが刻印された『パリの手記』の全5巻をこれからも繰り返し読んでいく。フローニンゲン:2019/6/4(火)19:38

No.2031: The Facetious Evening

The world in the evening is playing the clown. Groningen, 17:17, Wednesday, 6/5/2019

6月4日(火)に生まれた曲たち

Op.1216 穏やかな海のような朝

Op.1217 フローニンゲンの朝の雰囲気

Op.1218 日常の意外性

Op.1219 過ぎゆく雲

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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