タイトル一覧
4487. 午前2時半の目覚めと3時からの活動の開始
4488. “Wheatgrass(小麦若葉、ウィートグラス)”との出会い
4489. 今後の旅に持参する食材について:「小麦若葉(ウィートグラス)」に関する新たな発見
4490. 仮眠中のビジョン
4491. 仮眠中のビジョンの続き
4492. 夕食後の過ごし方
4493. 夢と仮眠中のビジョンの違い:小麦若葉と大麦若葉の違い
4494. キャッシュを生む資産と今後の資産運用について
4487. 午前2時半の目覚めと3時からの活動の開始
6月最初の月曜日を迎えた。昨夜は10時前に起床し、今朝は早朝の2時半に目覚め、オイルプリングやヨガの実践を終えて、3時から書斎の机についた。
今日の目覚めは幾分早く、小鳥たちが活動し始めるよりも早かった。事実、3時を迎えた今もなお、小鳥たちの鳴き声は聞こえず、辺りは真っ暗闇である。
ここのところは、食生活及び腸内環境の状態と睡眠の質と時間の関係について観察をしている。今日の睡眠時間は4時間半ほどだが、睡眠の質が極めて良いものであるからか、寝不足の感じは一切しない。
むしろ、これ以上睡眠を取ることが惰眠を貪ることのように思えてしまうぐらいである。そもそも睡眠の質が良いと感じる理由としては、もちろん複数のことが考えられるが、主なものとしては、一日全体を通して固形物の摂取を必要最低限にしていること、主な固形物を摂る夕食においても腹6分ほどの食事しか食べないこと、そして日中に適度な運動(ヨガ、ジョギング、ウォーキング)を行っていることを挙げることができるだろう。
細かなことで言えば、夜はシャワーではなく浴槽にきちんと浸かること、就寝前の1時間ぐらいからはパソコンを眺めるのではなく、楽譜や画集を眺めるようにしていることなどを挙げることもできるだろう。そうした複数の要因から、睡眠の質が良いものとなり、短い睡眠時間でも十分な状態になっているのではないかと思う。
今日は3時から一日の活動を始めることができたため、きっと今日もまた充実した日になるであろう。自分のライフワークに取り組む時間が存分にあること。しかもそれが非常に落ち着いた時間であることを心底有り難く思う。
そうした感謝の念を持っていると、少し早いが、遠くの方から小鳥の鳴き声が聞こえ始めた。普段書斎の近くにいる小鳥と異なる種類なのか、鳴き声が違って聞こえる。
昨日のフローニンゲンは、最高気温が29度との予報であったが、突発的に30度になるほどだった。ひるがえって今日の最高気温は21度、最低気温は9度とのことであり、昼前から夕方にかけて小雨が降るようだ。
そうしたこともあり、今日のジョギング兼ウォーキングはいつもより早めにし、午前9時あたりをめどに行いたい。近所のスーパーは朝の8時から開いているため、9時頃に自宅を出発し、近所の運河沿いを軽く走ったり歩いたりしながら適度に運動し、帰りにスーパーに立ち寄る。
早朝の適度な運動は、腸のぜん動運動を促進してくれるだろうし、起床直後に行うヨガの実践と同様に、身体全体をさらに活性化させることにもつながるだろう。
昨夜もベジブロスを作り、今日はこれから早朝の一杯の味噌汁を飲む。やはりタマネギがあったほうが、ベジブロスの味に旨味が増すため、本日スーパーに立ち寄る際には玉ねぎを購入したい。
タマネギ以外に固形物として摂取しているサツマイモと、午前中に摂取する果物のリンゴもなくなりかかっているので、それらも合わせて購入したい。フローニンゲン:2019/6/3(月)03:20
No.2022: The Royal Palace-Like Twilight
The twilight in front of my eyes right now is like a royal palace. Groningen, 17:01, Monday, 6/3/2019
4488. “Wheatgrass(小麦若葉、ウィートグラス)”との出会い
昨日近所のオーガニックスーパーに足を運んだ際に、切れかかっている大麦若葉のパウダーを購入しようと思った。普段私は、起床直後にオイルプリングを済ませた後、アマニ油を小さじ2杯ほど摂取し、コップ一杯の水を飲んだ後に、青汁の原料でもある大麦若葉のパウダーとチアシードを混ぜたドリンクを飲むようにしている。
そうしたことから、目覚めの一杯の飲み物として、水と同様に、大麦若葉は私にとって不可欠のものである。それを求めに昨日スーパーに足を運んだところ、それが置かれている棚に目当ての商品がなかった。
以前の日記で言及したように、大麦若葉は英語では“Barley Grass”という——オランダ語でなんというかはもう忘れてしまった。棚を見ると、それがなく、その代わりに以前から置いてあった、“Wheatgrass”に目が止まった。
以前にも、“Barley Grass”と“Wheatgrass”のどちらを購入するか迷ったことがある。両者ともに、緑色のパウダーであり、どちらもスーパーフードの表記がなされていることから関心を持っていたのであるが、前者の大麦若葉を購入し、その味に感銘を受けたため、これまでは大麦若葉を摂取していた。
しかし昨日は、大麦若葉が置かれていなかったこともあり、試しに“Wheatgrass”なるものを購入してみた。ご親切にも商品の瓶には、“Tarwegras(オランダ語)”、“Weizengras(ドイツ語)”、“Herbe de ble(フランス語)”、“Hierba de trigo(スペイン語)”、“Vetegraspulver(スウェーデン語)”という各国の言語で表記がなされていたが、何の植物なのかが全くわからなかった。
もちろん、写真から想像するに、大麦若葉と似た様な植物だということならわかるのだが、店頭でこの存在者のアイデンティティを特定するのは至難の技であった。
いつも私は未知の食材と出会った時には、商品説明と成分表示を丹念に眺めるのだが、植物性のパウダーの成分表示は、幾分観点が不足しているように私には思える。具体的には、カロリー、脂質、炭水化物、食物繊維、たんぱく質、塩分の表示しかなされておらず——確かにそれらの表示でも私たちの食に不可欠な栄養素がカバーされているが——、ビタミンやミネラルなどの表示がなく、何よりも、そのスーパーフードの最大の売りが何なのかがわかりにくいと思う。
消費者として、それらの情報しか開示されていないと、“Barley Grass”と“Wheatgrass”の購入を迷った時には、成分表示を見て、どちらの方に記載された栄養が多く含まれているのか、そして価格の観点から購入の意思決定をせざるをえない。
身体に何を取り入れるかが自分の腸内環境を作り、それは即自分の脳と意識を構成するという疑いようのない気づきを得てからは、食材に関する値段はほとんど気にしておらず、“Barley Grass”と“Wheatgrass”の件で言えば、これまでは食物繊維とプロテインが前者の方に若干ながら多く含まれていたためにそれを購入していた。
ところが昨日はそれが置かれていなかったので、“Wheatgrass”を購入することにした。まだ“Wheatgrass”が何かを書き留めていなかった。それは「小麦若葉(ウィートグラス)」と呼ばれる。
「小麦若葉」と言われても、大麦若葉と同様にあまりピンとこなかったので、先ほど調べてみた。まだ大して多くの情報を得られていないが、小麦若葉を使ったドリンクは、地球上で最もデトックス効果があると謳われている。
デトックス効果を支えているのは、小麦若葉に含まれる豊富なビタミンや酵素、そして豊富なクロロフィル(葉緑素)とのことである。小麦若葉も大麦若葉と同様に、青汁の原料の一つらしく、特に注目に値するのはミネラルである。
一般的に、土壌に含まれるミネラルは90種類近くあるらしく、小麦若葉には82種類も含まれており、その含有量には驚かされる。また、小麦若葉の70%を構成するクロロフィルは、人間の赤血球の構造式と概ね一致しており、「天然の血液」と呼ばれたりもする。
そうした特徴を持つ小麦若葉と出会ったのも何かの縁であるから、この縁に感謝をして、今後はそれを摂取してみての観察を行っていきたい。フローニンゲン:2019/6/3(月)03:57
No.2023: The Peaceful-Ocean-Like Morning
This mooring looks like the peaceful ocean. My inner reality looks so, too. Groningen, 07:14, Tuesday, 6/4/2019
4489. 今後の旅に持参する食材について:「小麦若葉(ウィートグラス)」に関する 新たな発見
時刻は午前4時を迎え、つい先ほどから小鳥たちの鳴き声が聞こえ始めた。この時間帯はまだ真っ暗闇に包まれているが、その静けさはとても黙想的であり、なおかつ観想的である。
こうした早朝の素晴らしさを味わうことができているのも、ひとえに早起きをしたからであり、早起きをすることができているのは、早朝の日記で書き留めた理由によるだろう。
先ほど、昨日購入した「小麦若葉(ウィートグラス)」について日記を書いていた。今月末のモスクワ旅行においては、前回のバルセロナとリスボンへの旅行と同様に、オイルプリング用のココナッツオイルを小瓶に入れて持って行こうと思うが、それに加えて、小麦若葉の瓶をそのまま持って行ってもいいかもしれない。
機内に持ち込める液体は制限されているが、粉末状のものであればスーツケースに入れておけばなんら問題はないだろう。
旅先でも今の食生活を変えることなく、果物を中心にし、植物性のパウダーを摂取するような食生活を送っていく。理想としては味噌汁を飲むたいと思っており、確かに近所のオーガニックスーパーには、粉末状の味噌汁が置かれているため、それを旅先に持っていけば味噌汁が飲めるのだが、今回の旅ではそこまでする必要はないかもしれない。
とはいえ、食用の油に関して言えば、ココナッツオイルのみならず、今回のモスクワ旅行では、オメガ3脂肪酸が豊富に含まれたアマニ油を小瓶に詰めて持参する。
昨日もスーパーに向かって歩いている最中に、良質な脂質、つまりどのような油を日々摂取するのかが重要だということについて考えていた。以前の日記で言及した通り、私たちの脳は65%が油で構成されており、摂取する油の質が脳の働きに大きな影響を与えることを私は強く実感している。
食べ物を食べて思考の働きが鈍るという話をよく聞くが、その主な要因はおそらく二つあり、一つは単純に、食べ過ぎによって胃腸に消化エネルギーが割かれ、思考にエネルギーが回らないことと、もう一つとして、食材に含まれている油が良質なものでない場合、そうした劣悪な油が思考の働きを阻害してしまうのだと思う。
そのようなことを考えてみると、脳を健全に働かせ、ひるがえって身体全体を健全に働かせるために、良質な油を摂取していくことの大切さがわかる。
先ほど調べていた小麦若葉(ウィートグラス)について、大麦若葉との比較の観点でいえば、小麦若葉の方が、食物繊維、GABA、鉄分が豊富に含まれていることがわかった。また含まれているビタミンに関しては、より具体的に、ビタミンA、ビタミンC、ビタミンEが豊富に含有されていることが判明し、小麦若葉が持つ高いデトックス効果——小麦若葉を構成する7割のクロロフィルは、食物繊維の5000分の1ほどの大きさしかなく、その小ささゆえに、腸内を隅々まで掃除してくれる。小腸の絨毛の細かいところまで入り込み、有害な金属物質などの毒素を体外へ排出してくれる——も含めて、今後は小麦若葉を積極的に摂取してみようと思う。
クロロフィルについては先ほどの日記でも少し言及したが、改めてそれについて調べてみると面白いことがわかった。クロロフィルは、人間の血液の赤い色素であるヘモグロビンと非常に似た構造をしているため、「緑の血液」とも呼ばれる。
両者の違いは、クロロフィルの中心元素がマグネシウムであるのに対し、ヘモグロビンは鉄であることだと知った。中心元素は異なれど、両者の類似した分子構造により、クロロフィルはヘモグロビンのように造血作用、および血液と同じく体内を調える作用があると知って大変興味深く思った。
現代人は、鉄分やマグネシウムが不足しがちであることからも、小麦若葉は注目に値するのではないかと思う。最後に、小麦若葉は栽培もそれほど難しくはないそうなので、いずれは自家栽培を行ってみたいという考えも芽生えたことを書き留めておく。フローニンゲン:2019/6/3(月)04:31
No.2024: The Morning Atmosphere in Groningen
From now, I’ll study the theory of chords, and then, I’ll start my work for a collaborative project with a company. Groningen, 07:56, Tuesday, 6/4/2019
4490. 仮眠中のビジョン
今朝は早朝の2時半に起床したこともあり、少し速いが、9時を迎える前に15分ほど仮眠を取った。そこで夢の世界のようなビジョンが展開されていたので、覚えている範囲のことを書き留めておきたい。
ビジョンの中で私は、高校3年生の時に同じクラスであった同級生と出会った。彼はある大学に進学することになったそうであり、そこは彼の第一希望ではなかったそうだが、それでもその大学に合格したことは彼にとって喜ばしいことであったらしく、私もそれを祝した。
そしてもう一つ、彼は先日合唱コンクールに出場し、そこでも優勝というめでたい結果を得たようだった。話を聞いてみると、その合唱コンクールは部活で参加したものではなく、クラス対抗のものであり、私は彼と同じクラスのはずだったのだが、どうやら自分はそのコンクールに参加していなかったのだと知った。
私は特にそれを気にすることはなく、「いつコンクールがあったかな?」と記憶を辿るようにそれを思い出そうとしてみたが、結局何も思い出せなかった。
彼と立ち話をし、そこで別れようとしていると、向こう側から一際背の高い男性がこちらに向かって姿が見えた。見るとそれは、高校時代の現代文でお世話になっていた先生であった。
先生は185cmほどの身長があり、柔道をやっていたこともあり、体格が非常に良かった。先生は私たちの方に歩み寄ってきて、話しかけてきた。
先生の表情は柔らかく、微笑みを浮かべており、私たちが何の話をしていたのかに関心を持っていたようだった。私は少し急ぎの用事があったので、先生と友人と別れ、その場を後にした。
今まで友人と話をしていた場所というのは、一階建てのショッピングモールのような場所であり、衣類や雑貨などが置かれていたのを覚えている。また、幾つかのコーナーには、バーゲンセールスの品が並んでいたことも覚えている。
その場を後にした私は、建物の出口を出て、右方面に歩き出し、地下鉄の乗り口に向かうような地下に降りていく階段を見つけた。その階段を途中まで降りると、小中高時代の親友(HO)がいて、その場で再会を祝い、立ち話を始めた。
すると、彼は私が通っていた大学に入学したいと述べ、今受験に向けて猛勉強を進めているとのことであった。だが、猛勉強をしていると述べる割に、このように外出して外に遊びに出かける余裕があるのだな、と私は思った。
それを口に出すことはせず、ただ自分が受験した当時の勉強量と学力を考えてみたときに、彼には少し親切に事実を伝える方が良いかとも思った。そこで私は、押し付けがましくならないように、彼の志望する大学に合格するための勉強量と学力についてそっと教えることにした。
すると、彼は突然何かを思い出したように、私に別れを告げ、階段を下って行った。私は一瞬唖然としたが、私も用事があるために、階段を下りていくことにした。
するとそこで今度は、中学校一、二年生の時にお世話になっていた部活の顧問と出会い、親友が急いで階段を下っていった姿を見たということを述べた。私はそれを知っていたが、一応先生にお礼を述べ、階段の上から友人の名前を大きな呼んでみた。
階段にその声が響き渡ったが、彼からの応答はなかった。そこで場面が変わった。
次の場面では、同じ山口県出身で同じ大学に入学した友人の部屋が舞台であった。彼の部屋には複数のパソコンがあり、二台がデスクトップ、もう二台がノートパソコンだった。
どういうわけか、彼はまだ受験勉強の最中のようであり、それにもかかわらず、勉強そっちのけでパソコンをいじっていた。私はそんな彼を見て、「勉強の方は大丈夫?特に数学の進捗は?」と尋ねてみた。
すると彼は、「勉強どころじゃないよ。パソコンのバグを早く直さないと」と述べた。見ると、パソコンにバグが発生し、うまく機能しないらしい。しかもほぼ全てのパソコンにバグが見つかったようであった。
私は彼の部屋の入り口に立ったまま、彼のパソコンのモニターを眺めていた。すると、一台のモニター上に、私が彼のインターネット回線に接続をした旨の表示が出てきた。
私は一瞬それを驚いたが、ちょうど脇に抱えていた自分のパソコンが無線ランを通じて彼のインターネット回線に接続されたのだと思った。
以前彼の家に遊びに来た時に、自分のパソコンを経由して彼のインターネット回線に接続させてもらい、インターネットを使ったことがあるのを思い出し、その時のログイン情報が記憶されていたのだと推測した。彼があまりにも熱心にパソコンを直そうとしているため、私は勉強についてはそれ以上何も言わず、彼の部屋を後にすることにした。フローニンゲン:2019/6/3(月)09:24
No.2025: Daily Unexpectedness
Our daily life is rife with unexpectedness. Groningen, 11:15, Tuesday, 6/4/2019
4491. 仮眠中のビジョンの続き
天気予報の通り、外は曇り空であり、小雨が降ってきそうな天気である。現在の時刻は午前9時半であり、10時頃から小雨が降り始めるかもしれない。
幸いにも、夕方には天気が回復するようなので、早朝の計画を少しばかり変更し、午前中にジョギングに出かけるのではなく、やはり今日もいつもと同じ時間帯の夕方に出かけ、帰りに近所のスーパーに立ち寄りたいと思う。
今朝は早朝の2時半に起床したとこともあり、9時前に15分ほど仮眠を取っていた。その時に知覚されたビジョンについて先ほど書き留めていたが、最後にもう一つビジョンを見ていたことを思い出した。
ビジョンの中で私は、小さな畳部屋にいた。その部屋には太陽の光が降り注いでおり、陽気さを感じさせた。
なぜだか部屋の真ん中には巨大なまな板が置かれており、その上にこれまた巨大な牛肉があった。私はそれを見て驚くこともせず、誰かのために料理の支度をしようと思い、その牛肉の解体作業に取り掛かった。
「解体作業」と言っても、それは生肉ではなく、すでに幾分火が通されており、あとは食事に使う分を切り取り、料理を食べる人の好みに応じて、もう少し火を通すのかどうかの判断をすればよかった。
いざその巨大な肉を切ってみると、質がいいためか、すんなりと肉が切れるのだが、凄まじいほどの肉汁が溢れ出した。ジューシーな肉汁が溢れる光景は、きっと肉好きにはたまらないのだと思うが、肉類を食べない私にとっては、その光景はそれほど感情を揺さぶられるようなものではなかった。
まな板から肉汁がどんどんとこぼれ出し、畳に滴り落ち始めた。するとそこで、二人の女の子が部屋に入ってきた。
どうやら二人は姉妹のようであり、姉の方は中学生ぐらい、妹は小学校の中学年ぐらいの年齢であった。彼女たちは、私が切っている肉を見て、「美味しそ〜う」と目を輝かせながら叫んだ。
それに対して私は、「ちょっと味見してみるかい?待ってて、もう少し火を通してあげるから」と述べた。そこでビジョンから覚めた。
いつもは午後に仮眠を取るのだが、今朝はいかんせん早く起きすぎたこともあり、午前中に仮眠を取ることになった。仮眠の時間はわずか15分程度であったが、先ほど書き留めた内容も含め、普段ビジョンを見ている時と同じぐらいに鮮明な内容であった。
人間の深層意識を研究したユングが述べているように、夢やビジョンというのはそれを書き留めるだけでも意味があると私も思う。それらを書き留めるという行為だけでも、それが治癒的な実践になっているかのようなのだ。先ほどのビジョンを書き留めてみると、改めてそのように思う。
そういえば、今朝はまだ夢の振り返りをしていなかった。仮眠中のビジョンを振り返っておきながら、夢について振り返っていなかったというのはおかしな話だが、こういう日もあるだろう。
起床したのが今からもう7時間も前のことであり、夢についてはあまり覚えていない。覚えていることといえば、夢の中で小鳥たちと会話をしていたことである。
小鳥たちが人間の言葉を話すこともあれば、私が鳥の鳴き声を発することによってコミュニケーションを図ることもあるという不思議な内容だった。また、友人か見知らぬ人か誰かと、食について、とりわけ味噌汁の効能について意見交換をしていたのを覚えている。
今日は、夢の内容は不鮮明ながら、ビジョンの内容は鮮明であるという日なのだろう。フローニンゲン:2019/6/3(月)09:48
4492. 夕食後の過ごし方
つい今しがた夕食を食べ終えた。時刻は午後の7時を迎えようとしている。
就寝前のおよそ3時間前に軽めの夕食を摂り終えたことによって、明日の朝もきっと早起きをすることができるだろう。そうすれば、今日と同じように、朝から夕食までの時間を自分のライフワークに思う存分充てることができるだろう。それが明日の充実感と幸福感を生みだし、人生全体の充実感と幸福感をもたらしてくれるに違いない。
結局今日は、小雨が降らなかった。夕方近くまで曇っていたが、今は空がすっかり晴れ、西日が街に降り注いでいる。
フローニンゲンの夜はめっきり長くなり、いつも寝室のベッドの上に横になるときにはまだ明るさを感じるほどである。これから3時間ほどの時間をかけて、ゆっくりと太陽が西の空に沈んでいく。その様子を眺めながら、今日の活動をゆっくりと締め括っていきたい。
ここ最近は、夕食後に作曲実践することを控え、夕食までに納得するだけ作曲をするようにしている。夕食後にはメールの確認と返信などの作業があり、夕食後の時間は夕食を消化するためにあるため、創造活動にはあまり適さない。
同様に、読書をして新しいことを学ぶことにも適さないことを感じる。そうしたこともあり、仮に夕食後に書籍を読むとしても、それは新しい何かを取り入れるためというよりも、その日に読んだ書籍をもう一度繰り返し読むことによって、その内容を定着させるような形にしている。
例えば今日であれば、コード進行の専門書を3章ほど読み進め、その中の重要な項目を復習するかのようにして、就寝前にもう一度読み返したいと思う。私には、新しいことを学ぶことに駆り立てられる本質的な性質があるが、それに従うのではなく、その性質を活用しながら、その日の学習内容を定着させることに夕食後の時間を充てていくことが賢明だ。
新しく次から次に知識項目を追いかけていくのではなく、その日に読んだ文章の中で重要な箇所を再読し、繰り返しそれと触れることによって、知識を血肉化させていく。まるで食べ物を何度もよく噛みながら咀嚼するかのように復習を伴った読書をしていく。特に、作曲理論に関する専門書との付き合い方はそのようにしていこう。
夕食後にメールを返信し、その日に読んだ書籍や論文を再度繰り繰り返し読んでも時間が余っていたら、過去の偉大な作曲家が残した楽譜を眺めたり、画集を眺めたりする。そのようにして、絶えず創造活動の流れの中に自己を浸らせておきたい。
私にとっては、楽譜や画集を眺めることはリラックス効果があるらしく、それらを眺めながら自己を穏やかな状態にし、創造を司る自己を着実に涵養していく。そして、黙想的な状態の中で就寝に向かっていくようにしたい。
そのようなことを夕暮れ時に考えており、それをこれから実行に移していく。フローニンゲン:2019/6/3(月)19:06
No.2026: Passing Clouds
I’m seeing passing clouds at twilight. Groningen, 16:12, Tuesday, 6/4/2019
4493. 夢と仮眠中のビジョンの違い:小麦若葉と大麦若葉の違い
毎朝早朝に日記を執筆し、昼か午後に早朝の活動について振り返り、夜にはその日一日の活動を振り返り、明日以降の実践につなげるような新たな試みについても考えを巡らせることが習慣になっている。
日記を執筆することは、本当に内省的な生活を自然ともたらし、それは即、黙想的かつ観想的な生活を実現させていくことを実感する。
もちろん、両者の生活の間には隔たりがあるが、日記の執筆を毎日欠かさずに継続していれば、その隔たりはいつか必ず瓦解する。だが、それは毎日欠かさずに実践をしなければ瓦解しないものでもある。
今日は早朝の2時半に起床したため、午前9時前に一度15分ほどの仮眠を取ったことに言及していたかと思う。その後、夢とビジョンの違いについて考えていた。
それは私が単に区別しているだけなのだが、実際に体験的な違いがあるためにこれまで二つを区別していた。改めて冷静にそれらについて考えてみると、夢というのは、夢を見ない深い眠りの意識に一度落ちていき、そこから覚醒意識に戻ってくる過程の中で現れるものである。
一方仮眠中のビジョンは、夢を見ない深い眠りの意識に落ちていく前に現れるものである。そうした違いが両者にあることにふと気づいた。
そうした違いがあるためか、ビジョンの方が明晰夢的な特徴を持っている。明晰夢というのは、夢の中の自分が夢を見ていることに自覚的な夢のことを指すが、仮眠中のビジョンはそうした特徴を持つことがある。
それはやはり、ビジョンというものが深い眠りに落ちる前、あるいは夢のない深い意識の層に降りていく前に知覚されるものだからだと思う。こうした違いが明確になることによって、明日からの仮眠中の体験もまた変化するかもしれない。
あるいは、そこから得られる気づきや発見が異なってくることが予想される。今夜の夢、そして明日の仮眠中のビジョンが楽しみだ。
今日は午前中に、昨日購入した小麦若葉(ウィートグラス)を早速飲んでみた。端的には、「ラジオ体操の味」がするというのが感想である。
それは決して否定的な意味ではなく、むしろ私には美味しく感じられた。飲みやすさとしては、世間一般で言われていることとは逆に、私にとっては大麦若葉の方が飲みやすく感じられるのだが、小麦若葉も美味しいことにはかわりない。
「ラジオ体操の味」というのは、小学校の夏休みの際に、自宅の前の公園で毎朝ラジオ体操があり、その時の公園の緑の香りと、夏の早朝の香りとが複合的に混ざったような味のことを指す。これは私に固有の二つの体験を組み合わせたものであるから、自分にしかわからないような表現の味かと思う。だがそうした言葉が生まれたことにより、小麦若葉には大きな親近感を感じるのも確かだ。
偶然の可能性も踏まえると、一度の試行実験の結果を信じることはできないのだが、小麦若葉が「地球上で最もデトックス効果がある」と言われていることを示唆するかのように、午前中に2回ほど排便があった。明日からはこの効果が正しいものなのか——少なくとも自分の身体にとって——を検証するために、起床後のオイルプリングの後に飲んでいる大麦若葉の代わりに、小麦若葉を摂取してみようと思う。
小麦若葉と大麦若葉には、栄養面のみならず、効能にも違いがあり、前者はクロロフィルが豊富であるがゆえのデトックス効果が特に期待でき、後者はSOD酵素(Super Oxide Dismutase:活性酸素を取り除く酵素)が豊富であるがゆえの健康全体の増進効果に特に期待ができる。
調べてみると、両者ともに栽培が簡単そうであり、少なくとも小麦若葉に関しては、種を植えてから、一週間から10日ほどで収穫が出来てしまうそうだ。それをジューサーにかけて、自家製の青汁を作るという選択肢を真剣に考えてみようと思う。フローニンゲン:2019/6/3(月)19:23
4494. キャッシュを生む資産と今後の資産運用について
時刻は午後の8時半を過ぎ、西の空に太陽が沈もうとしている。この時間帯もまだ明るく、柔らかな西日が書斎に差し込んでくる。
私が好きな時間帯は、早朝の時間帯と夕暮れどきの今の時間帯だと言えるだろう。どちらの時間帯においても小鳥の鳴き声が聞こえ、黙想的な気分にさせてくれる。
起床と共に黙想的な意識状態で一日を始め、黙想的な意識状態で一日を終えること。このシンプルな事柄がどれほど自分の日々を支えてくれることか。そして、どれほどそれが自分の人生を緩やかに深めていってくれていることか。この幸せには本当に感謝しよう。
今朝は早朝の2時半に起床したが、明日は3時から4時に目覚めることができればと思う。今の私にはそのくらいの時間帯に起床するのがちょうどいい。
食生活の抜本的な改善が、睡眠の質と時間にこうした影響を及ぼすとは思ってもみなかったことである。睡眠の質と時間がさらにより良いものとなったことによって、日々の充実感と幸福感が以前以上に増したように思う。
以前感じていた充実感と幸福感は、ほぼ最大値のように思っていたのだが、その値を超えて、さらに別の次元の値に向かっているように思う。もはやそこには無限大の充実感と幸福感の海、あるいは宇宙しかないのかもしれない。
一昨日の夏日和の日に私は、街の中心部のオーガニックスーパーに向けて散歩を楽しんでいた。その最中に、現在保有している知的財産や各種資産性のあるものについて改めて考えていた。
前者に関しては、書籍の印税や、企業と開発した各種のプログラムやサービスなどがわかりやすいが、後者に関しては、確かに手持ちの絵画も貸借対照表には資産として計上できるかもしれないが、それがフローとしてのキャッシュを生み出さない点において、それを資産性のあるものだとは見なしていない。
例えば、株式、国債、不動産などは、毎月ないしは毎年キャッシュを生み出すという点において、資産性のあるものだとみなすことができる。そのようなことを考えながら、ざっと自分の保有している知的財産や資産性のあるものについて再度確認をしていた。
これまでも言及しているように、私のライフワークは決してマネーゲームに興じることではないが、ライフワークのみに偏狭的に専心するためには、労働収入がゼロであっても精神的にゆとりのある生活を実現することができ、なおかつそれは短期的においてではなく、一生涯にわたってそれが実現され続けている状態を生み出す必要がある。
そうしたことからも、知的財産や資産性のあるものを含め、毎月・毎年安定的にキャッシュを生み出すものをいかに保持・構築していくかというのは大切になる。そうしたことが大切なのは、上述の通り、ワイフワークにただただひたすらに打ち込むためであり、同時に今生きているこの現代社会の性質上、どうしてもキャッシュがある程度必要になるという点も挙げることができるだろう。
スーパーからの帰り道に街を歩きながら、簡単なシミレーションとして、例えば、毎月に20万円ほどのキャッシュをコンスタントに得られるような資産について考えてみた。毎月20万円ほどの不労所得が入ってくるというのは、多くの人にとってはそれだけで月の生活費を賄えてしまうことも可能であるため、それほどバカにできないことだろう。
例えば、自分が何かしらのコンテンツを提供し、それが月に20万円ほどのキャッシュをもたらしている場合、それは年利2.5%の10年物米国債に換算すると、9,600万円分を保持していることと同じである。つまり、そのコンテンツは、およそ1億円分の10年物米国債を運用しているのと同じなのだ。
もしかしたら、月に1万円のキャッシュ、年で換算するわずか12万円のキャッシュをバカにしてしまう人もいるかもしれないが、これもまた10年物米国債に置き換えてみると、480万円ほどの10年物米国債を運用を運用しているのと同じなのだ。
歩きながらのシミレーションとして、よく話題に挙がる10年物米国債を取り上げたが、別に他の投資対象に置き換えて考えてみてもいい。
これからの一、二年は、これまで以上に資産運用の学習と実践を進めていこうと思う。今年の残り半年は投資量を増やし、資産が変動するかもしれないため、それに向けた諸々の準備と対策も進めていこう。フローニンゲン:2019/6/3(月)21:07
6月3日(月)に生まれた曲たち
Op.1211 早朝の進行
Op.1212 曇の騎士
Op.1213 曇り空の挨拶
Op.1214 夕暮れへの道
Op.1215 王宮的夕暮れ