タイトル一覧
4450. 早朝に思う食に関すること
4451. 今後のベジブロス:思慮深い考察と実践に向けて
4452. 音符の声を知覚する仮眠中のビジョン:バッハのコラールより
4453. 深いつながりを実感させてくれる他者の日記
4454. 金融投資についての再考:インカムゲインによる生活
4455. 今朝方の夢
4456. かかりつけの美容師メルヴィンとの対話より
4450. 早朝に思う食に関すること
時刻は早朝の5時半を迎えた。今朝は4時半過ぎに起床し、起床直後のオイルプリングとヨガの実践を終えた後、浴槽と洗面台の掃除を行った。心身の小まめなケアが必要なのと同じように、浴槽や洗面台も時折掃除をしてあげる必要がある。
昨日からまた少し気温が下がり、昨夜も湯たんぽを使用して就寝をした。今朝が冷えることがわかっていたので、就寝前にはヒーターをつけておいた。そのおかげか、今、書斎の中は暖かい。
今夜は寒さがかなり厳しく、気温は4度まで下がるとのことである。明日からはなんとか最高・最低気温ともに上がるようなので、今日までの辛抱となるだろうか。
今日は昼前に、オンラインミーティングが1件ほどあり、午後からはかかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらう。メルヴィンとおよそ6週間に一回ほど話をすることは、私にとっての楽しみの一つである。
この街であと一年間生活を続けることをメルヴィンも喜んでくれており、私もさらにもう一年メルヴィンと話ができることを嬉しく思う。髪を切ってもらったら、その足で街の中心部のオーガニックスーパーに立ち寄り、そこで豆腐を購入する。
今のところ、固形物としての豆腐は継続して摂取していきたいと思う。これまでは二日に一回、およそ100gほどの量を食べていたのだが、これからは毎日それぐらいの量を食べてもいいかと思う。
今購入しているお気に入りの豆腐は400gほどの量が入っており、それを二日に一回に分けて食べると、封を開けてから一週間ほど保存する形になる。もちろん、豆腐は保存がきき、これまでも味の変化を感じることはなかったため、問題はないと思うのだが、できるだけ鮮度の良い状態で食べ物を味わいたいという思いがあるため、本日からは毎日豆腐を少々食べようと思う。
何を食べるのか、そして何を食べないのかに関しては、自分なりの基準というものが明確になってきている。昨日にふと、義務教育時代の給食について思い出していた。そういえばそこでは、マーガリンとパンの組み合わせが時折出されていたことを思い出したのである。
学校給食でマーガリンが出されていたというのは、今となってはとても恐ろしい。マーガリンにはトランス脂肪酸が大量に含まれており、それを摂取することはプラスチックを食べるようなものである。
トランス脂肪酸は、すでにいくつかの国で危険物として食用への使用が禁止されているのだが、日本ではまだ使用が認められているようだ。しかもその名称は、トランス脂肪酸と明記されている場合もあれば、名前を変えて、「植物油脂」という表示になっていることもある。
食に関する知識がない場合、「植物油脂」と聞くと、何か体に良さそうなものに思えるかもしれないが、それは全くの誤解である。消費者を巧妙に欺く仕組みが存在していることの問題、およびその問題の根本にある思想についてはより探求の余地があり、この点についても何かしらの関与をしていく必要がある。フローニンゲン:2019/5/28(火)05:59
No.1995: A Quiet Mutter
I’ll go to a barbershop shortly. The cloudy weather makes me mutter to myself. Groningen, 14:29, Tuesday, 5/28/2019
4451. 今後のベジブロス:思慮深い考察と実践に向けて
時刻は午前6時を迎えた。今、一羽の小鳥が高音の鳴き声を上げ、それが辺りに響き渡った。
今日もまた、本当に穏やかな世界が外に広がっている。風がほとんどなく、朝日が赤レンガに照らされ始めている。
フローニンゲンの街の夕日が暮れゆく姿も美しいが、私は早朝のこうした穏やかな景色が一番好きかもしれない。そうしたことを考えてみると、自分の人生の本質には穏やかさがあるようだ。
私の名前にある「平」という文字は、やはり私の本質を表しているようだ。平穏さを求める自己。今日もそうした自己としてこの世界を生きていこうと思う。
つい先ほど、目覚めの一杯としての大麦若葉とチアシードを混ぜたドリンクを飲み終えたため、今はゆっくりと、一杯の味噌汁を飲んでいる。昨夜もベジブロスを作ったが、今回のベジブロスは具材がとても少なく、非常に質素なベジブロスだと言えるかもしれない。
用いた材料は、リンゴの芯と種、アボカドの皮と種、サツマイモの切り端、トマトのへただけである。二杯分の味噌汁に使うベジブロスを作ってみると、意外にも色が付いていることに驚いた。
今回は玉ねぎと人参がなかったためか、琥珀色ではなく、薄紫色のベジブロスが出来上がった。具材として入れた野菜の数は少ないが、味噌汁の出汁としては申し分ない。
これまでは白湯に味噌を溶かして飲んでいただけであり、それに比べると今の出し汁で十分だと言えなくもない。今後はサツマイモも食べるかどうかわからず、アボカドも毎日食べているわけではないので、リンゴとトマトのへただけのベジブロスを作ることになるかもしれない。
毎日食べている果物としてはバナナがあるが、この皮はさすがに使えない。いくら無農薬なオーガニックバナナだとはいえ、食べ終えたバナナの皮を観察してみたらわかるように、すぐに腐り始めてしまうため、それをベジブロスに入れるのは好ましくないことが容易に想像出来る。
今後のベジブロスの具材はより少なくなってしまうかもしれないが、食養理論の根幹精神である「一物全体」の考え方を採用し、少量の果物や野菜であっても、そのくずを残さずに有効活用したいと思う。
日記の筆をひとたび取ると、いつも雑多なことを考え、いつも雑多なことを思い出す。そういえば、昨日は、個人の幸福と集合的な幸福について考えていた。
個人の幸福を追求し、それを確保することはもちろん大切なことなのだが、そうした個人の幸福と集合的な幸福がいかに結びつくのか、さらには、いかに結びつけられるべきかについて考えていた。なんら良い考えは浮かばなかったが、そうしたテーマが脳裏をよぎったことだけは確かである。
個人の幸福を追求することが、社会的な幸福と正義の実現に結びついていくこと。それを可能とする思慮深い考察と実践が重要になる。
そうした考察と実践の輪郭は非常に曖昧ながらもぼんやりと見えてきていることは確かであるため、その輪郭をより鮮明なものにしていく。そのためには、この主題を絶えず頭のどこかにしまっておき、この主題を繰り返し考え、そして実践を継続させていくことが大切になる。
考察と実践の繰り返し。それはいかなるテーマであっても、自分の人生において不可避のようだ。フローニンゲン:2019/5/28(火)06:25
No.1996: Repose in the End of the Day
I was filled with a sense of fulfillment today, too. I’ll also have the same kind of fulfillment tomorrow. Groningen, 20:48, Tuesday, 5/28/2019
4452. 音符の声を知覚する仮眠中のビジョン:バッハのコラールより
昨日の午後に仮眠を取っている際に、不思議なビジョンを見ていたことを思い出した。ビジョンとして音符が現れ、音符の悲鳴と喜びの声のようなものが聞こえたのである。
とっさに私は、C Majorの和音が悲鳴を上げたことに気づいた。音符にもそれぞれ喜怒哀楽のようなものがあり、それは音楽のコンテクストに応じて変化する。
まさに一つ一つの音符というのは、私たちの一つ一つの感情と同じような性質を持っているのかもしれない。あるいは、音符を感情と対応づけるのではなく、音符を私たち自身のような生命と対応付けてもいいかもしれないと思う。
一つ一つの音符が一つの生命であると考えれば、昨日日中にぼんやりと考えていたことも合点がいく。
昨日、書斎の窓に近寄り、外の景色を眺めていた時に、私はなぜか、自分の内側の音楽宇宙を無限に拡張・深化させていこうと思ったのである。そうした無限の拡張・深化に合わせて、自己の音楽宇宙の絶え間ない探求をしていこうと思ったのだが、そうした考えが芽生えたのも、音符の声をビジョンとして知覚したことと無縁ではないだろう。
数日前から、作曲実践後に普段描いている絵の描き方を変えてみた。それは意識的に変えたのではなく、自然と変わった。
これまでは、曲を作った後に、その曲によって喚起される内的感覚を水筆色鉛筆で絵として描き、水を染み込ませて一つの絵として表現していた。この実践そのものが変わったのではなく、これまでは利き手の右手で絵を描いていたことから、利き手ではない左手で絵を描くようになったのである。
なぜこのような変化が起こったのか定かではないが、左手で絵を描く体験をしてみると興味深く、今後もこの実践を続けていこうと思う。もちろん、利き手ではないために、線を描くのが難しいのだが、そうした覚束なさは、技術の習得過程において必ず見られる現象であるため、そうした覚束なさを楽しむような心持ちでこの実践を続けてみたいと思う。
普段使わない手で絵を描くことによってしか得られぬ発見や気づきがあることは確かであり、そうした予測不可能性と日々のちょっとした事柄を通じて遭遇することが、予測不可能性と斬新さを作曲実践の中に取り入れることにつながっていくのではないかと思う。
ダイナミックシステムとしての私たちは、自らの制約条件のもとに動き、新たな制約条件を作りながら、その中で生きて行く生き物でもあるため、ある一つの制約条件の中に滞留しないためにも、予測不可能性と斬新さを日々の実践に取り入れるような工夫をしたいものである。
作曲についはそれ以外にも、ここ最近はバッハのコラールに範を求めることを再び始めた。参考にしているコラールが収められた楽譜は、ロンドンの王立音楽アカデミーの書店で購入したものである。この楽譜をレジに持って行った時、ちょうどレジ係の若い男性はアカデミーの学生であり、彼もこの楽譜を非常に勧めていた。
彼の推薦がわかるぐらいに、この楽譜に収められている一つ一つの作品から学ぶことは本当に多い。上の階に住むピアニストの友人も、「バッハの一つ一つの作品を解釈していくことは、謎解きのようであり、汲み取れないほど深いものがある」というようなことを述べていたことを思い出す。
今後も私は、一遍の詩のような曲を作り続けていこうと考えており、特にバッハのコラールは参考になる。全440曲のコラールは、この人生において何度も参考にしていいだろう。
今朝の作曲実践においても、バッハのコラールに範を求めたい。フローニンゲン:2019/5/28(火)06:50
No.1997: At the Beginning of a New Day
As I imagined before going to sleep last night, today will be replete with a sense of fulfillment to me. Groningen, 06:17, Wednesday, 5/29/2019
4453. 深いつながりを実感させてくれる他者の日記
これまでの欧米での7年間の生活において、日本語空間に浸るのは自分で日記を書くときと、選りすぐりの和書を読むときしかなかったが、最近は、数人の友人のブログを読むことが一つの楽しみになっている。それは単純に「楽しみ」と形容できないほどに、自分にとっては意味のあることだ。
あえて言えば、友人たちのブログを読むことは、「人との深いつながり」を実感させてくれ、絶対的に孤独でしかありえない人間の生の中に、そうした孤独を豊かにしてくれる人との深いつながりがあることを教えてくれる。
とりわけ二人の友人が毎日更新するブログは大変面白く、促しと励まし、さらには気づきや発見を与えてくれるため、毎日読むことを楽しみにしていた。ところが、ここ一週間更新が途絶えてしまったことを、私はひどく残念に思っていた。
しかし、二人のうちの一人が日本への旅行からオランダに戻ってきたようであり、また日記が更新されていることをとても嬉しく思った。二人に毎日日記を執筆することを勧めたのは私であり、日記の更新が止まってしまった時、実は自分の内側にあるシャドーが顔を覗かせ、二人に少々意味ありげなメールを送ろうかと思ったが、それはやめた。もう一人の友人の日記も再び更新され始めることを期待する。
いかなる実践もそうであるが、継続しなければ見えてこない奥深いものというのが無限の螺旋階段のように存在している。また、継続することの困難さというのは所与であって、そうした不可避の事柄に直面して、すぐに実践を止めてしまうのは実にもったいない。
私にとって、言葉で綴る日記と、音によって綴る日記的作曲は、生きることそのものであり、そうした実践を止めることは、即自分の人生を生きるのを止めたことを意味するようなものになっている。これは大げさでも極端でもなんでもなく、自らの人生を綴るということは、一人の人間が持つ固有な命を生き切るという観点において、非常に大切なことのように思えるのだ。
私はそうした手段以外には、自分が生まれたことへの感謝、生きていることへの感謝を表現することができない。
日記を執筆することの意義については、各方面で友人に話したり、時には協働者の方々にも伝えている。そういえばこれまで、両親にはそれを伝えていなかったことを思い出し、ぜひこの秋の一時帰国の際にはそれを伝えたい。
父は以前に幾つかのテーマに関するブログを執筆しており、今も愛犬との旅ブログを執筆している。そのブログを楽しみに読んでいるのだが、更新頻度が低いことが残念である。
父には私が持っていないような文才があるのであるから、ぜひ毎日日記を執筆することを勧めてみたい。また母にも日記の執筆を勧めてみよう。
探究や実践に関して自分が記録癖を持っているのは、母の影響が多分にあるような気がしている。数年前のことになるが、母がフラダンスを習っていた頃に、実践を通じて得られた学びや気づきなどを詳細に綴っているノートを偶然発見して、大変感銘を受けたのを覚えている。
現在は再びピアノの演奏を楽しんでいる母に、ぜひピアノの練習を通じて得られたこと、及びピアノ曲について調べて得られた事柄などを日記として文章にまとめていくことを勧めたい。
そうしたことを勧めるのは、もちろん、自分の言葉で体験を書き留めていくことが、自己及び実践を深めるだけではなく、人生そのものを深めるためでもある。その一方で、二人がどのように日々を生きており、どのように人生を生き切ったのかを知りたいという、私の個人的な願望も多分にあるだろう。フローニンゲン:2019/5/28(火)07:26
4454. 金融投資についての再考:インカムゲインによる生活
この現代社会を生きていく上では、どうしても金銭というものを得なければ生活が成り立ちづらく——都市で生活する場合には特に——、捕食者のような存在が至る所に潜んでいるこの世界で資産を保全していくためには、どうしても投資に関するリテラシーが不可欠のように思う。
昨日も、今後の投資について考えていた。それは一般的な意味における金融投資についてである。
確かに、今現在毎月得られているインカムゲイン(不労所得)だけで月の生活費は賄えているが、今後自分のライフワークのみだけにより深く打ち込みたいとなった場合には、ライフワークの多くは金銭的な対価を得られるものではなく、またそうしたものを得ることを望んでもいないため、金銭に関してはやはり別の手段から得る必要がある。
そうした時に投資というのは極めて重要な手段であり、投資においても、資産を増やすというよりも、資産を保全し、インカムゲインの総量を今よりもよりゆとりのあるものにしていくことを現在考えている。
もちろん、金融投資に関しても、自ら運用ができればそれに越したことはないのだろうが、私のライフワークは決して金融投資を行うことではないことと、投資の世界も他の世界と同様に、専門的な知識と技術が求められ、それこそ投資の世界は被食者と捕食者に明確に分かれる世界であるため、運用そのものはプロに任せ、その過程で金融の世界とそれを取り巻く現代社会の様相を学んでいこうかと考えている。
以前、私が20代前半の頃に、学生時代から親交のあった友人がヘッジファンドに転職することになり、仮に彼のファンドに資金を預けるならどれくらいの最低投資額が必要かを聞いてみた。すると、1億円は最低必要だと言われ、20代前半の私はそのような資金がなかったので、ファンドへの投資はしばらくないと思っていたのだが、昨日改めて調べてみると、ファンドによって最低投資額が随分と異なることを知った。
プライベートバンクと同様に、ヘッジファンドにおいても、最低投資額は1億円ぐらいだろうと思い込んでいたが、どうやらそれは単なる思い込みのようであった。
昨日は、資産運用について色々と今後の方針を整理し、それをワードに書き留めていた。今後は、プライベートバンクとヘッジファンドに資産を預けるということも一つの選択肢として持っておきたいと思う。
ちょうど、国内のファンドで興味深いものを見つけたため、現在考えているある程度のまとまった資金が得られたら、そのファンドに一度連絡を取ってみようと思う。
海外非居住者の、日本のプライベートバンキングサービスを活用して得られた収益にかかる税金、および国内のファンドを活用して得られた収益にかかる税金の取り扱いがどのようなものなのかについて知識がないため、それは税理士のゼミの友人に確認してみたいと思う。もちろん、国内資産から得られた収益であるために、日本での税金の支払い義務があるのは間違いないが、税金の計算方法などは居住者と異なる可能性がある。
金銭的な呪縛から解放され、自らのライフワークに日々専心していくためにも、引き続き金融投資についても学習と実践を進めていく。ここからの一、二年は、インカムゲインによる生活をより安定させるような投資を行っていくことになるだろう。フローニンゲン:2019/5/28(火)08:01
4455. 今朝方の夢
たった今、仮眠から目覚めた。仮眠から目覚める際に、いきなり体を起こすと立ちくらみをしてしまいかねないので、ゆっくりと体を起こした。
今日も僅かばかりだが、仮眠中にビジョンを見ていた。そこでは、欧州のどこかの街が舞台となっており、私の視点はその街をスワイプするかのように動いていた。
そして、視点の移動のみならず、実際にその街で見知らぬ人物と何やら会話をしていたのを覚えている。特にこれといった印象はないのだが、ビジョンを見ていたという感覚が確かに自分の内側に残っている。
そういえば、今日はまだ夢の振り返りをしていなった。夢というのは興味深く、それを振り返っておくと、後々に思いもよらない気づきや発見をもたらすことがある。
また、現実世界において、まるでデジャブ現象のように、夢の出来事が何らかの触媒となって、リアリな世界の中で突然ハッとするような瞬間に遭遇するようなこともある。時刻はすでに午後の1時半を迎えたが、今現時点で覚えている夢について、特に解釈をすることなくとりあえず書き留めておきたい。
夢の中で私は、東欧諸国か南欧諸国のどこかの国の首都にいた。それは直感的に首都である。
その街は、一見するとある程度発展を遂げているのだが、その街の深層にはどこか侘しさが漂っている。その街に私がいた目的はよくわからない。気がつけばそこにいたというだけのことであり、それはこの人生に満ちた偶然性を象徴しているかのようであった。
その街は、海岸に面しており、私は海岸線を歩いていた。先ほどまでは晴れていたのに、突然空はドス黒い雨雲で覆われ、辺り一面が氷の世界に化した。道は凍結し、雪と氷で覆われた世界が目の前に現れたのである。
周りを見渡すと、そこには小中学校時代の友人の男女がそれぞれたくさんいて、皆一様に凍結してしまいそうになっている。私の格好はなぜだか半袖半パンであり、彼らの格好は私より随分暖かそうだったが、私は一切寒さを感じていないにもかかわらず、彼らは体をブルブルと震わせている。
それを見て私は、よくわからないのだが、「北海道の人を呼ぶから、今はなんとか耐えてくれ」とみんなに述べた。北海道出身の人であれば、こうした寒さの中で体を温める知恵でもあると私は思ったのかもしれない。
そんな呼びかけもむなしく、友人たちの体はみるみる凍えていき、皆立つことができなくなってしまい、倒れこんでしまった。ひとたび地面に倒れこんでしまうと、身体が凍りつく速度は加速する一方であり、また目を閉じてしまった友人たちは、どんどんと意識を失っていった。
それを見た私は、なんとか一人ひとりに声をかけていき、意識を保つように彼らに伝えていった。しかしそれでは埒(らち)があかず、私は全員で行える体操をすることを提案し、それを実行に移そうとしたところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は小中高時代の親友(SI)と一緒に、これまた東欧か南欧のどこかの国にいた。彼と一緒にバスに乗り、これから列車に乗るために駅に向かっていた。
どうやら親友は、私を訪ねにこの街にやってきてくれたらしく、これから列車に乗るのは彼だけであり、私は彼を見送るために駅に向かっているのだと気付いた。彼はこの土地に明るくないため、駅が近づいてくると、次の停車場で降りることを彼に伝えた。
私は、彼が列車に乗り込むところまで見送りたかったため、バスの停車場で一緒に降りて、駅に向かった。バスの停車場に降りた時、他の乗客の大半もそこで降り、一斉に駅に向かって行ったのだが、私は近道を知っていたため、親友とその道を通って駅に行くことにした。
駅に到着すると、まずは切符を購入する必要があった。この駅は、クレジットカードで切符を購入することができず、私は彼と一緒に切符売り場に向かい、そこで切符を求めた。
するとそこでは、二人のフランス人の男女の係員が対応をしてくれたのだが、なぜか支払い時にユーロが使えずに一瞬困った。今となっては使用されていないはずのフランス・フランでしか支払いができずに困ったと思っていたところ、二人の係員は特別な対応を私たちにしてくれ、ユーロでも切符が買えるようにしてくれた。
私がお礼を述べると、なぜか男性の係員は、「どういたしまして」という言葉をオランダ語で述べた。私は再度、「どうもありがとう」という言葉を英語ではなく、オランダ語で述べた。
無事に切符を購入できた私たちは、駅構内に入り、プラットホームに向かった。すると突然、駅舎の天井が変形し、そこに巨大なクレーンが現れ、それは地面すれすれの高さまで高度を下げ、ものすごい勢いでクレーンがスイングした。
もしその場にいた通行人にぶつかりでもしたら大変なことになっていたと思うが、幸いにも、そこには人が誰もいなかった。そんな光景を目撃し、唖然としていると夢から覚めた。フローニンゲン:2019/5/28(火)13:50
4456. かかりつけの美容師メルヴィンとの対話より
韓国のピアニスト兼作曲家のYirumaの穏やかなピアノ曲が書斎に鳴り響いている。時刻は夕方の5時を迎えようとしている。
フローニンゲンの街に、ひときわ爽やかなそよ風の群れがやってきて、街を清めている。そんな光景が目の前に広がっている。
つい先ほどまで、街の中心部にいた。かかりつけの美容師のメルヴィンに髪を切ってもらうために街の中心部に行き、そこから散歩がてらゆっくりと自宅に戻ってきたのは先ほどのことであった。
メルヴィンの店に向かう最中、この時期のオランダでは名物である、運河をかける橋が上がる光景を見た。電車が通り過ぎていくのを踏切で待つのと同じように、寸断された橋の前で、船が運河をゆっくりと進んでいくのを待っていた。
船は悠々自適に目的地に向かっていき、それを通行人たちが思い思いに眺めている。はて、果たしてあの船に目的地などあるのだろうか。
おそらくあるのだろうが、目的地を目指すことなど気にせずに、あのように悠々自適に進んでいくというのもまた人生の一つの愉しみ方であろうし、ひょっとすると、それこそが人生を真に生きることなのかもしれない。そんなことを考えながら運河を越えていった。
運河を越えて、街のシンボルであるマルティニ教会の姿が見えてくると、メルヴィンの店はもう目と鼻の先である。予約時間の数分前に店に到着すると、メルヴィンはソファでくつろいでいた。
お互いに挨拶を交わすと、メルヴィンは手招きをして、「ヨウヘイ、これを見て。随分と進歩したでしょ」と笑顔で述べた。ソファに腰掛けてメルヴィンがしていたのは、コンピューター上で行うチェスだった。
前回メルヴィンに髪を切ってもらった時に、チェスを習い始めたと述べていたのを思い出した。そうである。メルヴィンは、あるホームレスに無料で髪を切る代わりに、そのホームレスからチェスを習っているのである。
それを思い出しながら、メルヴィンが指差す画面を見ると、チェスの腕前が随分と上がってることがわかった。メルヴィンに緑茶をいれてもらった後、そこから私たちはしばらくチェスの話をしていた。チェスの起源の話、チェスがメルヴィンの生活にどのような良い影響を与えているのかの話など、チェスと関連付けて話題は多岐に及んだ。
その後、ふとしたきっかけで、私たちは音楽の話をし始めた。私が作曲をしていることを以前からメルヴィンには伝えていたが、曲を公開していることについては話しておらず、ふとそれについて言及すると、メルヴィンはすぐに髪を切る手を止めた。
メルヴィン:「Youtubeで検索すれば出てくる?早速、検索しよう!」
ここでもメルヴィンは満面の笑みを浮かべて、まるで子供のようにはしゃぎながら、カウンターの机の上に置いてあるiMacの方に向かっていった。
私:「いや〜、人に聴かせられるようなものを作ってないよ」
メルヴィン:「気にしない、気にしない。作品の出来云々じゃなくて、ヨウヘイが表現したものがどんなものなのか気になるんだ」
メルヴィンはそのように述べてくれた。メルヴィンからの励ましの言葉もあったので、私は自分が公開している曲をメルヴィンに聴いてもらうことにした。
メルヴィンは、私が作った一連の短い曲をiMacから流してくれた。それが店内に鳴り響くというのは、とても不思議な感じであり、当然ながら気恥ずかしもあった。
そこから私たちは、音楽の話になり、お互いにどのような曲を好んでいるのかをシェアした。すると、私たちの好みには共通するものがあることがわかり、ピアノ曲を含め、メルヴィンは幾つかの曲を紹介してくれた。
その中に、この日記の冒頭で言及したYirumaの一連の美しいピアノ曲がある。メルヴィンから教えてもらうまでは、私はこの現代ピアニスト・現代作曲家のことを知らず、メルヴィンのおかげで、今日また自分の音楽世界が少し広がったように思う。
Yirumaのように、シンプルでありながら美しい曲を作りたいと常々思っているのだが、なかなかその実現は難しく、Yirumaの曲も非常に参考になるのではないかと思った。早速今夜にでも、Yirumaの楽譜を一冊注文してみようと思う。
今日も私はまた、チェスのみならず、音楽と身体運動(内的エネルギーの運動を含む)の関係性などについて、メルヴィンとの対話から色々なことを教えてもらい、またそれらのテーマについて考えるヒントを与えてもらったように思う。
私たちはいつものように時間いっぱいまで話をし、最後に固い握手をして、次回の再会を誓いながら別れた。フローニンゲン:2019/5/28(火)17:21
5月28日(火)に生まれた曲たち
Op.1186 早朝のシンプルな歌
Op.1187 我々はいずこへどのように向かっているのか
Op.1188 穏やかなつぶやき
Op.1189 一日の安らぎ