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4433-4437:フローニンゲンからの便り 2019年5月25日(土)

May 27, 2019

タイトル一覧

4433. 早朝に鳴く小鳥の鳴き声のように

4434. この夏の旅について

4435. 便に愛しさを感じる夢

4436. 評価測定の危機:アセスメントとそこで信奉されている物語

4437. 静かな夕方に

 

4433. 早朝に鳴く小鳥の鳴き声のように

 

昨日に引き続き、今朝も午前3時に起床した。いつものように、オイルプリングの実践およびヨガの実践をしてから一日の活動を始めた。

 

すでに目覚めの一杯としての大麦若葉を飲み、4時を迎えようとしている今においては、ベジブロスの出汁をもとにしたスパイス入りの味噌汁を飲んでいる最中である。

 

この時間帯は、フローニンゲンも闇に包まれており、小鳥たちの鳴き声はほとんど聞こえてこない。かろうじて、私と同じぐらいに早起きをした小鳥が一羽ぐらいいるかどうかといったところである。

 

その一羽の鳴き声に耳を傾けてみる。確かに一羽しか鳴いていないのであるから声量は小さいが、その一羽の声にも貴重なメッセージ性が含まれているように感じるのである。

 

一羽の声にも意味がある。そんなことを思っていると、自分という一人の人間がこのようにして何か声を発していることにも意味があるのかもしれないと思えてくる。

 

一羽の小鳥の声に呼応してか、別の小鳥が今鳴き始めた。鳴き声に意識を向けてみると、どうやら二羽は種類が異なるらしい。

 

まるで、異なる二つの弦楽器による演奏が鳴り響いているかのようである。

 

たった一羽の声が別の小鳥に届き、その小鳥が鳴き声を上げ始める。声というのは影響力があり、何か行動を促す力があるらしい。そうであれば、自分も精一杯の声を発してみようかと思う。

 

誰かに向けて鳴き声を上げているわけでもなく、たった一羽でも鳴き続けるあの小鳥のように、自分も声を発し続けていこうという気持ちになる。目的もなく、たった一人で発し続ける声があってもいいはずである。

 

そうでなくてもこの世界は、目的という名に害され、私利私欲を満たすための声で溢れているのだから。

 

昨夜、無事に監訳書の三校のレビューを終えた。レビューそのものは数日前に終わっており、レビュー結果を編集者の方に送っていたのだが、私が執筆を担当している「はじめに」および「監訳者の解説」の部分に対する追加修正が最後の最後に残っていた。

 

一度大きく修正をし、それを編集者の方に送った後に再度フィードバックを得ていた。付されたコメントを読みながら、再度一言一句確認をしていくということを昨日行っていた。

 

編集者の方からの的確なコメントおよび編集のおかげで、とても納得のいく文章になったように思う。読者の目線に立って文章を書こうとしていながらも、ついついそこから乖離してしまいがちな自分がいることを今回の執筆で気づかされた。

 

そうした自分のあり方を絶えず軌道修正してもらいながら、昨夜なんとか最終稿として原稿を提出した。書籍の出版日は、今のところ6/15(土)とのことである。

 

ちょうど3週間後の土曜日に出版となる。成人発達理論が徐々に普及を始める日本社会の中で、成人発達理論を核にしたインテグラル理論というものがいかように受け入れられていくのかは楽しみであり、今後も自分にできる範囲のことを継続していきたいと思う。フローニンゲン:2019/5/25(土)04:20

 

No.1983: A Short Breath of a Cloudy Rose

 

The sky became cloudy, and so a rose did. 

 

Then the rose took a short breath. Groningen, 14:18, Saturday, 5/25/2019

 

4434. この夏の旅について

 

ジョージアへの旅行とロシアへの旅行がチラチラと脳裏をかすめるので、先ほど少しばかり航空券の様子を窺っていた。アムステルダム空港からジョージアの首都トビリシの空港に向かう直行便というのはやはりほとんどなく、移動が大変不便だという印象を改めて受けた。

 

日によっては直行便があるのだが、ほとんどの日は乗り換えが必要である。乗り換えの時間がスムーズであれば問題ないのだが、空港での待ち時間が多い上に、トビリシに到着するのが深夜であったり、明け方のとんでもなく早い時間帯であったりすることは厄介だ。

 

かろうじて6月の半ばあたりに直行便を見つけ、アムステルダムからトビリシに向かう便の時刻などは適正であったが、帰りの便の出発時間がいかんせん早く、トビリシへの旅行に二の足を踏んでしまう自分がいる。

 

一方で、アムステルダムからモスクワに向かうフライトは非常に充実している。価格的にも本数的にも選択肢が多く、アムステルダムからの出発時刻とモスクワへの到着時刻の双方において、自分の生活リズムに合致するものが幾つかある。こうした点において、ジョージアへの旅は少し先延ばしにして、最初にモスクワに足を運んでもいいのではないかと思い始めている。

 

当初の予定では、モスクワへの旅は7月か8月を予定していた。過去2年間において、8月は常に北欧に旅をし、涼しい場所で過ごすことが続いており、それを考えると、今年もアイスランドかどこかで夏のひと時を過ごそうかと考え始めている。

 

アイスランドへの旅も前々から考えていたが、それはオーロラを見るためだった。夏の場合だとオーロラは観測できなさそうだが、アイスランドの自然の中でゆっくりと過ごすのも悪くないと思い始めている。

 

8月にアイスランドに行くのであれば、7月か、あるいは6月の末あたりにモスクワに行ってみるのがいいかもしれない。モスクワは寒い印象があったのだが、この時期の気温を調べてみると、極めて暑いことに驚かされた。

 

特に来週は、30度近い日が続いており、私がモスクワに対して抱いている印象を随分と覆す気温になっている。ひょっとすると、今週と来週が異常なだけかもしれないと思って調べてみると、5月のモスクワの最高気温の平均は19度、最低気温の平均は8度とのことであり、やはり来週が少しばかり異常なだけなのかもしれない。

 

いずれにせよ、アムステルダムからモスクワへのフライトはわずか3時間ほどであり、それはバルセロナに向かうのとほとんど変わらず、さらにはフライトの時間や本数も全く問題ないので、トビリシに行くよりも先に、まずはモスクワへ旅をしたいと思う。

 

今のところ、6月末か7月の初旬にモスクワに行き、8月のどこかでレイキャビクに旅をしようかと考えている。フローニンゲン:2019/5/25(土)04:36

 

No.1984: In Front of the Door of the Demi-Reality

 

The door of the demi-reality is always open in front of us. Groningen, 16:43, Saturday, 5/25/2019

 

4435. 便に愛しさを感じる夢

 

時刻は午前5時に近づいている。闇の世界から少しずつ表情が変わり、現在は空がダークブルーに変わりつつある。

 

今日も穏やかな一日が始まろうとしている。休日を迎えた今日は、平日以上に平穏な雰囲気を呈するだろう。

 

幸いにも今日も晴れとのことであるから、午後にでも近所の河川敷に散歩に出かけようと思う。今日はこれから早朝の作曲実践を行い、この二日間に引き続き、ザカリー・スタインの新刊書“Education in a Time Between Worlds: Essays on the Future of Schools, Technology, and Society (2019)”の続きを読んでいこうと思う。

 

一目置いている哲学者のスタインであるからから、彼の書籍を一文一文丁寧に読み進めている自分がいる。今日は可能であれば第2章と第3章を読み、明日は第4章と第5章を読めればと思う。

 

これから早朝の作曲実践に入る前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。今朝方の夢の記憶は断片的であるが、内容としては非常に興味深い。

 

端的には、今朝方の夢は便に関するものだった。夢の中で私は、糞便を基にした健康に関するコンサルティングを専門としており、便に関する高度な知識を身につけていた。

 

どのような便が心身のいかなる病気に対応しているかを把握しているだけではなく、便の種類ごとの改善策についても実践的な知を有しているようだった。そうした知識を獲得できた背景には、便に関する学術的な探究と、自らを対象にした様々な実験、さらにはこれまでに積み重ねてきた便に関するコンサルティング業務という実務経験の蓄積があるようだった。

 

夢の中の私は、このコンサルティング業務に大きな意義を見出していた。特に、既存の医学ではなかなか手の届かない病気についても、便からアプローチをし、腸内環境を整えていくことによってそうした病気を治癒できることに意義を見出しているようだった。

 

こうしたコンサルティング業務を続けていたある日、一人の若い男性の医師が私の元にやってきて、便について色々と教えて欲しいとお願いをしてきた。私はその申し出を快諾し、後日、その方が働く病院に足を運び、彼の部屋で話をすることになった。

 

お互いの年齢が近いためか、私たちは意気投合し、便について語り、便について意見交換をしているとあっという間に時間が経った。おそらく、数時間は便について語り合っていたのではないかと思う。

 

便に関する対話がひと段落すると、ちょうどその方の患者がやってきて、今話をしたことを基に、その患者の便の様子を見てみようということになった。その患者は若い女性であり、外見上は非常に健康そうである。

 

だがどうやら彼女は、精神的な病気を抱えているようだった。私たちはその患者にお願いをし、便を採取してきてもらうことにした。

 

しばらくして私たちは彼女の便を受け取り、とりあえず彼女には今日はもう帰宅してもらうことにした。その医師の部屋で私たちは、これからその便を顕微鏡で眺めたり、化学反応を調べてみたりすることにした。

 

:「先生、どうですか、便は愛らしいでしょう?笑」

 

医師:「本当にそうですね!便ってこんなに可愛らしいものだったんですね笑」

 

:「私たちは皆、違う顔を持っているでしょう?便も同じで、彼らにも個性があるんです」

 

そのようなやり取りをしながら、私たちは好奇心と楽しさという感情に満たされた中で、一つの便と向き合っていた。

 

今朝方はそのような内容の夢を見ていた。食生活の改善及び腸内環境(さらには口内環境)の改善に関心を持ち始めてから、便を毎日観察するようになっており、そうしたことが今朝方の夢の出現に一役買っているのかもしれないと思った。

 

夢から目覚めた瞬間に、「今朝は面白い夢を見た」と自分でも思ってしまうぐらいに、それは大変興味深い内容の夢だった。医者と協働して便に関するコンサルティングを行うというのも何か面白そうであり、夢の中の私が感じていたように、それには意義があるように思える。フローニンゲン:2019/5/25(土)05:15

 

No.1985: A Beautiful Butterfly in the Dark Soul Society

 

Today was a day that I could found a beautiful butterfly in the dark soul society, which gave me a feeling of ominous but profound happiness. Groningen, 20:49, Saturday, 5/25/2019

 

4436. 評価測定の危機:アセスメントとそこで信奉されている物語

 

早朝3時に起床してから、早いもので6時間が経過した。この間に日記を執筆し、早朝の作曲実践をし、読書を行っていた。

 

特に読書に関しては、ザカリー・スタインの最新刊“Education in a Time Between Worlds: Essays on the Future of Schools, Technology, and Society (2019)”の続きを読み進めていた。ようやく先ほど第3章に入った。

 

各章実に示唆に富んでおり、人間及び社会の発達、さらには現代の種々の社会的病理について考察を迫られる内容に溢れている。

 

先日、日本で卒業した大学の入試問題を久しぶりに眺めてみたことについて日記に書き留めていたように思う。その際に、大学入試を実際に受けた時には気がつかなかった視点として、その大学が人材要件及び人材育成の方針に関していかような物語を保持しているのか、というものであることに気づいた。

 

スタインが指摘するように、私たちの社会が何を測定評価しようとするのかは、その社会が共有している物語を如実に映し出している。それを基にすれば、「社会」の範囲を縮小・拡大してみると、その社会において何が信奉されているのかがわかることに気づく。

 

まさに、ある「大学」という一つの社会が何に価値を置いているのか、そしてその価値を生み出している物語とは一体何なのかを見極めるには、その大学が採用している評価測定内容を精査してみることが重要になる。

 

これは言うまでもなく、大学入試に限らず、企業の入社試験や昇進に関わる評価制度などにも当てはまる。さらには、国家規模で実施されている教育アセスメントの内容や、グローバル経済において採用されているアセスメントないしは評価尺度の内容を精査してみれば、それぞれの世界において何が価値として信奉されており、それがいかような物語を元に生み出されているのかに気づくことができるだろう。

 

そしてスタインが指摘するように、この現代社会に存在する大小様々な「社会(ないしは世界、あるいは領域)」においては、評価測定の内容や仕組みが危機に瀕しており、それがその社会の存続及び発達に大きな危害を加えているのである。

 

評価測定の内容や仕組みがいかような危機に瀕しているの具体的な話は本書に譲るが、そうした危機を生み出しているのは、大小様々な特定の社会において、各社会が自らが信奉している価値が特定の物語に立脚していることに盲目的であること、及び各社会が入れ子構造になっているという性質上、複数の社会が結託ないしは癒着することによって、画一的かつ歪んだ価値とそれを生み出す大きな物語が広くかつ根深く共有されてしまっていることにあるように思える。

 

今日はもう少し晴れると思っていたが、この時間帯のフローニンゲンの空は雲に覆われている。光が差し込んでこない様子は、どこかこの現代社会の様子を映しているかのようだ。フローニンゲン:2019/5/25(土)09:15

 

No.1986: Tranquil Waves

 

A new day began. I have tranquil waves within me that come and go. Groningen, 07:42, Sunday, 5/26/2019

 

4437. 静かな夕方に

 

時刻は午後7時半を迎えた。休日最初の一日が、今ゆっくりと終わりに向かっている。

 

今日は早朝から午後までは曇っていた。このリアリティは絶えず変化していながらも、同時に、このリアリティは絶えず淀んでいることを静かに語りかけてくるような曇り空であった。

 

そこから夕方になると晴れ間が見え始めた。私はそれに合わせて支度をし、近所の運河敷にジョギングをしに出かけた。

 

今日は思っていた以上に肌寒く、いつもの折り返し地点に到着しても汗を一向にかかなかった。

 

途中で運河から愉快な笑い声が聞こえてきた。振り返ると、ボートに乗った何人かの成人男性たちが酒を片手に夕方のひと時を楽しんでいるようだった。

 

そんな様子を眺めながら、私は足元の地面を見たり、道端の草花を見ながら一人その場を後にした。

 

自宅に向かう一歩一歩の歩みに合わせて、このリアリティについて考えていた。この現代社会の有り様について考えていた。

 

この現代社会が明るみにする光と闇。そしてこの現代社会の背後にある光と闇。それらについて考えているとめまいがしそうになる。

 

運河に反射する午後の太陽の光を眺めた時、もう少し走れるような気がした。

 

夕方の出来事を回想していると、少しばかり黙想的な気持ちになる。早朝と同様に、今も小鳥たちが鳴き声を上げていることに気づく。

 

午前中の曇り空が嘘のように、午後8時を迎えようとする今は西日がまだ燦然と輝いている。

 

今日は夕方のジョギングから帰ってきてから、クロレラを二杯ほど飲んだ。クロレラを摂取していると、自らの生命の奥から力が湧いてくるような実感がする。

 

今から何十億年も前からこの地球上で生きていた生命を、今この瞬間の自分が摂取していることに畏怖の念を持つ。様々な生命の命という恩恵の下に今の私は生きているのだ。それを改めて実感する。

 

今朝の起床は午前3時であったから、20時を迎えようとしている今となってはそれは17時間ほど前のことになる。今朝方の夢がどのようなものであり、それをどのように振り返っていたのか忘れてしまったので改めて日記を読み返してみると、今朝は便に関する夢を見ていたようだった。

 

そうだ、私は夢の中で、便に関するコンサルタントだったのだ。そうした夢が作用したのか不明だが、今朝の最初の排便はいつもよりずっと早く、5時半あたりだったと思う。

 

そこから時間をおいて、午前中に合計で3回ほど排便があった。食べる量は全く多くなく、いつも腹6分ほどしか夕食を食べていないのだが、やはり便の多くは水分であり、腸内細菌の死骸や腸壁の剥がれ落ちたもので便のほとんどが構成されていることを改めて知る。

 

便の観察を続ければ続けるほど、「便」というのは、腸からの「便り」だということに気づかされる。そうした便りを受け取り、便に対して便りを返すように、腸内環境をできるだけ整えていくということを継続して行っていきたい。

 

今日も一日が終わり、また新しい一日が明日にやってくる。フローニンゲン:2019/5/25(土)19:58

 

5月25日(土)に生まれた曲たち

Op.1174 一日の始まりに

Op.1175 淀んだリアリティ

Op.1176 曇ったバラの一息

Op.1177 半リアリティの扉の前で

Op.1178 暗黒魂社会の美しい一羽の蝶

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