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4422-4427:フローニンゲンからの便り 2019年5月23日(木)

May 25, 2019

タイトル一覧

4422. メールのデトックスへ向けて

4423. 味噌との付き合い方と口内環境を整えるオイルプリング

4424. 今朝方の夢の断片

4425. 仮眠中の三つのビジョン

4426. 過去10年間継続して注目をしているザカリー・スタインという哲学者について

4427.「時空間的なゆとりのある街」フローニンゲン

 

4422. メールのデトックスへ向けて

 

時刻は午前4時半を迎えた。夜明け前のフローニンゲンの街に、小鳥たちの鳴き声がこだましている。小鳥たちの鳴き声がこの世界に反響する度合いは優しく、それはまだ目覚めぬ街をそっと起こすような声にも聞こえる。

 

今、早朝の目覚めの一杯として、大麦若葉とチアシードを水に割ったものを飲んでいる。チアシードに関しては、昨日の朝から水に浸しているため、一つ一つの種がジェル状になっており、その食感を好んでいる自分がいる。大麦若葉と混ぜると、ジェルに大麦若葉の成分が絡まり、それを摂取すると、身体の内側に運ばれやすくなるような感覚がある。

 

今朝の起床は午前4時であり、今日も一日が充実したものになるという確信がある。この時間に起床し、そこから夕食を取り終える19時までのおよそ15時間ほどは、自らのライフワークに充てる時間となる。

 

ライフワークの一環として、もちろん企業との協働プロジェクトもあるが、夕食を摂り終えるまではメールを一切開かないことによって、随分と集中して自分の活動に従事することができることがわかる。夕食を摂り終えるまではメールを開かず、返信もしないということが習慣となって本当に嬉しく思う。

 

メールを開かなければ不安になり、返信しなければ不安になるというのも、ある種、身体に悪影響を及ぼす食やアルコール、そして薬物などへの中毒と症状は同じであろう。メールに対して中毒症状になっていることを自覚し、それが人生の質を間違いなく低減させていることに自覚的になってから、少しずつ工夫を重ね、今は日中にメールを開いたり、返信したりすることがなくなった。今後もこの習慣は維持・徹底させていきたい。

 

また、いつかメールを完全に使用しなくなる日が来ればと思う。その実現に向けてはいろいろとやることがあり、すぐには実現されないであろうが、メールを開くこともなく、メールを返信することのない生活がやってくれば、さらに充実感に満たされた日々を送ることができるだろう。

 

そうした実現がすぐにやってこなかったとしても、今後できることとしては、メールを開くこと、及び返信する間隔を少しずつ伸ばしていくことである。それも今すぐには難しいが、今後数年以内に実現させていきたいことではある。

 

案としては、まずは二日に一回メールを開くこと・返信することから始め、それを三日に一回、四日に一回と伸ばしていき、一ヶ月に一回ぐらいにまで伸ばしていく。今の私にとっては、メールの利便性などよりも、メールの中毒性、さらには自らのライフワークに取り組むための集中力を削ぎ落とす否定的な側面を強く感じさせるツールになっている。

 

メールというツールそのものを、この人生からデトックスする必要性を実感している。フローニンゲン:2019/5/23(木)04:54

 

No.1976: The Essential Power of Life

 

Taking Chrollera, I can feel the essential power of life. Groningen, 17:18, Thursday, 5/23/2019

 

4423. 味噌との付き合い方と口内環境を整えるオイルプリング

 

時刻が午前5時を迎えると、夜がうっすらと明け始め、街路樹の緑色や赤レンガの家々の色などがはっきりと見えてくる。

 

日本の伝統発酵食品である味噌を生活に取り入れてから、日々の食生活が随分と豊かになったように思う。街の中心部のオーガニックスーパーには、幾つかの有機味噌が取り揃えられており、私はその中でも三種類の味噌を使っている。八丁味噌、玄米味噌、麦味噌の三つである。

 

その中でも最も人気があるのは玄米味噌であり、それが売り切れの時が頻繁にある。オランダ人が玄米というものが何かについてどこまで深く知っているかは別として、身体に良いものだという認識があるのだろう。

 

そのスーパーで売られている八丁味噌は、三つの中では最も熟成期間が長く、24ヶ月ほどだ。その他の二つは12か月である。

 

私はこの長く熟成され、濃い味わいを持っている八丁味噌を早朝に飲むことを習慣にしている。今も、一昨日に作ったベジブロスに八丁味噌を溶かし、そこにクミンなどのスパイスをかけて飲んでいる。

 

味噌について改めて調べてみると、味噌が持つ様々な効能には驚かされる。味噌の歴史を含め、その効能からは学ぶことが多い。

 

味噌に関しては私も一つ大きな思い込みがあり、それは塩分に関するものだ。確かに味噌には塩分が含まれているが、それは多くの加工食品に入れられている人工的な塩化ナトリウムではなく、身体の生命活動の維持に不可欠なミネラルとしての塩分である。

 

もちろん、どのような味噌を選ぶのか、つまり出来るだけオーガニックな味噌を選ぶことが重要になるが、そうした味噌であれば、一日に三杯ほど味噌汁を飲むことが推奨されていたりもする。

 

現在の私は、早朝の一杯の味噌汁、夕食時にサラダに和えるか、サラダを食べない日には味噌汁にして味噌を摂取している。また、昼に身体が味噌を欲していれば、具なしの味噌汁にして味噌を摂取するようにしている。

 

味噌との付き合い方はそのような形だ。オランダにいながらにして、幾つかの有機味噌を摂取することができるのは本当に有り難く、今後も味噌には随分とお世話になるだろう。

 

今日も起床直後にオイルプリングを行った。一昨日にオイルプリングで用いていたココナッツオイルを全て使い切り、昨日新しいものを購入しなかったので、今朝もオリーブオイルでオイルプリングを行った。

 

もちろん、オリーブオイルでもオイルプリングをすることは可能であり、オイルプリングの原点を辿れば、アーユルヴェーダではごま油を使ってオイルプリングを行っていたのである。とはいえ、抗菌作用の高いラウリン酸を多く含むココナッツオイルで実践する方が効果があるであろうから、今日は午後に新しいココナッツオイルを買いに出かけようと思う。

 

幸いにも、今日も晴れとのことであり、確かに今の時間帯は寒いが、日中は暖かくなるため、ジョギングとウォーキングを兼ねてスーパーに立ち寄ろうと思う。

 

腸内環境が整い始めてくると、日々の幸福感が本当に増してくるから驚きである。腸内環境を整えるためには、当然ながら、腸内環境に良い良質なものを適量食べることが大切であり、腸内のデトックスが進むような適度な運動を行うことが大事だが、以前にも述べたように、腸内に食べ物や飲み物が入ってくる入り口、つまり口内環境を整えることが大事になる。

 

よく言われているように、私たちの口の中は、腸管全体の状態を表しており、口が健康なら、腸も健康だということである。

 

私は大学時代に、吉祥寺の漢方薬の店に定期的に通って漢方を飲み続けていた。その時に、舌の状態を見るという舌診(ぜっしん)を毎回受けており、その日の自分の舌の状態を見て漢方を処方してもらっていた。

 

大学に入学した時から卒業するまで、ほぼ毎月この店に通い、漢方のお世話になっていたことを思い出す。ひょっとすると、漢方を含め、食や健康に対する関心はその時からあったのかもしれないと思う。

 

話を口内環境に戻すと、酪農家も、動物を購入する際には、必ず彼らの口の中を調べるそうだ。上述の通り、人間も動物も、口腔内の状態が身体全体の状態を反映しているからである。

 

おそらく酪農家は、そうしたことを経験則的に知っているのだと思われるが、近年の疫学的研究や細菌学研究などによって、各種の病気と口内環境との関係性が随分と示されている。

 

こうしたことからも、口内環境を整えることの大切さを実感するし、実際に口内環境を整えてみることによって、何よりもその意義を体感することができる。単なる知的理解ではなく、こうした体感的な理解をすることがどれほど重要なことか。

 

オイルプリングをする前の私は、市販のマウスウォッシュを長年活用していた。当時は何の疑いもなくそれを使っていたが、どうやら市販のマウスウォッシュは、口内細菌の善玉菌、悪玉菌関係なしに、すべてを根こそぎ殺菌してしまうことを知った。

 

ある意味、それは無菌状態を人工的に作り出すことになり、それによって逆に口腔内が無防備な状態にさらされ、結局のところ各種の悪玉菌を繁殖させやすくなってしまうということを知ったのである。

 

実は、市販のマウスウォッシュを使うことのおかしさに直感的に気づいたのは、3月に一週間程度の断食を行った時のことだった。断食の最中に、どうやらマウスウォッシュを使うことが身体に悪いのではないかと直感的に気づき、それ以降使用をやめてオイルプリングをするようになった。

 

マウスウォッシュの不使用、およびオイルプリングの使用を始めた体験は、直感的な把握と知識を獲得することによる把握の双方を大切にすることの重要性を教えてくれるような出来事であった。フローニンゲン:2019/5/23(木)05:34

 

No.1977: Beyond a Limit Point in the Vast Blue Sky

 

After I found out a limit point in the vast blue sky, I’m seeing the world beyond it. Groningen, 08:01, Friday, 5/24/2019

 

4424. 今朝方の夢の断片

 

時刻は5時半を過ぎ、この時間帯になると、もう辺りはすっかりと明るい。起床した直後から聞こえ始めていた小鳥たちの鳴き声も、より鮮明な音になっている。

 

そよ風が優しくフローニンゲンの街を通り抜けていく。

 

今は寝室と書斎の窓を開けて換気をしている最中であり、同時に書斎ではヒーターをつけている。ヒーターを完全に使わなくなるのは6月に入ってしばらくしてからになるだろうか。

 

今朝方の夢についてまだ振り返っていなかったので、それについて振り返り、その後に早朝の作曲実践を始めていく。今朝方の夢はそれほど強く印象に残っているわけではない。

 

夢の中で私は、ある温泉旅館に宿泊していた。どうやら私は、小中学校時代の二、三人の友人とそこに宿泊していたようであり、ちょうど今から入浴をしようということになった。

 

その旅館には、各部屋に小さな温泉が付いているのと、もう一つ別に大浴場が館内にあった。私はせっかくなので大浴場の方に行こうとし、一人の親友(HS)も一緒に大浴場に行くと述べた。

 

私は彼と一緒に大浴場に向かうために部屋を後にした。廊下に出てみると、そこは少しばかり薄暗く、前方の見通しが悪かった。

 

大浴場がある場所はなんとなく把握していたため、廊下が薄暗くてもさほど問題はなかった。しばらく歩いていると、友人の奥さんたちも同じ旅館に宿泊しているらしく、ちょうど一緒に大浴場に向かっていた友人の奥さんと廊下で遭遇した。

 

私たち三人は、その場で少々立ち話をしていた。今朝方の夢で覚えているのは、それぐらいの内容である。今朝はどうやら無意識の世界は落ち着いていたようだ。

 

今朝方の夢を書き留めたことをもってして、これから早朝の作曲実践に入る。孔子が述べているように、叡智を獲得する三つの方法(内省すること、模倣すること、経験すること)を大切に、作曲実践を行っていく。

 

まさに私が作曲実践を行う際には、それら三つの全てがふくまれていることに気づかされる。これからは、それら一つ一つの方法をより意識的に行っていくことが重要になるだろう。

 

実際に曲を作るという経験を積み、曲を作ることに際しては、過去の偉大な作曲家の作品を参照し、そして実践の最中と実践後に内省を行っていく。内省に関しては四六時中行ってもいいだろうし、行ってしかるべきものだと思う。

 

いずれにせよ、今日もまた作曲を核とした新たな一日を存分に生きていこうと思う。フローニンゲン:2019/5/23(木)05:55

 

4425. 仮眠中の三つのビジョン

 

時刻は午後1時を迎えた。今日は晴れており、散歩日和であるから、後ほど出かけたいと思う。

 

今朝は一体何時に起きたのだろうかと思うほど、起床したのは前のように感じられ、実際に何時に起きたのかをもう忘れてしまっている。早朝の日記を読むと、どうやら今日は午前4時に起床していたようだ。

 

そこから12時半を迎えるまで、日記の執筆、作曲実践、読書、そして協働プロジェクトに関するオンラインミーティングを行っていた。起床して書斎の机について活動を始めたのが4時半であるから、仮眠を取る前に、すでに8時間ほどの活動に従事していたことになる。それもでもまだ午後の1時を回ったところである。

 

早寝早起きの習慣を持ち、腸内環境を整えることによって心身の状態が良好なものになってくると、一日の活動に充てられる時間の量と質が高まることを実感し、そうした形で日々を過ごすことができていることを嬉しく思う。

 

確か今朝方は、あまり印象に残る夢を見ておらず、夢を思い出すのが難しかった。こうした日に限って、仮眠中のビジョンを覚えているものであり、先ほどの仮眠についてもそれは当てはまる。

 

ビジョンの中で私は、サンフランシスコ市内を歩いていた。その景色は大変懐かしく、8年前にその地で生活を始めてからの2年間、何度も歩いた場所の光景が重なっていた。

 

サンフランシスコ市内と言っても様々なエリアがあり、私が歩いていたのは、ちょうどジャパンタウンの辺りであった。どうやら私は、今からそこにある「にじや」という日本食スーパーに行くつもりのようだった。

 

私はそのスーパーに向かって歩いており、坂道を下っていく形ではなく、坂道を上りながらそこに向かっていた。スーパーに到着してみると、入り口に何人かの中年女性がいた。

 

どうやら一人はそのスーパーで働いているようであり、雰囲気から察するに、店長か何かであった。もう一人は質素な私服を着た女性であり、さらにもう一人は仕事のできそうな溌剌とした印象を与える女性であった。

 

3人が何を話しているのかはわからず、特に関心もなかったため、スーパーに入ろうとしたところ、開店数分前だったらしく、まだ店が開いていなかった。一旦私はドアに近づき、店が開いてないことに気づいたため、ドアから再び離れた。

 

ドアに近づく行動と離れるという行動を取った時に、その3人の前を二度行き来する形になった。そして、私がドア越しから店内を覗いたためか、開店時間よりも気持ち早く店が開いたので、私は再度ドアの方に向かっていった。

 

すると、そのスーパーで店長として働いているらしき女性が笑顔で私に挨拶をしてきた。それに対して私も笑顔で挨拶を返すと、その隣にいた仕事のできそうな女性がこれまた笑顔で、「あなたも今月ですか?」と尋ねてきた。

 

私は何のことかわかなかったので、それについて尋ねると、どうやら3人のうちの残りの2人は今月でスーパーを退職するらしく、その店長らしき人にそれを伝えているようだった。私はそこで、「いえ、それとは関係ないです」と苦笑いを浮かべながら答えると、「『関係ない』・・・かぁ」と仕事のできそうな女性は意味ありげな笑顔を浮かべながら述べた。

 

私は本当にその件とは関係がなく、単なる一人の客であったため、それ以上は3人の話に立ち入らず、店内に入っていた。そこでビジョンが変わった。

 

そこから見た二つのビジョンはとても短いものだった。一つには、私が小中学校時代を過ごした社宅付近がビジョンとして現れていた。

 

社宅と中学校は目と鼻の先であり、社宅と学校の間には道路があり、社宅からその道路に出るには数えられるほどの段差を超えていけばよかった。私は3階の自宅から外に出ると、10人ぐらいの小学生が一斉に段差の方に向かって走り出し、道路を超えて、中学校のグラウンドのフェンスを乗り越えて行こうとしていた。

 

私はその様子を微笑ましく眺めながら、どうやら彼らと私は今その瞬間に一緒になって遊んでいることに気づいた。その遊びの内容はシンプルであり、手に持っていたサッカーボールをパントキックして、彼らのうちの誰かの背中にぶつけ、背中にボールをぶつけられた人がラッキーボーイであると認定する遊びだった。

 

どういうわけか、私の視界が数秒ほど薄白い光に包まれ、どこにどの少年がいるのかわかなかったが、彼らが段差のある階段を上り切り、幾人かは道路の上にいて、残りの少年たちはフェンスを登ろうとしている最中だった。

 

私がパントキックで蹴ったボールは、道路を横断中の少年の背中に当たり、彼がラッキーボーイになった。それはいいものの、私は手加減をしてボールを蹴ったつもりだったが、背中にボールがぶつかった衝撃でその少年は道路に倒れてしまい、私は車がやってこないかどうかをひどく心配した。

 

そこでビジョンが変わった。最後のビジョンでは、自宅かどこかのとてもプライベートな空間で、私は父と飲み物を飲みながら会話をしていた。

 

そこで私が飲んでいたのは、レモネードであり、炭酸水か何かにオーガニックのレモンを絞りながら飲むというシンプルなものだった。そのレモンはレモネード用のものであり、基本的には果汁を絞ったら捨てるのが一般的だが、私は果肉まで食べてから捨てようと思った。

 

だが果肉まで食べようとすると、父にみっともないと言われてしまうかもしれないと思い、一応果肉まで食べるつもりでいるが問題ないかを父に確認すると、逆に父からは、「果汁を絞るだけではなく、もったいないから果肉まで食べのが好ましい」と言われた。

 

そこでビジョンから覚め、仮眠からも目覚めた。フローニンゲン:2019/5/23(木)13:33

 

4426. 過去10年間継続して注目をしているザカリー・スタインという哲学者について

 

先ほどふと、自分に多大な影響を与えてくれた学者や思想家について振り返っていた。人間発達に関する探究を始めてから早いもので10年ほどが経つが、私は幾人もの先人の仕事を参考にして自らの仕事に従事してきた。

 

先人の名前を列挙すると数え切れないほどであるが、人間発達の領域に絞り、なおかつ日本でもある程度名前が知られている人物で言えば、ケン・ウィルバー、ロバート・キーガン、カート・フィッシャー、オットー・ラスキー、スザンヌ・クック=グロイターを挙げることができる。

 

彼らの書籍や論文はほぼ全て読み、彼らの仕事から得られたものは非常に多く、今の自分の在り方・生き方・仕事などを考えてみたときに、その恩恵は計り知れない。だが不思議なことに、私は彼ら一人一人の仕事を深く探究したのはほんの数年間ずつであり、この10年間継続して彼らの仕事を追いかけてきたわけではない。

 

もちろん、彼らは年齢的にも高齢であり、すでに第一線から身を引いている人が大半であるから、彼らの研究がほとんどアップデートされてこなかったことも要因としてあるように思う。

 

上述の先人たちから得られた学びは非常に大きかったが、彼らの仕事をこの10年間継続して辿っていたわけではなかった一方で、この10年間、継続して長く・深く仕事を追ってきた人物が一人だけいる。それはザカリー・スタインという哲学者だ。

 

彼は自身でも哲学者であると述べているが、彼は哲学者にとどまらず、発達心理学者としての顔を持っており、何より私が以前に在籍していたマサチューセッツ州のレクティカの共同設立者の一人という実務家としての顔も持っている。

 

スタインは、まだ非常に若い哲学者であり、30代後半ぐらいの年齢かと思う。彼は、ハーバード大学に在学中は、カート・フィッシャーやハワード・ガードナーに師事しながら発達心理学を探究し、徐々に自らの関心領域を広げ、哲学、とりわけ教育哲学を主要な領域としていった。

 

10年前に彼の論文を初めて目にして以降、彼の論文は全て読み、彼がインタビューに答えているオーディオファイルなどは、アメリカ在住時代の4年間に擦り切れるぐらいに繰り返し聴いていたように思う。そうしたことを考えると、今の私の発想の枠組みというのは、実は上述の先人たちに根幹があるというよりも、スタインにあると言えるように思う。それほどまでにスタインが私に与えてくれた影響は大きい。

 

おそらく、私の中に、上述の先人に対して抱く以上の共感の念がスタインに対してあるのだと思う。端的には、探究の根源にある原体験が非常に似ているのだ。

 

それについてはここで詳しく述べないが、この社会の中で辺境に追いやられたという体験、既存の教育システムの中で存在が抑圧されたという体験などが共通している。そうした共通の体験から探究が出発し、探究テーマに関しても、人間発達と教育という共通のものがお互いにある。

 

探究テーマ及び探究を形作る原体験に強く共鳴するものがあるスタインが、前作“Social Justice and Educational Measurement: John Rawls, the history of testing, and the future of education (2016)”に引き続き、先日“Education in a Time Between Worlds: Essays on the Future of Schools, Technology, and Society (2019)”という書籍を出版した。

 

早速ドイツのアマゾンで書籍を取り寄せ、今朝から本書を読み始めたのだが、ここでも目を見開かされるような気づきと発見を無数に得ている。前作は、スタインがハーバード大学に提出した博士論文が元になっており、テーマは教育アセスメントと社会正義であり、正直なところ、教育哲学や人間発達に関する知識、およびアセスメントに関する関心がなければなかなか読み進めることが難しい内容のように思う。

 

一方で本書もスタインが序文で述べているように、記述レベルを落とすことを一切しなかったと述べているが、前作よりは親しみやすい内容であるように思う。発達理論をこれまである程度学んでいること、ウィルバーのインテグラル理論とその理論が取り巻く言説やコミュニティーの動向にある程度精通していること、そして何より、現代の教育と経済の問題を関連付けて俯瞰的に捉えてきたという経験があれば、本書は非常に優れた洞察をいくつも提供してくれるだろう。

 

今日はこれからもうしばらく本書を読み、明日と明後日をかけて一文一文精読していき、初読後に時間を空けずに再読をしたいと思う。本書も他のスタインの論文や書籍と同様に、繰り返し読んで行きたい。

 

彼の発想の枠組みは、ウィルバーやキーガンたちのものよりも私にとっては参考になり、自分の日々の探究の大きな支えになっている。フローニンゲン:2019/5/23(木)13:59

 

No.1978: A Relaxing Moment in the Afternoon

 

I’ll resume reading Zachary Stein’s new book “Education in a Time Between Worlds: Essays on the Future of Schools, Technology, and Society (2019)” and go for a walk. Groningen, 13:00, Friday, 5/24/2019

 

4427.「時空間的なゆとりのある街」フローニンゲン

 

「時空間的なゆとりのある街」そんな言葉が、昼下がりの散歩の最中に浮かび上がってきた。

 

つい先ほど、街の中心部にジョギングとウォーキングを兼ねて出かけてきた。スーパーに立ち寄って自宅に戻る帰り道に、冒頭のような言葉が自分の内側から自発的に姿を現した。

 

フローニンゲンでの生活もそろそろ4年目を迎えようとしているのだが、そのような言葉でこの街を形容したことは初めてのことだったのではないかと思う。もちろん、これまでもそうした言葉を使わずとも、似たような意味でこの街を描写してきたことは確かだ。

 

しかし、「時空間的なゆとりのある街」という凝縮された言葉でフローニンゲンを表現したのは先ほどが初めてだったと思う。

 

今日は初夏のように暖かく、気温が20度ほどあった。そうした天気のためか、街の人々はカフェの屋外でくつろいでいたり、運河沿いで本を読んだり、自宅から皿とコップを持ってきて、そこで雑誌を読みながら飲み食いをしている若者の姿も見かけた。

 

「はて、今日は休日だったか?」と問うてみると、今日はまだ平日の木曜日である。平日の日中において、そのように市民が思い思いの場所で、思い思いに時間を過ごしている点に、この街に住む人たちのゆとりを見る。

 

これはフローニンゲンのみならず、オランダの多くの街で見られる光景かもしれないが、今日私は改めてフローニンゲンという街が持つ時空間的なゆとりと、それに呼応したゆとりのある市民生活を目撃した。

 

この街に住んで3年が経ち、もうすぐ4年目の生活が始まろうとしているため、この街が作り出す時空間的なゆとりの中で生活をしてきたはずなのだが、ふとしたきっかけでそれを対象化し、再度その価値と意義を見出した、というのが先ほどの体験だったと言えるだろう。

 

とにかくもう、時間的空間的なゆとりを搾取する現代社会の暴力からは距離を置き、同時にその是正に向けた関与を継続させていこうと思う。

 

切れかかっていたカカオパウダーと、オイルプリングで使うためのエキストラヴァージンココナッツオイルを今日は街の中心部のオーガニックスーパーで購入した。それらが目的の品であり、それ以外には特に購入予定はなかったのだが、人間には絶えず認知的なバイアスがあり、必ず何かしらのものを見逃しているという点は、スーパーでの買い物においても当てはまるだろうと思って、新鮮な目を持って各種の棚を見て回っていた。

 

すると、このスーパーには置かれていないと思い込んでいたクロレラとスピルリナが置かれていることに驚かされた。ちょうど私がいつも、ヘンプ、マカ、カカオのパウダーを購入する棚の二つ上の棚にそれらが置かれていた。

 

スピルリナについても一度試してみたいと思うが、今は随分と色々な植物性のパウダーを試している最中なので、また時期が来たらここでそれを購入しようと思う。

 

新鮮な目で各種の棚を眺めていると、母と息子の関係にあるらしく思える老女と中年男性の姿を見かけた。彼らは、ちょうど味噌のコーナーにしゃがみ込み、なにやら真剣に味噌を吟味していた。

 

それらの品は当然ながら、私の店のものではないのだが、彼らオランダ人が日本の伝統食品である味噌を選んでいる姿を見ていると嬉しくなり、思わず二人に声をかけた。

 

:「いい眼を持っていらっしゃいますね」

 

中年男性:「えっ?すいません、邪魔になりましたか。あなたも味噌を購入されますか?」

 

:「あっ、いえ。お二人が真剣に味噌を選ばれていたのでつい声をかけたくなってしまいまして。私は日本人で、味噌は日本の伝統食品なものですから」

 

中年男性:「そうでしたか。いや〜、私はここの味噌は全部知ってますよ。これら全て試しましたからね。特にこれはお気に入りで、マイルドな味で美味いんです」

 

中年男性が指差したのは、八丁味噌であり、「マイルドな味」と彼は述べていたが、それはこのスーパーで置かれている中で最も濃い味の味噌である。だが、彼は全ての味噌を食べてみたという経験のためか、非常に良い味噌選択をしていると感心させられた。

 

:「本当に良い眼をお持ちですね。その味噌は私もお勧めですよ」

 

中年男性:「やはりそうですか。自分の感覚を信じていつも食物を選んでいると、この味噌に偶然行き着いたんです」

 

中年男性は自分の胸に手を当てながらそのように述べた。私たち二人のやり取りを見ていた、その男性の母親らしき女性は微笑んでいた。フローニンゲン:2019/5/23(木)16:18

 

5月23日(木)に生まれた曲たち

Op.1167 早朝の優しい歌

Op.1168 朝の慈しみ

Op.1169 生命の深層力

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