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4369-4376:フローニンゲンからの便り 2019年5月15日(水)


タイトル一覧

4369. 起床直後に感じる調子の良さの要因

4370. 口内環境を整える朝晩のオイルプリングの実践

4371. リスボン滞在中に行っていた食物繊維に関する実験

4372. 口内環境と種々の病:橋渡し的畜生の役割を全うすること

4373. 幸福感の化身として:今朝方の夢

4374. 今後の運動実践と食生活について

4375. 食に関する負の円環運動

4376. 色彩とスクリャービンの音楽

4369. 起床直後に感じる調子の良さの要因

時刻はようやく早朝の5時を迎えた。今朝は4時半に起床し、それは小鳥たちよりも早い目覚めだった。

起床してしばらくすると、小鳥たちも寝床からゆっくりと起きてきたのか、徐々に鳴き声を上げ始めた。今は数羽の小鳥たちが、日の明けない薄暗い世界の中で朝の挨拶をしている。

彼らの挨拶の声は清々しく、それを聞いていると黙想的な意識になる。すっと深い意識の層に入って行き、自分の深い部分と自然と繋がっていく感覚がする。

バルセロナとリスボンの旅から帰ってきてからの二日間は身体の調整もあってか、起床するのが極めて遅いことがあり、午前7時などに起きることもあった。このような時間に起きてしまうと、創造活動に最も適した午前中を有意義に過ごすことができなくなってしまう感じがつきまとう。

夜の10時に就寝して、それでも午前7時に起きてしまう何らかの理由があり、例えば旅の疲れを癒したり、心身の調整を睡眠によって行っていたのだろう、と以前の私であれば思ったに違いない。そして、そうした長時間の睡眠を肯定していたに違いないのだ。

だが、そもそも心身が疲弊してしまうような旅なら最初からしないほうがよく、また、疲弊しないような旅を進めていくのが望ましいだろう。そして、心身の何かしらの調整が必要なぐらいに心身が乱れてしまわないように普段の生活を調和の取れたものにするのが望ましいだろう。

そのように考え、それを実現していく実践をしていくべきだと思う。つまりここで起こっているのは、睡眠及び心身の調整に関して以前の私には気付けなかった構造が明らかになっているということである。

端的には、睡眠や心身の調整に関する発想の高次元の構造が見えてきたと言えるだろう。

今朝再び旅行の前と最中と同様に4時半に目覚めることができたのは、やはり食実践と腸内環境によるところが大きい。昨日の早朝には、オメガ3脂肪酸が豊富に含まれているアマニ油を人肌ほどの温度の味噌汁に溶かして飲んだ。

アマニ油に含まれるオメガ3脂肪酸は熱に弱く、40度以上の加熱は厳禁であるため、そうした温度の味噌汁にした。また、夕食時の少量の野菜サラダにもアマニ油と麦味噌を和えて食べた。

昨日の夕食により、残っていた野菜をほぼ全て使い切ることができた。昨日は、起床直後と夕食前に、浸した水によって膨張したチアシードを摂取し、アマニ油を朝夕と二回摂取し、夕食は控え目であった。それにより、腸内環境がさらに良くなったのを今朝方実感している。

大変興味深いのは、昨日は午後の6時から軽めの夕食を摂り、就寝前には空腹感を伴わない形でお腹が鳴っており、就寝する前には消化活動がほとんど終わっているような状態であった。それが功を奏してか、今朝は快眠と共に4時半に起床することができた。

私の生活リズムとして、3時過ぎから4時半の間、遅くとも5時前に起床することが最も望ましく、そうした時間帯に起床すると、昼までに8時間近くの活動に従事することができる。

朝食と呼べるのか定かではないが、私は午前中に二回に分けて果物を摂取する以外、食卓で改まって座って朝食や昼食を食べないので、起床から夕食までの時間は本当に十分な活動時間がある。

現在進行させている、幾つかのスーパーフード、果物、種々のオイル、味噌を中心とした食実践によって、夕食も大して時間を取ることがなくなりそうである。少なくとも、以前のように夕食に大量の野菜を撮ることによって、お腹が膨れることはなさそうだ。

おそらくそれにより、より腸内環境が良くなり、睡眠の質もさらに良くなり、日中の活動がより生命力にみなぎるものになるだろう。フローニンゲン:2019/5/15(水)05:20

4370. 口内環境を整える朝晩のオイルプリングの実践

いつも私は、夜歯磨きをする前に、ココナッツオイルでオイルプリングを行っている。オイルプリングというのは元々、アーユルヴェーダの実践の一つとして大切にされてきたものだ。

アーユルヴェーダとは、「生命科学」という意味を持っており、インド・スリランカを発祥とする五千年の歴史を持つ伝統医療である。私がアーユルヴェーダに出会ったのは、ジョン・エフ・ケネディ大学に在籍していた時であり、厳密には、大学院での勉強に並行して、アイアンガーヨガのインストラクターの資格取得に向けた勉強していた時である。

資格取得コースの一回分を使ってアーユルヴェーダの考え方と実践技法が簡単に紹介されていたのを覚えている。その時には、オイルプリングが取り上げられることはなく、身体と気の流れのタイプ分析の方法やアーユルヴェーダの思想的側面を学ぶことが中心であった。

アーユルヴェーダにおける考え方の一つに、病は口の中から発症するというものがある。もちろん、アーユルヴェーダにおいては上述の通り、一人一人の身体特性や精神的な側面にまで踏み込んで病を捉えていくのだが、一つ重要な考え方として、食べ物や飲み物が通っていく口内環境を整えることの大切さを提唱していることである。

口の中は雑菌が繁殖しやすく、無数の雑菌が存在しており、肛門より細菌数が多いと言われることがよくある。腸内環境の細菌の種類と同様に、良い菌と悪い菌が口の中にも存在している。

仮に口内環境を整えずに食べ物や飲み物を摂取するのであれば、それは肛門を通過させた食べ物や飲み物よりも雑菌が付着したものを胃腸に取り入れることになってしまう。就寝中に口の中の雑菌が繁殖しやすくなるため、これまでは就寝前にココナッツオイルでオイルプリングを行っていた。それによって、口内環境が整い、それが腸内環境にも良い影響を与えているように思う。

早朝の起床時には、三ヶ月前までであれば、歯磨き粉を用いて歯を磨き、アーユルヴェーダでも実践されている舌磨きを専用の道具を使って行っていた。だがここ最近は、歯磨き粉に含まれる化学成分という異物が少しでも身体に入ってくることを避けるため——これまでの私は、そうした異物が混入したものを使い、わざわざ自分から異物を身体に取り入れるという馬鹿であった——、歯磨き粉を使わず、さらには起床時の口内環境もそれほど悪いものではないと思っていたので、舌磨きだけを朝に行うようにしていた。

しかし、いくら就寝前にオイルプリングをしたからといって、就寝中にも身体はデトックスの活動をしており、毒素は舌からも多分に排出されるため、朝にも口内環境を整える必要があると思った。そのため今朝から、朝はココナッツオイルではなく、エクストラヴァージンのオリーブオイルを用いてオイルプリングをするようにし始めた。

バランスボールで背中をほぐしている最中、そしてそこからヨガの呼吸法を行い、数種類のアーサナを実践している最中に、オイルプリングを進めていくということを行った。その後、一日水に浸しておいたチアシード入りの水にアマニ油を大さじ一杯混ぜたものを飲むと、それを飲んだそばから腸がぜん動運動を始めたのがわかった。

おそらくアマニ油が潤滑油となって、チアシードが胃腸に速やかかつ滑らかに届けられたことが要因なのではないかと思う。今朝はこのように、オリーブオイルによるオイルプリングによって口内環境を整え、アマニ油を混ぜたチアシードを取り入れることによって始まった。

時刻はまだ午前6時前なのだが、自分の内側にある太古の生命力が呼び覚まされているような感覚があり、今日も自らの取り組みに邁進できそうだ。フローニンゲン:2019/5/15(水)05:58

4371. リスボン滞在中に行っていた食物繊維に関する実験

時刻は午前6時を迎え、朝日が赤レンガの家々に照らされ始めた。この時間帯の太陽の光の優しさ、そして太陽が空に顕現させる景色の美しさは格別である。

先ほど、小鳥の鳴き声に耳を傾けながら、口内環境と腸内環境に関して少しばかり調べ物をしていた。すると、リスボン滞在中に行っていた一つの実験結果と合致する記述があることを発見した。

私はリスボンに滞在中、五日間の滞在中のうち、四日間ほどブュッフェ形式のレストランに行き、そこで肉類は一切摂らず、野菜類を豊富に摂取する食事を行っていた。四回通った際に、野菜の量という変数の値を全て変えてみた。

厳密には、変数の大きな括りで言えば、腹七分程度に食べる、腹八割五分程度食べる、腹九割五分食べる、という三つの変数を設定していた。こうしたブュッフェ形式のレストランに行くとついつい食べ過ぎてしまうということからも、最初は腹九割五分ほど野菜を食べるという変数から実験が始まり、レストランに通うごとに野菜を摂る量を減らしていき、最後は腹七分程度に野菜を摂取することを行っていた。

正直なところ、いくら体に良いものだからといって、腹九割五分も食べてしまうのはどう考えても体に悪いということが実験結果を待たずともわかった。レストランで食事をする際に靴を脱いで足を休ませていたのだが、食べ終えていざレストランを出るために靴ひもを結ぼうと思ってしゃがむと、お腹に苦しさを覚えた。

腹に大量の野菜が入っており、腹を曲げることが苦しくなってしまったのである。レストランから宿泊先のホテルに向かう際の足取りも遅く、それは亀の歩みのようであった。

初日の実験においては、そこまでの量の野菜を食べるということを行ってみた。食べた物が全て野菜であったからか、消化はそれほど悪くなく、夕食を摂り終えたのが午後5時前(確か夕方の4時半あたり)だったためか、10時に寝る前までには消化活動は落ち着いていた。

次の日の目覚めは良く、心身の状態は良かったように思えたのだが、午前中に排便がなんと四回も行われ、その時の便を観察してみると、後半には下痢に近い柔らかさになっていた。先ほど調べ物をしていた時に得られた情報によると、食物繊維の過剰摂取は下痢を引き起こすということだった。まさにそれを身をもって実証したのがリスボン滞在の二日目の朝であった。

現在においては、食物繊維は「第六の栄養素」と呼ばれているほどに、私たちの身体には欠かせないものだが、食物繊維とはそもそも、人の消化酵素によって消化することができない、食物に含まれている成分の総称のことを指し、それは確かに腸内を掃除してくれるほうきのような役割を果たしてくれるのだが、そのようなほうきを過剰摂取してしまうと、逆に腸の壁を傷つけてしまう——あるいは、不要なほうきが腸内に堆積してしまう——のではないかと思った。

食物繊維の過剰摂取がミネラルの吸収を妨げてしまうというのも、ほうきを体内に大量に取り入れてしまう比喩によって説明がつくような気がする。私の場合で言えば、リンゴ、こんにゃく、海藻などに含まれる水溶性の食物繊維(腸内の有害物質を排出しやすくする働きを持つ)ではなく、レストランで摂取していたのは、野菜や玄米・きのこ類などに含まれる不溶性の食物繊維(水に溶けず腸にとどまり、糖質の吸収を緩やかにする働きを持つ)ばかりであり、それを大量に摂取したことが、下痢につながり、さらにはミネラルの吸収を悪くし、一日だけ手荒れが悪化してしまったことにつながったのだと思う。

次の日以降、食物繊維を摂取する量を抑えてみると、そうした下痢や肌の悪化現象は起こらず、この実験からまた大きな学びを得たように思う。フローニンゲン:2019/5/15(水)06:27

No.1950: A Dance of Flowers

Although it is cloudy today, flowers are dancing with a gentle breeze, making a smile. Groningen, 09:40, Thursday, 5/16/2019

4372. 口内環境と種々の病:橋渡し的畜生の役割を全うすること

早朝の作曲実践に移る前に、もう少し口内環境について調べていた。調査を通じて明らかになったのは、口の中の細菌は、骨粗しょう症、血管系の病気、心臓の病気、糖尿病などにも関係しているそうだ。私の母は骨粗しょう症を持っており、父は糖尿病を持っていることからも、次回実家に戻った際には、腸内環境のみならず、口内環境を整える重要性についても二人に話をしたいと思う。

食べ物や飲み物の入り口が汚染されていると、結局それが腸内環境を悪化させてしまうことにもつながりかねない。身体の入り口の部分と中の部分を整えることに意識を向け、それに関する学習と実践を積み重ねていこうと思う。

ここでも単に情報を集め、お勉強ばかりしていても何の意味もないので、自らの身体を通じて実践し、各種の知識項目を自ら検証していくという姿勢を保つ。

ここ最近、人間発達の根幹には何よりも食に関する正しい知識を持つことと、正しい食実践があると強く実感している。だが一つ悩ましいのは、現代社会に蔓延している社会的な思い込み、さらには歪んだ資本主義と癒着したマーケティングなどによって、現代人は食に関してほぼ洗脳状態——あるいは、無知のベールに巧妙に包み込まれている状態——にあるため、正しい知識や実践を伝えようと思っても、それがうまく伝わらないことがあるということだ。

その際に伝え方を考えていく必要はあるのだが、やはり伝わらない人には伝わなないのではないかという諦めの気持ちもある。人間は全て畜生であり、救えない畜生がいても仕方ないという上座部仏教的な発想をやはり採用するしかないのだろうか。

今のところ、全ての人に食に関する正しい知識と実践方法を伝えていくのは非常に困難だと思っている。義務教育課程において、親と子供に食に関する正しい知識と実践方法を伝えていくような仕組みが出来上がれば、少しずつであるが救われる人も増えてくるのではないかという思いがあり、その道についても模索していく。

とにかく今は、全ての畜生を救うことなど自分には到底できないということを肝に銘じておく。まずは最も身近にいる自分という畜生を救うことから始めなければならない。この畜生を救うことができなければ、他の畜生を救うことなど到底不可能である。

母の骨粗しょう症、父の糖尿病のみならず、父方の祖父が亡くなった要因である肺炎といった病は、何か私に大切なことを教えてくれているように思う。身内が健全な心身を持ちながら長生きをしてくれること以上に望むことはないが、仮に病を患ったり、死別が訪れたとしても、そこには常に何か重要なメッセージがあるように思う。

祖父の死因である肺炎を口内環境の観点から改めて調べてみると、やはり両者には関係があることがわかった。そもそも肺炎は、高齢者の直接の死因で最も多いものに挙げられている。

その原因が実は口の中に存在していることを先ほど知った。私たちは寝ている際にも、唾液などを飲み込む嚥下(えんげ)反射をしている。その時に、口内の細菌が胃に入れば、胃液によって溶かされるため問題はないのだが、高齢者の嚥下反射機能は低下している傾向にあり、知らないうちに気管支や肺に細菌が入り込み、それが誤嚥(ごえん)を引き起こすとのことである。

まさに、高齢者の肺炎の多くは、誤嚥性肺炎とのことである。ここで、肺へ流れ込む細菌が悪いものであり、それが多すぎる場合には、重い肺炎となってしまい、命を奪いかねないということがわかった。

高齢者の肺炎の予防において重要なことは、確かに寝たきりになったりしないことだが、そもそもの口の中の細菌を減らすことが重要なのだという学びを得た。祖父が亡くなってから七年近くの歳月が経つが、亡くなった祖父は、自らの死をもって重要なことを私に教えてくれたのだと思う。

残念ながら、今の状態であれば、食生活や日々の生活習慣によって、一族のほぼ全員は必ず何かしらの病にかかり、それによって命を落としてしまうように思っている。だが、それが実際に起こった場合には、自分という畜生の救済、および他の畜生の救済に資する叡智を得、それを自らの人生に活かすとともに、他者に共有したいと思う。

おそらくそこに、死にゆく者と残された者との重要な橋渡しがあるのだと思う。自分は本当に、様々な事柄に関する橋渡し的畜生に過ぎないが、その役割をこの世で全うしていく。フローニンゲン:2019/5/15(水)07:12

No.1951: A Passing Emotion

An emotion showed up and passed by.

I’ll shortly go shopping to an organic food supermarket at the center of the city. Groningen, 12:37, Thursday, 5/16/2019

4373. 幸福感の化身として:今朝方の夢

気がつけば、起床してからすでに3時間が経っていた。7時半を迎えたフローニンゲンは、もうすっかりと日が昇り、昼前のような明るい世界に変化している。

今この瞬間の自分に焦点を当ててみると、幸福感ではち切れんばかりである。あるいは、幸福感の真芯として生きているような感覚がすると言った方が正確かもしれない。

真の幸福感を得ている場合、そこにはもはや幸福感を「得る」という表現すら当てはまらず、「幸福感としてそこにある」という、自己と幸福感の一体化を見ることができるだろう。今の自分は幸福感に他ならないのだ。

自分という人間が幸福感を獲得したり、所有したりしているわけではなく、また、自分が幸福感に満たされていたり、それに包まれたりしているわけではなく、私という一人の人間は幸福感に他ならず、幸福感の権化ないしは化身なのだ。

その気づき、そしてその状態を通じて生きることをもたらすために、私は欧州の地にやってきたのかもしれない。

ここ最近は、起床直後に雑多なことを日記として書き留めており、夢日記の執筆が遅れてしまう。それをわかった上で、夢は起床直後に裏紙にメモしている。

おそらく今の私にとっては、起床直後に夢を書き出すよりも、目覚めた直後の自分を捉えて離さない事柄を日記に書き留めるのが望ましいのだろう。そのようなことを思う。

今朝方の夢の中で私は、小中高時代から付き合いのある女性友達(NI)と話をしていた。厳密には、彼の旦那さんと三人で会話を楽しんでいた。

彼女は、日本人の男性と結婚したはずなのだが、その場にいた旦那さんは外人であった。話をしてみると、その男性は英語が母国語の国で生まれたことが推察できた。

私たち三人は、終始英語で会話をしており、ある時、最近面白かった映画の話題になった。そこで彼女が一つ映画を取り上げ、それを私たちに紹介してくれた。

彼女は決して難しい英語を話していたわけではないのだが、映画を紹介する最後の方になると、私は彼女が何を言っているのかわからなくなることが少々あった。確かに、私はもともと人の話を聞くことができない性質を持っているが、その時の私は彼女の話に意識を集中しており、それでも後半の話には少しついていくことができなかった。

ある程度映画の紹介が終わったところで、彼女は、その映画はインターネット上から無料でダウンロードができると教えてくれた。実際にウェブページを開き、ダウンロードの方法を教えてくれた。

そのダウンロードの方法が少し特殊であり、プログラミングに関するわずかばかりの知識が必要であった。私は、彼女がどこでそのような知識を獲得したのか不思議に思ったが、それについて尋ねることはせず、彼女からダウンロードの方法だけを聞いた。

そこで夢の場面が変わり、次の場面では、私は誰もいない美術館の中にいた。そのフロアには、絵画作品ではなく、彫刻作品だけが所蔵されていた。

ロダンを含め、有名な彫刻家の黒い作品群が、混沌の中にある規則性に基づいて配置されており、私はその彫刻を眺めるだけではなく、それらの並べ方からその規則性を掴もうとしていた。すると、ある彫刻の背後に、黒い影が動いたのが見えた。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/5/15(水)07:39

4374. 今後の運動実践と食生活について

「青空の呼ぶ方へ向かってみようと思う」そんな気持ちにさせてくれる空が広がっている。時刻は午後1時半を迎えた。

つい先ほど、ジョギングとウォーキングを兼ねた買い物から帰ってきた。まず最初に近所の河川敷を走り、ある程度走ったところで、ウォーキングに変えた。

今日は雲ひとつない青空が広がっていて、それでいて風も穏やかであり、なおかつ気温も暖かい。今日はなんと半袖で外に出かけることができた。

ここ最近は晴れの日であれば、必ずジョギングとウォーキングを兼ねた運動をしに外に出かけるようにしている。それは30分から40分程度の短いものであるが、それぐらいが私にとってはちょうど良い。

毎朝行っているヨガのアーサナでは補いきれていない身体動作があり、特に腸のぜん動運動を促進するためには、私の場合、ジョギングやウォーキングなどのように、適度に脳と腸に刺激をもたらす運動が良いようだ。

もちろん、今後は晴れの日ばかりが続くわけではなく、雨や雪の日がやってくるであろうから、そうした日において行える運動を考えておきたい。そうなってくると、上記の発言と少し矛盾しているように思えるかもしれないが、ヨガのアーサナで補えない動作というのは実は基本的になく、私があまり積極的に行っていないアーサナの中には、腸のぜん動運動を促進する優れたものがある。

以前は、アルダマチェンドラ・アーサナ(「ひねりのポーズ」あるいは「ねじりのポーズ」)と呼ばれるアーサナを深い呼吸と共に行っていたのであるが、ここ最近は毎朝のヨガのアーサナの流れに入っていなかった。

今後、雨や雪の日がやってくることに備えて、毎朝のアーサナの流れの中に、特に最後にそのポーズを入れてみようと思う。また、朝だけではなく、昼あたりにも再度トレーニングを行う際には、そのポーズを取り入れることも名案だろう。

この二年半以上は、できるだけ買い物に出かける回数を減らしており、一週間に一度だけしか外に出ない日もあったぐらいであったが、心身を真に整えるという意味では、外の空気を吸うことと適度な運動は不可欠であるから、そのあたりも現在見直している最中である。

新たな習慣としては、晴れていれば正午前後に必ず外に出かけ、30分から40分程度のジョギング兼ウォーキングを行う。買い物に出かける回数は週に二回から三回程度のままであるが、その時には店や市場までジョギング兼ウォーキングが行えるので運動代わりとなる。

雨の日や雪の日においては、室内で行えるヨガのアーサナや筋力トレーニングの量を増やしたり、愛用している青竹踏みに乗りながら読書をしたり、青竹踏みに乗りながら腸を上下に揺らす運動や腸のマッサージをしていく。それらの実践を習慣化させていく。

それらの実践が習慣化されれば、例えばヨガのアーサナは、別にヨガマットの上でなくても、旅先のホテルのベッドの上でも行えるだろうし、腸を上下に揺らす運動や腸のマッサージなどもどこでもできるようになるだろう。

河川敷を歩いている最中に、実家にいる愛犬がいつまでも若々しいのは、過食をせず、一日二食だけ、しかも決まった量の少量のご飯を食べているからだと改めて思った。さらに私が着目したのは、ごくわずかの量のご飯を二回しか食べていないはずなのに、愛犬が毎日朝晩と排便をすることである。

私もこの二ヶ月間の間に色々な実験をしてみたが、食事量を減らした時には、排便がされにくい日があった。断食中は、一切便が出ない日もあった。

だが便というのはそもそも、食べ物の残りカスの割合は5%から7%程度であり、水分がほとんどであり、残りは腸内細菌の死骸なのだ。ここで私が思ったのは、もし仮に自分の腸内環境が整っており、正しくぜん動運動が行われているのであれば、食事量を減らしても、そして何も食べなくても、排便は毎日なされるはずなのだ。

毎日便が出ないというのは、基本的に腸がどこかおかしい。私は毎日水分をしっかり摂っているので、仮に食べ物を食べなくても排便がなされないというのは、やはり腸内環境がまだ理想的な状態になっていないのだということを知る。

幸いにも最近は、腸内環境が良好になってきており、新たな腸内環境が出来上がりつつあるため、今後は愛犬のように、少量の食事でも、とりわけ果物のみの固形物を摂取する食生活に移行していったとしても、排便がしっかりとなされるだろうと期待する。

食物繊維が豊富な果物を摂ること、そして食物繊維が豊富にふくまれているカカオとヘンプを毎日摂取していることから、排便がなされない日があるというのは考えにくいが、仮に排便がなされない日が一日でもあれば、それは何かの変数設定が誤っていることを示しているため、再度仮説を立て直し、検証をし直す必要がある。そのようなことを優しい太陽光を浴びながら考えていた。フローニンゲン:2019/5/15(水)13:50

4375. 食に関する負の円環運動

早朝の時とは異なる響きだが、午後を迎えた今もまだ、小鳥たちが鳴き声を上げている。その声に耳を傾け、さらにはそよ風の声にも耳を傾けている。そして、そのそよ風が新緑の葉を揺らしている姿をぼんやりと眺めている。

先ほど、ジョギング兼ウォーキングを兼ねた買い物に出かけ、そこから戻ってきて、少しばかり筋力トレーニングをした後に、本日二杯目のヘンプココアを飲んだ。ヘンプパウダーとカカオパウダーには、タンパク質と食物繊維が豊富に含まれており、ヘンプパウダーにはその他にも身体を構成する要素が多く含まれているため、トレーニングの後に飲むには最適である。

先ほど外の空気を吸いながら歩いていると、自らの意思で食を選択することは、特に都市に住む現代人には強く求められているのではないかということについて考えていた。例えば、イヌイットのように、食に関する選択肢が少ない場合には、生肉を食べるための腸内環境が自然と出来上がり、生肉を食べることが逆に彼らの健康を支えることになる。

以前調べ物をしていた時に、戦前に日本のある地域が長寿村として注目されていたのだが、その村に欧米的な食生活が入ってくることによって、数年後には、その村は長寿村ではなくなってしまった事例があることを知った。これはその村だけに起こったことではなく、おそらく日本の様々な場所で行ったことであり、現代においては、日本のほぼ全ての都市に現在進行形で起こっていることかと思う。

おそらく私たちは、食に関する選択肢があまりにも増えた環境の中に放り投げられており、さらには種々の洗脳的なマーケティングと相まって、自らの腸内環境に合致するような、そしてそれを育むような食選択が極めて難しくなってしまっているのだと思う。

食選択の困難さが、腸内環境を悪化させ、それが意思をさらに薄弱にさせ、それが正しい食選択を行うことをさらに難しくさせるという負の円環運動の中に多くの現代人はいるように思えて仕方ない。

近所のスーパーの周りには新緑をつけた木々がたくさん植えられており、その木陰を歩いている時に、何百年、何千年も生きる植物や大木の生命力に改めて心打たれた。おそらく、大地、あるいはこの地球につながった栄養吸収を行えば、そうした植物や大木のように、溢れる生命力を持って長く健康で生きられるのではないかと思わされたのである。

不健康かつ短命に終わるのは、地球と繋がれず、無駄に何かを食べようとする人間だけなのではないかと思わされる。

基本的に現在の私は、果物中心の食生活に移行することを決めてからは、街の中心部にあるオーガニックスーパーで食材を購入するようにしており、そこに置かれていない果物は街の市場で購入するようにしている。

ただし、そのスーパーと市場までは少し距離があるため、時に近くの一般のスーパーに行き、そこに置かれているオーガニックの果物も質は確かであるから、補完的にそのスーパーでバナナやリンゴを購入するようにしようと思う。

果物中心の食生活に移行し始めたのは、本当に興味深い現象である。その背後には、自分の内側のドクターが果物以外の固形物を摂取することに対してドクターストップをかけてきたことが挙げられる。

ドクターストップをかけてくれたことは親切なのだが、固形物を果物だけにする場合、具体的にどのような食実践をしていけばいいのかというところまでは教えてくれない点で不親切だと言うことができるかもしれない。

いずれにせよ私は、そのドクターストップに従い、ここから試行錯誤と種々の実験を経て、自らの食生活を自分にとって最適なものにしていこうと思う。果物だけしか固形物を摂らなくていい食生活が実現されたら、どれだけ諸々の面で楽だろうか。フローニンゲン:2019/5/15(水)14:17

4376. 色彩とスクリャービンの音楽

時刻は午後の5時を迎えた。一時間前から最も日が高くなり、今もまだ西日が強く、書斎のカーテンを閉めている。閉められたカーテンの向こう側には小鳥たちがいて、ピヨピヨとした鳴き声を上げている。

昨日交換セッションを行った友人のブログの記事によって、また昨日のセッションで取り上げられた話題によって、色に対する関心が強くなり、手元に色彩辞典を置いておきたくなった。色に関する名前は、英語で理解したいというよりも、日本語で理解したいという思いの方が強く、今度日本に一時帰国した際に、色に関する辞典を購入しようと思う。

調べてみると、随分と色んな種類の色彩辞典が出版されているようであり、どれにするか迷うが、持ち運びに便利な手のひらサイズのものと、和の色に特化した辞典、日本の色と世界の色に関した辞典を購入しようと思う。

その際にせっかくなので、手のひらサイズの辞典のシリーズのその他の分野、花、草、空、海、星の五つに関しても辞典を購入しようと思う。それらの辞典をオランダに持ち帰り、これまで自分が知らなかった存在者たちの名前を知りたいと思う。彼らと親しくなり、日々をさらに豊かにしていきたいと思うのである。

多様な色について知れば、世界をより深く味わいながら毎日を生きることができるだろう。例えば、今書斎の窓の外に響き渡る小鳥たちの鳴き声を色で表現することができたらと思うと、心が淡い桃色に満たされた感覚になる。

このように、視覚や他の感覚器官を通じて得られた種々の情報や感覚を色で知覚していきたい。それに慣れてくれば、作曲上において、音色に変化が見られるだろう。

昨日、ドイツより、“Scriabin for Neuroscientists: A Study in Syn-Aesthetics (2015)”が届いた。早速本日より本書を紐解き、半分ほど読み進めた。

本書を読みながら突然、スクリャービンと自分との間には何か関係があると知覚した。やはりモスクワに行き、スクリャービン博物館に足を箱ぶ必要があると強く感じる。

スクリャービンは、音に色を見る共感覚者として有名であり、作曲家としてはその他にも、ニコライ・リムスキー=コルサコフ、フランツ・リスト、ジャン・シベリウス、オリヴィエ・メシアンなどが共感覚者として知られている。

スクリャービンは35歳の時に、リムスキー=コルサコフと音と色の関係について意見交換をし、そこから色に関心を持ったそうだ。その時のスクリャービンの年齢と、彼の着眼点は、今の私のそれらと重なるところが多分にある。現在私は、様々な作曲家の曲に範を求めているが、今後核になるのは、バッハとスクリャービンかもしれない。

上記の書籍を読んでいると、私がスクリャービンに強い親近感を覚えているのは、彼がブラヴァツキーの神智学的な発想にも影響を強く受けており、神秘主義的性向を持っていたからでもあるだろう。スクリャービンに対する関心はますます強まる一方である。

近日中に、“The Music of Alexander Scriabin (1986)”がイギリスから届く予定なので、こちらの書籍を通じて、スクリャービンの思想及び音楽についてより深く探究していこうと思う。フローニンゲン:2019/5/15(水)17:23

5月15日(水)に生まれた曲たち

Op.1140 自己の心地良い小爆発

Op.1141 青空の呼ぶ方へ

Op.1142 フローラの生命力

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