タイトル一覧
4345. 腸の状態と睡眠時間との関係
4346. 生命の基盤にある植物への関心
4347. 今朝方の夢の断片と食について
4348. 実験癖を持つ自分
4349. 仮眠中のビジョン
4345. 腸の状態と睡眠時間との関係
今朝は午前3時前に起床した。この時間帯はまだ小鳥たちは鳴き声を上げておらず、早朝の闇と静寂さが外の世界を覆っている。
先日まで行っていたバルセロナとリスボンの旅行期間においては、この時間帯に起きることが習慣となっていた。厳密には、旅に出かける直前あたりからこの時間帯に起床することが多くなっていたように思う。
旅から戻ってきた翌日と翌々日は、5時あたりに起きていたが、今日から再びこの時間帯に起きることになったようだ。睡眠時間と腸の関係性を考えてみると、腸の調子が良いと感じている日ほど睡眠時間が短くなることが見えてきた。
これはおそらく、腸が消化のために働く必要があまりないこととも関係しているだろう。
そういえば、旅行の前から夕食時間を早めるような傾向にあった。夕食で食べている量を減らしたわけではないのだが、夕食時間を一時間ほど早めることが習慣になり、就寝時間はこれまで通りであったが、就寝までのさらに一時間を消化に当てることができ、睡眠中に夕食の消化をそれほどしなくて良くなったことが早起きにつながっているのかもしれない。夕食の時間、腸の状態、睡眠時間の間にはそのような関係がありそうだ。
今日は3時前に起床することができたので、日中においては十分な活動時間がある。今日も作曲実践と写経実践を中心に行っていこうと思う。そうした実践の合間を縫って、和書を少しばかり読んでもいいかもしれない。
気がつけば、旅から戻ってきての最初の土曜日を迎えた。休日だからどうのこうのというわけではないが、今日は普段以上にじっくりと自分の活動を前に進めていこうと思う。協働プロジェクトやその他の仕事関連の取り組みに従事するのではなく、作曲に関する取り組みに集中していこうと思う。
午前3時前に起床してみると、小鳥たちがまだ眠っていることがわかって面白い。彼らは、私が就寝する午後10時にはまだ鳴き声を上げているから、意外と夜更かしなのである。
彼らが何時まで起きているのかは定かではないが、彼らの起床時間は今のところだいたい4時半だ。彼らが起床するまであと一時間ほどある。それまでにもう少し日記を書き留め、早朝の作曲実践を行っていこうと思う。
昨日から、ウォルター・ピストンの“Harmony (1978)”をもとにした写経実践を行い始めた。その実践を行い始めたのが夕食後からであったので、少々集中力が落ちていたが、まずは第1章を読み進めることができた。
今日は午前中から時間があるので、本書をもとに写経実践を進めていく。ハーモニーに関する観点を写経を通じて身体知化していく。
全てを一度に理解しようと思って解説を読む必要はないが、自分に必要だと思われる箇所は丁寧に読み進めていきたい。フローニンゲン:2019/5/11(土)03:49
4346. 生命の基盤にある植物への関心
時刻は午前5時半を迎えた。予想していた通り、午前4時半から小鳥たちが鳴き始め、今は小鳥たちの合唱が辺りに響いている。
今朝のフローニンゲンの上空には少々雲が漂っているが、それは雨雲ではない。昨日と違い、風は全く吹いておらず、街路樹が微動だにしない形で力強い存在感を放っている。
現在の気温は3度とのことであり、外は寒いが、換気のために書斎と寝室の窓を開けた。今日は最高気温が12度までしか上がらないため、日中もヒーターをつけて過ごすことになるだろう。
今日から早朝の飲み物として、カカオパウダーとヘンプパウダーを混ぜ、そこにココナッツオイルを小さじ一杯分ほど入れたものを飲むようにしてみた。ココアとヘンプの味の組み合わせは良く、ココナッツオイルを加えることによってさらにまろやかな味となる。
この二ヶ月間、肉を摂ることは一切なく、魚を摂取することもほとんどなくなった。たんぱく質に関しては、もっぱら豆腐やヘンプなどの植物性のものを摂取するようになった。
食生活自体が果物と野菜中心のものに移行し、動物性たんぱく質をほとんど摂らないようになってから、心身の状態が極めて良い。そこで今朝は、改めて食用の植物について調べていた。
植物というのは、進化の過程上、おそらく動物よりも先にこの地球に誕生しているからなのか、動物以上に強い生命力を持ったものが多いように以前から感じていた。また、私の研究分野の一つである人間の意識について考えてみたときにも、動物を摂取することによって意識の変容が起こることはないが、幾つかの種類の植物を摂取することによって意識の変容が起こることがわかっている。
もちろん、動物の劣悪な肉を食べることによって、意識の機能が低下するという否定的な現象なら起こる。また、植物が意識の変容をもたらすというのは周知の事実であり、その変容作用が極めて強いものに関しては、たいていの国で違法扱いになっている。
意識の変容作用のみならず、栄養学的にも植物というのは大変興味深い対象であり、ハーブティーへの関心と相まって、今後時間をかけて食用植物に関する探究も行っていきたいと思っている。
この間バルセロナとリスボンへ旅行に出かけた時、オーガニックレストランで夕食を摂ることが多く、そこで食べた食事の中で、幾つか興味深い食材があった。それらは以前にも時折口にしていたものだったのだが、名前は知らないままだった。
姿形を覚えていたおかげか、今朝方に調べ物をしている時に、それらの食材の名前がチアとキヌアであることを知った。チアに関しては、日本で「チアシード」としてよく知られており、α−リノレン酸というオメガ3系脂肪酸を多く含むスーパーフードの一つである。
また、キヌアは、ペルーやボリビアなどのアンデス地域を起源とした植物であり、こちらも五大栄養素や必須アミノ酸をバランス良く含むという点においてスーパーフードの一つとされている。これらの植物に加えて、以前から摂取しているヘンプについても改めて調べていると、植物が人間にもたらす栄養と力は凄いものがあると改めて感銘を受けた。
上述の通り、私は牛・豚・鶏といった肉類はもうほとんど食べることはなくなっており、この二ヶ月では一度も口にしていない。魚に関しても以前はマグロの刺身を食べていたが、もはや魚も食べることはなくなった。
ただし、魚に関しては、魚に含まれるオメガ3系脂肪酸、特にDHAに着目をしており、そもそも魚にそうした脂肪酸が含まれるのはなぜかを考えて調べ物をしていると、魚が植物性のプランクトンを食べているからだということに気づかされた。
もしかすると厳密には、魚が食べているのは動物性プランクトンであり、植物性プランクトンを食べているのが動物性プランクトンであるという食物連鎖があるかもしれないが、いずれにせよ、食物連鎖の基盤に植物が存在している点に着目をした。
生命の基盤には植物がいるということ。それが私の関心を植物へ向けさせた理由の一つである。
今後も少しずつではあるが、食用植物が人間にもたらしてくれる栄養や影響について、それらを実際に摂取しながら探究していきたいと思う。フローニンゲン:2019/5/11(土)05:58
4347. 今朝方の夢の断片と食について
今朝は3時前に起床し、そこから数時間ほどは無風状態が続いていたが、午前10時を迎えた今は、そよ風がフローニンゲンの街を歩いている。
そよ風の歩みに合わせて、街路樹の葉が揺れている。そよ風に吹かれている街路樹の葉は、どこか嬉しそうに見える。
空には雲がところどころあるが、今日も良い天気だ。気温は低いにもかかわらず、今はヒーターを切って問題なさそうだと判断し、ヒーターをつけずに過ごしている。
そういえば、今日はまだ今朝方の夢について振り返っていなかった。起床してからすでに7時間が経ってしまっているので、夢の内容はほとんど覚えていないかもしれないが、覚えている範囲のことを書き留めておきたい。
夢の中で私は、見知らぬ若い女性と話をしていた。その女性は、私よりも少しばかり年齢が若く、とても清楚な格好をしていた。華美ではない格好は良い印象を私に与えていた。
また、彼女の話し方とその内容は知的に思え、それもまた私に好印象を与えていた。肝心の話の内容であるが、それは確か食に関するものだったと思う。
以前の私がそうであったように、食に関して無知な人間がこの世には多すぎるが、彼女は食について精通しており、世に平然と出回っている毒物のような食べ物にはどのようなものがあるのか、何をどれだけ食べると健康に良いのか、また逆に、断食を含め、食べ物を無駄に食べないことの重要さもよく理解しているようだった。
終始食に関する話で盛り上がり、またどこかで話をしようということになり、夢の場面が変わった。今朝方の夢で覚えているのは、とりあえずこれくらいだろうか。
夢の中でも食に関するテーマが現れることは面白い。やはり今の私は、食に関して関心を持っているのだろう。
顕在意識下における私だけではなく、無意識下における私も食の大切さをよく理解し、それについて関心を示しているように思える。これまでの日記で書き留めているように、意識の発達や脳機能の向上に向けて何か小手先の実践をするよりも、まずは食の見直しを行うことが大切であり、それを行わない限りは意識の発達も脳機能の向上も実現されえないということを痛感する。
その点を鑑みると、意識や脳の発達に関心を持っている実践者の多くは、随分と的を外した実践を行っているのだと思う。今後も様々な場面で、意識や脳の発達について話をすることがあるかと思うが、それらの発達に向けて歩みを進めていく前に、何よりも自らの身体が健全であるか否か、そしてそれを支える食生活が正しいものなのかどうかを見直すような話題にも触れていきたいと思う。
人間発達と食というのは密接な関係があり、食をないがしろにしていては健全な発達など実現しようがない。その実感が日ごとに強くなる。
この点に関しては、自らがより食に関する探究を進めていき、また正しい食実践を行うことによって、人間発達と食との関係性をより明らかにしていきたいと思う。今日何を食べ、何を飲むのかというのも、自分なりの食理論に基づいたものにしていきたい。
そしてそうした自らの食理論をさらに精緻なものにしていきたいとも思う。フローニンゲン:2019/5/11(土)10:11
4348. 実験癖を持つ自分
今日もまた穏やかな一日である。早朝の3時に起床してからの活動は充実しており、引き続き今日の活動も充実したものになるだろう。
今日のフローニンゲンは晴れなのだが、あと一時間ほどで正午になろうかという現在において、やはり肌寒く感じられたため、窓は閉めており、ヒーターの温度設定を低めにしてつけることにした。来週からは5月の第3週目となるが、相変わらずの寒さである。
先ほどふと、人間発達にせよ、作曲にせよ、食実践にせよ、私は何でも自分で実験をしてみなければ気が済まない性分を持っていることについて改めて考えていた。大学で取得した学士号は文系のものであり、大学院で習得した三つの修士号はどれも人間発達に関するものだが、人間発達の研究に対するアプローチの違いから、三つのうちの一つは文系、残りの二つのは理系のものである。
単純に文系と理系の学位によって実験を好むのか好まないのかという区別をすることはできないが、一般的に文系の学問領域とされるものへは理系的な発想を持って接し、一般に理系の学問領域とされるものへは文系的な発想を持って接することがこれまで多かったように思う。
いずれにせよ、思考実験や実際に手を動かしてみての実験を好むという性分は、文系・理系の領域にかかわらず共通していることかと思う。そうしたことを考えていると、ふと、幼稚園の年長か小学校一年生の時、母方の祖母から聞いた話にまつわるエピソードを思い出した。
祖母と話をしている最中に、「一番人様に迷惑をかける死に方は、列車への飛び込み自殺である」ということを聞いたのを今でも覚えている。それは乗客や鉄道会社に迷惑をかけるのみならず、何より残された家族に巨額の損害賠償が請求されるため、家族に対しても迷惑な死に方だと祖母から聞いた。
当時の私は、なるほどと思いながらそれを聞いていたのだが、祖母の話の中にあった「列車に巻き込まれる」という現象がいかなるものなのかに強い関心があり、その関心を持ったまましばらくの時間を過ごしていた。
そこから一、二年が経って、小学校二年生の春に東京から山口県に引っ越し、ある日、友人と一緒に学校から帰っている最中に、魚屋の前に、一匹の魚が落ちていた。それを見た時に私は、「これだ!」と思った。
列車が人を巻き込むというのがいかなる現象なのかを確認するためには、人体を使って行うのは文字通り自殺行為あるいは他殺行為であり、その代わりの方法を無意識的に数年間探していた当時の私は、地面に落ちている魚を見て、擬似的な実験ができると思った。
国道を走るバスを列車に見立て、魚を人間に見立て、バスに魚をひかせることによって、どうなるかを検証しようと思ったのである。結論から述べると、この実験はうまくいった。
ひかれた魚はバスに巻き込まれて木っ端微塵となり、身体の多くの部位はバスの底に絡まったためか、肉片は国道にほとんど散らばらなかった。友人と私はその光景を見て、「魚が消えた!」と言って大いにはしゃいでいたのを覚えている。
もう一つ思い出したエピソードとしては、中学校時代に、ソフトテニス部に所属していた友人が、教室でテニスボールに空気を入れながら、「ボールの空気入れを血管に刺し、そこに空気を送ったら人は死んでしまう」ということを教えてくれた。
私はそれが本当なのかが知りたくなり、そう述べた友人に対して、「ちょっと試してみようか」と持ちかけたことがあったのを覚えている。もちろん、それは危険のように私にも思われたし、友人も「わやしか言わん(無茶苦茶なことを言う)」と言って拒絶をしていたため、それを実験に移すことはなかったが、こうしたエピソードを思い出してみると、幼少期の頃から何でも実験をしてみるという癖があったのだと思う。
その他にも、今から思うとしょうもないと思えるような実験を大人になるまで、いや大人になっても積み重ねてきたように思う。今日もこれから作曲実践を行っていくが、その実践の中でも自分なりの実験をしていこうと思う。
私の人生は実験と共にあるようだ。フローニンゲン:2019/5/11(土)11:15
4349. 仮眠中のビジョン
つい今しがた仮眠から目覚めた。時刻は13:30を回ったところである。
午前中から吹き始めたそよ風の強さが増し、今は少し強い風が街路樹の葉を揺らしている。太陽の穏やかな光が地上に降り注いでおり、天日干しにしているしいたけも日光浴を楽しんでいる。
つい先ほどまで見ていた仮眠中のビジョンを書き留めておきたい。ビジョンの中で私は、フローニンゲンのような街の運河沿いを散歩していた。
それがフローニンゲンの運河かどうか迷うのは、運河に停留していた船の色や形などがオランダのものとは異なり、日本のそれであったからだ。
運河を歩いていると、一艘の船の前にやってきた。私はなぜだか停留している船の近くの水面に向かって飛び込んだ。
着水した瞬間に、どういうわけか再び陸に上がっていた。そこで見知らぬ日本人の男性が私に話しかけてきた。
その男性は私と同じぐらいの年齢であり、面識はないはずなのだが、どこかで会ったことがあるような気もした。その男性と何を話していたかは定かではないが、運河の水質の話か何かだったように思う。
しばらく話をした後に、私は自分の下腹部を優しくさすり、手に持っていたオリーブオイルをお腹に塗った。そしてもう一度同じ場所に向かって飛び込もうと思った。
飛び込む前に、下腹部だけではなく、足にもオリーブオイルを塗っておこうかと思った。また、オリーブオイルを手に持ったまま飛び込んで、運河に数滴垂らして、その辺りから水面下に潜っていこうかと思った。
そう思った瞬間に、私はもう水面に浮かんでおり、岸と船をつなぐ縄を握っていた。そこでビジョンが変わった。
次のビジョンでは、欧米の大学院の進学に向けた勉強をしていたように思う。少しばかりビジョンのイメージが薄れてしまっているが、最初は作曲か数学か何かの勉強をしており、そこから大学院で学ぶ専門科目に関する勉強をしていたように思う。
勉強をしている私の横には、またしても見知らぬ男性がいた。今度は一人ではなく、二人いて、二人は私に学習上のアドバイスをしてくれたのだが、二人とも欧米の大学院で学んだわけではなく、進学の試験に向けての勉強に関してはあまり参考にならなかった。
今日の仮眠中に見ていたビジョンは以上の二つである。二つ目のビジョンに関しては、ストーリーが少し違ったかもしれない。
目覚める直前に見たビジョンの方が記憶が薄れているというのは興味深い。そもそも最初から、後者のビジョンの方がイメージが薄かったのかもしれない。
一つ目のビジョンが示唆するものが何かはよくわからないが、確かに今朝も、ココアにオリーブオイルを溶かしたものを飲んでおり、それを飲んで腸の調子を整えてようとしていた。まさにビジョンの中で下腹部をさすって、腸をいたわっていたのと同じように、現実世界の私も腸を気にかけることが多くなった。
そういえば、腸内環境を意識し始めて食事を果物と野菜中心にしたことによって、今日ようやく水に浮かぶ便が出た。腸内環境が良好な場合、トイレの水に沈んでしまうような便ではなく、水に浮かぶようなバナナ型の便が出るということが言われており——色が黒褐色で崩れが便が水に浮かぶのは、逆に腸内環境があまり良くない表れであるとも言われている——、まさにそのような便が今日初めて出た。
この二ヶ月間いろいろと試行錯誤をしてきた結果、ようやく腸内環境が整ってきたと言える。人間の細胞が入れ替わるためには一定期間が必要なように、腸内環境というのもすぐに改善するものではないのかもしれない。
おそらく、改善には時間がかかるが、崩れるのは意外と早いのではないかという気がする。今後も腸内環境を整える食実践を続け、ビジョンの観察のみならず、腸内環境の観察も続けていきたい。フローニンゲン:2019/5/11(土)13:54
No.1936: The Taste of Cacao
I’m drinking cocoa that is made by cacao which is called “food of the gods.”
The taste completely pacifies my soul and relaxes me. Groningen, 11:16, Sunday, 5/12/2019
5月11日(土)に生まれた曲たち
Op.1125 フローラの踊り
Op.1126 復調
Op.1127 正午の土星の輪
Op.1128 戻らない時の流れの中で