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4251-4259:バルセロナからの便り 2019年4月27日(土)

April 29, 2019

バルセロナの路上で出会ったマリアン・バサ(Marian Basa)の作品 

 

タイトル一覧

4251.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ滞在初日に見た不思議な夢

4252.【バルセロナ・リスボン旅行記】自らの人生を生きる作曲

4253.【バルセロナ・リスボン旅行記】変数の変化と友人のブログより

4254.【バルセロナ・リスボン旅行記】スペインの音楽とバルセロナで行う監訳書のレビュー

4255.【バルセロナ・リスボン旅行記】カタルーニャ美術館について

4256.【バルセロナ・リスボン旅行記】荘厳な作りと壮観な眺めを誇るカタルーニャ美術館を訪れて

4257.【バルセロナ・リスボン旅行記】Petit Brotというレストランでの感動的な夕食

4258.【バルセロナ・リスボン旅行記】くつろぎのバルセロナ

4259.【バルセロナ・リスボン旅行記】画家マリアン・バサとのバルセロナの路上での運命的な出会い

 

4251.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナ滞在初日に見た不思議な夢

 

バルセロナ滞在の二日目の朝を迎えた。朝と言っても、起床したのは午前二時前である。

 

バルセロナに到着して怒涛のように流れ込んできた種々の感覚によるせいか、それが一種の興奮状態を生んでいたようなのである。私自身はそれを自覚しておらず、就寝前も至って落ち着いていたのだが、私の無意識が全くもってそうではなかったようなのだ。

 

就寝したのはいつもと同様に、午後10時であり、そこから四時間ほどの睡眠を取った。昨日の夕食は果物とナッツ類だけであったから、消化にエネルギーを全く使わなくてよかったことも短眠を導いたのだと思われるが、やはり上述のように、バルセロナに足を踏み入れた瞬間から内側に流れ込んできた激しい地下海流のような感覚による影響を見逃すわけにはいかない。

 

今日はとりあえず、このままの状態で早朝の諸々の活動を行い、午前中に観光に出かける前に、30分ぐらい仮眠を取るかもしれない。

 

バルセロナ滞在の初日の夜に見ていた夢、つまりつい先ほどまで見ていた夢について書き留めておきたい。またしても、囲碁に関する夢だった。

 

いったいなぜ、ルールも知らない囲碁の夢が出てくるのか定かではない。確かに、囲碁と作曲に似たような側面があることは確かだが、このように連続して囲碁に関する夢が出てくるのはとても不思議だ。

 

まさかとは思うが、自分はこれから囲碁を始めるようなことになりはしまいか。さすがに今のところそれはなさそうだが、作曲上との関連から囲碁の世界に関心を持つことは十分にあり得るし、それが起こることは領域を越境し、異なる領域から学ぶという点において非常に望ましいだろう。

 

今朝方の夢の中で私は、囲碁の守護神のような役割を担う存在だった。端的には、プロ棋士の対局を後ろで見守る存在であり、彼らが何か不正や悪意ある一手を打った場合には、それを一刀両断し、彼らを成敗するような役割を担っていた。

 

起床してからつい先ほどまでは、夢の断片として立ち現れた様々な場面を覚えていたのだが、起床してすぐにメモを取ることを忘れており、顔を洗っていると、記憶までもが随分と洗い流されてしまったようだ。

 

その他に覚えていることと言えば、私は囲碁の守護神としての役割を真摯に受け止め、それ以上にないほどの正義感を持っていたように思う。それが逆に、時に激しすぎるとも思えるような成敗の仕方を棋士たちにしていたように思う。

 

正義の一太刀、ないしは正義の鉄槌を振り落とすようなことを相当に激しく行っていたように思う。10時に就寝してから、12時に一度目を覚まし、ちょうどその直前に、夢の中の私はそうした激しい行動を取っていた。

 

残念ながら、これ以上はどうしても思い出すことができない。ひょっとすると、午前中にホテルを出発する前に仮眠を取る際に、またビジョンとして何かを見るかもしれないので、それについては文章に書き留め、明日の朝方に夢を見るのであれば、それは起床してすぐに裏紙にメモしておきたいと思う。

 

バルセロナ滞在の二日目が、ある不思議な夢から始まった。そして今日という一日が、また別の夢の素材になっていき、現実と夢が動的に交差し始める。バルセロナ:2019/4/27(土)02:15

 

No.1893: On a Refreshing Morning in Barcelona

 

I’ll visit the Picasso Museum in the afternoon and the Palau de la Música Catalana in the evening to participate in a classic concert. 

 

I’m convinced that today will also be wonderful. Barcelona, 07:24, Sunday, 4/28/2019

 

4252.【バルセロナ・リスボン旅行記】自らの人生を生きる作曲

 

今朝はフローニンゲンで迎える朝とまるっきり異なる点があることにすぐに気づいた。端的には、ここバルセロナの朝には、小鳥の鳴き声が聞こえてこないということだ。

 

もちろん、バルセロナのもっと落ち着いた郊外などに行けば、小鳥の鳴き声と共に目覚めることが可能なのかもしれないが、今の宿泊先のホテルの周りには小鳥がいないようだ。そもそも、今回はバルセロナ市内の中でもかなり大きな駅のすぐ近くのホテルに宿泊をすることにしたのだから、それもまた仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

 

駅からのアクセスと中心街へのアクセスの良さを優先させるのか、それとも小鳥たちの鳴き声が聞こえるような静けさを優先させるのか、その辺りのトレードオフ関係は非常に難しいと思わされる。

 

現在の宿泊先のホテルは、空港へのアクセスが良く、バルセロナの街の主要な観光場所は全て歩いていけるような場所にあることは大変望ましい。だが繰り返しになるが、メインの駅に近いということが、深夜まで交通量の多さを生んでおり、就寝してからも車の音が止むことはなかった。

 

午前二時半に近づきつつある今時点においても、窓の外からは小さな騒音が絶えず聞こえる。確かにそれは気にするほどのものではないのだが、いかんせんフローニンゲンの自宅の周りの環境が絶えず静謐さに溢れているものだから、その対照的な特性が際立っているのだろう。

 

残念だが、バルセロナ滞在中の朝に小鳥の鳴き声を求めることはせず、その代わりこの陽気な街の朝には、何か別のことを期待しようと思う。それが何かはまだ見い出せていないが、きっと私を惹きつける何かがこの街の朝にあるはずだ。

 

今日はこれから、いつものように早朝の作曲実践を行う。その後、作曲上の写経実践を行っていきたい。

 

作曲実践を行う際には、持参したハイドンの楽譜を参照して、まずは長調の曲を作っていく。その際には、教会旋法の幾つかの種類を活用し、重力の上げ下げを行い、同時に教会旋法の活用によって特殊な色をつけていくイメージを持つ。

 

一つの教会旋法には固有の重力と色があり、それは調性のある曲と組み合わせることで、また独特の重力場と色を生み出すように感じる。それとこれからの作曲実践では、写経実践を通じて得られた気づきや発見事項をそこに活用していくようにしたい。

 

つまり、写経実践での学びを実際に曲を作るという行為の中に還元していくのである。こうしたことをしなければ、二つの実践が分断されたものになってしまう。

 

二つの実践を常に架橋するように意識することによって、双方の実践から得られるものもより豊かになっていき、その結果として、自らの作曲技術が高まっていくのだろうと思われる。ハイドンに範を求めて一曲、あるいは二曲作ったら、写経実践を行う。

 

今後の理想としては、実践中に自ら再現した曲をその場で何度も繰り返すことによって、実際に音を出さなくても譜例から音が頭の中で流れるように訓練をしていく。これはすなわち、これまで活用してこなかった脳の領域を活性化させていくことを自らに課すことを意味するだろう。

 

自分の脳を作り変えるようなことが、今自分自身に要求されていることの一つにあるように思う。作曲実践を通じて、自分が毎日少しずつ様々な側面において変化しているのを実感する。

 

自分にとって、そして自分の人生にとって、作曲実践とはなんなのだろうか。自分が作曲実践を行い、作曲を通じて自らの人生を生きているのではなくて、作曲が私の人生を生きているように思えるような感覚が広がっている。バルセロナ:2019/4/27(土)02:31

 

No.1894: A Greeting of a Little Bird

 

Happily, I could hear the twitter of a couple of little birds this morning. 

 

It was their greeting for me. Barcelona, 08:22, Sunday, 4/28/2019

 

4253.【バルセロナ・リスボン旅行記】変数の変化と友人のブログより

 

起床してから一時間ほど経ったが、それもまだ午前三時にならないというのが興味深い。一日一食生活——昨日は早朝の出発前に軽い食事をし、空港のラウンジでもフルーツを食べたが——を徹底させていくと、これまでのように惰眠をむさぼる必要がなくなり、良質な睡眠を必要な分だけ取れている感覚がある。

 

まさに食べ物と同様に、質の悪いものをどれだけ多く確保してもほとんど意味はなく、良質のものを適当な量だけ確保することが睡眠においても重要なのだろう。今の私は、そうしたことが睡眠においても実現され始めている。

 

明らかに睡眠時間が減ったのだが、日中の活動力は落ちることはなく、むしろ知的生産に関して言えば、それは驚くほどの高まりを見せているように思う。日記の執筆、読書、作曲実践、日本企業との種々の協働プロジェクトなど、日々私が取り組んでいる一つ一つの事柄に対する活動力は高まり、そこでの生産も高まりを見せているように思う。

 

もちろん重要なことは、兎にも角にも継続であり、睡眠に関しても無理にその時間を減らしてはならない。今は食生活の改善によって、自然と睡眠時間が減り、それでいて良質な睡眠が確保されるようになったのであり、食生活を見直すことをせずに、いきなり睡眠時間の変数だけを操作してはなるまい。

 

私たちの心身の状態というのは、単に一変数を動かしてどうこうできるような単純なものではないのだ。ただし、心身の状態を大きく左右する主要な変数というのはいくつかに絞ることができ、私の場合で言えば、それは食生活だったというだけに過ぎない。

 

睡眠時間が変化したというのは、食生活という重要な変数を動かしたことによって生じた可能性が極めて高く、今度は睡眠時間の変化が、他の変数の値を動かすことになるかもしれない。自分の心身の状態、および人生を構成し、人生を駆動させていく変数の種類およびそれらの状態については、今後も意識を向け続け、観察を継続していこうと思う。

 

私は普段、できるだけ活字を読むことに関しては、英語空間にいるようにしているのだが、時に和書を読んだりする。だが、基本的に毎日ウェブ上で日本語のニュースを見たりすることはなく、つい最近日本の年号が変わるらしい(すでに変わった?)ことを知った。

 

以前我が国の消費税が上がった際には、増税後一年ほど経って銀座のメガネ屋でメガネを購入した時に初めてそれに気づくほどだった。だが最近の私は、二人の日本人の友人のブログをほぼ毎日読むようにしている。

 

二人のブログは毎日更新されており、多くの気づきと励ましを私に与えてくれている。二人のブログの面白さは、それぞれに固有の知見があるだけではなく、最も重要なのは己の文体を持って文章が書かれている点にある。

 

味も素っ気もなく、その人自身が現れてこない腑抜けた文章が多い世の中において、二人の文章は自らの文体によって自己が全面的に前に出てきている。そうした文章は、何が書かれていても面白いというのが素直な感想である。

 

先ほど、午前三時を迎える前に、バルセロナのホテルの一室の中で、二人のブログ記事を読んでいた。ちょうど一人の友人とは一昨日に交換セッションをしており、その時の話題について触れられていた。

 

セッションを開始した時の私の声の色が「浅縹(あさはなだ)」色だというのがその方の指摘であり、大変興味深く思った。その色は青みがかっているということをセッションの最中に聞いていたのだが、改めて浅縹という色を検索してみたところ、それはなんと、私が先日購入した急須の色と似ていたのである。

 

もちろん、急須全体がそのような色をしているわけではないのだが、急須の中で目のつく模様がそのような色をしていることをふと思い出したのである。

 

実家の父の本棚に、色と深層意識との関係に関する本があり、それを過去に数回ほど読んだことを覚えている。今度実家に帰ったら、またその書籍を読み返し、色と深層意識との関係について理解を深めていきたいと思う。

 

それは、今後の夢の観察にも有益であろうし、深層意識と密接に関わった作曲という創造行為においても何か有益な観点を提供してくれるだろう。それにしても、色に「浅縹」というような名前が付いていたとは・・・音の世界も非常に奥が深い。バルセロナ:2019/4/27(土)03:08

 

4254.【バルセロナ・リスボン旅行記】スペインの音楽とバルセロナで行う監訳書の レビュー

 

気がつけば、時刻は午前六時を迎えた。今朝は午前二時前に起床したこともあり、一曲ほど作ってから先ほど仮眠を取った。これで今日の日中の活動に支障はないだろう。

 

バルセロナの日の出は、フローニンゲンのそれより遅いようだ。両都市において時差は全くないのだが、緯度が随分と違うからだろう。日の出の時間はフローニンゲンの方が随分と早く、この時間帯はもう随分と明るくなっている頃だ。

 

小鳥の鳴き声を毎朝聞き、太陽が昇る姿を朝早くに拝んでいる生活と、バルセロナ滞在中の今の生活は随分異なることに気づく。もちろん、バルセロナという街が与えてくれるものは計り知れないかもしれないが、やはり私にとってはフローニンゲンというのは特別な街なのだということがわかる。

 

昨日からバルセロナに滞在しているということもあり、昨夜よりスペインの作曲家が作ったピアノ曲集を聞いている。六時間ほどのアルバムと七時間ほどのアルバムを見つけ、今は六時間ほどのアルバムを繰り返し聴いている。

 

バルセロナに滞在している期間中は少なくとも、それらのアルバムを繰り返し聴き、スペインの音楽を心身の奥深くに浸透させていくように努めたい。それは自らの意思で努めていくというよりも、私の心身の素直な要求のようにも思えてくる。

 

植物の根が地中から水分と養分を吸収するように、そして葉が太陽の光の恵みを享受するのと同じように、スペインの音楽が自然と自分の内側に浸透していくことを願う。

 

今日はこれからもう一曲作り、その後、監訳書の再校のレビューを行う。スケジュール通り、昨日、編集者の方から再校の原稿を受け取った。

 

私から身勝手なお願いとして、もう数日ほど早く再校の原稿をもらえないかと以前にお願いしていたのだが、やはり当初の予定通りとなった。それを嘆いているわけでなく、それでも当初のスケジュール通りなのであるから、ここからまた自分の役割を果たしていくだけである。

 

再校のレビューに関しても十分な時間を与えてもらっているが、それは十分すぎるほどであり、バルセロナ・リスボン滞在中の隙間時間を使って集中的にレビューを行っていく。もし仮にこの旅行期間中に終わりそうにないという見通しが生まれた瞬間に、食事を抜くことにする。

 

断食をして、その集中力でレビューを一気に前に進めていく。ただし、そうはならないようにレビューを終えていく工夫と集中をしていきたい。

 

今回の旅行も、人生における他の旅行と同様に唯一無二のものであり、滞在中の期間は、そこでしか得られないものを得るようにしたいと思う。ここから集中して一曲作ることができれば、レビューに一時間半から二時間の時間を充てることができるだろう。

 

そうしたレビューをコツコツとここから進めていく。理想はリスボンに行く前にもうレビューを仕上げてしまおうと思っている。バルセロナからリスボンに向かう頃に仮にレビューが終わっていれば、その際には、地道に道を歩いてふと振り返ってみたときに初めて自分の歩みに気づくような感覚と同じものが得られるだろう。

 

今回の監訳書の出版、そして今回の旅そのものは、両者が交差し合い、どちらも共に思い出深いものになるにちがいない。バルセロナ:2019/4/27(土)06:08

 

No.1895: Early Spring in Barcelona

 

I’ll leave the hotel for the Picasso Museum. After that, I’ll eat dinner early and participate in a classic concert. 

 

I look forward to all of them very much. Barcelona, 11:35, Sunday, 4/28/2019

 

4255.【バルセロナ・リスボン旅行記】カタルーニャ美術館について

 

時刻は午前八時を迎えた。今日のバルセロナの気温は、最高気温が17度、最低気温が11度であり、昨日よりも肌寒い。

 

先ほどホテルの自室のバルコニーに出てみたところ、外はとても寒く感じられた。明日はさらに気温が下がり、最高気温は15度ほどになる。

 

数日前までは、明日は午前中に数時間ほど小雨が降る予報だったが、今確認してみると、明日はもう雨が降らないようだ。バルセロナに滞在する六日間は有り難いことに、すべての日が晴れである。

 

バルセロナに滞在中の全ての期間は、軒並み最高気温が20度以下だが、バルセロナの後に訪れるリスボンは軒並み20度を超える日が続くようである。昨日のバルセロナは、春の陽気さに包まれていたが、今日は肌寒く、リスボンでは再び春の陽気さを感じられるのではないかと期待する。

 

今日はこれから、ホテルからほど近くにあるカタルーニャ美術館に足を箱ぶ。美術館の開館は、本日土曜日においては午前10時から午後6時まである。

 

美術館が開館する10時頃にホテルを出発し、そこから休日のバルセロナの街をゆっくりと歩きながら美術館に向かおうと思う。美術館の周りは緑が多いようなので、非常にすがすがしい気持ちになるだろう。

 

今日の主な予定はこの美術館を訪れるだけであり、午後か夕方からは、バルセロナ市内にあるガウディの主要な建築を見学しに行く。昨日の夕方にもバルセロナの街を少しばかり散歩していたのであるが、バルセロナの家はオランダの家のユニークさともまた一味違う面白さを持っている。

 

両都市の家の作りには飽きを感じさせない面白みがあり、バルセロナのそれは私にとって新鮮なものであり、しばらくはその新鮮さに対して感覚が大きく開かれることになるだろう。

 

街並みを眺めていると、バルセロナは芸術の街として有名なのがわかる。また実際にガウディ、ピカソ、ミロのような類いまれな芸術家たちがこの街で自らの仕事に励んでいた。

 

そうした巨匠たちの仕事を知る上で、バルセロナにある種々の美術館に足を運ぶことは意義深い。本日訪れるカタルーニャ美術館は、中世から現代までの美術品を収蔵し、非常に幅広い時代のスペイン美術を堪能することができる。

 

美術館の内部は四つのエリアに分かれており、一つのエリアが一つの美術館に匹敵するような大きさを持っているらしい。当然ながら時代や作風によって自分の関心と合致するものしないものが分かれてくるが、これまでの自分の関心に縛られることなく、四つのエリアをゆっくりと巡っていきたいと思う。

 

いつもの旅と同様に、現地での活動スケジュールは非常にゆったりとしたものであり、一日に一つメインの場所を訪れ、そこで得られたことをホテルの自室に戻って日記や曲の形にしていくことを今日も心がけていく。

 

朝食として先ほど果物を摂ったが、昼食を摂らないことによって、なんと観光がしやすいだろうか。今日の夕食は、街の中心部にあるオーガニックレストランで食べる予定だ。

 

今、バルセロナの街に優しい朝日が降り注ぎ始めた。バルセロナ:2019/4/27(土)08:21

 

4256.【バルセロナ・リスボン旅行記】荘厳な作りと壮観な眺めを誇るカタルーニャ 美術館を訪れて

 

時刻は午後の六時を迎えた。バルセロナ滞在の二日目が、ゆっくりと終わりに近づいていく。

 

今日のバルセロナの天気は昨日と同様に大変素晴らしかった。起床直後、ホテルの自室のバルコニーに出てみたときには肌寒さを感じ、午前中にカタルーニャ美術館に向けて出発した際にも肌寒さが残っていたのだが、午後からは太陽の日差しのおかげもあり、今日も春の陽気さを感じることができた。

 

バルセロナという都市の根底には、陽気さの本質が流れている。そのようなことを思う。

 

冬のバルセロナに訪れたことはないのだが、仮にいくら寒くなったとしても、この街の根底に流れる陽気さは変わらないのではないかということを思う。今、ホテルの自室でこの日記を執筆しており、部屋の窓を開けて空気を入れ替えている。

 

窓を開けると、ホテルの周りを行き交う車の音が聞こえてくるが、それはさほど不快なものに思わないから不思議だ。おそらく、バルセロナの陽気さが生み出す心のゆとりがそうした感情を生み出しているのだろう。

 

今日はカタルーニャ美術館に向けてホテルを出発して以降は何も日記を書き留めていない。今日の振り返りをこれからゆっくりと行い、振り返りが十分にできたら入浴をし、明日の観光に備えたいと思う。

 

今日はまず最初に、ホテルから歩いて20分ほどにあるカタルーニャ美術館に行ってきた。事前に調べていた通り、この美術館の迫力は尋常ではなく、私がこれまでに訪れた美術館の中でも一、二を争うぐらいの荘厳な作りであった。

 

確かに大きさだけで見れば、ルーブル美術館や大英博物館の方が大きいのだが、美術館に到着するまでの階段と噴水など、もろもろの建築物を総合的に含めると、カタルーニャ美術館の外観の見事さの方に軍配が上がるように思えた。思わず息を飲んでしまうような建築美がそこにあった。

 

カタルーニャ美術館まで階段を登っていくと、そこからの眺めもまた圧巻であった。バルセロナ市内を一望できる眺めは格別であり、私は美術館の入り口にすぐに向かうのではなく、しばらくそこからの景色を眺めていた。

 

早朝の爽やかな風を浴びながら、バルセロナの街の表情をしばらく味わっていた。その後、受付に行ってチケットを購入しようとしたところ、六つの美術館を割安で回れる美術館パスポートが販売されており、そのうちの三つの美術館には足を運ぼうと思っていたため、それらの美術館でそれぞれチケットを単体で購入した場合の価格を聞いてみると、それらの合計よりもパスポートの価格の方が安かったため、美術館パスポートを購入した。

 

それは本物のパスポートのようであり、期限は一年間有効であり、訪れた箇所にはスタンプが押される仕組みになっていた。それは思い出の品にもなることを考えてみると、30ユーロの価格はとても安く思える。

 

カタルーニャ美術館に所蔵されている肝心の作品群であるが、一階の中世の時代の作品には二、三ほど足を止めてじっくりと見るものがあり、二階の現代(19世紀から20世紀)の時代の作品には四つか五つほど食い入るように眺める作品があった。

 

所蔵されている作品の数からすればそれは微々たる数だが、自分の足を完全に止め、じっくりと向き合うことを促してくれる作品がそれくらいあれば十分であった。思っていたほどに美術館に滞在する時間は短く、およそ二時間半弱で納得のいくまで作品を見ることができたため、一度ホテルに戻って仮眠を取って休憩することにした。

 

そのような形で今日の午前中と昼過ぎの時間を過ごしていた。バルセロナ:2019/4/27(土)18:54

 

4257.【バルセロナ・リスボン旅行記】Petit Brotというレストランでの感動的な夕食

 

時刻は午後の七時半を迎えた。バルセロナの太陽はまだ沈まない。

 

今日は午前から昼過ぎにかけてカタルーニャ美術館を訪れ、その後一度ホテルに戻って仮眠を取って少し休憩をしていた。その間は特に日記を書くわけでも、作曲をするわけでもなく、ぼんやりと時間を過ごしていた。

 

そのような時間を過ごすことができるのも旅の恩恵の一つであろう。確かに今朝は午前二時に起床していたため、日中に思わぬ疲れが出たのも無理はない。

 

今夜も早く寝るが、それ以上に睡眠の時間を確保し、早くても四時ぐらいに目覚めるようにしよう。午後十時に就寝し、午前四時に起床するというリズムであれば、何ら問題ないことはこれまでの生活を通じてわかっている。

 

ホテルでしばらく休憩した後、三時半あたりに、バルセロナ市内をゆっくりと散歩して、目星のオーガニックレストランに向かった。そのレストランの名前は、Petit Brotという。

 

ホテルからそのレストランに向かう街並みは、もうバルセロナ独特のものであった。そこには何とも言えない美が宿っていることが一目瞭然であった。

 

それは市民的な美のだが、それでいて芸術性が高い美でもあるという不思議な美がこの街にある。これまでの自分の旅の経験上、こうした美を顕現させている街はバルセロナ以外にはない。

 

その美をうまく表現できるほどの語彙を私は持ち合わせておらず、バルセロナの街並みが持つ美を表現する語彙が自分の中で醸成されるのは、ここからさらに己を深めていってからになるだろう。

 

レストランに到着すると、そのレストランはとてもこじんまりとしているのだが、中は清潔感で溢れており、店員も気さくであった。すぐに私は、目当てのサラダを注文し、しかもそれを特大サイズにしてもらった。

 

一応それを一人で食べきれるか確認してみたところ、男性の気さくな店員が「全く問題ないですよ」と述べてくれたので注文することにした。サラダを運んでくれたのは別の女性の店員であり、おしゃれな容器に入った大きなサラダを目にした時、私はその見た目の美しさに感動し、それを言葉に出して表現した。すると店員の女性が微笑み、「ごゆっくり」と述べてくれた。

 

一口目を口に運んだ瞬間に、全身を駆け上がっていくような感動が呼び起こされ、オリーブオイルと味噌を和えたドレッシングをかけた、オーガニックの様々な野菜を使ったサラダには感動しっぱなしであった。正直なところ、この特大サイズのサラダをもう一つ食べれるほど腹が空いていたのだが、さすがにそれを注文することはせず、その代わりにケールを揚げたものと、様々なスパイスと野菜を粉状にしたもので作られたクッキーのようなものを注文した。

 

それらもまた美味であり、私は本当に一口目から最後まで感動の中にいた。普段私が自宅で食べているサラダは、今日注文したサラダよりもボリュームがあることを考えると、普段は上質なものを本当に安上がりで食べることができているのだと、改めてフローニンゲンでの日常生活に感謝をした。

 

フローニンゲンに戻ってからは、数日前に書き留めていたように、野菜をふんだんに使ったサラダを食べる日と、豆腐、味噌汁、さつまいもを食べるという質素な夕食を食べる日を交互に繰り返すという食生活を実践する。

 

今日の食事は朝に果物を食べ、午後に仮眠を取る前にもリンゴを一個だけ食べただけだったので随分と腹が空いていたが、レストランを出る頃には十分満足できた。明日は、当初の予定通り、カタルーニャ音楽堂で17:30から始まるコンサートに参加する。

 

カタルーニャ音楽堂とこのレストランは近いため、コンサート前に、明日もまたこのレストランで夕食を摂ろうと思う。バルセロナ:2019/4/27(土)19:45

 

4258.【バルセロナ・リスボン旅行記】くつろぎのバルセロナ

 

私は旅の最中、基本的に一日に巡る場所は一箇所に留め、慌ただしく様々な場所に次から次へと出かけていくことをしない。今回の旅においてもその方針を採用している。

 

バルセロナに来てまだ二日目なのだが、もう随分と長くここで生活しているかのようにこの街にくつろいでいる自分がいる。よく私は、世界の各地に旅行した際には、観光客のようには見えない雰囲気でその街に溶け込んでいるためか、見知らぬ人に道を聞かれたりすることがある。

 

今日もバルセロナの街を歩きながら、確かに見渡す限りそこは未知な世界なのだが、どうも自分がこの街に馴染んでいる感じがすでにするから不思議であった。結局私は、自分がこの世界のどこにいようが、自分であることができるようになったのだと思う。

 

自分が自分でとしてそこにあれば、わざわざ自己をその場所に適応させようと意識する必要などないのではないかと思う。自分が自分としてそこにあるというのは、自らの存在が世界と無境界的にそこにあるということであり、そうであれば、適応などという言葉や現象など生まれようがないのだと思う。

 

適応という言葉や現象が生まれるのは、自己とその場所との境界線、つまり断絶がそこにある場合に限るのではないかということが見えてくる。そうしたことを考えてみると、ようやく私は、この世界のどこに旅をしようが、どこで生活をしようが、自らであり続けることができるようになってきたのだと思う。バルセロナの街は、そのようなことを私に教えてくれた。

 

当初の予定では、明日はカタルーニャ音楽堂で夜に行われるコンサートだけに参加する予定だった。つまり、17:30のコンサートが開始されるまでは特に何も予定はなく、バルセロナの街を少々散歩しようかと考えていた。

 

だが、散歩をするにもほどがあり、しかもここ数日はすでにかなり歩き回っているため、明日はあまり歩き回りたくないというのが正直なところである。そこで私は、月曜日に足を運ぶ予定にしていたピカソ美術館へ明日の昼あたりから訪れ、そこでゆっくりと作品を見た後に、今日足を運んだレストランに行き、夕食を食べ、そこからカタルーニャ音楽堂でのコンサートに参加することにした。

 

そうすれば、明日は午前中は丸々ホテルで休憩することができ、日記の執筆と編集、作曲実践、さらにはウィルバーの監訳書の再校のレビューを進めていくことができるだろう。そして、4/29に訪れることを予定していたピカソ美術館へ明日足を運ぶことができたら、月曜日は丸々予定がなくなり、その日は完全にオフとし、近所のカフェで創造活動と書籍のレビューに勤しもうと思う。

 

バルセロナの現地人がカフェでくつろいだり、仕事をしたりすることの中に溶け込んで、私も同じような形で時間を過ごしていく。月曜日も午前中一杯はホテルで過ごし、午後からカフェに行き、そこで仕事に取り組む。

 

そして夕食を、目星の別のレストランで取り、腹ごなしの散歩として、ガウディが建築したサグラダ・ファミリア教会とカサ・ビセンスを見に行ってみようと思う。毎日のんびりとした形で旅を楽しんでいるが、それ以上にのんびりとした一日を月曜日には過ごそうと思う。バルセロナ:2019/4/27(土)20:02

 

4259.【バルセロナ・リスボン旅行記】画家マリアン・バサとのバルセロナの路上での運命的な出会い

バルセロナの路上で出会ったマリアン・バサの紹介動画

 

——あなたの意思が高潔で偉大なものであれば、いかなる障害も塵となる——マリアン・バサ(ルーマニア出身の画家)

 

「えっ?何?この人は何してるんだ?」

 

オーガニックレストランを後にした私は、ガウディが建築したカサ・バトリョを見に行く途中の道端で見かけた小柄な男性に対してそのように思った。

 

その小柄な男性は大道芸人のようであり、道端に腰掛けて、自分の足の指を使って器用にスマホのテキストメッセージに返信をしていた。どうやら彼は画家らしいのだが、手を使わず、足の指を使って携帯に返信するというのはなんとも器用でありながらも、同時にそれは幾分怠惰な行為ではないかと思えた。

 

私はこれからカサ・バトリョを見に行くことを楽しみにしていたのだが、その男性の奇怪な行動に目が止まり、同時に彼が描いている絵のうまさにも目が止まった。そこで私の足がピタリと止まった。

 

私はその瞬間、直感的にこの男性は何かを持っているように思った。足の指を使って見事に返信を済ませた彼が次に何をするのかに私は関心があり、絵の続きを描いてくれるのだろうと思った。

 

するとそこで私は、再び驚くべき光景を目にした。何と今度は、自分の足を使って絵を描き始めたのである。しかもそれは、手を使って描くのと同じレベルの精巧さで。

 

私はもうその場から離れられなくなった。彼の眼の前にいるのは私だけであり、私はさらに彼に近づいて、彼の描く絵をもっと見たいと思った。

 

するとその小柄な男性は顔を上げ、「こんにちは」と優しく私に微笑みかけた。私も微笑み返し、挨拶をした。

 

:「あ、あまりも器用かつ素晴らしい絵を描かれているので驚きました」

 

大道芸人の小柄な男性:「ありがとうございます」

 

:「ここにあるカードは売り物ですか?」

 

大道芸人の小柄な男性:「あっ、いえ。それは私が描いたものですが、価格を付けて売っているわけではなく、その方の気持ちだけのお金を頂いて差し上げているものなんです」

 

私はなぜだか、眼の前にいるこの男性の画家に大きな関心を持ち、そこから色々と話を伺った。彼の名前は、マリアン・バサ(Marian Basa)という。

 

彼はすぐに私の名前を聞き、これまた器用に足を使って私の名前を裏紙に書き、スペリングが間違っていないかを確かめてくれた。そして、私が興味を示したポストカードの裏に、私のためにメッセージを添えてくれたのであった。

 

そこで書かれた英語がこれまた私以上に達筆であり、私は心底驚いた。そこから彼と私はお互いにファーストネームで呼び合い、とてもフランクな会話を交わし始めた。

 

どうやらマリアンはルーマニア出身らしく、幼少の頃に病気を患って腕と手が使えなくなってしまったようだった。マリアンは、それまで使えた腕と手が突然使えなくなってしまったことにひどく落胆し、絶望を経験したそうだが、そこから再起し、足で日常生活のすべてのことを行うように訓練を重ね、ルーマニアの首都のブカレストの芸術学校に通って絵画を勉強したそうだ。

 

そして今は、旅をしながら世界各地で絵を描いているという話をしてくれた。また、マリアンは嬉しそうに、スマホのYoutube画面をこれまた器用に足で素早く開き、彼がスペインの料理番組に出演した時の映像を見せてくれた。

 

マリアンはなんと、足で絵を描くだけではなく、見事な料理までも足で作ることができてしまうのだ。私は彼の生い立ちと生き方に大変感銘を受け、ガウディの建築などそっちのけで、道端にしゃがみこんでマリアンと会話を続けることにした。

 

すると、私たちが気さくに話し合っているものだから、道を行き交う観光客が徐々に集まってきて、そこに人だかりができた。実はガウディのカサ・バトリョがある場所まであと15mほどの距離だったのだが、ガウディのその建築物の前よりも私たちの前に人だかりができていたかもしれないと思うほどだった。

 

マリアンと私は、今日、バルセロナという街の道端で初めてあったはずなのだが、どうも私には、お互いの中の何かが共鳴し合っているように感じ、初対面だとは思えなかった。

 

マリアン:「あっ、ヨウヘイ、これ。ポストカードの裏に、君のためにメッセージも書いておいたよ」

 

そこに書かれていたメッセージとは、まさにこの日記の冒頭で引用したものである。だが、もう一度ここで繰り返しておきたい。

 

——あなたの意思が高潔で偉大なものであれば、いかなる障害も塵となる——

 

私はマリアンに多大なお礼を述べ、彼からのメッセージが書かれたポストカードを大事に握りしめながら別れの言葉を伝え、ガウディの建築物に向かっていった。そこで見たガウディの建築物は、マリアンの生き方の前に全くもって霞んでいた。

 

一人の人間の生き様というのは、ある一人の偉大な芸術家の建築物を遥かに凌駕するのだと教えてくれたのはマリアンだった。

 

生きること。人間として最後の最後まで生き、自らの何かしらの小さな役割を全うしていくこと。

 

それを誓いながら、私はホテルに向かって歩き出していた。それは即、この人生をもう一度今日その瞬間から歩き始めることを意味していた。バルセロナ:2019/4/27(土)20:38

 

4月27日(土)に生まれた曲たち

Op.1084 バルセロナ二日目の早朝に

Op.1085 バルセロナの早朝のさえずり

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