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4201-4208:フローニンゲンからの便り 2019年4月21日(日)

April 23, 2019

タイトル一覧

4201. 無音世界の創造者としての小鳥:オリヴィエ・メシアンの音楽を通じて

4202. 緩やかな時の流れに種をまいて:早朝の行動パターン

4203. 質素な豊かな生活:音楽関係の文献

4204. 今朝方の夢

4205. 夢の中に夢日記が出てくる夢:自分の字に関する夢

4206. 日曜日の昼下がりに

4207. 晴れ渡る日曜日の仮眠中に見たビジョン

4208. 言葉を超えた創造活動:己の言葉

 

4201. 無音世界の創造者としての小鳥:オリヴィエ・メシアンの音楽を通じて

 

今朝も四時過ぎに目が覚め、その時点で起床した。日曜日の早朝は、昨日の早朝と同じぐらいに静寂に包まれている。

 

辺りはまだ闇の世界であるが、その世界の中で、姿の見えない小鳥たちが鳴き声を上げている。やはり小鳥たちも日の出時間の早まりと共に早起きになっているらしく、今朝は私と同じぐらいの時間に就寝し、私が早朝のヨガの実践を始めたあたりから鳴き声を上げ始めた。

 

最初私は、起床した時には無音の世界が広がっていたので、書斎に到着してからすぐに、スクリャービンのピアノ曲を流し始めた。だが、小鳥たちが間もなく美しい鳴き声を上げ始めたのに気づき、すぐにピアノ曲を止めて、小鳥たちの鳴き声にしばらく耳を傾けることにした。

 

ここ最近は、起床直後に音楽を聴くことをせずに、その代わりに小鳥たちが奏でる美しい鳴き声に耳を傾けることにしている。時間にして一時間半以上は小鳥たちの鳴き声を聞くようにしているだろうか。

 

もちろん、スクリャービンをはじめとして、過去の偉大な作曲家のピアノ曲を聴くことは、私に多くのことを与えてくれるが、早朝の小鳥の鳴き声はそれ以上のものを与えてくれるように思う。そこには絶対的な平穏さがあり、絶対的な静けさがある。

 

音が鳴っているのに静けさがあるというのは不思議なことだが、音が発せられることによって、音の世界と無音世界の双方が立ち上がり、私は音の世界を通じて無音世界の方に入っていくような感覚がするのである。そうした観点において、今鳴き声を上げている小鳥たちは、単に美しい音を発する演奏者なのではなく、静寂な無音世界を作る創造者でもあるのだ。

 

今朝も満月が美しい。真っ暗な早朝の空に満月がぽっかりと浮かんでいる。

 

小鳥たちもこの満月を眺めているのだろうか。満月はきっと小鳥を見ている。

 

満月の月明かりがうっすらと辺りを照らし、それは地上に静かなエネルギーを送っているようにも見える。月のエネルギーを受けた小鳥たちは、決して鳴くことをやめない。

 

早朝から小鳥について書き留めていると、やはりフランスの作曲家のオリヴィエ・メシアンのことが思いつく。昨日は、メシアンが自身の作曲書法について解説した“The Technique of My Musical Language (1956)”の再読を終えた。

 

今回、本書を最初から最後まで一言一句読み進めてみると、本当に大きな気づきを無数に受け取った。もちろん、メシアンの作曲書法を実際の作曲実践の現場で活用することは、到底すぐにはできず、さらなる修練と学習が求められる。

 

それは確かにそうだが、今回の読書を通じて最も重要だったことは、メシアンの思想とそこから育まれた作曲書法に大きく共感するものを見出したことだろう。これまでの私は、メシアンの曲を聴いても特に何も感じず、むしろその音楽世界と距離を置きたくなるような気持ちを持つ傾向にあったが、今の私は随分と異なる。

 

メシアンの音楽世界の中に共感という気持ちを通じて一歩足を踏み入れている感覚、あるいはメシアンの音楽世界が自分の内側に流れ込んできたような感覚がするのである。そうした感覚が芽生えてからが真の学習の始まりである。そのようなことを思う。

 

他者から何かを学ぼうとするとき、この感覚がなければ、結局何も学びを得ることができないのだと思う。もちろん、表面的な知識や小手先の技術であれば学ぶことができるだろう。だが、そうした感覚がなければ、真に重要なことは何一つとして学ぶことができない。

 

今回の読書を通じて得られた感覚を基にして、これからゆっくりとではあるが、メシアンにも範を求めていこうと思う。特に彼が考案した、「移調の限られた旋法」を深く学び、それを自由自在に活用できるようになり、そこからさらにそれを発展させるような書法を生み出していくことができればと思う。

 

メシアンの楽譜はいつも複雑に思え、楽譜の読解は謎解きのように思えることがよくあるが、そこに開示されている意味を一つ一つ紐解き、それらが徐々に明らかになってくればとても面白いと思う。フローニンゲン:2019/4/21(日)05:20

 

No.1876: A Borderline in an Aerial Royal Palace

 

The image that a royal palace up above the sky has a numerous number of borderlines inside showed up in my mind. Groningen, 08:40, Monday, 4/22/2019

 

4202. 緩やかな時の流れに種をまいて:早朝の行動パターン

 

日本はもう少ししたらゴールデンウィークに入るが、オランダは一昨日の金曜日から火曜日まで休みのようだ。金曜日と来る月曜日が祝日のようであり、この四日間はいつも以上に緩やかな時間が流れ、平穏な空気がフローニンゲンの街を包む。

 

時の緩やかな進行に合わせる形で、自分の内側の発酵を緩やかに進めていく。何かを学ぶこと、芸を深めること、自己を涵養することのすべては、緩やかな時間の流れを通じてゆっくりと進めていかなければならない。

 

時間の流れに杭を打つ必要は全くなく、重要なことは、早い時間の流れに流されていかないことだ。また、緩やかな時間の流れというものが単に外側のものではなく、自らの内側の時間であることも重要であり、そうした自分固有の緩やかな時間の流れの中に種をまいていくのである。

 

そしてそれを、時間という水と養分によってゆっくりと育むことが肝要であり、それが人間の発達、ないしは成熟プロセスである。

 

今、いつものように、起床直後の一杯の味噌汁を飲んでいる。朝はオーガニックの八丁味噌を具なしの味噌汁として飲み、夜はオーガニックの玄米味噌をサラダに和えて食べる。

 

味噌は本当に自分の食生活を深く豊かなものにしてくれた。今、「起床直後の一杯」と述べたが、厳密には、それは起床してから飲む最初の水分ではない。

 

いつも私は起きてすぐ、BRITAによってろ過された常温の水を一杯飲み、睡眠中に失った水分を補給するようにしている。昨日はなんと湯たんぽを使う必要がないほど暖かく、およそ五ヶ月半か六ヶ月ぶりに湯たんぽを使わずに就寝することができた。

 

湯たんぽを使って寝なかったにもかかわらず、寝室のヒーターが少しばかり入っていたためか、寝汗をかくほどであった。そうしたこともあり、起床直後の一杯の水はより一層美味しく感じられた。

 

もう少し厳密に朝の自分の行動パターンを振り返ると、そうした水を飲む前に、アーユルヴェーダ式の舌磨きを行う。今日はそれに加えて、うがいと鼻洗いも行った。

 

その後に一杯の水を飲み、書斎と寝室の窓を開け、白湯にココナッツオイルを溶かしたものをゆっくりと飲むことを行っている。半分ほどそれを飲んでからバランスボールに乗って背中と腰をゆっくりとほぐし、その後、リビングのフロアにヨガマットを敷いて、その上で呼吸法の実践とヨガの実践を少々行う。

 

呼吸と心身を一日の活動にふさわしい状態にした後に、白湯の残りを飲み干し、そこから味噌汁を作る。そのような流れになっている。

 

実際に日記を書き始めるのは味噌汁を入れてからであり、起床してから30分後ぐらいから文章を書き始めることになるだろうか。もちろん、夢に関しては、起床直後にそれを捕まえておくことが大事なので、起きてすぐに書斎に向かい、明かりを灯してから、机の上に置いてある裏紙に覚えている範囲のことを走り書きするようにしている。

 

夢日記を執筆する際は、いつもそのメモを見返しており、夢の内容を起床直後にメモすることはとても有益だと思う。

 

長々と早朝の行動パターンについて書き留めたが、今日はまず幾つか日記を執筆した後に、ラモーに範を求めて作曲実践を行う。その後、午前中の早いうちから、依頼を受けている原稿の執筆を進めていく。

 

幸いにも、昨日は別件の原稿を完成させることができ、先方にはすでに送っている。原稿の執筆が終われば、再び作曲実践を行う。あるいは、原稿執筆の合間に、休憩として作曲実践を行うのも一つの手である。

 

今日中に行っておきたいことは原稿の執筆だけではなく、来週末にバルセロナに訪れた際に参加するコンサートの予約をしておきたい。チケットの確保は、昼過ぎの仮眠前に行おうかと計画している。フローニンゲン:2019/4/21(日)05:43

 

No.1877: Breath of Fresh Verdure

 

A mellow flow of time is passing. I can see fresh verdure outside of the window. Groningen, 10:22, Monday, 4/22/2019

 

4203. 質素な豊かな生活:音楽関係の文献

 

五時半を過ぎると、空はダークブルーに変わり始め、徐々に明るくなってきている。一時間ほど前には鳴いていなかった別の種類の小鳥が鳴き声を上げ始めた。

 

今、二種類の小鳥が奏でる二重奏を聴く楽しみと喜びの中にいる。満月を前にして聴くこの二重奏は格別である。

 

昨日の夕食中にも思ったことであるが、私は自然の恵みを感じられるような食生活をすること、そして自然に囲まれながら生きていることを実感できる生活以上のことは求めないのだということが改めてわかった。

 

端的に述べれば、質素に見える豊かな生活を送りたいのだと思う。

 

現在、私の食事は、選び抜かれたオーガニックの食材だけで構成されているが、そのほとんどを街の市場で購入しているためか、以前の食費の半分以下になっていることには驚かされる。心身に良いものを十分に食べているにもかかわらず、それが以前のように心身にあまり良くないものを食べている時に比べて食費がかからないというのは不思議なことである。

 

食にまつわる種々の思想と現代の経済システムに組み込まれたままでは、心身に悪影響をもたらしながら多くのカネを払うことになってしまうというのはなんと皮肉なことだろうか。

 

良質な食べ物を適正な価格で提供してくれる市場の生産者たちには感謝をしなければならないだろう。それと同様の感謝を小鳥たちにもする必要がある。

 

食材の提供者には対価としてのカネを払っているが、小鳥たちがこれほどまでに毎朝美しい歌声を聴かせてくれているにもかかわらず、私は彼らに何も対価を支払っていない。

 

半年ほど前にスーパーで、小鳥用の巣箱と餌が売られており、それを提供することが彼らへの対価になるだろうか。それも一案かと思ったが、どこか違うような気もする。

 

とりあえず今の私にできることは、彼らに感謝の念を毎日捧げることであり、彼らの存在を愛でることである。

 

いよいよ今週の金曜日から、バルセロナ・リスボン旅行が始まる。旅の計画から旅の実現まで、実にあっという間だったように思う。

 

両都市との出会いの日が近づく中で、やはり最近の私にはもう一つ近寄ってくる場所があることに気づく。それはロシアである。

 

昨日も、どうもスクリャービンの存在が気になり、いろいろと調べていた。モスクワに訪れた際には、スクリャービン博物館に足を運ぶのはもちろんのこと、それまでに下記の二冊には必ず目を通しておきたい。

 

1. Scriabin, a Biography: Second, Revised Edition (2011)

2. Scriabin for Neuroscientists: A Study in Syn-Aesthetics (2015)

 

また、自然と音楽との関係性を深く考察している“Music Theory and Natural Order from the Renaissance to the Early Twentieth Century (2001)”や、昨日ふと、音楽と数学の関係性について調べている時に、幾何学の観点から作曲実践をしていきたいという思いが芽生え、“The Geometry of Musical Rhythm: What Makes a "Good" Rhythm Good? (2017)”や“A Geometry of Music: Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice (2011)”を購入したいと思う。

 

また、トランスパーソナル心理学との接点として、“Third Ear: On Listening to the World (1988)”と“World Is Sound: Nada Brahma: Music and the Landscape of Consciousness (1991)”という書籍は実に興味深い。

 

最後に、前々から旅行に出かけていく際には、その国固有の音楽に対する理解を深めていきたいと思っており、民俗音楽学的な観点を身につけていく。そのためには、昨日見つけた“The Rise of Music in the Ancient World: East and West (1943)”を読み、まずは各国の古典的な音楽に対する理解を深めていくことから始めようかと思っている。

 

音楽関係の探究に関しては、上記の書籍を近々入手し、文献リストに溜まっている残りの20〜30冊ぐらいの書籍については夏、もしくは秋以降に購入していこうと思う。フローニンゲン:2019/4/21(日)06:14

 

No.1878: Japanese & Dutch Heart

 

Various phenomena that I’ve experienced in Japan and the Netherlands start to mix together in my unconsciousness. Groningen, 12:21, Monday, 4/22/2019

 

4204. 今朝方の夢

 

時刻は午前六時を迎え、辺りはすっかり明るくなった。とはいえ、まだ太陽の光が強く赤レンガの家々に当たることはなく、世界の色彩はまだ濃くない。

 

今朝方の夢についてまだ振り返っていなかったので、それを書き留めておきたい。今朝は早朝未明に一度目をさます瞬間があり、その直前にも夢を見ていたのだが、それについてはどうしても思い出すことができない。

 

目覚めた瞬間にはそれを覚えていたのだが、いつも早朝未明に目を覚ました時には、枕元のメモに夢を書き留めるのを忘れてしまう。そのため、後半に見ていた夢について振り返っておく。

 

夢の中で私は、不思議な作りをした建物の中にいた。何が不思議だったかというと、実際に通っていた中学校と、ピラミッドのような建物が中で結合していた点である。つまり、その建物の中には教室があったり、各種の骨董品のようなものが集められた部屋などがあったのである。

 

私はピラミッドの内部にいるような部屋の中で、幾つかの骨董品を眺めていた。そこでの私の役割は、それらの骨董品の査定であり、それらが偽物でないかどうか、また市場価値はいかほどかを算定することであった。

 

私の横には、ヨーロッパ人の中年男性が何人かいて、彼らもまたプロの査定士のようだった。私は彼らと意見交換をしながら、自分なりに査定を進めていった。

 

ヨーロッパ人の査定士のうちの一人は、イギリスの名門大学で考古学の博士号を取得しており、彼はとても頼りになる人物であった。何よりも彼の話は面白く、ちょうど今から彼のレクチャーがどこかの教室であるようであり、彼は私を誘ってくれた。

 

査定を終えた私は、彼のレクチャーを聞くために教室に向かった。教室に到着すると、そこは紛れもなく、私が中学一年生の時に使っていた教室だった。

 

先ほど知り合った査定士はまだ教室に到着していないらしく、その代わりに、小中学校時代の女性の友人(RS)がいて、私に「〇〇(学年で一番背の高かった友人)がどこに行ったか知らん?」と尋ねてきた。

 

私は彼がどこに行ったのか知らなかったので、素直に知らないと答えた。すると、彼女は少し残念そうな表情を浮かべて、教室を離れていった。

 

しばらく待っても査定士はやってこず、私は教室を間違えたかと思った。すると、教室に、前職時代の同僚のアメリカ人が入ってきて、今から英語のプレゼンを私にお願いしたいと言う。

 

彼の手元には、プレゼン者の名前とプレゼンタイトルを記載するための用紙があり、すでに話題ごとに幾つかのカテゴリーに分けられていた。特に私は断る理由もなく、何か面白そうだったので、彼の申し出を快諾した。

 

:「面白そうなカテゴリーがあるね」

 

同僚のアメリカ人:「そうだね。どのカテゴリーにする?」

 

:「プレゼンは一回しかできないの?」

 

同僚のアメリカ人:「基本的にはそうだね。もっとやりたいの?」

 

:「うん、できればこの三つのカテゴリーで、合計三回はやりたいかな」

 

同僚のアメリカ人:「Wow!それはちょっと多いな(笑)」

 

:「そう?じゃあ、少なくともこのカテゴリーで一回はやらせてもらえる?」

 

そのようなやり取りを同僚のアメリカ人と行い、私はあるカテゴリーの中でプレゼンを行うことになった。彼は決して私をプレゼンのトップバッターにしようとせず、私から見れば、かなりマイナーなカテゴリーの中でプレゼンするようにお願いをしているように思えた。

 

確かに私はネイティヴスピーカーではなく、さらには今回のプレゼン全体のテーマに対する専門家ではなかったので、それも当然といえば当然である。むしろ、自分の専門領域ではないカテゴリーで三回も別のテーマのプレゼンをすることの方が無謀であるようにすら思えた。

 

そのようなことを考えてみると、彼が私に配慮してか、非常にマイナーなカテゴリーの中でプレゼンすることを暗に促してくれたことを有り難く思った。フローニンゲン:2019/4/21(日)06:38

 

No.1879: A Quiet Time

 

Today is also slowly approaching the end. 

 

I’ve felt peaceful during the day. Groningen, 17:01, Monday, 4/22/2019

 

4205. 夢の中に夢日記が出てくる夢:自分の字に関する夢

 

時刻はゆっくりと午前七時に近づきつつある。小鳥たちは相変わらず高らかと鳴き声を上げており、早朝の時よりもその鳴き声には力強さがあるように思える。

 

今、ようやく東の空から太陽が昇り、赤レンガの家々の屋根を照らし始めた。闇が覆っている世界では姿の見えなかった小鳥たちが、活発に空を舞い始めた。

 

空はまだ淡い色を発しており、満月の姿もかろうじて見える。天気予報を確認してみると、今日と明日までは申し分のない天気である。

 

最高気温は20度を超え、今日の最低気温は4度と低いが、明日の最低気温は9度ほどある。来週からは天気が崩れ、水曜日以降は小雨に見舞われる日々が続き、気温に関しても再び肌寒くなる。

 

フローニンゲンにおいては、六月を過ぎなければ夏だとは言えないということを改めて実感する。今週の半ばからのフローニンゲンの天気は崩れるが、幸いにも今週の金曜日から訪れるバルセロナの天気は良好だ。

 

少なくとも最初の三日間は晴れのようであり、最高気温も20度前後なので、観光には申し分ないだろう。

 

先ほどまで今朝方の夢について振り返っていた。あの夢にはまだ続きがあり、それを書き留めてから早朝の作曲実践に移りたい。夢の中で私は、実際に通っていた中学校の教室の中にいた。

 

教室には当時のクラスメートたちがたくさんいて、教壇には中学一年と二年の時にお世話になった担任の先生がいた。教壇に立った先生は、ホームルームを進めるにあたり、雑談を始めた。

 

その雑談の中で先生は、「いつも君たちの日記を読ませてもらっていますが、中にはとても面白いものがありますね。ある生徒は自分の夢を詳細に書き留めていて、それを読むと、何かこちらも気づかされることがあるんですよ」と述べた。そして先生は、私の方をちらりと見た。

 

夢の中の私も夢日記を書いているのか定かではないが、先生がそのような視線をこちらに送ったということはそうなのだろう。私はひょっとすると、現実世界で起こったことと夢の世界で起こったことの双方を日記に書き留めているのかもしれないと思った。

 

私の夢日記を読んで気づきを得ることがあると述べた先生は、他の生徒たちにも夢日記をつけることを勧めていた。ホームルームを終えると、そこからは国語の授業が始まった。

 

本来その担任の先生の専門教科は英語だったのだが、なぜか夢の中の先生は国語の授業も担当していた。黒板にある生徒が宿題の答えを書き始め、指名を受けたのかどうかわからないが、私も席から立ち上がり、黒板に解答を書いた。

 

すると、後ろの方から、私の字が先生や他の生徒の字よりも下手だという声が聞こえた。見ると、気の強い女性友達の一人(MS)が笑いながら私にそのような言葉を浴びせた。

 

彼女が厳密になんと言ったのかは覚えていないが、確か「他の人の字に比べて大きすぎじゃない?字のレベルが他の人と違う」というような言葉だったように思う。その言葉を聞いた時、私はもちろんあまりいい気分がせず、むしろ彼女に何か言い返してやろうかと思ったが、解答を書き終えて、後方から自分の字を眺めてみると、先生や他の生徒の字の10倍から15倍ほど大きな字で黒板に解答を書いていることに気づいたのである。

 

しかも、漢字のミスが目立ち、その女性友達が指摘したことも無理もないと思った。とはいえ、よくよく自分の字を見てみると、それは書道に特有の文字であり、とめ・はね・はらいなどが非常にしっかりしており、逆にしっかりしすぎている分、黒板に書くのには不自然な字であったように思われた。

 

また、「地上」という漢字を間違えて、よく分からない字で表現していたのを覚えている。フローニンゲン:2019/4/21(日)07:10

 

4206. 日曜日の昼下がりに

 

今、午前中に淹れたルイボスティーを飲んで一息ついている。先ほど無事に、キャリアコンサルティングに関する原稿のドラフトの執筆を終えた。字数にして7,000字ほどの原稿のドラフトを一気に書き上げた。

 

今回の原稿は、キャリアコンサルティングに関するテキストの一部として採用されるものであり、当該実務領域に成人発達理論を紹介する機会を得ることができて嬉しく思う。執筆した原稿はしばらく寝かせ、バルセロナ・リスボン旅行の前に再度読み返し、そこで追加・修正を施した上で先方に原稿を送りたい。

 

今日もまた、雲ひとつない申し分のない空がフローニンゲン上空に広がっている。気温も素晴らしく、今は書斎の窓を開けている。

 

先ほど原稿の執筆を終えた後に、ガウディの師匠であったリュイス・ドメネクが建築した、バルセロナのカタルーニャ音楽堂で行われるコンサートの予約を無事に終えた。こうしたコンサートに参加する機会はそれほどないのであるから、チケットの値段を気にせず、できるだけ良い席で観賞を楽しもうというのが自分の考えである。

 

一番価格帯の高い席がまだいくつか残っており、その中でどこが一番自分にとって良い席なのかを吟味するのに時間を使っていた。クラシックコンサートに本格的に足を運び始めたのは欧州に来てからであり、今もまだどの席がいいのかの明確な基準を自分の中に持っていない。

 

少しばかり調べてみると、音の反響の特質を考えてみたときに、今回は二階席が良いのではないかと思った。また今回は、指揮者の表情なども見たいと思ったため、指揮者の表情が見られる角度の席を確保することにした。

 

無事にチケットの予約を終え、一応それはe-ticketとして活用できそうだが、プリントアウトすることが強調されている表記になっているため、近々近くのコピー屋に行ってプリントアウトしたい。

 

今日は計画通り、無事に原稿の執筆を終えたため、今日の残りの時間は、作曲実践と読書を気の向くままに進めていきたい。まずはこれから、ラモーに範を求めて短い曲を一曲作る。その際には、二、三の教会旋法を活用していく。

 

その後は、対位法を改めて学ぶために、ウォルター・ピストンの“Counterpoint (1947)”という古典を最初から読み返していきたいと思う。作曲に関する学習をゆっくりと進めていき、作曲実践の中で絶えず新しいことを試みながら、自分の書法の確立に向けて歩みを進めていく。フローニンゲン:2019/4/21(日)12:34

 

4207. 晴れ渡る日曜日の仮眠中に見たビジョン

 

時刻は午後の二時半を迎えた。太陽が燦然と輝き、太陽の力強さを最も強く感じられる時刻がやってきた。

 

つい先ほど、仮眠から目覚めた。断食を行っている最中の仮眠のビジョンは非常に鮮明であり、断食を終えると、ビジョンの鮮明さはやはり弱まってしまうようだ。

 

とはいえ、先ほどの仮眠中にも幾つかビジョンを見ていたため、それらを書き留めておきたい。最初のビジョンにおいて、私はコンクリートのバスケコートにいた。

 

そこで私は、見知らぬ黒人男性とバスケのワンオンワンのゲームをしようとしていた。彼はプロバスケットボール選手らしく、外見は確かにアスリートであった。

 

身長はそれほど高くないのだが、やはり技術が素晴らしく、ゲームの前に行っている練習では、ことごとくシュートが決まっていた。いざ彼とワンオンワンをしてみると、意外と対等にゲームができることを驚いた。

 

とはいえ、彼がドリブルをしている際には、なかなか飛び込んでいくことができず、またシュートの際には彼の腕のリーチが長いため、容易にシュートを放たれる場面がたびたびあった。しかし、私たちはシーソーゲームをしており、終始お互いに笑顔を交えながらバスケを楽しんでいた。

 

そこからビジョンは突然変わり、私は実際に通っていた小学校のグラウンドにいた。ビジョンの中では、今日と同じぐらいに素晴らしい晴天が広がっていた。

 

だが、グラウンドには私しか人がおらず、その他には友人も含めて誰もいなかった。すると突然、休憩時間の終わりを示すチャイムが鳴った。

 

私は急いで教室に戻ろうと思ったが、その前に、誰もいないグラウンドで、足元にあったサッカーボールを思いっきり校舎に向かって蹴った。校舎までの距離は数百メートルはあったので、校舎に向かってボールを蹴っても何の心配もなかった。

 

思いっきり蹴ったはずのボールは、当たりどころがいまいちであり、思っていた方向に飛ばなかった。そのため今度は、ボールを地面に何回かバウンドさせた後に、天高く思いっきり上に蹴り上げた。

 

蹴り上げられたボールはどこまでも高く上がっていくかのようであり、その姿を見ていると、太陽の光に目がくらみそうになった。そしてそこで次のビジョンに移った。

 

その次のビジョンでは、高校時代に過ごした社宅の中にいた。ちょうどこれから食事のようであり、父と母と一緒に夕食を摂ることになっていた。

 

しかし私は、食卓の上に白米が出されたことに不服であり、母に文句のような言葉を少々投げかけた。すると母が「なら食べなくていい」と言ったので、私は「そうする」とぶっきらぼうに述べた。

 

夕食を食べないことを決断した私は自分の部屋に戻った。するとそこで最後のビジョンに移った。

 

最後のビジョンでは、私は実際に通っていた中学校の教室にいた。その教室は、中学校一年生の時のクラスがあった場所だ。

 

どうやらこれから体育の授業があるらしく、着替える必要があり、普段は男子生徒は教室で着替え、女子生徒は更衣室で着替えることになっているのだが、なぜかその時は逆であり、男子が教室から追い出され、男子生徒はロッカーから体育着を取り出して、更衣室に向かうことになった。

 

私は出席番号3番の自分のロッカーを開け、体育着を取り出そうとしたところでビジョンから覚めた。夢と同様に、ビジョンも脈絡がなく、それでいて多岐にわたる点が興味深い。

 

夢とビジョンの区別は曖昧であるが、質的に異なるものがそこにあるように思う。両者の出処は果たして同じなのかも含め、引き続きビジョンについても観察と考察を続けていこうと思う。フローニンゲン:2019/4/21(日)14:39

 

4208. 言葉を超えた創造活動:己の言葉

 

つい今しがた、本日の夕食を摂り終えた。今日もまた、生命をいただくことへの感謝の念を持って夕食を食べ、一口目から最後の一口まで大きな幸福感に包まれていた。そしてまだその幸福感が持続している。

 

果物と野菜を中心にした食生活を送り始めてから、身体上及び脳機能上の変化が著しく、それは心身を超えて精神や、さらにその先の次元の何かにまで働きかけているのではないかと思われるほどだ。

 

明日はオランダは祝日であり、祝日でなかったにせよ街の市場は休みであるから、明後日に市場に出かけ、バルセロナ・リスボン旅行前の最後の食材購入を行いたい。

 

夕食前に入浴をしている最中に、言葉によって説明できる部分と説明できない部分があるからこそ、創造活動や芸術は面白いということについて考えていた。例えば、現在私が毎日行っている作曲実践を例にとってみると、作曲理論の書籍というのは確かに数多く存在しており、それぞれの書籍の中には、過去の作曲家の書法が細かく解説されている。

 

しかし、それら全てを理解したところで、その作曲家の書法を全て理解したことにはならないことはすぐにわかるだろう。結局、作品という命が生み出されるプロセスには多分に未知なものが残されているのである。

 

そうしたある種の神秘性が残り得るというところに、逆説的であるが言葉による探究の面白みがあり、一生涯創造活動の探究と実践に励もうとする力が生まれてくる。今日これから読み進めていく理論書も、作曲に関する様々なことを深く説明してくれているが、作曲という創造活動には、絶えず言葉では説明できないものが存在していることを念頭に置いておきたいと思う。

 

時刻は午後の七時を迎えた。フローニンゲンは、この時間帯からゆっくりと太陽が沈み始める。西日はまだ強く、キッチンや書斎の中にそれが差し込んでくるため、今はカーテンを半分ほど閉めている。

 

外は穏やかであり、夕方のそよ風が街路樹の葉を揺らしている。今ハタと気づかされたが、街路樹に揺れる葉が存在していたのだ。

 

よくよく見ると、外の世界は新緑で彩られており、目に入る緑が随分と増えた。新緑の葉を眺めていると、こちらまで活力が満ちてくるから不思議だ。このまま野菜という植物を食べ続けていれば、彼らともう少し密な会話ができるかもしれないと期待する。

 

夕方、自分の言葉というのは、自らの日々の生活の中で内側に感じているモヤモヤしたものと向き合う過程において、徐々に抽象化されて生み出されるものだということについて考えていた。モヤモヤした感覚が内省と時の発酵過程にさらされる形で練磨され、結晶化されて己の言葉になっていく。

 

ということは、自分の言葉というのは、曖昧模糊とした葛藤的な感覚体験が源になければならないことが見えてくる。

 

自分の真の言葉というのは、そのように、自らの葛藤的な原体験とそれに伴うモヤモヤした感覚、そしてその感覚と向き合いながら時の経過を経た末に生み出されるものだということがわかってくる。己の言葉を見出す、ないしは生み出すというのは容易いことではなく、逆にそうした言葉は本当に価値のあるものなのだとわかる。フローニンゲン:2019/4/21(日)19:18

 

4月21日(日)に生まれた曲たち

Op.1066 波紋の円錐

Op.1067 早朝のルイボスティーの香り

Op.1068 音の泉

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過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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