タイトル一覧
4173. 早朝未明に起床した断食六日目の朝
4174. 断食日数を伸ばした理由
4175. 断食六日目に気づく人間の内在的な統合化能力
4176. 呼吸と音と色:オーガニック食品会社・アニメ制作会社への投資
4177. 腸と音の関係
4173. 早朝未明に起床した断食六日目の朝
断食六日目の朝を迎えた。時刻は午前一時半を迎えようとしている。
いつもと明らかに違うのは、今朝の起床時間である。昨夜は午後十時前に起床し、そこから一時間後に目を覚まし、結局それ以降は深い眠りの意識に落ちることなく、一時あたりに起床した。
端的に言えば、心身が睡眠を全く必要としていない状態になった。おそらくこれが断食六日目で体験した最大のことではないかと思う。
胃腸に何も固形物が入らない状態が六日ほど続き、消化器管への負担が激減し、さらにはこの六日間それらの器官がゆっくり休んでいたこともあり、眠りを通じて回復させる必要のあるものがあまりなくなったのだと思う。
強いて挙げれば脳を休ませる必要があったが、その脳も三時間ほど目をつぶっていれば休息は十分のようであった。
先ほど、早速起床直後の一杯の味噌汁を飲んだ。今日の始まりは極めて早いが、もうこの時間帯から活動を開始しようと思う。
当然ながら、仮にここから脳に疲労感などが出たら、30分ほど仮眠を取るようなことをしたい。そのタイミングは午前六時か七時あたりかもしれない。
相変わらず早朝の味噌汁は美味く、固形物を食べていないのだが、腸のぜん動運動も良好だ。この調子だと、今日も宿便が出るかもしれない。
便についてもあれこれと調べてみると、これまで自分が知らなかったことがわかってくる。固形物を摂らない断食中に宿便が出るのは、便というのはそもそも食べ物の残りカスはわずか20%ほどしか含まれておらず、60%ほどは水分であり、残りの20%は腸内細菌の死骸であるからだろう。
すなわち、固形物を食べる食べないに関わらず、便を構成する80%のものは毎日体外に排出される可能性があり、腸のぜん動運動がしっかりしていればそれらはきちんと排出されるのだ。断食六日目の早朝、しかもまだ日が全く明けないこの時間帯に、いきなり便について筆を走らせている自分に対して笑みが漏れる。
とはいえ、断食中に宿便をきちんと出すことは重要であり、腸のぜん動運動を健全なものにしていく工夫も大切だ。腸のぜん動運動は、水分を取ることや散歩をすることなどによっても促されるし、今日からはヨガでいうところのひねりのアーサナのようなものを取り入れてみようと思う。
ヨガのアーサナとは本当に良く考えられたものであり、上半身をひねるアーサナは、腸を雑巾のように絞る形でデトックスを促していたものだったのだと今頃になって気づく。断食の体験は、また新しい発見を私にもたらしてくれた。
今日はこれから“Human Hearing and the Reality of Music(2013)”の続きを読み、その後作曲実践を行う。今日はとにかく読書と作曲に多くの時間を充てたい。
上記の書籍はそれほど分量がないため、それを読み終えたら、シュタイナーが音楽について解説している“Music: Mystery, Art and the Human Being (2016)”の再読を始める。こちらは丁寧に最初から最後まで読み進めていきたい。
本日中にどこまで読み進めることができるかわからないが、今日の活動に充てられる十分な時間を考えると、こちらの書籍も本日中に再読が終わるかもしれない。もし仮に本書の再読を終えることができたら、シュタイナーが色について詳細に分析した“Colour (1992)”も音色の研究のために再読していく。ただし、こちらの書籍は明日にかけてゆっくりと読み進めていく。フローニンゲン:2019/4/17(水)01:37
No.1864: The Full Moon in the Early Morning
I saw the full moon in the early morning.
Though the sun already rose, the energy obtained by the full moon is still circulating within my body. Groningen, 07:38, Thursday, 4/18/2019
4174. 断食日数を伸ばした理由
結局断食は七日間ではなく、八日間行うことにした。その一つ目の理由としては、心身の状態が圧倒的なまでに調子が良いことだ。
この調子を手放してまで断食を終えることが相当に馬鹿らしいと思う自分が生まれている。今のこの状態は、脳の働き、身体の活動機能、皮膚の状態など、これまで体験したことのないものであり、七日間で断食を終了することはあまり望ましくないように思えてきたのである。
もう一つの理由は、これは全くもって論理的ではないかもしれないが、私にとっては非常に重要な理由であり、それは400ページほどのハイデガーの主著“Being and Time (2010)”を集中して読みたいと思ったことである。
断食中の集中力を用いて、ぜひともこの書籍を最初から最後まで読み通したいという思いが、今朝方の未明に湧き上がった。ベッドの上であれこれと時間を計算している自分がおり、先ほどの日記で書き留めたシュタイナー関係の三冊の書籍は、今日と明日を使えば読み終えることができそうである。
シュタイナーが色について解説した書籍については明日の正午あたりまでには再読を終えることができるかもしれないと見込んでおり、当初の予定では明日の夕方に断食を終了するための梅流しを食べる予定だったが、そこで断食を終えてしまうと、現在のケトーシス状態が終わってしまい、読書に集中する力が弱まってしまうことが懸念された。
そうしたこともあり、ハイデガーの書籍を読むためにもう一日ほど断食期間を延ばすことにしたのである。そうした決断をした後に、来週の金曜日から始まる、バルセロナ・リスボン旅行が当然脳裏に浮かび、仮に断食を一日延ばしたとしても、回復期間は七日間あり、何ら問題ないことがわかったのである。
そうしたしかるべき理由をもってして、七日間ではなく、八日間の断食を今回行うことにした。
今朝方は三時間ほど目をつぶっているような状態であり、最初の一時間では確かに眠りの意識に落ちていくような状態があった。だが、それ以外は、ほぼ覚醒しているような状態であり、脳内に真っ白い光を知覚する体験が起きた。
私はそれを時折体験するのだが、おそらく脳内のセロトニンか何かの分泌が過剰になったのだろうと思われる。白い光を知覚するというのは、よく神秘体験などと言われるが、それほど大げさに捉えるものでもないだろう。
最初の一時間以外は覚醒状態が続いていたため、今朝方は全くもって夢を見ていない。今日仮に朝の六時か七時あたりに30分ほど仮眠を取り、午後に25分ほど仮眠を取ったりする時には、何かしらのビジョンを見るかもしれない。
何かしらのビジョンを見たら、夢日記の代わりにそれらを記録しておきたい。フローニンゲン:2019/4/17(水)01:52
No.1865: In the Light
Today is the seventh day of my fasting. I’ll finish it today.
I’ll go to the market at the center of the city to cook convalescent diet. Groningen, 11:08, Thursday, 4/18/2019
4175. 断食六日目に気づく人間の内在的な統合化能力
時刻は午前六時を迎えた。今朝は夜中未明の一時過ぎに起床し、そこから“Human Hearing and the Reality of Music(2013)”の続きを再読していた。
気がつけば二時間ほど読書に集中しており、再読を無事に終えることができ、そこから念のため一時間半ほど仮眠を取った。
仮眠中、予想通り、夢のような、あるいはビジョンのようなものを見た。そこで見ていたのは、バイキング形式の食事ができるレストランのようなところで、朝食か昼食を摂ろうとしている自分がいた。
私の近くには、小中学校時代の女性友達(AS)がいて、彼女と一緒に食に関するすごろくゲームをしながら、これから何の食べ物を食べるかを決めていた。ゲームが進行すると、私はグレープジュースを飲めることになった。
そこで私は、グラスに注がれたグレープジュースを一杯取って早速飲んでみた。すると、その味は薄く、それは市販の多くのジュースのように、人工的な甘味料によって味付けされたものだとすぐにわかり、オーガニックジュースの濃厚さと優しさ、ないしは生命感といったものが一切ないと思った。
その後も私たちは、ゲームを進めながら一つ一つの食を吟味していくことを行っていた。先ほどの一時間半ほどの仮眠の中で、そのような夢ないしはビジョンを見ていた。
そこでのテーマがやはり食に関するものであったことは興味深い。今の私は、食に対して相当に敏感になっているのだと思う。
ただ、こうした食への関心の芽生えによって、これまで学んできた様々なことが一つにつながってきているのを実感する。それは発達上における統合化のような現象であり、つくづく人間の内側に宿る統合的能力には驚かされる。
偶然ながらも、上述のシュタイナーの音楽理論と生理学を取り上げた書籍を読んでいる最中に、私たちは、ある音と別の音を時間記憶の中で保持し、それをまとめ上げていくことによって音楽を認識する話題が触れられていた。つまり、一つの音と次の音のつながりに意味を見出すことによって、人は音楽を掴んでいくという話が書かれていたのである。
このことを考えると、その背後には、人間の感覚、ないし脳には、音と音を統合させるような機能が備わっているのだろうと思われる。そして、その対象は音のみならず、他の知性領域や能力領域などにも当てはまり、だからこそ、人間の成長過程に統合化という現象が見られるのだと思う。
実際に今私が食に関心を示すことによって経験しているのはまさにそれだと言える。食へ関心を持つことによって、これまで以上に、ヨガの実践、身体心理学、トランスパーソナル心理学、発達心理学、社会学、経済学、金融などに関心が向かい、それらの知を一つにまとめ上げていこうとするような衝動を感じる。
断食六日目に感じているのは、まさにこうした統合化作用だと言えるかもしれない。
先ほどはなぜだか、ブダペストの街について調べていた。本当に今からちょうど一年前の本日、私はブダペストの街に降り立った。
一年前の今日から数日間、リスト博物館やバルトーク博物館を含め、ブダペストを観光したのを覚えている。なぜだか今朝、ブダペストの街にオーガニック食品店がどれだけあるのかを調べている自分がいた。
その背景にはもちろん、欧州永住権を投資によって取得するに際して、ハンガリーが最も金額水準が低く、それでいてブダペストに住むのも悪くないと以前から思っていたからである。確かにスーパーなどでは英語が通じないことが多かったが、カフェやレストランなどでは問題なく英語が通じた。ただし、オランダや他の西欧諸国に比べて、英語の浸透度合いは低かったのを覚えている。
ブダペストの街がどれほどオーガニック食品に対して関心があるのかを調べてみたところ、それなりにオーガニック食品を扱う店があった。ブダペストはハンガリーの首都だが、物価は総じて安い。
それでいて街並みはなかなかに美しいため、今でも今後の生活拠点の候補に入れている。そのような背景から、先ほどブダペストについて改めて調べたのだと思う。フローニンゲン:2019/4/17(水)06:37
No.1866: A Ritual for Revival
I’m cooking convalescent diet.
After eating it, I’ll be reborn. Groningen, 15:14, Thursday, 4/18/2019
4176. 呼吸と音と色:オーガニック食品会社・アニメ制作会社への投資
早朝の六時半を迎えた今は、辺りがうっすらと晴れており、小鳥たちの鳴き声が辺りにこだましている。幸いにも、今日からは気温が上がり、バルセロナ・リスボン旅行までの期間、暖かい日々を過ごすことができそうだ。
今書斎の窓を通じて、外の世界を眺めていると、そこには実に様々な色があり、それを呼吸と共に味わっている感覚がある。そしてそれは、今聞こえて来る様々な音に対してもそうだ。
いや、先ほどまで読み進めていた書籍の中でシュタイナーが述べていたことをもとにすると、私たちは色を呼吸し、音を呼吸しているのだと思う。
シュタイナーの考えはとても興味深く、どうやら私たちは呼吸を通じて色や音を味わい、吐く息なのか吸う息なのかによって味う色や音が変化するというのである。
今日はこれから二曲ほど曲を作った後に、シュタイナーが執筆した“Music: Mystery, Art and the Human Being (2016)”の再読を行っていく。再読を始めてしばらくしたあたりに、協働プロジェクト関係のオンラインミーティングの時間になるだろう。
ここ最近の日記で書き留めているように、近々、オランダか欧州の企業の中で、オーガニック食品を扱っている企業に投資を行いたいと思う。近い将来にもう少しまとまった資金があれば、経営に参画するような形で投資するのも良いのかもしれないが、当面は一株主として、その企業の応援者の立場を取りたい。
こうした投資を行う背景には、兎にも角にも多くの人にまっとうなものを食べてもらいたいという強い思いがある。昨日街中を歩いていた際に、小さな子供が缶ジュースを飲みながら、スーパーで購入したアイスクリームを食べている姿を見たとき、その子の将来をとても不安に思ってしまった。
そうした光景は、街を歩いていれば日常茶飯事であり、現代社会のそれなりに文明が発達した都市部においては、食は溢れかえっている一方で、それは食天国でもなんでもなく、むしろ逆に、食地獄の中に私たちは生かされているように思えてならない。
心身を弱体化させ、腐敗化させる無数の食べ物の中から適切な食べ物を選択していくためには知識が必要であり、子供と大人への食育に合わせて、まっとうな食べ物を届けるというシステムが必要になってくる。この両側面、ないしはインテグラル理論で言うところの四象限的なアプローチで食に携わっている企業があれば、ぜひとも投資をして応援したいと思う。
今の自分には食に関して社会的な大きな関与はできず、すでにそうしたことを行っている、あるいはこれから行おうとしている企業があれば、ぜひとも応援したくなるというのはうなづけることである。それともう一つ、私が前々から応援したいと思っている業界は、日本のアニメ業界である。
日本のアニメの技術と質が高いというのは、日本人であればもはや誰もが知っていることだと思うが、以前、何かの番組を通じて、下請けの制作会社の労働環境の厳しさを目の当たりにしたのを覚えている。
昨日は、アメリカのアマゾンを経由して、かなりの数の日本アニメのDVDとブルーレイを購入した。その時、英語ではなく、日本語のものを購入した方が制作会社のためになったのかもしれないが、そうした商品の利益分配もどのようになっているのか不明であり、そのあたりのミクロな経済システムについては関係者の知人に今度聞いてみようと思う。
いずれにせよ、今私の中で日本アニメへの関心が高まっているため、芸術としての質の高いアニメを日本及び世界に届けていくアニメ制作会社をぜひとも応援したいという気持ちがある。この件に関して、日本のアニメ制作会社に対象を絞って投資を行いたいと考えており、引き続き色々と調べていこうと思う。フローニンゲン:2019/4/17(水)06:58
4177. 腸と音の関係
時刻は午後六時を迎えた。断食六日目がゆっくりと終わりに近づき、七日目が明日にやってくる。
当初の予定では、明日で断食を終えようと思っていたのだが、自分の体調を含め、諸々のことを考えてみた結果、さらに一日延ばして、今回は八日間の断食を行うことにした。
明後日に断食を終えるための梅流しを食べようと思っており、明日の夕方には、その調理に向けての具材を街の市場に調達しに行く。街の市場に行くのはどこか久しぶりな感じがし、明日はまた新たな気持ちで市場を訪れることができるだろう。
まずは、オーガニックの果物と野菜を扱っている出店に行き、そこで必要なものを調達する。来週末には旅行が控えているため、あまり多くの果物と野菜を購入することはできないことを念頭に置いておく。
果物と野菜を購入したら、その店の近くに出展されているオーガニックナッツの出店に行き、アーモンドとくるみをそれぞれ150gずつ購入する。この量であれば、ちょうど一週間分だろう。
今日は早朝未明にシュタイナーの書籍“Human Hearing and the Reality of Music(2013)”を読み終え、正午あたりに“Music: Mystery, Art and the Human Being (2016)”の再読を終えた。また、ハイデガーの主著“Being and Time”に関しても、自分の関心のある箇所を夕方に読み終えることができた。そうしたことを踏まえると、今日の読書は非常に充実していたと言える。
本日の読書から得られたことは多岐に渡っているため、それらを一つ一つ全て書くことはできないが、一つだけ書き留めておくとするならば、神秘思想の観点を基にしたシュタイナーの音楽思想には大変関心を引きつけられたということだろう。
シュタイナーの神秘思想においては、腸は「第二の脳」と現代医学で言われていることを超えて、腸は宇宙的な力を反映する器官であると捉えられている。より具体的には、音の違い、音色の違いによって、腸の反応のみならず、消化液の物質が異なり得ることを指摘しているのは興味深い。
これまでの体験上、なんとなくその指摘には納得できる。例えば、食後に聴きたくないような曲もあれば、食後に聴きたいような曲があるというのは誰しもすぐに見当がつくことではないかと思う。
こうした現象が起こるのは、腸は音を敏感に捉え、音の違いによって腸の反応が異なり、消化液の物質が異なるからだと考えることは難しくない。その他にも、魂を揺さぶるような音楽を聴いた時に、背筋がゾクゾクとするような感覚を味わったことは誰しもあるだろうが、音と背骨・脊髄の関係についてもシュタイナーは解説している。
単に神秘思想の観点を用いるだけではなく、生理学的な観点からも音を捉えている点が、シュタイナーの音楽理論の面白さである。明日はシュタイナーの音楽理論からは離れ、色について取り上げた“Colour (1992)”の再読を行っていこうと思う。
今日は早朝未明の一時過ぎに起床したこともあり、今夜は早く就寝しようと思う。フローニンゲン:2019/4/17(水)18:27
4月17日(水)に生まれた曲たち
Op.1053 早朝のアイデンティティ
Op.1054 断食六日目の踊り
Op.1055 爽やかさと力強さ
Op.1056 湧き出る意思