タイトル一覧
4165. 断食五日目の気づきと思うこと
4166. 今後の旅行計画
4167. 断食五日目の朝に見た夢
4168. 今後の断食について
4169. 今朝方の夢の続き
4170. 注釈へのレビューの完成:断食とビジョンの関係
4171. 詩集を通じてのオランダ語学習:日本アニメへの関心
4172. 発達理論から紐解くアニメ:スパイスと作曲の関係
4165. 断食五日目の気づきと思うこと
今朝は四時半に起床した。断食五日目の朝が静かに始まろうとしている。
今朝は起床してすぐに、フロアの掃除をした。いつも部屋の掃除をすると、気持ちまでもが綺麗になるかのようである。
今は、書斎と寝室の窓を開け、換気をして新鮮な空気を取り入れている。断食五日目の朝は、どことなく幸福感が滲み出している。
昨日の日記にも書き留めたが、断食三日目を迎える頃からは、固形物を一切摂り入れなくても全く辛くない。むしろ、固形物を取り入れないことによる独特な幸福感が現れるから不思議である。今の私もまさに、そうした幸福感に抱擁される形でここにいる。
今、一杯の味噌汁をゆっくりと飲んでいる。この行為の中にもなんとも言えない幸福感が滲み出している。
現代社会で言われている幸福感にまつわる外面的な事柄を一度全て疑い、自らの内側の基準に基づいて幸福感というものを見出そうとしてみると、日々のありふれた事柄の中に滲み出すような幸福感を感じることができる。
今私は、食べないということを通じた種々の幸福感を見出している状態だと言えるだろう。断食による種々の心身状態というのは、インテグラル理論で言えば、まさにある種の状態であるが、断食の実践を定期的に行うことによって、諸々の行動変容が定着していく。ウィルバーも指摘しているように、状態の変化を促す実践の価値というのはそのあたりにあるのだろう。
断食五日目の朝は、四日目の朝以上に肌の調子がいい。それは顔に如実に表れており、加齢に伴って顔に刻まれる法令線がどんどんと薄くなっていることに気づく。これは驚くべきことである。
心身の状態の良さについてはもはや言うまでもない。断食五日目を迎えると、もう完全にブドウ糖ではなく、ケトン体によって脳と身体が動いているような実感がある。
時刻は午前五時半を迎えようとしている。今朝は小鳥が気持ち早く鳴き始めたように思う。日の出の時間が早くなることに合わせて、小鳥たちも早起きをし、鳴く時間も早くなっているのかもしれない。
彼らは自然のリズムと調和しながら生きている。では、私たち人間はどうだろうか。
自然のリズムと相容れない形で日々を生きていないだろうか。現代に於いては、自然と調和したリズムで生きづらくなっているのは確かだろう。
赤々と灯り続ける電気、技術の発達によって国家間の時差に関係なく動く仕事など、自然のリズムとは相容れない生活環境が現代人の前に横たわっている。自然のリズムと調和しない生活の中にも、ひょっとすると何かしらの良さがあるのかもしれないが、私は自然のリズムと調和した生活を選びたい。
その理由はいくつもあるが、全て直感的なものだ。あえて言えば、それは自らの心身魂を喜ばせることにつながるからだと言えるかもしれない。
ここ最近は断食をしていることもあってか、夜の九時半には就寝している。そして、四時半や五時には起床して一日の活動を始めている。
昨日の午前中に、協働者の方とオンラインミーティングを行ったのだが、そこで私がなぜ、日記の執筆、作曲実践、読書、書籍の執筆、諸々の協働プロジェクトに日々従事できているのか尋ねられた。私は冗談交じりで、一日一食生活や断食をしているからだと答えたが、それよりも根本的には、自然のリズムと調和した生活を送っているからだと言えるだろう。
夜行性の動物もいることはいるが、私たちの祖先の動物は夜行性ではなく、たいていの動物たちと同様に、夜に就寝することを本質に兼ね備えているように思う。それに反する行動を取るというのは、動物としての私たちの根源にあるものに反しており、天体の運行と身体のリズムが合わなくなり、種々の問題を生み出してしまうことにつながってしまうのではないかと思う。フローニンゲン:2019/4/16(火)05:41
No.1860: The Identity in the Early Morning
In the early morning, I had a classic but existential question: “Who am I exactly?” Groningen, 07:46, Wednesday, 4/17/2019
4166. 今後の旅行計画
時刻は早朝の五時半を迎え、小鳥たちの静かな歌声が辺りにこだましている。朝一番に、こうした美しい音を聴けることは本当に嬉しい。
小鳥の鳴き声が聞けるかどうかというのは、その住環境が自分に合致しているかどうかを表すバロメーターになるだろうし、また、そうした鳴き声に幸福感を見いだせるかどうかというのは、その時の自分の心の有り様を映し出す。
とにかくもう、この日々が、今という瞬間が何とも言えない幸福感に満ち溢れている。そのようなことを早朝の今この瞬間に思う。
昨夜は就寝前にぼんやりと、今後の旅の計画について考えていた。ちょうど今から10日後に、バルセロナとリスボンへ旅行に行く。
現在の生活場所や仕事の性質には本当に感謝しなければならず、今の仕事を続けながらオランダの地で生活をしていれば、特に欧州の様々な地域へ旅行に出かけることは物理的・経済的な意味でも容易であり、オランダとの時差もないため、旅先でも日本との仕事ができてしまう。
これまでの旅行においては、一度もオンラインミーティングを旅先で行ったことはなく、メールの返信をしたり、資料のレビューや作成程度に留めていたが、オンラインミーティングをすることも宿泊先のホテルでは可能である。
欧州時間の朝の八時か九時ぐらいにミーティングを一時間程度行い、その後に観光に出かけていくことも十分に可能なのだと改めて思う。今年は特に時間的・経済的にもゆとりがあるため、一ヶ月に一回か、一ヶ月半に一回程度のペースで旅行に出かけてみるのも悪くないと昨夜思った。
今の私は意外にも、旅を求め、新たな刺激と励ましを外側に求めているのかもしれない。バルセロナとリスボンの旅行から帰ってくるのは五月の初旬であり、それを考えると、六月あたりに数日間ではあるが、ジョージアのトビリシに足を運んでいるのも良いかもしれない。
その旅行の後、八月の初旬にロシアのモスクワを訪れる。ここでも五日間ぐらいの滞在を計画している。その後、九月末に仕事の都合上、日本に一時帰国する。その際に立ち寄りたい場所がいくつかあり、中でも岐阜県の二つの美術館には是非足を運ぼうと思う。
日本から帰ってくるのは10月になるであろうから、10月は旅行をせず、11月にはノルウェーかフィンランドの自然に近いホテルかコテージに宿泊し、そこでオーロラ観測をするために、一週間ぐらい宿泊したい。調べてみると、真冬よりも秋にオーロラがより見られる地域があるらしく、仮に11月にノルウェーかフィンランドでオーロラを観測するのであれば、そうした場所に滞在したいと思う。
そこから年末の最後に向かう場所としては、マルタ共和国がある。オランダの騒々しい年越しを避けるためにも、年末年始はマルタ共和国でゆっくりとした時間を過ごす。年明け以降は、仮に秋にオーロラ観測に行かなかった場合、あるいはオーロラが見られなかった場合には、再度二月の中旬あたりにノルウェーかフィンランドに向かおうと思う。
そして、三月末か四月の初旬には、ベルギーのブリュッセルとアントワークにそれぞれ四日間ぐらい滞在するような計画を立てている。今のところこうした旅を計画しているが、それらの場所に訪れたとしても、この世界にはまだまだ未踏地が広がっている。
それらの一つ一つの場所には、そこにしかない固有のものが存在していることを考えると、この地球の大きさを感じざるをえない。フローニンゲン:2019/4/16(火)05:59
No.1861: A Dance on the Sixth Day of Fasting
The sixth day of my fasting came.
Both the condition of my body and mind, and the amount of energy are excellent. Groningen, 08:53, Wednesday, 4/17/2019
4167. 断食五日目の朝に見た夢
小鳥たちの鳴き声がより大きく聞こえ始め、二種類の鳥が合唱を奏でるように鳴き始めた。自然が生み出すこの素晴らしい合唱に耳を傾けながら、今朝方の夢について振り返っておきたい。
夢の中で私は、空港上空のヘリコプターから、空港の屋上に飛び移ろうとしていた。それは特に危険でもなく、安全を確保して行われた。
屋上に着地すると、そこに二人のロシア人の若い女性がいた。彼女たちは空港に勤務しており、私をエスコートしてくれることになっていた。
私が屋上に着地した時、一人の女性が私にロシア語で話しかけてきた。それに対して私は、相槌のようなものを反射的に打つと、そこからも彼女はロシア語を続けた。
だが、私はロシア語が理解できなかったので、英語で話してもらうようにお願いをした。すると二人は、私がロシア語が話せないことをその瞬間に知ったようであり、笑顔を浮かべながら英語に切り替えてくれた。
屋上から下の階に向かっていく最中、二人のうちの一人が、私に届け物を渡してくれた。それは一枚の絵画作品であった。
そのサイズは比較的大きく、大きなトランクケースに入らないようなサイズであった。その絵画の中身は確認できなかったが、絵画はケースに入れられており、ケースの周りにはテープなどが貼られており、補強が施されていた。ただし、テープの何箇所かは少し剥がれかかっていた。
屋上からエスカレーターで一階まで降りると、そこでセキュリティーチェックがあった。その場を仕切っていたのは日本人女性であり、私は特に不審なものを持っていたわけではないから、セキュリティーを簡単に通り抜けることができるだろうと思っていた。
ところが、セキュリティーゲートのブザーが鳴り、どうやら私のベルトが反応してしまったようだった。ベルトを外し、もう一度ゲートを通ると、全く問題なかった。
ゲートを潜り抜けた後、荷物を取り、ベルトを締め直していると、担当していた係員の女性が私に話しかけてきた。なぜかわからないが、彼女は前職時代の私の先輩のことを知っているようだった。
そして偶然にも、ちょうどその先輩がゲートを抜けてこちらにやってきたのである。前職時代、私はその先輩の横の席で仕事をしており、毎日色々な話をしており、その方のことを大変慕っていた。
その方が結婚し、子供が生まれ、新居に引っ越した時、ちょうど私は退職間近であり、アメリカに渡る前にせっかくなのでうちに宿泊しに来たらどうかと持ちかけてくれたことを覚えている。そんな先輩と空港で再会できたことは嬉しく、そこで少し立ち話をした。
すると、前職時代の会社のオフィスはこの空港内にあるということを教えてくれたため、私は久しぶりにオフィスに立ち寄ってみようと思った。セキュリティーゲートを離れ、エスカレーターを使って二階に上がっていくと、そこで今度は、前職時代の二人の上司に遭遇した。
挨拶もそこそこに、私はなぜだか、同じ大学を卒業している男性の上司の方に、持っていたネギトロの巻き寿司を差し出し、彼の口に運ぼうとした。すると上司は、ひとくちそれをかじり、とても美味いと述べた。
それを聞いて、今度はその残りを、もう一人の女性の上司にも勧めた。ただし、それはかじりかけの寿司であったが、女性の上司もそれをかじろうとした。
三人でこの寿司の美味さについて少し話した後、私は二人と別れて、オフィスに向かった。おそらく二人は、これからクライアント先に向かうのだろうと思った。
そのような夢があったのを覚えている。夢の最初にロシア人の女性が二人ほど現れ、彼女たちはロシア語を話していたが、これまでの私の夢の中には、あまりロシア語が出てくることはなかったように思う。これは何を暗示しているのだろうか。
自分の中でロシアに対する関心が高まっていることを示しているのだろうか。あるいは、自分の中にあるロシア的なものが目覚めようとしているのだろうか。
いずれにせよ、ロシアという存在が自分に近づいてきていることを実感する。また、その他に印象に残っていることと言えば、一人のロシア人の女性から渡された絵画作品である。
私はその作品は、直感的にピカソの絵だと思った。ちょうど昨日、二時間に及ぶピカソのドキュメンタリー番組を見終えたところであり、その番組が夢に影響を与えたのかもしれない。フローニンゲン:2019/4/16(火)06:20
No.1862: Refreshingness & Vigor
The sixth day of my fasting is going in a comfortable way.
I’ll start to read “Being and Time” written by Heidegger. Groningen, 14:17, Wednesday, 4/17/2019
4168. 今後の断食について
断食五日目を迎えた今日からは、幸いにも少し温かくなる。明日以降も暖かさは続くようであり、ようやく春の訪れを感じる。
バルセロナとリスボンに行く際には、冬用のジャケットは必要ないかもしれない。もちろん、バルセロナとリスボンのその時期の気温を考慮して、冬用のジャケットを持っていくのか、さらにはマフラーと手袋を持っていくのかを判断したい。
両都市は、フローニンゲンに比べて少し暖かいようであるから、現地ではマフラーと手袋はあまり必要ではないかもしれない。いずれにせよ、それらの最終的な判断は出発の前日あたりに行う。
今日で断食五日目を迎えたわけだが、これまでの期間を振り返ってみると、決して長く感じることはなく、気が付けば五日間ほど固形物を何も食べていなかったという程度の感覚である。以前の私であれば、一日断食をするだけでも信じられないことのように思えていた。
今から八年前にアメリカのジョン・エフ・ケネディ大学に留学した際に、そこでイスラム教を信奉しているレバノン人の留学生と知り合いになり、彼女が断食をしていることを知って驚いたのを覚えている。当時の私にとってみれば、断食という実践が何を意味しており、どのような効果があるのかを全く知らず、そうした無知性が驚きを生んでいたのだと思う。
おそらくそれは肯定的な驚きではなく、何か奇妙な物を見たときの驚きに近かったように思える。そうしたことを考えると、無知であることは驚きの質を変えてしまうのだということがわかり、無知性から生まれる驚きはあまり肯定的なものではないのだということも見えてくる。
今回は七日間の断食を行うことになったが、本当であれば、別に十日間や二週間の断食でもよかったように思う。ただし今回は、回復期の長さと十日後からの旅行を考えてみたときに、七日間が最適な長さだと判断した。
今後も私は、定期的に胃腸を休め、身体の内側から諸々の再生をしていくことを行っていきたいと思う。今後の断食は、一ヶ月半に一度か、二ヶ月に一度のペースが良いのではないかと思う。
仮に七日間の断食を行うのであれば、二ヶ月は空けたほうが賢明だろう。断食五日目の今は、本当に肌が滑らかになっているのを感じる。断食によって、皮膚の再生が促され、若々しい肌が生まれてくるというのは本当に驚くべきことである。
今日はこれから作曲実践を行い、その後、監訳書の注釈のレビューを行う。一昨日に編集者の方に本文のみならず、注釈も早めに送って欲しいという依頼をしており、ちょうど昨日に注釈の原稿を受け取ることができた。
かなり勝手なお願いではあったが、メールの文面にも記載していたように、この断食中に注釈も含めたレビューを行いたかったため、昨日の段階で注釈の原稿を受け取ることができたのは有り難い。
当初より、レビューを全て終えるまでは何としても固形物を一切口にしないことを固く誓っていたため、昨日受け取った注釈はおそらく今日中にレビューが完成するであろうから、自らの誓いを果たせそうである。フローニンゲン:2019/4/16(火)06:39
No.1863: Rising Will
It is 5PM now.
The sixth day of my fasting is slowly approaching the end, and the seventh day will come tomorrow. Groningen, 17:09, Wednesday, 4/17/2019
4169. 今朝方の夢の続き
時刻は午前七時を迎えた。地上に朝日が降り注ぎ、薄い黄金色の光が赤レンガの家々に反射している。
世界は静かな喜びの踊りを踊っているかのようであり、その伴奏として小鳥たちの鳴き声が聞こえる。闇夜からこのように明るい世界への移行過程をつぶさに観察できることは、早起きの特権なのかもしれない。
これから一日の活動を本格的に始めようと思っていたところ、今朝方の夢の続きを思い出した。今朝方は、空港の屋上にヘリコプターで乗り付け、そこから空港内に入って、その建物内にある前職時代のオフィスに向かう夢を見ていた。
そういえば、二人の上司に遭遇した後に、私は空港ビルの二階に行き、その廊下を歩いている時に、前職時代にお世話になっていたある女性の方とすれ違った。その方は、私がこの場にいることを最初驚いていたが、久しぶりのオフィス訪問を喜んでおり、入り口の場所を示してくれた。
ちょうどその方は、給湯室に向かう途中だったようであり、コップを手に持っていた。私は、その方が教えてくれた入り口の方に行き、インターフォンを押した。
もう私は部外者であったから、キーで中に入ることは当然できず、インターフォンを通じて中に入れてもらう必要があった。ところが、私の体の何かに反応してか、ドアが勝手に開き、私はキーを用いることなく中に入ることができた。
すると、当時からお世話になっていたアシスタントの方がインターフォンの対応をするためにドアの方まで出向いてくれていたことに気づいた。私はその方に、「もう入っちゃいました」と笑いながら述べると、するとその方は笑いながら、「なんだ加藤くんか」と述べた。
その言葉を聞いた時、私は部外者ではなく、どうやらまだこの会社で働いているようだということがわかった。
インターフォンの入り口を抜け、自分の席があった場所に向かおうとすると、オフィス内は当時とだいぶ変わっており、だだっ広い空間に、個別ブースではなく、長机がたくさん置かれているようなレイアウトになっていた。
私は部屋の一番前の長机の方に向かっていき、どうやら先頭の列が自分の机のようだった。それは七人掛けぐらいの長机なのだが、その机を使っているのは私しかいないようだった。
ちょうど机の真ん中には、一つ資料が置かれていた。それは、その会社で一番地位の高い方が先日行ったセミナーに関するアンケートであり、どうやらその集計を私がすることになっているようだった。
すると、よくよく見ると、さらにもう一つ、かなり分厚い資料があり、それは契約書関係のものとアンケート結果が混じったものであり、こちらの対応も自分がすることになっているようだった。いざ仕事を始めようとすると、後ろから私の背中を突いてくる人がいた。
振り返ると、そこには少し歳の離れた男性の先輩がいた。その方も以前アメリカに留学していたことがあり、私がアメリカに留学することを伝えた時には、その方から「君は日本よりもアメリカの方があってるよ」と言われたのを覚えている。
その方は当時からすでに結婚しており、お子さんもいて、家庭と仕事をうまく両立させているようだった。その方は一言、「今度仕事終わりに、スパランドに一緒に行かないか?」と私に持ちかけてきた。
リフレッシュするために温泉に入りに行くというのは名案に思えたため、私は「ぜひ」と答えた。そこですぐさま、私たちはお互いのスケジュールを確認しあった。
ただし、その方はピンポイントで、「今月22日(水)の17:35からはどう?」と尋ねてきた。私は携帯をすぐに確認してみたところ、なぜだかうまくスケジュールの表示ができず、ある日の表示が大きくなってしまっていたり、また別の日の表示が目には見えないほど小さくなってしまったりしていた。
すると、私が腰掛けていた長机の席の横に、同期入社した年上の男性がいて、「スケジュールをいったん閉じて、もう一度開いてみるといいんじゃない?」と述べた。その通りにしてみると、スケジュールが今までと同じように綺麗に表示された。
幸いにも、今月の22日は空いていたため、私はその先輩と一緒に仕事終わりにスパランドに行くことにした。携帯にスケジュールを打ち込んだ私に対して、その方が「あれっ?加藤くんの靴下破れてないか?」と述べた。見ると、確かに私の左足の靴下は破れていた。
とはいえ、私は敗れた衣服でも気にせずに着る傾向があるため、笑いながら「そのようですねぇ〜」と述べた。
すると、私の横に座っていた同期入社の彼の靴下も敗れていることに気づき、私はそれを指摘した。その瞬間に夢から覚めた。フローニンゲン:2019/4/16(火)07:29
4170. 注釈へのレビューの完成:断食とビジョンの関係
とても穏やかなで爽やかな青空が広がっている。断食五日目もゆっくりと進行し、外の世界の穏やかさと内側の世界の穏やかさがシンクロナイゼーションしている。
時刻は午後の一時を迎えた。もう30分ほどしたら、ゆっくりと街の中心部にある美容室に行き、かかりつけのメルヴィンに髪を切ってもらう予定になっている。
今日は午前中に、昨日に続いて、この五日間何も固形物は食べていないのだが、宿便が二日連続で出た。宿便が出れば出るほど、心身の状態が良くなることを改めて実感する。
腸のデトックスが進めば進むほどに、心身の調子が良くなる様子を見ていると、腸は本当に「第二の脳」なのだと実感する。
午前中に改めて断食について調べていると、断食中の身体はこれまでの生活を通じて蓄積された毒素や老廃物を血液に押し流そうとするそうだ。それによって、汚れた血液が全身に巡り、時に吐き気や頭痛の症状が出ることがあるらしい。
私の場合、そうした症状は特になかったが、確かに断食の三日目に、めまいのようなものを感じる瞬間があったのを覚えている。
この30数年間ほど現代社会で生きていく中で蓄積した毒素を、一、二回の断食で全て排出しようとするのは無謀だろう。断食も人生において長きにわたって行っていくべき一つの実践であるから、当面は二ヶ月に一回のペースで七日間の断食を行うのが良いかもしれない。
今年一年間ぐらいはそのペースで断食を行ってみて、来年からは三ヶ月に一回、季節の変わり目に応じて七日間の断食をするのが良さそうだ。
今日も昨日に引き続き、高い集中力を持って諸々の取り組みに従事することができている。昨日の段階で、編集者の方から監訳書の注釈の初校を送っていただき、今朝からレビューを進めていった。そして、先ほど無事に最初から最後までの一字一句のレビューを終えた。
こうしてレビューを完成させてみると、出版まであと一歩という気持ちになる。あとは再校の完成を待ち、それに対してレビューをすることと、仮に私が執筆した「はじめに」や「解説」について修正事項があればそれを直すだけになるだろう。
今のところの予定では、六月に書籍が出版されるとのことであり、出版が今から待ち遠しい。私にできることは、しっかりとした書籍を世に送り出すために自分の役割を全うしていくことだけである。
レビューを終えた後に、先ほど仮眠を取っていた。今日も普段よりも5分長い仮眠を取ることにしてみると、やはりビジョンを見た。
もう三日以上も仮眠中にビジョンを見ているため、どうやら断食とビジョンを見ることの間には何かしらの関係性があるようだということが見えてくる。
先ほど見ていたビジョンは二つであり、一つはテレビゲームのボンバーマンの画面が現れ、その中で人間同士が対戦をしているようだった。おそらく一つのキャラクターは、私の意思と連動しており、私が爆弾を蹴ったり投げたりしようとすると、それに応じた動作をしていた。戦闘フィールドはかなり広かったが、私は誰かが操縦しているキャラクターを見事に倒したようだった。
二つ目のビジョンでは、サッカーの日韓戦が行われていた。後半の試合終了間際まで、日本は負けていたのだが、土壇場で日本が韓国に追いついた。そのようなビジョンを先ほど見ていた。
そろそろ着替え、陽だまりの中をゆっくりと散歩し、メルヴィンの店に向かいたい。今日はメルヴィンとどのような会話を楽しむことになるだろうか。フローニンゲン:2019/4/16(火)13:10
4171. 詩集を通じてのオランダ語学習:日本アニメへの関心
気がつけば今日も夕暮れ時を迎え、一日がゆっくりと終わりに近づいている。今日の午後は、ゆっくりと散歩がてら街の中心部へ行き、かかりつけの美容師のメルヴィンに髪を切ってもらった。
いつもの通り、一時間ほどの会話に花が咲き、話題が尽きることはなかった。案の定、今日は断食の話になり、メルヴィンも前々から断食には関心があったとのことであり、私の方からその効果・効能、そして進め方について紹介した。
また、断食と関連して、話題は食に移り、メルヴィンも食には敏感な意識を持っており、現代人の食生活に対する彼の洞察には驚かされるものがあった。ただし、メルヴィンにも抜け漏れている観点などがあったため、こちらの方で幾つか補足的な知識を紹介し、今度店に訪れるときには、先日読んだ食に関する書籍の一冊を貸すことを約束した。
その書籍には、食の選択のみならず、断食に関する知識も豊富に書かれているため、きっと参考になるだろう。その後も話題は多岐に渡ったが、私が来週末からバルセロナとリスボンに行くことを伝えると、メルヴィンも過去にバルセロナとリスボンに訪れ、ポルトガル自体には毎年足を運んでいることを教えてくれた。
なにやらポルトガルには、ウィンドサーフィンをするのに最高の海があるらしく、その話をしてくれた。バルセロナとリスボンについてもう少し詳しく話を聞いてみると、フローニンゲンに比べて両都市は太陽の光があるためか、道行く人の歩く速度はゆっくりとのことである——太陽の光の量と人々の歩く速度の因果関係は不明だが、メルヴィンはそのようなロジックで話をしていた。
両都市においても英語は問題なく通じるが、どちらかというと、バルセロナよりもリスボンの人たちの方が英語が流暢とのことであった。バルセロナを訪れる際の注意としては、観光客で込み合ったどこかの有名な通りには、ルーマニア人たちのスリ集団がいるらしく、ポケットから財布などを盗まれないようにすることに用心する必要があるとのことであった。
そうした旅行話以外には、私がもう一年フローニンゲンに残ることをメルヴィンに伝えると、メルヴィンは大変喜んでくれた。そこで私は、オランダ語の本格的な学習を始めようと思っていることを伝えた。
アニメを通じてオランダ語を学習しようと考えており、メルヴィンは日本のアニメ好きであるから、オーディオがオランダ語、かつサブタイトルもオランダ語の日本アニメはないかと尋ねてみたところ、サブタイトルがオランダ語のものがあったとしても、オーディオがオランダ語のものはほとんどないそうだ。
英語に関しては非常に充実しているのだが、オランダ語での吹き替えはまだまだ普及していないのだろう。アニメを通じて、オランダ語のリスニングとスピーキングを学んでいくことは少し難しそうであり、メルヴィンに髪を切ってもらった後に、街の中心部の書店に行って、オランダ語のリーディング能力を高めるために、良さそうな絵本を探してみた。
だが、コンテンツとしてあまりピンとくるものがなく、オランダ語の詩集の方が読みたいという気持ちを引き起こさせることに気づいた。ちょうどその書店には、イスラム神秘思想家のルーミーのオランダ語訳の短い詩集が置かれており、今回は購入しなかったが、リーディング能力を本格的に高める際には、ぜひこうした詩集を読んでいきたい。
オランダ生まれの詩人で誰が有名なのか私は全く知らないため、今度街の中心部の古書店に訪れた際に、店主のテオさんに尋ねてみようと思う。
自宅に帰った後もまだ、日本アニメを見たいという思いが高まっていた。私は普段、書籍や論文による活字情報や、音楽空間における聴覚情報に触れてばかりであり、あえて視覚的な情報に触れるという意味において、アニメを視聴してみるのも良いと思ったのである。
もちろん、これは一つの楽しみとして行おうと思っており、アニメを見ることになれば、夕食後にメールを返信した後の楽しみとする。夜は読書や作曲を行う集中力はないことが多く、リラックスを兼ねてアニメを見るということを自分に許容してあげてもいいのではないかと思う。
それ以外の目的としては、アニメの中に描かれる多様な世界観や物語構造を把握するようにしたいという考えがある。いかなるアニメにも、固有の世界観や物語構造が存在するはずであり、幾つかのアニメを比較する形でそれらを明らかにしていきたいと思う。そうなってくると、アニメは良い学習教材にもなるだろう。
先ほど、イギリス、ドイツ、アメリカのアマゾンを調べていたところ、私が持っているDVD・ブルーレイ再生プレイヤーで再生できるものは、やはりアメリカのアマゾンを経由して購入した方が安く、先ほどアニメのDVDとブルーレイを随分と購入してみた。
購入したのはどれも王道のアニメであり、懐かしいものもあれば、見たこともないものもある。購入したのは、ハンターハンター、ワンピース、ナルト(以前の美容室で、ある美容師がナルトのキャラクターのタトゥーを入れており、このアニメは面白いと述べていたため、試しに見てみることにした)、ブリーチ(以前塾で働いていた時に、教え子から教えてもらったものであり、数年前にオンライン上で数話ほど見たところがあり、面白いと思ったが、オンラインで見るのは諸々の煩わしさがあった)の四つのアニメである。
ハンターハンターに関しては、英語版のブルーレイで入手出来るシリーズを全て購入した。あとの三作品は、どれもかなりの数のDVDが発売されており、全て入手するには30万円ぐらいかかるだろうか。
これから気長にコレクションしていき、こうしたアニメのDVDやブルーレイも、書籍や絵画作品と同様に一つの資産になるだろう。フローニンゲン:2019/4/16(火)18:42
4172. 発達理論から紐解くアニメ:スパイスと作曲の関係
時刻は午後の八時を迎えた。辺りはまだ明るく、この時期のフローニンゲンの日没は夏のそれである。
明日は断食六日目を迎え、今回の断食は七日間で終える予定であるため、明日の夕方には、街の中心部の市場に行き、梅流し用のための大根を購入したい。また、大根のみならず、金曜日からの夕食用に果物と野菜を豊富に購入しておきたい。
夕方に幾つかの日本アニメのDVDとブルーレイを購入したことを先ほどの日記で書き留めていた。今日購入したアニメはどれも週刊ジャンプで連載されていたものであるためか、それらアニメの根底には、やはり成長物語という性質がある。
その性質を考えると、発達理論の観点からそれらのアニメを見ていくと、いろいろと気づきや発見があるのではないかと思う。アニメの中では各キャラクターの自己及び何かしらの能力の成長過程が描かれているだろうから、まずは発達理論の観点からそれらのアニメを視聴してみることにする。
もちろん、発達理論のみならず、これまで習得してきた他領域の理論からそれらのアニメを楽しんでみようと思う。中には、精神分析やトランスパーソナル心理学の観点が活用できそうなアニメがあるため、そうした領域の観点を用いてアニメを見るのは新しい刺激と発見をもたらすだろう。
今日購入したアニメがアメリカから届けられるのは、バルセロナとリスボンの旅行から帰ってきてからになる予定だ。
今日は午前中から昼にかけて、ウィルバーの監訳書の注釈のレビューを行っていた。それが無事に完成し、先ほど修正が必要な箇所のリストを編集者の方に送っておいた。
また、今日は髪を切りに行き、その後街の書店でオランダ語の絵本や詩集を吟味していたこともあり、今日の作曲実践は二曲ほどになりそうだ。明日は時間があるから、旺盛に作曲実践を進めていきたい。
今日の作曲実践を通じて、スパイスと作曲との間にある関係性を見出した。スパイスを効かせすぎた料理はあまり美味しくなく、適度にスパイスを効かせた料理が美味であるのと同様に、曲において適度にスパイスを効かせることが重要であるという気づきであった。
ここで述べている作曲上のスパイスというのは、もちろん諸々の観点があるが、例えば一つの調性を選んで作曲する場合においては、変化記号を活用することなどが挙げられる。
今日は試しに、ある一つの調を選んで、スパイスを一振りだけかけるかのように、変化記号をごくわずかだけ使ってみた。すると、まさに調理上のスパイスのようにそれがうまく機能しているように思えたのである。
今後しばらくは、料理に一振り、あるいは数回ほどスパイスをかけるような意識を持って作曲実践を行ってみようと思う。
今日は夕方まであれこれと活動に従事していたため、まだ入浴を済ませていない。これから入浴を済ませ、その後時間があれば、この間パリの国立ピカソ美術館で購入した画集を眺めたいと思う。
昨日まで見ていたピカソのドキュメンタリー番組を通じて得られたことに関しては、また後日書き留めておくようにする。フローニンゲン:2019/4/16(火)20:30
4月16日(火)に生まれた曲たち
Op.1051 人生という名の大海に浮かんで
Op.1052 夕暮れスケッチ