タイトル一覧
4102. 相撲界からの引退に関する夢
4103. これからの人生:記憶喪失に陥る夢
4104. 今朝方の夢の続き
4105. 穏やかな日曜日の朝に
4106. バルセロナ&リスボン旅行計画
4107. 自らの書法の確立に向けて
4102. 相撲界からの引退に関する夢
今朝は五時半に起床し、現在の時刻は六時を少し回ったところである。早朝のフローニンゲンを、小鳥の清澄な鳴き声が包んでいる。
今は音楽を聴くことをやめて、小鳥たちの鳴き声に包まれることを選んだ。この時間のフローニンゲンはまだ暗く、わずかばかり遠くの空の色が変わり始めている。今日もまた穏やかな日曜日になるだろう。
昨日は久しぶりに気温が上がり、日中は暖かかった。だが、夕方から友人と街の中心部にディナーに出かけた際には少しばかり冷え始めており、帰る頃にはすっかり肌寒くなっていた。
今日は昨日よりもさらに最高気温が上がり、20度まで達するという夏日和である。明日までは今日と似た様な気温になるが、明後日からまた10度前後になってしまうため、気温の変化には気をつけたいと思う。
今朝方の夢についてまずは振り返っておきたい。今朝は印象に残る夢をいくつか見た。夢の中で私は、小中学校時代を過ごした社宅の近くの通りを歩いていた。
その道をまっすぐ行けば国道に突き当たり、瀬戸内海に辿り着く。国道近くには、友人たちの多くが通っていた保育園があり、その脇を通り過ぎようとしている時に私の足がそこで止まった。
私は何気なく保育園の方を眺め、そこのグラウンドが気になった。特に誰かが遊んでいるわけではないのだが、私はそのグラウンドの方に歩んでいき、しばらくそこで何か考え事をしたいと思った。
保育園の門をくぐってみると、やはり園内には誰もおらず、私はそこで一人で時間を過ごした。すると突然、時間と空間が変容し、私は別の日に飛び、先ほどまでいたグラウンドではなく、保育園の校舎の教室の中にいた。
見知らぬ保育園の先生が私の横にいて、「あの件は大変でしたね」と私に述べた。最初私は何のことかわからず、その先生に尋ねてみた。
するとどうやら、私は保育園の中で問題を起こしたようだった。正義感に駆られて激昂した私は、保育園の先生を何人か投げ飛ばしたとのことであった。すると、その先生はまた一言付け加えた。
保育園の先生:「これから記者会見ですよね。そのご準備は大丈夫ですか?」
私:「記者会見?」
保育園の先生:「何をご冗談を(笑)。これから横綱引退の記者会見をなされるのですよね?」
私:「横綱?どなたが横綱なんですか?」
保育園の先生:「ご冗談が過ぎますよ。先生じゃないですか(笑)」
私はその先生の話の内容をすぐに理解することができなかったが、どうやらこういうことらしい。私はその保育園の先生を務めていながら、同時に相撲取りであり、しかも横綱の称号を持っているらしかった。
少しずつ事情を理解しようとしている私に対し、その先生はまた一言述べた。
保育園の先生:「せっかく横綱になられたばかりなのにとても残念です。先生のように体重が50kg台の力士なんて他にいませんからね。そんな先生が200kgもあろうかという力士を投げ飛ばす姿や、見事に相手の攻撃をかわす姿なんて圧巻でしたよ」
それを聞いた時、私はプロの関取なのだと理解した。自分が相撲取りであることなど想像できず、こんな華奢な力士が土俵の上に上がっていたらさぞかし滑稽だろうと自分でも笑ってしまった。
しかし、そんなに笑ってもいられない事情があるようだった。いくら私が正義感に駆られたとはいえ、一般市民を投げ飛ばしてしまうことは相撲界にとって大問題のようだった。
私はその責任を取る意味で、横綱の称号を明け渡すのみならず、相撲界から引退することにしたようだった。保育園の体育館のような場所で記者会見がなされるようであり、すでにその準備が整ったそうだ。
それを受けて私は、会見場に向かった。見ると、尋常ではない報道陣が駆け付けており、事の重大さを知り、その頃には、私は本物の横綱であるという自覚を持っていた。
壇上に上がった私は、深々とお辞儀をし、そこから本件の説明と引退表明を行った。引退表明後、報道陣から質問があり、「横綱になったばかりなのに引退なされることに後悔はありませんか?」と尋ねられた。
それに対して私は、「私は最初から横綱になることを目的にしていたわけではなく、純粋に相撲が好きだったんです」というような言葉を述べていた。私には力士から引退した後にやりたいことが山ほどあり、一抹の後悔も未練もなしに清々しい気持ちで引退を果たした。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/4/7(日)06:46
No.1836: An Aroma of the Ground
Sunday is now approaching the end.
The surrounding environment has a dreamy atmosphere. Groningen, 20:42, Sunday, 4/7/2019
4103. これからの人生:記憶喪失に陥る夢
相撲界から引退する夢に関する印象がとても強く残っている。実は私は記者会見の後に、力士を引退した後に待っている新たな挑戦に取り組めることに心底喜び、嬉し涙を流していたのを覚えている。
それについて考えてみると、確かに現実世界の今の私に関して思うことが少しある。私はフローニンゲンにさらにもう一年残ることを決意した段階で、自分を呪縛する幾つかの事柄から解放されたように思う。
それが何かについてはここでは明記しないが、それは長らく自分の可能性を縛っていたものである。そうしたものが今ほぼ解消に向かい、どこか解放感を感じつつある自分がここにいる。
それが解放されることによって、既存の取り組みの中で継続していくものに対してはより激しく、またそれと同時に、新たな事柄にも挑戦していくという意欲が掻き立てられている。
欧州で過ごす四年目が始まろうとしているこの時期に、そうした解放感が得られたというのはなんとも幸運なことであり、同時に、自分を縛るものはまだまだ存在しているのだという冷静な気づきも生まれる。一人の人間が真に自由になるというのはかくも難しいことらしい。
今朝方の夢はそれを象徴している。横綱及び力士からの引退を表明した後の、あの清々しさ。肩の荷が下りたような感覚の中、これから新しいことに挑戦していこうという気概のようなものを私は持っていた。
昨日友人と話をしている時に、時の流れの速さと人生の短さについて改めて考えた。その友人と私は偶然にも欧米で八年目の生活をこれから始めるという共通点を持っている。
母国の外で過ごしたこの七年間で得られたこと、積み重ねられてきたことは、数多くの有形無形なものがある。そうした恩恵を授かりながら、同時にこの七年の速さを思った。
七年前の自分が今の自分を想像できないのと同じように、ここから七年後の自分を想像することなどできない。いくら想像を膨らませても見えないものがあるということ、それこそが人間の人生の本質に横たわっているように思う。
ここからまた私は歩き続けるだろう。時に立ち止まりながら、時に後ろに下がりながら、それでもどこかに向かって歩き続けるに違いない。
そこにはもはや前も後ろもないのではないかと思えてくる。自分の人生には、歩くことしかないのだと思う。
歩きながら世界と関わり、歩きながら考え、歩きながら創造するということ。これからの人生もまたそのように過ぎていくのだろう。
そのようなことを考えていると、時刻は午前七時を迎えた。辺りはすっかり明るくなり、スカイブルーの空がフローニンゲンを覆っている。
空は私たちを覆うものでありながら、その空もまた覆われるものでもあるのだ。空の向こうにあるものに思いを馳せよう。
今朝方の夢について思い出していると、とても断片的な場面を思い出した。夢の中で私は、マンションの一室にいて、ディナーテーブルの上でカードを広げていた。
どうやら私は、現在協働中のある女性の研究者の方と、そのテーブルでカードゲームに興じることになっていた。その方はまだ到着しておらず、私はカードのデッキをシャッフルしたり、カードをテーブルの上に綺麗に並べることをして時間をつぶしていた。
しばらくすると、その方がマンションの呼び鈴を鳴らし、私は部屋に案内した。テーブルに着席すると、そこでいきなりゲームを始めるのではなく、少し世間話をした。
ところが、その方との話の中で噛み合わない部分が幾つかあり、不思議に思っていたところ、私が記憶喪失に陥っていることに気づいたのである。そんな夢を今朝方見ていた。フローニンゲン:2019/4/7(日)07:04
No.1837: A Taste of a Quiet Celebration
It is fine today. The outside atmosphere is very fresh. Groningen, 09:25, Monday, 4/8/2019
4104. 今朝方の夢の続き
小鳥たちがまだ美しい鳴き声を上げている。しばらくその声に包まれたままでいたい。
彼らの歌声は、昨日から聴き始めたバッハのコラールで歌う人間の声に勝るぐらいに艶やかである。
先ほど、今朝方の夢を二つほど振り返った。実はまだあと二つほど夢を見ていたことを覚えている。
夢の中で私は、学校の教室にいた。その教室は小学校時代のものであるように見えたが、そこにいたのは高校時代のクラスメートたちだった。
そこでは数学の授業が行われており、先生は高校時代にお世話になっていた初老の男性の先生だった。宿題の答え合せか何かをするために、先生が生徒を指名し始めた。
真っ先に名前が呼ばれたのは「加藤」であり、教室には二人加藤がいて、私は「どっちの加藤ですか!?」と教室の最後列の席から大きな声で述べた。先生も他のクラスメートたちも、私のことを指名したに決まっているという表情を浮かべながら、みんな笑っていた。
私はそうした笑いが起こるであろうことを予想して、あえて先生に聞き返していたのである。
生徒たちが座っている椅子の後ろには番号が書かれたシールが貼られており、私の椅子には36番のシールが貼られていた。先生は真っ先に私を指名し、問題は因数定理を用いた因数分解だったのだが、私は少し傲慢にも、「そんな簡単な問題を自分が解く意味ありますか?」と心の中で思っていた。
いざ席を立って、答えを板書しようと思ったところで、教室の右列の一番前に座っていた、小中高時代の友人の女性が私に向かって、「その問題うち分かるよ。教えてあげようか!?」と大きな声で述べた。
いつも私が彼女に勉強を教えてあげていたからであろうか、彼女はそのお礼にそうしたことを述べてくれたのだと思う。だが私は、その問題は簡単に思えたので、彼女の申し出を丁寧に断った。というよりも、少し苦笑いを浮かべながら手を振って、Noの合図をした。
先生が提出した問題は、昨日か前回の授業からの宿題のだったようだが、私は宿題をやっておらず、黒板を前にして問題を解こうと思った。しかし、席を立ち上がって、問題が書かれた黒板に向かって歩いている最中に、ほぼ問題が解き終わっており、そこでも思わず笑みがこぼれた。すると夢の場面が変わった。
最後の夢の中で私は、大きな書店の中にいた。書店の中は幾分薄暗く、本に近寄らなければ書籍のタイトルがわからなかった。私はそこで何か本を探していたようである。
すると、私の周りに小中学校時代の友人が集まってきて、本棚と本棚の間で整列を始めた。よくわからないが、私もその流れに乗って整列をした。
私の前には親友(NK)が立っていて、その前にも何人かの友人が立っていた。整列してみて気づいたが、彼らは一様に身長がかなり伸びており、全員が190cm近くになっていた。
そうした大男たちに囲まれながら、列が少しずつ前に向かって行き、エレベーター前の特別フェアで売られている書籍の山が目に入ったところで突然場面が変わった。その夢の延長として、本屋から大学のレクチャーホールの中に私はいた。
そこには外国人の教師と学生が数多くいた。一人の教師は女性だったのだが、外見や話し方等を総合的に判断すると、どうやらレズビアンのように思えた。
最初そのレクチャーホールには、奇妙なほど女性しかおらず、そこで女性のための授業が行われるのだろうと思って、一旦教壇近くの扉から外に出た。しかし、もう一度その扉を開けて中の様子を窺ってみると、そこには男子学生も散見され、私がそこにいても問題ないのだとわかった。
いざ授業が始まると、教師は政策分析に関するグループワークの課題を出した。カラフルかつ大きなポスター用紙が一つ一つのグループに配られ、それに分析内容を書いていくことになっていた。
私のグループには外国人が一人もおらず、なんと全員が小中学校時代の男性友達であった。彼らと私はとても仲が良かったが、グループの顔ぶれを見たときに、彼らはほとんど意見を出さないであろうことが予想され、自分がグループを仕切っていく必要があると思った。
いや、全ての分析を自分一人で行う必要があるだろうと思ったのである。そして、分析内容をポスター用紙にマジックで記入するのも自分の役割だろうと思っていたところ、生真面目な友人の一人(AF)が突然日本語でポスター用紙に分析内容を書き始めたのである。
私は思わず、「えっ、日本語?」と言葉を発した。するとその友人は、「えっ、あぁ、しまった」と述べた。日本語でポスター用紙に記入しても、外国人の教師も他のグループメンバーも理解できないであろうから、英語で書く必要があったのである。
そこで私は彼と交代し、私が書くことを担当することになった。そしていざ政策分析を始める頃になると、意外と時間が残っておらず、他のグループメンバーは知らないであろうインテグラル理論を用いながら独特な分析を進めていくことを私は提案し、それを行うことにした。
今朝方はそのような夢を見ていた。夢から覚めた直後に、枕元の裏紙に夢を走り書きすると、夢の忘却率を低めることができ、逆に夢の想起率を高めることができる。
起床直後に夢を裏紙に走り書きをしてみて、改めてそのようなことを思う。フローニンゲン:2019/4/7(日)07:34
No.1838: Tree Sap
I had an image of running tree sap. Groningen, 12:04, Monday, 4/8/2019
4105. 穏やかな日曜日の朝に
穏やかな日曜日がゆっくりと正午に向かっている。今日は暖かくなるはずなのだが、まだ室内ではヒーターをつけている。
今日は天気に恵まれるため、午後に街の中心部にあるオーガニック食品専門店に行き、コンブチャを二本ほど購入する。今後は、前回飲んだメーカーのものを購入し、週に一、二度コンブチャを飲もうと思う。
昨日の午前中と午後は、作曲や読書に集中するような気分ではなかったが、今朝はとても気分が良く、今日は作曲と読書に思う存分取り組めそうだ。実際に、午前中には吉田秀和氏の全集の続きをすべて読み終え、ハーブに関する二冊の図鑑に目を通した。
まずは関心のある四つほどのハーブについて調べてみた。この図鑑の分厚さからも明らかなように、ハーブの世界もまた本当に奥が深い。これから少しずつ学習を進め、自分のその時の心身の状況に合わせたハーブを選択し、それをハーブティーとして飲んでいきたい。
ちょうど明日の午後に、街の中心部のお茶専門店へ行く計画を立てており、そこで今の自分の心身が欲するハーブを数種類購入し、専用のティーポットを購入しようと思う。ハーブに関しても実践が何よりも大事であり、図鑑はあくまでもその補助であり、自分でハーブを飲みながら試行錯誤と発見を繰り返していくことが大事になるだろう。まさにそれは作曲実践で自分が行っていることと同じである。
先日知人が、「読書は体験である」という旨のことを書いている文章を見かけた。まさにその通りである。
読書をするというのも一つの立派な体験であり、その人がどのような意思と方法で読書を行うかによって、その体験は豊かにもなり、貧困にもなる。体験として貧困な読書は、まさに実践とかけ離れてしまったものである一方、体験として豊かな読書は、それが即実践につながるという性質を持っているのではないかと思う。
今日もまた読書をすると思うが、その時には実践につながる豊かな体験としての読書を行うように心がけたい。
来週からは、少々協働プロジェクト関係のミーティングが立て込むので、本日中にスペイン・ポルトガルの旅行計画を詰めておきたいと思う。もう少しリサーチをすれば、自分がどこに足を運びたいのかが網羅されるであろうから、リサーチに少し時間をかけ、その後、今日中にできれば各種予約を済ませたい。
行きたい場所をリストアップする際には、それが美術館や博物館であれば、きちんと開館日時を確認しておく。それを一枚の裏紙にまとめていき、いつどこに訪れるのかのリストを簡単に作っていく。
こうした作業に移る前に、もしかすると、航空券やホテルの状況をまず確認しておいたほうがいいかもしれない。興味深いことに、どの週の何曜日に飛行機に乗り、どの週のどこからどこまでホテルに宿泊するのかは、随分と価格差を生む。
非常に割安な日もあれば逆に値段が高騰している日もある。とりあえず宿泊したいホテルを先に見つけておき、そこに割安で宿泊できる日から逆算して航空券の予約と行きたい場所の組み合わせを考えていくのがいいだろう。
バルセロナには今のところ四泊し、リスボンにも同様に四泊しようと思っている。もしかしたら、バルセロナに五泊、リスボンに三泊になるかもしれない。フローニンゲン:2019/4/7(日)11:30
4106. バルセロナ&リスボン旅行計画
今日は午後から数時間ほどかけて、四月末から五月初旬の旅行計画を練り、ホテルや航空券の予約を全て済ませた。まずはスペインのバルセロナの滞在に関して、訪れたい場所を吟味し、主には五箇所を一日に一つずつ見て回り、スペインを代表する建築家のガウディの建築物をゆっくりと見て回る日を設けた。
その結果、バルセロナには六泊ほどすることになった。出発は4/26であり、その日はアムステルダム空港を昼頃に出発する便に乗り、午後二時頃にバルセロナに到着する。
宿泊先のホテルは、空港と直結しているバルセロナ市内の駅近くに滞在することにした。近くには、ミロ美術館やカタルーニャ美術館などがある。
バルセロナに到着した日は、すぐにホテルでチェックインをし、荷物を置いてから市内に散策に出かけたい。この時に、バルセロナの街並みを堪能しながら、同時にガウディの幾つかの建築物を見学したいと思う。
バルセロナ滞在中に訪れる予定の場所を時系列で並べると、下記のようになる。
・4/26:移動日
ガウディの主要な建築物の幾つかを見る。例えば、「カサ・ビセンス:1888年に完成したガウディの処女作といわれる建物」「カサ・バトリョ」「サグラダ・ファミリア教会:ガウディ未完の大作として名高い建築」などである。
・4/27:カタルーニャ美術館
・4/28:カタルーニャ音楽堂(ガウディの先生であるリュイス・ドメネクが建築):この音楽堂は、非常に美しい建物のようであり、ガイドツアー(所要時間55分)に参加しようかと思っている。今のところ、この日の17:30からこの音楽堂のコンサートホールで行われるコンサート(詳細は下記)に参加する計画だ。https://www.palaumusica.cat/en/tour-standard_596665
演奏者
Ainhoa Arteta, soprano
Orquestra Simfònica Camera Musicae
Tomàs Grau, conductor
プログラム
L. VAN BEETHOVEN: Overture Egmont, op. 84
R. STRAUSS: Vier letzte Lieder
R. SCHUMANN: SYMPHONY NO. 2, IN C MAJOR, OP. 61
・4/29:ピカソ美術館
・4/30:フィゲラスにあるダリ美術館(バルセロナ市内から列車で1時間、2駅ほどの距離)
・5/1:ミロ美術館
・5/2:移動日
六日間のバルセロナの滞在を終えた後、そこからポルトガルの首都リスボンに向かう。5/2の正午の便に乗り、リスボンには13時あたりに到着する。
宿泊先は、バルセロナの時と同様に、空港に直結している市内の駅近くのホテルに宿泊することにした。その日は、ホテルでチェックインを済ませてから、世界遺産に登録されているジェロニモス修道院やベレンの塔に足を運ぼうと思う。
・5/3:国立古美術館
・5/4:リスボン水族館:バルセロナとリスボンでは、美術館や博物館ばかりを巡るため、このあたりで自然に触れたいという欲求が高まってくるような気がしたため、リスボンの海岸沿いにある大きな水族館に行く。様々な海洋生物たちに必ずや癒されるだろう。
・5/5:ファド博物館:この日は、午前中にこの博物館を訪れる。ファドとは、ポルトガルに生まれた民族歌謡であり、「 ファド」という言葉は運命、または宿命を意味する。その日の午後に、19世紀から20世紀の美術をポルトガルの芸術家を中心に紹介しているシアード美術館を訪れる。
・5/6:グルベンキアン美術館:ここは最初リストアップしていたが、ギリシャやローマなどの古代の芸術品しか置かれていないのであれば訪れるのをやめようと思っていた。だが調べてみると、私の好きなターナーの絵が二点飾られているとのことなので、ぜひ足を運んでみようと思った。その他にも、私が好む画家の作品が多数あることがわかったので、最終日にここに足を運ぶ。
・5/7:移動日
この日の朝にリスボンを出発し、昼前の便に乗ってアムステルダムに戻る。フローニンゲンの自宅に到着するのは、午後の七時半ぐらいになるだろうか。
簡単に今回の旅の計画を書き留めた。すでに、バルセロナ市内とリスボン市内のオーガニックレストランを検索し、どちらの都市にも良さそうなレストランを見つけた。これで旅先での夕食には困らなさそうである。
今回の旅先は、数日前にふと思いついたものだが、すでに全ての予約を済ませてしまい、自分でも今回のアクションの早さには驚かされる。スペインとポルトガルは、まだ自分を呼んでいないと数ヶ月前までは思っていたのだが、呼び声は突然にやってきた。フローニンゲン:2019/4/7(日)17:31
4107. 自らの書法の確立に向けて
時刻は午後の七時を過ぎた。今日は本当に充実した日曜日であった。
一日を通して絶えず穏やかな雰囲気が辺りを包んでおり、今は夕日が書斎に差し込んでいる。そんな雰囲気を感じながら、午前中にふと、この世界は絶え間なく編纂されていく一編の巨大な詩なのかもしれないということを思った。
そこから私は、やはり自分が作る曲は、一つの小さな詩のようなものにしたいと思ったのである。もしかすると、日本人としての遺伝子として、短いものの中に全てを込めるような精神が、自分の内側に脈々と流れているのかもしれない。
ここからは、良い詩を読むように心がけ、できれば近々日本語で俳句の全集か何かを読みたいものである。俳句を自分で詠むというよりも、過去の偉大な俳人が創造した句に霊感を受け、それを元に曲を作っていきたいという思いがある。
いずれにせよ、自分の曲は、一編の小さな詩のように、俳句のように短く、それでいて自分が表現したいものが込められているものにしていきたい。既存の音楽形式に惑わされることなく、演奏会で取り上げられるような長い曲を作ることは私の特性に合致していない。少なくとも今はそのように思う。
日記の執筆に関して振り返ってみると、日記を執筆し始めた頃は、まだ自分の文体というものを持っていなかったように思う。自分なりの書法を確立していく際には、何はともあれ、自分で文章を書いてみるということが重要であった。
無数の日記を自分なりに書き続ける過程の中で、徐々に自分の書法が確立されていったのである。そして興味深いのは、確立された書法というのは、私たちの細胞が毎日生まれ変わり、古い細胞が剥がれ落ち、新たな細胞が誕生するのと同じように、日々変化を遂げているということである。
日記を書き続けることによって、そうした変遷過程を眺めることができる。日々日記を書くのみならず、自分の霊性を刺激してくれる過去の人物の日記を読むこともまた、自分なりの書法の確立に有益であったように思う。
これまでの日記で何度もそうした人物について取り上げてきたため、今ここで改めて彼らの名前を列挙することはしない。とにかく、自分に刺激を与えくれるような人物の日記を読み、そして自分の人生を生きた証としての日記をひたすらに書くことが、自らの書法の確立につながっていくのだと思う。
これと同じことを作曲上においても行っていきたい。今の私は、とにかく自分の書法を見つけ、それを確立していきたいという思いで一杯である。
その瞬間の自分の思考や感覚を自由自在に曲として形にするためには、自分なりの書法がなければならない。他者の書法ではなく、必ず自分なりの書法が必要なのである。
ここでもまた、作曲上の自分なりの書法を確立するためには、とにかく曲を書くことが大切であり、良き書法によって書かれた曲を無数に見ていくことがカギを握るだろう。自分が良いと思える音楽を積極的に聴いていき、その楽譜を参考にしながら曲を作り続けることによって、自分の作曲語法を見出していく。
今手元にある楽譜の全曲を参考にしていく気概を持ち、それらから汲み取れるものをできる限り全て汲み取る意思を持つ。作曲に関しても、解説者や紹介者になることを避け、絶えず創造の喜びを感じながら創造に従事する創造者であり続ける。フローニンゲン:2019/4/7(日)19:25
4月7日(日)の曲一覧
Op.1026 流水と異国情緒
Op.1027 日曜日の朝のシンプルな美しさ
Op.1028 この詩的世界
Op.1029 大地の香り