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4064-4068:フローニンゲンからの便り 2019年3月31日(日)


タイトル一覧

4064. サマータイム開始の日曜日

4065. マンハッタンを舞台とした夢

4066. ドーナツ型の不思議な大学寮

4067. 48時間の断食に向けて:生命エネルギーの奥深さ

4068.『武満徹・音楽創造への旅』を読み終えて:音色について

4064. サマータイム開始の日曜日​

昨日までの二日間は比較的早く目覚め、二度寝をすることはなかったが、今朝はまた二度寝をしてしまい、七時半に起床した。三月最後の日曜日を迎えた今日は、とても穏やかだ。

「三月最後の日曜日」と書いてハッとしたのは、今日からサマータイムが開始されたことである。そうであれば、今日起床したのはこれまでと同じように六時半であったがことがわかる。

今少しばかりサマータイムについて調べてみると、欧州では2021年からサマータイムが廃止されるようだ。アメリカに住んでいた時にも同様の制度があり、サマータイムへの対応は慣れているのだが、日本企業との協働に関して、ミーティングの時間などをうっかり間違えそうになってしまうことがあったため、サマータイムがない方が楽といえば楽だ。

私個人の問題から離れてみると、やはり欧州の物流業界や航空業界はその対応に追われ、コストがかさんでしまうという問題があるようだ。サマータイムが廃止されると、オランダの夏はとてつもなく日が長くなりそうであり、夜の10時まで明るい日もあったことを考えると、さらに一時間明るい時間が続くことになるだろう。今から二年後の2021年にどのような夏を過ごしているのかに思いを馳せる。

小鳥の鳴き声が美しく鳴り響く早朝の世界。今日も風がなく、とても穏やかだ。

ただし今夜は気温がマイナス1度まで下がるようなので、随分と冷え込む。オランダの寒さはまだまだ続く。

今日もいつも同じように、作曲実践と読書に励む。作曲実践に関しては、気がつかないうちに、昨日1,000曲目を作った。今はまだ自分の作曲語法を確立する時期にあるというよりもむしろ、探索期に該当すると捉えている。つまり今は、多様な作曲家の作品から学べるものをできるだけ多く吸収していく時期であり、自分の作曲語法の土台を構築していく時期に該当する。

昨日の散歩中にも、5年後、ないしは10後から自分の作曲語法を用いて作曲できていれば十分だろうという考えに至った。その時期を迎えるまでに、5,000曲、あるいは10,000曲ほどを他の作曲家の曲を参考にしながら作っていく。そうした修練を重ねながら、自分の作曲語法を確立する道を歩んでいこうと思う。

現在は、様々な時代の様々な作曲家に範を求めながら曲を作っている。昨日はラモーとハイドンに範を求めた。おそらく今日もそうなるだろうか。

日によって誰に範を求めるのかが変わり、それはもっぱら自分の気分による。近い将来に、武満徹に大きな影響を与えたメシアンやドビュッシーの曲を集中的に参考にすることも考えている。

本日の読書に関しては、『武満徹・音楽創造への旅』の続きを読み進めていく。今ようやく585ページまでやってきて、残り200ページほどだ。今日に100ページほど、明日に100ページほど読み進め、明日中に本書を読み終えることができればと思う。

本書から得られた音楽に対する姿勢と思想は多大なものがあり、それらを今後はゆっくりと咀嚼していく。今後も折を見て本書を読み返すことになるだろう。

小鳥の合唱が大きくなったり小さくなったりを繰り返し、朝の雰囲気を花を添えている。今日もとても充実した一日になりそうだ。フローニンゲン:2019/3/31(日)08:45

No.1812: A Fragment of Twilight

The sun will completely set in a few minutes.

It seems to me that I could hear the sound. Groningen, 20:53, Sunday, 3/31/2019

4065. マンハッタンを舞台とした夢

今朝方の夢についてまだ振り返っていなかったので、今朝方見ていたいくつかの夢を書き留めておく。夢の中で私は、ニューヨークのマンハッタンにいた。

いくつもの巨大なビルが建ち並ぶその街は、とても強力なエネルギーを発していた。外見上は人工的なビル群のためか、とても冷たく感じ、一方でそこに渦巻く目には見えない人間のエネルギーは底知れないものがあった。

私はマンハッタンのあるビルの中にいて、数人のアメリカ人と話をしていた。そのうちの一人の中年男性は、特殊な魔法を使うことができる。

その男性を含め、しばらくそこでアメリカ人と立ち話をしていると、窓の外から見慣れないアメリカ人女性がやってきた。その女性もまた魔法使いであり、魔法使いの男性と対決しに来たそうである。

魔法使いの男性は、その女性魔法使いと対決することを望んでいないらしく、反対側の窓からスッと姿を消した。それを見て、女性の魔法使いは彼を追いかけ始め、そこから二人の追いかけっこが始まった。

魔法使いの男性は、透明人間になる魔法を巧みに使いながらも、魔法使いの女性もさすが魔女であり、消えた人間の位置を感覚的に把握する術を持っているようだった。すると、魔法使いの魔女の応援として、もう一人小太りの小さなアメリカ人男性の魔法使いが現れ、そこからは二人で魔法使いの男性を追いかけ始めた。

三人が随分と遠くの方まで飛んでいった姿を見た後に、私の眼の前に、母方の祖母が立っていることに気づいた。祖母に話しかけてみると、マンハッタンの街を超えた先に行きたいとのことであり、飛んでいける力はあるかを祖母に確認した。

すると祖母は、「なんとか飛んでいけると思う」と述べたので、私たちも窓から外に飛び出し、空を飛んで目的地まで向かおうとした。するとすぐに、祖母が飛んでいる高さがどんどんと低くなり、私はもう一度祖母に話しかけた。

どうやら、やはり一人で飛んでいく力がそれほどないとのことであり、私たちは近くのビルの屋上に一旦着地し、そこからは私が祖母をおぶる形で飛行を続けた。マンハッタン上空を飛ぶことは思っていた以上に気持ち良く、自由の女神など、ニューヨークを代表する建造物を眼下に眺めながら飛行を続けることができた。

ところが、ある地点を超えると、私の飛行している高度も徐々に下がってきてしまった。どうやら、自分も体力が切れかかっていることがわかった。

一旦街の道路に着地し、そこで少し休憩をすることにした。その瞬間に夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、一つ前の夢の場面の最初にいたビルの中に再びいた。そこは確かにオフィスビルなのだが、ある階には学校の教室のようなものがいくつかあった。

その教室の一つに私はいて、そこで立食会に参加していた。学校によくある机の上に、寿司や肉やらの料理が大量に並べられている。

顔馴染みのない三人の女性がそこにいて、彼女たちが料理を皿に盛ってくれることになっていたが、私は自分で好きなものを取ることにした。確かにそこに置かれている寿司や肉料理は美味しそうなのだが、どれも私の体が欲しているものではなさそうに思えた。

その場には小中学校時代の友人が何人かいて、彼らは各々好きなものをたくさん皿に盛っていた。私も皿に食べ物を盛ることは盛ったが、結局サラダか何かに口をつけただけで、寿司や肉料理を食べることはなかった。

ふと私はトイレに行きたくなったので行ってみると、そこには一人の友人(SN)がいて、その場で少々彼と立ち話をした。そのような夢を二つ目に見ていたのを覚えている。フローニンゲン:2019/3/31(日)09:18

No.1813: Embraced by A Tender Light

The self and world are being embraced by a tender light.

I wish today to be peaceful and fulfilled. Groningen, 09:31, Monday, 4/1/2019

4066. ドーナツ型の不思議な大学寮

時刻は午前九時半を迎えた。早朝と同様に風がほとんど吹いておらず、とても穏やかな雰囲気が辺りを包んでいる。

先ほど、今朝方の夢を二つほど書き留めたが、もう少し別の夢を見ていたことを思い出す。それらについても書き留めておきたい。

夢の中で私は、とても変わった大学寮を外から眺めていた。その寮はドーナツ型の作りをしており、その形がユニークなだけではなく、寮の各部屋にはなんと外と内を仕切る壁やガラスなどが一切なかったのである。

その寮は何階かに分かれており、ドーナツ型の各階層は10等分ほどに分割されており、一つの区画に学生が一人住んでいた。どこの部屋にも机と本棚しかなく、本棚にはびっしりと書籍が埋まっていた。

「彼らは一体どこで寝るのだろうか?」と考えていたところ、私の視線の高さが上がり、ドーナツの空いた部分にも実はスペースがあり、そこに全員のベットが置かれていた。勉強をするときは各人一人で行い、就寝は皆と共にするというかなり異様な作りの寮であった。

ちょうど私が外から観察をしている時には、寮には誰もいないようだった。この寮には、各学生が勉強と就寝を行う場所だけではなく、大きな図書館があるようだった。

私はその図書館に足を運んでみた。厳密には、自分の身体全体というよりも、目だけが図書館に移動していく形で、図書館を覗いてみた。

すると、先ほど見ていた寮の各部屋の本棚には本がずらりと並んでいたのに対し、図書館にはほとんど本が置かれていなかった。ただし、大きな机がいくつか並んでおり、学生はそこで勉強できるようになっていた。

私は図書館の奥へと視線を移していき、最上階に不思議なスペースを見つけた。そこは広大なスペースを持っており、部屋の右隅に小さな机と椅子が置かれている。反対側の壁には一つの本棚があり、法律関係の書籍がまばらに置かれていた。

大学院に通っている一人の女性が本棚の前に立って本を吟味しており、部屋の右隅の机には中年男性が座って勉強をしていた。二人の物理的な距離は遠かったが、何やら法律の話で盛り上がっている。

すると、男性の方から突然、その女性に結婚の申し出をした。それに対して、女性は一瞬戸惑ったような表情を浮かべながら、その申し出を受け入れるのでも拒否するのでもなく、今はまだ結婚の時期ではないということをさりげなく述べた。そこで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、私はオランダのアパートの中にいた。それは今住んでいるアパートと少し違うのだが、下の住人は同じオランダ人男性であった。

私は部屋にいるにもかかわらず、なぜかその男性に、「部屋の入り口のロックを解除してほしい」というメッセージを英語で送った。それに対して、すぐさま返信があり、彼の返信を見ると、よくわからない英語が書かれていた。

とりあえず彼の返信の趣旨としては、「そうした申し出は、朝ではなく夜にしてほしい」ということであった。彼の返信を受けて、私はそれに対してさらに返信するのではなく、自室で静かに時を過ごそうと思った。

今朝方はそのような夢を見ていた。上記の夢の中に現れた大学寮については、今もとても興味深い形を持ったシンボルだと思う。

部屋の内と外を隔てるものがないというのは驚きであり、横に吹く雨風などはどのように凌いでいるのか不思議であった。また、それぞれの部屋の中の本棚には大量の本が置かれており、各学生がしっかりと勉強している姿には随分と感銘を受けたのを覚えている。フローニンゲン:2019/3/31(日)09:49

No.1814: A Vanishing Voice of Venus

The second day of fasting is quietly passing by.

Because it is very fine today, I’ll go for a walk in the afternoon. Groningen, 12:08, Monday, 4/1/2019

4067. 48時間の断食に向けて:生命エネルギーの奥深さ

時刻は夕方の四時半を迎えた。今が夕方の四時半だということが信じられないぐらいに外は明るく、今日からサマータイムが始まったことを実感する。

午前と午後ともに、太陽が穏やかな輝きを発し続けている。今日もこれまでのところ、作曲実践と読書がはかどる一日を過ごすことができている。

特に読書に関しては、明日中に読み終わるつもりであった武満徹の書籍を今日中に読み終えることができそうだ。今日の自分の身体を観察してみると、夕食は全く何も食べなくてよさそうだ。

リンゴ一つも食べる必要がないように感じており、次に固形物を食べるのは明日の夜になるだろう。そうなると、昨日の夜から明日の夜にかけて48時間ほどの短い断食を行うことになる。

その間にもココナッツオイルとヘンプパウダーを白湯に溶かしたもの、はちみつを白湯に溶かしたものを飲んでいるので、タンパク質やミネラルについてはほとんど問題がないように思う。むしろ、特にヘンプパウダーを摂り入れるようになってからは、以前肉を食べていた時よりもタンパク質の摂取量は増えているのではないかと思うほどだ。

おそらく私は、これから牛肉、豚肉、鶏肉など、どこか外食した際に食べるぐらいであり——自分ではもはやそれを注文しないと思うが——、魚に関してはマグロの刺身を嗜好品として時々食べるぐらいなのではないかと思う。

この三年間はナッツ類を食べるようにしていたが、よくよく考えてみると、以前の私はナッツ類など全く食べておらず、確かに今食べているナッツ類には体に良いと言われる成分が含まれているのだが、そうした栄養も上記の飲み物と野菜や果物から摂れるのではないかと思えてくる。

世間一般に体に良いと言われるものが果たして自分の身体に良いかというのは別問題なのだということを最近強く思う。自分の身体には固有性がある。特に腸内細菌の種類と数は本当に人によって違う。

そうしたことからその人に合った食べ物というのが存在しているのだろうし、一切何も食べない不食の人間が存在しているように、全く何も食べなくても、空気や光から生命維持に必要な栄養素とエネルギーを生み出すことができてしまう人もいることを念頭に置いておく。あれこれと述べたが、今日は一切固形物を食べない形で一日を終えようと思う。

数日前に、AIでは置き換えがたいものについて日記で取り上げていたように思う。具体的には、人の手で作った料理とAIが作った料理に内包される生命エネルギーの相違に関する話である。この話は、音楽上における演奏にも当てはまるのではないかと思う。

正直なところ、一切ミスのない演奏を期待するのであれば、人の演奏を聴く必要など全くなく、AIの演奏を聴けばいいだろう。ところが私たちを真に豊かにしてくれる音楽体験というのは、ミスのない完全な演奏にあるというよりも、演奏者が込めたエネルギーにあるのではないかと最近よく思う。

これは私自身が、欧州で暮らす中で、旅行先でコンサートに参加したり、フローニンゲンでコンサートに参加したりする経験から生まれた考えである。どうやら人の手による演奏というのは、人が作った料理のように、AIでは決して真似することのできない生命エネルギーが梱包され、それが聴き手に届けられるような働きがあるらしいことがわかってくる。

目には見えない微細なエネルギーの世界というのは大変に奥が深い。微細なエネルギーについては、今後も様々な観点から探究を深めていこうと思う。そこに何か大切なものが眠っていそうだ。フローニンゲン:2019/3/31(日)16:43

No.1815: Op.1008 Beloved Miso & Umeboshi

What a surprise! I found miso and umeboshi at an organic food store in Groningen.

Both are soul foods for Japanese. When I found them, I convinced myself that I could die in this country. Groningen, 17:15, Monday, 4/1/2019

4068.『武満徹・音楽創造への旅』を読み終えて:音色について

時刻は午後の八時を迎えた。辺りはまだ明るく、太陽が沈むにはもう少し時間がかかるようだ。

欧州は今日からサマータイムとなり、時間が一時間ほど早くなっているためか、気温を除き、辺りの雰囲気だけは夏のようである。

午後の日記で書き留めていたように、800ページ弱の『武満徹・音楽創造への旅』を先ほど最初から最後まで読み終えた。初読をしたのは昨年であり、その時は、自分に関心のある章だけを読み進めていた。

今回最初からゆっくりと本書を読むことにより、作曲家として、そして一人の人間としてのあり方に関して多くのことを武満氏から学ばされた。その学びはこれからの日記や作曲の中で形となって現れてくるだろうと思われる。

明日からは、再び和書を離れ、“The Science and Fine Art of Fasting (2013)”という断食に関する書籍を読み進めていくつもりだ。本書は、断食についてかなり詳細な説明を加えており、文字が小さいにもかかわらず、500ページ弱ほどである。

基本的に最初から最後まで読み進めていくが、特に関心のあるところに意識の焦点を当てて読み進めていきたい。ちょうど昨日の夜から明日の夜にかけて48時間ほど固形物を一切摂らない断食を行っているため、実際の体験に照らし合わせて本書を読み進めていくことができるだろう。

今日の午後、食のみならず、音楽には各人好みがあるため、その人の心身、さらには意識の特性に合致した音楽によって、その人に真にあったミュージックセラピーが実現されるのではないかとふと思った。この考えが浮かんだ時の私は、武満徹のピアノ曲を聴いていて、やはり自分が好きだと思う曲を聴くことにはどこか治癒的効果があることを否定することはできなかった。

そこから改めて、音楽と心身及び意識との関係性についても探究していこうと思った。その方法の一つとして、シュタイナーの音楽理論は参考になるであろうし、その他にもいくつかの参考文献が手元にあるので、それらを再度読み進めていこうと思う。

こうした関心事項に付随して、何よりも音色というものに最近は関心を寄せている。欧州各地を旅行する際には、その土地にある美術館に足を運ぶようにしており、美術館に展示されている絵画作品を見る際に、よく音楽的なものを喚起されることがある。

おそらくそこには、絵画の色彩と音が持つ音色とが分かち難く結びついているのではないかと思うのだ。まさに、絵画作品を見て、音楽を聴くという現象がたびたび自分の中に起こるのはそのためだろう。

不思議とその逆はあまり起こらないように思う。つまり、音楽を聴くことによって絵画を見るということはそれほどない。

だが、音楽には音色というものが存在しているため、それは何らかの形で自分にも知覚されているはずである。なるほど、確かに私は音楽を聴いて直接的なビジョンとして絵画的イメージを想起することはないが、毎日自分の曲を作った後にそれを聴く際に、必ず水彩色鉛筆で絵を描いている姿を見ると、やはり何かしらの視覚的なものを知覚しているのだとわかる。

ひょっとすると、夢日記と同様に、自分が作った曲によって喚起される固有の感覚を絵として表現していくことを続けていくと、音色をより視覚的に捉える感覚が開花する可能性がある。ここからしばらくは、音に色を見るということを念頭に置いて、探究及び実践を行っていきたい。フローニンゲン:2019/3/31(日)20:32

3月31日(日)の曲一覧

Op.1002 早朝の光の道

Op.1003 午後の穏やかな輝き

Op.1004 日曜日の気軽さ

Op.1005 夕暮れの断片

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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