タイトル一覧
4049. 吹雪と雪崩に遭う夢
4050. 自己の変容と関心の変容
4051. 日本の食に対する危機意識:アトピーが完治した体験について
4052. 今朝方の夢の続き:ロシア的な雰囲気を持つ街で
4053. オーガニック食品店に足を運んで
4054. 本日の夕食:食育の重要性
4049. 吹雪と雪崩に遭う夢
今朝は五時半に目が覚めたのだが、そこから二度寝をしてしまい、結局起床したのは七時半だった。昨日も七時ぐらいまで寝ていたため、二日連続で遅い起床となった。
昨日は十時前にはベッドの上に横になったのであるから、二度寝をする必要はなかったのではないかと思う。明日からは、最初に目が覚めた時に起床するように心掛けたいと思う。
今、とても近くで小鳥たちが鳴き声を上げている。おそらく、書斎の窓から最も近い木に小鳥が止まっているのだろう。その鳴き声に耳を傾けていると、なんとも言えない心地良さを感じる。
いつものように、まずは今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、ロシアかどこかの国の山あいの街にいた。
そこは程よく発展しており、交通機関や娯楽施設が充実していた。その街の一つの売りとしては、名山の麓でのスキーである。
ちょうどシーズンであったため、私も雪山に登り、スキーを楽しもうと思った。誰だったか覚えていないが、一人の友人と一緒に雪山に登った。
その日の天候は申し分なく、雲一つない快晴であった。私たちは早速雪山を滑走していこうとした。
すると突然、天気が急に変わり、私が滑走を始めた途端に吹雪が吹き出した。視界が全く見えなくなるほどの大吹雪であり、私は身の危険を感じた。
だが、すでに滑走を始めてしまったため、途中で引き返すことができず、とにかく最後まで滑走していく必要があった。あまりの吹雪の激しさに前が見えなかったため、ゆっくりと滑っていった。
すると今度は、吹雪だけではなく、雪崩が発生した。私の背後から轟音が聞こえ、雪崩が襲いかかってきたのである。
私は完全に雪崩に飲み込まれながらも、大木などの障害物に体がぶつからないようになんとか意識を保っていた。雪崩に流されてしばらくすると、私の体は完全にその場に止まっていた。
私は地面にうずくまっており、手元を見ると、その辺りだけ雪が完全に溶けており、とても生命力のありそうな草が生えていた。うずくまりながらその草をしばらく見つめていると、自分が助かったことにようやく気づいた。
私はゆっくりと体を起こし、空を見上げた。すると、先ほどまでの吹雪と雪崩が嘘のように、雲一つない青空が広がっていた。そして太陽が燦然と輝いていた。そこで夢の場面が変わった。
この夢もいくつか興味深いシンボルが現れている。シンボルディクショナリーを調べてみると、まずスキーをする夢というのは、自らを身体的にも精神的にも何か試しているとのことであった。
これはまさにシンボルが示唆する通りであろう。ここ最近の私は、食生活を通じて心身に関して色々な試行錯誤をしている。そうした日常の活動がスキーをするというシンボルとなって現れたのかもしれない。
吹雪のシンボルについては、感情的に冷淡になったり、よそよそしくなったりしていることを示唆するとあるが、これについてはあまり思い当たる節はない。雪崩に関しては、それは抑圧されている激しい感情を示しているか、日常生活において過度なストレスやプレッシャーを感じている可能性を示唆しているとのことである。
後者については当てはまらないであろうから、抑圧された激しい感情がうごめき、それが噴出しようとしていることはあり得るかもしれない。これまでは、夢を通して、自分の中の攻撃性や暴力性を発露させることがあり、それが安全弁となっていたように思うが、最近そうした夢を見ないため、未だ完全に解放されないそれらの激しい感情が表出した結果として雪崩のシンボルとして現れたのかもしれない。
最後に、これはシンボルディクショナリーに記載はなかったが、雪崩が去った後、地面にうずくまっている時に手元に見た草は、麻ではないかと思う。麻は非常に生命力が強いことが有名であり、繁殖能力が極めて高い。
無事に助かった後に見た麻は、どこか生命力に溢れていて、それを眺めるだけでこちらも生命力をもらえたような感覚があったのを覚えている。フローニンゲン:2019/3/28(木)08:45
No.1801: The Frozen Night Sky
Although it is still cold in Groningen, I could also feel fulfillment today.
I will be able to feel the same tomorrow, too. Groningen, 21:25, Thursday, 3/28/2019
4050. 自己の変容と関心の変容
昨日の天気予報では、今日は晴れとのことであったが、早朝に改めて天気予報を確認すると、今日は曇りとのことであった。今日は午後に、街の中心部のオーガニック食品専門店に足を運び、ヘンプパウダーを購入したいと思う。
ちょうど先ほど、残っていたヘンプパウダーを全て使いきり、白湯に溶かして飲んだ。どこか抹茶の味に近いように感じられるため、私にとってはとても飲み易い飲み物だ。
昨夜就寝前に、はちみつとココナッツオイルを白湯に入れてみたら、あまりの美味しさに驚いた。はちみつの甘さがココナッツオイルによってさらに引き立った感じである。ここにも食の組み合わせの妙を見る。
おそらくココナッツオイルとヘンプパウダーの相性も良いであろうと想像されるため、午後にそれぞれを分けて飲むのではなく、組み合わせて飲むようにしてみようと思う。今日は起床時間が遅かったため、これから午後の買い物までは集中して探究活動と想像活動に取り組みたいと思う。
ちょうど昨日、ドイツのアマゾンより、“Prof. Arnold Ehret's Mucusless Diet Healing System: Annotated, Revised, and Edited by Prof. Spira (2014)”が届けられたため、今日は早速本書を読み進めていこうと思う。
また今日中にイギリスの書店から、ハーブに関する大全的な書籍“Encyclopedia Of Herbal Medicine: 550 Herbs and Remedies for Common Ailments (2016)”と、スパイスに関する書籍“The Science of Spice: Understand Flavor Connections and Revolutionize your Cooking (2018)”が到着するため、到着次第、ざっと中身を眺めてみて、関心のある箇所を少しばかり読み進める。そして、週末にこれらの書籍をゆっくりと読み進めていこうと思う。
まさか自分が作曲のみならず、食、そしてハーブやスパイスに関する探究をしていくことになるとは思ってもみなかったが、仮に自分が真に変容を遂げているのであれば、関心そのものが変容するということは全く不思議ではないだろう。そうしたことから、欧州での生活を通じて、私は着実に自己を深める歩みを歩んでいるようだ。
自分の心身魂がどのような食べ物をどれだけ欲しているかに意識を向け、それらが欲しているものと量がわかってくると、食材選びに楽しさが生まれる。そうなってくると、買い物という行為すらもが楽しさを内包したものとなる。そして実際に買い物に出かけていくと、好奇心が開かれた状態で世界を眺めるためか、様々な新しい発見がもたらされる。
今日も午後から買い物に出かけていくが、それは非常に楽しみであり、どのような発見があるだろうかと心が小躍りする。今日購入するメインの品はヘンプパウダーである。
近所のスーパーには、ヘンププロテインとして売られており、今日訪れる店に良いものがなければ、近所のスーパーで瓶詰めのヘンププロテインを購入する。昨日は、日本語空間内でインターネット検索をあれこれしていると、やはりヘンプの栄養面について取り上げられているものが多かった。
日本では輸入をしているためか、オーガニックのヘンプパウダーがかなり高い値段で売られているように思えた。今日足を運ぶ店にヘンプパウダーが置かれていればその値段にも注目してみようと思う。
朝にココナッツオイルを溶かした白湯と、ヘンプパウダーを溶かした際を分けて飲み始めてみると、それは自分の身体にとても合っているようだ。オーガニックのヴァージンココナッツオイルは味がとても良いため、摂りすぎには注意し、一日にスプーン二、三杯を目処にする。ヘンプパウダーについては大さじ二杯を目処にしようかと思う。フローニンゲン:2019/3/28(木)09:07
No.1802: A Little Dance in the Early Morning
This morning I had a problem of the drain pipe of the sink in the bathroom.
I realized that there might be correlation between this problem and the accumulation of toxin in my body.
Fortunately, a handyman came immediately and solved the problem. Yet, I thought I would have to prevent it beforehand. Groningen, 10:50, Friday, 3/29/2019
4051. 日本の食に対する危機意識:アトピーが完治した体験について
時刻は午前九時を迎えた。今日も起床してすぐに寝室と書斎の窓を開けた。
朝に窓を開けられるほどの気温になってきたことをとても嬉しく思う。確かに起床直後の気温はまだまだ低いのだが、それでも厳しい冬の時代に比べたら何のことはない。
二つの窓を開けることによって、部屋全体の空気が入れ替わり、同時に気が入れ替わっている。そうした入れ替わりを実感している自分のエネルギーも入れ替わるかのようだ。
一日一食生活を始め、様々な試行錯誤をしながら自分に合った食べ物と料理を模索することによって、心身の状態が極めて良い。これまでの私は、どのような質のどんな食べ物をどれくらい食べるのかについてほぼほぼ無知であり、食には気をつけているつもりであったが、勉強不足のために、自分に真に合った食生活を送ることができていなかったのだと思う。
その結果として、心身が完全に活性化された状態で日々を生きることは難しかったのだと思う。だが今は、食生活を抜本的に見直したことによって、身体が生まれ変わろうとしているのを実感する。
それによって、自分の精神までもが生まれ変わろうとしていることが明白に知覚される。食というのはそれほどまでに大切なものなのだ。
仮に脳だけを取り上げてみたとしても、脳及び脳細胞はタンパク質とその他の物質でできており、そうした構成要素の質は私たちが何を食べ物として取り入れるかによって大きく左右される。
ガラクタで作ったものは基本的にはガラクタなのだと思う。出来上がったガラクタを磨くことも可能だが、それは所詮ガラクタなのだろう。
昨日果物の摂取量に関する統計データを調べていると、驚いたことに、オランダ人が世界の中で一番果物の摂取量が多く、次にオーストリアが来ており、日本は全体として20位ぐらいであり、先進国の中では最下位に近かった。
TPPの批准によって、日本の食の崩壊が危ぶまれているが、その協定内容が実際に実行され始めたら、日本の食の質が低下してしまうのではないかということに大変危機感を覚える。おそらく、有機栽培の良質な食物を入手することは今まで通りできるだろうが、その値段が高騰し、結局一部の人だけがそうした良質な食べ物にありつけ、その他大勢の人たちは、遺伝子組み換え食品や化学物質まみれの食品にしかありつけないのではないかと危惧する。
そうした状態が本当に実現されてしまったら、日本人はまず食から弱体化してしまうだろう——そしてこれはもう戦後から続いていることでもある。芸術教育のみならず、より私たちの生活に密着した「食育」についても何かできることはないかと思い始めている。芸術教育と霊性教育に加えて、食育の探究を始めていこうと強く思う。
昨日、改めて自分の身体史について振り返っていた。身体史と言っても大げさなものではなく、過去の自分が抱えていた特にアレルギーについて振り返っていたのである。
そうした振り返りをしている時に、まず思いつくのが生まれて間もなくして患ったアトピー性皮膚炎である。アトピーとの付き合いは長く、生まれてしばらくしてからアメリカに留学するまで続いた。
それこそ、ステロイドの薬を25年間ほど塗り続けるような人生を送っていたことを思い出す。アトピーの治癒について色々と試してみたが、結局どれもうまくいかなかった。
だが、一つ効果的だと思っていたのは漢方薬であり、吉祥寺に漢方薬の良い店があり、大学の四年間はそこに通って、毎日漢方を飲んでいた。それによってアトピーの症状が改善されたのは間違いないが、やはりその時の私は大学生であったから、肝心の食生活が大して良いものではなかった。
漢方薬によってアトピーの症状は和らいだが、それと合わせて食生活を見直さなかったことが、アトピーの完治に至らなかったのだと思う。とはいえ、漢方薬のおかげもあって、使うステロイドの量が減ったことは喜ばしいことではあった。
その後、社会人になると、金銭的な余裕もあり、食べ物については良いものを摂るように多少心がけた。だが当時の私は、オーガニック食材なるものが存在していることを知らず、食に関しては相変わらず無知であった。
そうしたこともあり、その頃はアトピーの症状はかなり良くなっていたが、社会人になってからも定期的に皮膚科に通ってステロイド入りの塗り薬をもらっていた。ところが、退職し、アメリカの大学院に留学した途端に、嘘のようなことが起こった。
それまで25年間ほどステロイドの薬を塗らなければならかった状態から完全に脱却し、塗り薬など全く塗らなくていい状態になったのである。それはおそらく、日本で生活をしていた際に抱えていた目には見えないストレスからの解放もあるだろうし、カリフォルニアの気候の良さも影響しているだろうが、それらに加えて腸内環境が大きく変わったことも大切な要因として挙げることができるだろう。
腸内環境というのは二週間ほど、早ければ数日でガラリと変わってしまうようであり、アメリカに渡ってからの食べ物(当然ながらアメリカ食ではない)が自分の腸内環境を整えることにつながっており、それがアトピーの完治につながったように思う。
アトピーの完治を生み出したのは、上記の要因が複雑に絡み合い、もしかするとそれ以外の要因もあったのだと思うが、ストレスからの解放と腸内環境を整えることの大切さを身に沁みて実感した体験である。
そのような振り返りを昨日行いながら、自分の手を見ると、ここ二年間ほど患っていた手荒れが嘘のように回復している。手の赤みも見る見るうちに消えてきており、手が以前の状態まで奇跡的に回復しつつある。
これは奇跡というよりも、食生活を根本から見直し、腸内環境が大きく変わったからだと思う。欧州での生活ほどストレスのない生活はないため、そうなってくると、ストレスから解放されるだけではダメであり、やはり腸内環境を整えることが心身の真の健康につながるのだと思わされる。フローニンゲン:2019/3/28(木)09:43
No.1803: A Feeling in the Afternoon
I’ll take a nap for a while, and then go to a supermarket to purchase daily necessaries. Groningen, 13:13, Friday, 3/29/2019
4052. 今朝方の夢の続き:ロシア的な雰囲気を持つ街で
時刻は午前九時半を過ぎたが、今のところまだ日記しか書いていない。ここ最近は比較的多く日記を書いているように思えるが、それは自分にとって適量であり、実は書きたいと持っていることがどんどん溜まっている状態だ。
欧州での四年目の生活においては、関心の輪を引き続き広げていきながら、同時に関心を深めていくということも行っていく。おそらくそうした状態が今後長らく続くような予感がする。
起床直後に、今朝方の夢について振り返っていたが、あの夢の他に別の夢を見ていたことを思い出す。夢の中で私は、最初の夢と同様に、ロシアのような国にいた。
そこがロシアだと断言はできないが、ロシア的な雰囲気を放っていたことは確かだ。私はその国のある街にいて、これから映画を見ようと思っていた。
私は街の映画館に行き、そこで四本ほど映画を見る計画を立てていた。一日に四本映画を見るというのは随分と多いが、その時の私はどうしても四つの映画を見たいと思っていた。
映画館に到着すると、そこは映画を見るための単なる娯楽施設というよりも、踊りや演奏会が行われるような設備でもあった。私は、映画が始まる前にその映画館の中をウロウロしていると、立派な劇場に遭遇した。
劇場の観客席には誰も人がおらず、舞台の上にも誰も人がいなかった。赤いカーテンが舞台にかかっていて、その色の鮮やかさには思わず見とれてしまうものがあった。
観客席の最後尾からしばらく舞台の方を眺めた後に、今から見る映画の部屋を確認しようと思った。いや、その前に私はトイレに立ち寄っておこうと思い、トイレに入った。
すると、そこは綺麗なトイレであり、ヨーロッパ風な装飾が随所に施されたトイレだった。ちょうどトイレの個室から一人のヨーロッパ人が出てきて、私はその個室に入ろうと思ったが、用を足す必要性を感じず、結局トイレから引き返した。
そこから一気に場面が展開し、気づくと、私は一本目の映画を見終えたようだった。どのような内容の映画だったかは一切記憶になく、次の映画が上映されるまで時間があったので、一旦自分の家に引き返そうと思った。
そのため映画館を後にし、私は駅に向かった。その駅はとても広大であり、プラットホームの数が途轍もないほど多かった。
偶然ながら、高校時代の友人(TS)が私の眼の前を通りかかり、私は彼に話しかけ、自分が乗るべき列車のプラットホームの場所を尋ねた。友人は路線には詳しくないようであったが、プラットホームの5番か7番のどちらかだろうと述べた。
私は友人にお礼を述べ、念のため、駅員に尋ねてみることにした。駅員らしき人物を探していると、日本人の駅員がいたのでその人に質問してみることにした。
最初その人の後ろ姿しか見えなかったので分からなかったが、声をかけてみると、なんと大学時代の友人だった。彼は会計士として仕事をしているはずであり、彼がこのような場所にいることを驚いた。
彼もまたここで私と再会できるとは思っていなかったようであり、満面の笑みを浮かべながら言葉を発し、それと同時に、「これ、新しい名刺」と言って名刺を手渡してきた。私はそれを受け取りながらも、列車のことが気になっていたので、彼と少しばかり言葉を交わした後にその場を離れ、本物の駅員を探すことを続けた。
するとすぐに本物の駅員を見つけることができた。またしてもその人は日本人であり、日本語でプラットホームの場所を尋ねた。
すると、私が乗る列車のプラットホームは7番とのことであり、私は駅員にお礼を述べ、すぐにプラットホーム7番に向かった。プラットホーム7番の近くに到着すると、プラットホームに辿り着くためには階段を上る必要があった。
階段と言っても大したことはなく、10段から15段ほどのものである。しかし、この階段は不思議な作りをしており、人が足を乗せると、とんでもない速さで動き出す仕組みになっていた。
しかもそれは、階段を上っていく向きに動くのではなく、下向きに動く仕組みになっていた。つまり、その階段を全て上るためには、途轍もない速さで下に行くよりも早く上に登っていかなければならない仕組みになっていたのである。
それはまるでランニングマシーンのようであり、私は急いで階段を駆け上がった。なんとか無事に階段を駆け上がった時には、ちょうど列車が到着していた。
列車のドアが閉まるギリギリのところで私は乗車することができた。乗車したはいいものの、自分の家がある場所が定かではなく、最寄り駅がどこなのか不明だったため、携帯で調べ始めた。
するとそこに表示されている地名はロシア語であり、しかも長ったらしいものであったため、その名前を覚えるのに苦労した。ふと車内の手すりの方を見上げると、そこに地図が表示されており、通過した駅と今のどの駅に向かっているかがわかるような仕組みなっていた。
地図上に光っている現在位置から判断するに、列車が向かっている次の駅はちょうど分岐点に該当するらしい。自分の家はその分岐点の上側の路線の中にある。
この列車がちゃんと上の方の路線に進んでいくのか心配しながら地図を眺めていると、先ほど駅構内で会った高校時代の友人がそこにいた。彼は高校時代からかなり小さい方であり、私の横にいることにすぐには気づかなかった。
そんな彼は、「この列車で大丈夫だよ」と私に述べた。それを聞いて安心したところで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/3/28(木)10:12
No.1804: A Sunny Spot in the Afternoon
It is very fine today.
I’m engaging in my work, enjoying a sunny spot in the afternoon. Groningen, 16:11, Friday, 3/29/2019
4053. オーガニック食品店に足を運んで
つい今しがた、街の中心部のオーガニック食品店Ekoplazaから帰ってきた。この店はチェーン店らしく、地図上でデン・ハーグの自宅を探していた際にも見かけた店である。
フローニンゲンにこのような店があることをつい最近知り、先ほどさっそく足を運んできた。入ってみて驚いたのは、文字通り、置かれている製品の全てがオーガニックであったことだ。
品数も豊富であり、あれこれと購入したいものがあったが、まずは目的のヘンプパウダーを探した。ヘンプパウダーを探していると、ふと懐かしい飲み物の名前を目にした。それは昨年の秋にボストンを訪れた際に久しぶりに飲んだコンブチャである。
まさかオランダにもコンブチャがあるとは思っておらず、懐かしいので最もベーシックなものを一つ購入した。アメリカで売られている商品とはラベルなどは違ったが、味はどうなのか気になるところである。数日中に飲んでみて、その味を確かめたい。
その後、店内の棚を一通りすべて見渡していると、ココナッツオイルに関しては、ヴァージンココナッツオイルよりもさらに良質なエクストラヴァージンココナッツオイルがこの店に置いてあることに気づいた。今使っているココナッツオイルがなくなったら、次回はこの店で購入しようと思う。
ココナッツオイルが置かれている棚のすぐ下には、スパイスの棚があり、先日スパイスを市場で購入したばかりだったので何も購入しなかったが、その代わりにスープに入れるカレーの素のようなものを購入した。次回市場に行った際に野菜をいくつか購入し、野菜スープにこの素を入れてみたい。
その後も全ての棚に目を通していると、これまで自分が知らないような製品がたくさんあることに気づいた。もちろん、それら全てを試してみる必要は全くないが、食品選択の幅を広げるために、絶えず好奇心を持って食品に接しようと思う。
そうした中で、乾燥されてパックに入った昆布を見つけた。先ほどのコンブ茶の原料は昆布ではないが、手に取ったのは紛れもなく昆布である。
市場の海鮮売り場でワカメを購入し、週に二回ほど食べる習慣があるが、それに加えて、昆布を時折食べたいという思いが芽生えた。それは出汁を取ることにも使えるようなので、野菜スープを作る際の出汁にして、その残りを捨てずに食べたいと思う。
偶然にも今朝方海藻について面白い事実を知った。どうやら海藻を消化する遺伝子は世界の全ての人が持っているわけではなく、日本人に固有のものだそうだ——もちろん、もう少し国籍の幅はあるだろうが。
海藻というのはそれほどまでに日本では昔ながらに食べられてきたものであり、オランダにいる私がそれを欲するようになっているというのも全くもって不思議ではない。購入したコンブについては明日以降、野菜スープを作る際に食べてみようと思う。
目的のヘンププロテインも置かれており、非常に満足のいく買い物ができた。そういえば、今日は豆腐があるかどうかを確認するのを忘れており、次回足を運んだ際に豆腐があるかを確認しておきたい。
会計に商品を持っていくと、店員の二人の女性が何か飲み物を飲んでいた。すると、二人が私に話しかけてきた。なにやら、コンブチャを試飲しているとのことであった。
偶然にも私もコンブチャを購入しようと思っていたことを伝え、そこから少しコンブチャの話をした。やはり、オランダ人にとってコンブチャは馴染みがなく、多くのオランダ人はそれが何なのかほとんど分かっていないとのことであった。
一方、なぜだかドイツからの留学生はコンブチャを知っており、この店でコンブチャを購入するのはドイツ人の留学生とのことであった。アメリカや日本の健康志向の人はコンブチャを知っているだろうが、一般的にはあまり知られていないのかもしれない。フローニンゲン:2019/3/28(木)15:40
No.1805: A Voice of the Earth
It is 5PM now.
I’ll take a bath and eat dinner early in order to participate in a concert of antique musical instruments, which will be held in the Evangelisch Lutherse Kerk at 8PM. Groningen, 17:24, Friday, 3/29/2019
4054. 本日の夕食:食育の重要性
時刻は午後七時を迎えた。今日もこの時間になるまでに夕食を摂り終えた。
今日はパスタを食べようと思っていたのだが、それほど腹が減っておらず、パスタを食べることをやめにした。今残っているパスタを食べ終えたら、もうパスタを食べることをやめようと思っているのだが、まだ食べきることができていない。明日は腹の様子を見て、ニンニクを加えたパスタを食べてみようと思う。
食実践というのも、作曲実践と同様に、学習と試行錯誤の連続によって深まっていくものだと改めて理解した。ここ最近は、食に関する書籍を読んだり、あれこれと調べ物をすることによって学習を深め、それと同時に、実際に自分で選んだ食材を食べてみることによって得られた知見をもとに、食実践を深めていくということを行っている。
今日は午後に、ココナッツオイルとヘンプパウダーを白湯に混ぜたものを飲み、それによって夕食まで腹が減ることはなかった。今日の夕食は、アボカドの残りを食べ、その後、ケールとトマトのサラダにブイヨンベーススパイスを少々振りかけたものを食べた。
スパイスを振りかけたことによって味が引き締まり、明日からもスパイスを積極的にサラダに活用していこうと思う。今日はケールとトマトを生で食べたが、電子レンジで軽く茹でた方が特にケールは食べやすかったかもしれないと思う。
このサラダを食べた後に、サツマイモを電子レンジで茹でたものを食べたのだが、毎回その甘みに驚かされる。オーガニックのサツマイモをは、中が鮮やかな紫色であり、サツマイモは生でも食べられるそうだが、茹でるとやはり甘みが増す。
それをデザートのような感覚で食べている時、人工甘味料などで作られたデザートなど不要であることを確信した。サツマイモで十分に甘みがあり、それをデザート代わりに食べれば十分であると実感させてくれる味であった。
最後に、街の市場のナッツ専門店で購入した、アーモンド、くるみ、マカダミアナッツを少々食べた。これまでは、行きつけのチーズ屋で購入したものを食べていただが、アーモンドとくるみに関しては塩がまぶされており、マカダミアナッツに関しては油で揚げたものだった。
それらと比較して、オーガニックのナッツ専門店で購入したものは、やはり味がひときわ美味しかった。塩がまぶされていないアーモンドとくるみからは、サツマイモとは違う甘みが滲み出ていた。
また、マカダミアナッツに関しても、油で揚げられていないためか——あるいは油で揚げられていたとしてもオーガニックの良質な油を使っているためか——、甘みを感じることができた。こうした食べ物一つ一つの味の深みを堪能する食事をこれからも心掛けていく。
食生活を見直すことによって、身体の変化、そして精神の変化を見て取ると、食育というものがますます重要であることが実感される。明治時代に活躍した医者の石塚左玄は、「体育智育才育は即ち食育なり」という言葉を残しており、とりわけ食育の重要性を説いた。
より具体的には、「子供には徳育よりも、智育よりも、体育よりも、食育が先である。体育、徳育の根元も食育にある」ということを述べている。これは発達理論の観点からも実に洞察が深い言葉のように思える。
とりわけ思考能力が発達する前段階の子供においては、身体を形成していく食育というのは極めて重要であり、思考能力が発達して以降も、自分の身体の特性や発達プロセスに合わせて、適切な食事を選択していく力を身につけていく食育は非常に重要だろう。
食育というのも他の教育と同様に、非常に奥が深いものだと思われるため、これから時間をかけて探究を進め、この領域においても何か活動をしていこうと思う。フローニンゲン:2019/3/28(木)19:31
3月28日(木)の曲一覧
Op.992 絶え間ない祝福
Op.993 果物の遊園地
Op.994 氷結の夜空