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4036-4042:フローニンゲンからの便り 2019年3月26日(火)

March 28, 2019

タイトル一覧

4036. 今朝方の夢

4037. 50m走という長距離走を走る夢

4038. 組み合わせによって成り立つ世界:ナッツ類と夢の続きについて

4039. 現代音楽の世界の中へ:夢のシンボルの解釈

4040. ケトン体質への変化と仮眠中の不思議な知覚体験

4041. 街での発見と本日の夕食

4042. 食に関する心身を蝕む自殺行為:AIで置き換えられないもの

 

4036. 今朝方の夢​

 

今朝は六時半過ぎに起床した。今、時刻は午前七時を迎えようとしており、つい先ほどまでは小雨が降っていたが、幸いにもそれは止んだ。そして、青空が広がり始めている。

 

昨日までの天気予報では、今日は午後からも小雨が降る予定だったが、今改めて天気予報を確認してみると、ここからは天気が回復していく一方であり、午後から雨は降らないそうだ。そのため、今日は午後から街の市場に行き、必要な果物類、ナッツ類、マグロの刺身、そしてスパイスを購入したいと思う。

 

いつものように今朝方の夢について振り返っておく。夢の中で私は、以前勤めていた米国の教育会社のオフィスにいた。そこで私は、会社のCEOを含めた幹部の人たちと一緒にある会議に参加していた。

 

議題については定かではないが、経営方針と人事異動に関する話をしていたように思う。その会議後、私はその会社が持つ西海岸の校舎に行き、そこで働いている先生たちと話をすることになった。

 

一人の教師が退職を考えているという話をし、そこの校長が「このタイミングでは困る」という話をしていた。だが、その女性教師の意思は固く、わずか一年ほど勤務しただけで退職をする旨を会社の上層部に伝えていた。

 

そういえば、先ほどの会議の中で、この女性教師に関する話が出ていた。仮に一年ほどで退職する場合、退職金がものすごく低くなるらしい。

 

ちょうど会社の上層部から校舎に電話があり、女性教師に代わってくれとのことだった。女性教師に代わると、幹部の誰かが電話越しに退職金の金額を伝えた。すると、女性教師は、その金額のあまりの低さに驚き、悲壮な表情を浮かべ、「その金額では困ります」と嘆きの言葉を述べていた。

 

そこで夢の場面が変わった。次の夢の場面では、私は不気味に薄暗い公園にいた。

 

そこにはジャングルジムが一つと、どのように使っていいのかわからないポールが三本ほど立っていた。私がジャングルジムの方に近寄ると、公園の周りに植えられていた木々の方から、突然一匹のキリンが現れた。

 

私は最初それに驚き、その場に立ちすくんだ。キリンは思っていた以上に大きく、その姿に幾分見とれていた。

 

すると、私の横に父がいて、少し離れたところに母と母方の叔父がいた。私たち四人は一緒になってキリンを眺めていた。

 

すると、キリンが現れたのと同じ場所から、巨大なティラノサウルスが姿を現した。私たちは、ティラノサウルスのあまりの大きさに驚かされたのと、その凶暴そうな表情に身が凍ってしまうかのようになった。

 

私は、ティラノサウルスに食べられてしまうと思ったのだが、ティラノサウルスはキリンの方に向かっていき、キリンはティラノサウルスから必死に逃げようとしていた。私たち四人は、キリンとティラノサウルスの後ろ姿を呆然と眺めていた。

 

不思議なことに、キリンの走る速度とティラノサウルスの走る速度は同じのようであり、いっこうにして両者の距離は縮まらなかった。すると、ティラノサウルスは諦めたのか、遠くの方でくるりと向きを変え、私たちの方に向かってきた。

 

父と私はジャングルジムの近くにいて、そこに身を潜めようと思ったが、母と叔父は三本のポールの近くにいて、身を潜める場所がなかったため、二人は公園の外に向かって走り出した。そこで夢の場面が変わった。

 

今朝方は、まずそれら二つの夢を見ていた。前者の夢に関しては、実は女性教師が退職をすると言い出した後、私も退職届を出した。

 

私は一年半ほどその会社で働いていたが、その他にやりたいことがいくつかあったため、一度日本に戻って、諸々の準備をしてから再び国外で生活をしようと考えていた。そのような場面があったことを覚えている。

 

また、後者の夢については、夢の中でキリンとティラノサウルスが出てきたのは初めてのことだったのではないかと思う。これら二つのシンボルが何を象徴しているのか、早速今から調べてみようと思う。フローニンゲン:2019/3/26(火)07:40

 

No.1796: The Fresh Morning

 

Although it is cold today, too, the air is very fresh. Groningen, 09:31, Wednesday, 3/27/2019

 

4037. 50m走という長距離走を走る夢

 

いつもと同じように小鳥たちが美しい鳴き声を上げている。鳥たちにも家があるのなら、今この瞬間に鳴き声を上げている鳥たちは、昨日と同じ鳥なのだろうか。

 

そうした素朴な疑問が浮かび上がり、さらに彼らの歌声から彼らの精神状態などもわかるかもしれないと考えている。「同じ川に入ることはできない」という言葉をヘラクレイトスが残しているように、万物は流転するのであるから、昨日の小鳥たちの鳴き声と今この瞬間の鳴き声が同一であることはありえないはずだ。

 

そもそも、昨日の私と今日の私には差異が内包されているのであるから、仮に彼らの鳴き声が同一だとしても、その受け取り方は間違いなく異なる。実際に、今このようにして書いている日記の文章は、決して昨日には生み出せなかったものなのだ。

 

こうした小さなことの中にも、万物が流転していることを実感することができる。

 

雨雲が消えていき、空はどんどんと晴れてきている。この調子だと、気分良く午後に市場に行けそうだ。

 

昨日イギリスとドイツの書店に注文したスパイスとハーブに関する三冊の書籍が届いたら、それらを読み進め、スパイスとハーブに対する理解を深めていく。それらの書籍には、スパイスとハーブに関する歴史なども取り上げられているため、それを読むのが今から楽しみだ。

 

今朝方の夢には続きがあったので、それらについて振り返っておく。夢の中で私は、実際に通っていた小学校のグラウンドにいた。厳密には、プールサイドの鉄棒がある付近のグラウンドにいた。

 

どうやら、今から50m走のタイムをクラス全員で計るとのことであった。これまで50m走のタイムを計るときは、プールサイドではなく、反対側にある走路を用いていたのだが、今日はなぜか鉄棒とプールの間のスペースを使って50m走をするらしい。

 

私の父は長距離と短距離の双方が早く、母は短距離が早かったとのことであるが、私は走るのがあまり好きではない。私にとって、50m走は短距離ではなく、長距離に分類される。

 

私は、スタートから5mないし10mまでは学年でもかなり早く、30mまではそこそこの速さである。ところが、それ以降になると、走っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまい、白い歯がこぼれてしまって、そこからは失速してしまう。

 

100m走においては、50mまでは走っている自分を対象化しないようにするのだが、やはり70m付近で「走っている自分」に気づいてしまい、走っている行為が滑稽に思え、そこから相当に失速してしまう。そうしたことから、私にとっては100m走、いや50m走ですら長距離のように思えてしまうのである。

 

とはいえ、タイムを計るというのは強制的なものであったから、私は小中高を通じての親友(SI)とスタート位置についた。なぜかクラウチングスタートではなく、立ったままのスタートであり、スタートのピストルの合図を待っている時、「この奇妙な構えをして待っている自分は一体なんなんだ?」という思考が芽生えてしまい、そこで既に笑いが出そうになったが、親友の表情は真剣だったので、私も気を取り直してスタートの合図を待った。

 

いざ先生がピストルを鳴らすと、私は完璧なスタートを切った。走る前から私の脳裏には、その親友に負けるのは格好がつかないと思っていたので、とにかく無心で走ることに努めた。

 

すると、いつもは30m付近で自己客体化の意識が芽生えるのだが、今回はそれがなく、40mまでほぼ無心の状態で走っていた。ところが、そこから最後の10mにおいては、いろいろなことを考えている自分が生まれてしまい、隣のレーンで追いかけてくる友人の姿をちらりと横目で確認すると、友人を確認した自分の行為が滑稽に思えてしまい、笑いが出てきそうになった。

 

すると、当然ながら走りに集中できないので、そこから減速し、結局と友人と私は同着だった。先生は同着だと述べたが、実際には私の方が鼻先一つ早くゴールに着いたのではないかと私は主張した。

 

だが、彼は手足が長く、私の鼻と彼の手が同時にゴールラインにかかったとのことであり、それを聞いて同着を渋々認めた。親友と同着であったことはあまり良い気はしなかったが、最悪の事態ではないため、私は平静な気持で他のクラスメートたちの走りを眺めることにした。

 

すると、今走ったばかりの親友が、次に走る別の友人(UY)と一緒に走ると述べ始めた。どうやらその友人は一人で走ることになっていたようであり、それではかわいそうだからという親友の配慮があったようだ。

 

親友が再びスタートラインに向かっていく後ろ姿を眺めていると、夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/3/26(火)08:08

 

No.1797: Flowers Waiting for Spring

 

I’m just looking at the farthest sky without thinking. 

 

Everything seems to dissolve in the point. Groningen, 11:43, Wednesday, 3/27/2019

 

4038. 組み合わせによって成り立つ世界:ナッツ類と夢の続きについて

 

昨日も随分と雑多なことを考えていたように思う。一つは、この世界は様々な組み合わせによって成り立っているのではないかというものだった。

 

仮に何か一つの対象物に限定してみても、そこには実に多様な組み合わせの世界が広がっている。例えば、食の組み合わせ、音の組み合わせ、色の組み合わせ、人の組み合わせなどである。

 

毎日作曲をし、自分の作った曲によって喚起される感覚を逐一絵としても表現していると、音の組み合わせと色の組み合わせの多様さに驚かされる。そして、ここ最近関心を強めている食に関しても、どのような食べ物を組み合わせるかによって、栄養素の働きがまるっきり変わってしまうことはとても面白く、そこに組み合わせの妙を見る。

 

また、人には相性があり、その組み合わせいかんによって、人は潜在能力を存分に発揮することもあれば、精神エネルギーが減退してしまうことなども起こる。昨日は、こうした様々な事物の組み合わせによってこの世界が成り立っていることを強く実感していた。

 

今日は街の市場に足を運んだ際には、オーガニックのナッツ類を忘れずに購入したいと思う。一つは、アーモンドを100gほど購入したい。アーモンドは、ナッツの王様と呼ばれており、良質の植物性タンパク質が豊富に含まれていて、必須アミノ酸やその他のアミノ酸がバランス良く含まれているとのことである。

 

アーモンドに加えて、くるみとマカダミアナッツも購入したい。前者は100g、後者は50gほど購入しようと思う。くるみに関しては、ナッツ類でオメガ3脂肪酸を最も多く含んでいるとのことであり、この脂肪酸は現代人に不足しがちなものであることを学んだ。

 

また、マカダミアナッツには三大栄養素(タンパク質・脂質・糖質)が含まれているだけではなく、オリーブオイルやアボカドにも多く含まれるオレイン酸が含まれていたり、ミネラル類も多く含まれている。これらのナッツはこれまでも何気なく食べていたが、これからはそれらの栄養素に自覚的になり、出来るだけオーガニックなものを食べるようにしていきたいと思う。

 

ナッツ類について書き留めていると、今朝方の夢の最後の場面を思い出した。夢の中で私は、小中高時代の友人(AF)と野球部のキャプテンを務めていた仲の良かった友人(SO)と三人で話をしていた。

 

話をしていた場所は、小中高時代の友人も私も野球部ではなかったが、野球部の部室である。そろそろ甲子園の予選が始まる頃であり、私は野球部のキャプテンを務める友人にチームの状態について尋ねてみた。

 

すると、チーム状態は良好とのことであった。甲子園に出場するのは難しいかと思うが、私はできるだけ勝ち進んでもらえればと思っていた。

 

ちょうど今から練習が始まるそうなので、練習風景を見学させてもらうことにした。そこで私は、なぜだか野球部の部室にかけてあった自分のスーツを手に取り、それに着替える準備をし始めた。

 

すると、背中の部分にオレンジ色の奇妙な液体が付いており、それを拭き取らなければならないと思った。そこで、友人にタオルか何かを借りようと後ろを振り返った瞬間に、先ほどまでは野球部の部室であったはずなのに、そこが大浴場に変わっていた。

 

先ほどの二人の友人は、大きな湯船に浸かっており、私を手招きしている。彼らに近寄ってみると、彼らは浴槽に浸かりながら、浴槽の湯垢を落とす風呂掃除をしていた。

 

なぜだか私もそれを手伝いたいという気持ちになり、私は浴槽に浸かることをせず、浴槽の外から浴槽内の湯垢を落とす掃除をし始めた。私たち三人は、先ほどのたわいのない話の続きをしながら掃除を続けた。

 

今朝方は最後にそのような夢を見ていた。大浴場での描写に関しては、もう少し細かなことがあったように思えるし、三人で話をしていたことに関しても、小さく印象に残るものがあったように思うのだが、今はそれらを忘れてしまっている。

 

夢の想起力についても、夢を思い出そうとし、それを書き留めることによって徐々に高まっていくであろうから、これからも夢を書き留めていく。

 

言葉にならないものを見出し、それを掴むためには、まずは言葉になるものを徹底的に掴んでおかなければならない。昨日読み進めていた書籍の中で、作曲家の武満徹も似たようなことを述べていたのをふと思い出す。フローニンゲン:2019/3/26(火)08:37

 

No.1798: An Afternoon Ritual

 

It is 3:30PM now. 

 

I’ll keep a couple of journals and then start to read a book. Groningen, 15:33, Wednesday, 3/27/2019

 

4039. 現代音楽の世界の中へ:夢のシンボルの解釈

 

時刻は午後の一時を迎えた。やはり天気予報の通りに、太陽が陰り、曇り空が広がっている。

 

今日は一つ不思議な体験をした。それは、急に武満徹の音楽が内側に入ってき始めたことである。

 

これまで、現代音楽を聴くことはあったが、少し聴いてはすぐに聴くのをやめるということが続いていた。武満の音楽に関してもそうであり、これまで少しばかり触れてはすぐに離れるということを繰り返していた。

 

武満の音楽世界に少しずつ触れられるようになったのは、もちろん『武満徹・音楽創造への旅』を連日読み進めていることが関係しているだろう。確かに、この書籍から武満の音楽に対する姿勢や思想に多大な感銘を受けながらも、そうしたことだけが、彼の音楽に触れられるようになってきた理由ではないと思う。

 

端的には、自分の内側の感覚と感性が少しずつ変容してきていたのだ。そうした変容を経て、武満の音楽世界並びに現代音楽の世界に自己を投げ入れることができるようになってきたのだと思う。

 

これまでの私は、クラシック音楽の中でも極めてスタンダードな狭い音楽世界の中だけにいたように思う。もちろん、そうした世界の中だけに留まり、その世界の美しさのみを味うわう生き方も悪くはない。

 

だが、自分の中で感覚と感性が変容してしまったのであるから、これまでの世界だけに留まるのではなく、既存の世界の枠組みから外に出る必然性があったのだと思う。ここからしばらくは、現代音楽の曲を積極的に聴いていこうと思う。それによって、今変容しつつある感覚と感性をさらに新たなものにしていく。

 

今日も時が緩やかに流れ、そうした流れと自己をピタリと一致させるかのように生きている。緩やかに感じている「時」というのは、外的な時間ではなく、実はそれこそが自分の時間に他ならないのではないかとふと思った。だからこそ、今この瞬間のように、自分が自己を超えた何ものかとピタリと一致している感覚がするのだろう。

 

今日も非常に肌寒いため、もうしばらくして市場に行く際には、マフラーと手袋をしていきたい。

 

今日も日記を書き、曲を作ることに従事している。それらの行為は生きるという行為そのものであって、それによって自分を証していく。それを絶え間なく続けていく。

 

今朝方夢の中に現れていたキリンとティラノサウルスのシンボルについて先ほど調べていた。まず夢の中でキリンを見るというのは、物事の全体像を見る必要性を暗示しているようだ。

 

特に、自分の人生そのもの、さらには何か関心を持っていることについては巨視的な視点で見ることが大切とのことである。現在関心を持っていることは多岐にわたるが、例えばここ数日以内に突如として関心が芽生えた、スパイスやハーブティーについて巨視的に見るというのはどういうことかを考えていく必要がある。

 

それらの探究を自分の人生全体の中でどのように位置づけていくかを考えよということを、あのキリンは示唆していたのだろうか。

 

もう一つ、キリンが逃げるというシンボルについてもその意味が記載されていた。端的には、それは自分の内なる真実から目を背けていることを示すらしい。あるいは、見るべきではなかったものを見てしまった、ということを暗示している場合もあるとのことである。

 

それら二つの意味については、なんとなく思い当たる節がある。ただし後者の場合は、見るべきではなかったものを見てしまったというよりも、見るべきものを見てしまった体験がいくつかあるように思う。食生活を変えたことによって見えてきた一連の事柄はそれに該当するだろう。

 

最後に、ティラノサウルスのシンボルの意味についても書き留めておきたい。端的には、それは巨大な恐れを暗示しているとのことである。あるいは、日常生活において自分が専制君主的な振る舞いをしていることを示している可能性があるとのことである。

 

言い換えれば、自己を取り巻く人たちを打ちのめすようなことをしている可能性を示唆しているとのことであった。後者の意味について思い当たる節はなく、また前者に関しても、何か巨大な恐れを自分が抱いてるかというとそうではないように思う。

 

ただ、巨大な恐怖がまだ見えていないだけなのであって、実際は巨大な恐怖が絶えず自分のそばにいるかもしれない。いずれにせよ、今後も夢の中のシンボルの意味を探究していきたいと思う。

 

それにしても、上述のようなシンボルの意味がどのようにして導き出されたものなのか気になる。フローニンゲン:2019/3/26(火)13:34

 

4040. ケトン体質への変化と仮眠中の不思議な知覚体験

 

午後に仮眠を取っている時に、不思議な知覚体験をしていた。

 

ベッドに横たわり、アイマスクをかけて目を閉じてすぐに、様々なイマージュがそこに立ち現れていることにすぐに気づいた。そうしたイマージュを詮索したり、何か操作を加えたりするのではなく、ただそのイマージュが現れるままにそれを眺めていた。

 

それを眺めながらふと思ったのは、おそらく一日一食の生活を送るようになり、脳がブドウ糖ではなくケトン体によって動き始めていることから生じる現象かと思った。以前の日記で書き留めたように、私たちの脳はブドウ糖よりもケトン体によって良い働きをする。

 

私はまだ水だけを飲む本格的な断食をしていないのでわからないが、そうした断食を行って二日目以降からは、ほぼケトン体によって脳及び体が機能し始めるようになるらしく、これまでには考えられなかったぐらいに集中力が高まり、思考が鋭敏になるらしい。

 

私は一日一食という24時間の断食をここ二週間以上毎日行っているため、弱ケトン体質になっているのかもしれない。脳がブドウ糖以外の物質で動き始めることによって、先ほどのように、仮眠中に不思議なイマージュを見ていたのかもしれない。

 

また、仮眠中には、明晰夢のようなものを見ていた。私はどこかわからない岬にいて、そこの灯台の傍にいた。

 

私の周りには、見知らぬ日本人の観光客が数名いて、一人の中年男性はやたらと何か小難しいことを話している。その主題は哲学というよりも芸術か何かだったように思う。私の前をその人が歩いている時には若干煩わしく感じた。

 

見晴らしの良い灯台から大海原を眺めた時は、本当に清々しい気持ちになった。頬を伝わる海風も素晴らしく、私はしばらくそこに佇んで、穏やかな大海原を眺めていた。

 

すると再び、先ほどの中年男性と相棒の少し若い男性が私の近くにやってきた。私は邪魔をされたくないと思いながらも、彼らもここからの景色を眺めたいと思ったのだろうと思い、我慢することにした。

 

私はそこからの景色を満喫したと思い、引き返そうとすると、二人も来た道を引き返そうとした。相変わらず中年男性は相棒に向かって何かを話し続けていたので、私は二人の間に入ってその男性の話を遮るようにした。

 

ところが、その中年男性は最初から相棒の顔を見て話していたのではなく、前方を見つめながら話し続けていたようだった。灯台の階段を上っている最中に、その中年男性は前を向きながら後ろにいる相棒に話しかけているつもりのようだったが、その中年男性の真後ろにいるのは私であった。

 

真後ろから話を聞いていても何のことかさっぱりわからず、私はその中年男性のお尻を後ろから押すようにして早く前に歩くように促した。そうした光景を眺めていると、見る見るうちに夢のレンズが縮小していき、再び先ほどのイマージュが立ち現れる感覚世界の中に私はいた。

 

そこでもしばらく、現れては消えを繰り返す多種多様なイマージュを眺めていると、仮眠の終了を告げるバッハのゴルトベルク変奏曲が流れ始めた。先ほどの仮眠体験をまとめるとそのようになる。

 

一日一食生活を始めても、引き続き仮眠を取るようにしており、実は今日のような知覚体験は特別ではなく、一日一食生活を始めて徐々に起こるようになってきたものだ。やはり、脳内の分泌物質が変化していることが要因だろうと思われる。

 

ケトン体についてはより詳しく調べてみようと思う。フローニンゲン:2019/3/26(火)14:30

 

4041. 街での発見と本日の夕食

 

時刻は午後八時を迎えた。今日は肌寒い一日であったが、先ほどの夕食は体を芯から温めてくれるような料理だった。

 

午後に街の中心部の市場に足を運んだ際に、フローニンゲン大学のメインキャンパスの近くにあるお茶専門店を少し外から覗いてみた。今はまだ手持ちのヨギティーが残っているため、それを飲んでからこの店でお茶を購入しようと思っていたため、今日は窓の外から店内を眺めるだけにした。

 

ガラス越しに店内を見ると、中にはたくさんのお茶が置かれており、お茶を入れる器具も充実していた。また、窓際に飾られているお茶を見ると、オーガニックなものもたくさんあり、ぜひ今後はこの店でお茶を買いたいと思った。

 

この店のみならず、フローニンゲンで三年間も生活をしているのに、知らない店、ないしはこれまで全く認知していなかった興味深い店がたくさんあることに気づいた。例えば、そのお茶専門店の横には絵画用品を扱っている専門店があり、現在使っている水溶性の色鉛筆にない色の色鉛筆をここで購入してもいいかと思った。

 

その他にもここ最近は街の中心部にある、オーガニックレストランをいくつか見つけ、今度足を運んでみようと思っている。フローニンゲンでの生活もこの夏から四年目を迎えるが、四年目であっても新鮮な気持ちでこの街を眺めることができていることに喜びを感じ、新鮮な目で街を眺めることによって様々な発見があることもまた喜びを与えてくれる。

 

いろいろな発見があった後、中心部の市場に行くと、今日はそれほど人が多くなかった。前回は土曜日に足を運んだのだが、その時はやはり休日のためか、多くの人で賑わっていた。個人的には、今日ぐらいの混み具合の方が買い物をしやすい。

 

まずはオーガニックの野菜・果物屋に足を運んだ。この店は、出している食べ物が多いためか、毎回4~5人ほどの人が店を切り盛りしている。どうやら毎回同じ人のようだ。

 

ちょうど前回、いくつかリンゴの種類がある中で、ある男性の店員が勧めてくれたリンゴを購入し、それを食べたところ、同じオーガニックであっても、これまでスーパーで購入していたものとは品種が違うのか、非常に美味しかった。

 

今日もその店員がいたので、前回リンゴを勧めてくれたお礼を述べた。すると、「でしょ。美味しかったでしょ」と笑顔で言葉を返してくれた。

 

市場で生産者から直接食べ物を購入することの良さは、こうした何気ないコミュニケーションにあるように思うことは以前にも述べたが、今日もまたそれを強く実感した。おそらく、生産者がこちらの食べ物を手に取り、それを袋に詰めるときに、何かしらのエネルギーのようなものが込められているのではないかと思う。

 

そうしたエネルギーが味を引き立てているがゆえに、生産者の顔が見えないままスーパーで食べ物を購入するよりも美味しく感じるのではなかと思った。今日はこの野菜・果物屋で、リンゴ、イチゴ、生姜、新にんにく(にんにくの芽がついており、球根の部分が白く、紫がかっているもの)、サツマイモを購入した。

 

その後、オーガニックナッツ専門店に行き、そこでアーモンド、くるみ、マカデミアナッツを購入した。次に向かったのは、スパイス専門店である。

 

そこでは気さくな若い男性店員が二人いて、そのうちの一人に野菜スープを作るためのお勧めのスパイスを聞いた。見た目からなんとなくどのような味なのかわかったが、表記が全てオランダ語であるため、今回は個別に一つ一つスパイスを購入していくのではなく、店員が勧めてくれた、様々なスパイスがブレンドされたブイヤベーススパイスを購入した。

 

当初はカレー粉を作るためのスパイスを購入しようと思っていたが、まずは店員のお勧めを試してみて、この店にはブレンドされたカレースパイスも置いているとのことなので、次回はそれを試してみたいと思う。最後に、魚介類専門店に足を運び、新鮮なマグロの刺身と海藻を購入した。

 

今日の夕食は、購入した素材を使った料理を堪能した。いくつか反省点があり、ブイヤベーススパイスでスープを作る際に、どれくらいの量を入れていいかわからず、最初スプーンで小さじ一杯ほど入れてみたときに、少々薄味かと思ってもう少し入れたところ、幾分塩辛くなってしまった。次回からは薄味だと思うぐらいの量を入れる。

 

それと、これまでは玉ねぎを電子レンジで茹でていたのだが、今日はそれを茹で忘れてしまい、甘みがうまく出せていなかったことである。そして、生姜に関しても、スープの中に少々入れ過ぎてしまったようであり、明日からはほんのわずかばかり生姜を入れるようにする。

 

今日は結果的に、マグロの刺身や豆腐の上に乗っけたりして生姜を食べることができたが、今後はもう少し量を控えることにする。フローニンゲン:2019/3/26(火)20:33

 

4042. 食に関する心身を蝕む自殺行為:AIで置き換えられないもの

 

今日はこれから読書をして一日を終わりたいと思う。本日購入したブイヤベーススパイスは、店員が勧めてくれた量よりも多めに購入したこともあり、保存に関しては、これまで塩が入っていた容器を洗って乾かし、明日それに移し替えておきたいと思う。

 

店員は50gを勧めてくれたが、私は野菜スープを頻繁に作りたかったため、その倍の100gを購入することにした。家にあるクミンの容器を見ると、それはなんと37gとのことであり、随分と前に買っているにもかかわらず、まだ幾分か残っている。

 

確かにそうしたスパイスは、料理に少々振りかける程度で用いていたため、減りが遅いのはわかるが、ブイヤベーススパイスの100gは少し多かったかもしれない。だが、このスパイスの活用用途は多そうであり、野菜スープの素にするだけではなく、残っているパスタを食べる際にも少々振りかけてみようと思う。

 

いずれにせよ、スパイスは日持ちがするであろうから、本日購入したものを焦って消費する必要はないだろう。

 

ここ最近は食について色々と考えることが多い。ここ最近得られた気づきとしては、過食と化学物質まみれの食べ物を摂り続けることは、小さな自殺行為であるということだ。

 

それらは目には見えない形で、私たちの心身を蝕んでいく。厄介なのは、諸々の洗脳的なマーケティングや誤った情報の拡散によって、自分が過食であることに気付けなかったり、知らず知らず化学物質だらけの食品を口にしていることだろう。

 

断食をすると興味深いのは、自分の身体に毒である食べ物を一瞬にして見抜くような感覚が取り戻されることである。断食をしない状態で何が体にいいのかの分別ができないのであれば、やはりそれほどまでに感覚が麻痺していると言えるかもしれない。

 

1日24時間の断食を行うだけでも、何を自分の体に取り入れると良いのか、そしてどれくらいの量を取り入れると良いのかが直感的にわかってくる。こうした直感を呼び覚ましてくれるのが断食の一つの効果であるように思える。

 

確かに一日一食の生活をこれからも続けていこうと思うが、それをしなければ動物としての人間本来の感覚が発揮されないというのはやはり問題であるように思える。現代人は、もはやそうした感覚をほぼ失っており、そうした観点において動物としての人間ではないものに成り果てているように思えてくる。

 

私たちの体は無数の細胞からできており、それは何を内側に取り入れるかによって大きく変わり、その結果として身体が変わる。私たちの精神は身体に強く依存しており、物理的な身体が粗末なものであっては決して健全な精神を発揮することはできない。

 

過食と化学物質まみれの食べ物を摂り続けることは、自らの身体と精神を徐々に蝕んでいくという自殺行為であることを改めて肝に銘じる。

 

それともう一つ、夕食前に浴槽に浸かりながら考えていたことがある。それは先ほど書き留めた、生産者から食べ物を直接手渡しで受け取った時の感覚と関係している。

 

ふと思ったのは、適切にプログラミングされたAIが搭載されたロボットであれば、料理を作ることはさほど難しくないであろうということだった。見栄えは人が作ったものと瓜二つのものを作ることだってできてしまうかもしれない。

 

だが私は、AIが作る料理は、人の「手」が実際に作る料理に決して置き代わることはないと思う。物理的な次元、つまりグロス(gross)領域においては、見た目も同じであり、料理に入っている物理的な栄養素やカロリーは全く同じかもしれない。

 

しかし、グロス領域の産物であるAIが作ることができるのは、グロスの産物に留まるのではないかと思っている。つまり、AIは、人間が真に料理を美味しく感じる最後の一押し、ないしは隠し味である生命エネルギーを込めることができないのだ。

 

人間が料理を作る際には、作り手の生命エネルギーを込めることができる。それは微細なものであり、サトル(subtle)エネルギーと呼ばれるものだ。

 

おそらくAIがいくら進化して、サトルエネルギーの物理的側面(グロス的性質)がいかに解明されたとしても、人間の身体、特に手から発せられるサトルな生命エネルギーを料理に込めることは不可能なのではないかと思う。

 

人が丹精込めて作った料理には、作り手のエネルギーが内包されており、それは生命エネルギーのバトンとして食べる人へ渡されていく。機械としてのAIが乗り越えられない壁は、サトルな領域、さらにはより高次元の領域(コーザル領域など)の現象にあるのだと思う。料理はまさにその一例だろう。フローニンゲン:2019/3/26(火)21:04

 

3月26日(火)の曲一覧

Op.986 草花の歌

Op.987 黒紫の花

Op.988 耐寒

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過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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