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4013-4017:フローニンゲンからの便り 2019年3月22日(金)


タイトル一覧

4013. 英語の試験に関する夢

4014. 今朝方の夢の続き

4015. 試験に関する夢より:シュタイナーの色彩論

4016. 「食前」のフルーツの勧め

4017. フローニンゲンの楽譜専門店に訪れて

4013. 英語の試験に関する夢

今朝は六時半に起床し、七時から一日の活動を始めた。いつもと同様に、早朝から小鳥の鳴き声に癒しを与えられているかのようである。

今この瞬間のフローニンゲンは薄い霧がかかっているが、今日は晴れであり、最高気温がなんと18度まで上がるらしい。今日は天気が良いようなので、午後には水を持って散歩がてら、フローニンゲン郊外にある楽譜専門店に足を運びたいと思う。

今朝起床した時に気付いたが、やはり夕食を軽めにすると、睡眠時間が減り、目覚めもさらに良くなるようだ。一昨日は、野菜がメインとはいえ少々食べ過ぎてしまった感があり、昨日は量を減らしてみたところ、睡眠の質と目覚めの質の双方が良かったように思う。今日からもまた、一日一食の夕食において食べ過ぎないようにする。

今朝はいくつか印象に残る夢を見ていたので、それらを書き留めておきたい。夢の中で私は、アメリカかどこかの国のある都市にいた。

そこは田舎ではなく、商業化されており、ビルが立ち並んでいるような街であった。その街のあるビルの中で、私は英語の学習をしていた。

ビルの中にはセミナールームのようなものがあり、そこで何人かの日本人たちと一緒に英語の学習をしていたのである。講師もまた日本人であり、そこで教えられているのは日本式の英語だった。

つまり、教えられている内容も実践的なものではなく、同時に教え方も日本の一般的な学校で行われているようなものだった。当然私は、そうした内容と教え方にすぐに退屈してしまったため、何か自分で勉強を進めていこうと思った。

このセミナールームの机は特徴的であり、一つ一つの机に本棚が付いており、他の机と仕切るためのパーティションが付けられている。私は何気なく、自分の机に付いている本棚を眺めてみたところ、文章読解に関する面白そうな問題集を見つけた。

その問題集を開くと、問題文自体が面白く、問題もまたよく練られていた。私は問題を解くことに関心はなく、問題として取り上げられている学術的な文章の方に関心を持った。

どうやら私は、以前にもこの問題集を解いていたようであり、お世辞にも綺麗とは言えない字で回答が書かれている。いざ問題文を読もうと思った瞬間に、私の体はセミナールームの外にあった。

厳密には、セミナールームのあるビルの外にあったのである。車のクラクションが頻繁に鳴るようなビルの周りは、あまり綺麗ではなく、むしろ私が避けたいような場所であった。

どうやら私は、これから英語の試験を受ける必要があり、試験会場のビルに向かう必要があった。時間を確認すると、試験開始の時間まであと少ししかなく、私は急いでバス停に向かった。

今日は休日のためか、バス停の前で待っている人はさほどいなかったのだが、一人の中南米系の女性が、アフリカ系アメリカ人の大柄な警官と何やら立ち話をしていた。二人に近寄ってみると、どうやら女性が何か落し物をしたようだ。

引き続き二人の話に意識を集中していると、乗るはずのバスがバス停よりも少しずれた場所に停車していた。それに気づいた時はもう手遅れであり、バスはすぐに行ってしまった。

どうやら、休日の場合には数メートルほど先の場所に停車するようだったが、そのようなことは一般的ではなく、私は少し理不尽な思いに苛まれた。目の前の警官に文句を言ってもしょうがないのだが、「ここのバスはどうなってるんですか?」と質問をしてみた。すると、その警官は苦笑いを浮かべながら、「少し変わってますが、ここのバスはそんなものです」と述べた。

試験開始まで15分しかないため、次にやってくるバスが20分以上後だったので、走って試験会場に向かうことにした。数歩走った瞬間に、私の体は試験会場にあった。より具体的には、私はもうコンピューターの真ん前に座っていたのである。

モニターを見ると、ちょうど試験が始まったようであった。私は最初のセクションの問題にさっそく取り掛かろうとすると、それはスピーキングのセクションであり、TOEFL以上に大量の英語を話させるものであった。

それに気づいた瞬間に、私の体は再び元いたセミナールームの中にあった。そして、先ほどと同じように、自分の机に向かって勉強をしていたのである。

たった今見ていた試験場のモニターに映し出された問題の形式について、私は隣の人に話をしていた。その人は見知らぬ女性なのだが、その方曰く、日本のある名門私立大学では、その試験で高得点を取ることだけを目的にして、さほど意味を持たなくてもいいから、とにかく大量の英語を話す特殊な訓練を施していることを聞いた。

そんな大学もあるのかと驚いたが、私は先ほど見た試験がやはり馬鹿げたものであるように思えたため、今後はもうあのような試験を受けまいと誓った。すると私の体は再び瞬間移動し、日本の田舎町にある中規模の書店の中にいた。

特に何かを購入する目的はなかったのだが、書店に入ってみると、どういうわけか、私の意識は英語の参考書が置かれたコーナーに向かっていた。フローニンゲン:2019/3/22(金)07:36

No.1782: A Spring Festival

Today was very warm and cheerful, which looked like a spring festival. Groningen, 20:10, Friday, 3/22/2019

4014. 今朝方の夢の続き

相変わらず小鳥たちが美しい鳴き声を上げている。それは鳴き声というよりも、歌声に近く、そうした歌声に耳を傾けていると、とても幸福な気持ちになる。

彼らは一体どのようにして、人に幸福感を与えるような見事な歌声を奏でているのだろうか。私たち人間は、彼らから学ぶことが多いのではないかと思われる。

声の質というよりも、現代人の薄汚れた心から発せられる声には、小鳥たちの鳴き声にあるような癒しの力はない。

今、書斎の窓辺に近寄って行き、小鳥の姿を確認しようと思った。鳴き声だけは聞こえてくるのだが、彼らの姿を確認することができなかった。

今聞こえてくる小鳥の鳴き声には、彼らにとっての何かしらの意味があり、その意味を知りたいとふと思った。

先ほどに引き続き、今朝方の夢について振り返りをしておきたい。夢の中で私は、とても広い畳部屋にいた。

周りを見渡すと、高校二年生の時のクラスメートがたくさんいて、全員ストレッチを行っていた。私は小中高と付き合いのある友人(HY)と一緒にペアでストレッチを行っていた。

どういうわけか、お互いに仲の良かった二人の女子生徒(HN&KY)のペアが、残りの生徒に対してストレッチの手本を見せていた。いや、これはストレッチというよりもヨガのアーサナであった。

一応私たちのペアも、彼女たちが示す手本を参考にしていたが、途中からは自分たちでヨガのアーサナを実践していこうと思った。しばらくアーサナを実践していると、食事の時間になった。

すると、その場が突然変形し始め、説明が難しい入り組んだ部屋に変わった。先ほどまで畳であったはずの地面がコンクリートに変わり、地面に段差があるだけではなく、目の前にはいろいろな高さの壁があった。

すると、小中学校時代のリーダー格の友人(RS)が、私たちに向かって食べ物を投げつけ始めた。最初は野菜を投げつけてきたが、後半からはピザを投げつけてきた。

彼は私たちにそうした食べ物を提供しているという意識もありながら、同時にそれはやはりいたずらの一環だった。私たちは、食べ物にぶつからないようにして、この部屋の一番前にある長テーブルに辿り着こうとした。

遠くからでもわかったが、そこには美味しそうな寿司や刺身が置かれており、丼に入ったいくらの姿も確認することができた。私はそれらを食べたいという思いがあったので、その友人のみならず、他の友人たちが投げ合っている食べ物にぶつからないようにして長テーブルに向かった。

そこで夢の場面が変わった。最後の夢の場面では、私はサッカー観戦をしていた。

ちょうど、オランダ対ドイツの試合が始まるところだった。最初私は、英国のクラブチームであるマンチェスターユナイテッドとどこかのクラブチームが対戦するのかと思っていた。それはユニフォームから判断してのことである。

だが実際には、二つの国同士の対戦ということであり、それはそれで楽しみであった。いざ試合が始まってみると、驚いたことに、数秒ほどでオランダが四点ほど得点をした。

私はいずれのゴールシーンからも完全に目を離しており、どのような形で得点が入ったのかわからなかった。ここでもまた私は幾分困惑させられた。

というのも、今までオランダだという思っていたチームが、どうやらスペインのレアルマドリードになっていたからである。しかもそれは、今から10年ほど前のチームであった。

四点のうち、最初の得点は現在監督を務めているジネディーヌ・ジダンがヘディングで入れたものであり、二点目はオランダのエースストライカーであったルート・ファン・ニステルローイが左足を振り抜いて低弾道のシュートを決めたものだった。

わずか数秒で四点ほど得点が入り、もう試合は決まったかと思いきや、そこから相手チームの逆襲が始まった。そちらのチームはドイツ代表のようであり、そこから三点を立て続けに返したところで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/3/22(金)08:02

No.1783: A Spring Night

It is 9PM now. A spring night feels comfortable to me. Groningen, 21:00, Friday, 3/22/2019

4015. 試験に関する夢より:シュタイナーの色彩論

時刻は午前九時を迎えようとしている。遠くの方から小鳥の鳴き声が聞こえてくるが、起床直後の声よりも小さくなっている。

そのようなことを思っていると、書斎の窓辺に近づいてきてくれた小鳥が今、大きな鳴き声を上げてくれた。小鳥の鳴き声が不思議なのは、それに耳を傾けていると、すっと鳴き声の中に吸い込まれていくかのような感覚があり、自己意識が遠のいていく感覚があることだ。

それは鳴き声の中に自己が溶け込んでいくことを示しており、鳴き声と自己が同一化していることを示しているように思う。小鳥の鳴き声が聞こえてくる間は、できるだけそれに耳を傾け、鳴き声の中の世界、つまり自己を溶解させてくれる音の世界の中に留まりたいと思う。

今日は気温が上がるはずなのだが、午前中の今は肌寒い。辺りは霧で覆われており、これから晴れ間が顔を覗かせるのか少々疑ってしまうぐらいだ。

今日は午後から、郊外にある楽譜専門店に歩いて行き、良い楽譜がないかを時間をかけて吟味したい。自宅から楽譜屋まで歩いて片道40分ほどなので、とても良い運動になるだろう。行きと帰りと合わせるとかなり歩くことになるので、水を忘れずに持っていきたい。

今朝方の夢について改めて振り返ってみると、今朝は英語の試験に関する主題が立ち現れていた。私は大学に入学するまでは各種試験で高得点を取ることはさほど難しいことではなかったが、大学に入学した途端に、試験で高得点を取ることが難しくなってしまった。

その背景には、人が作った試験を受けることがとても馬鹿馬鹿しいことのように思えてしまうという気持ちの問題があるだろう。そうしたことから、大学を卒業するまでの間に受けた様々な試験、留学に必要となる試験、フローニンゲン大学の大学院に在籍していた時に受けた試験を含め、高得点を取れたことは基本的に皆無なのではないかと思う。

そもそも、試験のために勉強するという意欲が減退し、試験範囲外の事柄が自分の関心を引くことが往々にしてあり、それらの勉強に多くの時間を使ってきたように思う。欧米の大学院の博士課程に入学することを決断しない限り、しばらくは試験から無縁の生活を送ることになるだろう。

今朝方の夢の中で出てきたような英語の試験はもう受けたくないし、知識の正確さだけを試すような試験も受けたいとは思わない。仮にオランダの永住権を取得することを真剣に考えるのであれば、オランダ語を学び、オランダ政府が作った試験を受ける必要があるが、それまでは試験の類とは無縁の生活を送れるような気がしている。

今回スイスの精神自由科学大学に行くことをあえて先延ばしにしたが、今でもその大学には関心を持っている。ここは一般的な大学とは異なり、もちろん各種の書類や志望動機書を提出する必要はあるが、入学に際して試験のようなものはなく、入学してからも試験のようなものはない。

そもそも、大学という名称なのだが、この大学は学位を一切発行していない。この点もまた大変興味深く、シュタイナー教育の精神を体現しているかのようだ。

この大学で行う探究の焦点は、シュタイナーの思想を学ぶことであり、私が関心を示しているのは、シュタイナーの音楽理論、特に音の色彩論に関心を持っている。シュタイナーの色彩論は、ゲーテの色彩論から多大な影響を受けているが、音に関する色彩論を展開している思想家はあまり多くなく、その点においてシュタイナーに着目している。

もちろん、音に関する色彩論を学ぶ目的は明確であり、それを自分の作曲実践に活用することである。これから数年はオランダで生活を営み、近い将来にスイスのドルナッハにある精神自由科学大学で、シュタイナーの色彩論を探究したいと思う。フローニンゲン:2019/3/22(金)09:06

No.1784: A Dance of A Little Bird

Although it is cloudy at this moment, this morning looks as if I could see a dance of a little bird. Groningen, 10:55, Saturday, 3/23/2019

4016. 「食前」のフルーツの勧め

時刻は午後一時に近づきつつある。早朝は霧がかかっていたが、午前中の途中から霧が晴れ、今はすっかりと青空が広がっている。

天気予報の通り、今日は素晴らしい天気であり、春を感じさせてくれる。この日記を書き終えたら、フローニンゲンの郊外にある楽譜専門店に足を運びたい——郊外と言っても街の中心部から歩いて20分ほどの場所だが。

今朝方、食べ物に関する夢を見ていたことを改めて面白く思った。食に関する夢は、一日一食生活を始める前にはあまり見られなかったように思う。

また一昨日は、その日の晩に食べ過ぎたせいもあってか記憶に残る夢を見ていなかったことも注目に価する。何をどれだけ食べるのかというのは、私たちの身体に影響を与えるのみならず、心や無意識の領域にまでも影響を与え、さらには魂などにも影響を与えるのではないかと思えてくる。

二、三日の断食を実践する前に、その準備として、夕食を果物だけにして、デトックスをある程度行う方が賢明かもしれないという直感が昨夜芽生えた。その直感を裏付けるかのように、昨日から読み進めている、“Prof. Arnold Ehret's Rational Fasting for Physical, Mental and Spiritual Rejuvenation: Introduced and Edited by Prof. Spira (2014)”に同様のことが書かれていた。

本書を紐解いてすぐに気づいたが、私の人生に大きな影響を与える一冊に早くもなった。これまでの食に対する誤った考え方、そして誤った食実践を根本から正してくれるような内容が随所に書かれている。

もちろん、いくつかの細かな部分に関しては今後も調査をしていく必要があるが、本書の重要な主張に関しては、すぐにでも自分の食生活に取り入れてみたいと思う。午前中も本書を読んでいた時に、果物を食事の前に食べることを勧めている点にふと立ち止まった。

というのも、「食後のデザート」という言葉によって、フルーツを食後に食べることが一般的なように私は思っており、実際にこれまでも——昨夜も——食後にフルーツを食べていた。だが、これが完全に誤りであることを本書、および他の情報源から痛感させられた。

食前にフルーツを食べたほうが良い理由としては、果物は食べてから約30分程度で胃から腸へ届くが、他の食べ物は約2〜4時間かかり、仮に食後にフルーツを食べてしまうと、前の食事が胃に残ったままであるから、フルーツは胃の中で待機していなければならず、胃酸によって発酵してしまい、果物が本来持つ様々な効能を発揮できないとのことである。

この点については、一昨日の夕食後に、食後にフルーツを食べることを疑う瞬間があった。というのも一昨日はフルーツを食べられないほどにお腹が膨れており、そこからさらにフルーツを食べることは、どこか体に良くないと直感的にわかったのである。それは単なる憶測ではなく、実際に正しい直感的把握だったのだと改めて知る。

今日からは胃腸をさらに休め、デトックスを行う意味でも、夕食は果物だけにする。どのような果物をどのような順番で食べるのかも重要らしく、昨日アボカドを半分切ってしまったので、今日はその残りを食べる必要があるが、まずは小さなリンゴを一つほど食べ、その後にアボカドを食べ、最後にバナナを食べるようにしたい。

果物の成分を十分に摂取するためには空腹である必要があるというのはこれからも覚えておきたいことである。フローニンゲン:2019/3/22(金)12:58

No.1785: A Blue Bird

A blue bird flew away in my heart. Groningen, 13:46, Saturday, 3/23/2019

4017. フローニンゲンの楽譜専門店に訪れて

時刻は午後の五時を迎えつつある。この時間帯のフローニンゲンは西日が強く、これから徐々に夕日が沈んでいく。それにしても、もう自分と日が伸びたものである。

そういえば、ちょうど来週末からは、欧州はサマータイムに入る。一時間ほど時間がずれるため、日本企業との協働プロジェクトにおいては、ミーティングの開始時間を間違えないようにしなければならない。

つい先ほど、フローニンゲンの郊外にある楽譜専門店から帰ってきた。午後一時過ぎに自宅を出発し、四時半過ぎに帰宅したため、三時間ちょっとの間外出していたことになる。

今日は本当に良い天気であり、気温が何よりも暖かかった。Tシャツの上にジャケットを羽織り、ゆっくりと楽譜屋に向かっていると、最後の方は随分と暖かくなり、ジャケットを脱いでTシャツ姿のまま散歩を楽しんでいた。

楽譜専門店に向かう道は今日初めて歩いたため、好奇心に溢れる目を持って景色を眺めることができた。今住んでいる場所以外にも、フローニンゲンには落ち着いた住宅環境が多くあることにまず気づかされた。

そこで流れる時間は緩やかであり、辺りは落ち着きと静けさで満ちていた。フローニンゲン内で引っ越すことはないと思うが、仮に引っ越しをするならどのような場所がいいかを考えながら、辺りを眺めていた。

携帯の地図上では40分ほど歩いてかかると表示されていたが、実際には30分少しで楽譜屋に到着した。楽譜屋のドアを開けると、すぐに店主の男性が声をかけてくれ、何を求めているかを尋ねてくれた。

私はすぐに、「オランダの作曲家の楽譜を探しています」と答えた。すると店主は、「ちょっと待ってて」と述べて、店の奥から段ボール箱を取り出し、オランダ出身の作曲家の楽譜を全て見せてくれた。

店主:「この段ボールの中には、ピアノ曲だけではなくて、フルートや合唱曲なども混ざっていると思うから、その点だけ気をつけてね」

親切そうな男性の店主がそのように述べると、私はテーブル席に案内され、そこでゆっくり楽譜を吟味し始めた。いくつか興味深い作曲家の作品があったのだが、どれも二、三品しか収められていない楽譜が多く、私が求めているのは、もう少しまとまりのある作品群の楽譜であったため、なかなか購入しようと思う楽譜は見つからなかった。

だが、一つだけとても興味深い作曲家の作品群を見つけた。作曲家の名前は、Jacobo Palmと言い、彼は1887年に生まれたスリナム出身のオランダ人作曲家だ。

全66曲のピアノ作品が収められた、“Obras de Jacabo Palm: Album Para Piano”という楽譜を購入した。店主に尋ねてみると、これは非売品とのことであり、店に残っているのはそれ一冊だけとのことであった。

厳密には、出版社に問い合わせ、手で一枚一枚の紙を印刷してもらわないといけない楽譜とのことであった。その他にも、オランダ領キュラソー島出身の作曲家Jan Gerard Palm(1881-1906)の“Jan Gerard Palm Music Scores”を購入した。

これら二冊はあまり手に入らないであろうと思われたので、とても良い買い物をしたように思う。その他にも、一応ほぼ全てのピアノ作品の楽譜に目を通したところ、ブラジルの作曲家Heitor Villa-Lobos(1887-1959)の “Piano Music (1996)”と、ちょうど昨年の今頃に訪れたポーランドが懐かしく思われ、“Polish Piano Music: Works by Paderewski, Scharwenka, Moszkowski and Szymanowski (1999)”の合計四冊を購入することにした。

特に最初の書籍が高価であり、一万円近くし、二冊目のものは五千円近くした。店主もその辺りのことを考慮してくれ、最初の書籍について割り引びをしてくれ、四冊合計でさらに割り引きをしてくれた。

会計の最中に、「プロの方?」と尋ねられたが、私は笑いながら、「違います。アマチュアで、作曲を楽しんでいるだけの者です」と答えた。確かに、玄人でもなければ、上記の四冊のような楽譜は購入しないのだろう。

音楽関係のプロと間違われたのはこれが初めてだが、そういえば、四年前に日本の古書店に足を運んだ際にも、大学関係者と間違われ、「公費でのお支払いでよろしいですか?」と尋ねられたのを懐かしく思い出す。私はその時初めて「公費」というものが存在することを知った。

帰り道、自分は常に正統な学術機関に所属するのではなく、いかなる組織にも属さない形で、自分の探究活動と創造活動を続けていく人間なのだと思わされた。そのようなことを思っていると、肩の力が抜け、自然と笑みがこぼれた。

自分を縛るものが何もないということに対して、そのような笑みが生まれたのであろうか。

フローニンゲンの西日は優しく、たった一人で道を歩む自分の背中を後押ししてくれているかのようであった。フローニンゲン:2019/3/22(金)17:23

3月22日(金)の曲一覧

Op.973 まどろみ

Op.974 薔薇の波

Op.975 春祭り

Op.976 春の夜

 
 
 

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