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3947-3951:フローニンゲンからの便り 2019年3月12日(火)

March 14, 2019

タイトル一覧

3947. ヒーリングへの関心の再燃

3948. 四年前の知人の言葉と今

3949. 高次元の身体同士の交感と交歓

3950. 今朝方の夢の続き:形と自己

3951. 食事の重要さと断食の効果

 

3947. ヒーリングへの関心の再燃

 

時刻は午前六時半を迎えた。昨日の雨風激しい様子とは打って変わって、今日は風も穏やかであり、今この瞬間には雨が降っていない。どうやら午後から雨が降るらしいが、昨日のような激しい風が伴うことはなさそうだ。

 

今朝は六時あたりに起床したのだが、その時はもう辺りはうっすらと明るくなっていた。着実に日の出の時間が早くなっていくことを感じながら、春の到来を静かに待つ。オランダ人の朝は早い印象だが、今朝はどういうわけか、目の前に見える赤レンガの家々にまだ明かりがついていない。

 

つい先ほどまで、小鳥の鳴き声を聞きながらヨガを行っていた。一昨日の座禅体験を通じて、心身の治癒に関する関心が再燃し、以前知人の方に伝授していただいた各種ヒーリングの技法とその背景の思想について学び直そうと思っている。

 

ただしこの学び直しに関しても作曲実践と同様に、とにかく実践を通じて行っていきたいと思う。もう頭だけを使った不毛な探究には従事したくない。それが不毛であるということに気づかせてくれるほどに、そうした探究をこの八年間行ってきたのだから、これからはそうした不毛なことに従事しないようにする。

 

もちろん、頭を活用することを全て否定しているわけではなく、頭だけしか使わない探究を否定しているのである。そうした探究は知れる範囲を極度に狭め、深さも極度に浅くなる。

 

早いもので、あの一連の不思議な知覚体験を伴った座禅を行ったのは一昨日のことである。あまりにも長時間にわたって座りすぎ、途中で脳内に青白い光を伴う発火現象が起こるほどであったから、昨日は、少々頭痛のようなものがあったほとである。今はそうした脳の疲労ないしは一時的な機能障害から回復し、非常にすっきりした状態にある。

 

一昨日の座禅体験の最中に得られた気づきについて思い出してみると、昨日書き留めたもの以外には、上述の話と関係する治癒に関するものがあった。一応私たちは三次元的な身体を持っているが、身体心理学やトランスパーソナル心理学、さらにはシュタイナーの思想でも指摘されているように、そうした物質的な身体を超えた次元の身体がいくつも存在していることを知覚した。

 

そして、物質的な身体を真に治癒していこうと思うと、もちろんそうした物質的な身体そのものに働きかけをすることは必要だが、それ以上に重要なのは、より高次元に存在する身体に働きかけることである。

 

今から四年前に日本に一年間ほど滞在していた時、知人の方から臼井レイキとクラニオセイクラル・バイオダイナミクスの技法を伝授していただいた。今改めて、それら二つのヒーリング技法の教えを思い出している。

 

そして、昨夜からかなり意識的に自分に対して実験をするようになった。おそらく、ヒーリングというのも一つの知性領域かつ技術領域であるため、先天的な才能も必要になってくるだろうが、後天的にその力を高めていくことは可能なはずである。

 

欧州での四年目の生活においては、協働領域を広げるのみならず、音楽、ヒーリング、食に関する探究を行っていこうとしており、新たなことに挑戦していく年になりそうだ。フローニンゲン:2019/3/12(火)07:03

 

No.1750: A Crystal Ball Behind the Rain

 

I went for a walk in the evening because it stopped raining. Yet, it started to rain again. 

 

Living in this world is always enigmatic. Groningen, 18:03, Tuesday, 3/12/2019

 

3948. 四年前の知人の言葉と今

 

先ほど、高次元の身体にアクセスし、それに対して治癒を施すことについて書き留めていたように思う。この点については、確かにジョン・エフ・ケネディ大学に在籍していた時に、身体心理学の授業やソマティック・サイコセラピーの授業を履修していたため、基礎的な知識は幾分あり、西海岸に住んでいた頃は実際に一年間ほどソマティック・セラピーを受けていた。

 

また、四年前に日本に一年間ほど一時帰国していた際にも、高次元の身体に働きかける施術を受けていた。だが、そうした経験をもってして何かがわかるほど人間の身体及びその治癒方法は浅くなく、自分の学習不足と実践不足を否定することはできない。もちろん、自分でも学習と実践を継続していこうと思うが、久しぶりに、四年前にお世話になった施術師の知人の方に連絡をしてみようかと思う。

 

一昨日の座禅の体験中、意識が深まったある瞬間に、音楽を通じて癒しをもたらすことはできないかと考えていた。おそらく、直感的にこれは可能なのではないかと思う。

 

そもそも、音を聞くことによって、物理的な身体の次元においても、耳が心地よいと感じたり、それによって心が安らかになったりすることがある。それを考えてみると、音楽には少なくとも物理的な身体に働きかける力がありそうだ。

 

ここ最近、トイレにいるときは音楽理論の専門書を読むようにしており、昨日偶然にも、様々な音の種類に対応して様々な波があることを改めて知った。音が様々な波として私たちの耳に届けられることについては、これまでも表面的な知識として知っていたが、音の持つ様々な周波数に着目し、そこに工夫を施していけば、物理的な身体のみならず、高次元の身体に届くような音楽を生み出せるのではないかと考え始めている。

 

高次元の身体が持つ固有の周波数に合致した音の波を作ることによって、その音を高次元の身体に届けていくことは理論的にも不可能ではないように思えてくる。この考えを実現させていくに当たっては、高次元の身体の特性及びそれらの持つ固有の周波数帯を理解するのに合わせて、物理的な音の持つ周波数についても理解を深めていく必要があるだろう。

 

一年前に購入し、常に机の右隅に置いている“Expanding Tonal Awareness: A Musical Exploration of the Evolution of Consciousness (2014)”という書籍は、この考えを実現するために購入し、それを実現するために今自分の手元にあるのかもしれない。

 

また、日々の作曲実践においては、曲を作る前に、必ず今ここの意識に集中し、自分自身が高次元の身体につながるように意識していこうと思う。おそらくそれが、自己及び他者の高次元の身体に働きかけていく曲を作る最低限の条件になるように思う。

 

まずは自分自身の高次元の身体につながること。そしてつながった次元の身体意識をもとに、音を生み出していくこと——あるいは音を高次元の領域から降ろしてくること——を大切にしたい。

 

今から四年前に、上述の施術師の方が、「いつかここで学んだ癒しの技術を他者のために活用する日が来る」ということを述べていた。その時の私は、それが全くピンとこなかったが、四年の月日を経て、今ようやくその意味が明確となり、その道が眼前に開かれているのを実感する。

 

一昨年に何の経験もなしに突如作曲を始めたことの新たな意味が今明らかになっている。日々曲を作り、作った曲を通じて何かしらの治癒を実現させていくこと。それをこれからの生き方の一つにしたいと思う。フローニンゲン:2019/3/12(火)07:24

 

No.1751: The Beginning of a Blissful Dance

 

When I finished an online meeting which is about a collaborative project, I had a feeling of blissfulness to work with somebody. Groningen, 11:02, Wednesday, 3/13/2019

 

3949. 高次元の身体同士の交感と交歓

 

起床してから早くも一時間半が経つ。今日は二件ほどオンラインミーティングがある。

 

このように、自らの探究活動と創造活動のみならず、人と対話をしながら何かを生み出していくことにこれからも従事していきたい。もちろん、そこに具体的な形が生み出されなかったとしても、人として生きていく上で、人との対話ほど大切なものはないであろう。

 

起床から今この瞬間に向けての時間の流れはあっという間のように感じられたが、一昨日の座禅中に行った時間感覚の変容は印象的であった。昨日の日記にも書き留めたように、そこでは一分が永遠のように感じられ、刹那の中で人生を何度もやり直した感覚があったのである。

 

時間が時間の中に巻き込まれていくような絶え間ない運動がそこに生じており、その運動の中に入り込んでしまった時、時間の流れが極度に緩やかに感じられたり、一瞬が永遠のように感じられたりするのかもしれない。

 

人間の意識と時間というのは本当に興味深い関係を持っている。これからは、再び人間の意識の性質について探究と実践を行っていき、それに合わせて、音楽とヒーリングについても探究及び実践を継続させていく。

 

それら三つを三位一体として探究と実践をしていく。そうしたことを改めて誓わせてくれる朝である。

 

小鳥の爽やかな鳴き声が依然として聞こえてくる。そこにも一つの癒しの形がある。

 

おそらく、治癒的な作用を持つ曲を作っていくことに向けて、こうした小鳥の鳴き声、ないしは自然の音が持つ特性から得られる学びは多いだろう。小鳥の鳴き声は、自分の物理的な身体に働きかけているのみならず、高次元の身体にも働きかけているかのようである。

 

それはおそらく、小鳥にもそうした高次元の身体があり、それが人間としての自分の身体と交感を行っているからなのだろう。今、「交感」と述べたが、おそらくこれがカギであり、交感が起こるためには、「交歓」が必要なのかもしれない。

 

高次元の身体同士で交歓が起こった結果として、交感が起こる。あるいはその逆に、交感が先に生じることによって交歓が起こり、その結果として何らかの治癒的な作用が生じる。高次元の身体同士での相互作用については引き続き観察及び実験をしていこうと思う。

 

起床して二時間弱が経つが、まだ今朝方の夢について振り返っていなかったので、少しばかり振り返りを行っておきたい。夢の中で私は、坂道を伴う入り組んだ住宅街を自転車で通っていた。

 

地面には雨か雪が残っていて、少々滑りやすくなっており、慎重に運転をする必要があることを感じていた。住宅地の坂道を自転車で下っていると、左手にカーブが見え、そのカーブは見通しが悪かったので、速度を落として曲がることにした。

 

幸いにも、向こうから車がやってくることはなく、無事にカーブを曲がりきった。すると、向こうの方に河川敷が見え、そちらの方に近づいていくと、そこに小中高時代の女性の友人が二人ほどいた。

 

彼女たちに何をしているのか聞いてみると、これからこの河川敷に飛び込み、目的地に行くとのことであった。話がよく飲み込めなかったので詳しく聞いてみると、この河川は途中でワープホールのようなものがあり、そこまでは泳いでいく必要があるとのことであった。

 

私が「今の時期に河川を泳ぐのは寒いだろう」と述べると、二人は「この河川はぬるま湯のような温度よ」と述べた。私は河川の途中にあるワープホールに関心があったので、彼女たちと共に、河川に飛び込むことにした。

 

すると、確かに河川は暖かく、流れも緩やかであるため、非常に泳ぎやすかった。しばらく泳ぐと、ワープホールの存在を確認するまでもなく、私はどこか別の場所に飛ばされていた。すると、先ほどの友人たちと私は、どこかの一軒家の一室にいた。

 

そこは畳部屋であり、ふすまのついた押入れがある。その部屋の様子は、完全に日本の家のそれだった。一人の友人が押入れのふすまを開けた時、小さなハエのような虫が大量に出てきて、なぜだか私の顔の周りに集まってきた。

 

その虫の量はおびただしいものがあり、私は手で虫を払いながら、友人に早くふすまを閉めてくれとお願いをした。友人がふすまを閉めた瞬間に、ハエのような小さな虫は瞬時に消え、そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/3/12(火)08:03

 

No.1752: A Walk of a Free Person

 

I have a feeling that a free person is going for a walk in his or her life. Groningen, 15:25, Tuesday, 3/12/2019

 

3950. 今朝方の夢の続き:形と自己

 

もう30分ほどしたら昼食の時間となる。そのような時間になっているにもかかわらず、今朝方の夢の続きについてふと思い出した。

 

夢の中で私は、学校の狭い音楽室のような場所にいた。そこには何人かの友人がいて、その中の一人に、小中高時代から付き合いのある女性の友人(KE)がいたのを覚えている。

 

彼女は私の隣で歌を歌い始め、その歌に合わせて、私は吹奏楽器を演奏することになった。それはホルンのような楽器で、私は一度もそれを演奏したことがないはずだったのだが、なぜかうまく音を出すことができ、彼女の歌に合わせて演奏を続けていった。

 

その他の友人たちも歌か楽器か何かを通じて、一緒に音楽を作り出していくことになっていたのだが、曲の前半はその友人と私だけで演奏を行っていった。いよいよ他のみんなが演奏に加わることになった時に夢の場面が変わった。

 

今朝方はそのような夢を見ていたことを昼食前にふと思い出した。夢の中の感覚としては、音楽を他者と共に作り出す喜びのようなものを味わっていたように思う。そうした感覚がうっすらとではあるが、まだ自分の中に残っている。

 

今日は午前中に一件ほどオンラインミーティングがあった。幸いにも、また新たな協働プロジェクトが始まりそうである。

 

本件は、成人のオンライン学習に関するものであり、まさにそのテーマは、私がフローニンゲン大学で二年間ほど研究をしていたものである。協働関係が拡張していく様子を眺めていると、やはり今の私は、多様な領域の多様な関係者の方々と一緒に仕事をしていく時期なのだとつくづく感じる。

 

今日のミーティングでのやり取りを改めて思い出していると、世間に最大限関与するためには、世間から最大限離れることが重要であると再度実感した。日本に関与するためには、物理的に最大限日本から離れ、精神的に最大限接近していくことが重要である。オランダでこれから長く生活を営んでいくというのは、まさにそうした発想と生き方の表れだろう。

 

先ほど、午前中の作曲実践を終えた。一つ一つの曲は、その瞬間の自分が形となって現れたものであるという認識を持ってみると、先ほどの曲はまさにあの瞬間に存在していた自分自身に他ならないことがわかる。

 

もちろん、このことは一つ一つの日記に関しても当てはまる。曲にせよ文章にせよ、自分から生まれるいかなる形も、その瞬間における固有の自己に他ならない。

 

一つの文章、一つの曲を形として残しながら、絶えずそれを参照し、それに支えられる形で次の一歩を踏み出していく。人生が、創造と参照によって少しずつ深まっていくのを感じる。オランダでの四年目の生活は、一段と創造と参照を行っていくだろう。

 

今は一旦雨が止み、穏やかな様子が辺りに見える。ただし依然として空は灰色の雲に覆われており、午後からは再度雨が降ってくるだろう。もうそろそろしたら昼食を摂り、昼食後のオンラインミーティングに備えたい。フローニンゲン:2019/3/12(火)11:41

 

No.1753: A Demon Smiling at Modern People with Hyperphagia

 

Most modern people are suffering from hyperphagia in a broad sense, and a demon is smiling at them. Groningen, 15:56, Wednesday, 3/13/2019

 

3951. 食事の重要さと断食の効果

 

時刻は午後の七時半を迎えた。つい今しがた夕食を摂り終えた。

 

今日の夕食の量は腹八分というところだろうか。パスタを食べたところまでは75%ぐらいだったのだが、そこから食後のデザートとして大きめのグレープフルーツを食べたら80%ぐらいになった感覚だ。とりあえず、これぐらいの量なら食べ過ぎにはならず、とても適量な食事だと思う。

 

身体と意識との関係について今日もあれこれと考えを巡らしており、物理的身体の次元における食事で何をどれだけ食べるかが、意識に間違いなく影響を与えている。そして意識は、身体に影響を及ぼすことを考えてみると、基礎にある食事をおろそかにすることはできない。

 

食事の重要性と同時に興味深いのは、断食の効果に関するものである。なぜだか私は、これまで長時間座禅をするときは、昼食と夕食を摂らないことが多かった。

 

普段は朝食にリンゴとバナナを食べており、長時間座る際には朝食の果物だけを食べ、事実上次の食事は、次の日の朝の果物だった。ここで興味深いのは、一日断食をしただけで、次の日の肌の様子が変わっていたことである。

 

端的には、たった一日の断食できめ細かな肌になっていることが自分でも驚きだった。また、今日もまだその効果が残っていたのだが、断食によって脳の働きが良くなり、集中力がいつも以上に高まっているように思う。

 

おそらく、二日以上の断食を行うと、感覚そのものがより鋭敏になっていくのではないかと思う。こうした実体験を通じて、先ほど色々と調べてみると、断食をする際には準備期の食事と断食後の食事について様々な注意事項があるが、今の自分の食生活の特性を考えると、短い期間の断食であれば実践がしやすいように思った。

 

これからは、一週間に一度ほど、一日の断食をしてみようかと思う。それが徐々に慣れてきたら、二週間か三週間に一度ほど、二日間の断食をしてもいいかもしれない。

 

その準備としては、これからは、午前中に食べている果物類を昼食とし、夜を普通通りに食べるということを行ってみて、どのような変化が身体と脳に現れるかを実験してみようと思う。ちょうど今冷蔵庫にある昼食用のサラダがなくなったら、それを実践してみて、その効果や実践中に気づいたことを書き留めておきたいと思う。

 

断食に関しては、古よりその効果が実証されているのか、各国に興味深い諺がある。アメリカには「すべての薬で一番良いのは、休息と断食である」という諺があり、ドイツには「断食で治らない病気は、医者でも治せない」という諺があり、フランスには「断食はメスを使わない手術である」という諺がある。

 

また、ソクラテスが「断食は哲学の門である」という言葉を残しているのは、断食によって集中力が増し、感覚が鋭敏になることによって、通常では認識できないことに対して思考を働かせることが可能になるからかもしれない。

 

こうした点を実証してみるために、近々断食を実践し、それを適度な習慣としたい。まずは朝食を完全に抜き、昼食を果物だけとし、夕食を通常通り軽めに食べることから始めたい。フローニンゲン:2019/3/12(火)20:36

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