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3912-3916:パリ小旅行記 2019年3月4日(月)


タイトル一覧

3912.【パリ小旅行記】パリ滞在最終日に見た夢

3913.【パリ小旅行記】今朝方の夢の続き

3914.【パリ小旅行記】パリで見た光と闇

3915.【パリ小旅行記】オランダでの滞在延長

3916.【パリ小旅行記】スキポール空港にて

3912.【パリ小旅行記】パリ滞在最終日に見た夢

いよいよパリ小旅行が終わりに近づいている。今、パリの街の上空は雲が覆っており、午前中には小雨が降る予報が出ている。

幸いにも、宿泊先のホテルからパリ北駅までは歩いて数分の距離であるため、雨が降り始めてもそれほど苦労することはないだろう。九時半過ぎにチェックアウトをし、10:18パリ北駅発のThalysに乗ってオランダに戻る。

パリ滞在の最終日の朝方には、印象深い夢をいくつか見た。一つは、私の内側には、まだ他者の期待に応えようとする自分がいるということを示唆するものであった。

他者の期待に応えようとする現象は、キーガンの理論で言えば、単純に他者依存段階の特性とは限らず、それがどのような意味構造から生まれているかによって段階特性が変わる。つまり、他者の期待に応えるということそのものをもってして、他者依存段階だと断定することはできず、そうした行動を促す意味の差異に基づいて、他者の期待に応えようとする行動は多様な段階特性を持ちうるのである。

ただし、今朝方の夢に関して言えば、それは他者依存段階のそれが現れていたと言えるかもしれない。夢の中で私は、進路の分岐点に差し掛かっており、ある一つの道が閉ざされ、もう一方の道を歩んでいくことを両親に伝えた。

一つの道が閉ざされたことに対して、両親は残念がっており、二人の表情を見ていると、こちらもどこか残念な気持ちになってしまった。とはいえ、私自身はどちらの選択肢であったとしても、自分の人生において意味があると確信していたため、両親の残念がる表情から喚起された残念な気持ちを振り切り、もう一つの道を歩くことを決心した。

最初の夢はそのような内容だった。どうやら自分の内側には依然として、両親の期待に応えようとする発達段階の自己の側面が残っているようだ。この側面は、積み残した発達課題の一種かもしれない。

そもそも、親というものは子供に対して何らかの期待をする性質を持っているのかもしれず、さらにはそうした期待というのも、ある側面においては存在している現象だと言えるが、別の側面から見えれば、それは単なる虚構の産物だと見なすこともできる。

他者の期待に応えようとする自己がこの点を認識することによって、徐々に発達課題を乗り越えていくのではないかと思う。夢の中の私は、両親が築き上げた幻想的な期待に影響を受けていたことが改めてわかる。

この夢が終わった時、一度目を覚ました。時刻を確認すると午前五時であった。その時に、不思議なことに、両親の期待に応えようとする自己が幾分解放感を感じているようだった。

夢を見て、目覚めた後にその夢について少しばかり回想していたことによって、何かしらの治癒が生じたのかもしれない。

目覚めたのが五時であったこともあり、私はもう少し眠ることにした。すると、そこでもまた夢を見た。

次の夢の中では、日本の商店街で、ある二人組の芸人がロケを行っていた。ロケの内容は、二人の芸人が牛丼を食い逃げして成功するのかどうかというものだった。

二人組の芸人の一方は、幾分肥満体質であり、あまり運動ができるとは思えないような体型をしていた。ちょうど私は、その商店街を俯瞰しながら見る存在として空中にいた。

その肥満体型の芸人が牛丼を食べ、お金を払わずに店から走って逃げ出すと、店員の若い女性がすごいスピードで後を追いかけ、その芸人はすぐに捕まってしまった。するとそこで罰ゲームとして、その芸人は商店街の路上で歌を歌わせられることになった。そこで夢の場面が変わった。パリ:2019/3/4(月)08:16

No.1729: Return to Winter

I came back to Groningen from Paris.

Groningen is colder than Paris, and it seems to return to winter. Groningen, 18:32, Monday, 3/4/2019

3913.【パリ小旅行記】今朝方の夢の続き

時刻は午前八時半を迎えつつある。宿泊先のホテルは、パリ北駅からの近くにあり、駅へのアクセスは便利であるが、周辺は都会の喧騒に満たされている。

普段私は、小鳥の鳴き声が聞こえてくるような静かな場所で生活をしているため、今回パリ旅行で滞在した周辺の環境は、いい意味で私の中に異物を投げかけてくれる。そうした環境での生活も今日で最後となる。

パリでの滞在を締めくくるべく、これから一曲ほど作り、そこから出発に向けた準備を始めたい。荷物をスーツケースに詰めるだけなので、ほとんど時間はかからないだろう。忘れ物には注意し、荷物を積み終えたら、09:30ではなく、09:40をめどにホテルをチェックアウトしたい。

今、今朝方見ていた最後の夢について振り返っている。夢の中で私は、ヨーロッパのある街の市場を散策していた。

天井のある建物の中で市場が催されており、欧州の各国からもたらされたであろう実に様々な特産品が市場に並べられていた。市場の一角に到着すると、そこで何人かの日本人が話をしていた。

彼らに近づいてみると、どうやらクイズをしているようだった。私は彼らがクイズをしている様子を観察することにし、彼らの側に立ってじっとしていた。

ある時、クイズの出題者の中年男性は、権威を持っているようであり、クイズに回答する人たちが少しばかり遠慮しているように思えた。その権威的な人物がある問題を出題し、一人の女性がそれに答えた。

彼女の手元には一枚の紙があり、クイズの問題は国語の読解問題のようであり、手元の紙に記載されている文章のどこかに回答があるようだった。私はその時、主題者の問題の出し方があまり良くないと思った。

受け取り方によっては、二つの回答が存在しうることに気づいたのである。クイズに回答しようとしている女性は、少しばかり遠慮がちに答えを述べた。

彼女の答えは、ある段落の一文の前半部分から引っ張ってきたものだった。彼女の答えに対して、出題者は「不正解」と述べた。それを聞いた女性は、少しばかり落胆の表情を浮かべていた。

クイズの出題者はすぐに正解を述べた。なにやら正解は、彼女が選択した文章の前半部分ではなく、後半部分に記載されている二つの地名だった。

やはり私はその正解に納得できず、問題の出題の仕方がおかしいと思い、それをどうしても指摘したくなっていた。というのも、出題の仕方が悪かったにもかかわらず、権威を持ったクイズの出題者が彼女を蔑むような嫌味を二、三述べていたからだ。

そこで私はなぜだか、クイズが行なわれている場所の向こう側にいた、現在協働プロジェクトを一緒に進めている若い方を大きな声で呼び、「今のクイズの問題にフォローしてもらえますか」と述べた。私が協働者の方を呼ぶと、その方は消えてしまった。

そのため、私自らがその問題のフォローをすることにした。端的に言えば、クイズの出題者の面子をつぶすことなく、それでいて、クイズに回答した女性の答えも正解であるということを証明しようとしたのである。

私は二人の気持ちを汲み取りながら、先ほどの出題の仕方であれば、女性の回答が正しく、仮に言葉を付け足して主題していれば、出題者の回答が正しいと述べた。すると、二人とも納得の表情をしており、出題者は、出題の仕方が悪かったと女性に謝り、彼女は自分の回答も正解であったことを嬉しがっているようだった。

二人のそうした様子を見届けた後、私は市場の中を再び散策することにした。市場を歩く自分の姿勢は、背筋が伸びており、何か堂々とした様子であった。パリ:2019/3/4(月)08:43

No.1730: The Second Hand of Tomorrow

Since I have fatigue cased by travel, I’ll go to bed shortly. Groningen, 21:35, Monday, 3/4/2019

3914.【パリ小旅行記】パリで見た光と闇

つい先ほどパリ北駅を出発し、列車はスキポール空港に向かっている。今乗車しているThalysは、外見はそれほど綺麗ではないが、内装はとても綺麗で落ち着いている。

先ほど、パリ近郊は少し小雨が降っていたが、今はそれが止んだ。車窓の外にはのどかな田園風景が広がっている。

おそらくフランスの真の良さというのは、パリの喧騒の中にあるのではなく、こうした郊外の落ち着いた環境の中にあるのだと思う。そうした良さは、パリの都市部だけを観光していては決して見えてくることはなく、このような郊外に住んでみることが必要なのかもしれない。

ふと、数日前にラヴェル博物館を訪れた帰りの出来事を思い出した。あれは、途中の乗り換え駅でのことだったと記憶している。

乗り換えをするための地下鉄駅のプラットホームに到着すると、どこからともなく音楽が聞こえてきて、遠くの方に人だかりができているのを見かけた。そちらの方に近寄っていくと、アフリカ系フランス人の男性が、プラットホームの上でギーターを演奏しながら歌を歌っていた。

彼の身なりは整っており、足元には宣伝用の小さな看板のようなものがあった。プラットホームの上で列車を待っている人たちのほぼ全員が彼の方に視線を向けて、彼の演奏に聴き入っていた。心地良いリズムとメロディーに合わせた彼の歌声は、列車を待っている人々の心を惹きつけていた。

その男性の真正面に、フランス人の家族がいて、小さな女の子が音楽に合わせて踊りを踊っている姿はとても可愛らしかった。わずか三分ほどの時間であったが、楽しいひと時を過ごさせてもらった。

私と同じようなことを思っていた人々は、彼の足元にある箱にお礼のチップを入れていった。私も十分に演奏を楽しませてもらい、音楽を愛する者としてチップを箱の中にそっと入れた。

ギターを弾きながら歌を歌っている彼は、私に「Merci」と笑顔でお礼を述べた。そのような出来事をふと思い出した。この件を通じて、私は音楽の素晴らしさ、そして音楽の持つ力を改めて実感することになった。

非常にシンプルなことなのだが、音楽は人々の人生に彩りを添え、豊かな時間を過ごさせてくれる力を持っている。駅のプラットホームで人々の心がその音楽を中心として一つになっている実感があった。もしかすると、それは音楽以外ではなしえなかったことなのではないかと思う。

今回パリに訪れてみて実感したのは、フランスの情勢はあまり良くないのか、道端にはマシンガンを持った警官が立っていたり、パリ北駅の中にもマシンガンを持った警官が巡回していた。そうした銃器を見て、随分と物騒であると思ったし、そうした銃器を持って警備をしなければならないほどの情勢なのだと理解した。

相変わらずパリの市内には浮浪者がいて、さらには難民の人たちの姿を多く見かけた。また昨日は、パリの中心街で、アルジェリア人の集団デモが行われていた。アルジェリアの国旗を持った人たち、中には大きな国旗をマントのように羽織りながらデモの会場に向かっている人たちの姿を見かけた。

パリの地下鉄駅での音楽体験は、間違いなく人間の良き姿を見たように思えた。一方で、街中の浮浪者や武装した警官、そしてデモを見たときには、そこに人間社会の問題と未成熟さを見たように思えた。パリ:2019/3/4(月)10:55

No.1731: A Quiet Start

We can start to live our life afresh from anytime, can’t we? Groningen, 10:15, Tuesday, 3/5/2019

3915.【パリ小旅行記】オランダでの滞在延長

気がつけば列車に乗ってから二時間が経っており、つい今しがた昼食を摂り終えた。あと一時間ほどでスキポール空港駅に到着する。

ちょうど今、ベルギーのアントワープ駅に到着した。結局今回の旅ではベルギーを訪れることはなかったので、またいつかゆっくりとベルギーを訪れたいと思う。

フローニンゲンもパリも、先週までは天気に恵まれ、春の様相を呈していたが、今週は気温が下がり、天気が崩れる日が続く。今日の夕方にフローニンゲンに戻ったら、行きつけのチーズ屋でチーズとナッツ類を購入し、自宅に戻ってから荷物を置いたら、近所のスーパーに数日分の食料を買いに行こうと思う。

この夏からの生活地について、先日ある決断をした。結局私は、オランダでもう数年間生活をすることにした。

パリに滞在中にHGSEから連絡があり、芸術教育プログラムの面接にまで進んだものの、結局今回は縁がなかった。また、スイスのドルナッハにある精神科学自由大学でシュタイナーの思想を学ぶことに関しても、まだその時期ではないように思えていた。

そうしたこともあり、アメリカでもスイスでもなく、オランダに残るという選択をした。ただし、オランダでの四年目からの生活はフローニゲンではなく、オランダの平和と司法の街デン・ハーグで営むことにした。

最初はアムステルダムの郊外やロッテルダムに住むことを考えていたが、以前デン・ハーグを訪れた際に、その落ち着きのある街並みに惹かれるものがあり、街の中心から数キロほどで海(北海)にアクセスできることも私にとっては魅力的であった。

デン・ハーグには日本人の友人が住んでおり、アムステルダムの郊外にも知人の方が住んでいるため、時々実際に会って話しをすることもできる。この三年間は、ある意味、本当に孤独の中で日々の生活を送っていた。

もちろん、そうした孤独は自分にとって必要なものであったが、ここ最近はそうした孤独とは別種の孤独を必要としていることに気づき始めている。それは感覚的なものであり、説明は難しい。

一つ言えることは、これからオランダで生活を続けていくにあたっては、もう少し外で人と会って話をする機会を設け、その一方でこれまでどおり、自分の時間を大切にしながら探究活動と創造活動に打ち込みたいという思いがある。

以前から、いつか必ずオランダで欧州永住権を取得しようと考えていた。その基準としては、オランダで継続して五年間生活をすることが要求されている。

私はすでに三年間ほどオランダで生活をしており、欧州永住権の取得まで残り二年である。仮にこの夏からアメリカやスイスに移住してしまうと、これまでの三年間の滞在は清算されてしまうため、今回オランダに残れたことは、欧州永住権の獲得という観点から見れば幸運だったのかもしれない。

調べてみると、もしかしたらフローニンゲン大学の大学院に留学をしていた最初の二年間は、半分の一年としてカウントされ、Search Yearを活用した今年一年間を合計すると、まだ二年ほどの滞在だと見なされる可能性がある。そうなると、五年の滞在条件を満たすためには、あと三年間ほどオランダで生活をする必要がある。

今のところ、スキポール空港に列車で30分ほどでアクセスできるデン・ハーグで長く生活をしていこうと思う。早速家の候補を探し、平和宮やマウリッツハイス美術館の直ぐ近くに良い物件を見つけた。

周りの環境はフローニンゲンと同じく静かそうであり、直ぐ近くに公園もあり、海までも近い。部屋の広さもちょうど良く、テーブルと椅子がついたバルコニーがあることも魅力的だ。

二年前にデン・ハーグを訪れた時に執筆した日記の中で、私が小学生の頃、いつかデン・ハーグで仕事をすることを考えており(当時は国際司法裁判所で働こうと考えていた)、それは20年ほどの時を経て、このような形で実現することになった。

ここからオランダで滞在をしていくために、起業家ビザを申請しようと思う。デン・ハーグでは、引き続きこれまでと同様に、日本企業との協働プロジェクトに従事しながら、オランダの教育を研究し、それを日本に紹介することも行っていこうかと考えている。

ここから少なくとも三年間は、デン・ハーグに落ち着き、探究活動と創造活動をさらに本格的に進めていきたいと思う。パリ:2019/3/4(月)13:00

No.1732: Insubstantiality

I’ve been always obsessed with an inquiry of what kinds of meaning we have when we live our transient life. Groningen, 18:00, Tuesday, 3/5/2019

3916.【パリ小旅行記】スキポール空港にて

つい先ほど、スキポール空港駅に到着した。フローニンゲンまで乗り換えなしで行ける列車がやってくるまであと30分ほどあったので、空港内の椅子に腰掛けて今この日記を書いている。

今回の旅の最中にもずっと感じていたことであるが、絶えず気づきの意識に満たされた自分がいる。とりわけ覚醒中においては、自分の内外で起こっていることの全てに対して強く自覚的な自分がいる。

今日のスキポール空港駅周辺はとても天気が良い。天気予報では午後までは雨が降る予定であったが、雨はすっかり止み、今は晴れ間が顔を覗かせている。オランダを出発した数日前に比べて、外の空気は冷たいようであり、少し冬に戻ったかのような気温だ。

先ほどの日記の中で、この夏からはオランダに残って生活をしていくことについて書き留めていたように思う。ただし、フローニンゲンに残るのではなく、一旦ここで北オランダでの生活に区切りをつけて、南オランダのデン・ハーグで新たな生活を始めようと思う。

デン・ハーグでの家にはこだわり、フローニンゲンの家と同様に、とにかく静かな環境で生活を営んでいこうと思う。そうした静かな環境の中で、自らの取り組みを前に進めていく。

日本企業との協働プロジェクト、人間発達に関する探究活動、そして日記の執筆や作曲といった創造活動に対して、これまで以上に献身したいと思う。フローニンゲンでの最初の二年間は、大学院に所属していたこともあり、それらの活動のうち、探究活動には力を入れることができたが、残りの活動についてはそれほど力を入れることができなかった。

今回、オランダに残って生活を続けることを決めたことに伴い、それらの活動の全てに対して、これまで以上にエネルギーを捧げることができるだろう。

今回、オランダに残って生活をすることになったのは、オランダという国に恩返しをする必要があることも一因だろう。私はオランダ政府から奨学金を得る形でフローニンゲン大学で学ぶ機会を得た。

やはり私がこの国にやってきたのは何かの縁であり、この縁を大切にしたいと思う。この夏からさらに滞在をするためには、起業家ビザが必要となり、その申請に向けた準備を五月の終わり頃から始めようと思う。

オランダで起業するといっても、それは個人事業の形であり、会社を設立するというようなものではない。今のところ、発達科学、教育科学、教育哲学の観点からオランダの教育について日本に紹介するような事業内容にしようかと考えている。

その事業を大きくする予定も収益を得るつもりもない。事業を通じて得られた利益を税金としてオランダに還元していくこと、さらには日本とオランダのつながりを深めるようなきっかけを当該事業を通じて作っていければと思う。

メインの仕事は引き続き日本企業との協働プロジェクトになるため、起業家ビザで申請する事業はほぼ慈善活動のような形でいいように思う。二年後に滞在期間をさらに五年ほど延長するための最低限の収益だけを確保できるようにしておけばいいだろう。

オランダにはユニークな学校が多く、それらの教育的な枠組みは日本でも紹介されつつあるが、それらを自分の専門の観点から紹介することができればと思う。そしてそれらを単に紹介するだけではなく、日本の教育をより良いものにしていくための実践にもつなげていきたいと思う。

オランダ在住の知人の方とこれから少しずつ密に協働をし、教育関係の仕事をしていきたいと思う。スキポール空港:2019/3/4(月)13:51

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