
(ラヴェルの旧邸の上の丘より撮影)
タイトル一覧
3901.【パリ小旅行記】今朝方の夢
3902.【パリ小旅行記】耳・心・魂を楽しませる音
3903.【パリ小旅行記】Gare Montparnasse駅の構内より
3904.【パリ小旅行記】ラヴェル博物館を訪れて
3901.【パリ小旅行記】今朝方の夢
パリ滞在の二日目の朝を迎えた。昨夜は普段よりも少し遅く、午後十時半頃に就寝し、今朝は六時前に起床した。部屋の室温が少しばかり低かったので、体を温めるためにも、まずは浴槽に浸かった。
今日もまず最初に、今朝方見ていた夢について振り返っておきたい。昨夜の日記で指摘している通り、旅というのは、自分の内側に様々な感覚を流し込んでくるものであり、そうした感覚を整理・統合する意味で、十分な夢を見てもいいと思うのだが、実際にはそうでもないようだ。
その証拠に、今朝方は夢を見ていながらも、そのほとんどを覚えていない状態になっている。覚えている・覚えていないの問題ではなく、そもそも夢を見ているという自覚の絶対量が少ないのだ。
とはいえ、幾分覚えている箇所もあるので、それらについて書き留めておきたい。夢の中で私は、体育館のような場所で、フットサルのシュート練習をしていた。
いや、厳密には、誰か別の人間がシュート練習をしているのだが、どういうわけか、自分の感覚はその人の中にあり、あたかも自分がシュート練習をしているかのように知覚されていたのである。
周りには何人か見知らぬ人たちがいて、彼らの一人はコーチのようだった。そのコーチが、シュート練習をしている人に向かって、「一直線にシュートを打つことはできるか?」と尋ねてきた。それに対してその人は、「できるかわからないですが、やってみます」と答えた。
実際にボールを蹴る意思を脳に伝えるのは私であり、どのように身体を動かすかの指令を脳に送るのも私だった。そこで私は、ボールを一直線に蹴るための指令を脳に送り、その人は見事にまっすぐにボールを飛ばした。
コーチのような人が、もう一回見せて欲しいと述べたので、全く同じことをもう一度やってみた。もちろん、それも難なく成功した。
コーチを含め、周りにいたその他の人たちも、ボールが綺麗に一直線に低く飛んでいく姿に感動したようであり、私はサービス精神を発揮して、さらにもう一度ボールを一直線に蹴るように、その人の脳に指令を送った。三度目も見事に成功したところで夢の場面が変わった。今朝方はそのような夢を見ていた。
一度深夜の二時に目が覚める直前には、別の夢を見ていたように思うが、今はもうその夢の内容に関する記憶はほとんどない。断片的に覚えているとすれば、知人の女性かまだ会ったことのない女性と談笑していた場面があったことを覚えている。
今日はパリ滞在の二日目であり、午前中にラヴェル博物館に足を運ぶ。これからもう一度地図を確認し、ホテルからの経路を確認する。
市内から列車に乗って、ラヴェル博物館のある最寄駅まで行き、そこから20分から30分ほど歩けばラヴェル博物館に到着する。天気を心配していたのだが、今日の日中はなんとか曇りで持ちこたえることができそうである。
昨日までは雨マークが付いていたが、今朝方天気予報を確認すると、天気は回復の方向に向かうようだ。今はまだ雨が少し降っているが、もう30分ぐらいすると、天気がどんどんと回復の方向に向かっていきそうな様子が窺える。
ラヴェル博物館とその周辺をゆっくりと巡り、その後市内に戻ってきて時間があれば、昨日訪れる予定だった楽譜専門店に足を運びたい。パリ滞在の二日目も充実した一日になるだろう。パリ:2019/3/1(金)06:53
No.1724: Revisit to Paris
I went to the Maurice Ravel museum today.
As well as Grieg and Sibelius, I knew that Ravel liked a quiet environment and loved nature. Paris, 22:03, Friday, 3/1/2019
3902.【パリ小旅行記】耳・心・魂を楽しませる音
早いもので、今日から三月を迎えた。パリで三月を迎えることになるとは思ってもみなかったが、いつの間にか弥生がやってきたことには感慨深いものがある。春の訪れの足音を、ここパリでも聞くことができる。
先ほど、ラヴェル博物館までの道を調べた。まずはパリ北駅から市内の駅に向かい、そこで乗り換えをする。
一度の乗り換えで、ラヴェル博物館の最寄り駅に到着することができる。ただし、この電車は一時間に一本しかないようなので、その点にだけは注意したい。それは帰りも同様である。
パリに足を運んだのは今回が二度目だが、関心が全くないためか、今回もエッフェル塔やヴェルサイユ宮殿を見学しに行くことはなさそうだ。そもそもヴェルサイユ宮殿の名前すら忘れていたのだが、昨日受付の方から頂いた地図にその宣伝が掲載されていたのでその時に初めて思い出した。
昨日、スキポール空港からパリに向かう列車の中で、デスクトップ上に保存していた論文の類を一気に読み進めていった。経営学と発達科学を架橋させた論文、教育哲学に関する論文、音楽理論に関する論文など、かなり雑多なものを読み進めていった。
おかげで、デスクトップが随分と綺麗になった。もう少し論文が残っているため、それは帰りの列車の中で読み進めていきたいと思う。また、いくつか印刷をしてじっくり読むべき論文も混じっていたため、それらについてはどこかのタイミングで印刷をしたいと思う。
改めて音楽というのは、耳を楽しませ、心を楽しませ、魂を楽しませるためにあるのだということを思う。それらをどのようにどれほど楽しませるかの理論体系が音楽理論なのだろう。
音楽理論を学ぶ意義をここに見出せそうだ。耳、心、魂を楽しませる音楽を作るためにそれがあるという認識を絶えず持ちながら、これからも音楽理論を少しずつ学んでいきたい。
今、屋根から滴る雨音が聞こえて来る。もう雨は止んだはずであり、おそらくは、先ほどまで降っていた雨が屋根から滴り落ちてきているのだと思う。
その音に耳を傾けていると、意識がくつろいでいく。自然音の中には、一音成仏をもたらすものが多くある。雨の音、小鳥の鳴き声、そよ風の音しかり。
一方、人工音に関しては、どうもそうした意識状態をもたらさないものが多いことに気づく。ここからも、自然の偉大さを知り、人間がそうした音を作ることの難しさを知る。
今日もパリの街中を歩いている最中に、様々な音が聞こえてくるだろう。すでに想像しているが、ラヴェルが生活をしていた場所の周辺は、優しく美しい自然音が溢れているに違いない。
今後は街中を歩く際には、街の景観のみならず、人工音の性質にも意識を向けてみようと思う。人工音の中で心地よく聞こえるものがあるとすればそれはどのようなものなのか、有害だと思える音の性質はいかようなものなのか。そうした観点を持って街を歩くことにする。パリ:2019/3/1(金)07:46
No.1725: Paris After the Rain
It stopped raining.
I’ll leave the hotel shortly to go to two music sheet stores. Then, I’ll visit the Debussy museum. Paris, 09:03, Saturday, 3/2/2019
3903.【パリ小旅行記】Gare Montparnasse駅の構内より
今私は、パリ市内のGare Montparnasseという駅にいる。これから、ラヴェル博物館の最寄の駅であるモンフォール・ラモリーという駅に向かう。
ホテルを早めに出発し、メトロに乗ってメトロ専用のMontparnasse駅までは無事にこれたのだが、そこから乗り換えをするために一度地上に出て、今いる駅に来るまでに少々手間取ってしまった。外は小雨が降っており、それでいて風が強く、手にコーヒーを持っていたことから、地図を見ながら歩くことが難しかった。
そうしたこともあり、予定よりも遅くこの駅に到着してしまい、当初乗る予定だった列車を逃してしまった。駅に向かう途中でそうなるであろうことが予想できたため、もはや焦ることなく駅構内に入った。
乗る予定の列車は一時間に一本のものなので、今は駅構内の休憩所の椅子に腰掛けながらこの日記を書き留めている。パリ北駅にせよ、今いる駅にせよ、整備が行き届いており、内装は比較的綺麗だ。ただし、市内のメトロ駅は大抵汚く、車内の中も清潔感はさほどない。
今から数ヶ月前にボストンを訪れた時に、ボストン市内の地下的駅も随分と汚れている印象を持った(そこからさらに数ヶ月前に訪れたロンドンの地下鉄も似たようなものであった)。地下鉄に関しては日本の方が圧倒的に清潔な印象を与える。パリもボストンも、地下鉄を綺麗にするためにお金を使おうという発想がないのかもしれない。
そのようなことをぼんやりと考えながら列車を待っている。列車に乗るのが一時間遅れたことに伴い、駅構内の売店で昼食を購入しておいた方がいいかもしれない。
昨夜の夕食の件があるため、あまりレストランで食事をしたいとは思わなくなってしまった。今腰掛けている場所の直ぐ近くにコンビニのような小さなスーパーがあるため、そこでサンドイッチか何かを購入したいと思う。
これから向かうモンフォール・ラモリー駅に到着してからは30分ほど歩く必要があるため、事前に軽食を摂っておくのもいいだろう。これから向かう駅からラヴェル博物館までの道のりを調べてみると、随分と田舎道を歩くことになりそうだ。
田んぼ畑が広がっているような道をゆっくりと歩いていく。博物館近くには教会があるらしく、それはその街のシンボルのようだ。そこは本当に小さな街であるから、とても落ち着いた環境であることを期待する。
コーヒーを飲んでぼんやりとしていたり、駅構内の様子や、行き交う人々の様子を観察していると、列車が到着するまであと30分ほどになった。一時間というのは本当にあっという間なのだということがわかる。
もう少し時間があるので、昨日書いた日記を編集したり、持参した作曲ノートを読み返すことを行いたいと思う。ラヴェル博物館とその周辺を散策することにどれだけ時間を充てるかわからないが、三時半あたりの列車でパリ市内に戻ってこようと思う。
体力がどれだけ残っているかを見て、そこから楽譜専門店に足を運び、夜ホテルの自室に戻ってきたら一曲ほど曲を作りたいと思う。結局今朝は曲を作る時間を取ることができなかったので、帰ってからゆっくりと時間を取って作曲をしたい。パリ:2019/3/1(金)10:29
【追記】
私は、メトロ専用のMontparnasse駅から一度地上に上がってGare Montparnasse駅に向かったのだが、帰りにわかったのは、地上に出る必要はないということだった。パリ:2019/3/2(土)19:44
No.1726: An Etude of Drizzle
Although I thought it stopped raining, it seems to still drizzle.
After I keep a journal, I’ll leave the hotel for a music sheet store. Paris, 09:33, Saturday, 3/2/2019
3904.【パリ小旅行記】ラヴェル博物館を訪れて
今、モーリス・ラヴェルが1921年から1937年に生涯を閉じるまで生活をしていたモンフォール・ラモリーの駅でこの日記を書いている。
今日の早朝は時折小雨が降っていたが、パリ市内からモンフォール・ラモリーの駅に到着する頃には雨が止み、駅からラヴェル博物館までは傘をささずに済んだ。駅からラヴェル博物館までは歩いて30分以上かかるが、目的地に辿り着くまでの道は大変のどかで清々しかった。
ラヴェル博物館のウェブサイトを確認した際に、この博物館に入るためには事前予約が必要であり、それは現地でも可能であると聞いたので、まずは観光案内所に向かった。しかし、携帯の地図上に保存していた場所はどうやら観光案内所ではなく、一軒の古びたホテルであった。
最初私は、ホテルの看板を見ずに建物の中に入ったため、一歩足を踏み入れるまではそこがホテルであると気付かなかった。どうやらそこが観光案内所ではないことがわかると、私はすぐにホテルを出た。
だが、観光案内所がどこにあるのかを探す必要があり、そこで少し立ち往生していると、ホテルの受付の中年女性がタバコを吸いに外に出てきたため、彼女に聞いてみるとことにした。
すると、とても親切に、フランス語混じりの英語で観光案内所の場所を教えてくれた。「ちょっと待ってて」と述べてその方はホテルの中に戻り、しばらくして戻ってくると、ラヴェル博物館のパンフレットと街の地図を私に渡してくれた。
その方の親切な行動に私はとても感謝をし、お礼を述べた。いただいた地図を頼りに観光案内所に向かうと、ちょうど昼食どきだったためか、案内所の明かりが消されており、中には誰もいなかった。
フランス人は昼食を大切にするという話を聞いたことがあり、おそらくランチ休憩だろうと思った私は、ちょうど自分もお腹が空いていたので、レストランを探すことにした。当初の予定では、パリ市内の駅でサンドイッチを購入しようとしたが、あまり美味しそうではなかったのでそれを買わずじまいであった。
昨日のディナーのタイ料理屋での失敗があったため、今回は慎重にレストランを選んだ。店の中に真っ当な格好をした客が何人かいることを手掛かりにし、良さそうなフレンチレストランに入った。
そこは街のシンボルである教会のすぐ近くにあるレストランだ。店内に入ると、すぐに店員に席を案内してもらい、メニューを眺めた。
周りの人が食べているものを見る限り、このレストランは当たりであることがわかった。私は、グリーンサラダと魚料理を注文することにした。
席について、ラヴェル博物館のパンフレットを眺めていると、しばらくして料理が運ばれてきた。見るからに美味しそうな料理であり、実際に美味であった。
観光案内所の職員がランチ休憩を終えるまでもう少し時間があるだろうと思ったので、食後のコーヒーとしてエスプレッソを注文し、それをゆっくり飲んだ。このレストランは、店員の対応、そして料理の味ともに大変満足できた。
レストランを後にした私は、教会の全景を立ち止まってしばらく眺め、その後、観光案内所に向かった。観光案内所に再び行くと、今度は明かりが灯っており、中に職員が一人いた。
挨拶をしてすぐに、ラヴェル博物館の予約をしたいとお願いしたところ、なんと平日は一切開いておらず、土日しか中を見学できないようだった。ウェブサイトの情報を私は誤解していたようであり、中を見学することができなくて残念だったが、外観とその周りの雰囲気を確かめに、ラヴェル博物館に向かった。
目的地に到着してみると、周りは小鳥の鳴き声が聞こえる静かな場所だった。そして驚いたことに、ラヴェルは人一倍小柄だったためか、そこはとても小さな家だった。
ラヴェルの友人であった指揮者のマニュエル・ロザンタールは、ラヴェルの家のことを「あずま屋ほどの小さな家。その外観は、まるで無造作に切り取られたカマンベールチーズのようだ」と形容している。
ロザンタールの指摘どおり、極めて小さい家であることに私は驚いた。しかし、家からの眺めは素晴らしく、街のシンボルの教会を見下ろすことができ、近くの牧場を眺めることができる。
私はしばらく、ラヴェルが吸っていたであろう同じ空気を吸いながら、同じく彼が眺めていたであろう景色をぼんやりと眺めていた。ラヴェルが作曲に集中するために、このような静かな生活環境を選んだことには大変共感する。
私はこれまで、数多くの作曲家の旧邸を訪れたが、自然を感じられる場所で曲を作った作曲家と、都市部で生活をしながら曲を作った作曲家に分かれるように思う。前者に関しては、ラヴェル以外にも、ノルウェーのグリーグや、フィンランドのシベリウスなどがいる。
確かに、ラヴェルが生活をした場所も静かで趣があったが、より豊かな自然の直ぐ近くで曲を作っていたのはグリーグやシベリウスだろう。
以前の日記の中で、どのような環境に身を置くかによって、環境からのフィードバックが異なり、それによって内側から形となって外に出てこようとするものが必然的に異なることについて言及していたように思う。まさにラヴェルは、先ほど足を運んだモンフォール・ラモリーの街が喚起する固有の感覚を通じて作曲をしていたのだろう。
今後ラヴェルの曲を聴く際には、今日見た光景、およびそこで感じた様々な感覚が喚起されるに違いない。今日の体験は、これからラヴェルの曲を深く理解していくための貴重な原体験になったと思う。モンフォール・ラモリー:2019/3/1(金)15:16