タイトル一覧
3893. 自己を深める孤独さについて
3894. 今朝方の夢
3895.【パリ小旅行記】フローニンゲンを出発した列車の中より
3896.【パリ小旅行記】パリに向かう列車より
3897.【パリ小旅行記】死都と化す世界の大都市
3898.【パリ小旅行記】三年ぶりに白米を食べて
3899.【パリ小旅行記】進行する人類家畜化現象
3900.【パリ小旅行記】過食の危険さ:「全ての創造は旅である」
3893. 自己を深める孤独さについて
時刻は午前六時半を迎えた。今日からいよいよパリ小旅行が始まる。
午前十時をめどに自宅を出発し、10:48フローニンゲン発の列車に乗る予定である。自宅をその時間に出発すれば、駅で昼食とコーヒーを購入する十分な時間があるだろう。
今は霧が辺りを包んでいるが、この霧も徐々に晴れ、自宅を出発する頃には視界も良好になっているだろう。
パリ滞在の初日の今日は、パリに到着するのが午後四時半ということもあり、今日は市内の散策程度に留めようと思う。パリ北駅から歩いて数分のところにあるホテルに滞在することになっており、荷物を置いたら、まずはパリ市内の東部にある楽譜専門店に足を運ぼうと思う。
そこは午後七時半まで開いているようなので、とりあえず本日訪れてみようと思う。閉店まで二時間弱ほどの時間を使って楽譜を吟味することになるが、仮に時間が足りなければ、また後日この店を訪れることにしたい。
今回の滞在期間中には、合計で三ヶ所の楽譜専門店に足を運ぶ予定でいる。残り二つに関しては、パリ市内の西部にあり、二つの店はほぼ隣接している。それらの店には、土曜日に訪れようと思う。
その日はその他にもドビュッシー博物館に行くことをメインにしているが、そこは土曜日は午後の三時からしか開かない。そうした事情もあり、土曜日の午前中は二店の楽譜屋に立ち寄り、そこでゆっくりと楽譜を吟味した後に、ドビュッシー博物館に向かう。
天気予報を確認すると、パリ滞在中はそれほど天気が良くないようである。だが、昨日の予報と今日の予報を確認すると、予報の内容が随分と異なっており、天候の変化が激しいようだ。パリ滞在中は、できるだけ良い天気を楽しみたいものであるが、小雨の降るパリもまた一興だろう。
早朝にふと、孤独について考えていた。フローニンゲンにやってきた一年目においては、非常に強い実存的孤独感に苛まれることがあったが、二年目以降からはそうした孤独を感じることはほとんどなくなった。
今この時点においても、最初の年に感じていたような孤独感はない。ひょっとすると孤独感というのも、発達するものなのかもしれない。
いや、孤独を通じて私たちは発達し、その結果として、孤独というものに対する意味付けと受け取り方が変容していくのかもしれない。孤独さには種類があることは確かだが、自己と向き合うために必要な孤独というものがあり、経験上、そうした孤独さの中で自己は深まっていくと言えるように思える。
森有正先生は、真に自己を深めてくれる国外の生活においては、絶対的な孤独があると述べていたのを思い出す。数年前に一度、一年ほど日本で生活をしていたことがあり、その時にも孤独感を感じていたが、その時の孤独感と欧州で体験したそれはどことなく異なる。
日本で経験していた孤独さもそれなりの強さを持っていたが、結局そうした孤独さは、日本との癒着関係から生み出されていたものであるように思う。一方、欧州で体験したそれは、物理的にも精神的にも日本と切り離されることによって生まれた孤独感、あるいは母国との関係性が断たれたことによって初めて見えてくる自己の固有性を突きつけられることによって生まれた孤独感だったと述べていいかもしれない。
そのようなことを考えながら、今の私はそうした孤独感をもはや感じていないことに気づいていた。それは幸運なことなのか、不幸なことなのかわからない。
上述の通り、自己を深めるために必要な孤独というものは必ず存在しており、それを体験できないというのは不幸なことであるかもしれない。一方で、過去の孤独感を乗り越え、それによって自己を深めることができたのであれば幸運だと言えるかもしれない。
いずれにせよ、また別種の孤独感が自分の前に現れる日が来るだろう。そのような予感がする。フローニンゲン:2019/2/28(木)06:50
3894. 今朝方の夢
先ほどまで孤独さについて文章を書いていたが、なぜ今朝方突如、その話題が自分の内側で浮上したのかは定かではない。もしかすると私は、新たな孤独さを必要としている時期に差し掛かっているのかもしれないと思う。
欧州生活の二年目以降からは、実存的な孤独感というものが弱まっていき、三年目はそうした孤独感を感じることはほとんどなかったように思う。実存的な孤独感の先に至ったという感覚があり、絶えず平穏さの漂う精神生活を送っていたように思う。
だが、フローニンゲンでの生活に一旦区切りをつけようとしている自分を見ると、新たな生活地において、これまでよりも一段深い孤独感と向き合う必要性を無意識的に感じているのかもしれない。そうした事情があって、今朝方私は、孤独感についてふと考えていたように思う。
今朝方の夢についてまだ振り返りをしていなかったので、夢の内容を書き留めておきたい。ただし、今朝方の夢の内容はほとんど記憶に残っていない。
夢の中で私は、幾層にも階が連なる不思議な駅にいた。その駅の最上階に私はいて、そこから目的地に向かおうとしていた。
どうやら私は列車に乗ってこの駅にやってきたようであり、これから駅の階を降りていき、地上からは歩きで目的に向かうことになっていた。駅の最上階にはガラス窓があり、そこから下の様子を眺めると、その階の高さも手伝って、眼下を眺めることに幾分恐怖感があった。私は、高いところがあまり好きではない。
窓越しに外を少し眺めた後、とりあえず私は一階に向かうことにした。エレベーターを使って下に降りようと思ったのだが、エレベーターが到着するまでに時間がありそうだった。
また、エスカレーターを使いながら、徐々に高度を下げつつ外の景色を楽しもうという思いがあったため、私はエスカレーターを使って一階に降りることにした。当然ながら、エスカレーターは上に行くものと下に行くものの二つに分かれていたのだが、どちらのエスカレーターも、人がひとり立てるかどうかのスペースしかなかった。
厳密に言えば、両足を横に揃えて立つことができないほどの狭さであり、両足を縦にしなければならなかった。そしてこのエスカレーターの最大の特徴は、一度エスカレーターに足を置くと、一気に進むことであった。
下りのエスカレーターに足を乗せた瞬間に、一気に下の階まで運ばれていくのは爽快ではありながらも、幾分恐怖感を伴うものであった。私は怪我をしないように、立ってエスカレーターに乗るのではなく、しゃがんでエスカレーターに乗った方が良いと判断し、そのような姿勢でエスカレーターを下って行った。
今朝方はそのような夢を見ていた。今朝はその他にも夢を見ていたのであるが、その内容についてはどうも思い出せない。
今日からパリ小旅行が始まり、旅行期間中にどのような夢を見るのか、あるいは夢を見ないのかを含め、無意識がどのような動きを見せるのかは楽しみである。滞在中に何かしらの夢を見たら、普段と同じように、起床してできるだけすぐに文章として書き留めておきたいと思う。
すでにパリ旅行に向けた準備を終えているため、今日はこれから早朝の作曲実践をし、その後、少しばかり読書をしたい。その際には、エリック・フロムの”The Anatomy of Human Destructiveness (1973)”を読んでいこうと思う。
自宅を出発するまでは、普段と同じような生活を送っていく。フローニンゲン:2019/2/28(木)07:08
3895.【パリ小旅行記】フローニンゲンを出発した列車の中より
たった今、スキポール空港行きの列車に乗った。列車は間もなく出発する。
これからスキポール空港に行き、飛行機ではなく、空港駅からThalysという特急列車に乗ってパリまで行く。途中で乗り換えることなく、アムステルダムからパリまでは一本で行く。
先ほど自宅を出発した際に、これから始まる旅に対して心高鳴る様子もなく、まるで近所のスーパーに行くかのような気持ちになっていたことは興味深い。「旅に擦れてしまった」というよりも、この人生における日々が常に旅である境地に至っているように感じる。
実際に、日々常に新たな発見と気づきがあることを考えると、毎日は旅のようであると捉えて問題ないように思えてくる。朝目覚めてから新たな旅が始まり、夜寝るときにその日の旅を終える。そうした毎日が繰り返されていく。
現在、フローニンゲンで生活をしているのは、旅のひと休憩に過ぎないということがわかってくる。これから私はまた新たな生活地で、新たな旅を始めるだろう。
この三年間は特に平日と休日の境目がなく生活を送っているため、今日が平日の木曜日であるという実感が湧かない。オランダの一つの良さは、平日であっても、時間の流れがせわしなくなることがないということだろう。
実際に、午前11時を迎えようとしている今において、フローニンゲンの街を包む雰囲気、そして列車の中の雰囲気は、とても落ち着きがある。そうした中、私はパリに出かけていく。
たった今、列車の出発を伝える汽笛が鳴らされた。フローニンゲンに流れる時の穏やかと同じように、列車が緩やかに出発した。
ここ数日間は、本当に息を呑むほどの美しい青空が広がっていたが、今日は曇りのようだ。早朝には深い霧が出ており、気温もここ数日に比べて低かった。
おそらく、フローニンゲンからどこかに向けて旅に出かけるのは、今回が最後となるのではないかと思う。この夏からの生活地が決定するのはもう間もなくであり、この初夏にはフローニンゲンを離れる予定だ。
そう考えてみると、私がなぜパリを最後の旅行先として選んだのかは定かではない。もちろん、初夏までに時間があれば、まだ訪れたことのない場所の中で、ぜひ足を運んでみたい場所に行くこともあるかと思うため、今回がフローニンゲンを起点にして行う最後の旅かどうかは不確かである。とはいえ、最後になりうる可能性は十分にあるため、それを踏まえて今回の旅を味わいたい。
早いもので今日で二月が終わる。明日からはいよいよ三月になる。パリで三月を迎えることになるとは思ってもみなかった。
今回の旅を通じて、二年半前にパリを訪れた自分と現在の自分との差分を確かめたい。この二年半の間に、自分はいかような変貌を遂げたのであろうか。その答えはすべてパリの中にある。
パリで得られる感覚の中に、自己の変貌を見て取ることができるだろう。その他にも、今回のパリ旅行を通じて、自己についてどのような発見があるか楽しみである。
今回の旅は、どこか日常の延長線上にありながら、それでいてやはり非日常性を含んだものなのだと感じる。日々の中に常に存在する日常性と非日常性の双方に気づき、それら双方から恩恵を受ける日々がこれからも続いていくだろう。スキポール空港に向かう列車の中:2019/2/28(木)10:57
3896.【パリ小旅行記】パリに向かう列車より
スキポール空港駅に到着し、Thalysに乗り、今ロッテルダムに到着した。Thalysの内装はとても綺麗だが、外装が汚いのは勿体無い。
ここからブリュッセルとアントワープを経由して、パリに到着する。およそ三時間ほどの列車の旅だ。
今朝方、協働者の方からレポートのレビューの依頼があり、スキポール空港までの車内の中で一度目のレビューを行い、つい先ほど二度目のレビューを行った。パリのホテルに着いたら、レビュー済みのファイルを送ろうと思う。
つい先ほど、レポートをレビューしている時に、不思議な感覚に陥った。端的には、デジャブ体験をした。
車内の赤いシートと、そのうちの一つに腰掛けて仕事をしている自分に対して既視感があった。それはいつかの夢の中で見た光景とそっくりである。それがいつの夢かは覚えていないが、確かその夢の中では、車内で良い意味での驚きがあったのを覚えている。
これからフランス語圏に入ってくるためか、今切符の確認があったときに、車掌はオランダ語とフランス語の双方を話していた。久しぶりにオランダ語圏の外に出るため、普段慣れ親しんでいる言語空間から外に出たときに、いかなる感覚的変化が見られるかは楽しみだ。
今日はホテルに到着してから余裕があれば、一曲ほど曲を作りたいと思う。今朝は午前十時に自宅を出発したにもかかわらず、五時半前に起床していたためか、出発前に二曲ほど曲を作ることができた。
この旅の最中においても、ホテルにいるときは積極的に曲を作りたいと思う。それに合わせて、もちろん日記も執筆していく。
数日前に、創造活動と未知との出会いについて書き留めていたように思う。日記を綴ることにせよ、作曲をすることにせよ、そこには未知との遭遇の楽しみがありながら、同時に、その最中における造形の楽しみがあることを忘れてはならない。まるで彫刻を彫って一つの形に辿り着くかのような楽しみがある。
未知との遭遇というのは、文章や曲のピリオドを打った時に現れるものであり、時にはそのプロセスの中にも未知性が滲み出てくることがある。また、造形の楽しみは、言わずもがな創造活動の最中に起こるものである。
このように、創造活動には二重にも三重にも楽しみがあることを見て取ることができる。今後は、言葉と音楽の持つ造形作用をいかにこの社会に還元していくかを、より真剣に考えていくフェーズがやってくるだろう。
オランダ語とフランス語、そして英語での車内アナウンスがあった。それは車内にあるバーの案内であり、Thalysに乗り慣れている乗客たちは、バーがどこにあるのかをすでに知っているようであり、彼らはビールを片手に嬉しそうな笑みを浮かべて戻ってきた。
フローニンゲンからスキポール空港へ向かう車内とは異なり、少しばかりビジネスパーソンが増えた印象であり、ビールを飲む乗客以外には、仕事に勤しむ人たちの姿を見かける。列車の走る低音と、パソコンを叩く音が聞こえて来る。
この日記を書き終えたら、持参した作曲ノートを読み返したい。先ほども列車を待っている間にノートを読み返していた。
このノートを作って良かったと思うのは、それを読み返すたびに、必ず新たな発見があることである。また、このノートはコンパクトであるため、持ち運びに便利であり、ちょっとした隙間時間にノートを読み返すことができる。
単語帳を読み返すかのような感覚で、この旅の最中のみならず、今後もこのノートを読み返し、そこに記載されいる事柄を完全に習得したいと思う。パリに向かう列車の中:2019/2/28(木)14:18
スキポール空港駅に到着し、Thalysに乗り、今ロッテルダムに到着した。Thalysの内装はとても綺麗だが、外装が汚いのは勿体無い。
ここからブリュッセルとアントワープを経由して、パリに到着する。およそ三時間ほどの列車の旅だ。
今朝方、協働者の方からレポートのレビューの依頼があり、スキポール空港までの車内の中で一度目のレビューを行い、つい先ほど二度目のレビューを行った。パリのホテルに着いたら、レビュー済みのファイルを送ろうと思う。
つい先ほど、レポートをレビューしている時に、不思議な感覚に陥った。端的には、デジャブ体験をした。
車内の赤いシートと、そのうちの一つに腰掛けて仕事をしている自分に対して既視感があった。それはいつかの夢の中で見た光景とそっくりである。それがいつの夢かは覚えていないが、確かその夢の中では、車内で良い意味での驚きがあったのを覚えている。
これからフランス語圏に入ってくるためか、今切符の確認があったときに、車掌はオランダ語とフランス語の双方を話していた。久しぶりにオランダ語圏の外に出るため、普段慣れ親しんでいる言語空間から外に出たときに、いかなる感覚的変化が見られるかは楽しみだ。
今日はホテルに到着してから余裕があれば、一曲ほど曲を作りたいと思う。今朝は午前十時に自宅を出発したにもかかわらず、五時半前に起床していたためか、出発前に二曲ほど曲を作ることができた。
この旅の最中においても、ホテルにいるときは積極的に曲を作りたいと思う。それに合わせて、もちろん日記も執筆していく。
数日前に、創造活動と未知との出会いについて書き留めていたように思う。日記を綴ることにせよ、作曲をすることにせよ、そこには未知との遭遇の楽しみがありながら、同時に、その最中における造形の楽しみがあることを忘れてはならない。まるで彫刻を彫って一つの形に辿り着くかのような楽しみがある。
未知との遭遇というのは、文章や曲のピリオドを打った時に現れるものであり、時にはそのプロセスの中にも未知性が滲み出てくることがある。また、造形の楽しみは、言わずもがな創造活動の最中に起こるものである。
このように、創造活動には二重にも三重にも楽しみがあることを見て取ることができる。今後は、言葉と音楽の持つ造形作用をいかにこの社会に還元していくかを、より真剣に考えていくフェーズがやってくるだろう。
オランダ語とフランス語、そして英語での車内アナウンスがあった。それは車内にあるバーの案内であり、Thalysに乗り慣れている乗客たちは、バーがどこにあるのかをすでに知っているようであり、彼らはビールを片手に嬉しそうな笑みを浮かべて戻ってきた。
フローニンゲンからスキポール空港へ向かう車内とは異なり、少しばかりビジネスパーソンが増えた印象であり、ビールを飲む乗客以外には、仕事に勤しむ人たちの姿を見かける。列車の走る低音と、パソコンを叩く音が聞こえて来る。
この日記を書き終えたら、持参した作曲ノートを読み返したい。先ほども列車を待っている間にノートを読み返していた。
このノートを作って良かったと思うのは、それを読み返すたびに、必ず新たな発見があることである。また、このノートはコンパクトであるため、持ち運びに便利であり、ちょっとした隙間時間にノートを読み返すことができる。
単語帳を読み返すかのような感覚で、この旅の最中のみならず、今後もこのノートを読み返し、そこに記載されいる事柄を完全に習得したいと思う。パリに向かう列車の中:2019/2/28(木)14:18
3897.【パリ小旅行記】死都と化す世界の大都市
パリに無事に到着し、今、滞在先のホテルの自室でこの日記を書いている。定刻通り、午後四時半過ぎにパリ北駅に到着し、まずはそこからホテルに直行した。
旅行先の国では路上でWifiに繋がらないことがよくあるため、GPS付きの携帯アプリを活用することは大抵できず、いつも事前にダウンロードした地図を頼りにホテルを探す。今回の滞在先は、パリ北駅から歩いて数分のところであり、道も単純(駅から左に出て二つ目の道を曲がるだけ)だと思っていたのだが、少々迷ってしまい、少しばかり時間を食ってホテルに到着した。
ホテルの受付の中年女性はとても親切であり、英語で色々と説明をしてくれた。その方が英語で話をするのを聞いていると、「今から数十年以上も前は、フランス語が幅を利かせていた時代もあったはずなのに」という思いを持った。それはもちろん、国際的なフランス語の凋落と、英語の侵食の進み具合に対する思いだ。
今回の滞在先は、それほど不便しないほどのスペースの勉強机が備わっており、それに浴槽がある。部屋も綺麗であるため、滞在中は何一つ不自由はしなさそうである、というのが第一印象であった。
ホテルの自室に荷物を置き、まだ時間があったので、パリ東部の楽譜専門店にちょっと足を伸ばそうと思って携帯で検索をしている最中に、突然雨が降り始めた。最初は小降りであったが、突如雨脚を強め、ホテルから30分ほど歩いた距離にある楽譜屋に行くのが億劫に思えてきてしまった。
また、少し早いがお腹も空いてきていたので、楽譜屋に行くのは土曜日の朝にすることにし、事前に調べていたタイ料理屋に行くことにした。ホテルからタイ料理屋に向かっている最中、やはりパリ市内はとても汚いという印象を私に与え続けていた。これは二年半前にパリを訪れた時にも感じていたことである。
また、道を行き交う人たちの人種や風貌などを見ていると、幾分危険な匂いが漂ってくる。それはもちろん、アムステルダムの街中のように、文字通り、マリファナの気持ち悪い匂いが漂ってくるというのではなく、どこか気を抜いてはならないという自己防衛を促す匂いという意味だ。
今回私がパリに訪れたのは、国立ピカソ美術館と、ラヴェルとドビュッシーの博物館に訪れるためであり、好き好んで都会に来たわけではない。おそらくパリの本当の良さを知るには、このようにパリ市内の中心部に宿泊するのではなく、パリ郊外に滞在するのが良いのだろう。
パリ市内が喚起したものは、やはり二年半前と同じであり、「ここに住むことだけは是が非でも避けたい」という思いであり、ニューヨークのマンハッタンや東京の都心部と同様に、人が人として健全に生活を送るための場所ではないことが改めてわかる。
これまでいくつもの世界の主要都市に訪れたり、実際にそこで生活を営んできたが、現代の文明社会において、大都市というのは軒並み「死都(ネクロポリス)」と化しており、人間が健全な精神生活を営むような場所ではなく、せいぜい家畜化された人間が生活をするような場所に成り果てているという印象を受ける。
タイ料理屋に行く最中、道行く人たちを見ていると、現代社会は残酷にも、ここまで家畜化された人間を大量生産し、それを野放しにしているのかと幾分暗澹たる気持ちにさせられた。パリに再訪した最初の印象は、概ねそのようなものになる。パリ:2019/2/28(木)20:28
3898.【パリ小旅行記】三年ぶりに白米を食べて
時刻は午後八時半に近づきつつある。もう少し日記を書き留めたら、今日来たメールに返信をして、早めに就寝をしたい。
今日は三年ぶりの体験をした。それは何かと言うと、白米を食べたことだ。
正直なところ、白米を食べることがここまで拒絶反応をもたらすものになるとは思ってもいなかった。
事前に調べたタイ料理屋をすぐに見つけることができ、店の中に入ると、客は誰一人としていなかった。私が店に到着したのは午後の六時であり、現地人にとっては夕食時間には早い頃だったのかもしれない。
店内に入ると、タイ人らしき店員がフランス語で挨拶をしてきた。私はフランス語が話せないため、「こんにちは」程度の挨拶だけフランス語で行い、そこからは英語で会話をした。
今回この店を訪れるのが初めてであったから、メニューについて一通り説明を聞いた後に注文をした。一応、その店員の説明を理解して注文をしたのだが、少し思っているのとは異なる雰囲気の料理が運ばれてきた。
メインディシュとして運ばれてきたのは、豚肉を使った料理なのだが、その半分が大量の白米であり、私は面食らった。すぐに箸をつけてみると、日本の白米のようにふっくらと焚かれておらず、それでいてタイ米のようにパサパサしているわけでもなく、白米の塊が妙に不気味に思えた。
味に関しては、豚肉の部分やパクチーの味は美味しかったのだが、白米があまりにも多く、途中からはお腹いっぱいになってきてしまった。
最後に白米を食べたのはいつだったかを振り返ってみたときに、二年前の年末に実家に帰ったときにも、我が家では基本的に玄米を食べる習慣になっており、あの時は白米を食べなかったように思う。そうなってくると、最後に白米を食べたのは、三年前に日本で生活をしていた時、どこかに外食をした際に食べて以来のことではないかと思った。
日本で生活をしている時に、自宅で料理をする時には、それと一緒に食べる米は十五穀米であったから、白米を最後に食べたのがいつか思い出せないぐらいであった。
これは私の直感だが、白米はどうも消化器官や脳にあまり良くない影響を与えるのではないかと思う。食べてすぐに感じたより直感的なことは、身体エネルギーの流れを間違いなく滞らせるというものだった。
白米を食べることによって、身体が重くなり、身体エネルギーの循環が滞るような感覚があったのである。それに加えて、店内で流れているロック系の低音の音楽が、さらに食欲を減退させていった。
言うまでもないが、音楽に関しても、それは私たちの身体エネルギーに直接左右するため、どのような音楽をどのようなタイミングで聞くのかは注意が必要であろう。
このタイ料理屋は、ウェブサイトで見る限りは期待が持てたのだが、総合的にそれほど満足の行くものではなかった。白米によって相当にお腹が膨れ上がってしまったので、少し休憩してから、腹ごなしに、少し遠回りして散歩しながらホテルに帰ることにした。
帰り道、目にするレストランの中を覗いてみると、軒並み客の数が少ないことに驚いた。時刻は七時に近づいていたため、もう少し客がいてもいいと思ったのだが、どの店も本当に客が少なかった。
パリの現地人の夕食はもっと遅い時間から始まるのだろうか。そうであれば納得がいくが、そうで無い場合には、パリ市内のレストランの経営は大丈夫なのだろうかと心配してしまう。
ホテルへの帰り道、スーパーを発見し、そこで明日の朝食用の果物と水を購入した。果物に関しては、オーガニックのバナナ、リンゴ、そしてイチゴを購入した。
オランダは人間のみならず、果物も肥大化しているのか、パリで売られているオーガニックのバナナとオランダのそれは大きさが随分と異なり、パリのバナナはかなり小ぶりであった。また、普段世界一身長の高い民族に囲まれて生活をしていることもあり、パリ北駅に到着した際には、フランス人が随分と小さく感じられたことを覚えている。
とりとめもないことをつらつらと書いてきた。明日からは、レストランで夕食を摂るのではなく、近所のスーパーでヘルシーそうな惣菜を購入し、それをホテルの自室で食べることにする。パリ:2019/2/28(木)20:52
3899.【パリ小旅行記】進行する人類家畜化現象
時刻は午後の九時を迎えた。この日記を書き留めたら、パリ滞在の初日を終えるために、ゆっくりと就寝に向けた準備を始めようと思う。
旅に出かけると、やはり普段とは違う環境から刺激を受け、自分の内側に流れ込んでくるものがあるのか、やたらと言葉が溢れてくる。それらは確かに取り留めのないものだが、内側から外側に言葉の形になろうとしている生命であることに変わりがないため、それらをつぶさに言葉にしておきたいと思う。
先ほどの日記の繰り返しになるが、白米とは本当に本来人間が食べるものなのだろうか、と疑ってしまう。そういえば、今から六年前にロサンゼルスに住んでいた時、合気道の師匠から、「洋平さん、知っていましたか。白米が日本人の身体を弱体化させたんですよ」という話を聞いたことがある。
先生は、江戸時代かそこらの日本人は玄米を食べることを習慣にしていたようであり、だがある時から徐々に白米を食す習慣が生まれ——記憶が定かではないが、国家の施策でそうなったというような話だったように思う。記憶が曖昧なため、これについて改めて調べてみる必要がある——、それ以降、脚気などの栄養に関係する症状が日本人の身体に現れ始めた、というような話を聞いたことがある。
それがどこまで本当かはわからないが、白米が身体にもたらす負担や、身体エネルギーにもたらす好ましくない影響を先ほど直感的に感じたことは確かである。もしかすると、単に先ほどの私は白米を食べ過ぎたことによってそのように感じたのかもしれないが、何を主食にし、それをどれだけ食べるのかには注意が必要のようだ。
一つ間違いなく言えることは、脳を腐敗させ、知性を鈍化させ、寿命を縮めさせる最善の方法は過食だということだ。今日の夕食に、私はタイ料理店で出されたあまり美味しくない大量の白米を全部食べてしまった。
これも身を使った一つの実験——あまり繰り返したいくない実験——だと思い、そこから得られたことを今後の食生活に活かしたいと思う。とにかく過食は、身体及び精神に害がありそうだということがわかる。
言い換えると、脳と知性を育み、感覚を磨くためには、過食を避けなければならないことが見えてくる。現代の消費社会において、食べることも単なる消費活動に成り果てており、食欲という人間の欲求の中でも最重要なものと消費経済が紐づくことによって、現代人はますます食に駆り立てられ、その結果として、身体と精神を劣化させていく。そのような構図が見える。
しかも最悪なことに、現代社会においては、もはや人間の食べ物とは言えないような人工的な食物が多くの人間に際限もなく届けられ、人々はそれらを食らうことに飼い慣らされている。こうした点においても、現代社会において、人類家畜化現象がどうしようもないほどに進行していることが窺える。
今、パリのホテルの自室でこの日記を書いているが、本来静かで平穏な自然の中で生活をすることを望む私が、時折、大都市にやってくるのはもしかすると、現代社会の絶望的な姿を目に焼き付けるためなのかもしれない。
できるだけこの世界の大都市には心身を晒したいくないというのが正直なところだ。仮にこの夏日本に一時帰国する際にも東京を避け、北海道で過ごすことにしようとしているのは、まさにそした思いの表れだろう。
だがそうだとしても、私は時々、このようにして世界の主要都市に出かけているのは、この現代の救いようのない姿を目に焼き付けるためなのだろう。実際には目に焼き付けるだけではなく、それを汚物だと分かった上で、あえて心身に触れさせるようなことを行っている。
一見するとやめればいいことをなぜ今の私が行っているかというと、こうした救いようのない側面が現代社会には色濃く存在しているからである。さらに、それは拡大の方向に向かい続けており、それから目を背けて生きることは、決して現代という時代に向き合って生きていることを意味せず、そのような状態で行う社会関与は表層的なものにとどまるであろうことを知っているからだ。
世界の主要都市を見ていると、それは救いようのないほどに汚染されており、絶望的な気持ちになるが、そうだとしても、それを直視し続けることを通じて、この世界に関与し続けていく。パリ:2019/2/28(木)21:41
3900.【パリ小旅行記】過食の危険さ:「全ての創造は旅である」
さすがにもう日記を書くことはやめようと思ったが、まだ書き足りないので、出てくるものは最後まで形にしておきたいと思う。やはり、今日の夕食に食べたタイ料理は失敗であった。
というよりも、大量の白米が目の前に出された時に違和感を感じ、そして途中で満腹感を感じたのだから、それを全部食べる必要などなかったのだ。途中で食べることをやめるという意思の強さが欠けていたのかもしれない。
出された食べ物はできるだけ綺麗に食べたいというのは、私の内側に常にある思いであり、実際に食べ物を無駄にするのは望ましくないが、そうした思いすらも、これまでの私が生きて行く中で獲得した思い込みなのかもしれない。
食べ物を全部食べることを良しとするのは、日本の文化的な産物の一つなのかもしれない。それはもちろん、他国においても見られるかもしれず、はたまた、現代社会に広く見られる発想なのかもしれない。
いずれにせよ、タイ料理屋から外に出た時に、今のような満腹の状態で人に襲われたら的確に対処できないと思っていた。今から八年前にアメリカに渡って以降、できるだけアルコールを外で飲まないようにし、満腹を避けるようにしているのは、身体と脳が常に通常通りに稼働することを確保するためであり、万が一の出来事に備えての自己防衛的な理由による。
今日はその決まりを破り、少々食べ過ぎてしまったことを反省する。二年半ぶりのパリの初日に、まさかこのような反省をするとは思っていなかった。
だがこの反省は大事なことのように思えるため、明日からは食べ過ぎには注意したい。これは旅先だけではなく、普段の生活からも心がけて行くべきことである。
私は普段、昼食と夕食は腹八分よりも少なく、69%〜74%ぐらいの量を食べるようにしているが、今日の夕食は92%ぐらいであった。感覚的に、87%を超えると危険だ。
それ以上食べると、心身に悪い影響がもたらされるという危険信号が現れる。また、ここ最近は、どれくらいの量を食べるかという問題のみならず、いかなる質のものを食べるのかということにも感覚が磨かれつつある。
もはや、人間が食べるものとそうではないものの区別は明確であり、人間が食べるものの中でも質的に様々な差があることもわかってきている。食に関しては言いだすときりがないが、話は単純であり、私は質の高いものを適度な量摂るということを心がけるようにしていきたいと思う。
質の低いものを食べないこと、仮に質の高いものであったとしても、それを無駄に食べないこと。どちらも自らの意思で判断できないのであれば、それは自分が飼い馴らされた家畜であるという証だろう。
夕方にホテルに到着した時、受付の方が、「地図は入りませんか?」と親切に尋ねてくれた。正直なところ、ホテルのWifiを活用すれば、携帯の地図を見ることができるため、物理的な地図はあまり必要ではなかったのだが、とりあえずもらっておくことにした。
先ほど、それを何気なく広げてみると、そこに、「全ての創造は旅である」という言葉が書かれていた。その言葉は、妙に今の自分の心の深くに届いてきた。
やはり、創造活動は旅そのものだったのだ。ここ数日間、表現を変えて何度もこの主題について取り上げてきたが、まさにその言葉の通りだ。
創造活動も発達も旅なのだ。そこにな未知との出会いがあり、自己を開いていく作用がある。
明日からも、日記や作曲という創造行為に従事していくが、それそのものが旅と同一のものだったのだ。だから今日の日記で私が述べたように、毎日はやはり旅なのだ。創造活動を通じて営まれるこの人生における毎日は、旅に他ならなかったのだ。
実はこの地図にはもう一つ言葉が記されている。それは、「旅は私たちを想像以上に遥か遠くに連れて行ってくれる」というものだ。この言葉についても、もはや語ることは何もないだろう。
旅は私たちを常に刷新してくれ、旅をしなければ見えてこなかった自己の様々な側面を開示してくれる。あるいは、それに気づかせてくれる促しを絶えず行ってくれる。
旅を鏡として自己と向き合うことによって、私たちは自己の新たな側面に気づき、それによって自己は新たな方向に向かって歩みを進めていくのである。旅が自己を開き、自己を育んでくれるというのは、そうした事情による。
気づかない間に、普段就寝している午後十時を迎えてしまった。これから就寝しようと思う。今夜どのような夢を見るかが楽しみだ。パリ:2019/2/28(木)22:04