3883. 三大陸を行き来する自分を暗示する夢
今朝は六時過ぎに起床し、七時を迎えるあたりから一日の活動を始めた。書斎の窓から外を眺めると、すでに薄明るくなっている。
今日と明日のフローニンゲンは、昨日と同じぐらいに良い天気になるそうだ。今日もまた、午後にでも散歩に出かけようと思う。
一日の活動を本格的に始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。今朝は随分と多い夢を見ていた。一つ一つの夢は短いのだが、その数が多かったように思う。
夢の中で私は、バスに乗ろうとしていた。バスに乗る直前で、偶然にも小中高時代の親友(AF)と出会い、列に並びながら立ち話をしていた。
私はバスの運賃がわからなかったので、親友に尋ねてみると、2ユーロとのことであった。それを聞いて、私はバスに乗り込む前に、財布から2ユーロを準備しようとした。
だが、財布の中の小銭入れには様々な種類のお金が混ぜこぜで入っており、すぐに2ユーロ分の小銭を取り出すことが難しかった。そうこうしているうちに、バスの乗り口までやってきて、2ユーロぐらいの金額を支払い用の機械の中にさっと入れた。
その時私は、間違えてユーロではなく、円を入れてしまった可能性や、2ユーロではなく、5ユーロ入れてしまった可能性、さらには2ユーロに満たない金額を入れてしまった可能性があるかもしれないと思った。しかしそうした心配とは関係なしに、運転手は私にチケットを渡してくれた。
だがその瞬間、バスの運転手は、「お客さん、間違えて16,000ドルを支払っていませんか?」と私に尋ねてきた。ユーロや円ならまだしも、その時の私はドルは持っていなかったので、自分ではないと答えた。
運転手も笑っていたが、バスのチケットに16,000ドル(およそ180万円)を払うというのはあまり考えられないことである。運転手から受け取ったチケットを財布にしまおうとすると、先ほどまであったはずの無数の小銭がすっかりなくなっていることに気づいた。
どうしたものかと私は思い、親友に再度話しかけると、私がバスの運転手と話をしている時に、後ろから見知らぬ外国人がやってきて、ポケットにしまっていた自分の財布に手をかけているように思えた、と親友は述べた。その外国人に小銭を抜き取られてしまったのかと思ったところで夢の場面が変わった。
まずこの夢について少し考えてみると、この数カ月においてバスに乗る夢を何度か見ていることに気づく。それは一体何を暗示しているのだろうか?それは、どこかに自分が向かっていることのサインなのだろうか。
仮に移動するのであれば、他の手段も考えられる。私の夢の中で時折登場するのは列車であり、飛行機はほとんど出て来ない。船も滅多に現れてこない。
それぞれの交通手段が暗示するものは一体なんなのだろうか。その点に関心がある。
それぞれの交通手段の機能的な違い、さらには自分がそれらの交通手段に対して持っているイメージなどから、それぞれが暗示していることが何かを導き出すことができるかもしれない。当面は、今朝方の夢で現れたバスについて、自分を運ぶバスのような存在は何かという観点を持って考えを巡らせてみようと思う。
一つ確かなことは、今の自分はやはりどこかに向かって動き出しているということだ。それは、円、ユーロ、ドルが混ざっていたという現象からわかるように、三つの異なる大陸を行き来することに向かっている自分がいるのかもしれない。
それが正しければ、この夏、やはり私は日本で一、二ヶ月ほど過ごし、その後アメリカで数年ほど生活をするかもしれない。そしてそこから再び、ヨーロッパに戻ってきて生活を送ることになるかもしれない。
そのような今後の生活のあり方を暗示するような夢だった。フローニンゲン:2019/2/26(火)07:26
No.1719: The Pulse of Buds
I certainly felt the pulse of buds on a naked tree when I went for a walk in the evening. Groningen, 18:13, Tuesday, 2/26/2019
3884. 離れた場所と高い場所に関する夢
たった今、一日分のコーヒーを作り始めた。窓の外を見ると、一筋の薄い雲に朝日が反射して、薄ピンク色になっている姿が見える。今日もまろやかな時間が流れていきそうな予感がする。
先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、まだその他にもいくつか夢を見ていたので、それらについても覚えている範囲で書き留めておきたい。
夢の中で私は、ある体育館の中にいた。そこは一見すると、実際に通っていた中学校の体育館のように見えるが、少しばかり作りが違っているようにも思えた。
体育館で私はバスケの練習をしており、うちのチームの問題は、シュートの成功率にあると私は考えており、それをいかに向上させるかについて案を練っていた。まずそもそも、一人一人の選手がどれだけの成功率を持っているのかを、距離の異なる5箇所から、2本ずつシュートを打ち、合計で10本打ったシュートがどれだけ入るかを調べてみようとメンバーに提案した。
なぜだか私の横には、小中学時代の友人の女性(MH)が立っており、彼女は部活のマネージャーのような役割を果たしており、私の案に対して質問を一つした。
友人の女性:「それはジャンプシュートで行うの?」
私:「そうした方が実践的だよね。試合の中でセットシュートを打つ時間的余裕がほとんどないことを考えると、ジャンプシュートがいいと思う」
私の回答に対して、友人の女性はうなづき、早速メンバーのシュートの成功率を測定することにした。まずは自分が試しにやってみようと思い、ゴールに向かって左の比較的近い位置からジャンプシュートを打ってみると、ゴールの枠にもネットにもかすりもせずに、ボールが反対側に飛んでしまった。
私は一瞬、「しまった」と思ったが、気を取り直して残りの9本のシュートを打っていった。10本打ったところで、友人の女性が、私の提案にはなかったスリーポイントシュートを最後に打ってみることを勧めた。
厳密には、彼女は「ファイブポイントシュート」なるものを考案し、ゴールからとんでもなく離れた距離から、とんでもなく高い場所にあるゴールに向けてシュートをすることを提案してきたのである。私はその提案が面白そうだったのでやってみることにした。
ゴールが通常の高さの10倍ほど高く上げられており、それは体育館のカーテンか何かで覆われており、ゴールなどもはや見えなかった。よくよく見ると、それはゴールというよりも、時計であり、時計の長針にボールをうまく当てることができれば成功とのことであった。
私はゴールからとんでもなく離れた場所から、思いっきりボールを投げた。すると、時計に当たったことは確かだが、長針に当たったかどうかは定かではなかった。
時計を見ると、正午前を指しており、どうやら私が投げたボールは、正午を少し過ぎたあたりの場所に当たってしまったようだった。そこで夢の場面が変わった。
上記の夢も印象深い。私は中学校時代にバスケ部に入っており、高校でも休憩時間にバスケを時々やっていたこともあり、バスケが夢の中に出てくることがよくある。
だが、夢の中の私は当時の自分のように動くことはできず、シュートが思うように入らないことにもどかしく思うことがよくある。今朝方の夢もまた、ある種そうした夢の一つであった。
ただし、今回の夢において目新しかったのは、恐ろしく離れた場所から、恐ろしく高い場所に向けてシュートを打つという行為であった。その提案を持ちかけられた時、私はそれに疑問を挟むことはなく、それは面白そうだとすぐに思った。
恐ろしく離れた場所と恐ろしく高い場所について考えを巡らせると、もしかしたらそれもまた、先ほど書き留めた夢と同様に、自分がそうした場所に向かっていることを暗示しているように思えた。
仮にこの夏から日本で一、二ヶ月ほど生活をし、そこから再びアメリカに行くことになれば、今いるヨーロッパから見れば、日本とアメリカの物理的・精神的な距離はやはり遠く、それを暗示しているように思える。
だがそれは、「離れた場所」というシンボルについてしか説明できていない。それでは、「高い場所」というのはどういう意味なのだろうか。
それはもしかすると、再び日本とアメリカの両国に戻ることを通じて、自分が精神的な高みに向かって歩みを進めようとしていることを暗示していると言えるかもしれない。物理的・精神的に離れた場所に行き、そこから精神的に高い場所に向かっていこうとする自分の姿、ないしは魂の姿を見て取ることができそうだ。フローニンゲン:2019/2/26(火)07:58
No.1720: Circulation
Seasons circulate, and so our life does.
This reality might be constructed by circulating phenomena. Groningen, 08:33, Wednesday, 2/27/2019
3885. 今朝方の夢の続き
今朝方の夢については随分と書き留めたように思うが、その他にもまだ夢を見ていたので、それらについても書き留めておきたい。夢の中で私は、幼少時代に住んでいた家の近所の砂浜を歩いていた。
瀬戸内海らしく、波は穏やかであり、私は心地良い太陽の光を全身に浴びていた。しばらく砂浜を歩いていると暑くなってきたので、上半身裸になった。
すると、本来そこにあるはずのない、バス釣りの際によく足を運んでいた沼が前方に見えた。やたらと暑さを感じていたため、私は迷うこなく沼に飛び込み、沼のこちら側の岸から反対側の岸に向かって泳ぎ始めた。
対岸に到着すると、そこは沼なのだから、あまり綺麗な水ではないと私はその時ようやく気付いた。しかし、すでに泳ぎ終えてしまった今となっては、もうそれを気にしてもしょうがないと思い、再び砂浜に戻って歩くことにした。
とはいえ、体全身をシャワーか何かで洗い流したいという思いが現れたため、近くのシャワー室兼更衣室に向かった。すると、砂浜からひとつ向こう側の道を誰かが歩いている姿を見かけた。
どうやらそこを歩いているのは三人家族のようであり、こちらからは顔が見えなかったが、小さな女の子と両親がそこにいるように思えた。どういうわけか、私は自分の姿を見られたくないと思い、海岸線沿いに植えられた無数の松に姿を隠すようにしながら、来た道を引き返すことにした。
そこで夢の場面が変わった。次の夢の中で私は、見覚えないのないレストランにいた。雰囲気から察するに、そこはヨーロッパのどこかの国のレストランだと思う。
私は四人掛けのテーブルに両親と一緒に腰掛けた。そこはバイキング形式のレストランであり、父は料理を取ってくると述べて、すぐさまその場を離れた。
私の右横のテーブルには、イギリス人の三人組が昼食を食べていた。二人の女性と、一人の男性が、ご飯を食べながら談笑しており、どうやら男性と一人の女性は夫婦のようであり、もう一人の女性は、どちらかの母親のようだった。
すると、私の母も父を追うように、ご飯を取りに行くと述べて席を離れた。すると、隣のテーブルに座っていたイギリス人の男性も席を離れ、ご飯を取りに行き、私の母よりも先にテーブルに戻ってこようとしていた。
すると、その男性はテーブルを間違えたのか、私の真ん前に何気なく腰掛けようとした。すると私は、「そこは私の母の席です」と彼に伝えた。
私が突然そのように述べたものだから、その男性は聞き取りにくかったのか、私が何と言ったかを聞き返してきた。私は再度同じことを言うと、それに対して、私の右に座っていた、二人のイギリス人のどちらかの母親らしき人が、「彼が座った席は、あなたのお母さんの席じゃないわ。その横の席よ」と述べた。
見ると、確かにその男性は、ごくわずか横にある席に腰掛けていたことがわかった。どうやら私の早とちりのようであり、私は彼らに謝った。
父は相変わらず料理を取りに行ってから戻って来る気配はなく、母が先に戻ってきた。見ると、果物とパンを持ってきていた。
私はしっかりしたものが食べたいと思っていたのだが、どうやらこのレストランには、果物やパン、さらにはケーキなどしか置かれていないことに気づいた。そこで夢から覚めた。
今朝方は随分と多くの夢を見ていた。上記の二つの夢についても、それらの夢の中で現れたシンボルについては、今後も考えを巡らせてみようと思う。
今日はこれから早朝の作曲実践をし、その後に読書を行い、昼食前にもう一度作曲実践を行いたいと思う。今日もまた充実した一日になるであろうことを強く予感する。フローニンゲン:2019/2/26(火)08:29
No.1721: Farewell to Winter
Farewell to winter embraces various feelings and emotions. Groningen, 18:19, Wednesday, 2/27/2019
3886. 環境および非標準的ライフイベントと発達
気がつけば、時刻が昼食どきに近づいてきている。午前中に一曲ほど作り、そのあとは読書をして時間を過ごしていた。
今、改めて書斎の窓から外を眺めると、綺麗な青空が広がっている。そして、燦然と輝く太陽が、地上に優しい光を降り注いでいる。
そのような光景を眺めていると、春の鼻歌が聞こえてくるかのようだ。それはまた、私たちに生命の歌を歌うように誘ってくる。午後からの散歩がとても楽しみになってきた。
こうした環境に身を置いている自分について改めて考えてみたときに、アメリカの発達心理学者ユリー・ブロンフェンブレンナーの理論に考えが及んだ。ブロンフェンブレンナーが指摘するように、発達に影響を与える環境要因には質的差異があり、それらは入れ構造になっている。
ブロンフェンブレンナーは、それらの構造をマイクロシステム、メソシステム、エクソシステムの三つに分けた。前者から順に、環境の範囲が拡大していくようなイメージであり、この七年間、アメリカとヨーロッパで生活をする中で、それら三つの環境システムの特徴に影響を強く受ける形で自らの発達が形作られていることがわかる。
まさに発達とは、個人と環境との相互作用によって実現するものであり、この夏から生活地を変えることによって、新たな環境との相互作用によって、自らの発達がいかように形成されていくのかに注目をしていく必要があるだろう。
それぞれの生活地の固有性を吟味し、三つの環境システムの特徴についてまずは考察をしていく。その後、それら一つ一つのシステムが自分にどのような影響を与えているのかを考え、さらにはそれら三つのシステムが総合的に自己の発達にいかような影響を与えているのかを考えていく。そうしたことを行うことがまさに、環境から学ぶことの大前提になり、環境を通じた自己涵養につながっていくのだろう。
この夏から生活地を変えることになれば、それはまた静かな、そして大きな変容を自己にもたらすことになるだろう。どこか私は、「自分の知らない自分」に突き動かされていることをよく感じるが、自分の知らない自分とは、発達可能性そのもの、言い換えると、今まさに開かんとする次なる発達段階の自分なのかもしれない。
それはまさに今この瞬間の自己を超えた自己であり、それが常に今この瞬間も開かれようとしている様子を見ると、人間とは現在の中に未来をも埋め込んだ存在なのではないかと思えてくる。そして当然ながら、未来のみならず、過去までもが私たちの内側に絶えず内包されている。
そうしたことを考えてみると、自分の知らない自分というのは、過去の自分でもあり、かつ未来の自分でもあることが見えてくる。さらには、過去も未来も絶えず今というこの瞬間に生起するという特性を踏まえると、自分の知らない自分を知るという営みは、絶えず現在の自分を知るという営みだと言えるだろう。
小鳥がピヨピヨと鳴き声を上げている。先ほど、背中が淡い黄緑色をした小鳥が街路樹の枝に止まっている姿を見た。とても愛らしい小鳥であった。
今後の人生がいかように進展していくかは誰にもわからないのと同じように、自分の今後の人生もどのように進展していくのかはわからない。ただ一つ言えるであろうことは、これからも様々な国で生活をすることは間違いなさそうだということだ。
それはおそらく、自分にとってユニークな非標準的なライフイベントだと言えるかもしれない。発達理論の考え方を採用するならば、誰もが経験するであろう就職や結婚などという標準的なライフイベントと、その個人だけが経験する非標準的なライフイベントの双方が私たちの発達を形作っていくと言える。
特に私にとっては、多様な国で生活を営むということが、自己の発達に決定的に大きな影響を与えている非標準的なライフイベントになっている。それらのイベントがどのようなタイミングで起こり、それらに対して自分がどのような意味付けを行い、それらとどう向き合っていくのかを今後も考えていくことになりそうだ。フローニンゲン:2019/2/26(火)11:46
3887. 人生とトランジション:多声と自己
時刻は午後の三時を迎えた。今日は本当に良い天気である。これからもう一曲作ったら、散歩に出かけたいと思う。
今、書斎の窓を開けており、春の香りが部屋に流れ込んでくる。それはとても優しく、とても暖かい香りである。散歩に出かけた時には、この香りがさらに芳醇なものとして知覚されるに違いない。
「今の私は何らかのトランジションにいるのだろうか?」そのような問いが先ほど立った。もしかすると、常に何かしらのトランジションの中にいるのが自分の人生の特徴なのかもしれないが、ここ最近はトランジションの特性が色濃く滲み始めているように思う。
それはこの夏から生活地を変えることに伴うものであることは間違いないだろう。それはまだやって来ていないにもかかわらず、自己がトランジションを感じ始めているのは不思議だ。
今は、来たるべきトランジションに向けての準備を始めるというトランジションにいるのかもしれない。ウィリアム・ブリッジズが述べるように、人生とはトランジションの連続であり、それを通じて自己を深めるためには、ゆとりの中で一つ一つのトランジションと向き合っていくことが求められる。
今私は、確かに何かから何かに向けてのトランジションを体験しようとしており、その体験を咀嚼及び昇華させていくための時間的・精神的なゆとりを絶えず持っておくことを心がけていこうと思う。
ここ最近は、バッハのコラールに範を求めることがめっきり減っていることについて考えを巡らせていると、自分の内側にある様々な声について意識が向かった。こうした声と向き合うことは、今から八年前にジョン・エフ・ケネディ大学に留学していた頃に日々行っていたことだとふと思った。
その方法として、心理療法の諸々の技法を活用したり、そうした実践を行うグループにも所属していたことが懐かしい。今となっては、自己の内側の多声そのものに焦点を当てるというよりも、その多声が集まったコラールを指揮している者、あるいはそもそも、そうした多声を作った作曲家としての自己の本質に焦点を向けるようになっている。
別の表現をすれば、今の私は、もはや自分の内側の多様な声に耳を傾けるというような実践をすることはなくなり、それよりも、そうした多声を活用して自己を深める新たな曲を創造するような自己構築的営み、ないしは自己解放的営みに従事しているように思える。
毎日日記を書き、曲を作ることによって、多声を生み出す根源的な自己の輪郭が徐々に明らかになっている。形を生み出す実践を経ずして、自己の姿を捉えることはできないのではないかという考えが芽生える。
そして、その自己そのものが絶えず変化しているのであるから、絶えず形を生み出す実践をしなければ、自己を理解することなどできないのではないかと思わされる。言うまでもなく、そうした実践と自己理解の双方に終わりはないのだが、そうした実践を行うことと自己理解をしていくということを超えた形で日々の人生が営まれていく可能性は十分にある。
言い換えれば、それは実践や自己理解からの解放であり、それが始まって、ようやく自己の本質と一体となった人生が始まるように思えてくる。フローニンゲン:2019/2/26(火)15:25
3888. 創造・発達と未知性
時刻は午後五時半を迎えようとしている。先ほどまで散歩に出かけていた。
今日は昨日よりも暖かく、途中で上着を脱いで半袖でサイクリングロードを歩いていた。歩いている最中は、絶えず静かな意識状態にあり、何か特定のことを考えるというよりも、人間存在の本質や現代社会の有り様に関するぼんやりとした問いが浮かんでは消えを繰り返していた。
先ほど、人は得体が知れないものに魅せられて創造し、得体が知れない自分がその先にいるからそこに向かっていこうとする生き物なのかもしれない、ということを思っていた。
散歩に行く前に作っていた曲をこれから完成させていくが、こうした創造活動に自分を向かわせているものは何かというと、端的には未知性なのだと思う。いつも曲を作る前に、これからどのような曲が生まれるのかを心底楽しみにしている自分がいる。
どのような曲が生まれるかはほぼ全く予想ができないのだ。曲を作りながら徐々にその輪郭が露わになっていくが、最終的な姿は曲が完成してみなければわからない。
未知なるものへ惹きつけられるという性質が、創造性の根幹にあり、さらには人間発達の根幹にあるのではないかと思う。なぜ自分が日記を書き、曲を作るのかの根幹がまた僅かばかり見えてきたように思う。その先に未知なるものがあるからだ。
なぜ自分が発達の歩みを歩いているのだろうか。それは、今の自分の先に未知なる自己が存在しているからだろう。これは自分にとって非常に大切な気づきであった。
午前中に読んでいた書籍の内容を改めて思い出している。社会構成主義車のケネス・ガーデンは、表現活動には新たな可能性を切り拓くような力があると述べている。
言葉、音楽、絵画には「生成的言説」としての側面があり、それらは現代の課題を乗り越えていく道を切り開いていく可能性を内包している。そうであれば、表現を通じた創造活動は、上述の通り、未知なるものへ向かっていく運動でありながらも、この時代の課題を克服していくことにつながり得るのではないかという考えが浮かぶ。個人的な創造活動と社会とのつながりをそこに見出す。
今、輝く夕日が西の空に沈もうとしている。その輝きは言葉ではもはや語ることのできないほどに美しい。言葉にならないものをこそ、ぜひとも音楽で表現したいと思うし、できる限りのところまで言葉で接近したいとも思う。
今日も私はフローニンゲンの街にいた。明後日からはパリに数日間滞在する。
この三年間はヨーロッパに身を置いていた。この夏からはどこに身を置くのかまだわからない。
社会構成主義の立場に立ってみれば、現代の思想や慣行は、それらが仮に洗練されていたとしても、それらは自国に根ざす文化や歴史の上に構築された前提にすぎず、そうした前提を絶えず検証することが重要になるというのは納得がいく。
そうした検証をしなければ、おそらく現代の病理は何も解決されない。そうした検証作業に自分が関与していくためには何が必要なのだろうか?
そのようなことを考えた時、やはり私は自国の外で生活をすることを挙げるだろう。自分が母国の外にいる理由、そしてこれからもできるだけ外に居続けようとする理由が最近よく分かる。
その最たる理由は、現代の病理を生み出す自国の前提を客体化させる感性を育み、そうした感覚をもとに病理の解決に向けた関与をしていくためなのだろう。そしてそもそも、物質主義的な生活から距離を置こうとしているのは、物質主義的な世の中に無批判に受け入れられている思想や慣行の前提を問うことに関与していくためなのだろう。
今日も一日がゆっくりと終わりに近づいている。今日もまた、自己に関する様々な気づきと発見があった。そうした気づきや発見を、人間存在と社会に関する気づきや発見にまで高めていくことに従事していく必要がある。フローニンゲン:2019/2/26(火)17:47