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3872. 進歩・発達の運動性:身体意識の涵養


時刻は午後四時を迎えた。午後の活動もひと段落したので、これから散歩に出かけたい。

近所の河川敷のサイクリングロードをゆっくりと散歩し、帰りに近所のスーパーに立ち寄ろうと思う。今日は早朝に霧が出ていたが、午前中から今にかけて、めっきり良い天気である。

春を感じさせる太陽の光が燦然と地上に降り注いでいる。そうした様子を眺めていると、自分の内側にエネルギーの塊の脈動が感じられるかのようだ。

これから散歩に出かける際には、ここ最近注目している建設中の建物をゆっくり眺めたい。また、街路樹のつぼみの様子も忘れずに観察する。

それらを観察する際に、変化を捉えることができなかったとしても、確実に起こっている変化の脈動を感じるようにしたい。人間の発達においても同様であり、発達とはそれが起こった後に振り返ってみて初めて気づくような特徴を持っているが、発達の最中にあって感じられることも少なからずある。

内面の成熟のみならず、作曲技術の進歩においても、目に見えるような進歩がなかったとしても、絶えず行なわれている進歩に向けた運動に着目したい。森羅万象に宿るこの運動性には本当に驚かされる。

ここのところは天気が良いこともあり、基本的に毎日ウォーキング兼ランニングに出かけている。それによって全身の血の巡り、及びエネルギー循環が促進されている。

自分の言葉と音を創出し続けていくことが一つのライフワークとなっているが、それを行うためには、とにかく身体の状態を整えることが重要だ。自らの言葉を育み、それを生み出すために読書をする際にも、そして実際に言葉を生み出すためにも、身体の状態がどのようなものであるかがカギを握る。

さらに言えば、言葉や音を生み出すためには、身体意識を鍛錬していくことが不可欠であり、そうした観点から見れば、運動神経が鈍いというのは、そうした活動の大きな妨げになってしまう。ここで述べている運動神経というのは、スポーツが上手くできるとかそういう話ではなく、自らの活動領域における身体意識のことを指す。

一見すると、ある知性領域において秀でているように思える人に関して、実際にその人の言葉の使用法を観察してみると、実はそれが単に頭だけで行われているものであり、全身運動的なものが欠けているように思えることは多々あるのではないかと思う。

通称、「頭でっかち」と呼ばれるような人は、この問題に陥ってしまっているのではないかと思う。そうした症状を持つ人たちの言葉には、全身運動がもたらす肉感のようなものが欠落しており、言葉だけが積み重なっている印象を私たちに与える。

そうした症状に陥らないためにも、日々の実践においてはとりわけ身体意識の涵養を意識し、全身運動を通じた探究活動と創造活動を心がける。それではこれから散歩に出かけることにしたい。フローニンゲン:2019/2/23(土)16:22

No.1713: A Spring Coronation

Today is a warm and cheerful Sunday which makes me expect the beginning of a spring coronation. Groningen, 14:25, Sunday, 2/24/2019

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