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3863. つぼみと建設中の建物より


早朝の作曲実践をしている最中、思い出がやわらかい流れに乗って、自分の内側をゆったり動いている感じがしていた。欧州での生活が進行していけばいくほどに、やたらとこうした感覚が生まれる。

自分の内側の時間の流れが変容し続けており、それを確かに実感している自分がいる。

昨日、夕方に散歩をしていると、道端に植えられた枯れ木の枝の先につぼみが付いていた。私は思わずその場に立ち止まり、つぼみが付いている枝を撫でていた。

心境として、自分のエネルギーをその枝に送り、つぼみが立派に開いてほしいという思いがあった。小さなつぼみが誕生している姿を見ると、春が近づいていることを改めて感じることができる。

自然の様子を観察し、自然を通じてこの世を生きていくこと。自然と波長を合わせて、調和のとれた落ち着いた生活をしていくこと。それをこれからも大切にしたい。

ここ最近は暖かい日が続いているが、明日からの最低気温は幾分低くなる。冬が迷子になっていないことを願い、春に向けての足取りを着実に進めていることを祈る。

昨日散歩していたコースは、近所の河川敷のサイクリングロードである。しばらく前から、ちょうど踏み切りを渡った広い空き地に建物が建てられるようになった。

それはまだ建設中であり、いつ頃完成するのかはわからない。見たところ大きなマンションのように見える。

この建物が完成する頃には、おそらく私はもうフローニンゲンにいないのだろうと思う。私がその場にいてもいなくても、進行していくものが無数にある。

私たちの見ていないところで、人々は自らの仕事に従事し、生活を営んでいる。建設中の建物を眺めながら、そうしたことを思うと、どこか感慨深いものがある。

私がその場に立ち止まり、建物を熱心に眺めていたためか、自転車で通りかかる人たちも私の視線の先が気になったようであり、たいていの人は建物の方を一瞥していた。建設中の建物を眺めながら、建築における機能性と美との関係に関する問いが浮かんだ。

目の前の建物の作りは変わっており、特に屋根の傾斜が特徴的であった。おそらくそこには何らかの機能性が考慮されており、同時に、機能性だけを追求するのではなく、建物という一つの創造物の美的側面についても建築家は考えていたはずである。

建築家にとって、建物の機能性と美とはどういったものなのだろうか。そしてそれらはどのような関係を持っていると考えているのだろうか、ということに興味が湧いた。この論点は、芸術作品の機能性(あるいは実利的側面)と美との関係に関する話とも繋がってくる。

空が晴れわたり、早朝の太陽の光がやわらくフローニンゲンの街を包んでいる。夕方も天気が良ければ、建設中のその建物を眺めに散歩に出かけたい。フローニンゲン:2019/2/21(木)08:34

No.1706: A Winter Train for Spring

A winter train started to depart for spring. Groningen, 09:02, Friday, 2/22/2019

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