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3859. ベートーヴェンの音楽と創造活動


時刻は午前10時半を迎えた。先ほど、早朝の作曲実践を終えた。

今朝方生まれた曲は、静かさと地鳴りのようなイメージが混じるような曲であった。夢の中に自分の無意識が投影されるように、おそらく曲の中にも自分の無意識の何かしらの事柄が投影されるのだろう。

夢はシャドーの表れであるという側面が強くあることを考えると、曲にも何かしらのシャドーが現れているだろうから、作曲を通じて、そうしたものと向き合っていくのも有益だろう。

今朝方から、ブルックナーのピアノ曲を聴き始めることにした。これまであまりブルックナーの曲を聞いたことはなかったが、昨日読み進めていたベートーヴェンのピアノソナタに関する解説書の中に、「ベートーヴェンとブルックナーは音楽神秘主義者であった」という記述を見かけ、ブルックナーの作品に関心を持った。

やはり私には、神秘主義的なものを好む傾向があるようだ。今日の多くの時間を、ブルックナーのピアノ曲と共に過ごしたいと思う。

昨日読み進めていた解説書を読み終えたので、今日からはベートーヴェンのピアノソナタに関する別の解説書を読み進めていく。昨日、解説書を読み進めていると、ベートーヴェンという作曲家は、エロス的な愛(上昇の愛)とアガペー的な愛(下降の愛)の双方を持って曲を作っていたことに気づかされた。

エロス的な側面は、ベートーヴェンが人間を神的なものへと高めることを希求して作曲をしていたことに表れている。一方で、アガペー的な側面は、ベートーヴェンが万民に普遍的な愛を降り注ごうとして作曲をしていた点に表れている。

ベートーヴェンの曲が現代においても長らく聴かれ続けているのは、ベートーヴェンの技術と思想が極めて深いものであるだけではなく、曲の中に含まれるそうした両側面の愛があるからなのかもしれない。その他にも、ベートーヴェンはいくつかの対極的な事柄を曲として表現している。

例えば、修羅と涅槃、死と浄化などはそうした一例である。今後は、そうした対極的な事柄を意識しながら、ベートーヴェンの曲に接していこうと思う。

ゆっくりと季節が進行し、春に向かっていく中で、この三年間の欧州生活を振り返っている自分がいる。この三年間を総括するにはまだ早いかもしれないが、この三年間は、絶えず書くことを通じて自己と向き合うような毎日であった。

最後の一年においては、文章を書くことだけではなく、曲を作ることを通じて自己と向き合うような日々が続いていた。創造活動というのは、自己と向き合うきっかけを与えてくれるものなのだろう。また、創造活動とはつまるところ、発見することである。

日記を書けば書くだけ、曲を作れば作るだけ、自己に関する新たな発見がもたらされ、自己が紐解かれていくような感覚がある。

創造活動は、自分の内側の未知なるものとの出会いの場をもたらし、そうした未知なるものと向き合うことによって、自己の新たな側面が浮かび上がってくる。創造活動が自己を深めてくれるものになりうるというのは、そうした事情があるからなのだろう。

また、創造活動そのものに対する意味づけも、創造活動に従事すればするほどに変化していることを考えてみると、創造活動には意味の深化を促す力もあるのだろう。

人間が何かを創造するということそのものの奥深さを実感する。フローニンゲン:2019/2/20(水)10:40

No.1703: Toward the End of Winter

I notice that winter is certainly approaching the end.

I look forward to the energetic vital force in spring. Groningen, 12:10, Thursday, 2/21/2019

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