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3843. くつろぎと創造の泉の中で

  • 2019年2月19日
  • 読了時間: 3分

ここ最近は、ほぼ毎日外に出かけ、短い時間でもいいので、散歩や軽いランニングを行っている。その効用を本当に実感している。

散歩や軽いランニングは、身体の血液とエネルギーの循環を良くしているということが身体感覚としてわかる。また、それが精神の次元にいかような影響を与えているのかもありありとわかる。

昨日の夕方は、近所のノーダープラントソン公園へ足を運んだ。昨日が土曜日であったからか、そこには多くの人がいて、各人が思い思いにのんびりとした時間を過ごしていた。

芝生に腰掛けて話をしている人や、サッカーやフリスビーをしている人、犬の散歩をしている人など、実に様々な過ごし方で各々がくつろぎの時間を過ごしていた。私はそうした光景を眺めながら、それは実に人間的でいいと思った。

本来私たちは、このような時間の過ごし方をするべきなのではないだろうか。自らの生命時間を明け渡し、金銭獲得に躍起になりながらせわしない時間を過ごしていいのだろうか。

皮肉なことに、自らの生命時間を明け渡すことによって金銭を獲得しようとする衝動は、死の拒絶衝動と本来密接的に繋がっているのだが、多くの現代人はそれに気づけないがゆえに、生命時間を無駄に削りながら、結果としてはますます死に向かっていくという状態に置かれているのではないかと思う。

とにかく日々の生活の中にゆとりを取り戻すこと。欧州での三年間の生活で学んだことの中で最も大切なことのうちの一つは、私たちの充実感と幸福感、そして発達という現象は、ゆとりの中で育まれるということである。昨日の夕方に散歩をしながらそのようなことを改めて思った。

これから季節が一段と春らしくなり、気温もより暖かくなるだろう。今日も天気が良いようなので、午後に散歩に出かけたい。

昨年の九月を迎えた頃から徐々に寒くなり、それ以降は、本当に外に出かけていく機会が減った。さすがに一週間まるまる家の中で過ごすことは不健全だろうと思っていたため、一週間分の食料を買うことはせずに、できるだけ三日に一回は買い物に出かけるようにしていた。

ただしこの数ヶ月間は特に、買い物に出かけた時も太陽の光を浴びれたことは稀であった。太陽の光を浴びること、そして全身を動かすことがいかに身体的にも精神的にも大切かを強く実感する。

小鳥の鳴き声が今も小さく聞こえてくる。自然の音は実にいい。そこには癒しがある。また、自分に関する新たな気づきもそこにある。

今日もまた、創造の泉にくつろぎながら過ごす一日になるだろう。とにかく自分の言葉と音を見出し、それを育んでいくために、創造の泉の中に完全に浸りながら、今日もまた日記の執筆と作曲実践を進めていく。フローニンゲン:2019/2/17(日)06:18

 
 
 

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