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3841. 新たな世界を開く学習と実践


今朝は五時前に起床し、五時半を迎えようとする頃に一日の活動を始めた。目覚めてすぐに気づいたが、一日の活動に向けたエネルギーで満ち満ちている自分がそこにいた。これもまた春に近づく季節の恩恵なのだろうか。

春は、生きとし生けるものの生命力を活気付けてくれる。そのようなことを実感する朝であった。このエネルギーをもとに、今日もまた自分のライフワークに取り組んでいこうと思う。

昨夜、久しぶりにベートーヴェンのピアノソナタの楽譜を手に取り、中身を何気なく眺めていた。手持ちの楽譜は非常に分厚く、700ページ近くの分量がある。

ピアノソナタだけでもこのような分量の構築物を残したベートーヴェンに改めて敬意を払った。しかもそれは単に量が膨大だというだけではなく、それは質的深さを伴っていることを忘れてはならないだろう。

実はベートーヴェンの楽譜を手に取る前には、スクリャービンのピアノソナタに関する楽譜と、その他のピアノソロに関する楽譜の二冊も眺めていた。スクリャービンもまた、自分にとって大切な作曲家の一人となった。

昨夜、特に私が関心を持っていたのは、スクリャービンが死の直前にどのような曲を生み出したのかということだった。スクリャービンがこの世を去った前年の1914年に作られた三つの作品をぼんやりと眺めていた。

ここからは私は、それぞれの作曲家が死の近くにいかような作品を作っていたのかを一つの着眼点として持っておきたいと思う。それらの曲に対して本格的な分析をする必要はまだないが、いつかそうしたテーマに基づいて、楽曲分析を音楽理論的かつ哲学的に行っていきたいと思う。その際には、実存主義的心理学やトランスパーソナル心理学の観点を活用することも一つの手だろう。

今日もまた、今の自分に生み出すことのできる小さな作品を作っていく。とにかく過去の偉大な作曲家の仕事を参考にしていくこと。

彼らが獲得した技術と思想から汲み取れるものは全て汲み取るように、学習と実践を継続していくこと。そして理想的には、彼らが体現したものを全て自分の作曲語法の中に統合し、いかなる感覚も全てその作曲語法によって自由自在に音楽化できるようにしていく。

昨夜ふと、一年ちょっと前の自分は、楽譜上、ドレミファソラシドの「ド」がどこにあるのかわからない状態であった。そのような状態であったから、楽譜上の諸々の記号は、まさに理解不能な未知なものでしかなかった。そこから一年数ヶ月の学習と実践を経て、少しずつ理解できることが増えていった。

人間というのは、本当に学習する生き物なのであり、実践と学習を絶えまなく続けていけば、それをしなければ見えてこなった世界が見えるようになってくるのだということを実感する。学習も実践も、それらは新たな世界を開示し、そして開拓するために存在しているのだ。そのようなことを思う。

今日からは、より作曲実践に力を入れていきたい。正直なところ、今は書物を読むことを脇に置いてもいいぐらいだ。

文章を読むよりも、とにかく自分の内側から湧き上がってくるものを形にしておきたい。本日も積極的に曲を作っていく一日になるだろう。フローニンゲン:2019/2/17(日)05:41

No.1690: A Skip of a Streetlight

A streetlight is skipping around a place. Groningen, 21:10, Sunday, 2/17/2019

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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