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3811. 戦場で死に対する恍惚感を覚える夢


つい先ほど、今朝方の二つの夢について振り返っていた。実は今朝方の夢は、そこで終わりではなく、まだ別の夢を見ていた。

黒々とした蒸気機関車に乗り込んだ夢のすぐ後に、次の夢の場面が始まった。その夢の中でハッとするかのように目を開けると、そこは廃墟で溢れる街の一角だった。

天気は晴れであり、目を開けた私は、まず太陽の光を感じた。次に気づいたのは、先ほどの列車の中にいるのではなく、自分が戦車の中にいることに気づいたのである。

戦車の中に座っている私の横には、小中学時代の親友(HS)がいた。私は自分がなぜ戦車の中に乗り込んでいるのか理解ができず、少し困惑をしていたのだが、その親友が「心配することはない」と述べた。

確かに周りには廃墟が見えるのだが、そこはそれほど不気味な場所ではなかった。私が乗っている戦車には、その他にも何名かの外国人が乗っていた。

私の位置からは、彼らの顔を確認することはできなかったが、確かに数名の外国人が戦車に乗っていることはわかった。すると突然、近くでマシンガンの銃声が聞こえた。

私は戦車から頭を出しており、廃墟の方を見ると、どこかの国の傭兵のゲリラ部隊がいて、銃撃戦を行い始めた。彼らは全員白人であり、おそらくは東ヨーロッパ出身だろうと思われる。

こちらの戦車に乗っている一人の外国人が、廃墟の方に向かって、砲撃をした。すると、ゲリラ部隊は突然、標的を私たちに変えて、戦車に向かってマシンガンを発砲し始めた。

私はすぐに頭を隠し、戦車の中に身を潜めることにした。戦車の構造上、戦車の中から上を見上げると、広大に広がる青空と燦然と輝く太陽の姿が見えた。私はその光景に恍惚感を覚えながらも、同時に、ゲリラ部隊から攻撃されているという恐怖感があった。

戦車から砲撃を仕掛けている外国人の一人に、相手の銃弾が当たってしまい、彼は大きな負傷をした。相手の数があまりにも多すぎであり、今彼らは私たちだけをターゲットにしている。

私はなぜだか諦めの気持ちに襲われた。おそらくこのまま戦っていても、私たちの命はないということを悟ってしまったのである。

そうした諦めの気持ちが生まれる直前は、死に対する強烈なまでの恐怖感があった。実際に、相手の銃弾を受け、流血している仲間の姿を見ると、より一層その恐怖感が強まった。

私は親友の方に目をやると、彼は最後まで諦めず、ゲリラ部隊に向かった砲撃を続けていた。だが私には、こちらの打つ手はもうほとんどなく、生存の可能性はほぼゼロに近いことがわかっていた。

相手のゲリア部隊には、どうやら東ヨーロッパの傭兵のみならず、イスラム圏出身の傭兵もいたようだ。死への恐怖感に私が苛まれている時、「これはジハード(聖戦)だ」という声が聞こえていたのである。

「ジハード」という言葉を何度か頭の中で繰り返し唱えている自分がそこにいた。そして、戦車の上空に広がる青空と、燦然と輝く太陽の姿を眺めていると、それらの情景に対する恍惚感のみならず、死に対する恍惚感も生まれ始めたのである。

人は極限状態において、死に対して恍惚感を抱くようだ。それに気づいた時、私の心は安らかになり、鳴り止まない銃声の音が自分の世界から消えていき、私は戦車の中からぼんやりと、青空と太陽だけをただ眺めていた。フローニンゲン:2019/2/11(月)07:59

No.1669: A Grain of Salt in Innocence

I can find a grain of salt in innocence. Groningen, 11:53, Tuesday, 2/12/2019

 
 
 

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