
時刻は午後八時を迎えた。本日を締め括る日記を書き終えたら、最後に作曲実践をもう一度行い、時間が余れば音楽理論に関する書籍を読んだり、ターナーの画集を眺めたりしようと思う。
先ほどまで小雨が降っていたようだが、今は雨が止んだようだ。静かな闇の世界が外に広がっている。
今週は月曜日から今日にかけて、協働者の方たちと毎日何かしらのオンラインミーティングが一件入っていた。すでに四日ほどそうした日が続いていたとわかった時に、今日は水曜ではなく、木曜日であることに気づいた。
今日綴っていた英文日記の曜日をどうやら一日間違えてしまっていたようであり、しかも昨日分の日記も全て間違えていたようであったから、つい先ほど全て修正をしておいた。オランダで生活をし始めてから、曜日感覚が消失していき、こうしたことがよく起こるようになった。
日記の曜日を修正するのは面倒だが、おそらくそれは良い兆候なのだと思う。毎日が、自分の内側の時間感覚を通じて流れていく。明日もまたそうした一日になるだろう。
夕方にふと、私は毎日浴びるように音楽を聴いていることに気づいた。様々な楽器が鳴るような交響曲ではなく、基本的にピアノ曲を聴くことがほとんどであり、毎日ピアノ曲の音の中で生活をしていると言える。
音楽の世界の中で日々を生きていると、自分が随分と音楽の恩恵を受けていることに気づく。とりわけ、音楽が持つ治癒と変容の力の恩恵を毎日受けているように思えてくる。
音楽が持つ治癒と変容の力に関しては、それほど本格的に探究をしているわけではないが、実体験として、音楽が自らの魂に安らぎを与え、それをさらに育む形で作用していることがわかる。
今日はこれからモーツァルトに範を求めて作曲実践をする。その際には、基本的にはメロディーに最も意識を集中させたい。
しかしそれだけではなく、やはりここ数日間学習しているセカンダリードミナントを活用していきたいと思う。これから参考にする曲が短いことを考えると、それを一、二回ほど適用することができればと思う。
今日もバッハの四声のコラールを参考にし、改めて思うのは、バッハのコラールを参考にして作曲をするときは、とにかくハーモニーに関する様々な技術を試すようにする。ウォルター・ピストンの書籍を読みながら、あるいは他の書籍を読みながら、新しい観点が得られるたびに、その観点を適用した実践を行う。
バッハのコラールを参考にすることは、ハーモニーの技術を高める訓練の場であるとみなしたい。そうした実践を継続していけば、使える色がよりいっそう増えてくるだろうと確信している。
それはすなわち、作曲による表現の幅が広がることを意味している。明日もそうした意識を持ちながら、可能であれば、教会旋法を試した曲も作ってみようと思う。フローニンゲン:2019/2/7(木)20:24