
時刻は正午に近づきつつある。起床直後は小雨が降っていたが、この時間帯は青空が広がっており、非常にすがすがしい気分になる。
午前中、今年一年間協働させていただいている方々とミーティングを行い、それをもって一年間のミーティングが全て終わり、開発していたサービスが無事に世に送り出せそうで何よりである。来年度の協働もまた非常に楽しみである。
ミーティングが終わった後に、ウォルター・ピストンが執筆したハーモニーに関する書籍“Harmony (1978)”の続きを読もうと事前に計画していたのだが、青空が広がっていたため、読書をするのではなく、外にランニングに出かけた。
先日の日記で書き留めたように、この季節は晴れの日が少なく、太陽の光を拝むこと、そしてそれを浴びることは貴重であるから、迷わず外に出かけて行った。今日はかなり風が強かったが、近所の運河沿いのサイクリングロードを心地よく走ることができた。
ミーティング後の意識を整理する意味でも、そして太陽の光を少しでも浴びる意味でも、先ほどのランニングは実に有益だったように思う。身体を動かすことによって、意識の状態は本当に変わるのだ。ここに、身体と意識の密接なつながりを見出すことができるだろう。
もう少しで昼食の時間となり、昼食を摂ってからは、まず過去の日記を編集する。その後、上述の書籍を読み返していきたい。ピストンの書籍から得られることは本当に多く、午後は、セカンダリードミナントに関する章を読み込んでいこうと思う。
簡単に述べると、セカンダリードミナントとは、ハーモニーの機能を残しながらも、色を拡張させる働きを持っている。おそらくこの方法を発明した当時の作曲家は、曲として使える色を増やしていくことを目標に掲げていたのだろう。
いやもしかすると、どの作曲家も、自分の曲で使える色を拡張させることを大切にしていたのではないかと思う。作曲家は一様に、自分の内側で知覚された音楽的絵画を表現するための色を必死に探していたのではないか。彼らは自分の内的感覚に最も合致する色を真摯に追い求めていたのではないか。そのようなことを思わされる。
上述のピストンの書籍を購入したのは随分と前のことになる。購入当時の私は、この書籍の内容があまりにも難しく、内容をほとんど理解することができなかった。
だが今は、そこで書かれていることを理解し始めている自分がいることに驚く。もっと言えば、一年半前の私は、楽譜上、「ド」の音がどこにあるのかわからないところから作曲実践と音楽理論の学習をスタートさせたのであるから、そこから現在に至るまでの進歩には驚かされる。
当然この進歩もまだ微々たるものだが、それでも進歩があったという事実には変わりない。こうした小さな進歩を見逃さずに把握し、進歩そのものを育んでいくことが重要だろう。
進歩という現象もまるで生き物であるかのように、絶えず自発的な運動を続けており、その運動を支えていく試みが重要になる。それがまさに、進歩そのものに気づくということであり、絶え間ない学習と実践を行うことだと言えるだろう。
進歩も量子と同じように、気づきの意識を与えることによって振る舞いを変え、進歩はそれとしてさらに進歩していくのだ。こうしたことを思うと、午後からの小さな学習と実践がますます楽しみになり、ここから一年後の自分がいかなる場所に立っているのかも楽しみだ。フローニンゲン:2019/2/7(木)12:02
No.1656: A Hymn for Metaphysics
In a word, our thinking is a song which always encapsulates metaphysical elements. Groningen, 11:31, Friday, 2/8/2019