気がつけば、時刻は午後の五時に近づいていた。今日は一日を通して曇りがちであり、早朝には雨が降っていた。
今は幸いにも雨は降っていないが、灰色の薄い雲が空全体を覆っている。その空の下をカモメの群れが飛んでいる。
朝、昼、夜。それらは実は、人間が人為的に生み出した区別でしかないことに改めて思いを巡らせていた。
そこにあるのは太陽の運動と、私たち一人一人の人間の運動があるだけであることに気づく。人間という生き物は本当に、諸々の思考の構築物を作りたがる。
ひょっとすると、今このようにして日記を書いている私も、まさにそうした構築物を創造することに加担しているのかもしれない。
今日は久しぶりに、バッハの四声のコラールに範を求めて作曲を行った。なぜ再び四声のコラールを参考にしようと思ったかというと、四声あると、作曲上の諸々の観点や技術を試しやすいからであった。
例えば今日は、幾分強引ではあったが、サブドミナントマイナー、セカンダリードミナント、転調などを試した。強引に活用し、響きが悪くなってしまった時には、それを活用することを止めたが、できるだけそれらの技術を試していった。
今後は、バルトークの作曲システムや教会旋法などを試してみたいと思う。バルトークの作曲システムにおいては、ハーモニーにおける機能を維持しながらも、特殊な和音構成を活用しており、それらについてより理解を深めていく必要がるだろう。
例えば、多調的に、和音が二つの階層に分かれており、上部にトニックの機能を持つ和音構成を、下部にドミナントの機能を持つ和音構成を持たせるものがあり、バルトークの作曲システム上は、常に二つの階層をもたせた和音を活用する必要があるのかどうか(おそらく常にではないと思われるが)、フィボナッチ数列的に音を積み上げて和音を構築することは常なのかどうか、そのあたりの点をまずは確かめたい。
教会旋法についても、実は同様の観点で課題を抱えている。つまり、ハーモニーの創出について、幾分疑問が残っている。
一般的な教会旋法は七種類あり、それらの一つ一つの旋法がどのような音の並び方になっているかは理解している。それでは、教会旋法を活用する上で、ハーモニーはどのように考えればいいのだろうか、そこにはやはり和声の機能があるのだろうか、そのようなことがまだ疑問として残っている。
もしかしたら、それほど難しく考える必要はなく、各旋法で用いられる音を積み上げていけばいいだけなのかもしれないが、ひょっとすると、特殊な事柄があるかもしれない。そのあたりの課題意識を持ちながら、教会旋法に関する手持ちの二冊の書籍、“A Concise Explanation of the Church Modes (2018)”と“Chorale Harmonization In The Church Modes (2018)”を読み返したい。
今、二冊の書的のタイトルを改めて書き出してみたところ、まさに後者のタイトルは、上記の課題意識に合致するものであることに改めて気付く。初読時の私は、大して課題意識を持っていなかたため、教会旋法のハーモニーに関して理解を深めることができなかったのだろう。
ここからも、書物を読む際に、課題意識を持っておくことの大切さを改めて思い知る。フローニンゲン:2019/2/6(水)16:58