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3775. バス釣りのトーナメントに参戦する夢


時刻は午前七時を迎えた。もう三十分ほどしたら、徐々に夜が明けてくるだろう。

先ほど今朝方の夢について振り返っていた。あの夢の次に別の夢を見ていたことを覚えている。

夢の中で私は、おそらくフロリダだと思われる場所の川にいた。その川の脇には葦が茂っており、その川はバス釣りのメッカであった。

川に到着した時に、そこで偶然にもフィールドホッケー部に所属していた大学時代の友人(HT)と出会い、彼とコンビを組んでバス釣りのトーナメントに参戦することになっていた。

早朝の早い時間であったが、すでに太陽も出ていて、非常にすがすがしい気持ちであった。彼とお互いのコンディションを確認し合い、お互いに調子が良いことがわかった。

今回のトーナメントでは良い結果が出せそうだと思ったところで、私たちは早速ボートに乗った。まずは当初の予定通り、葦の茂みと水中に沈んだ橋のある地点に向かった。私たちはその場所を最初のターゲットとしていた。

一投ほどルアーを投げてみたときに、友人と私は重大なことに気づいた。どうやら私たちは朝食を食べておらず、さらには昼食も持参していないことに気づいたのである。

今日の試合は、夕方までかかるものであり、これはまずいと思った。そこで私は彼に提案し、もう何投かルアーを投げて次のポイントに移動するときに、私を途中で降ろしてもらい、ご飯を買い行くことにした。

友人は「それは助かる」と述べており、私はボートを降りて、急いでご飯を買いに行くことにした。そのような夢を見ていた。

今朝方は、実際にはまた別の夢を見ていたように思うが、今はそれを思い出すことができない。また、書き留めた二つの夢に関しても、もう少し細かな場面があったように思う。それらに関して思い出すことができたら、また書き留めておこうと思う。

最初の夢に関しては、大学時代に実際に住んでいた国立市が現れる夢を初めて見たのではないかと思う。それに付随して、当時自分が実際に住んでいたマンションが夢の中で現れることも初めてであったように思う。

夢の中では、そのマンションの部屋の狭さをかなり嫌がっているようであった。当時はそのようなことは一切感じず、8畳もあれば十分だと思っていたが、今となっては非常に窮屈な空間で生活をしていたのだと思う。

無駄に大きな家に住む必要は全くないと思うが、七年間の欧米生活を通じて、心の広さと空間的な広さにはどこか繋がりがあると思うようになり、適度な生活空間を確保することはやはり重要だ。生活空間の狭さは、心の空間も狭めてしまう恐れがある。

また、偶然立ち寄ったスーパーで遭遇した強盗事件に関しても、驚きこそあったが、恐怖心は一切なく、私はとても冷静であったように思う。買い物客たちはかなり怯えた様子を見せていたが、そうした様子を観察しながら、強盗の男性の雰囲気と言動から、怯える必要など全くないということを私は考えていた。

最初の夢に関してはその他にも、空中を飛んで移動するのではなく、空中を泳ぎながら移動していたことも印象に残っている。空を飛ぶ夢はこれまで何度も見ているが、空を泳ぐ夢は初めてなのではないかと思う。

水中を泳ぐ以上に、空中を泳ぐことの方が大変なのかもしれないということが、身体感覚を通じて理解できる。

二つ目の夢に関しては、過去に海で釣りをする夢を見たことは何度かあるが、川でバス釣りをする夢は初めてだったと思う。さらには、本格的なトーナメントに参戦するというのも今回初めてであり、その試合にどうして大学時代の友人である彼と出場したのかも謎だ。

人間発達が未知なる自己を既知なる自己に変容させていく営みであるならば、夢が示唆する事柄を理解していくことは重要になるだろう。フローニンゲン:2019/2/5(火)07:39

No.1649: Morning & Afternoon & Evening

In reality, there is no distinction between morning, afternoon, and evening.

Humans just concoct the artificial distinction.

What there really exists is just the movement of the sun and our movement. Groningen, 14:50, Tuesday, 2/6/2019

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