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3772. 自我の狡猾な行為


時刻はゆっくりと午後の六時に近づきつつある。外の世界は徐々に闇の世界に向かっている。

気がつけば、随分と日が伸びたものである。五時半を過ぎてもまだ完全な闇ではないところまで日が伸びた。

街灯の明かりが灯り始めた時刻を迎えた今は、小雨が降っている。天気予報の通り、午後から粉雪が降り始め、それは雨に変わった。

今日は昼食後にオンラインミーティングを行い、残りの時間は、発達理論に関する論文を一つ読み、作曲理論や音楽の思想的側面に関する書籍を読んでいた。人間発達の探究と音楽の探究が密接不可分のものとなった。また、音楽を探究することが、霊性と死生観と強く関連したものであることに気づき始めている。

音楽に関する探究をしていく際には、当然ながら作曲技術をより磨き、より豊かなもにしていくために、作曲理論や音楽理論などの技術的な事柄に関する書物を読んでいく。しかしそれだけでは不十分であり、本日読んでいたように、音楽に関する思想的な書物も合わせて読み進めていく。

兎にも角にも、作曲実践において、技術と思想の双方が重要である。そして、とりわけ音楽や作曲に関する思想的な側面の書物を読んでいく際には、それらの内容と霊性や死という現象に関連付けていく。そのような形でこれからの探究は進んでいく。

今日は偶然ながら、知人の方から久しぶりにメールをいただいた。その方は昨年からブログを書き始めたようであり、その連絡を本日受けた。

早速拝見してみたところ、いくつか興味深いことが書かれていた。その方と私に共通しているのは、ヨガの実践者であることだ。

その方のブログの中で、ヨガの探究とは究極的には書くことと話すことであると書かれており、その点に多いに賛同するものがあった。

夕方、少しばかり、狡猾な自我の性質について考えを巡らせていた。チョギャム・トウルンパ・リンポチェが指摘するように、私たちの自我は、自らの永続性を保存しようという強い欲求の元、あらゆるものを物質化し、それを消費する中で自己の永続性を保存しようと努める。

そこでは、霊性というものも消費対象に成り下がり、それを消費する形で自己保存を果たそうと躍起になる。言い換えると、それは自我の防衛反応であり、自我は自己保存をするために、あらゆる対象を道具化し、それを用いて自己保存の目的を果たそうとする。

自己保存を果たすための自我の狡猾な行為は、全てを物質化・道具化し、しかもそれを自己に悟られない形で行っていることだろう。自我のこうした狡猾な行為に無自覚であり、あらゆる対象を物質化・道具化し、自我の思うままに対象を消費している様子は、この現代社会において至る所で見受けられる。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2019/2/4(月)18:05

No.1647: A Primitive Drum

A primitive drum is producing a rhythmical sound and a gentle melody. Groningen, 17:43, Tuesday, 2/5/2019

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