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3770. 霊性・死・音楽の探究


時刻は午前七時を迎えようとしている。今日もこれからゆっくりと夜が明け、一日が静かに始まっていくだろう。

今日からは四日連続でオンラインミーティングが入っている。それぞれ異なる協働者の方々とのミーティングであり、年度末に向けて、今年度のプロジェクトの諸々が佳境に入っている。

一方で、来年度に向けた準備のためのミーティングもあり、ここでもまた、終わるものと始まるものについて考えさせられる。プロジェクト一つをとってみても、それはまるで生命のようであり、停滞や発達を経験しながら巣立っていく。そのようなことを思うと、どこか感慨深い思いに駆られる。

一昨日に、霊性と死という現象を深く探究していこうという気持ちを改めて持った。仮に博士号を取得するのであれば、テーマはそれらになるだろう。

むしろ、それ以外のテーマは、私にとって数年をかけて博士論文を書くほどのテーマではないと思われるようになった。それらのテーマを扱うための準備が必要であり、それは知識的なものというよりも、内面の成熟に関するものだ。

数年後、ないしは10年後、あるいはそれよりも少し後になってから、霊性と死に関する探究をするために博士課程に進学している可能性が大いにある。霊性と死には、究極的な真実が隠されており、それを探究することに人生の半ばから後半の時間を充てていくことになりそうだ。そのような予感がる。

今日はこれから、早朝の作曲実践を行いたい。ここ最近は、最初と最後の作曲実践を、モーツァルトの曲を参考にして行うようになっている。

ここ数日間は、同主調への転調を試している。改めて、同主調へ転調することによって、曲の表情が変わることを面白く思っている。

今は幾分強引な形で同主調へ転調をしているのだが、それほど大きな違和感を感じさせないのは、それが同主調への転調だからなのだろう。一方で、違和感をあまり感じさせないながらも、工夫をすれば、より滑らかな転調ができそうだという感覚もある。同主調への転調の場合にいかなる工夫を施せばいいのかをこれから探っていきたい。

本日これから行う早朝の作曲実践では、あえて調号のない楽譜を用いることによって、それぞれの調のどの音に変化記号(シャープやフラットなど)が付くのかを確認しながら作曲をしていく。

調号のない楽譜は、まさに無色のパレットのようであり、今後転調を駆使するような曲を作る際には、そうした調号のない楽譜を活用した方がいいのかもしれない。もちろん、作曲ソフト上では簡単に調を切り替えることができるのだが、自分の学習のためを思うと、調号が付いた楽譜を用いることがいいのか、それとも調号の付いていない楽譜を用いることがいいのか悩むところだ。

その点に関しても、どちらがいいのか、あるいはそれは時と場合によって使い分けていくことが賢明なのかも含めて、いろいろと試行錯誤をしていこうと思う。

モーツァルトの曲に範を求めたら、今日も旺盛に作曲理論と音楽理論に関する書籍を読み進めていく。メロディーに関しては、“Melody Writing and Analysis (1960)”を読み進め、転調に関しては、マックス・レーガーの“Modulation (2007)”を読み進めていく。

さらには、こうした技術的な専門書を読むことに加えて、ルドルフ・シュタイナーが音楽について論じた“Music: Mystery, Art and the Human Being (2016)”の再読を進めていこうと思う。思うに、現段階で音楽に関する探究を積極的に進めているのは、それが霊性と死の探究をしていくための準備となり、音楽の探究が霊性と死の探究と密接に関係しているからなのだろう。フローニンゲン:2019/2/4(月)07:16

No.1645: Fog & Joy

It is foggy this morning.

Yet, I can find joy in the fog. Groningen, 08:35, Tuesday, 2/5/2019

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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