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3768. 人間であることの限界に対する葛藤

February 5, 2019

時刻は午後の八時半を迎えた。このように平穏で、それでいて充実した形で、そしてまるで水の流れのような形で日々が進行していく。そのことに改めて驚かされている。

 

気がつけば、週末が始まり、気がつけば週末が終わりに向かっている。そして気づけば、新たな週が始まることに対して改めて驚く。

 

一見すると永続的に思えるこのプロセスは一体なんなのだろうか。それは天国での出来事のようであり、同時にそれは人間に課せられた拷問であるかのように思える。

 

日々の連続的な流れを永続的なものだと思ってしまうことはおそらく錯覚であり、そもそも日々の流れが連続的なものなのか否かを問う必要があるのだろうか。あるいは、そうした日々の流れを永続的なものだと思わせる人間の構造的な特質に注意を向けるべきなのだろうか。今この瞬間に考えているのはそのようなことだ。

 

今日も気づけば、随分と雑多なことを書き留めておいた。私は一つ諦めていることがあり、それは何かというと、絶えず日記を書くことによって何かに到達することや、何かを獲得することである。

 

しかしだからと言って、日記を書くことをやめるわけでは決してない。むしろ逆に、これからもよりいっそう日記を書いていくだろう。

 

日記を執筆することは、最初から不毛な試みであり、この実践の不毛性に気づけた時に、新たな有用性を見出したと言える。おそらく日記に対する認識の変容が生じたのであり、これからは新たな認識を持って日記の執筆にあたっていく。それはまさに、日記の執筆は、内側で見出された光の形象化であるという意味づけとして現れたのである。

 

今日は二冊ほどシュタイナーの書籍を読み返していた。それらの書籍を読み返しながら、認識上の地図をより精緻なものにしていく試みに邁進することが馬鹿げた試みだということに対する認識がより強くなっているように思った。

 

私が伝統的な科学、ないしは伝統的な学術機関で教えられる事柄に接する態度が変容してきたのはその表れだろう。人間の発達とは、本当に目覚めのプロセスのようだ。

 

今は、過去に数年間見ていた長い夢から覚めたような感覚に包まれている。その夢から覚めた時、また新しく自分の人生が始まったことを知る。

 

このプロセスもまた、冒頭で述べた日々の変遷と同じように終わりのないものである。人は夢を見て、その夢から覚めて再び新しい夢を見る。そして、気がつけばこの世から去っている。

 

それは幾分皮肉な姿に思えるが、それが人間の不可避な性であるからしょうがない。それがいかに皮肉に思えたとしても、私たちは夢から完全に覚めることができる。

 

確かに、私たちは生きている限りは夢を見続け、何かしらの夢の世界に閉じ込められることになるのだが、究極的な覚めがやってくれば、夢を見ていることに自覚的になることができ、夢の世界に閉じ込められていることに気づくことができるようになる。おそらく人間の解放は、そこにあるのだろう。

 

残念ながら私たちは、いかなるものからも完全には解放されえない。それが人間の条件だ。

 

だが、完全に解放されえないことに自覚的になり、何が自己を制約しているのかに完全なまでに自覚的になることはできる。おそらくそれが、人間の解放の条件になるだろう。

 

つい先ほど、高度な発達段階の実存的な課題について考えていた。それは世間一般で言われるように、複雑な認識世界を獲得したがゆえに、その複雑性に押しつぶされてしまうということではない。

 

確かにそれは比較的高度な発達段階に見られる課題だが、さらに発達が高度化してくると、そうした複雑な認識を生み出し得る人間存在そのものの特質、より具体的には、そした複雑な認識を生み出しうる思考や言語の内在的な特性そのものに対して葛藤を覚えるようになるだろう。

 

端的には、人間であることの限界に苦悩すると言い換えることができるだろう。高度な発達段階の人たちが複雑な認識世界に押しつぶされてしまうという説明は不十分であり、むしろそれは比較的高度な発達段階で抱える程度の葛藤に過ぎない。

 

より発達が高度化すると、人間存在が内在的に抱える種々の制約と限界そのものに対して、そしてそれを抱えることが不可避であり、逃げようもないことに対して実存的な葛藤を覚えるのだろう。フローニンゲン:2019/2/3(日)20:47

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